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 ■--あゆは嘘の歌詞を書かないって聞きましたけど・・・
 >>>あゆ大好き!!!がんばれ〜☆   -- 2001/11/11-02:00..No.[113]
    あゆは、自分の書く歌詞に絶対嘘は書かないと聞いたことがあります
だけど、「この歌詞は本当にあったの?」って思う歌詞がありました
「teddy bear」です
「ロッキングオンジャパン」で、あゆ自身が過去の話をしましたよね?
それで、あゆの父親のいなくなった日のことも書いてありました
それと、この歌詞は違うような気がするんですけど・・・・
みなさんはどう思いますか?この歌詞は、あゆの友達が経験したことなのでしょうか?
それとも、例えば恋人のことを歌ってるのでしょうか???
みなさんの意見を聞かせてください
それと、「この歌詞は本当に体験したの?」って思う歌があったら教えてください!!
アンチみたいに思われるかもしれないけど・・・・本当にあゆファンです!
あゆが好きだから、知りたいんですーヨロシクお願いします!!




>>> AUDIENCE   -- 2001/11/11-09:54..No.[115]
 
    あゆは自分や友達、周りに起こったことを感じて詞にしてるみたいだから・・・。特に1stは自分中心だったけど、最近はなんか周りのことも書いてるみたいだしねえ。SURREALとか。
それとも、いくらなんでもそのまま歌詞にすることは無理だから、その父親が出て行った経験から、自分の物語を作ったのかも。
嘘はついてないと思うよ。
 

>>> あこ   -- 2001/11/11-14:50..No.[118]
 
     まあ、現実は別のでテ生き方だったけれど、気持ち的には歌詞のような別れ方だったんじゃないかな?本にも、「おばあちゃんが側で寝ていて、大好きなテープを聴けて」っていうのがあったよね。その嬉しさを熊のぬいぐるみにたとえて、それをもらった代わりにお父さんはいなくなってしまったと。
 

>>> ラーン   -- 2001/11/11-19:10..No.[119]
 
    あゆは自分の気持ちにウソをつかないっていってるだけで、
自分が体験した事を詞に書いてるっていうのとは違うんじゃないかな?
 

>>> ぬめろん   -- 2001/11/11-19:23..No.[120]
 
    私もラーンさんに同感です。
自分の気持ちが,明確に書けるように,フィクションを描くというのも作詞法のひとつなのではないでしょうか?
 

>>> みか   -- 2001/11/12-02:19..No.[121]
 
    レスしてる、みなさんの意見に同感!!
 

>>> shadow   -- 2001/11/12-04:06..No.[123]
 
    そもそも、teddy bearは、あゆが父親との別れについて歌った・・・とは、あゆ自身言ってないと思うのですが。。あくまでも、ファンの間での一解釈にすぎませんよね?他の方々がおっしゃっているように、あゆは「気持ちの面で嘘は書けない」ってことだと思いますよ。
 

>>> タイタン -[URL]  -- 2001/11/13-01:13..No.[132]
 
    あゆはフィクションでは詞を書かないとと思います。その時々の感じたことを
そのまま詞にしていると思います。あゆ自身あるいはあゆの周りにいる人との
事について書いているようですが、あゆがどう思っているとか周りの人との
関係がどうなっているかなどは多少は漏れてきますが、詳しくは分からない
ので、詞が誰のことを書いているかの断定はかなり難しいと思います。

断定が出来ないため、後は各人のあゆ像に従って解釈(推定)するしかないのですが
各人のあゆ像などは十人十色ですから、10人いれば10個の解釈があると思います。

と言う事を前提にタイタンの解釈を述べます。

「その背中は小さく頼りなくて・・」
  男性(父親)に対する表現ではなく、どちらかといえば女性に対する言葉である。
  小さな子供が父親をこんな感じでは捉えないと思う。

「楽しい話しなら笑い合えていた」
  親密な関係なら「どんな話しでも笑い合えていた」になるはずだらか、ある程度
  距離のある関係であった。小さな子供と父親の関係とは思えない。

この2点からteddy bear は父親に対する詞ではないと思います。

では誰について書いたのかですが、恋人達の指輪というあゆの詞の解説を載せている
ホームページがあるのですが、そこに良いヒントがありました。
(恋人達の指輪では父親と言うことでteddy bearを解説していました。)

「覚えているのはあなたの小さい頼りない背中」という言葉が1stアルバムの
歌詞カードのA Song for ××の写真のところに書かれているということである。
(確かに見ると書いてありました。)

A Song for ××は母親に対して書いたものと言っている人もいるので
誰 = 母親
とすると上の2点はピッタリします。 あゆと母親の間にはわだかまりがあった
ことは有名な話です。

母親とは仲直りしたり、離れたりを繰り返していたようですし、
「葬ったハズのいつかの夜・・」から後ろの部分は、あゆが小さい頃のクリスマス
プレゼントだとすると話が合います。普通、サンタさんがプレゼントをもってくる
からねと寝かしつけて、朝 枕元にプレゼントが置いてあります。

あゆの場合母親は働いていたので、目覚めた頃にはもう仕事に出ていてプレゼント
は置いてあったが寂しい思いをしたということを言っているのではないでしょうか。

(例えば友達の家では一家だんらんでクリスマスケーキを食べているのに
 あゆは1人でケーキを食べていた等(想像))

