私蔵CD、レコード寸評


交響曲 管弦楽  協奏曲 室内楽,器楽 その他



交響曲


Beethoven
Brahms
Bruckner
Frank
Haydn
Mahler
Mendelssohn
Mozart
Nielsen
Schumann

Beethoven

1番  2番  3番  4番  5番  7番  9番

ベートーヴェン交響曲第1番


イッセルシュテット指揮  ウィーンフィル(キングレコード KICC 6025-30)

 これは8番に通じる演奏だ。端正な演奏だ。肩に力が入らない自然体の演奏。何と言っても2番の演奏にはなかった若々しさがあり、録音もいいし、オケも良い、木管だってクリアーだ。何も考えずに曲に入っていける。初めて聴くにはこういった演奏が良いと思う。本当にスタンダード足り得る演奏だ。この調子で2番をやってもらえなかったのが残念。まだ、ワルター盤は聴いてないが、今のところ一番気に入っている。



シェルヘン指揮  ルガノ放送交響楽団(ヴァーンメディア VMCC 1007)

 これはかなりアップテンポの演奏だ。宇野氏の演奏あたりと比較すると著しく速く感じる。しかし、聴いていると体が自然と動き始めるほど乗ってくる演奏だ。とにかく勢いだけは抜群だ。細かいところに気にせず突っ走るのみ。70歳を過ぎたシェルヘンがこんなに生き生きとした指揮ができるのは驚異的だ。オーケストラのほうはウィーンフィルなどを聴いた後では荒っぽく素人っぽい感じがするが、シェルヘンにつられて熱気だけはいやと言うほど伝わってくる。特にスケルツォ(メヌエット?)は迫力満点、荒々しくこれぞ野人の踊りだ。ロックのライブではないが、ライブとはこういうもんだというような指揮っぷりだ。クラシックだって、おすまししきったライブ演奏なんて聴きたくない。燃えてほしいものだ。


宇野芳功指揮  新星日本交響楽団(キングレコード KCC19 )

 宇野氏にかかると1番と言えども大交響曲になる。とにかくスケールがでかい。ゆっくりのテンポで、弦を強調し、フレーズも念を押すように進める。曲を通じてのテンパニーの強調も効果抜群。やはり、クナの影響があるような感じがする。ただクナほど崩してはいない。ぎりぎりの線で形は保っている。録音があまり良くないのが唯一惜しまれることだ。


ベートーヴェン交響曲第2番

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クリュイタンス指揮 ベルリンフィル (EMI classics TOCE-3469)

 金のない学生時代に1300円の廉価版で買った録音はやや古めかしい感じだけれど、演奏はきびきびとしていて、すっきりした表現。私の大好きな第1楽章の提示部も反復しているのが良い。一度コンサートで朝比奈指揮の2番を聴いたけれど、どっしりとした演奏であったように記憶している。しかし、2番に関してはどっしりとした表現よりはむしろこのようなややアップテンポできびきびしていた方がぴったりしている。ベルリンフィルもまだカラヤンずれしていなくて何かローカルな音を出していて野人ベートーヴェンに合っている。この曲はあまり人気ないようだけれど、田園などよりももう少し演奏されてもいいと思う。


シェルヘン指揮 ルガノ放送管弦楽団(ヴァーンメディア VMCC 1007)

 始めの一音から何かが違うことを予感させるような演奏。芸術は爆発だと言わんばかりにダダーンと叩きつける。すごい!演奏自体荒い感じがするけど、ライブの熱気がひしひしと伝わってくる。前へ前へとグイグイ進んでゆく推進力、すごい!。こんな演奏実際に聴いてみたい。クリュイタンスのすっきり、きびきびも良いけど、ベートヴェンは野人、こんな演奏がかえってぴったりしている。奇麗事で終わっている演奏が多い中、一石を投じてくれた。



イッセルシュテット指揮 ウィーンフィル(キングレコード KICC 6025-30)

 今から30年以上前の録音とは思えないすばらしい音である。50年代あたりからのデッカの録音は今聞いても十分通用する。驚異的!オケもウィーンフィルということで美しい。これだけでも聞いていて気持ちが良い。演奏は安定したテンポで淡々と進んでいく。第1第4楽章などはもう少し推進力があってもいいと思うが、2楽章は録音もあいまって美しさが現れる。演奏にもう少し個性を出しても良いのではないかと思うが、この指揮者、以前から協奏曲指揮者では名盤が多いのがうなずける。演奏は抑制の効いたオーソドックスなものだが、録音の良さとオケの美しさの光るCDである。





ベートーヴェン交響曲第3番 英雄
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ヨッフム指揮  ロンドン 響(EMI CLASSICS TOCE-2204) 

 堂々とした英雄である。録音当時のヨッフムは70歳をゆうに超えていた。晩年のベームのような元気のない演奏ではけっしてない、若々しくみずみずしい。出だしから、ピシーと緊張が張り詰めているが、硬くなっていない。はつらつとした運びだ。バーンスタインのように脂っこくなっていない。良い意味での軽さがある。提示部を繰り返しているのも気に入った。コーダのところでは、金管をブルックナーばりに思い切って吹き抜けさせていて気持ちが良い。これほどベートーヴェンで金管をストレートに気持ち良く吹いている演奏も珍しい。
 
第2楽章も深遠なるも過度に落ち込んでいない。頂点の部分でホルンが朗々と鳴り、これほどダイナミックにスケールが大きく鳴った演奏も珍しいだろう。ヨッフムのうなり声も聞こえる。

 スケルツォもはつらつとし、ホルンの部分の掛け合いも見事。一気に突入する終楽章も、テンポに緩急をつけ、かといってよどみもなく、味付けがまことにはまっている。コーダの部分はこれまた金管をはつらつと吹かせ、若々しい英雄は幕を閉じる。これは私にとって英雄のベスト演奏だ。文句無し。

  ヨッフムは最晩年、ベート−ヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲全集を完成させているが、ブルックナーだけが高く評価されているが、ベートーヴェンも捨てたものではない。


ベートーヴェン交響曲第4番

ケーゲル指揮 ドレスデンPO(CAPRICCIO 49 099 9  輸入)

 伝説の指揮者ケーゲルである。ケーゲルのブル8のCDを気長に探しているが全く見当たらない。たまたま運命と4番のカップリングCDが1000円以下で出ていたので購入。自殺する8年前の録音。デジタルで音もすこぶる良い。

  4番は、イッセルシュテット、晩年のワルターの録音を持っているが、ケーゲルの4番は、決して偶数番の線の細い女性的な演奏ではない。序奏から主題に入ると執拗にテンパニーが打ち鳴らされ、テンポは特別速くないが、前へ前へと音が出てくる感じだ。きりっと引き締まった音と、熱のこもった指揮がすばらしい。特に第1、第4楽章がいい。アメリカのオーケストラのようにドライでもない。所々で、木管を効果的に浮き上がらせたりしてこころにくい。

 名盤クライバーの4番は聴いたことはないが、このケーゲルの4番もお勧めだ。4番に男を感じた。今まで、4番はあまり聴かなかったが、ケーゲル盤でいっきに聴く回数が増えるかも。


ベートーヴェン交響曲第5番 運命


クレンペラー指揮 フィルハーモニアO(EMI CC33-3244)

 クレンペラーと最初にであったのはこの運命だった。私も例に漏れず、ワルターコロムビアO、フルトヴェングラーベルリンPO、カラヤン、ベームや、朝比奈のテレビ中継などで何回となく運命を聴いてきたが、これほど感動した運命はなかった。

