★入院中は皆様応援ありがとうございました!
無事に退院して8月下旬から社会復帰しました!★
僕が最初に腰痛を感じたのはいつのことだったろう。高校の時、サッカーの試合中だったか、仲間との自転車旅行中だったか、今となっては良く覚えていない。ただ、高校生の頃にはすでに、看護婦の母の勧めで、腰痛体操というのをやっていた覚えがある。
88年。就職してビデオの仕事を始めたばかりの頃は、取材から編集から何でもひとりでやっていた。10キロ以上あるカメラをかつぎ、当時は分離型だったVTRと照明のバッテリーを肩から下げ、背中のザックに予備のバッテリーとバッテリーチャージャーを入れて手には三脚を持ち、中腰で何時間もの撮影を行う、と言う毎日だった。機材の総重量は40キロ近くあっただろう。
左足の股関節が痛み、病院で検査を受けたのはこのころだった。左足の股関節が「はまっていない」ような感じがして歩きにくい日が何日か続いたが、あまり気にしていなかったら、ある朝痛みでなかなか立ち上がれなくなってしまったのだ。会社を休み、当時住んでいたアパートの近所の総合病院まで足を引きずっていったが、その日は整形外科のドクターがおらず、結局翌日もう一度同じ病院に行き、レントゲンを撮られ、「特に異常なし」と診断され股ぐらに湿布を貼られて帰ったのだった。
その後も時折左の股関節の動きが悪くなることはあったがあまり気にもとめずに過ごしていた。朝起きてしばらくは左足がしびれるような感じも気付いていたが、これも大したことではないと放っておいた。しかし、都内のアパートを引き払い実家から会社に通うようになった91年、母にその話をすると早速病院に連れて行かれ、MRIなどの検査の結果、「椎間板ヘルニア」と診断されたのだった。
このときは会社の「健康センター」で、牽引を5回ほど受け、痛みもしびれも気にならなくなったので、それ以上は治療を受けずにほうっておいたのだった。
後は、時折痛みを感じても自分でストレッチで直したり、鍼灸院で鍼やマッサージをしてもらったりして直していた。特に妻に教えられたカイロプラクティクには3月ほど通い、一時はまったく痛みを感じないほどに回復していた。立位体前屈でも、手のひらをべったりと地面につけられるほどだった。
今年、97年の5月。ゴールデンウィークのはじめ頃から体を前に曲げようとすると左腿の裏にいつになく激しい痛みを感じることに気づいた。5月5日の生中継の仕事は、中腰の姿勢を数時間続けなければならず、非常につらかった。5月15日頃には左足の爪先を前に向けられなくなっていた。左足だけはがにまたで歩かないと、股関節がいたむのだ。やばいなあ、とは思っていたが、5月17日・18日には静岡の気田川へ車でカヌーに行き、また、5月20日には1台2〜30キロはあるVTRを4台運ぶ、という重労働をした。そして5月21日の朝。僕はとうとう激痛で起き上がることができなくなってしまったのだ。
一度は何とか立ち上がり、足腰を暖めようと、風呂に入ったのだが、これがまた悪かったらしく、風呂から出たらもう立っていることも座ることもできない。寝ていてさえ痛みがはげしく、つらい。
机の角に肘を思いっきりぶつけたときの、腕全体に走る痺れと、虫歯の痛みが同時にきたような激しい痛みが、腰から左足の全体に続くのだ。
午後、妻にタクシーを呼んでもらい、近所の整形外科へ。
この日は僕たちの2回目の結婚記念日で、近くの写真スタジオへふたりで写真を撮りに行くことにしていたのだが、結局キャンセル。この日撮影したのは僕のレントゲン写真数枚のみになってしまった。
ここで打ってもらった注射のおかげでなんとか物にすがらなくても歩けるようにはなった。しかし、以後、入院までの約一ヶ月間、ぼくは前方に60度、右に30度くらいも腰を曲げていないと歩けない状態が続く。ちょうど、90歳程のご長寿のおじいさんのような格好だ。
翌日から6月初めまでに3回「仙骨硬膜外ブロック」という注射をしてもらう。これは、尾テイ骨と背骨の境目あたりから麻酔液を注入し痛みを感じている神経を麻痺させてしまおうというもので、これだけではただの気休め、一時凌ぎに過ぎないものだが、この液体の力でヘルニアが引っ込むこともあるのだそうだ。また、低周波電気治療もほとんど毎日行った。これらは最初劇的な効果があり、明日からは会社に復帰できるぞ、と期待したことも何度かあった。しかし翌日の夕方にはたいていもとの痛みに戻ってしまうのだ。家庭用の低周波電気治療機もぼくにはとてもよく効いたが、これまた半日程度しか効果がなく、社会復帰の役には立たなかった(ただし、これを夜、寝る前に使うことによって、朝まで楽に眠れるので助かった)。3回目の硬膜外ブロックはまったく効き目がなく、大きな病院への入院を前提に、MRIの検査を勧められた。
(この間ほとんど会社には行かず、寝ているかパソコンの前に座ってインターネット上のヘルニア・腰痛関連サイトを回って情報収集をしたり、健康相談のメールを整形外科医やカイロプラクターに書いたりしていた。そのうち何人かには退院するまでずっとメールのやりとりを続けていただき、非常に心強かった。)
6月9日、数年ぶりにMRIに入る。大きな筒状の機械の中に入って磁気により体の中の断面図を取られるわけだが、今回はこの筒の中になかなか入れないで苦労した。肩幅の広い僕には狭すぎて、肩が当たってしまうのだ。・・・腹もぎりぎりだったが・・・。
6月11日。MRIの写真を持って近所の総合病院に。手術をすぐにしなければならない、という状況ではないが、仕事や生活を普通にするためには手術がもっとも早い、と言われる。19日からの入院を予約した。
6月18日。残務整理と引継ぎのため9時ごろまで残業。取手駅まで帰ってきたら改札で妻が待っていてくれた。近所のすし屋が僕の帰りを待っていてくれているとのこと。豪雨の中をすし屋まで二人で歩く。やきあなご、赤いか、中トロ・・・おやじは僕の好きなものばかり次々と握ってくれる。生ビールを二杯、日本酒を2合いただいた。「神様のくれた休日だと思ってさ、ゆっくりやすんできなよ。」と、おやじ。泣けてきた。
帰り道、いつのまにか雨は小雨。やっこと二人、すっかり気持ちよくなり、手をつないで家に帰った。腰が曲がっているから、普段は30センチの身長差がある僕らも、今はほとんど顔の高さが同じになっているのだ。
6月19日。近所の総合病院に入院。驚くほど狭い五人部屋。ヘルニアの手術が終わったばかりのTさんはうわごとのようにイタイイタイと繰り返し、入院生活の長いNさんはテレビを見ながら独り言をつぶやく。ヘルニアの手術を来週に控えたIさんは不機嫌そうな顔でこちらをにらみ、Aさんは高いびきで寝ている。おれは病人になったんだなあ、と実感。夕方友人からのメールをプリントアウトしてやっこが持ってきてくれた。「神様のくれた休日だと思ってゆっくり休め」・・・ありがたい。みんなの言葉に涙が出てくる。しかし、またもう一度忙しくも楽しい日常に戻ることはできるのだろうか。
6月20日。「脊髄造影」をおこなう。局部麻酔をかけ、脊髄に造影剤を注入してレントゲンを撮るのだ。この麻酔自体より、麻酔の前に行う筋肉注射が痛い。まったくもってほかに何も言うことがないくらいいたいイタイイタイ。
検査の前に担当のドクターから説明を受ける。検査の結果がどうあれ、手術をしてもらいたい、と申し出ると、25日水曜日に手術することに決まった。
検査後、朝まで頭は立てておかなければならない。しかも、トイレもだめ。ベッド上で安静にしておかなければならないのだ。ベッドを立てたまま消灯時間を迎えるが、まったく眠れない。しかも、同じ姿勢を続けているので腰や足が痛み始める。そのまま明け方になってしまう。
神様のくれた休日にしては何と痛い休日なのだろうか。
6月21日。立ち上がる許可をもらってうれしくなり、あちこち動き回っていたら、回診の時間に遅れて看護婦さんに怒られる。昼食は手術後の寝たきり生活に備え、寝たまま鏡を使って食事。午後、やっこが友人に借りてきたノートパソコンを持ってきてくれた。さっそく関係各社や友人にメールを送る。今後はこれで社会との接点ができた。少し気が晴れた。
僕の前の日に手術の予定だったIさんが、血液検査の結果糖尿病らしいとわかり、手術は延期になる。これまでいくつものきつい検査を耐えてきたのに、と落胆している様子を見て、僕もちょっと不安になる。長年不摂生している僕は大丈夫なのだろうか。
6月22日。ここの所明け方必ず痛くなっていたのだが、今日はほとんど感じない。早めに起き上がり、トイレまでコルセットなしで歩いたら、とたんに痛みが走る。やっとの思いで部屋に帰り、座薬のお世話になる。午前中点滴一本。昼は昨日に引き続き寝たまま食べる練習。今日はやっこがその姿を見に来た。鏡には慣れたが、腕が筋肉痛になる。午後も点滴一本。点滴の最中に夕食が来た。その前にトイレに、と慌てて点滴を引きずってトイレに向かったが、また、途中で、立っているのもやっとと言うほどの痛みが来てしまった。がまんして食事を平らげるが、やっこや見舞いに来てくれた父に無愛想な態度をとってしまう。善意でやってくれていることにケチをつけ、人の気分を悪くさせ、心を傷つけてしまう自分に腹が立ってしょうがない。
