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カモメ 磯舟 セネキオ 不夜城錦 乙女の碑 一言主例祭
ツリガネニンジン ヒガンバナ 常総市花火大会 タマゴタケ フジバカマ
ツンベルギア 「永山小」で「国語授業」 アケビ イルカ 登米教育資料館
ザクロ 十三夜 猊鼻渓 貴重な新聞 ショクヨウギク オツネントンボ 富有柿
利尻島は鴛泊港の船着場にセグロカモメとハシブトガラスが飛来し、観光客からお菓子などの餌をもらうのを待っているようで、数羽が常に飛来していた。
カモメもカラスも、お互いにその警戒領域を守りながら喧嘩をすることもなく、むしろ餌をうまく取り分けて食べていた。
観光客もその仕草が面白く、又可愛いので、かわるがわる餌を与えている。
防波堤などに並んで泊まっているのはカモメ類で、足の色がピンクであるのに対し、港でよく見られるウミネコはカモメの仲間ではあるが、足の色が黄色で区別がつくという。
たしかに、セグロカモメの足の色は綺麗なピンクであった。
彼らも住む場所によって、生活の様そうが変わってくるようである。
彼らは出航と共に波止場から飛び去っていった。(9/4)
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磯舟とは一般に磯近くの漁場で作業をする小型船で、特に波や岩礁に対して強い構造をもつ和船である。
写真は礼文島西海岸で撮影したものである。
磯舟は磯の漁の何にでも使われるということであるが、海面の波の高さが1mを超えると転覆の危険があるので少しの波でも漁には出ないという。
夏、晴天のなぎの日に利尻昆布漁に出る。狭い岩の間をくぐり抜けた船は、昆布をネジリシバに絡み付け抜き取るか、鎌で刈り取り引き上げて船いっぱいに採取するという。
ウニ漁も波の静かな日、組合の合図で一斉に操業し、一人乗りの小さな磯舟を、足で車櫂を操作し、箱メガネを口でくわえて海中を覗き、柄の長いたもを使ってウニを採取する。
径5cm以下のものは資源保護のため、海に帰す。
北の厳しい環境で育つ島のウニには、全国的にも有名な天然の利尻昆布を主食にして育つためウニ本来の濃厚な美味しさがあるという。
礼文島の漁師の家に生まれ育ったたというガイド嬢は生ウニは食べないという。本当は食べるだけ食べてしまったからかもしれないと笑う。昼ご飯に食べたうに丼は新鮮で甘く、とても美味しかった。(9/5)
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危ぶまれた台風9号は関東地方に上陸、首都圏を直撃、東日本を縦断、各地に多くの爪あとを残した。
お見舞い申し上げます。
さて、写真のセネキオはセネキオ クレイニアで、南アフリカ原産のキク科セネキオ属の白緑色の柱状の多肉植物である。
色彩、模様を楽しむ多肉植物の一つです。
日照不足にも耐えますが、
丈夫に育てるには、日光浴が大切です。
夏は半日陰に置きます。
水は乾いたらたっぷり与えますが、低温期は控えます。
肥料は肥効の長いものを与え、水やりを控えれば、室内でも越冬できますが、冬季の日光浴をわすれないことが大切な管理のポイントです。
何しろ熱帯の植物ですからね。(9/9)
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「不夜城錦」はアロエの1種である。
ユリ科アロエ属の多肉植物である。
南アフリカ原産でアロエ アルボレッセンスは別名コダチロカイ、イシャイラズとも呼ばれる。この種は、古くから健康食品や民間療薬として親しまれてきた。よく分枝し株立ちになるので「コダチロカイ」ともいう。
成株は、冬季紅色の花を咲かせる。
アロエ ベラは、葉を地際から叢生し、葉が立ち上がらない品種で、宮古島などで多く栽培されているのがそれである。
アロエ フヤジョウは幅広の三角形の葉が節間を詰めつく品種で、写真は斑入りの不夜城錦である。黄色の縞班は日当り良く育てると、班の色みが冴える。
高さ30cm。
花は濃橙紅色で長い釣鐘形。
穂状になる。(夏咲き)(9/11)
関連 「馬」のページ「アロエ」を参照ください。
