[旧談話室]もよろしこ! |
■--尾崎豊と浜崎あゆみ >>>あゆのお手伝い -- 2002/02/01-17:28..No.[1516] |
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今ふっと思いましたけど,ayuと尾崎ってなんか似てるところありませんか? 若者の共感を呼ぶという面で。 変ですかね、こんなこと思うのは。ただなんとなく今思ったんでそのまま書いてみました。 |
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>>> ようこ -- 2002/02/01-18:10..No.[1518] | |||
前、夕刊フジにこゆう記事あったよ | |||
>>> しるびあ -- 2002/02/01-22:40..No.[1524] | |||
あゆも好きなんですが尾崎もいまだに好きなんです。 前から自分は思っていけど、尾崎がいなくなったからその分あゆに出会った時に、何か求めていたものを見つけたような心境でした。 | |||
>>> モモンギャ -- 2002/02/01-23:47..No.[1527] | |||
数ヶ月ぶりのカキコです。よろしこォ〜。 私は結構はまりましたね〜。(尾崎に) でも、最近は共感の感覚が薄れてきています。それは、多分私が歳を重ねてきていることが原因でしょう。 (嫌いになったわけではないので、今でもよく聴きますけどネ) ところが、あゆは歳重ねても色あせないので不思議です。 確かにあゆと尾崎は似たところがあります。でも、私の中で何かが違ってきているんですね〜。 ということで、私はこう思うのです。 尾崎・・・若者の苦悩や思想を詩に込めた代弁者的存在。 あゆ・・・人という存在の根源的な苦悩や存在の意味を率直に詩に表現する存在。 つまり、尾崎の場合は、聞き手が年齢を重ねていくほどに共感が薄れる。尾崎自身、自分が歳をとってしまい、若者との感覚にギャップを感じて大きな壁にぶち当たってしまう結果になったのですが・・・。 あゆの場合は、歳に関係なく、その時々の心境や悩みに共感できる詩が存在する。 こんな感じかな〜って思っています。 私は36歳のオヤジですが、若い時代の苦悩や悩みは、すでに良い思いでとして過去のものになっていってます。(本当はそうはなりたくないのですが・・・) でも、人としての悩み(人との信頼関係や自分の存在する意味など)はいつになっても消えることはありません。 あゆの詩には、そのときの精神状態にマッチした詩が結構あるんですね〜。だから、デビュー当時の詩にさかのぼって聴いたりすることもしょっちゅうで、色あせないんです。 極端な話、A song for XX なんていう曲を聴いて、自分の娘(今6歳)にこんな思いをさせるわけにはいかない、と心を改めたり、娘との接し方を見つめ直したり、なんてこともあります。 長くなっちまいましたが、私はこんなふうに感じているのです。 | |||