明日はまた検査。ヘルニアの出ている椎間板に直接造影剤を注入してレントゲンを撮る。今回は昼飯を抜かなくてすむのが唯一の救いだ。
6月23日。朝から痛みがない。しかし、昨日のこともあるのでトイレにはコルセットをしてゆっくりゆっくりと歩いて行った。今日は点滴はない。特に何をすることもなく時間が過ぎていく。
午後3時。いよいよ検査の招集がかかる。車椅子に乗せられ、痛い痛い筋肉注射をうつ。レントゲン室で麻酔をうたれ、いよいよ造影剤だ。レントゲンで骨の様子を見て患部を探りながら、ドクターが少しずつ長い長い注射針を椎間板に差し込んでいく。
ヘルニアの痛みと言うものは、背骨の軟骨である椎間板が本来の位置からはみ出て神経を押すから痛くなるわけだが、その椎間板に造影剤を注入するのだ。造影剤が注入されると、その椎間板は内圧が高くなり、少々膨らむ。と言う事はつまり、痛んでいる神経が更に押される、と言うことだ。それはつまりとても痛いと言うことだ。まったく恥ずかしい話、僕は泣いてしまった。実は、手術よりもこの検査のほうが痛い、と後で同室の人に教えられ、少し安心した。
この痛みの真っ最中、友人たちが見舞いに来てくれたが、ほとんど何も話せずに帰ってもらった。
午後八時。予定より随分遅れてドクターから明後日の手術について説明がある。母とやっこがいっしょに聞いてくれた。患者をしっかり見つめて、わかりやすく説明してくれる実に好感の持てるドクターだ。こちらのいかにも素人の質問にも的確に答えてくれる。
手術はまず、背中側の患部に近い部分を5センチほど切り、背骨の後ろ側のひれ状になった部分を削って穴を空け、ヘルニアの部分を露出させる。その後神経に傷をつけないよう顕微鏡で見ながら飛び出してしまった椎間板を取り除くと言うものだ。時間は明後日25日の午後、1時過ぎと決まった。内容的には一時間程度。しかし麻酔などで合計4時間ほどかかることもあるらしい。当日手術後はICUへ、翌日から手術後三日目までは寝返りも禁止。4日目から14日目まで10日間は寝返りのみ許可。その後座る訓練、歩行訓練と言うメニューだそうだ。つまり、手術から2週間はベッド上でトイレも食事も歯磨きも済まさなければならないのだ。
青ざめて話を聞いていたやっことは廊下で分かれた。帰ったら真っ先に彼女とワインでもあけよう。
6月24日。自由に動き回れる最後の日だ。起床時間から院内をうろうろしてみるが、昨日の検査のせいで痛みが強く、途中で車椅子に切り替える。快適。今日は一日車椅子であちこち動き回ろう。
今日は梅雨の晴れ間。穏やかに晴れた良い天気だ。ベランダから外に出てみたら、さまざまな音に圧倒される。近所の幼稚園の子供たちの声。空調の音。トラックのバックブザー。ヘリコプターの音。ずいぶん久しぶりに聞く街のノイズ。この音の中に戻って行けるのは後一月ほども先のことだ。思いっきり深呼吸して、たいしてうまくもない街の空気を吸い込んだ。
母の知り合いでもあるM婦長さんが、自分が入院していた時に使っていた読書スタンドを持ってきてくれた。読みたい本がたくさんある。さっそく取り付けて色々と試してみた。快調。
午前中点滴一本。その後、病室の引越し。今までの5人部屋から4人部屋へ。新しいベッドは窓際なので、非常にうれしい。元気な中学生のI君、茶パツの大工T君、明日退院を控えたYさんの3人が同室だ。部屋の雰囲気も、今までのところとは随分違う。
昼食は今日も鏡を見ながら寝たきり食の練習。メニューはカレー。案外スプーンは使いやすくて、ほとんど寝たまま食べることができた。
午後二時半。風呂に入る。自力で風呂に入れるのは、この20日は後になるだろうと思いゆっくり何度も何度も体を洗った。湯船に湯をためてゆっくり浸かるのも実に久しぶりだ。腰をなるべく暖めないよう、浅い湯に正座して入ったりしていたのだ。
午後三時、下剤をコップ一杯飲む。効いてくるのは夜中ごろとのこと。それまでいくら食べても確実に夜中に全部出てしまうのだ。
夕方もう一本点滴。時間がもったいないので点滴をしたまま歩き回る。会社の連中からたくさんの励ましのメールをもらった。会社の中では異動の話で持ちきりらしい。そんな季節であることをすっかり忘れていた。全員に返事を書いた。
手術室の看護婦さんたちが、手術室の中の説明に来てくれる。写真付きの楽しい手作りのアルバムを持ってきて、麻酔のかけ方などの説明。手術の際は、ベッドや台の上に寝かされるのではなく、4本の四角い柱のようなものの上に載せられるのだそうだ。90キロはある僕の体をそこまで乗せてくれる人もご苦労なことだ。その後、麻酔科の担当のドクターが来て、明日の説明と問診。この人も好感の持てる話し方をする人で、僕の話を細かくメモを取りながら聞いてくれる。いよいよ明日の手術に向けて緊張が高まってきた。
いつもは夕食前に来てくれるやっこが夕食が済んだ頃に来た。自転車で来たとのこと。二人でロビーに出てやっこの持ってきたぶどうを食べる。家にベッドを入れるべきかどうか悩むところだ。寝起きの時の腰への負担はベッドの方がはるかに少ない。
ロビーの七夕飾りに二人で短冊を飾った後、やっこは自転車に乗って帰った。七夕の日には、立ち上がって二人で肩をならべて星が見れるだろうか。予定では、7月9日にやっと座る訓練を始めさせてもらえるのだが、予定より早くなる人もいると言うので、そこに期待している。
夏の夜の涼しい風が心地良い。消灯時間まで独りで歩きまわろう。
消灯後、10時半ごろから左足に痛みを感じ始める。お尻のあたりからひざの裏までずっしりと痛い。ふくらはぎの皮膚がぴりぴりする。一番楽な横向きの姿勢をとろうとした途端に、左足全体がもぎ取られるのではないかと思うような激痛。仰向けになってしばらく痛みをこらえる。昨日までとベッドの配置が逆になったせいか、それとも昨日椎間板に注入した造影剤のせいだろうか。手探りでサイドテーブルの上に置いてある座薬を探すが、配置が換わっていてどこにあるか良く分からない。3時に飲んだ下剤が効き始めた時、痛みで立ち上がれないようでは大変なことになる。唇を噛み、息を整えてなんとか横向きの姿勢になる。今朝借りたばかりの読書スタンドのライトに手を伸ばし一瞬だけつけると座薬の場所が分かった。激しい痛みで早くなる呼吸を押さえて何度も深呼吸しながら座薬を使う。効かない。まったく効かない。まあいいさ、明日には手術でこの痛みともお別れだ。今夜一晩くらい何とか我慢しよう・・・などと考えているうちに、いつのまにか眠ってしまった。
6月25日。妙な夢を見て目が覚めた。手術前だと言うのに仕事が入り、仕方なく待ち合わせ場所に行くと、スタッフ用に弁当が用意してあり、ついそれを食べてしまう夢。手術が終わるまでは口に何も入れてはいけないのに。慌てて吐き出そうとして苦しんでいると、以前行ったことのある鍼灸院の先生が来て、ヘルニアは鍼で完全に直るのになぜ病院になど行くのだ、と怒られる。しつこく追いかけてくる鍼灸師を振り切り、あちこち逃げているうちに夕方になってしまい手術はできなくなってしまう・・・・。
5時に目が覚める。昨日の晩の腰の痛みはうそのように消えている。ゆっくりと起き上がり、静かにカーテンを開く。今日も天気が良いようだ。Yさんがベッドの上に置きあがり荷物の整理をしている。おはようございます、と小さな声で挨拶すると、実に気持ちの良い笑顔で答えてくれた。彼は今日退院なのだ。
6時。検温の時に看護婦さんが手術同意書を回収して行った。
7時。浣腸。看護婦さんと二人で車椅子用のトイレに入り、ズボンとパンツを膝まで下げて中腰になっているところに、巨大な浣腸を後から入れられるのだ。3分我慢してと言われるが、2分が限度。なんだかちゃんと全部出た気がしない。手術中にぶりぶり出てきたりしないのだろうか心配。
手術着を渡される。8時までに着替えておけとのこと。午後の手術なのに、そんなに早く着替える必要があるのだろうか。ともかくぎりぎりまで動いていたいのに。
8時半。予定通りの時間に点滴が始まる。もうパソコンを持って歩くことはできないが、本を読むのも身が入らず、集中できない。外に出て、会社や家に電話をかけてみる。11時。二本目の点滴。これは手術中も付けられているのだそうだ。
12時過ぎになって装具屋さんが、手術後立ち上がる時につけるコルセットのサイズを測りに来た。出来上がりは一週間後の朝で、実際の装着は医師の手で行うとのこと。僕は2週間のベッド上生活を予定しているので、それをつけるのは7月中旬頃となるだろう。