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稚内公園には「皆さん これが最後です さようなら さようなら」と言う碑文の「9人の乙女の碑」(写真)がある。
これに関して、御製 御歌の碑も建てられている。
御製 樺太に命をすてし
たをやめの
心を思へばなお
せまりくる
御歌 樺太につゆと消えたる
乙女らの
みたまやすかれと
ただいのりおる
戦いは終わった。それから5日、昭和20年8月20日ソ連軍が樺太真岡上陸し開戦しようとした。
その時突如日本軍との戦いが始まった。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった9人の乙女等は死を以って己の職場を守った。窓越しに見る砲弾のさく烈、刻々迫る、身の危険。
今はこれまでと死の交換台に向かい「皆さん これが最後です さようなら さようなら」の言葉を残して静に青酸苛里をのみ夢多き若き花の命を絶ち職に殉じた。
戦争は再びくりかえすまじ平和の祈りを込めて尊き9人の乙女の霊を慰む
昭和38年8月15日
と碑文にはある。
読む人の目に涙が滲む、戦争は過酷・悲惨で悲しいものである。戦後62年、戦争体験を風化させることなく子孫に語り継ぎ、平和な日本、いや、戦争のない平和な世界を願うものである。
当時、ソ連軍によって切断されたサハリンと北海道の海底ケーブルは、現在、サハリンと日本の会社によって敷設される計画があるとの報道もあり、感無量のものがある。(9/12)
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9月13日は常総市大塚戸町の一言主神社の秋の大祭の日である。茨城県の無形民俗文化財に指定されている
「綱火」が有名で、地元では「はなび」の一言で秋の例祭を呼んでいる。
県内外からのバスを仕立てての参詣客で境内は賑わう。この時期、秋の長雨の季節に入るので、「花火」には必ず雨が降るといわれている。今日は日中は晴れ、夜は秋雨前線の北上で雨があるかもしれないという。なんとか「綱火」を成功させてやりたいものである。
一言主神社は、雄略天皇が葛城山御猟の際、この山に登ってくる天皇に似た者がいた。それが、一言主の神であった。天皇と共に猟をされたが、一頭の鹿を追って矢を射たが、互いに譲り合った。問答の上、賜物を与えると拍手をして受け取り、天皇下山には送っている。この神の社は、天平宝字8年(760)に葛城山の(今の奈良県金剛山)麓に建てられ、大塚戸の宮内(今の神社の西の方)に分祀されたのは、大同4年(809)11月13日と伝えられている。ここに霊光があらわれ三岐の筍が発生した日であるという。
「吾は一言主の神である」との託宣があった。境内を三竹山というようになったのはこのような由来による。
神の別名は事代主神で大国主命の長子で、事は言、代は「知らず」で、一言願えばしるしを与え叶えてくれるという。言行一致の神ということである。俗に恵比寿様と呼ばれ漁業の神で、漁場菅生沼のほとり宮内に現れたのは偶然なのだろうか。
御託湯祭も行われ、からくり綱火もあり、釜ぐい明神も祀られている。現在の場所への遷宮は長禄3年(1459)4月守谷城主の相馬胤広(平将門の後裔)によって営まれた。
慶応3年(1867)拝殿を再建し、明治42年(1909)には当地の無格社・八坂神社など13社を合併した。
昭和45年(1970)明治百年を記念し社殿の屋根を全部銅板葺きにした。
流れ造りの本殿・幣殿、入母屋造りの拝殿などがある。(9/13)
関連 「ながつき」のページの「大塚戸の花火祭」を参照ください。
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ツリガネニンジンはツリガネソウとも呼ばれる。キキョウ科の多年草で、日本全土、東アジアに分布し、日当りの良い山野の草地に生える。茎は直立し、高さ1m内外切れば白汁が出る。葉は3-6枚ずつ輪生し、縁には細鋸歯がある。8-10月淡紫色の花を円錐花序につける。花冠は鐘形で長さ1.5-2cm。根は白色で肥大し、薬用とされ、又、若芽はトトキとよばれて代表的な山菜の一つでもある。
この地方では1977(昭和52)水海道市教育委員会発行(調査執筆木村信之)にキキョウと共にツリガネニンジンが確認されて以来、2000年から2001年の調査でも確認されず、まったく姿を消している植物である。
