アメリカ出張日記(98年10月1日―6日)

出発
飛行機の出発時間は午後5時ちょっと前、例によって成田空港まで家内に送って貰った。今回もエア・チケットはH.I.Sで購入した。ディスカウントチケットもある程度内容のしっかりした会社で買わないと代金を支払ってからチケットを入手するまでにその会社が倒産すると大変だ。最近は大手の会社でチケットを購入することにしている。

飛行場にはかなり早く着いた。普通,一時間ちょっとみておけば空港に着く。今日は雨が降っていたこともあり、早めに家を出た事も有りずいぶん早く着いた。同行のTさんとの待ち合わせ時間に間もあったので,グレイの公衆電話で電子メールをダウンロードした。26通程溜まっていたので全部ダウンロードするのに 10分近く掛かった。幸い空いている公衆電話コーナーでダウンロードしたので、まだ後ろに待っている人を気にすることは無かったが、込んでいる場合はあまり長時間公衆電話を占有することは出来ない。電話機を耳に当てた話をしているのな等まだしも,端末を繋いでなにも話しもしないでいるのは、気が引ける。

今回の出張には携帯端末として,前から使っていたもモバイルギアとソニーのバイオの二つを持参した。片方がうまくつながらない場合にもう一つで代替できる可能性を考えての準備である。最近では電子メールの使用も増えて、5,6日の出張でも電子メールをチェックできないことは非常に不便に感じるようになっていた。

今回使ったユナイテッドのフライトは結構混んでいた。ほとんど満席である。この位いつも混んでいれば採算も非常に良い筈だ。しかしいつもこんな風ではないに違いない。今年の3月にアメリカに出張したときもユナイテッド使ったがその時はがらがらであった。

今回の出張は比較的最近というか比較的直前に決まったものだ。ニューヨークで開催されるアロマ関連の展示会に参加するためである。私自身ニューヨークは初めてで、どんな仕事の可能性があるか分からないが.せっかくの機会なので仕事に対してはきちんと対処したいと考えている。費用も航空運賃とホテル代は同行のT氏の会社負担という条件である。ただ、帰途にはサンフランシスコに立ち寄る事にした。サンフランシスコは前職時代神戸で一緒に仕事をいていたH氏やT氏に会うためである。3月に来た時は空港から電話をしただけで彼と会うことは出来なかったが今回は時間も幾分余裕が有るので久しぶりに彼らに会う事が出来ると思う。

飛行時間は12時間ちょっととのことである。それにしても長時間である。オーストラリアでもシドニーなら9時間位、メルボルンなら乗り換え時間を含めてやはり12時間くらいか。前回3月のアメリカ出張もユナイテッドエアラインを使った。今回のチケット代は往復で7万9千円だった。(続く)

ホテルの事

今回、ニューヨークのホテル予約は日本からインターネットの予約システムを使って行った。場所はマンハッタンの真ん中、エンパイアーステートビルディングやマジソンスクエアガーデンに近い便利な場所だった。地下鉄にもすぐで食事にでかかる場合も便利で、トレードショウの会場までは歩いて15分くらいの程よい場所だった。

しかしながら。満足できないのは、中があまりきれいでないことだった。部屋はまだましだったが、廊下のカーペットは古く汚いし、エレベーターは二つのうちの一つが故障して使えないというありさまであった。料金は 130ドルでニューヨークのホテルとしては料金的に中の下くらいであろうが、これでは幾ら場所が良くてもちょっと高過ぎはしないかという感じである。

ファックスがサンフランシスコの知人から届いていたが、1日付けのファックスがずっと渡されず、チェックアウトの時に渡されるという始末だった。我々の如く仕事で出張する場合は、こういうことがしっかりしないホテルはとまるべきではない。

今回のホテル代は3泊のうち2泊を同行の得意先の負担となっているが、得意先の社長Tさんの印象もあまりよいものではなかったようだ。今回はトレードショウ指定の代理店経由でも予約をしようとしたのだが、便利なホテルの空室が無くやむなくインターネット経由で予約をしたものである。前職時代の日商岩井ニューヨーク事務所の知人とか取引先に頼んで予約する手も有ったのだが、自分で出来る事は他人の手を煩わせない事にしている。

サンフランシスコのホテルは1泊だけでもあり、空港の近くの半年ほど前に泊まったホテルを日本からのファックスで予約した。宿泊代はニューヨークのホテルと殆ど同じだが、ずっと良いホテルであった。アメリカも西海岸の方がずっと安い。親方日の丸のサラリーマン時代にホテル代や航空運賃もあまり気にしなかったが、独立してやっている身では全く違った立場になっている。

パソコンの事

今回の出張にはソニーのB5携帯パソコンとモバイルギアを持ってきた。ソニーのバイオは今回の出張に先立って買ったものである。バイオが有ればモバイルギアはもう必要なくなるかとも思ったが、そんなことはなかった。モバイルギアは便利であった。第一に電池のもちがよい。ニューヨークからシスコへのフライトでバイオを一時間くらい使ってメールやダウンロードしておいたニュースを読んだ。しばらく休んで再度バイオを開いたらウィンドウズを起動して10分も経たないうちにバッテリーが切れてしまった。トレードショウのフォローアップのためにレターを書こうとしたがこれでは使い物にならない。やむなくモバイルギアを使った。私のモバイルギアは一番最初のバージョンでインターネットメールがニフティーサーブを利用したものしか使えないので其の面では不便だが、文章作成のだけなら単3乾電池2本でで何時間も使えるし、キーボードもモバイルギアのそれよりずっと使いやすい。パソコンへのデータの移動は一旦ニフティーを経由してメールの形にして送り込んでいる。この点が不便であるが、そんなに何時もあることではないのであまり億劫には感じない。

