アメリカ出張日記(98年3月)
 

97年3月にアナハイムに出張し、そのときの日記は別のページに掲載しているが今回は量も少ないので、雑記帳の方に入れた。

今回の出張目的は、アナハイムで開催された「ナチュラル・プロダクト・エキスポ」への出展参加とオーガニック食品の農家や食品メーカーを訪問することであった。

昨年もアナハイムのエキスポに参加した。昨年は米国で急成長を示しているオーガニック食品の市場調査や供給業者との接触が主な目的であったが、今回はそれ以外に、日本の「宝水」という「イオン化ミネラル水」メーカーの展示の手伝いもあった。このメーカーと知り合ったのは、このメーカーのマーケティングを担当する会社が弊社のホームページを見て、輸出をする場合のアドバイスを求めてきたのがきっかけである。「アメリカへ輸出するなら、この種のトレードショウに出展するのが効果的である。」という私のアドバイスに基づき出展する事になったものである。

 

「ナチュラル・プロダクト・エキスポ」について

このエキスポは毎年2回、春はアナハイムで、秋はボルチモアで開催されているが、この分野では全米最大のトレードショウである。

 

開催期間は12日から15日であるが、エキスポの規模は訪問者数約26,000名、小間の数1,900と大きく、到底一日では見きれない規模であった。展示品の範囲としては、オーガニック食品、冷凍食品、青果物、バルク(小売り用ではない原料用など大きな包装の商品で穀物、ハーブ、乾燥果実、ナッツ、コーヒー、お茶、甘味料、油などを含む)、グローサリー、パーソナル・ケア、アロマテラピー関連商品ハーブや医療用製品、ビタミン・栄養補助食品、ノン・フード製品(洗剤、家庭用品、空気清浄機、運動用品、包装材料)、出版、雑分野等である。

 

私が手伝った日本のメーカーの小間はインターナショナル・パビリオンの一角にあり、他の日本の会社としては「八重山」というクロレラの会社がこのインターナショナル・パビリオンに出ていた。 そのほかに、森永乳業の現地法人(豆腐の売り込みにポイントをおいていた様だ)、湧永薬品の現地法人(カリフォルニアにあり、従業員が百人近くいて現地工場で製造しているとのこと)、八丈島のあしたば茶の現地販売会社、丸善薬品、創建社等が出展していた。他に日系でありながら純粋の米国法人としてはファインケミカルの商社であるマイプロ(Maypro)とかカリフォルニアの味噌の製造会社(味噌製造以外に冷凍枝豆の販売、海苔の販売もやっているとのことだった)も出展していた。

 

アメリカのオーガニック食品の市場規模

 

このエキスポの主催者であるNew Hope社が出版している Natural Foods Merchandiser誌によると、米国に於けるオーガニック製品のディストリビューターによる販売額の伸びは下記の様になっている。

 

1990年 10.0億ドル 前年比

1991年 12.5億ドル +25%

1992年 15.4億ドル +23%

1993年 18.9億ドル +23%

1994年 23.1億ドル +22%

1995年 28.0億ドル +21%

1996年 35.0億ドル +25%

 

1997年の数字はまだ出ていないが、会場で話をした業界の人たちの話からもこの増加のペースがスローダウンしているとは思えない。1990年・オーガニック農業法に基づくNational Organic Program が昨年12月15日に公示され、一定期間を経て、オーガニック食品に関する全米の基準が統一されると、消費者にとってもますます消費しやすくなるものと思われる。

 

雑感

 

今回、使用したフライトはユナイテッド・エアラインだった。運賃は往復6万9千円、ロスからオックスナード往復、ロスからフレズノ、フレズノからサンフランシスコの国内運賃も含まれてこの運賃であった。従来から安いディスカウント・チケットを使っているが、ロス往復だけならいちばん安いマレーシア・エアラインなら5万円を切る。アメリカの西海岸への出張は特に割安に出来る。このように航空運賃が安くなったことは、私の様な自営業者には有り難いことである。