 一見客観的に突き放したようなインテンポの演奏だが、終楽章に見られるように、テンポはきわめてゆっくりながら、内にはほとばしる情熱がひしひしと感じられる。また、いろいろなパートの音が、手に取るように分かる。特に陰に隠れた木管や第2バイオリンの音がこれほど良くわかる演奏に接したのも始めてだった。それに、第3楽章のいわゆる象の行進の部分もこの演奏くらいゆっくりどっしりやらなければ象の行進にならないのではなかろうか。この部分でも、弦の各パートが次々と移行して鳴っていく様が良くわかり、聴いていて気持ちが良い。終楽章の左右に配置したバイオリンの掛け合いも見事だ。 
 フルトヴェングラーは別として(演奏は良いがいかんせん音が悪すぎる)、ほかの指揮者の運命がいかにもスマートで平凡でつまらなく色褪せてしまった。私にとっては運命のCDのベストワンだ。




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フリッチャイ指揮 ベルリンフィル(ドイツグラモフォン POCG-6033)

 これはすばらしい運命に出会った。
HMVのサイトに、遅い運命特集が載っていた。
我が愛するクレンペラーの運命も載っていた。
そこにこのフリッチャイの運命も載っていたのだ。
廉価版だったので早速購入にした。
ジャケットを見ると1から3楽章まであの遅いクレンペラーよりも遅い。これは期待できるぞ。
実際聴いてみると1から3楽章はすばらしかった。特に1,2楽章はクレンペラーよりも上だ。演奏の遅さをまったく感じさせな。クレンペラーのあの一見冷たく冷静な態度は見られない。そのかわり、そこには若さがあった。もろに熱気が伝わってきた。充実しきった音があった。

40台半ばでこれだけすばらしい運命を聴かせてくれる指揮者はいまい。他界する2年前の録音だ。録音もクレンペラーに比べれば非常にいい。厚みと迫力がある。終楽章は、完全にクレンペラーに軍配は上がるが、通して聴くと、クレンペラーに並ぶ。

40才半ばで白血病にて他界したことが本当に惜しまれるフリッチャイである。後10年や20年生きていれば、すばらしい録音をいくつも残したに違いない。ブルックナーに関しても然り。



イッセルシュテット指揮 ウィーンフィル(キングレコード KICC 6025-30)

 これは、スタンダード的演奏だ。ごり押しして進めるところがなく、過不足もなく、美しいウィーンフィルに曲をかたらせているようだ。かといって客観的に突き放してもいない。録音も古い割に鮮明だ。テンパニーもしっかり聞こえる。音も決して薄っぺらにならないどっしりしている。初めて運命に接するには打ってつけの録音と思う。こういう演奏を聴いて、自分はもっとここをこういう風に演奏したほうが好きだとかそんな考えをする時に基準となる演奏である。


宇野功芳指揮 新星日本交響楽団(キングレコード KICC19)

 この運命はびっくり物だ。運命の動機が出てくる度に同じになっているものが一つもない。時にはゆっくり、時に早く。フルトヴェングラーベルリンフィルの現代版か。いや、クランペラーとフルトヴェングラーが混ぜん一体となっているのか。いやいや不思議。度肝を抜かれるテンパニーの強調といい、耳が離せない。

 第2楽章はオーソドックスに聞こえるが耳をすますと、第2バイオリンや木管がクレンペラー以上にクリアーに聞こえる。最後でぐっとテンポを落としまさにフルトヴェングラーだ。第1第2バイオリンの掛け合いはいつ聴いてもいいな。第3楽章もスケールがでかい。ぶっ飛んだのはフィナーレの導入部から、テーマがなるところでは、極限までテンポを落とし、絞り出すような表現はすごい。迫力満点だ。それからは、僕の好きなクレンペラー風の演奏に変わっていく。しかし、また、主題が再現されるところは、地の底までテンポを落とし、絞り出すように始まる。そしてさいごは、間を置きすぎるくらい間を取って、堂々と終結する。
宇野氏はやりたいことをやっている。こう演奏を聴いていると、次が聴きたくなってしまうから不思議。
でもこんだけのことをやれる人はまずいないな。宇野氏あっぱれ。




ベートーヴェン 交響曲第7番


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クレンペラー指揮 フィルハーモニアO(EMI CDC 747184 2輸入)

 一般の演奏では、序奏はゆっくりで主部に入ってくるとスピードが増してくるものが多いが、クレンペラーはそんな事どこ吹く風で、ゆっくりな序奏そのままの速さで主部に入る。運命の演奏と同じように、木管や肉声部もしっかり聞こえる。テンポはゆっくりだが、刻むリズムは跳ねている。格調の高さでは右に出るものはないだろう。

 バイオリンを左右に配置し、掛け合いが見事。特に、フィナーレのコーダのところでは、左右のバイオリンが互いに負けじとこれでもかこれでもかと、大袈裟に言うならば自虐的に動機をかさねていくところはいつ聴いても身震いしそうになる。





ベートーヴェン 交響曲第9番 合唱


セル指揮  クリーヴランドO (CBS ODYSSEY MBK42532 輸入)

 今から16年前に買った初めての第9であった。最近中古CD屋で、CD版を購入。一段と音が良くなった。

 出だしから、一寸の隙もない緊張感に溢れた演奏だ。リズムも良い意味で軽くはずみ、よどんだところがない。木管類も意外と良く聞こえ、楽器間のバランスもすばらしい。ベートーヴェンの隙のない展開部も畳み掛けるようにそして力強く進んで行くが、決して力ずくなところがない。宇野氏のうわばみのような恐怖とは違い、何か鋭いものがさしてくるような恐怖感が迫ってくる第1楽章だ。第2楽章も、曲がらも手伝って一層鋭くなってくる。

 第3楽章は、無駄のないすっきりした表現である。それゆえ、懐の深さとか、ロマン憧れに欠けるところもある。セルの即物的なところがやや裏目に出てしまった。しかし、全く弛緩したところがなく緊張感は持続している。

 終楽章は、乱れのない、凝縮した演奏である。圧倒的な迫力には、今一つ及ばないが、特筆すべきは、合唱陣の録音の取り方の上手さだ。往々にして最近の録音でさえ、中には、合唱陣がセンターに団子になってしまうものが多い中、1961年録音で、これだけ左右を包み込むように聞こえるのは、立派なものだ。より臨場感に近い感じになっている。




ワルター指揮  コロンビアO

 終始ゆっくりとしたテンポで、ふっくらと角が取れた演奏だ。それゆえ、1,2楽章の鋭さ、フィナーレの圧倒的な迫力には欠ける。合唱陣も迫力がない。しかし、3楽章の美しさと、フィナーレの歓喜の歌が全合奏で演奏されるところからの美しさと素直さには、いつも目頭が熱くなってしまう。この3楽章の美しさがセルにあったらなと思うが。無い物ねだりかな。


宇野芳功指揮  新星日本交響楽団

 宇野の第九は出だしから、弱音を無視し弦のトレモロがうるさいくらいにかき鳴らされ、異様な雰囲気を出している。恐ろしさを増強させている。忍び寄る不安、恐怖のようだ。なんとグロテスクな第9の第1楽章だろう。特に終わりの頃のテンパニーが恐ろしいくらいに強打して畳み掛けてくるところはほんとうに恐ろしい。こんなに恐怖に満ちた演奏を聴いたことが無かった。20世紀末の先行きの不安がいやがうえにものしかかってくる感じだ。

  第2楽章の冒頭のモチーフの部分を非常にゆっくりと演奏し、しっかりと印象づけた後、今度は幾分テンポを上げ演奏していくが、クレンペラーぐらいなテンポでやはりゆっくりしており、スケールがでかい。相変わらずテンパニーは執拗に強打される。リズムに先鋭さを欠いているが好みの別れるところだ。私は、先鋭的に鳴らす演奏が好きだ。