1時。パンツを脱いで「T字帯」に履き替えた。これは、細い紐に長方形の布切れが付いた、要するに「ふんどし」である。今後自分で立ち上がって着替えることができるようになるまでは、ずっとこれをはきつづけるのだ。ついに看護婦さんから招集がかかる。もう慣れてしまった筋肉注射を肩にうたれた。昼前に来てくれた親父とやっこに見送られてストレッチャーに乗る。案外落ち着いている。手術室の扉の前で記念撮影するやっこにVサインを送った。
扉が閉まり、いよいよ手術室へ。もう一台のストレッチャーに乗り換え、さらに奥の部屋へと廊下を進む。ストレッチャーを引いているいかつい体つきの人が、「黒木さんは、えーと、ヘルニアだったかな」と、僕の足をさすりながらたずねた。「はい」「どこが痛む?」「左足の、腿からひざの裏です」「ふーん。すると、3番4番だな」3番4番とは、脊椎の番号。脊椎の3番と4番の間の椎間板、と言う意味だ。しかし、僕のヘルニアは脊椎と、仙骨の間。L5S1と言うところにあるのだ。僕がそういうと、その人は、「ふーん。ま、後で開けてみれば分かるから」と恐ろしいことを言う。
そうするうちにも最後の扉が開き、手術台と、その上に円形に並んだ照明が目に入った。昨日の説明アルバムで見た麻酔機もある。主治医の先生を探すが、みなマスクをかけていて良く分からない。麻酔科のドクターが顔を近づけてきて僕の口にマスクをつけながら、「くろぎさ−ん、これは酸素ですよー」と、ゆっくり話しかける。ほかの人たちはガチャガチャと音を立てながら、色々と準備を進めている。指先にクリップのようなものが取り付けられ、右腕には血圧計らしきものが取り付けられた。
「くろぎさーん、これから眠くなるお薬が入りますよー。」頭の左側にしゃがみこんだ麻酔医が耳元に話しかける。「くろき」ではなくきちんと「くろぎ」と呼んでくれるところがこの人らしくておかしい。主治医の先生と一言話をさせてほしいと思ったけれど、ここまで来ては仕方ない。僕は目をつむった。右側で「血圧低いです、94です」「いや、これは違うと思うよ」「でも今、94って」という会話が聞こえる。「はい、黒木さん、だんだん眠くなってきますよー」麻酔医が頭の横でささやくが、まだ少しも眠くならない。右側では血圧の話をまだしている。「94ですよ。どこまで入れるんですか」「全量入れます!全量です」左側の麻酔医がいらついたように言った。ぼくは右側の人の方を向き、「94なら普通なんですよ。いつも低いですから」と言いながら目を開いたが、風景はぐにゃりと融けてブラックアウトしてしまった。
しかし突然強烈な尿意を感じて「すいません、ちょっと、ちょっとトイレ!」といって立ち上がろうとしたら看護婦さんたちが八方から押さえつけて僕をベッドに押し付けた。「大丈夫よここでしちゃって良いのよ」そう言っている人の顔を見ると母だった。なぜここに母が居るのか理解できない。また風景がぐにゃぐにゃとして、ブラックアウト。
左足全体が猛烈に痛い。股関節のあたりを左手で押さえている。ベッドが動いているような気がして、目を開くとやっこが嬉しそうな顔で見下ろしている。(その時撮られた写真)終わったのかな、と考える。「今何時?」「4時だよ」「本当?早かったね。早く終わったね」自分で言いながら自分の声ではないようだ。M婦長が笑いながら見下ろしている。何か話し掛けているようだが良く聞こえない。エレベーターのボタンが光っている。廊下の蛍光燈が通り過ぎていく。病室の扉にベッドがぶつかる。マスクをしたやっこと親父が並んで椅子に座っている。すべて非現実的な風景。何がなんだか良く分からない。
痛み止めの筋肉注射をうってもらい、ようやく落ち着いた。集中治療室の中だった。首の筋と腹筋がなぜかひどく痛み、顔を上げることが出来ない。やっこと母が居て、しばらく話をする。ヘルニアは1.5グラム取れたとのこと。二人が帰った後、もう一本痛み止めを打ってもらった。
手術後 寝たきり生活
6月26日。ろくに眠れないまま朝を迎える。左足に残っている痛みも手術跡の痛みも気になるほどではない。ただ、腰全体が重くだるく、じわじわと痛い。それと首の筋が、ちょうど寝違えた時のように痛い。腹筋も同じような筋肉痛がある。朝からやっこが来てくれる。すぐに回診。T字帯をはずし、ドクターの手で体をひねらないよう横向きにされる。腰の重い痛みが消えて気持ちいい。ドクターはガーゼをはがして手術の跡を見ると、「ああ、傷はもうぜんぜん大丈夫だね」と言って、明日以降に抜けるはずだったドレーン(手術した場所内部から出血した血液を外に流す管)を抜いてくれた。これが抜けると、自力で寝返りを打つことが許されるのだ。この後、体を拭いてもらい、手術着から浴衣に着替えた。
昼前、病室に戻る。腰が痛くて痛くてかなわないので、寝返りの練習をさせてもらう。腰をひねらないように体をまっすぐに一本の棒のようにして横向きにならなければならない。非常に難しい。この寝返りがなかなかできないのも、腰が重くだるいのも、ベッドの上に敷かれているクッションが体に合わないせいのような気がする。これは、手術の傷が痛まないよう、体重の重い僕が床ずれにならないよう、看護婦さんたちが僕の体に合わせてベッドの上に敷いておいてくれたものだ。看護婦さんに頼んでこのスポンジを抜いてもらったら、ものすごく楽になった。
スポンジを抜いたら、横向きになるのも非常に楽になった。何度かゆっくりと体の向きを変えてみた。横向きになっていると腰の痛みもほとんど消えて非常に気持ちよく、手すりにつかまってうとうとしてしまう。しかし、左側を下にして横向きになっていると、左足のももの裏側にぴりっと痛みが走った。手術前に比べれば軽いものだが、ヘルニアの痛みそのものだ。慌てて仰向けになってみるが、痛みはなくならない。せっかく手術をしたと言うのに、この痛みはずっと残ってしまうのだろうか。
夕方、待望のおならが出た。夕食をちょっとだけ食べることができた。
腰はまだ少し重く、熱も少しだけあるようだ。早めに眠ることにする。
6月27日。夜中に熱が高くなったようなので看護婦さんを呼び、氷枕をもらって眠ったが、4時前に目を覚ましてしまった。体がだるく、頭がひどく痛む。朝の検温の後、膀胱に入っていた「尿管カテーテル」を抜いてもらった。これで、体に取り付けられたチューブ類は、左手首に入っている点滴用の針だけになった。
朝食。鏡を使って仰向けで食べている最中に、左足の裏側の神経がぴりぴりと痛み始めた。膝を立てようとすると股関節のあたりを中心にますます痛い。手術前のような激痛が来るかもしれない、と思い、食事に集中できない。しかも昨日から続く頭痛も激しくなるばかりだ。まったく憂鬱になる。
10時前。耐えられずに頭痛薬をもらったら、あっという間に効き目が出た。もっと早くもらっておけば良かった。熱も下がって、病室の天井を気分良く眺めることができた。
本日の目標を「トイレ」と決めていたので、看護婦さんにやり方を教えてもらい、カーテンを閉めてチャレンジした。差込便器の中にトイレットペーパーを敷きつめ、寝たまま浴衣をたくし上げ、T字帯をはずして、便器をお尻の下に差し込んでふんばるのである。大変な重労働だ。30分がんばるがでないのであきらめた。
11時。麻酔医が来て手術後の問診。手術室の中で大きな声を出していた、とやっこが言っていたので聞いてみたら、手術後、ベッドに移す際に「ぼくおしっこ!」と言いながら立ち上がりそうになってしまったとのこと。みんなで押さえつけたら、「トイレに行く!」と言いながら必死に起き上がろうと何度も何度ももがいたらしい。首筋の痛みと腹筋の筋肉痛はその時のものだろう。「麻酔から覚める時にそんな風になっちゃう人は良くいるんですよ。ただ、黒木さんの場合は体がでかいし、力もあるから苦労しました」・・・・まったく恥ずかしい話である。
昼食を手伝いにやっこが今日も来てくれた。頭痛薬のおかげで、手術後初めてすっきりした気分で彼女と話すことができた。
午後、主治医の検査。左足の痛みについては問題ないとのこと。足首を伸ばしたりそり返したりする力は回復している。ただ、足を上げる時に痛みが走るのだ。このような痛みは、僕ぐらいの年の人には残ってしまいやすいと言う。ベッドの上にやぐらを組んで滑車を使って少しずつ足を上げる練習をしてみよう、と言われた。手術の傷が完全にきれいになる来週あたりからはじめることになった。
洗濯物などのためにいったん家に帰ったやっこと入れ替わりに、父がメロンを持って来た。うろうろと病室を出たり入ったりしながら、しきりに「康子さんはまだか。まだ来ないのか」と言っていたと思ったら突然帰ってしまった。いったいだれに会いに来たんだかわからない。
夕方遅くなって友人二人が入れ替わりに次々と見舞いに来てくれた。あんまり人様に見せたい姿ではないが、非常にうれしい。
トイレに再度チャレンジしたがうまく行かず。今夜は便秘薬を飲んで寝ることにする。目標を持って一日を過ごすと時間が経つのが早い。明日も引き続きトイレにチャレンジだ!!