今回の出張に先立って購入したバイオは電子メールのチェックに結構役に立った。最近はメーリングリストも二つほど管理している事も有り、毎日何通かの電子メールを送受信している。私がいつも使っているプロバイダーは海外にローミングサービスが無いので従来の海外出張では、ニフティーサーブのアドレスに転送してモバイルギアでチェックしていた。今回はアメリカンオンラインに転送させてチェックした。アメリカンオンラインには加入したばかりだったが、アメリカで電子メールを送受信したり、インターネットで日本のニュースをチェックするのには便利だった。

ニューヨークでの観光(ジャズクラブとエンパイアステートビル)

得意先の社長Τさんはジャズが好きな事もあり、夕食の後一緒にバードランドというジャズクラブにいった。私もジャズは好きな方で学生時代新宿や巣鴨のモダンジャズ専門の喫茶店には良く立ち寄った事があった。ニューヨークに来たら機会を見つけてジャズクラブに行きたいと考えていた。Τさんも同じように思っていたとの事で、同じ思いで良かった。ジャズの嫌いな人と一緒に行っても面白くないが、Τさんとは話も合い良い時間を過ごせた。

ギターをフィーチャーしたクァルテットでまずまずの演奏だった。ベースのレジーワークマン、ドラムのラシッド・アリといったプレーヤーは知っていたが、他の演奏者は知らないひとだった。カバーチャージはカウンターで一人20ドルであった。テーブルにすわればもっと高いはずだ。これには飲み物が一杯づつついて後は追加料金になる。

ニューヨーク滞在は私が3泊、Τさんは2泊であった。Τさんのニューヨーク滞在の最終日、4時のロス向けのフライトまでにちょっと時間もあったのでエンパイアステートビルに上がることにした。金曜日で平日であったが入場券を買うところからして列を作っており、多くの人が並んでいた。時間も掛かったが漸く86階の展望台にたどりつきニューヨークを眺めることが出来た。お上りさんが東京で東京タワーに上るようなものだろう。私自身東京タワーには上った事が無いが、ここではかなり高いところに上がれて、しかし自由の女神も遠望出来たし、上から見てマンハッタンの大きさもわかり易かったと思う。102階にも展望台があるようだが残念ながら週末はクローズしているとのことであった。

サンフランシスコ

ニューヨークを9時のフライトでサンフランシスココに向かう、到着は11時半くらい。前職時代の同僚で今は日商岩井のサンフランシスコ店の駐在員であるT君が飛行場に出迎えに来てくれた。ホテルでチェックインの後、昼食をもう一人のかつての同僚H君と一緒に三人でご馳走になった。日曜日ということもあり住宅地にある中華料理店は満席であった。飲茶を楽しみに来ている客はほとんどが中国人であった。H君、T君共にこの近くに住んでいるとのことで、飛行場の近くに宿をとったことは便利であった。

昼食のあと、ゴルフをセットしてあるとのことで、三人でゴルフを楽しんだ。3ヶ月ほど前に郷里の長野県に帰省してやった時以来の久しぶりのゴルフであった。サラリーマン時代は仕事の関係で結構やる機会が有ったし、オーストラリアやシンガポールに駐在していた頃は安い費用でゴルフを楽しめたが、独立してから日本で高い金を払ってゴルフをやる気にはまったくならなかった。土曜日の昼過ぎ昼食後でワンラウンドやる時間も無く、スコアはハーフ52であった。スコアはともかく旧知の友人たちとの気の置けないゴルフは楽しいものだった。

翌朝は出発まで時間も有ったので、仕事面でも若干関係が有る日商岩井のサンフランシスコ店を訪問した。食品関連の仕事の打合せを行った。

メーリングリストで知り合った在サンフランシスコの瓜生氏に連絡をとったら、同氏が空港まで送ってくれるという.せっかくの機会ゆえことばに甘えて、送って貰った。時間も十分あったので、チャイナタウン、フィッシャーマンズワーフ、コイト・タワー、金門橋などの名所を回ってくれた。

瓜生氏とは今回が初対面であったが、同氏は在米30年以上とのことで、高校を卒業してこちらに来て大学からずっとこちらで生活をしているという。最初は港湾関係の会社で働き後で独立したとの事である。あちこちに結構人脈があり、情報も豊富である。間連業界における情報の繋ぎ役も彼の仕事の一つと思われるくらいである。

帰りのフライトは満席であった。月曜日で週末を外れるので少しは空いているのではないかと期待していたのだが、期待外れであった。途中のフライトコンディションは若干気流の悪いところも有り、ゆれるたびにユナイテッドは座席ベルトの着用を促していた。昨年ユナイテッドで乱気流による上下のゆれで死亡事故がありこの点特に神経質になっていたようだ。成田には夕方着いた。(完)


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