  第3楽章のアダージォも、ゆっくりとしたロマン的な演奏だ。第1楽章のグロテスクな演奏を聴いた後にこの楽章を聴くとほっとする思いだ。ロマン的過ぎてやり過ぎの面も見受けられ、マーラーみたいだ。しかし、日ごろからやや中だるみを感じでいるこの楽章はこういう演奏のほうが良いのではないかなと感じる。

 終楽章は堂々たる演奏だ。しかし所々間を置きすぎていまひとつつながりに乏しい部分があるのが惜しいような気がした。相変わらず終始テンパニーが強打され緊張感は持続している。チェロの歓喜のテーマのところは、著しく弱音で、フルトヴェングラーばりのところがある。バリトンの独奏の陰に木管が良く聞こえ、新たな発見をした。合唱のほうは録音のせいかもしれないが美しさ、丁寧さ、迫力もあり、すばらしい。宇野氏は合唱指揮者であるから的を得ている。最後は、ゆっくりしたテンポが一転し、アッチェレランドで充実のうちに終わる。


Brahms

3番  4番

ブラームス交響曲第3番

 スウィトナー指揮 シュターツカペレベルリン
(徳間ジャパン TKCC-30613)

 この曲はセルクリーヴランドのLPを何回か聴いてみたが良さが全く分からず、私には無縁の曲と思っていた。テレビでも、シュタイン、サヴァリッシュ、N響のを何回か聴いたがやはりわからなかった。

 先日中古CD屋でたまたまこのCDが500円という安さで出ていたので、試しに購入した。宇野氏も推薦していたし。
ところが、このCDを聴いて、いっぺんで3番が好きになってしまった。

 オケが最高だ。渋くややおとなしめの弦がやさしくすっぽりと包んでくれる。録音も鮮明。低音もたっぷり入っている。スウィトナーもゆっくりなテンポで、内省的な英雄交響曲を懐深く歌い上げている。しかし、過度にメランコリックにもならず、力強さも内在している。今まで聴いてきた3番がなんだったのかと思えてきた。これで500円なんて、すばらしい買い物をしたと一人で喜んだ。

演奏でこうも違いが出てくるのかと改めて知らされた一枚であった。


ブラームス交響曲第4番

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バルビローリ指揮  ウィーンフィル(EMI classics HS-2088)
 
 昔から定評のあるバルビローリのブラームスである。出だしから、弦がすすり泣いている。4番についてあまり多くの演奏を聴いたことがないが、のっけからこんなに弦がむせび泣くのも聴いたことがない。テンポもゆっくりしている、そしてリズムもやわらか。尖ったところがない。第1楽章の第2主題も弾まない。レガート気味になっており、シューリヒトの軽やかにリズミカルに弾むのとは全く違う。

 お涙頂戴て的になりそうだが、決してそんな浅はかな演奏ではない。バルビローリの性格なんだろう、うら悲しい曲をまともに受け止めそれを音にしている。気持ちが素直に出ているからだ。それにウィーンフィルがきれいだ。録音も悪くない。特に第2楽章がすごく美しい。のめりこんでしまうと、この第2楽章で目頭が熱くなってくるときがある。なんときれいな弦なんだろう.。寒寒とした、北欧の景色が浮かんでくるようだ.

 3楽章、4楽章も相変わらずゆっくりで、緊張感には乏しいが、スケールが大きく、やさしく包み込んでくれる。人前では飄々としているけれど、陰で泣く男ではなく、悲しいときは素直に泣ける、そんな男を表現したバルビローリであった。どうも私は、シューリヒトよりバルビローリに惹かれてしまう。



 シューリヒト指揮  バイエルン放送SO(DENON COCO-6590)

  いつもながらのシューリヒトで、早めのテンポで飄々と進んでいく。リズムは軽やかで、はずんでいる。よどむところなどない。深刻ぶっているところもない。しかし悲しい。

 この曲自体人生の晩秋を歌ったような曲だが、いかにも悲しい曲ですよとばかりに押し付けがましい演奏より、表面まったくそのようなそぶりはせず、淡々としているほうがかえって悲しい。人生の甘辛を充分知り尽くした人が、淡々と生きている姿を見るようだ。後ろ姿に人生を感じるようなそんな演奏だ。 しかし、第2楽章において、思い切って金管を荒れ狂わせるような情熱も忘れてはいない。すばらしい演奏だ。ほかの4番のすべての演奏を聴いたわけではないが、これは絶対お勧めだ。








Bruckner

5番  7番

ブルックナー交響曲第5番

コンヴィチュニー指揮 ライプチヒゲヴァントハウスO(BERLIN CLASSICS BC 2079.2輸入)

 1961年の録音とは思えないクリアーで迫力のある録音だ。
 出だしから、やや金管がぶっきらぼーなところがあるが、テンポがゆっくりとした堂々たる演奏だ。ヨッフムがアッチェレランドをかけるところも決して急がずしっかりしている。オケもすばらしい乱れのない音を出している。ほんと、この頃のゲヴァントハウスはすばらしい。第1楽章はクレンペラーよりややスケールが小さいかなとも思われるが、立派である。
  朝比奈、ヴァントらがあっさり演奏する第2楽章も、テンポは相変わらずゆっくりとしているが、滞るところはない。ヨッフムと比較すると、ごつごつしたかんじがするが、第5だけに許されるような気がする。 スケルツォも緩急の面白味を求めるよりも、スケールの大きさを楽しむ演奏だ。しかし、中間部は意外にあっさりしていた。
 この演奏のベストはやはり終楽章だ。テンポは相変わらずゆっくりとしており、音もごつごつしておりまさに第5だ。ゆっくりなだけにフーガの部分の各パートの鳴り方もしっかりしており、良くわかる。いつのまにか演奏の巨大さにのみこまれていく。クナやクレンペラーよりもでかい。終わりに近づくところからの朝比奈あたりの呼吸の深さに比べるともう一つ及ばないところはあるが、巨大なゴシック建築をまさに目の前にしての感動そのままが伝わってくるようだ。
すばらしいフィナーレ。私にとっては最高のフィナーレと言っても良いかもしれない。





アイヒホルン指揮 バイエルン放送SO(CAPRICCIO 10 609 輸入)

 フローリアン協会の残響も手伝っているのか音にまったくとげとげしいところがない。アイヒホルンの指揮もゆっくり柔らかく、このごつごつしたシンフォニーを優しく包んだような演奏だ。金管も決してうるさくなく、ゆっくり身を任せられる。アイヒホルンがブルックナーをこよなく愛したその姿が浮かんできた。
 ヴァントやスクロヴァのがっちりした演奏やヨッフムの熱演からするとやや物足りなく、野暮ったいが、すーっと入っていけた。朝比奈みたいに第2楽章をあっさりとは処理せずじっくりと演奏しているところに好感が持てた。しかし、あまりにも素直すぎて、スケルツォの緩急の面白さが今一つ堪能できず、フィナーレのクライマックスのところは朝比奈のような呼吸深くえぐるような感じはなくやや迫力不足の感がある。しかし、アイヒホルンのブルックナーへの一途な気持ちをかいたい。
 ドイツ、オーストリアにはブルックナー命ってのがけっこういるんだな。



スクロバチェフスキー指揮 ザールブリュッケン放送SO(ARTE NOVA 74321 43305 2輸入)
 
 秋葉原のゼットにしばらく行っていなかったので覗いて見たところ今はまりにはまっているブル5のスクロバア盤が950円で売っていたので早々購入し試聴した。
 一聴して感じたのは、金管とテンパニーのうるさいこと、木管もよーく聞こえる。弦が負けている。迫力満点、聞いていて気持ち良いけれど、この曲の宗教性、法悦、神秘性などは殆ど感じられなかった。8番での奥ゆかしさのようなものはこの5番では感じられなかった。残念! 録音のせいなのか、2楽章あたりでの弦の優しさも感じられない。
 まあ、一連のブルックナー録音ですべてベストというわけにはいかないから、これからの録音に期待しましょう。