6月28日。また微熱が出てしまった。朝食は、以前の病室で同じヘルニアで寝たきり食だったTさんに何度もきかされていた「納豆ご飯」。仰向けではとても食べられない。ついに来てしまったか、と言う感じである。枕の横にお盆を置いてもらい、横向きになって食べた。しかし、糸を引く納豆を横向きで食べるのは、まったく「苦行」以外の何者でもない。
昨日あんなに苦労した「大」は、午前中あっさり二回も出た。とりあえず目標は達成だ。
やっこはまた今日も昼から来てくれて、食事や着替えを手伝ってくれた。土日は体を拭いてもらえないので、それもやってくれた。ついでにドライシャンプーで髪も洗ってくれた。まったく感謝感謝。彼女が神様のように見えるのだった。
台風8号が近付いているせいで、窓の外は荒れ模様。見舞い客が少ないらしくて病院の中はとても静かだ。今日はやっこのお父さんと、うちの母だけしか来なかった。心配なのでやっこにも、雨が本降りになる前に帰ってもらった。しかし、その後寝返りをうとうとしてベッドの横の柵がはずしたままなのに気づき、非常に慌てた。それがないと横向きになれない。横向きにならないとテレビが見にくいのだ。そして今日は9時からどうしても見たい番組があった。看護婦さんに頼んで柵をつけてもらったが、今度はテレビのプリペイドカードの残量がない。手術前にもう一枚買っておいたはずだが、手の届く範囲内にはないようだ。食事用の鏡を使ってテレビの上なども見てみるが、見つからない。仕方がないからとりあえずカードの続く限り見ようとテレビの電源を入れたら、神戸の小学生殺人事件の犯人が捕まったと言う臨時ニュース。
テレビをあきらめ、夜中までずっとラジオを聞いて過ごした。まったく情けないことである。
6月29日。朝から左足を上に上げる練習。痛くて15度くらいにしかあがらない。しかしベッドの上に渡すテーブルに乗せてしばらく休んでいるうちに痛みが消えて30度くらいまでは上がるようになった。効果はあるようだ。このテーブルの上から少しずつ上に上がるように練習をしていたら、夕方には大分上がるようになってきた。
午後、友人のWが、リクエストしておいたダンベルを持ってきてくれた。2キログラムのもの2個。大分軽いがリハビリのはじめにはちょうどいいだろう。T嬢はじめ会社の後輩たちも来てくれた。やっこも加わって、いきなり昨日とは打って変わったにぎやかさだ。T嬢の相変わらずのとぼけた話に久しぶりに大笑いさせてもらった。
6月30日。昨日もらったダンベルも使って軽い運動のメニューを考える。片足ずつの足上げ。腰に負担をかけないよう肘をついての腕のカールなど。しかし回診の際にこのメニューを主治医に言ってみたら「もっとやれ」とのこと。特にダンベルを使った腕の運動はなんでも遠慮なくどんどんやって良いそうだ。
薬剤師の問診(?)。痛み止めと筋肉弛緩剤はそのまま飲んで欲しいとのこと。手術後も、リハビリで筋力が戻るまでは、手術前と同じ痛みや痺れがあるのが当たり前だ、とのこと。「座薬も使ってますよね」と聞かれた。しかし座薬はICUに居た時以来使っていない。座薬を使わなければ耐えられないほど痛みが残る人も居るそうだ。それに比べれば僕はだいぶ症状が軽いらしい。
えらく気が楽になり運動にも力が入る。明日は筋肉痛かもしれない。
今日からやっこは一日一回夕方にだけ来てくれる。6時の夕食が始まる前に来てくれて、面会時間が終わる8時までの2時間だけ居てくれる。何をするでもなく、ただいっしょにテレビを見たり、世間話をして過ごした。
7月1日。入院から手術まで居た部屋で、今の僕と同じ寝たきり生活をしていたTさんが、歩行機につかまって会いに来てくれた。今朝から起き上がることを許可されたのだそうだ。嬉しそうな顔で廊下を歩きまわっている。僕が起き上がれるのは8日後だ。彼が退院するのはもう一週間以内のことだろうから、結局僕とTさんは一緒に立ってお話をすることはないのだ。
回診で主治医の先生に思いっきり足を持ち上げられた。痛くはないのだが、また以前の痛みがまた来てしまうのではないかと思うとどうしても抵抗してしまう。30度くらいしか上げられなかった。しかしその後しばらくは左足の裏の神経痛を感じないで過ごせた。
昨日考えたトレーニングのメニューを早くも今日は倍にしてやってみた。1セット50回を100回にし、さらに腕のカールは2キロではあまりにばかばかしいのでダンベルを二つ同時に持ってやることにした。点滴の合間に何セットかやって大汗をかいてしまった。
夕方親父が来る。あきらかにやっこの時間に合わせてきたのだ。まったく笑える話だが毎日のように来てくれるのは本当にありがたい。程なくやっこも来ていつものように夕食を付き合ってくれた。親父が帰った後、二人で「くずもち」を食べた。寝たまま食べるきな粉まぶしの葛餅の食べにくさ!笑いながら二人で半分ずつ食べた。
7月2日。昨日はほとんど横向きで寝た。そのせいかどうか、朝起きた時、左足の痛みもしびれもまったく感じない。このまま一日もつと良いな、と思っていたら、朝食の頃からだんだん痛くなってきた。しかし、着実に昨日よりは今日、今日よりは明日、と言う具合に良くなっているのがわかる。
朝の検温の際に足用の1キロ程度の重りを持ってきてもらうように看護婦さんに頼んだ。しかし1キロではちょっと物足りない。2キロにしてもらう。右足は2キロの荷重で問題なく上がるが左足は30秒も上げておけない。とりあえず30秒を目指して練習することにする。
回診で爪先の反応を見られた。先生が左足の親指を向こうにぎゅっと押し、それに抵抗するのだが、どうもうまく力が入らない。先生は「問題ない」と言うが、こんな事で本当に問題はないのだろうか。
左足の爪先をくるくると回してみようと思うがなかなかうまく行かない。そう言えばずいぶん前から左足でサッカーボールを蹴ってもコントロールが定まらなくなっていた。元々右利きだからキック力は左の方が弱いに決まっているが、コントロールは足首から先の微妙な動きでつけるものだ。あの頃からもう麻痺が始まっていたのだろう。
筋力をつければ元に戻る、と先生も言っていた。ともかくトレーニングをがんばることにしよう。
今日は手術からちょうど一週間。立ち上がる時に必要なコルセットが納品されるはずである。病院や医師によってはコルセットが納品されるとすぐにそれを着けさせて、歩く許可をくれると言う。実は回診の時にその事を聞いてみようかと思っていたのだが、今日は僕の主治医の回診はなく、聞きそびれてしまった。
しかし、昼過ぎ。病室に装具屋さんが来て、「先生いらっしゃらないから黒木さんに直接」と、出来上がったコルセットを置いていった。「これをつけて立ち上がる練習をするのは、来週ですよね?」と聞くと、装具屋さんはメモを見ながら「来週?変ですね・・・あ、ともかくそれをつける判断をするのはお医者さんですから」と、気を持たせるようなことを言って去ってしまう。
夕方には婦長さんが来て「明日からつけるコルセット来てますか?」と聞く。「ふ、婦長さん明日なんですかっ?!」「あら明日じゃなかったかしら。でも、回診の時につけるのよ」「明日の回診ですか?明日から歩けるんですかっ!?」「それは先生に聞いてみて下さい」「で、でも予定では来週なんですよ」「あら。そうだったかしら。じゃあ来週の間違いかもね。でも先生次第だしねえ、確認してみて下さいね」・・・・ますます期待を膨らまされるのだった。
7月3日。今日もまた朝食は納豆ご飯だった。看護婦さんに頼んでたれとからしを入れてかき回しておいてもらい、ご飯にかけて枕の横に置き、スプーンで食べた。前回よりはうまく食べられた。
待ちに待った回診。いつものように手術跡の消毒しかしないで行こうとした先生に、昨日の婦長さんが「先生、コルセット来てるんですけど」と言ってくれた。しかし先生は「ああ、黒木さんは来週ですね。えーと、9日でしたね、コルセット使えるのは」と、あっさり。それまでは眺めて暮らせとのこと。まったくひどく落胆。本当にがっかりだ。
まあ、まだ読みたい本もたくさんあるし、我慢しよう。こんなにゆっくり本が読めるチャンスはめったにないのだ。
午後、看護婦さんに頭を洗ってもらった。ベッドを部屋の真ん中に出し、小さなビニールのプールのようなものを頭の下に置いてシャワーでていねいに流してもらうのだ。手術前日以来だからすごく気持ち良い。自分の寝ている病室を久しぶりに違う角度から見れた。良い気分転換。
寝たきり生活も折り返し点を過ぎた。あと6日。本でも読みながらなんとか暮らそう。