子どもの頃は、雑木林に入ればキキョウの花があり、草地にはツリガネニンジンの鮮やかで小さな釣鐘のような紫の花がこの時期見られたものであるが、今は見られず寂しい限りである。自然破壊が進んでいるのであろうか。
写真は北海道は礼文島に咲くツリガネニンジンで、懐かしい当時の景観にしばし浸るのみ。(9/14)
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「暑いも寒いも彼岸まで」と言われるが、今年は太平洋高気圧が張り出し、中日を過ぎないと暑さから開放されないようである。
それでも、ノボタンや同じ仲間のコートダジィルの紫の花は鮮やかな澄んだ色を見せ、ウメモドキの赤い実、ムラサキシキブの実も紫に色づき始めた。
ヒガンバナも写真のように咲き出した。名前の通り彼岸のこの季節に必ず咲くヒガンバナ科の花である。
「花は葉を見ず」「葉は花を見ず」といわれる植物であるが、葉は初冬に出て4月に枯れ、花は9月の彼岸のころに咲くからである。
田の畦、堤などに生え、全草にリコリンなどのアルカロイドを含み有毒である。そのため、モグラよけのため田の畦などに良く植えられたとも言われる。
球根は黒い皮に覆われ、ほうって置いても発芽力が旺盛で不気味ささえ感じる。
血のような真っ赤な花、墓地などによく群生していること、彼岸の季節に咲くことなどから、家庭では栽培はしなかったが、外国からの園芸植物としてリコリスが入ってくるようになってから人気の出てきた植物である。
花には花の素晴らしさがあるものである。(9/22)
関連 「紅蜀葵」・「ねむ」のページの「ヒガンバナ」を参照ください。
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第2回常総市花火大会が天候に恵まれ、9月1日鬼怒川河畔で盛大に実施された。
写真はその一コマである。
例によって市内のアマチュア写真家中島一男氏が今年の作品を昨日届けてくれた。どれもみな素晴らしいものばかりであったが、左の写真を取り上げてみることにする。
いつもの事ながら打ち上げ筒を離れる打ち上げの瞬間から花火の玉がさく裂して大きなキク花を咲かせるまでの玉の軌跡を写し出していることであるが、いつ上がるか分からない花火の打ち上げによくもタイミングを合せるものだと感心させられる。それにはそれなりの苦労がある様である。
ところで、今年の変わったところは、その弾道の軌跡の途中8箇所に緑のキクの葉が8枚写っている事である。これは花火師の技術であろうが憎いまでに見事にできている。玉が最高点に到達した所でさく裂し、まん丸の大きなキク花を開花させている。あたかも黒い布に描いた刺繍のようである。
中島氏は言う、写真だからこれが見られるが、実際にはこうは見えないという。
写真はコダック400のフィルムで撮影し、打ち上げの瞬間からキク花さく裂開花の瞬間までシャツターを開放にしているのである。
肉眼で見ていると次々に消えていくので写真のような全体像は見られないという。いわれて見ればその通りである。豊水橋の夜景、水面に揺れる七色の光、花火大会の情景が良く映し出されている。全体像、バランス、色彩共に素晴らしい。
花火師の腕は云うまでもなく、その瞬間を写し取る写真家の技量にも感心する。
ありがとう御座いました。(9/24)
関連 「ほていあおい」のページ「2秒にかける夢」をご覧下さい。
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中秋の名月も鑑賞でき、昨日は彼岸明け、亜熱帯の季候といわれながらも、ようやく秋の気配となってきた。
キノコの季節である。
写真は群馬県から取ってきたタマゴタケである、他にムラサキフウセンタケ(食用)フウセンタケ科もある。
タマゴタケはテングタケ科のタマゴタケ卵茸で食用である。
夏−秋、ブナ科を主体とする林、ツガ・モミ林の地上に発生、かさは径6ー8cm、表面は橙赤色−朱赤色、中央部は濃色、周辺部には溝線が発達する。ひだは黄色、柄に離生、柄は黄−オレンジ色で、濃い色のまだらがある。上部に同じ色の膜質のつばがある。また根本には白くて大きなつぼがある。胞子紋は白色である。
