記事一覧画面に戻る   レスを投稿[旧談話室]もよろしこ!  



 ■--浜崎あゆみ=松浦真在人?
 >>>aiko   -- 2002/04/27-19:11..No.[3513]
    皆さんはもう「浜崎共和国」を読まれたでしょうか?
世間では恋人の事について色々話したという事でそちらのほうばかり話題になっていますけど個人的には専務の話がとても印象的でした。

「私の中にマサという部分が創られている」

正直衝撃的でした。あゆと専務は同一の人間だと言うのですから。
仕事の間だけのパートナー、それだけでは無い。
かと言って恋人では無い。でもそれと同じ、もしくはそれ以上の関係。
本の中でインタビュアーがあゆに「SEASONSを作ったときはマサに誉められなかったの?」と聞かれてあゆは「その時はマサが日本にいなかった。お互い一言も喋ってなかったから・・・」と答えています。
この事や2人の出会いが夏だったという話しなどからFar away他の絶望3部作に秘められたもう一つの「絶望」の意味が感じ取れた気がします。

「新しく私らしくあなたらしく生まれ変わる」

本の中でも1度は離れてそれに勝るものを求めようとしていたとあゆは言っています。
でも再びおそらく以前とは違った形で結び合った2人。
男も女も何も関係無い単なる「人間」として精神的に同一化してしまった、と。
私は何だかまるでこの2人は全く違った世界の人間なんじゃないか?と思わされました。
全てを超越してしまった人間関係というものに不思議な感覚を覚えました。
皆さんはどう思われましたか?






>>> aiki   -- 2002/04/27-22:14..No.[3516]
 
    dreamのファーストアルバムができたとき松浦専務がオールナイトニッポンで、今まで俺の中の一番のアルバムはあゆのA Song ForXXだったけど、これができたとっきあゆのアルバムを越えたって言ってて、きっとこのときあゆを越えるものを作ろうとしてたんだなって思った。でも、dreamにはできなかった。

 

>>> あり   -- 2002/04/27-22:27..No.[3518]
 
    Free&Easyもサビは松浦専務のこと歌ってるよね。あゆが詩に共感されるのはリアルだからって言ってたけどあゆのリアルも私たちのリアルもどんどん変化していってるから、もう共感しようなんてできる話じゃないよね。
 

>>> みっち -[URL]  -- 2002/04/28-11:30..No.[3538]
 
    >「私の中にマサという部分が創られている」
>正直衝撃的でした。あゆと専務は同一の人間だと言うのですから。
同一の感性、考え方を持つ人間という事ですよね。仕事というか、組織の中で長年一緒に仕事をしていると、命令者と同一の感性になっていく傾向はありますよん。
会社の中というのは、人とのやり取りや活動、進め方など、行動形式がある種「法則化」されているから、同一感性を持った人間が創られやすい環境ではあるよね。

Avexであゆと一緒に仕事している人は多かれ少なかれあゆに近い感性を持っているんだろうし、松浦氏はプロデューサーで最も身近な存在だから、そう感じるんじゃないでしょうか?

 

>>> TAL   -- 2002/04/28-23:00..No.[3560]
 
    >みっちさん
同感です。
今の会社で「感情移入」ってよく言われるんですけど、
共にしかも必死で仕事してると、自ずとそうなっていくのでしょうか?
まだあまり社会人経験ないので何とも言えませんが。

 

>>> 会い上尾   -- 2002/05/04-22:04..No.[3678]
 
    ayuの魅力に気づいたってことは、
ayuを理解してるってことだから。

私はそう思います。

 

>>> 空蝉   -- 2002/05/05-02:18..No.[3690]
 
    「浜崎共和国」の専務についての話は自分も一番関心を持ちました。
この話を聞けた事はあゆをより理解したいと思う気持ちを満たすものでした。
ただし、あゆの事を本当に理解できたとは思っていません、それは不可能な事だと思います。
自分の考えに合わせて浜崎歩像を限られた公の情報から構築しているのだと思います。
そのような自分の浜崎歩像ですが、思う事を書込みさせて頂きます。
あゆは人と人との絆を何よりも本能的に恋焦がれる人なのだと思います。
それは、少女時代の家庭環境がそうさせていると思います。
専務はあゆを見出し、歌手になる事を強く勧めて決して優等生といえないあゆをあきらめずに
育てたのだと思います。あゆは、専務のそんな尽力をファンの皆にも雑誌記事や数少ない番組
を通して伝えていました。
あゆのデビューの経緯はAVEXにとっても異例の事だったのではないかと想像します。
(DVD「HAMASAKI AYUMI」の座談会シーンを見て感じた自分の直感ですが...)
あゆは専務の感性や考え方を拠り所にして(特にデビュー当時は)歌手として育っていったのだと
思います。
また、1999年末の「オールナイトニッポン」の企画等、専務は浜崎あゆみを守るために(あゆに
対する偏見に対して)戦った事も数々あったのだと思います。
aikoさんが指摘されるように絶望三部作の時の「絶望」の意味の一つが専務との離反であると
感じられる事は自分も同感です。そして、去年の「Endless sorrow」の頃も...
今回のカウントダウンライブの件であゆは専務の考えや思いを改めて感じられて絆を再確認した
のだと思います。
 

>>> 空蝉   -- 2002/05/05-14:53..No.[3696]
 
    上記訂正があります。
1999年末の「オールナイトニッポン」の企画は
1998年末「オールナイトニッポン」の企画の誤りでした。
大変失礼しました。
 



返信用フォームです

Name
Email
URL      
Message
Forecolor
Password     修正・削除に使用




■削除: 記事Noと投稿時に入力したパスワードを入力し
updateボタンを押下

No. Pass
はてなまん Ver0.57 Created by Tacky