言葉の壁

昭和558月に私は一つのトランクを持って、教授と面談のため、朝早く新潟大学歯学部第二口腔外科教授室のドアを叩きました。29歳の夏でした。留学のため、台北医学大学付属病院の職を辞めて、妻と二人の子供を実家に預け、一杯の不安を背おって日本に来ました。来る前の半年、日本語を猛勉強しましたが、一旦日本の土地を踏むと聞く事も、喋る事も全然駄目でした。幸い駅、道路いろんな所に漢字が結構出ているので、なんとかごまかす事が出来ました。問題は教授と面談した時、一句の言葉さえも聞いて分かりません。更に加えて緊張し、只にや笑いをもって答えるだけでした。一陣沈黙の後において、教授は紙と筆を持ち出して、筆談を始めました。彼が書いて来たり、私が書いて行ったりします。ただ覚えているのは紙の上は皆漢字ばかりです。最後に彼が書いたのは「勉強頑張る」でありました。(勉強という意味は、台湾では無理矢理のことです。)私は急いで「不」を加へました。教授はそれを見て、「まいったな!まいったな!」を連発していました。多分その原因で、博士号を取るのに16年もかかったのだと思います。

今年の十月、伊奈町で開業滿十七年を迎えました。日本語は私にとって、大きなハンデキャプになって、分からない所がまだまだ一杯があります。今回、患者さんとコミニケシュンを良くするため、勇気を持って、言葉の壁を乗り越えて、医院ニュ-スレタ-を作りました。今後のご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。(福原)