近縁のものに、毒キノコで、かさの上面が淡黄緑色のタマゴテングダケ、白色のドクツルタケ、シロタマゴテングタケのように、一見食べられそうに見え、食べれば必ず死ぬものもあるから注意が必要である。ベニテングタケはかさ上面が紅色で毒キノコ。これらの毒成分はアマニチン、ムスカリン等である。
秋の味覚、キノコの季節であるが、毒キノコには気をつけたいものである。
天然のキノコには何とも云いない栽培ものにはない自然の味と香りがある。喜んで美味しく頂きます。(9/27)
寒冷前線の停滞で関東地方は天気がすっきりしなかったが、今日は薄日が漏れ、気温も21℃とあがり過ごし易くなった。
秋の七草の一つ、フジバカマも咲き出した。
フジバカマはキク科の多年草で、関東から九州東アジアの暖帯の川岸の土手などに生える。地下茎は横に這え、茎は多く集まって直立し、高さ1-1.5m。葉は対生し、普通3裂し、やや硬い。8-9月、茎頭に5個の筒状花からなる淡紅紫色の頭花を多数、散房状に開く。
万葉時代から鑑賞され、風にそよぐ姿は風情がある。
最近は開発などによって自生地はほぼ絶滅に近い状態だが、栽培される量は多い。
茎や葉は生乾きの時に芳香があり、中国名を香水蘭という。
常総市では2000年から2001年の自然調査で、小貝川河川敷と、大生小学校周辺で自生を確認している。貴重な植物である。(10/4)
関連 「柿」のページ「フジバカマ」を参照ください。
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さきに「石垣の花」として紹介した右の写真の「花の名前」がわかりましたので紹介します。
正しい名前はツンベルギア エレクタで、和名はコダチヤハズカズラと呼びます。キツネノマゴ科ツンベルギア属です。
原産地は熱帯アジア、アフリカで、初夏から夏に花をつけるのが特徴である。
普通この種はカズラの名の通りつる性植物であるが、この種はコダチと呼ばれる通り高さ1-2mの直立性低木となり青紫色のアサガオ形の花をつける。珍しい植物である。
日向を好むが、夏は半日陰で管理、耐寒温度は7−13℃である。 (10/8)
関連 「錦鯉」のページの「石垣の花」をご覧下さい。
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県西地区の「朗読クラブあすなろ」は、取手市立永山小学校、6年2組担任 黒井教諭の依頼を受け、「宮沢賢治」の作品の朗読を黒井教諭の国語の指導案に沿って9/28に公演した。
早速、先日は、お忙しい中、ありがとう御座いました。子ども達にとって、貴重な体験になったことと思います。
みなさんへ、子ども達から手紙を書きました。もし時間がありましたら読んで下さい。それでは、10/12に、またお会いできるのを楽しみにしています。と言う手紙と一緒に左の写真のような、
「宮沢賢治の作品の朗読を聞こう(9/28)ー朗読クラブ「あすなのろ」みなさんに来ていただきましたーと言う写真と一緒に児童の手紙を送ってくれた。
教師の熱意は児童に伝わるものである。10/12の授業は画期的な素晴らしい授業になるものと期待される。
次に児童の手紙の1・2を紹介してみる。
朗読クラブあすなろの皆さんへ
9/28は、宮沢賢治の作品を朗読してくれてありがとうございました。これから私達も、宮沢賢治についてもっと知りたいので、賢治の作品をたくさん読みたいと思います・10/12にもよろしくお願いします。 大場郁海
9/28は私達のために読み聞かせをして下さってありがとうございました。読んだことのある「注文の多い料理店」もすごくわくわくしながら聞いていました。「ざしき童子」のお話のとき、何も見ないで暗記していたのにもおどろきました。ありがとうございました。10/12もよろしくお願いします。 原信田彩夏
読み聞かせのボランテアも結構忙しいようである。小学校での定期的読み聞かせ。子育て支援。高齢者の集い。地域婦人部の依頼など計画も詰まっているようで、生き甲斐を感じると笑う。頑張ってください。(10/10)
関連 「福寿草」のページ「宮沢賢治の世界」並びに「賢治朗読」を参照ください。
銀木犀に続いて金木犀が花盛りである。この時期はキノコの季節でもある。
ホトトギスの花も咲き出し良い季節になった。
右の写真はご存知のアケビの実である。アケビの実を見るのも珍しくなった。
孫娘も喜んで実を割り口に含んだが、あまり好みではないようである。