夕方から重い気分に浸り、ふさぎ込んでしまい、見舞いに来てくれた母ともろくにしゃべらなかった。良くないことだ。夕食時にいつものようにやっこが来て少し気分が晴れる。夜は久しぶりに消灯後までテレビを見て過ごした。「深夜特急97」。いつかまた、僕もバックパック背負ってあちこち旅することが出来るだろうか。
7月4日。体に入っていた最後のチューブが抜けた。点滴用の針だ。手術の直前から左手に刺さっていたのだ。
今日はあまりいらいらしないように昼食はしっかり食べた。手術後毎日昼と夜は主食(ごはん)を食べないでいたのだ。しかし腹が減るとどうしても怒りっぽくなってしまっていけない。夕方にはやっこのお父さんがもって来た豆大福を食べた。間食をするのも久しぶりだ。精神安定のために間食も解禁するのだ。しかし太ってしまうかな。
近所に住むシーカヤッカーのMさんがケラマでのツアーの写真を持ってきてくれた。体に悪い。すぐにやっこも来て3人でカヌーの話をしばらくする。
夕食後、テレビを見ているうちにうとうとしてしまった。その間にいつのまにかやっこは帰ってしまったようだった。10時ごろまで本を読んで過ごした。
7月5日。昨日寝る前に便秘薬をもらって飲んだが、あまり効き目はなく、差込便器に落ちる便の音が「コン。カン!」と響くほど。このままでは浣腸のお世話にならざるを得なくなる日も近いかもしれない。果物をたくさん食べよう。
回診で、抜糸はいつか?と聞いてみた。予定では来週の水曜日、立ちあがる日だとは聞いていたが、おとといあたりから傷口が少しかゆく、違和感を感じていたためだ。すると、先生は「黒木さん傷がすごくきれいだからね、もう抜いちゃおうか」と、抜糸をしてくれた。当初の予定より4日も早い。ぷちぷちぷちと背中に痛みを少々感じた程度で終わる。婦長さんが抜いたものをティッシュにくるんでくれた。みると、それはただのホッチキスの芯。そんなものが6本も体に刺さっていたのだ。
看護婦さんから「頭を洗うの今日にしましょうか、来週にしましょうか」と聞かれたので、「もちろん今日!」とお願いした。おととい洗ってもらったばかりだから本当は来週でもかまわないのだが、本来立ち上がる直前に行うはずの抜糸が今日だったのだから、ひょっとすると次の回診の時、つまり月曜日には「もしかして」と言う期待があるのだ。立てるようになったらすぐにシャワーを浴びさせてもらおうと考えているのだ。
今回は病室の中のベッド上でではなく、ストレッチャーに乗って洗面所に連れていってもらった。苦労して横向きになってストレッチャーの上に寝返りを打つような格好で乗り移ると、僕の体重でストレッチャーのサスペンションが沈みきってしまい、ほとんどベッドから落ちるような状態になってしまった。しかも僕には幅も長さも足りない。身をすくめるようにしてストレッチャー上に収まると、部屋の外に運び出してもらった。ICUから帰って以来10日ぶりの部屋の外だ!首をそらしてまた持ち上げて、廊下の端から端まで見渡した。突き当たりの窓から見える外の風景がえらく新鮮に見える。手術前にやっこと話をしたあのベランダだ。あと4日。4日間待てばあそこまで歩いて行けるのだ。

洗髪中にやっこが来たら、ストレッチャーでどこかに連れていってもらっても良い、と言われたので期待していたが、結局彼女が来てくれたのは昼前。僕はもうベッド上に戻されていた。自転車で来たとのこと。日焼けして顔が赤い。外は相当暑いらしいのに、疲れてしまわないか心配だ。
午後、やっこがいったん家に帰っている間に会社の先輩が夫婦で来てくれた。年末に僕たち夫婦と行った西伊豆のシーカヤックの写真を持ってきてくれた。・・・・体に悪い・・・。
入れ替わりにカヌー仲間のY氏も来た。夕食前にはやっこも戻り、それに合わせたかのように(たぶん、本当に合わせたのだろう)うちの親父も来て、にぎやかになったところで、行き付けのすし屋からの出前が届いた。顔見知りのアルバイトの青年が「親父さんから、お大事にと言うことでした」と持ってきてくれたのだ。入院前日にやっこと行ったすし屋である。まったくうれしい限りだ。まさか病院で江戸前の握り寿司が食えるとは夢にも思わなかった。ほかのベッドの人にもおすそ分けしてちょっとした立食パーティーになった。僕だけは「寝食」だが・・・。
あと4日で立って歩ける。それまでは寝ているわけだが、もうここまで来ると「根気」と「努力」の世界だ。「早く歩きたい」と言う焦りと「今立って本当に痛みは出ないのか」と言う不安で精神的にとても不安定な状態になってしまっているのが自分でわかる。足の痛みは普段気になるほどではないし、時々はまったく感じないこともあるのだが、寝返りを打つ時などまだまだ痛むし、ひどい痛みが走ることさえ時にはあるのだ。・・・・これが本当に立って歩き始めれば消えてしまう痛みなのだろうか。消えなかったら僕はもう一度手術をしなければならないのだろうか。・・・・そんなことを考え始めるとだんだん無口に、不機嫌になっていってしまうのだ。今後の数日間はこの辺のメンタルな部分を自分でコントロールしながら過ごさないと限界になってしまう。いや、昨日一昨日はほとんど限界に近かった。医師はこの辺のことなど考えずに「2週間」と言う期間を設定したんだろうな、と思う。今日のような「ストレッチャーでのちょっとしたお出かけ」などをこの2週間の中のメニューとして入れておいてくれれば、どんなにか気分も楽になるだろう。
今日は洗髪から帰って以来、目が回るような気分が続いている。ストレッチャーから戻る時、勢い余って「うつぶせ」状態になってしまったのが原因のような気がする。余計なことは考えないでもう寝よう。
7月6日。朝からおなかがごろごろしている。昨日寝る前に前回とは違う便秘薬をもらったのだが、それが効いたようだ。朝食後と昼食後の二回も出て、おなかの中が一掃できたような気がする。2回目の前、焦りながらトイレットペーパーを探しているうちに、ほんの数秒間だが無意識に45度ほど起き上がってしまった。特に腰の痛みなどない。めまいもまったく感じなかった。
そう言えば今日は朝からほんの少ししか痛みを感じなかった。顔をしかめるほどの痛みは、ベッド上の位置を変えるため、お尻をずらした時と、左足を上にして寝た時の2〜3回だけだった(一昨日まで、痛むのは左足を下にして寝た時だった)。それも、実際に痛かったから顔をしかめたわけではなく、痛みの予感に反応しただけだったかもしれない。
昼過ぎにやっこが来て体を拭いてもらう。日曜日は看護婦さんに清拭をしてもらえないのだ。昨日から浴衣をきちんと着ている。手術後から昨日の朝までは、浴衣は後ろ前に着ていた。その方がトイレや清拭の際に楽なのだ。しかし土日はお見舞いに来てくださる方が多いし、何より少しでも普通の生活をしたいので、昨日看護婦さんに普通に着る許可をもらったのだ。今日もやっこに普通に着せてもらった。
ちなみに、今着ている浴衣は僕にぴったりのサイズなのだが、商品名を「おねまき・肥満体」という。
3時ごろからたくさんの人たちがお見舞いに来てくれた。まず、カヌーの仲間たち。インターネットで知り合った友人。高校の同級生たち。やっこのお兄さんと婚約者。メールのやり取りはしていたものの、今日初めて会う人も来てくれて、なんだか恐縮。皆さんありがとう。いただいたお見舞いの品は、和菓子・洋菓子、花。それに日本酒二本と精力剤。・・・まったくもう!でも本当にありがとうございました。
みんなが帰った後、やっこが色々と片づけをする。あれだけの大人数が来てくれた後だけに大変そうだ。僕は横になってテレビを見ているだけ。手伝いたくても手伝えないのだ。やっこの荷物を少しでも減らすべく、お菓子を一生懸命食べてあげるくらいしか出来ない。
やっこの帰った後、少々左足が痛み始める。体勢を変えようとする時に痛むようだ。つまり腰をひねる、というか腰を左右にゆするような動きの時に痛むような気がする。
まあとにもかくにも、あと3日だ。あと3日で立ち上がれるのだ。それまでゆっくり直しておこう。
7月7日。七夕である。やっこといっしょに立ち上がって星を見たいと思っていたが、今日の回診では先日抜糸した手術跡の傷に貼ってあったバンソーコをはがされただけ。「もうちょっと我慢してね」と言って主治医は行ってしまった。
そう期待はしていなかったが、その後一時間ほどダンベルを持ってじたばたベッド上で暴れた。
やっこの持ってきてくれた「ラスカル」、親父の持ってきてくれた住井すえさんの本二冊、あっという間に読み終わってしまう。やっこのお兄ちゃんが持ってきたインターネット関係の雑誌なども読んでみるが、すぐに飽きてしまう。小説が読みたい!時代小説が読みたい!!