 

往路は非常にすいており(多分定員の20パーセントくらい)、シートの肘掛けをあげて4シート分くらいを一人で独占して横になることも出来た。復路は80パーセント方、席は埋まっていたが、それでも私の隣の席は空いておりゆったり出来た。週の半ばの移動なので空いていたものと思う。

 

それにしても乗客の殆ど90%は日本人の若者である。若者がこんな形で海外旅行に出られるとは日本もまだまだ豊かな国だと思わざるを得ない。こんな旅行者を見ていると、経済破綻の話などほんとにこの国の話かと思うくらいである。

 

宝水

 

今回エキスポに出展した「宝水」という商品は「イオン化ミネラル水」という物で、枇杷、クルミ、ヨモギ、くず、等の植物を麹などと一緒に発酵させ、それからとったエキスを主体にしたミネラルの豊富な水である。用途によってエキスと情報記憶水を混ぜた物もある。食品の加工や調理に添加して味を引き立たせる用途と、農業用として葉面に散布したり、堆肥に混ぜたり、土壌に散布して土壌改良に使ったり用途は非常に多岐にわたっている。何にでも効くということで却って焦点が絞りきれず、PR効果が分散したかも知れない。

 

最近は水にも情報記憶水以外に波動水、電磁水、パイ・ウォーター等色々あるようだ。しかしこれらの性質とその効き目との因果関係などは日本語の説明でも判りにくいがこれの英語での説明となると更に大変であった。

 

予め、写真やポスター展示用のボードとか、見本やパンフレットをおくテーブル、椅子を申し込んでおいたが申し込みの通り揃っており、特に問題なく事前の小間の設定もスムーズであった。説明資料のコピーは事務局が有料でやってくれ、名刺も足りなくなったら短時間で作ってくれ(英語だけで日本語のもは出来ないが)便利であった。

 

我々の小間は参加者にも興味を呼んで反応も良く特に農業用としての用途には手応えも十分であった。いずれにせよこれまで輸出の実績があるわけではなく、これから輸出市場を開拓していかなければならないので、帰国後のフォローアップが大切である。

 

アナハイムからオックスナードへ向かう

 

エキスポが終わり、「宝水」の関係者と別れて16日の月曜日にアナハイムからオーガニック野菜の農家を訪問するためにオックスナードへ向かう。

 

アナハイムはディズニーランドやプロ野球のアナハイム・エンジェルズ(長谷川が在団している)などで知られているが、ロスとは車で45分くらいの距離である。昨年来たときはレンタカーを借りてまわったが今回はレンタカーは「宝水」の関係者一行に残して一人になったので、アナハイムからロスまではシャトルバスのサービスを頼んだ。マイクロバスで各ホテルを回り、6、7人の客を運んで一人14ドルであった。予約に際してホテルのベルキャプテンに渡したチップ1ドル、それからバスの運転手に渡したチップの1ドルを足して合計16ドルのコストである。アナハイムからロスの飛行場まではかなり遠いように思うが、日本の成田と東京の中心地のことを考えると決して遠くない。14ドルもリーズナブルである。今回は使わなかったがタクシーだと65ドルとの事であった。

 

ロスからオーガニック農家ののあるオックスナード迄は飛行機で30分、車ならなら一時間の距離である。今回は飛行機で行った。ユナイテッドエアラインは米国西海岸往復に西海岸での国内便を加えても同じ運賃6万9千円だった。オックスナードの飛行場は小さく、昔駐在していたオーストラリアで出張に行った田舎町の飛行場を思い出した。飛行場にはタクシーも待っておらず、電話でタクシーを呼んで、まずはホテルにチェックインした。ホテルはマリオットの系列のホテルでコッテージのような建物が幾棟かあり、部屋の中にはクッキングの出来る設備と食器がすべて揃っておりまだ新しいのか、メインテナンスが良いのか綺麗で89ドルのルーム・レートにしたら非常に良い感じであった。