私どもが子どもの頃は食べるものは何もない時代で喜んで食べたことを思い出す。
アケビはアケビ科の落葉性の木性つる植物である。本州から九州東アジアに分布、山野に生える。葉は柄が長く。掌状複葉で五個の長楕円形の小葉からなる。4−5月に、総状花序に淡紫色の花が垂れ下がって咲く。花弁状の3個のがく片があり、花序の先のほうに小型の雄花、基部に大型の雌花が着く。花弁はない。果実は長楕円形で写真のように長さ7-10cm。果皮は紫色を帯び、果肉と共に田楽、から揚げ、天ぷらとして食用、木部は薬用となる。
つるでアケビ細工をつくり、若芽、果実を食べる。(10/15)
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茨城県大洗水族館アクワワールドが新しくなってはじめて訪問した。
素晴らしい水族館となり日曜日のためか来館者もいっぱいで大変な盛況であった。
四階のオーシャンシアターでは、決まった時刻に30分間の太平洋の大海原を背景に、イルカやアシカが繰り広げるダイナミックなショーが見られる。
ここのオーシャンシアターには、バンドウイルカ、カマイルカ、オキゴンドウが居る。
イルカ(海豚)は鯨目ハクジラ類のうち小型な種類の総称である。
一般に体長5m以上のものをクジラ、以下をイルカというが厳密な区別ではない。
ふつう海に群生し、魚、イカなどを食べる。知能が高いと言われるが、確証はない。
イルカ同士で音波によって意思伝達を行う。くちばしのあるマイルカ、バンドウイルカ、カマイルカなどと、くちばしのないスナメリ、シャチ、イシイルカなど種類が多い。
バンドウイルカは体長雄3m、雌2.9mほどで、よくなれショーにつかわれる。
写真は太平洋の大海原を背にしたバンドウイルカの逆光の写真であるが見事なものである。(10/16)
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東北地方最大の北上川沿いに、古来多くの町村が興亡を繰り返してきた。登米は、その北上川によってはぐくまれた町である。伊達宗直が大土木工事により太古から変わらないその流れを変えて登米の文化の礎を築いた。爾来、川による運輸が東北本線の鉄道にとって替わられる明治時代まで、登米は舟運の中継地として栄えた。
登米に残る武家屋敷や明治大正時代の和洋折衷建築は、この地方の大工の技術から生まれたものだという。
東京一極集中による登米の街の過疎化の進む中で元登米町長が先鞭をつけた登米観光によって毎日バスによる観光客がいっぱいである。管理は、(株)とよま振興公社によって行われ、各歴史資料館等の観覧料の徴収、観光ガイドや観光バスの申し込み、料金収納まで行っている。
左の写真は登米教育資料館である。明治21年に建てられた。当時の洋風学校建築を代表する建物です。純木造の2階建てで、、正面に向かってコの字型に造られています。両端には六角形を半分に切った形の昇降口(六方と呼びます)があり、廊下は1階2階とも吹き抜けの片廊下式となっています。
特徴的なのが2階バルコニーで、校舎全体の中心的な位置にありシンボル的な役割を果たしています。屋根は寄せ棟造り、瓦葺です。昔ながらも洋風の雰囲気を漂わせる様式は、明治中期の地方文化の結晶として価値ある貴重な建築物です。館内には明治以後の教育史、各時代の教科書、懐かしい再現教室等を展示しております。
昭和38年(1963)7月、宮城県重要文化財、同56年(1981)6月国指定重要文化財に。平成2年8月2日皇太子徳仁親王がご視察された。
私の常総市水海道小学校の旧校舎玄関もバルコニー付きの3階の塔のある洋風の校舎で明治14年に地元の大工によって建てられたが、地元で保存できず、水戸の茨城県立歴史館に移築保存されている。
明治初期からの教育資料は水海道小学校の歴史の部屋(PTAによって設立)にて収集管理している。 本年4月一卒業生の手によって歴史の部屋の資料を基礎に、「水海道小学校130年の軌跡」上製616頁が出版された。
それに続いて戦後の貴重な実践記録が大量に見つかっている。しかし、歴史の部屋の資料の保管状態にしても、戦後の実践記録にしても、保管状態は悪く、教育学者や識者、関係者からも、完全な資料の保管が要望されているのが現状である。登米の文化財保存の姿を見てつくづくと考えさせられた。(10/22)