7月8日。長い間ほとんど同じ格好で寝ていたので、何日か前から、ベッドが「サイコ」のラストに出てくるベッドみたいになってしまった。ミイラの形に窪んだあのベッド。おかげで安眠できない。昨日は夜10時前に同室の中学生のI君が窓を開けてしまったため(彼は冷房が苦手らしく、記録的な猛暑が続いている最近の昼間でも、病室や廊下の窓を全開にしてまわるのだ)、一晩中暑くて良く眠れず、ベッドの柵につかまってごろごろとずっと横向きで寝ていた。そのせいか、今日は朝からずっと左足の裏側の神経痛が痛む。足首の先に時折しびれも感じる。これは本当に久しぶりのことだ。おとなしく仰向けで寝ていれば直ると思うのだが、ベッドがあまりにも寝づらくてつい体を動かしてしまう。立ち上がらせてもらいさえすれば・・・。いらいらの限界。
回診。抜糸も済み、バンソーコもはがされた僕には特にやることもなし。ま、あと一日がんばって、と言われただけ。そう、あと一日なのだ。
昼食は鶏肉をセロリと玉ねぎといっしょに蒸し焼きにしたもの。やっこが良く作ってくれるものに似ていた。ご飯もほとんど食べた。早く家に帰りたい。
明日の回診の時間を看護婦さんに尋ねた。回診の時にベッドを起こしてもらえるのだ。その後、しばらくベッド上に座ったあとで歩行訓練を始める。起こしてもらう時間が遅ければ、明日中に歩けなくなってしまうかもしれない。なるべくなら午前中の早い時間に起こしてもらいたい。しかし、明日は手術があるので、回診は午後になるだろうとのこと。残念。
7月9日。昨日の晩は遠足前の子供のようにうきうきして眠れなかった。5時ごろには目がさえてしまい、読み掛けの本を読みながら起床時間を迎えた。
朝の検温。回診の時間を聞くと、やはり昨日言われたとおり、手術の都合で午後になるだろうとのこと。
朝食、清拭、トイレ、と、ここの所いつもと同じ朝の時間が過ぎていく。
しかし9時30分。「これから整形外科の回診を始めます」と言う放送が入ったのだった。
10分ほど待っていると、主治医の先生が一人で入ってきて「ゆかたを脱いでシャツに着替えて」と言う。そんな事を言われても、ゆかたを一人で脱いだことはないし、シャツだってやっと手の届くかとどかないかと言うところにおいてあるのだ。しかし先生は手伝ってくれず、苦労して一人でシャツを着た。横向きになって、先生の手でコルセットをつけてもらう。想像していたよりだいぶゆるい。先生は外来での診察が待っているのか、ベッドを調整して膝を折って座るような格好にすると、「じゃ、しばらくはこのままね」と言い残してあたふたと行ってしまった。
久しぶりに頭を上げた。軽いめまいを感じながら窓の外を見ると、寝たままでは先端しか見えなかった木々のこずえのすぐ下に、電柱やテレビのアンテナがあるのに少し意外な思いがした。そこはずっと大きな森か何かの一部だろうと思っていたのだ。
病室の、ほかの人たちが「姿を見せろ」とうるさいので、枕元の棒をとってカーテンを開けてやったが、その時初めて自分が上はシャツとコルセット、下はT字帯一枚だけという格好でいることに気づいた。みんなその姿を見て大笑いする。
昨日やっこが用意しておいてくれた甚平の上だけを、看護婦さんに手伝ってもらって羽織ったところで、医長先生の回診が来てしまった。先生は真っ直ぐ僕のところに来て、「じゃあ、立ってみようか」と言う。「ベッドから足を下ろして立ってみて」と、うむを言わせぬ口調で命令され、僕は素足のまますっと、それはまったく本当にあっけなく立ち上がって病室の真ん中まで3歩ほどで歩いていってしまった。足ががくがくするとか、痛みを感じるとか言うことはほとんどなかった。先生は「ほほう・・・」と、感心したように言ったが、僕の着替えを手伝ってくれていた看護婦さんが「超ミニスカ・・・・」と言って笑い出すと、先生も看護婦さんも、病室のほかの人たちも大爆笑を始めた。僕はまだ甚平の下を履いておらず、短い甚平の下から白いT字帯が覗いている、というセクシーな格好だったのだ。「宮沢りえちゃんみたいだねえ」と、僕の隣のSさんが言うと、再び全員大爆笑。
「ま、今日は歩行機か何かを使ってね、なるべく無理をしないようにね」と、先生が言うので、パンツに履き替えた後でさっそく歩行機を持ってきてもらい、体重をはかりに行った。最初は歩行機などまったく必要ないように感じたが、10歩も歩くとお尻やももの裏側の筋肉が早くも筋肉痛になり、歩行機にもたれるようにして進まなければならなかった。同じ病室の人全員と、前の部屋でいっしょだったTさんも後からついてきて体重計を覗き込む。87キロ。約2キロ減だ。毎日食事を自主制限して、10キロくらいは減っているかと思ったのだが・・・・・。とりあえず「減った」と言う事実だけは評価してもらおう。
体重計のある「処置室」で看護婦さんに足を洗ってもらっている間、ぴりぴりと左足の裏側に痛みが走った。股関節のあたりもやはり痛む。どうにも暗澹たる気分になってしまった。いったいこの痛みは治ることはあるのだろうか。
テレフォンカードを取ってきて、ロビーまでもう一度出かける。やっこの嬉しそうな声。今夜からはロビーで向かい合って食事をしたり、二人でベンチに座って話をしたり出来るのだ。そして、もうすぐ家に帰れるのだ。
昼食は久しぶりに座って食べた。上から食べて下から出す。当たり前の生活のありがたさよ!!