 ヴァント指揮 ベルリンフィル

 5番はクナ指揮ウィーンフィル盤を持っていて何回か聴いたけれど、曲自体なんかごつごつしていてとっつきにくく、今一つ浸れなかった。しかし、ほかのブルックナーファンの間で話題になっていて、私の好きは宇野氏が絶賛していたと聞いて、安い輸入盤を購入。
 クナ盤が改訂版の演奏でかなりカットがあり、オリジナル版をじっくり聞いてやっとこの曲の良さが分かってきた。当時あんな改訂版ばかりで演奏されていては本当の良さが分からないのも当たり前ではないかと思えてきた。最近、5番ばっかりの毎日となりました。ライブながら良好な録音とあいまって、和音の渦に巻き込まれます。ヨッフム(1964年盤)などと比較すると、客観的な表現で、曲自体に語らしている演奏。テンポの変動もあまりなく、勢いにかけるかな。朝比奈のシカゴ響との演奏と比較すると、細かいところまで隙がなく、しっかりしている。スタンダードの演奏。



 ヨッフム指揮 王立アムステルダムコンセルトヘボーO(PHILIPS 426 107-2輸入)

 1964年の録音。出だしのテーマ8音がゆっくりでこれからの演奏に何かを暗示させるようだ。主題提示部に入るとテンポが速くなり勢いがある。2楽章の陶酔しきった表現、3楽章のめまぐるしいテンポ変化を早めのテンポで操っている表現、終楽章の残響を生かしたフーガと和音の渦、すごい演奏だ。この演奏は、ライブの熱気と、修道院という場所が良い方に働いている。
 個人的意見では、8番などでは、演奏に勢いとか、熱気はあまりいらないような気がするけれど、5番では少しあってもいいのではないかと思えてくる。ヴァントよりこっちの方が聴きたくなってしまう。
 当時、ヨッフムはコンセルトヘボーとベートヴェンの交響曲を録音しており、そっちの方は、あまりに客観的すぎと言うか聴いていて面白くない録音が多かったけれど、ブルの5番はヨッフムの十八番で、曲自体を自分の物にしているように把握しきっていて自信満々の録音だ。


ヨッフム指揮 バイエルン放送SO

 1958年の録音。64年の録音と同じように忍び寄るように始まり、全体的には同じ傾向の演奏。しかし64年に比較してややアッチェレランドを多用しているようで、いっそう鋭く感じる。特にスケルッツォは激しくベートヴェンのを聴いているような気がしてきた。録音のせいかもしれないが、ややこじんまりとしていてスケール感に欠けるきらいがある。



クレンペラー指揮 ウィーンフィル(ARKADIA CDHP 569.1)

 ARKADIAと言うプライベート版のCDである。made in italiaとかいてある。 1968年2月6日の録音とのこと。中古で600円だった。音は、モノーラル録音で、音は決して良くない。
 
 第1楽章はすばらしい演奏だ。いつものクレンペラー。人を寄せ付けない、孤高の演奏。ヨッフムのような軽腰なアッチェレランドがなく、終始ゆっくりなインテンポ。それが、5番にぴったりと合っている。今まで聴いた5番の第1楽章のベストだ。が、しかし、音が良くないな。これで、ステレオハイファイだったらとくやまれる。
 第2楽章は、意外と速いテンポであっさり。朝比奈も2楽章を意外とあっさり運ぶことが多いが、それに似ている。ここら辺はヨッフムのアダージョが最高だな。スケルツォは、またゆっくりのインテンポ。彫りが深く、ヨッフムのように、テンポの変化を浮き出させるのも良いが、このような揺るぎ無いがっちりした演奏もいい。フィナーレもがっちりとした毅然とした演奏だ。しかし、少しずつクライマックスに近づくあたりからは、やや深みに欠けている。朝比奈の演奏のようにクライマックスに近づくほど呼吸が深くなり、巨大になっていってほしかった。




ブルックナー交響曲第7番ホ長調

 私にとって、ブルックナーに目覚めた記念すべき曲だが、8番5番のように終楽章までわくわくした気持ちで聴けないので、このごろはあまり聴かなくなってしまった。終楽章がいかんせんできが貧弱(天才ブルックナーに失礼だが)に感じで、全曲聴いた時の満足感が8番5番ほどでないからだ。

小沢征爾指揮 新日本フィルハーモニーO (番外 FM放送録音)
 ブルックナーファンには屈辱のコンサートと言われたあのプログラムをFMエアーチェックしたもの。なぜ屈辱かと言うと、この日のコンサートでは7番がメインプログラムではなく、オンブラマイフのあのキャスリンバトルの独唱がメインプログラムであった。キャスリンのプログラムを先にやっちゃうと、客が帰ってしまうのを恐れたからだとか。

 演奏自体は、非常に聴き易いきれいな演奏だ。くせがない。小沢征爾も「カラヤン先生」と言うくらいだから、カラヤンの演奏に通じるものがある。アダージォは、美しくなかなか良い。それゆえ骨太の、懐でかい大河の演奏にはほど遠いものがある。




ロスバウト指揮 南西ドイツ放送SO(MEDIAPHON 22.314 輸入)

  このCDは、昨年名古屋に出張の時に大須の電気街で、2枚1000円で買ったCDのうちの一枚(もう一枚はブル5)。

 ロスバウトといえば、ギーレンのいた南西ドイツ放送SOの前の前の主席指揮者だったと思う。原盤はVOXのだと思うが(違うかもしれない。)、ドイツのメディアフォンというレーベルのCDで、余白にはミサ曲のキリエとグロリアが入っている。電気屋の店先の安売りでもこういう掘り出し物があるのだなと少し驚いた。録音はそれほど悪くない。ステレオハイファイである。

  演奏は一口に言って、冷たい清涼感が漂う演奏だ。金管などは全くうるさく感じない。逆に引っ込み気味。やや早めのテンポで、フレーズをきびきびとはずむように鳴らしているのが特徴的だ。それが清涼感を誘う。スケールも小さい。第2楽章の頂点の部分でもシンバル一つ鳴らないのだ。こういう演奏がブルックナーの本質を突いているかどうか分からないが、真夏の暑い中、マタチッチでは少し暑っ苦しいなという時には良いかもしれない。

  そう言えば、風貌もロスバウトとマタチッチでは全く違うし、性格もかなり違うような感じだ。
ロスバウトはがりがりの細身であごが尖っていていかにも神経質そう。音楽以外にも、理科系の学問にも秀でたものを持っていたということも聞いたことがある。

  一方マタチッチは、でっぷり太っていて、二重あご、ダイナミックで、不器用、小さいものにはとらわれないという感じだ。演奏にもその風貌の違いと同じ違いがあるようだ。


Frank

フランク 交響曲ニ短調


ジュリーニ指揮 ベルリンフィル(ポリドール G35G 20124)

 この曲は、ブルックナー8番と同じ頃に作曲され、Frankもブルックナーと同じにオルガン奏者で、共通点があるようで、気に入っていた。
 自分としては、クレンペラーの演奏を聴きたいと思っていたが、この曲を録音しているかどうかも定かではなく(あるのかもしれない。)、見たこともなかった(その後HMVで見かけたが、デュトワ盤が良くなって買いたくなくなってしまった。)。そこで次善策。ブルックナー愛好会のある会員からの「ジュリーニは、擬(?)クレンペラー」とのご意見もあり、中古CDで安く出ていたのでさっそく購入。

 演奏はフランス的なエッセンスを求めるとはぐらかされる。彼のブル8やブラームス1番のようなどっしりとした、堂々たる演奏。フランス系の指揮者の派手(例えばパレー)さはないが、ドイツ系が好きな私にはこちらのほうが充実感がある。金管が強い部分でも、弦もはっきり引かせて、今までわからなかった発見をした。


  