 

>>> ゆきこ   -- 2001/11/13-14:36..No.[133]
 
    タイタンさん>
びっくりしました。私もほぼ同じ解釈ですッ(嬉)
今まで「テディベアってマミーの歌ダヨなぁ・・・?」って
思ってたんですけど、周りと意見が違うので言い出せず(笑)
同じ意見の方がいて嬉しいです〜。(脱線レスごめんなさい)
 

>>> yuri   -- 2001/11/13-16:29..No.[134]
 
    じゃあ、”父親がいなくなった説”ではないのですね
 

>>> タイタン -[URL]  -- 2001/11/16-01:15..No.[154]
 
    ゆきこさん>
 同じ意見で僕も嬉しいです。詞だけ見ただけでマミーの歌と分かったなら
 すごいですね。タイタンなどはヒントを発見するまで母親とは思いません
 でした。

yuriさん >
 10人いれば10個の解釈がある内のたまたま2人が同じになった
 だけで、本当のことはあゆにしか分からないと言うことです。

あゆ大好きさん>
 「この歌詞は本当に体験したの?」
   LOVE ~Destiny~  かな。 つんく?の要請であゆの本意とは
   かけ離れた物になったため、2ndアルバムには本意に近い
   LOVE -refrain- を載せている。

   A Song for ××はフィクションでは無いけど、専務によって
   デフォルメされていると思う。(専務のあゆ像が色濃く出ている?)
 

>>> じょいじょい@管理人   -- 2001/11/16-01:49..No.[156]
 
    「ピリ辛いため」ネタとして、半分くらい書き上げていたものと思いっきりダブった話題ですが、いまさら「ピリ辛」に書くには時期を逸していると思っていたので、ちょうど良い機会です。

じょいじょいも概ねタイタンさんと同じ解釈で、「あなた」は「マミー」のことだと思います。
実際には寝かしつけたのは祖母だったかも知れないし、熊のぬいぐるみではなく、童話のテープだったかもしれませんが、それは「嘘」ではなく、「象徴表現」でしょう。

ただ、シチュエーションとしては、父親が去っていった朝を迎える前夜からの記憶を歌っているのだと思っています。

父親が去った朝のことは、客観的に見ると、マミーのせいでも何でもないのですが、ayuの言葉には、マミーへのわだかまりが端々に感じ取れます。父親への恨みは一切ないのとは対照的に。普通は去っていった当人に対して恨みそうなものですが。

そういう母親に対するトラウマ的な感情が「A Song for XX」には顕著に見られ、いかにも若いなあと感じたものですが、それが「teddy bear」に至ってもまだ解消されていないことにじょいじょいは驚かされました。このトラウマは相当に根深いものなのだろうなと。

あゆ大好き!!!がんばれ〜☆さん、最初の話題から外れてしまってごめんなさい。

 

>>> ゆきこ   -- 2001/11/16-14:56..No.[165]
 
    引き換えに居なくなったのはあゆほっぽって仲間と遊びに行っちゃったマミーの事なのかなと解釈してました・・・
(それじゃ酷すぎますかね・汗)


で、じょいじょいさんのカキコを見て、もう一度考えてみたんですけど
もしかしたら、「あなた」ていうのは2人居るのかもしれないですね?

楽しいことなら笑いあえていた、小さく頼りない背中のあなたはマミーで、
クマと引き換えに居なくなったあなたはおとうさん・とか。

2人説(←勝手に・笑)だったらつじつま合うかもです〜

・・・・・・・差し出がましい真似してスミマセン(汗)
 

>>> ゆー   -- 2001/11/28-11:54..No.[371]
 
    あぁ、今まで「父親」と「黄色のカセットテープ」の
事なんだろうなって思ってたけど、
そうゆう考え方もあるんだね〜・・・。
確かに父親の背中が小さく頼りないっていうのは
ちょっと違和感があったけど・・・。
 

>>> ペガサス   -- 2001/11/28-21:29..No.[376]
 
    テディーベアはマミーで、
スカーがお父さんじゃあないんですかあ?
独断なんですけどね・・・
どう聴いてもマミーのことしか思い浮かばないし・・・
スカーは、すきだった人とも考えられるけど、
なんかお父さんポイ気がしてならないんですけど・・・
 

>>> みるろ   -- 2001/11/28-23:05..No.[378]
 
    こちら
に詳しく歌詞についてのってますよん
 

>>> John Nolen   -- 2001/11/28-23:30..No.[379]
 
     ペガサスさんの意見に賛成!
もちろんアユが言ってるように歌詞の解釈は人それぞれなんだろうけど
  A Song for XX ≒ マミー
  teddy bear ≒ マミー 
  SCAR ≒ お父さん 
あらためて歌詞カードをじっくり読んで、私はこれしかないと思いましたね!皆さんはどう思われますか?
 

>>> タイタン -[URL]  -- 2001/11/30-23:57..No.[382]
 
    SCAR = 夏来さん

ラジオで言っていたことがそのまま歌詞になっているので
まず間違い無いでしょう。 詳細は
こちら
 

>>> kyana★   -- 2001/12/23-20:53..No.[668]
 
    私もそう思います。あゆって親への思い強いですよね。
私は今反抗期なんでなんかあゆの歌聞いてると、幼かった頃思い出して泣けてくるんです。。。なんか私変かな?
 



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