昨日まで来ていたゆかたや下着をコインランドリーに行って洗濯した。TさんやIくんに何枚も記念写真をとってもらった。
午後、会社の上司が辞令と新しい肩書きの名刺を持ってきてくれた。課長、部長、取締役の3人。しばらくロビーで話をしたが、どういうわけか途中で声がうまく出せなくなった。今まで寝たまま喋っていたのが、急に縦になったからだろうか。仕事はどうなっているか尋ねたいと思ったが、どうも言い出しにくく、結局最後まで仕事の話はせずに、病院生活のことばかり話してしまった。
やっこが来て、二人でロビーに出て向かい合って夕食。お見舞いに頂いたフルーツも切って食べた。本当に久しぶりに彼女と向かい合って食事をした。
食事の後、ベッドに戻って横になろうとしたら、左足の裏側にびりびりと痛みが走った。横向きになろうとして体を動かすとまた痛む。立ち上がると痛くないので、Iくんに車椅子を借りてロビーに出て友人たちに電話をかけたりメールを送ったりして時間をつぶした。
7月10日。昨日はベッドの窪んだ部分に体がはまると左足に痛みが来るので、夜中まで窪んでいない部分を探し、横になってみたり枕の位置を変えてみたり。体を動かすたびに神経痛の痛みが出る。雨が降り始めたおかげでだいぶ涼しかったのだが、おかげでろくに眠れなかった。
5時半過ぎにトイレのために起き上がった。首に激しい筋肉痛がある。どこかに筋肉痛が来ているだろうとは思ったが、まさか首がこんなに痛むとは思いもよらなかった。足には筋肉痛はまったくない。毎日のトレーニングのおかげだろう。首もそれなりに動かしてはいたが、きちんとトレーニングをしておけば良かった。隣のベッドのSさんは今日退院の予定で、もう起き上がって荷物の整理をしていた。手術前日のYさんみたいだ。
朝食後、すぐに「大」が出た。昨日までいつもあんなに苦しんでいたのに、立ち上がった翌日にはもういつもの体のリズムに戻っているのだ。
今日は昨日のはしゃぎすぎを反省して午前中はずっと横になって過ごした。看護助手さんがベッドの窪みを直してくれたので、寝ていても痛みはない。直した、と言ってもマットの下にダンボールを3枚ほど入れてくれただけなのだが。こんな簡単なことだけで、ベッドの上で体勢を変えても痛みが出なくなった。
昼食後、隣のSさん、前の部屋でいっしょだったTさんが相次いで退院。歩行機を使ってエレベーターで一階まで行き、お見送りをした。なんだか寂しい。その後、エレベーターで3階に戻ったが、ホールに歩行機を残して4階まで階段で行ってみた。まったく問題なく上り下りが出来る。そのまま一階まで降りてまた3階へ。3往復してみたが息も乱れない。
やっこは今日、職場の宴会があるので、夕方来てすぐ帰ってしまった。階段を降りて病院の前まで送っていった。
明日はシャワーを使わせてもらえる。コルセットをはずして椅子に座ってのシャワーなので、夫婦で看護婦さんの指導を受けながらの入浴となるそうだ。うれしいけどちょっと複雑。
父が来てロビーでしばらく話をした。父とも久しぶりに向き合って話す。父は珍しく30分ほども話をして帰った。やはり階段を降りて父を玄関まで見送ったあと、玄関横の休憩室の前を通ると、暗い部屋の中で10人ほどの高校生くらいの男女が一心に折鶴を折っているのが見えた。玄関ロビーにも同じような年頃の男女が無言で何かしていたのを思い出す。喫煙コーナーを覗くと、そこでも茶パツの兄ちゃんたちが小さな折り紙と格闘していた。ほかの人の見舞いに来たらしいくわえタバコのおっちゃんが二人、それに手を貸してやっていた。カメラを持ってくれば良かったなあ、と思った。
7月11日。昨日は11時過ぎまで「アンダーグラウンド」を読んでから寝た。ベッドの窪みを直してもらったおかげでぐっすりと眠れた。そのため、朝の検温を知らせる放送を聞き逃してしまい、看護婦さんに起こされてしまった。入院以来6時過ぎまで眠っていたのは初めてだ。
昨日もらった湿布薬のおかげで首の痛みは少し収まってきたが、こんどは頭が時折激しく痛む。左足の痛みは昨日よりほんの少しだけ軽くなってきたような気がしたので、朝は痛み止めの飲み薬を抜いてみた。
洗面所で顔を洗おうとして無意識に前かがみになり腰が支えられなくて危うく鏡に頭をぶつけそうになる。まだ手術の時にはがした背中の筋肉がくっついていないのだ。危ない危ない。手で姿勢を立て直して鏡を見ると、真っ直ぐ立っている自分の姿が見えた。手術前には前から見ても横から見ても「く」の字に曲がっていたものだが、今はもう背筋を伸ばして真っ直ぐ立てるのだ。
回診の時、寝ている姿勢から立ち上がってみようとしたら、腰の手術跡から足の先までびりびりと痛みが走った。耐えられないほどの痛みではないが、わりとキツイ痛みだ。「手術後1ヶ月か2ヶ月くらいは痛みが残るものですよ。心配ありません」「でも、痛みの原因はなんですか?ヘルニアはもうないんですよね?神経の炎症ですか?」「いや、はっきり言って原因は良く分からないんですが、皆さん痛みは残ります。でも、だんだん痛みのピークが低くなっていくような感じでしょう?」確かにそのとおりで、1日ごとに「一番痛かった時の痛み」つまり明け方か夜中の痛みは少しずつ軽くなっているような気がする。ただ、今朝は痛み止めを飲まなかったのでちょっと強く感じるだけなのだろう。そう言うと先生は「まだしばらくは痛み止めを飲んでおいたほうが楽ですよ」と言うのだった。昼食後から薬をまた飲むようにした。
看護婦さんから今夜のシャワー浴の説明。まず、浴室内と浴室の入り口に椅子を用意する。この二つは、それぞれ手の届く範囲内に置いておかなければならない。浴室の入り口に置いた椅子の上にはバスタオルを用意しておく。脱衣場で下を脱ぎ、フリチン状態で浴室の中の椅子に座る。下半身を洗った後、頭と体を洗う準備をすべて手の届く範囲内に整え、コルセットをはずし、浴室の入り口に置いた椅子の上に置く。上半身を洗ったらバスタオルを取って体を拭き、コルセットをつける。その後、下半身を拭いて立ち上がり、パンツをはいて終了だ。実際には今日はやっこが来てくれるから良いが、ひとりでやろうとすると結構めんどくさそうである。
2キロの砂嚢を足につけて歩き回ってみた。寝たきり生活中毎日これでトレーニングしていたおかげで、立ち上がってすぐに歩くことは出来たが、やはり筋肉の衰えは激しい。特に大腿部の裏側は悲惨で、すっかり老人のような足になっている。少しでも早くこの筋肉を元に戻したくて砂嚢をつけたまま階段を上り下りしてみた。3階から1階まで3往復。結構きつい。ベッドに戻って2キロの負荷をかけたまま片足づつの足上げもやった。が、今まで歩き回ってきたせいですぐに疲れてしまった。
Tさんの退院したベッドに、体育の授業で腰椎を圧迫骨折した高校生のH君が入ってきた。やはり2週間の寝たきり生活になるそうだ。トイレのことや洗顔のことなど、えらそうに講釈してしまった。
夕食後、いよいよお風呂だ。結局看護婦さんの監視はつかず、やっこと二人で入った。17日ぶりのシャワー。生き返るような気分だが、やっこにとっては大変な重労働だ。特に我が家の狭い風呂では、非常に難しいだろう。これは毎日やってもらうわけには行かない。これからまだまだ暑い季節、リハビリで汗を流すだろうから、つらいところだが。
7月12日。昨日は消灯後に少し右膝が痛んだ。実は何年か前にオフロードバイクの練習中、右膝の靭帯を傷めたことがあるのだ。その古傷を、昨日の2キロの砂嚢をつけた階段上りでいためてしまったのだろう。考えてみれば当然のことだ。そこで今朝は朝の検温から朝食までの時間に、負荷をかけずに1階から5階まで階段を往復してみた。3往復。しかし、もうこれだけで膝が笑ってしまう。砂嚢をつけなくてもトレーニングの効果は大きいようだ。これからは腰の痛みや神経痛を感じない限り、なるべく長く、時間をかけて歩くようにしようと思う。
朝から神経痛はまったく感じない。しかし、昨日のこともあるので、痛み止めはしっかり飲んだ。
友人たちから「午後見舞いに行く」というメールをたくさんもらっているので、とても楽しみだ。みんなに元気な顔を見せるためにも痛み止めは飲んだほうが良いだろう。
午後、まず横浜方面からM氏とH氏が来た。H氏の土産はまたまた日本酒。まったくもう・・・。M氏には時代小説の文庫本をたくさん頂いてしまった。感謝感謝なのだ。二人と入れ替わりに地元の友人TちゃんとS氏が現れる。(後で考えるとM氏とS氏は同じI社の関係者なのだ!ちゃんとご紹介しないでごめん!>両氏)皆さんから頂いた果物を食べ、ばか話をしているうちにあっという間に午後の時間は過ぎていった。退屈な土曜の午後を楽しく過ごすことが出来て本当にうれしかった。
今日はさすがに疲れてしまい、やっこと差し向かいで夕食を食べているあたりから足や腰や首など、あちこちの筋肉痛が出てきてしまった。しかし、神経痛の痛みは、お尻の裏にほんの少しだけある程度。あるいは痛み止めの薬のおかげかもしれないが、もう大丈夫だろう。
7月13日。ひどい筋肉痛。昨日の階段上り下りが効いたらしい。だからと言って何もしないでいてはますます筋肉痛が激しくなるばかりだから、今日も朝食前に階段上りを行った。しかし、1往復半で精一杯だった。今日は平たいところだけ歩くことにし、僕のいる整形外科病棟のある3階をうろうろ。しかし、すぐに飽きてしまい、売店などのある1階へ。そこも2周もするとばかばかしくなって、救急入り口から外に出て、病院の周りを一周してみた。じめじめとした、今にも降り出しそうな天気ではあるが、久しぶりの外気はとても気持ち良い。