マゼール指揮 ベルリン放送SO

 マゼールがまだ若々しいころの録音。最近CDで1000円そこそこで出ている。30代の録音でこれだけたるみのない、引き締まった指揮をするのはたいしたものだ。早めのテンポで無駄を省き、すっきりとしている。ただ、2楽章あたりは味付け不足で一本調子になってしまっているのは残念だ。
マゼールはその後七変化を遂げ、色々演奏スタイルが変わってしまった。
このすっきりした無駄のない表現は、リヒャルトシュトラウスの英雄の生涯の録音に活きてきた気がする。 



カラヤン指揮 パリO(EMI CDM 7 69008 2輸入)

 今から30年近く前の録音で、カラヤンもバリバリのころである。パリのオーケストラだが、音作りはドイツ的。第1楽章は、ジュリーニのように音はぶ厚く、おそめのテンポで堂々とした演奏だ。録音のせいなのか、金管類の抜けが悪く、こもりがちなのが残念だ。第2,3楽章などはジュリーニより緩急をつけて味付けたっぷりロマン的な演奏で聴いていて面白かった。もう少し録音が良ければ、この曲の右座のCDになったのだが。再録音の多いカラヤンだが、この曲は遂に再録音はなかった。



デュトワ指揮 モントリオール交響楽団

 スカッーとした気持ちの良い演奏だ。デッカの録音のせいか金管も気持ちよく鳴り、抜けも抜群。ジュリーニやカラヤンのように重苦しくない。何と言ってもみずみずしい。ラテン的だ。第1楽章の終わりのところも、ティンパニーを思いっきりたたかせ、気持ちの良い終わり方。第2楽章の後半の弦の演奏も、まことにリズミカル。フィナーレも、早めのテンポでよどみがない。金管が相変わらず気持ちよく鳴り続ける。コーダの部分も金管をこれでもかとばかり鳴らし、聴き終わった後も爽快感が満ち溢れた。この爽快感はジュリーニ、カラヤンにはなかった。 
 フランクの曲は地味に受け止められているが、いやいやどうして、こういう快演を聴くと、やはりラテンだなと感じる。この曲をラテン的と考えるなら、このCDはお勧めだ。ジュリーニより好きになってしまった。


Haydn


104番

ハイドン交響曲第104番「ロンドン

jochumhaydnsymp

ヨッフム指揮 ロンドンフィル (ドイツグラモフォン 437 201-2輸入)

 ハイドンのシンフォニーはあんまり聴きこんだことがなかった。しかし、今は梅雨(2000年6月)、毎日じめじめだ。そこで、ハイドンが登場。何故かしら乾いている曲想。ねちねちなんてしていない。さばさばしている。梅雨時のじめじめした感じを吹き飛ばすにはうってつけだ。

 ハイドンのシンフォニーをすべて聴いたわけではないが、最終のロンドン104番がいいね。何せ出だしのスケールがハイドンらしくない。ベートーヴェンを聴いているよう。しかし、一旦主部が出てくると、いかにもハイドン。乾いております。

 ヨッフムは、そこそこのスケールと、そこそこの乾きでハイドンのありのままを映しているようだ。気をてらったところもないし、古楽器をつかってエキセントリックにも攻めていない。安心して聴ける。

 展開部からのすっきりとした仕上げはすばらしい。終楽章はややテンポが上がって、気持ちよくフィナーレにもっていく、いかにもすっきりしている。グラモフォンの録音も乾いている。つやもないし、低音もあまり入っていない。ハイドンではこんな録音でも許されるかな。しかし、どうしてもグラモフォンの録音は好きになれない。




チェリビダッケ指揮 ミュンヘンフィル(EMIクラシックス TOCE-9581)

 ロンドンは、クレンペラー、チェリビダッケ、クナあたりの演奏を聴きたいと思っていたら、チェリ盤を見つけた。序奏は、いかにもチェリらしく物々しくはじめられ、主部に入っても相変わらずテンポは遅くてハイドンの乾きが伝わってこない。メヌエットだって、こんなに弾まないんじゃ踊れないね。

 しかし、ヨッフムにない、迫力と、これこそベートーヴェンにバトンタッチするシンフォニーだなとうなずかせる説得力は大したものだ。こういう演奏を期待していたんだから、これで良いんです。じめじめした日にはヨッフムだが、そうでなければ、チェリ盤を取ってしまいますね。録音も良いし、低音も結構入っている。




Mahler


マーラー交響曲第1番「巨人」



バーンスタイン指揮 アムステルダムコンセルトヘボーO(ドイツグラモフォン 427 303-2輸入)

 マーラーの1番は、親しみやすいメロディーと青春の青臭さ、光と影を感じる私の好きな交響曲の一つ。定評のあるバーンスタインの1番だ。第1楽章から前回の録音と同じように、テンポのゆれが多く陰影が良く出ている。新盤は懐がだいぶ深くなったようだし木管を効果的に浮き上がらせていて、見通しがすこぶる良い。第2楽章のワルツのところも、身を委ねて指揮しているかのような甘ったるさが出ているが旧盤のようにはやりすぎず、程よいところでとまっている。フィナーレも光と影がよく描写され、決して健康的なマーラーではないが、病的に陥ってもいない。そこら辺の微妙なバランスが上手いところでつりあっている。そんな印象をうけた。



バーンスタイン指揮 ニューヨークフィル(CBS MASTERWORKS MK42194輸入)

 ニューヨークフィルとの旧録音である。テンポのゆれなどは、新盤と同じようだが、やや起伏に欠けて一本調子になってしまっている。また、第2楽章などは、一瞬止まるかもしれないように、ワルツに身を委ねきっている。少々やり過ぎのような感じも受けた。



ショルティ指揮 シカゴSO(DECCA 411731-2輸入)

 これは、一言で言ってあっけらかんの健康的マーラーだ。シカゴのオケは強靭で迫力満点。テンポに動きもなく、思い入れもない。曲の陰にどういう事を意図しているかなんて全く考えていないよう。アメリカではこういう演奏が好まれるのかな。こういうオケのところに乗り込んだ朝比奈も大変だったろうな。聴いた後は、爽快そのもの。録音も良いし、ダイナミックレンジ抜群だ。しかしこれがマーラーかどうかは疑問だな。


ハイティンク指揮 アムステルダムコンセルトヘボーO

 ハイティンクの若き日の録音だ。買った当時は1300円と安く、録音も大変良かった。マーラーの1番を知らしめてくれた。ショルティを買うまではしばらくこればっかり聴いていた。これで事足りていた。演奏は悪く言えば、特徴がない。何の味付けもない。そういう意味ではスタンダードとして良かったのかもしれない。でもこういう演奏を聴くから、ショルティがどうの、バーンスタインがどうのといえるのである。


Mendelssohn


メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」

scotch

マーク指揮ロンドン交響楽団(1957年録音)(ポリドール LONDON POCL-9708)

 クラシックを聴き始めたころ廉価版でLPで購入。はじめは名曲ライブラリー的に揃えたけれど、途中からこの曲が大好きになった。録音も古いが、デッカだけあって、低音ののびは驚異的。今聴いても充分通用する。マークの指揮はロマンと若々しいリリシズムがいっぱいだ。メンデルスゾーンが30歳のころに書いたこの曲にぴったりしている。スコットランド地方の寒々とした感じ、荒涼とした起伏のある地形が目に浮かんでくる。カップリングしているフィンガルの洞窟も大好きである。この演奏に出会えたのでこの曲が好きになったといっても過言ではない。


クレンペラー指揮フィルハーモニアO(東芝 EMI TOCE-7009)