 

アポイントまでちょっと時間もあったので、その間、電子メールの受信をチェックした。今回の出張に際しては、携帯端末のモバイルギアを持ってきた。ただ、一番最初の型のモバイルギアでニフティーサーブしか利用できず、インターネットの電子メール使えないために、日本を出発前に、日頃使っているインターネットメールアドレスの受信を全てニフティーに転送して貰う手配をした。これによりニフティーサーブの受信をチェックすることでいつものアドレスに入った受信もチェックが出来た。最近メールによる連絡が多くなってきたので約1週間といえどもメールがチェック出来ないのは不安でありモバイルギアを持参したもの。

 

オーガニック野菜栽培農家

1時半頃訪問先の農家の輸出担当者がホテルに迎えに来てくれた。もっとも農家といっても、合計1,000エーカー(400ヘクタール)くらいの農場を持ち、自社のパッキングハウスを持つ立派な企業である。この輸出担当者は、元日本商社の現地社員をしていた神戸生まれの日本人で、奥さんは米国人、神戸にはお母さんと妹さんが住んでいる由。既にアメリカ在住十数年、働きながら学んでMBAを取得、この会社に移ってまだ1年半くらいとのことだった。商社勤務の時代は残業も多く、過程を犠牲にすることも、多かったが今は家族との時間も多く持てるようになったと現在の生活に満足しているようであった。

 

作物はイチゴが主体だが、他にブロッコリー、セロリー、等の葉野菜やカボチャ、タマネギの栽培も行っている。殆どの作物を有機栽培で行っている。有機栽培といっても日本の場合は定義がまだ曖昧であるが、アメリカでは「オーニックガ」といって定義がはっきりしており、生産者は自社の作物をオーガニックの認定機関に頼んで認定してもらい、「確かにオーガニックの作物である」という証明書を貰っている。

 

オーガニック野菜類の対日輸出に就いては、周年を通しての供給が潤沢というわけでは無いのでコンテナー単位での輸出はしておらずパレット単位での輸出を行っていた。ブロッコリーが主体だが、他社が輸出するコンベンショナルのブロッコリーと一緒にコンテナーに混載して運んでいる由。毎週コンテナー単位で出荷できるのであればコンテナー単位で出せるが現状ではそこまでコンスタントに生産できるわけでは無いのでパレット単位での出荷にとどまっている由。

 

事務所で打ち合わせの後、夕食は韓国レストランでご馳走になった。ホテルに帰ってから、日本との間で2,3電話のやり取りをした。日本との時差17時間で、この夜の時間は日本との連絡にちょうど良い時間である。今回の出張では、日本で購入した「インターナショナル・テレフォン・カード」という国際電話が割安でかけられるプリペイドカードを持参してきていた。普通、ホテルから国際電話は非常に高いが、これだと1分間100円の割で日本向けの国際電話が利用出来る。ホテルからの電話だと時間帯にもよるが3分間9ドルくらいかかるので、3分の1位のコストで済むことになる。

 

我々のように外国との連絡が多い仕事をしていると、通信費が経費の内のかなり大きな割合を占める。私自身も極力安い方法を探し、採用している。事務所でも海外への電話はコールバックサービスを利用している。料金は例えば1分間アメリカなら33セント、オーストラリア51セント、フランス55セントといった具合である。又、ファックスはインターネットファックスを使っている。いずれにせよ通信業界ももっと規制緩和が進み通信コストが低くなって欲しいものだ。

 

オックスナードで一泊、翌日は最後の訪問地フレズノに向かう。

3月17日(火曜日)今回の出張の最終目的地であるフレズノに向かう。オックスナードからは一旦飛行機でロサンゼルスに出て乗り換えてそこから約一時間くらいのフライトタイムでフレズノに到着した。ここにはレーズンのアメリカ側の団体であるRAC(Raisin Administrative Committee)とか前職時代に取り引き関係が長かったレーズンのパッカーもあるが、サンホアキンバレーの農業の中心地である。