関連 「諸葛菜」のページ「水海道小学校記念誌」「水海道小学校記念誌余話」をご覧下さい。
「錦鯉」のページの「水海道小学校記念誌3」を参照ください。
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サザンカが咲き出し、甘酸っぱいザクロの実も熟してきた。
ザクロ(石榴)はインド北西部カライラン原産のザクロ科の落葉小高木である。日本には平安時代以前に渡来した。
7-8mの高さになり、庭木や盆栽にする。
7-8月に開花、花冠は6裂し、橙赤色、がくは筒形で肉質。果実は球形で径6p、先端に6裂したがくが写真のように残り、8-10月橙赤色に熟す。外種皮の淡紅色の液汁は甘酸味があって生食され、またそれからつくったグレナディンシロップはカクテル等に使用される。
八重咲きや矮性の園芸種もある。
よく絵画の対象にもなる果実である。(10/23)
石榴の実噛めば思い出遥かなり 高浜年尾
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昨夜はお天気に恵まれ十三夜の月を眺めることができた。
旧暦の毎月十三日の夜の月を言うのであるが、ここで取り立てて言う十三夜旧暦9月13日の夜。8月の十五夜の月に対して「後(のち)の月と呼び、また、芋名月に対して豆名月・栗名月といって、月見の行事を行う。
919年(延喜19)の後醍醐天皇の月の宴に始るとも、宇多法皇がこの夜の月を無双と賞したのによるとも言うが、わが国固有のものらしい。
中秋の名月に続き、十三夜の月を家内と共に眺められるゆとりに幸せを感じる。
あけて今日は「霜降」「霜の降りるころ」という意。これまで朝晩、草木をぬらしていた水滴の露は、寒くなると、氷の霜に変わる。それほど秋が深まっていく、ということだろう。今朝は茨城北部では霜が降りたようである。我が家の温室にも暖房が自動で入るようにセツトしてある。北海道や東北では初雪の便りも聞かれる。紅葉の季節到来である。キク祭りも盛んになるころであろう。良い季節である。(10/24)
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10月20日天気に恵まれ猊鼻渓船下りを行った。紅葉はいまいちという時期であったが、年に何度かしかないという船上結婚式の紅白の幕に飾られた、新郎新婦の乗った舟に会うことができた。この地方の習慣なのであろう。珍しいめでたい光景であった。
猊鼻渓は岩手県一関市東山町にある渓谷日本百景の一つ(名勝)。獅子が鼻とも。北上川の支流砂鉄川が石灰岩層を約2kmにわたり侵食、春のフジ、ヤマブキ、秋の紅葉が美しく、舟で探勝した。
透明度の高い綺麗な水の川にはイワナやアユ・ハヤ・ウグイ・コイ等の泳ぐ姿が見られ、岸辺にはカルガモの夫婦も仲良く泳いでいる。岸辺の切り立った岩肌には木木の紅葉が常緑樹の間に見え、川面を舟は静に下る。
東山町は、大部分が丘陵地で、北上川の支流砂鉄川が流れ、大船渡線が通じる。地質的に石灰岩質の土壌が多く、石灰石採掘、セメント工業が盛んで、宮沢賢治も働いていたことのある地で、「石と賢治のミュージアム」等もあるところである。
船頭さんの見事な説明と、張りのある声の地元の民謡「げいび追分」等を聞きながらの船下りは周囲の景色とあいまって素晴らしい思い出を作ってくれた。(10/26)
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水海道小学校の戦後の実践資料を整理している中で、56年前から13年間(昭和26-昭和38)の児童の自治活動によって発行した新聞の各年度の綴りの存在も確認された。
写真を見ても分かるように60年の歳月に古びているが、更紙印刷でありながら中身はしっかりしている。
戦後国立教育研究所矢口新氏の指導のもと取り組んだ児童たちが自主運営する自治活動の部の一つ新聞部の活動の実績である。
「やまびこ新聞」「あかつき新聞」は昭和26年10月、小学校新聞コンクールで全国優勝している。
やまびこ・あかつき新聞は週1回発行を目標に活動し、それぞれ競い合って活動していた。購読料は一部5円で、社長がおり、社説があり、街中の商店から広告料を取って学用品の広告欄等も設けるなど充実したものであった。