 宇野氏もこの曲が好きで、クレンペラーを絶賛していたので、廉価版で出たので購入。テンポはいつものことながらゆっくりとして、細部までよーく見える。この曲が大好きなのは宇野氏と同感だが、演奏自体は、メンデルスゾーンが作曲した時の気持ちはあまり伝わってこなかった。どちらかというとマークのような若々しさがほしい。はじめにこの演奏を耳にしていたらこの曲は今ほど好きにはなれなかったと思う。


ドホナーニ指揮ウィーンフィル(DECCA OVATION 417 731-2輸入)

 録音も優秀、ウィーンフィルもうまい。ドホナーニの指揮も若さがあふれきびきびとしている。しかし、一本調子のところがあり、マークの表現する起伏とロマンのようなものがややかけているような気がする。しかし、クレンペラーよりもこちらのほうが良い。



Mozart


モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」


ワルター指揮 コロンビアSO(CBS ODYSSEY MBK44778 輸入)

 ワルターはゆっくりしたテンポで、スケールの大きいハフナーを表現した。室内楽的に引き締まった演奏というよりは、強弱をくっきりと付け、ベートーヴェンへと続く雄大な演奏だ。だが、力が入った演奏でなく、肩の力の抜けた、年老いたワルターの自然な表現のように思えた。ごつごつしたところなぞ無い。ただ、あまりに自然体なためにセレナーデの性格を持つハフナーの躍動感と少しの緊張感が無いのは、惜しい気がした。あまりにもワルターが年老いすぎたか。しかし、疲れているとき、心安らかにしてくれるのはこの演奏だ。カザルスでは心安らかにはできない。


クーベリック指揮 バイエルン放送SO(Sony classical SRCR 9268)

クーベリックのハフナーはワルターをやや若く、現代的にしたようで、かなり似ている。室内楽的にまとめるのではなく、現代的オーケストラをフルに使ったスケールの大きさは立派だ。まじめな演奏で、気をてらったところが無く、自然と曲に入ることができる。オーソドックスの最右翼に位置する演奏だろう。面白みが無いといえばそれまでだが、身を自然にゆだねられる素直さがある。ハフナーが聴きたいときには真っ先にこのCDに手がいってしまう。私にとって、今のところ最高のハフナーのようだ。ヴァイオリンを両側に配置しているが、第2ヴァイオリンはあまり浮きだたせていない。せっかくこういう配置にしているのだから、もう少し第2ヴァイオリンをうまく使っても良かったかな。


スイートナー指揮  ドレスデン国立O(ARS VIVANDI MRC007輸入)

スイートナーのハフナーはかなりのスピードで駆け抜けた演奏だ。リズムがはじけた躍動感がすばらしい。かなりこじんまりとした演奏だが、ハフナーの性格からいって室内楽的な演奏も良いと思う。自然と体が動いてしまう。録音の性かもしれないが、ひなびた感じの弦の表現も味があって良い。うきうきしたときにはこんな演奏がぴったりだ。


カザルス指揮 マールボロ音楽祭O(CBS Sony 66DC 5098-5100)

 カザルスのハフナーはごつごつした骨太の男性的な表現だ。この演奏からは、茶目っ気たっぷりのモーツァルトの顔が浮かばない。スケールはでかく、荒荒しく、聴いていて耳に心地悪いが、ワルターには無い生命感、力強さがある。一つ一つの音に生命が乗り移っている。すぐそこに棺おけが待っている年老いた老人の姿は無い。晩年カザルスは非常に若い奥さんをもらったそうだ。気持ち、精神も若かったんだろうな。聴く側に力を与えてくれるのはこういう演奏だ。


Nielsen


ニールセン  交響曲第3番「ひろがりの交響曲」


ブロムシュテット指揮  サンフランシスコ響(LONDON POCL-2673)

ニールセンを得意としているブロムシュテットのCDが手に入り6曲の交響曲を聴いてみた。
 一般には4番5番が有名なようで、最近N響がブロムシュテット指揮で5番をやった。超有名とまではいかない交響曲作家のニールセンはどんな曲を書いたのか興味津々だ。

 私が聴いたところではまず、この3番「ひろがりの交響曲」が大変気に入った。ベートーヴェンの英雄とブラームス、マーラー、バッハを混ぜたみたいな雰囲気の曲だ。
ティンパニーの大活躍する第一楽章は、まさに外に広がるベートーヴェンの英雄を連想する。
第二楽章は後半で声楽が入りなんとも心地よい幸せな気分になる。
ブルレスケ風の第三楽章。そして、あのブラームスの第一交響曲の終楽章の有名なテーマに似た、堂々として威厳のあるテーマが、時にはバッハを思い出させる対位法が入って堂々と終わる第四楽章。どれをとっても親しみやすい。

シベリウスのような際立った個性がないので、とっつきやすいかもしれないが、そこいら辺が、シベリウスほど有名ではない理由になっているのかもしれない。

ブロムシュテットはややドライに、サンフランシスコ響をドライブした現代的な演奏だ。
バーンスタインやデンマーク関係の演奏も聴きたくなった。


Schumann


シューマン 交響曲第4番
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 シューマンの4つの交響曲のうち1,3番は明るく、2,4番はやや暗く幻想に富んでいる。私は、2,4番にひかれる。なぜなら、2,4番にシューマンの本性が出ているような気がするからだ。特に4番は練り直しただけあって、重厚で、2番以上に濃厚な幻想味があり大変気に入っている。


セル指揮  クリーヴランドO(Sony Classical MH2K 62349 輸入)

 一部で名盤(?)といわれていたセルのシューマンの交響曲全集をインターネットで購入した。第4交響曲は、ロマン派のシンフォニーをロマン的に演奏したと言う感じだ。ベートーヴェンを思わせるドイツ古典派的な、重々しい構えで、弦を中心に据えるクレンペラーとは違う。

 いつもながらのセルである。緊張感にあふれ、きびきびとしたテンポ、曖昧な部分などない。しかしインテンポではない。1、4楽章の展開部に入る部分では、自然とテンポが上がる。また、1、4楽章のコーダの部分での、トランペット、ホルンなどの金管を思いっきりふかせたり、テーマをわざと強調させて表現力をさらにアップさせている。

 ライナーノーツには、シューマンが生きている間に実現しなかった、オーケストレーションの一部の改変(繰り返しの回避、ダイナミクスの付加、ティンパニー部分の改変等)を行って、よりいっそうハーモニーをしっかりさせたと書いてあった。また、マーラーはあまりにもけばけばしい改変を行ってしまって、かえって、作品の価値を下げてしまったと言っている(マーラー版ってどういうのだろう。一度聴いてみたい気もする。)。

 路小音氏によるとマーラーが手直ししたスコアをさらに手直ししたとのことである。それによって、クレンペラー、コンヴェチュニーらの演奏に比べ、路小音氏の言うように「鳴り響きつつ躍動する」ドイツロマン派の真髄を表現している(彼によるとセルが手を加えなかったのはベートーヴェンぐらいなものだといっているが本当かな。)。

 録音のほうは路小音氏が言うほどエピックの録音は悪くありません。録音時期からすれば、良いほうだと思いますね。デジタルリマスタリングが効いているのか、音が厚くしっかりしてます(ソニーの1300円廉価版LPでセルを聴いていたときは、なるほど薄っぺらだと思ってましたが。)。 



クレンペラー指揮 フィルハーモニアO (EMI TOCE-3062)

 いつもながら堂々としたスケールの大きい演奏だ。遅めのテンポでごつごつした音鳴らしはいかにもドイツオーストリア的な演奏だ。また、ベートーヴェンの運命のような内に秘めた情熱と緊張感がひしひしと伝わってくる。録音も比較的良い。まだ、サバリッシュやバーンスタイン、セル、カラヤン等は聴いていないのでなんとも言えないが、非常に気に入った。クレンペラーさん今回も裏切りませんでした。内心は一度セルの演奏を聴いてみたい。気長に中古盤を探しましょう。


