1997年12月11日(木曜日)

関西出張

先週の木曜日、金曜日と久振りに関西に出張した。

出張目的はフランスから輸入したラベンダーの検品、得意先訪問、友人との再会、新規見込み客の訪問などであった。

関西には昭和40年に前の会社に入って初めて神戸支店に配属されてから10年間住んでいた懐かしい場所である。神戸支店はJR三宮駅の駅前にあったビルの8階にあったが、今は震災で崩壊して、跡地には平屋の建物が建ち、当時そこに営業していた銀行が使っていた。震災の爪痕はまだまだ随所にあるはずだが一見してそれと分かる跡は少ないようにみえた。しかし崩壊した神戸市役所や明治生命ビルの跡地も新たにビルが建ったわけではない。不景気の此の時期に新たにビルを建てるような状況にはないのだろう。震災に遭った神戸の人々も今は一寸みたところ震災の影響など感じられないように見えても、その後ろには色んな傷跡を持ち、影響を引きずっている人がたくさんいるに違いない。

出張には携帯端末のモバイルギアを持参した。久しぶりに使う携帯端末だがちょっと慣れればそれなりに何とか使えるものだ。この機種が発売されたばかりの96年の5月にオーストラリアの出張に持っていくために買ったが、それから新しい機種が次から次に出てもっと便利なものが出ているようだ。ワープロ機能以外にモデムも内蔵しておりメールの送受信やファックスの送信も出来るので便利である。まだ償却するほどは使ってないが出張のときなどは便利である。

新幹線の新神戸着は10時ちょっと前。新神戸からまず地下鉄で三宮へそれからポートライナーでポートアイランドにある新規見込み客を訪問した。

神戸は大学を卒業して社会人になって丸まる10年間勤めた懐かしい場所である。昭和50年6月に神戸を離れてからこの地を訪れてたのは何回位あったであろうか。その後約10年間に亘る海外駐在などもあったため、あまり来ていない。

前回来たのは大震災の10日くらい後だった。1995年の一月のことであるから2年11カ月くらい前のことである。地下鉄やポートライナーは出来てからかなり長いこと経っているはずだがこれを利用するのは今回が初めてである。会社勤務時代に神戸に出張してもタクシーで動くことが多かったのでこれらを利用する機会が無かったのである。

昭和50年に神戸を離れたときはポートアイランドはすでに出来ていたが出来上がっていたのはコンテナーヤードなどの港湾関係だけでマンションもホテルも病院も無かったましてポートライナー等もなかった。その頃のポートアイランドのイメージといえば「港湾関係の埋め立て地」という印象であったが、今は港湾関係も大きな比重を占めているだろうが生活者も住んでいる街というようなイメージも感じられた。

世界の港における神戸港の取り扱い量の順位は次第に落ちているようである。アジアに於けるハブ港としての役割も、シンガポール、香港、釜山などの港の方が高くなっていると聞くが、昔のような港町としての繁栄を取り戻して欲しいものだ。

神戸での新規見込み客との面談も実りあるもので、今後のフォローアップを十分行い、取引の実現につなげたい。初めて輸入したラベンダーの検品結果も満足のいくもので、今後の取引拡大に向けてのまず第一歩を踏み出せたものと思う。

神戸では前職時代にお世話になった昔の取引先も幾つかあるが、その一つを訪問した。時間がとれるかどうか判らなかったので予めアポイントを取っていたわけではなかったが、幸いその内の一社に訪問できた。以前お世話になった元社長は息子に席を譲って代表権もはずして会長に収まっている。入社したばかりの頃でこの会長には商売のイロハを教えて貰ったり、三宮や元町で食事やお酒をご馳走になったり、お世話になった。 短い時間ではあったが楽しい昔話で2.30年前を懐かしむことが出来た。