昭和26年6月本校に赴任草々、猪瀬校長から新聞部担当を仰せつかった沼尻岩男教諭は、「新聞とは何か」を知るため、専門書「新聞原論」を買って読んだりした。
お知らせ中心の「あかつき新聞」、結果を知らせる「やまびこ新聞」の二つの新聞を発行、それぞれ取材から編集、印刷まで自主運営させた。二つとも週一回発行なため、今考え、かなりハードだったと思う。帰りが遅くなる時などカリントを買ってきて子ども達に食べさせた。それで、「カリント先生」などと呼ばれたりしたと「水海道小学校130年の軌跡」の中で述懐している。
戦後の教育の中で子ども達が自ら取り組んで活動した証であり、現在の教育を考える基礎であり、当時の卒業生にとって忘れられない思い出の貴重な新聞である。
資料として大切に保存したいものである。(10/28)
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今朝は気温18℃秋晴れのすがすがしい天気となった。
サザンカの花も満開である。
菜園の食用菊の早稲唐松の黄色の花も鮮やかに咲き出した。この頃は時々延命楽(もってのほか)と呼ばれる紫の食用菊も見られる。
食用菊はキク科キク属の多年草で、花びら(舌状花)又は花を摘みとって利用する。
キクは、8世紀半ばに中国から延命長寿の薬として渡来し、江戸時代になって観賞用に栽培されるようになった。多くの品種に分化した中で、花びらが厚く、苦味が少なく、香りの高いものが食用にされた。
東北地方や、新潟県など、冷涼な地域で多く栽培されている。
おひたし、酢の物、汁の実などにする。
我が家では、菊の花の天ぷら、酢の物にすることが多いが、何よりも新鮮さと菊の香に秋を満喫することができて嬉しい。(10/31)
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昨日一昨日と冷たい雨降り、今日は朝から快晴、小春日和である。
松の木5本の手入れも今日で何とか終わり、ほっとした所である。3間梯子2丁、15尺の3脚1丁、7尺の3脚1丁を使っての手入れは結構きつい。足場つくりが大変なのである。仕事そのものはハサミ1丁でできるので他の仕事より楽である。後は忍耐力で,仕事を続けていればいつかは終わるので楽しみである。
今週は強い寒波がくるという。温室にまだ取り込んでない鉢ものを明日あたり取り込むことにしよう。
ところで、
暖かい日ざしに、八重咲きのツワブキの花茎にオツネントンボが飛来して写真のように日向ぼっこをしている。
オツネントンボはアオイトトンボ科で北海道から九州に分布する。平地から丘陵地の池や沼に生息し、腹長雄で26−31mm、雌で27−30mm。3月から6月に出現する。越冬態は成虫である。
晩秋や草春に雑木林でトンボに出会ってびっくりすることがある。これがオツネントンボかホソミオツネントンボである。オツネンとは越年の意味である。8月頃池で羽化したあと林に移動して、成虫で冬を越し、春に産卵するという。トンボの中にもいろいろ生態があるものである。(11/12)
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我が家の富有柿も熟した。
ムクドリ達が柿の熟すのを待って、間違いなく近くの電線に見事に並ぶ、彼等の中に情報屋がいるのであろう、ただただ驚くほかはない。
とても追い払えるものではない、追い払ってもひとまわりしてすぐに舞い戻ってきてしまう。最後の一つまで、皮を残して食べ尽くし、皮の部分も_、食べるものがなくなったころ、雨上がりの柔らかになった皮を見つけて食べてしまう始末である。
富有柿(ふゆうがき)はカキノキ科カキノキ属の落葉高木で、カキの1種である。カキは昔話でもおなじみの果実で、1000以上もの地方品種が知られている。甘柿と渋柿があり、甘柿には完全甘柿と、種子ができないと渋が残る不完全甘柿がある。渋みはタンニンによるもので、細胞中で凝固すると渋くなくなる。ヨーロツパでも「カキ」で通じる。
「富有」は完全甘柿で、岐阜県原産の甘柿の代表品種である。品質も保存性も良い柿である。
ゆっくり味合せてもらおう。(11/13)
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