コンヴェチュニー指揮 ライプチヒゲヴァントハウスO

  クラシックを聴きはじめのころ、ライブラリーとして買ってあまり聴いていなかったけど、クレンペラーと比較して改めて聴いてみると、こちらのほうがクレンペラーに比べ、より素朴な演奏だということがわかった。録音の関係かもしれないが、オーケストラがいかにもひなびている。うまく聴かせようとする作為がまったく感じられない。これはこれでスタンダード足り得る演奏に思う。クレンペラーとどっちを取るかだが、緊張感、内に秘めた情熱の点でクレンペラーを取りたい。


管弦楽

Holst
Ravel
Richard Strauss

Holst


ホルスト 組曲「惑星」
 

 
planet

マゼール指揮 フランス国立O(CBS SONY 30DC 732)

 マゼールの惑星は、ダイナミックレンジをうまく使った、すばらしい録音だ。音に広がりがあり、低音もすばらしくよく入っている。この位良い録音だと、聴いていて非常に気持ちが良い。打楽器、合唱、オルガンが自然と定位し、人工的にミキシングした感じがほとんどない。惑星の理想的な録音の一つに入ると思う。録音の良いものを探しているならこれは買って絶対損はない。

 演奏のほうは、火星の演奏が特徴的だ。非常にゆっくりとした演奏で、悪魔的、挑発的な戦闘を思わせる。バーンスタインの演奏したブルックナーの9番のスケルツォを思わせる.最後の部分も一音一音念を押すように破壊的に鳴らしている。ティンパニーもすごい勢いで鳴らしている。これはすばらしい演奏だ。また、天王星のところもティンパニーをうまく使い、迫力万点。オルガンのグリッサンドの加わったフォルテシモの部分はスピーカーがぶっこわれんばかりに鳴りきっていた。

 ただ、惜しまれるのは、木星のあの、ダイアナ妃の葬儀の時のメロディーのところは、もう少し朗々と鳴らしてほしかった。



カラヤン指揮  ベルリンフィル (Deutsche Grammophon F00G 27010)

 カラヤンの二度目の惑星は、再生音楽の理想を追求した彼にとっては録音に失敗していると言えそうだ。音に広がりがないし、木琴、鉄琴やタンバリン、オルガンなどがオンマイクで聞こえ、何かミキシングでとってつけたような音になっている。こういった楽器を浮きだたせるためにやっているのだろうが、はい、ここいら辺にタンバリンは定位させて、鉄琴はここいら辺というように、音がいかにも人工的だ。どうも昔から、ドイツグラモフォンの録音は、ひびきに硬さがありいまいちなものが多いような気がする。実際聴いたことないが、カラヤンの一回目のウィーンフィルとの惑星のほうが録音は良かったんじゃないだろうか。ロンドンレーベルから出ていたし。

 演奏は、マゼールほどは芝居がかっていない。素直といえば素直。面白みにかけている。ただ、木星の演奏は、マゼールより浪々と鳴っており、唯一これだけが良かった。


Ravel


ラヴェル ボレロ



セルジュ・ボード指揮 チェコフィル  (日本コロンビア SUPRAPHON COCO-6773)

 本来のボレロから一番遠いボレロかもしれない。何せ、テンポがゆっくりだ。フランス物の得意な指揮者の録音と比べて、2から3分ほど遅くなっている。
リズムもあまり弾まない。ごつごつしている。バレー音楽としてのボレロの表現ではなさそう。
オケも、演奏はじめのころの木管の音色は、チェコフィルならではの温かみがありよかったが、どんどん厚みが増してきて弦楽や金管が加わってくると、演奏についていくのがやっとという感じだ。特に金管は精一杯鳴らしている感じだ。
 
 でもしかし、気に入ってしまった。テンポがゆっくりなのは私自身好きだ。リズムもラテン的ではなくゲルマン的で私好み。オケもぎごちなくアマチュアっぽい。だから、聴いていて面白いのです。どうも、フランス物得意指揮者のボレロはあまりにもうますぎちゃって、きれい過ぎちゃって、決まりすぎちゃって面白くありません。
ひねくれものの私にはぴったりのボレロでした。




Richard Strauss


リヒャルトシュトラウス 交響詩「英雄の生涯」


マセール指揮 クリーヴランドO (SONY 20AC 1600 LP 廃盤)

 かなり前の録音だが、音は鮮明、弦もきれいだ。CBSソニーの音としては低音がしっかりしている。カラヤン盤よりも重低音がしっかり聞こえる。これは引き締まった英雄の生涯だ。リヒャルトシュトラウス特有の弦の甲高い音が決してうるさくない。音もだぶつきがない。豪華絢爛たるオーケストレーションを望むとはぐらかされる。奇をてらったテンポの無駄な動きや、金管関係の勝手な咆哮を禁じ(これは再晩年のカラヤンの演奏と比較して。)、ある意味ではかなり禁欲的な演奏だ。このころのクリーヴランドOはまだセルの影響が残っているのだろうか。あるいは、このころのマゼールが望んだものなのか。物語を語っているというより、純音楽として捕らえてる。聴いた後のジワーと胸にくる感じは、シンプルゆえの感動だ。


カラヤン指揮 ベルリンフィル (Deutsche Grammophon 415 508-2 輸入)

 再晩年のカラヤンのほうは、録音もすばらしく良いし、弦の甲高い音も聴けるし、オーケストレーションもデラックス。シンバルがジャンジャン、ハープもしなやか、そして豊潤だ。独奏ヴァイオリンも味付けたっぷり。テンポのゆれもかしこに見られ、各パートにうまく味付けをして、一つの物語として音楽を作っていっている。演奏効果はマゼール版と比べると実にすばらしい。しかしあまりにも華やかすぎてしまって、聴き終わった後は、気持ち良い演奏だ、しかしそれでなにってな気持ちになってしまうときがある。



協奏曲

Beethoven
Mozart

Beethoven


ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

バレンボイム指揮 ロンドンフィル ルービンシュタイン(p) (RCA RD89389 輸入)
 
 宇野氏が絶賛している演奏なので、購入した。
ルービンシュタインのピアノは、緩急、強弱をつけ、いかにも巨匠の堂々たる演奏だ。録音時80歳を超えていたとは到底思えない驚異的なテクニックだ。テクニックに80の年を感じさせないどころか、長い年月を経て、コクのでたすばらしい酒のようだ(私自身酒通ではないが)。私の持っているほかの皇帝を聴くと(ワイセンベルク、ブレンデル)それらが、いかに薄っぺらなものかよーくわかってくる。
 バレンボイムの指揮もルービンシュタインに負けじと堂々としており、すばらしい。録音もややオフ気味のマイクで耳にやさしい音だ。宇野氏の真似をするわけではないが、他の演奏は要らない感じだ。


ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

ドラティ指揮 ロンドン響 シゲティ(Vn)  (Philips 32CD-3039)

 
 ある日、NHKのFM放送のクラシック番組で落語の小朝さんが出ていた。
彼曰く
「シゲティっていうすごいヴァイオリニストがいまして、晩年の彼のテクニックは、コンクールの予選も通らないようなひどいテクニックでありましたが、演奏内容は衰えたテクニックを吹き飛ばしてもあまりあるすごい精神性を持っているんです。」というような内容だったような気がした。

 わたしは、小朝さんのこの言葉を聞いて、もうシゲティっきゃないと思った。彼の晩年の録音を見ると、ベートーヴェン、ブラームス、プロコピエフの協奏曲があるようだった。私自身、ベートーヴェンなどは、交響曲を含め、表面の美しさよりも、内容で勝負の演奏のほうが好きだったから、これはうってつけかもしれないと思って、当時、このCD、3000円以上もしたが、迷わず買ってしまった。