 

飛行場で早い昼食をとり、アポイントまで時間もあったので、タクシーで途中おもちゃ屋に行って貰い、ヨーヨーがないか探した。出張中に日本からバンダイが代理店をやっているハイパー・ヨーヨーを並行輸入したいので可能性をチェックしていて欲しいという依頼が入っていたためである。YOMEGAという会社のヨーヨーが大変人気があるが、日本では品薄で並行輸入が出来れば非常に儲かるので探して欲しいと出張先にファックスが届いたもの。

 

この町で一番大きいというおもちゃ屋に行って貰ったが、残念ながらこのメーカーのものはなかった。後で、ロス在住の知り合いでヨーヨーもやっていた人に調べて貰ったがYOMEGA社のものはアメリカでも供給が間に合わず昨年注文したものがまだ届かないのでちょっと可能性がないのではないかとの事であった。出張先にまで追いかけてきた新しい仕事の引き合いで一瞬期待したが、簡単に儲かる話はそんなになくなかなかうまく行かない。

 

果物加工工場を訪問

この町では果物の加工工場を訪問した。初めての訪問だが規模も大きくしっかりした会社であった。入り口の受け付けのところにWelcome to AAA Company, Inc, Mr. Kiminori Kobayashiというような札が出ており、細かな配慮に驚いた。。事務所の案内や関連する担当者を紹介してくれたが、行き届いた応対で好感が持てた。工場見学に際して残念ながらカメラは会社方針でご遠慮願いたいとのことであった。

 

この会社はつい最近接触が始まった会社であったが今回の訪問は実際に自分が相手に会って、工場設備も見て、技術水準や衛生面の水準を確認する事が主な目的であったが、期待以上であった。日本のお客さんに自信をもって勧められる水準であった。良くお客さんから海外のメーカーや商品を紹介して欲しいと頼まれる場合があるが実際に自分が現地に足を運んで目で見た会社でないと自信を持って進めにくい。逆に訪問してみたら期待はずれの場合もあるが今回の場合は期待以上で、出張の収穫の一つとなった。

 

サンフランシスコ経由帰国の途へ

夕方のフライトでサンフランシスコに出た。ホテルは日本から直接予約を入れておいた飛行場の近くのマリオット・インに泊まった。ホテルの予約も会社時代なら出先の事務所に予約して貰ったのだが、独立してからは前の会社に甘えたくもなく、殆どが自分で直接予約する事にしている。サンフランシスコでは乗り継ぎだけで他に特に予定もなかったので空港近くのホテルを選んだ。
 

空港からのシャトルバスではユナイテッド・エアラインのクルーと乗り合わせた。中国系とおぼしき東洋人のスチュワーデスと隣り合わせに座った。お互い英語で話し始めたが、先方が「日本の方ですか?」と日本語で聞いてきた。最初は日本語の上手な東洋人だなと思ったが、日本人であった。ロンドンに住んでユナイテッドエアラインの大西洋線に乗務しているという。両親や妹は日本に住んでいるという。父親の仕事の関係で海外で育ったこともあり、海外で働く事を選んだという。最近、日本人の若い人たちの中で、日本を離れて海外で生活している人たちが増えてきた。最近の日本の住み難さや閉塞感も日本を離れて生活しようとする人たちが増えている一因かもしれない。

 

ちょうど一週間に亘るアメリカ滞在を終えて、翌18日のフライトで帰国の途についた。帰りのフライトは気流の関係でよく揺れたが、クルーは乗客のシートベルトの着用をしつこく確認していた。昨年だったか同じユナイテッドのフライトで一人死亡する事故があったので特に神経質になっていることが伺われた。

 

成田ではチックインした荷物の出てくるのが遅くて一時は積み残しで届くのが次のフライトになるかも知れないと言われて、後で家に届けて貰うように手続きをしかけたが、結局一番最後に出てきた。家では久振りのみそ汁が旨かった。

(完)

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