午後から会社の友人たちがたてつづけに来てくれた。親友たちとの久しぶりの会話につい時を忘れ、気がつくと3時間近く同じ場所に座っていた。そのためか、腰が重くだるくなってしまい、しばらく寝ていなくてはならなくなってしまった。昨日と言い今日と言い、張り切りすぎには用心しなくては。
夕食後、コルセットがきつく感じたのでベッドに横になってコルセットを外した。その状態で寝返りを打ってみると、やはりお尻の裏側が少しだけぴりぴりと痛む。
首の筋肉痛はほとんどなくなり、こちらはだいぶ楽になったのだが、その痛みが今度は頭にまわってしまったようで、偏頭痛が始まってしまった。手術直後の何日かと同じような状態になりそうだったので、看護婦さんに頭痛薬をお願いして、飲ませてもらった。
この土日は張り切りすぎて歩き回りすぎたせいで、ひどく疲れた。今夜は早目に眠ることにしよう。
7月14日。昨晩、寝る前に電話をかけていたら、重症者の病室からストレッチャーに乗せられた人が出てきた。一緒に出てきた人たちの様子が変なので、良く見てみたら、顔に白い布がかけられている。僕の電話の終わるのを待っている人がずいぶん多いので、へんだなあ、とは思っていたのだが・・・。大して長電話していたわけではないが、悪いことをしてしまった。それにしても、あらためて「自分は病院にいるんだ」と言うことを実感させられた。
今日は回診が午後になると聞いて、朝から病院の周りをぶらぶらと歩きまわっていたが、同室の中学生のI君が「ベッドの位置を変えたいから戻れって、看護婦さんが呼んでるよ」と車椅子で伝えに来てくれた。圧迫骨折で隣に入ってきた高校生のH君が、僕と同じ2週間の寝たきり生活になると聞いていたので、窓際の僕の位置と交換してもらえるように一昨日看護婦さんに頼んでおいたのだ。外の景色が見えると見えないとでは相当違うはずだ。それに、僕はもうすぐ退院できるはずだから。
急ぎ足でエレベーターホールに行くと、エレベーターはすべて上の方の階に行っており、待っている人たちの列が出来ている。これは時間がかかるな、と思い、焦って階段を駆け登った。・・・そう、無意識に3階まで階段を走って上ってしまったのだ。部屋に戻ってしばらくベッドに座っていたが、特に痛むところはない。まったく痛むところはない。
既に一昨日からベッドの位置を換えるために荷物をまとめてあったので、ベッドの交換はすぐに終わった。今日からまた、手術前と同じ、カーテンに囲まれた狭いスペースになる。
回診は結局4時過ぎになった。月曜はいつも遅いのだが、ここまで遅いのは珍しい。主治医は僕の顔を見るなり、「黒木さん、もう、入院しててもすること何もないね、都合の良い時に退院しても良いよ。」と言った。では今日か明日退院したい、と言うと、退院時にちょっとした検査を行い、今後のリハビリなどについての指導をするのだが、その時間の都合で水曜日にして欲しいとのこと。まあ、水曜日なら予定通りだし、仕方がないか、とあきらめて、やっこと会社に電話、退院の許可が出たことを知らせた。
やっこが来てシャワーを手伝ってもらっている間に、親父が来ていた。もう使いそうにもないタオルやパジャマなどを、やっこを家まで送るついでに持っていってもらった。
退院まで後二日、読み掛けの本を片づけてしまわなくては!
7月15日。昨日は8時過ぎから2時間ほどうとうとしてしまったために夜遅くまで眠ることが出来ず、夜中に起き出してメールを書いたり、同室のT君とバイク談義に花を咲かせたりした。おかげで、今朝は朝から眠たくてかなわない。ぼんやりして何もする気が起きず、退院のための荷物整理を始めたのはやっと昼過ぎだった。
眠る時はコルセットをゆるゆるの状態にしておくのだが、今朝はそれを忘れてベッド上に起き上がり、歯ブラシを取って立ち上がってしまった。当然、コルセットは膝のあたりまでずれる。あわてて前かがみになってそれを押さえ、腰に装着し直した。・・・そんなことをやっても、痛みはない。お尻の裏側と膝の裏に、ほんのちょっとだけ違和感があるだけだ。
夕方になってようやく主治医に呼ばれ、外来の診察室へ。足の力や、反応を見る検査。うつ伏せになって右足を曲げる時だけ、左足全体が痛んだが、この痛みはヘルニアとは関係ない、と言う。何度もやっているうちに確かに痛くなくなってきた。・・・・ただの筋肉痛。足の力、反応は非常に良好とのこと。真っ直ぐに伸ばした状態でも、右足と同程度、80度くらいまで上に上げられる。
退院後の生活の注意を伺う。
リハビリに通わなくても良いのか?と聞いたら、日常生活の機能にまったく問題がないので、特に行う必要はない、とのこと。日常生活の中で体力を回復させていったほうが効果がある、と言うことだった。僕としては入院前と同等またはそれ以上に力をつけたいと考えているのだが、というと、そんなに焦らなくても良いでしょう、と笑われてしまった。
しかし、足の衰えは目を覆うばかりで、こんなに細くなってしまったのは小学生の時以来、と言う情けなさだ。スポーツを再開できるのは来年の1月から、と釘を刺されてしまったし、どこかきちんとしたところで、きちんとした知識を持った人の指導の下、筋力のトレーニングだけでも始めたい。
やっこと二人で、玄関前の「リハビリ公園」のベンチで夕涼みをした。今日も僕は首の筋肉が痛く、やっこにもんでもらったのだが、明日からは「指のリハビリ」として、毎晩彼女の肩をもむ約束をさせられた。・・・・あーあ。明日、彼女は朝から仕事を休んでくれると言う。二人で家に帰ったら、買い物に出かけ、夜は二人で例のすし屋に顔を出すつもりだ。
入院生活最後の日と言うのに、寝ぼけてぼんやり一日を過ごしてしまった。今日はなるべく早く寝よう。
7月16日。昨晩は暑かったこともありまったく眠ることが出来ず、3時過ぎまで悶々と過ごしてしまった。それでもいつも通り6時には起き上がって荷物の整理を始めた。しかし、整理と言っても、もう、重たい荷物はほとんど昨日までにやっこに持っていってもらっているし、荷物を入れるバッグもやっこが持っていってしまっているので、そんなにすることはない。いらなくなった物を捨てたり、運びやすいよう本をまとめたりするだけだ。
午前中に会計を済ませ、保険関係の資料を頂いてから、台車を借りて来て、M婦長に読書スタンドを返しに行った。これのおかげでどんなにか退屈せずに済んだろう。もっときちんとお礼を言いたかったが、お忙しそうだったのですぐに失礼した。
昼前になってやっこが迎えに来てくれた。荷物をバッグに積めてみると結構な量である。特にパソコンと、お見舞いに頂いたダンベルの重いこと重いこと!これを両方ともやっこに持たせたりしたら、ただでさえ小さい彼女がますますちびになってしまう。
やっこに手伝ってもらってジーパンとシャツに着替える。同室の中学生のI君に「そんな格好じゃ暑いよ」と言われた。確かに、パジャマ代わりの短パンで帰った方が涼しくて良いのだが、「退院の時にはなるべくきちんとした格好で」と決めていたのだ。
昼食の時間。最後の食事もロビーでやっこと向かい合って食べていると、I君がそばに来て話しかけてきた。いつもリハビリの時間以外は寝ている彼が、今日は珍しく朝からきちんと起きていて、僕に何かとまとわりついてくるのだ。「退院しちゃうと、淋しくなるね・・」なんて言いながら淋しそうに笑ったりするので、思わず抱きしめてやりたくなってしまう。YさんもT君もH君も、同室のみんなに対して、今は家族のように親しみを感じているのだが、中でもこのI君は自分の本当の弟のようにかわいい。実は彼は、中学生の割には体の成長が早く、大きくて力も強いのだが、その他の部分は成長が遅く、小学校低学年程度なのだ。そういう彼だからこそ、ますますかわいく感じてしまうのかもしれない。
2時前になってようやく装具屋さんが来た。この人にコルセットの調整をしてもらい、代金を払うまでは退院できないので、ずっと待っていたのだ。調整はあっけなく終わり、洗濯の方法など取り扱い上の注意を聞き、ついにすべての用事が終わった!
お世話になった皆さんに挨拶をして、一階へ。取手合同タクシーの愛想の悪い態度のでかい運転手さんの運転するタクシーで自宅に向かった。一ヶ月ぶりの車だ。外を見ていると、流れていく景色の早さにちょっと目が回るようだった。
そして、自宅へ。重たい荷物を何回かに分けて玄関へ運び入れた後、「ただいま」と言ってやっこと向かい合った。「背、伸びちゃったね」とやっこ。僕の身長は180センチ、彼女は150センチないのだが、入院前には腰がすっかり曲がっていたおかげで、僕の顔は彼女の顔のちょっと上にある、と言う程度だったのだ。それが今、僕は真っ直ぐ立っていて、彼女は僕を見ようとするとほとんど真上を見上げるような格好になってしまうのだ。「真っ直ぐ立ってられると、首が疲れちゃうよ・・・」
そうして、僕はようやく家に帰ってきたことを実感したのだった。
おわり

*「入院日記」は、ここまででひとまず終わりにします。応援してくださった皆さん、ありがとうございます。今後は何かトピックスがあった日にのみアップします。また、今まで書いてきた「日記」に注釈をつけていく計画もしています。この後も時々見に来てくださいね。