  録音は古いが、リマスタリングが功を奏して、非常にクリアな音でほっとした。序奏の後、ヴァイオリンがにょきっと顔を出す部分を聴いて、何と痛々しい音なのだろうと思った。これを聴くと他の演奏家の出だしのなんと健康的なことか。

 テクニックの詳しいことはわからないが、あのヴァイオリン独特の甘露飴がころころ転がるような、あまっとろしいところがほとんどない。音がごつごつして、ゆれていて決してスマートではないけれども、非常に奥が深い、まさに精神性のある音だ。ベートーヴェンなどは、こういう演奏がぴったりしていると思う。バックのドラティも、迫力あるどっしりとした演奏で不満はない。

当分他の演奏は要らないな。


Mozart

ピアノ協奏曲  20番 27番


モーツァルト ピアノ協奏曲第20番
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 モーツァルトの死後、しばらくは彼のピアノ協奏曲はほとんど演奏されなかったそうだが、唯一、この短調の20番k.466だけは演奏されていたということで、ベートーヴェンもカデンツァを書いている。私も、第1楽章の緊迫感がたまらなく気に入っている。第2楽章のチャーミングな部分と、激しい部分の対比、終楽章の嵐といい、いつ聴いてもいいな。


バレンボイム指揮、(p) イギリス室内管弦楽団 (東芝 TOCE-2248)

 なんといっても第1楽章の緊迫感がすごい。録音のせいかもしれないが、コントラバスが異様に迫ってくる。家のダブルバスレフスピーカーだと、コントラバスが地を這うように吐き出されてくる。恐ろしさを感じる。映画のアマデウスを思い出してしまう。ピアノは、新録音に比べるとやや一本調子になっているが、その分緊迫感は持続する。第2楽章は、27番の録音に通ずるカなりデリケートなタッチである。激しい部分との対比を考えると、こういう演奏が良いと思う。終楽章の嵐もすごい。


アシュケナージ指揮、(p) フィルハーモニアO  (LONDON Jubilee 417 726-2 輸入)

 アシュケナージの若い頃の録音。バレンボイムの旧盤とかなりよく似た演奏だが、オーケストラの迫力、第2楽章のチャーミングな表現で、バレンボイムの旧盤が上と感じる。



バレンボイム指揮、(p)  ベルリンフィル  (TELDEC 9031-75710-2 輸入)

 第1楽章は、旧盤よりも、ピアノがすばらしい。強弱の付け方、テンポとも、一本調子の旧盤とかなり差が出ている。彫りが深くなったというか、陰影があるというか、そんな感じだ。オーケストラも雄大だ。テンパニーがドンドンなっている。モーツァルトの曲ではないみたいな迫力だ。
だが、緊迫感では、旧盤が上か。第2楽章は、旧盤にくらべて、思い入れは少なく、粒立ちよく健康的なタッチだ。この楽章は、旧盤を取りたい。終楽章は、旧盤よりも一層激しさを増している。やや速いテンポで最後は怒涛のごとく終わる。


アンダ指揮、(p) ザルツブルク・モーツァルテウムO (グラモフォン SPECIAL MGW 5260 LP 廃盤)

 第1楽章がすばらしい。出だしの低弦部分から、聞こえないくらいのかなりの弱音ではじまり、次に主題が激しく演奏される。オケの劇的なこと。ダイナミックレンジが広い。ピアノはテンポ、強弱の動きがあり、ロマン的な演奏だ。しかしせかせかした演奏に放っていない。カデンツァもいたって簡潔で、劇的な第1楽章を見事に演奏している。
 第2楽章がいただけない。どうもテンポが速すぎて一本調子になりすぎている。おしいな。終楽章はかなり速いテンポで、バレンボイム以上に激しい演奏だ。第2楽章をもう少しチャーミングにゆっくりと演奏していたら、バレンボイム旧盤と張り合ったのに。



モーツァルト ピアノ協奏曲第27番

 モーツァルトのPコンは20番から以降はどれも気に入っている。私にはモーツァルトのシンフォニーはどうも、第2,3楽章がいまいちつまらなくて、聴きこめない面があるが、Pコンは第2楽章がチャーミングなものが多く、最後まで聴ける。27番は秋の気配が感じられてうら悲しくて、そこがたまらなく良い。


バレンボイム指揮、(p) イギリス室内管弦楽団 (東芝EMI TOCE-2248)

 節度あるロマンと、弱音のデリケートなこと。特に第2楽章の腫れ物に触るような優しいタッチがすばらしく良い。宇野氏のお気に入りのハイドシェックは余りにも芸をやりすぎていて、端正な面が犠牲になっており、いまいち好きになれない。



ドホナーニ指揮 ウィーンSO イングリッド・ヘブラー(p) (fontana FG-227 LP 廃盤)
 
 バレンボイム版を買う前はこちらを盛んに聴いていた。ヘブラーの若い頃の録音(30歳ぐらい)。ピアノの音の粒立ちが大変良く、はつらつとしている。若々しく折り目正しい演奏だ。オーケストラも含めやや冷たい感じを受けるが、かえって淡々として、うら悲しい感じが出ている。
 




室内楽、器楽

Beethoven
Bruckner

Beethoven


ベートーヴェン ピアノ3重奏曲第7番「大公」

 ヴァイオリン、チェロ、ピアノが自由に遊び、3者どれをとっても主役になる。構成もしっかりして、メロディーも親しみやすく、いつ聴いても心が弾んでくる、私のお気に入りの曲。


スークトリオ(日本コロムビア COCO-6788)
 
廉価版で出ていたので購入した。曲が好きな割にこれ一枚しか持っていない。録音も古い割に鮮明。3者ともはつらつとして、曲の中で自由に遊んでいるようだが、3者のバランスが非常に良いし、決めるところはばしっと決めている。誰が突出してるというところがないのでそれが良いのだろう。他の演奏をじっくり聴いたことはないが、このCDでいつも満足してしまう。


ベートーヴェン ピアノソナタ第31番

 初期中期のソナタとは一線を書き、内省的、幻想的、ロマン的な雰囲気のあるすばらしいピアノソナタ。第一楽章の幻想、第二楽章のロマン、終楽章の、内省とロマン。最後に、内なる広い世界に精神が解き放たれる。決して心踊らないが、心にぐいぐいと訴えかけてくる。人気のない曲だが、ベートーヴェンのピアノソナタ中私のベストワンだ。

アラウ(p)1965年録音(フィリップス PHCP−3539)
  第一楽章のデリケートな表現、第二楽章のゆっくりでどうどうとしたテンポ、充実しきったフィナーレと、どれをとっても、文句無し。バックハウス、ブレンデル等聴いてみたが、31番に関してはアラウがベスト。この演奏に出会えたから、31番が好きになったと言っても過言ではない。


Bruckner


ブルックナー弦楽五重奏曲
 ブルックナーの室内楽となると、ぴんとこなかった。ブルックナーファンHPのwebmaster、竹内さんの「「室内楽としても傑作である。」との記事を読んで、聴いてみようかと思った。ベートーヴェンやモーツァルトの作品と比べると起承転結がはっきりしておらず盛り上がりに欠けるが、逆にどこの楽章から聴いても楽しめるのも確かだ。特にアダージョは、中で用いられているモチーフが7や8や9番のアダージョにも用いられていることが良くわかり楽しめた。ブルックナーの交響曲をある程度聴いてきた人にはもってこいかもしれない。


ラファエルアンサンブル(hyperion record CDA66704輸入)
 中古屋で運良くこの1枚があった。これ1枚しか持っていないのでなんとも言えないが、録音も優秀、若々しくみずみずしさを感じる演奏だ。


ザルツブルク モーツァルテアム コレギウム(ARTENOVA 74321 340162輸入)
 スクロヴァチェフスキーのブル8にカップリングされていたアダージョのみの演奏。
こちらのほうがナイーヴで繊細な演奏。


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