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うぶや   天下茶屋   富有柿   イルカ   マミズクラゲ   ハヤトウリ   水晶   アマエビ
ヒラタケ   産金技術   花園渓谷   ずいき   ホンモロコ   沖縄合宿 水海道小での実践から学んだこと
デコポン   からくり人形に吹き込む命   新年に思う   版画賀状   青菜漬   味噌漬   奈良漬
とちおとめ   帆立貝   ストレリチア

 


 

うぶや

孫娘夫婦の招待で、しばらく振りで河口湖を訪れた。
ホテルは湖山亭「うぶや」をとってくれた。河口湖に映る「逆さ富士]が美しいホテルである。「うぶや」のホテル名はちょっと分からなかったが漢字で書けば「産屋」ですぐにわかる、浪漫に満ちた伝説がありました。
 
 産屋ケ崎伝説を記してみます。
 ある日、天津日高子番能ににぎの命(あまつひたかこほのににぎのみこと)は、吾田の笠沙の岬(鹿児島県笠沙町)で美しい少女に出会いました。名を尋ねたところ「木花之佐久夜昆売(このはなのさくやひめ)」と名乗り、父は大山津見命(おおやまつみのみこと)とこたえられました。
ににぎの命が、早速、その父に娘との結婚を申し込んだところ、父はたいそうお喜びになり、たくさんの祝儀物を持たせてににぎの命のもとへ嫁がせてきました。そして二人は一夜の契りを交わしたのです。
 やがて妻は目出度く懐妊。しかし、妻がそのことを申しますとににぎの命はたった一度で身重になったと申すか、それは我が子ではなかろう。きっと国神の子であろう。」ときつくお疑いになったのです。仕方なく「木花之佐久夜昆売は、郷里の富士の裾野に帰り河口湖畔(今の産屋ケ崎)に八尋殿を造り泥で目張って無戸室とし、閉じこもってしまいました。そしていよいよお産という時「私の妊んでいる御子がもしも他の国神の子であるならば、無事お産することはできないでしょう。もし、ににぎの命の御子でございましたら必ず元気な御子を産むことができましょう。]と申されて八尋殿に火をつけられたのです。燃え盛る火の中から元気な産声を挙げて産まれたのが火照命(ほでりのみこと)、火須勢里命(ほすせりのみこと)、火遠里命(ほおりのみこと)の三子でした。以来この地を「産屋ケ崎」と呼ぶようになり、当館内には安産の神「木花之佐久夜昆売を祀った「木花の社」がありました。

ひ孫含めて5人、ゆっくり湖畔の温泉大浴場、野天風呂にまもなく3歳の男のひ孫と入り大喜び、大窪料理長の献立による美味しいご馳走を頂きながら楽しい一時を過ごすことができました。ありがとうございました。(10/12)

天下茶屋

 甲府市からバスにゆられて一時間、御坂峠へたどり着く、御坂峠、この峯の頂上に、天下茶屋という、小さな茶屋があって、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもっては仕事をして居られる。私は、それを知ってここへ来た。
 ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているそうであるが、私は、あまり好かなかった。まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも注文どおりの景色で、私は恥ずかしくてならなかった。
 3778メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
 富士には、月見草がよく似合う。(太宰治 富嶽百景より抜粋)

 太宰治の小説「富嶽百景」の舞台となった「天下茶屋]で昼食をとった。
 文豪も愛した名物「ほうとう鍋」は、たっぷりの野菜と伝統の味噌が調和して美味しかった。
 富士山と河口湖を一望できる二階には、太宰治記念館を設置していた。太宰治が滞在した部屋を復元し、当時使用した机や火鉢、初版本やパネル等を置き、故人を偲べる様になっている。
 なお床柱は、初代の天下茶屋のものをそのまま使用したそうである。

 ひ孫は、始めてみる火鉢にこれは「なに」と不思議そうに説明を求めていた、そんな時代なのである。(10/15)  

 

富有柿

 富有柿が色づき始めた。
 富有(ふゆう)は完全甘柿である岐阜県原産で、甘柿の代表品種で、品質も保存性も良い。
 現在色づきながら毎日大きくなっている。今年は我が家では豊作である。

 柿は昔話でもおなじみの果実で、1000以上もの地方品種が知られている。甘柿と渋柿があり、甘柿には完全甘柿と、種ができないと渋が残る不完全甘柿がある。渋味はタンニンによるもので、細胞中で凝固すると渋くなくなる。
 
 柿のヘタムシの被害を受けるので6月と8月に消毒をすると実止まりがよくなる。

 柿は食べることも良いが実を眺めることも風情があって良いものである。
 それにしても、これからムクドリやヒヨドリの傍若無人の襲来には苛立ちを感じる。(10/16)

 

イルカ

 先に述べた孫娘が、10月に御蔵島にダイビングに行った。
 そのときの写真を送ってきた。
 お天気もよく、ダイビング・ライセンスを取っての部活動の一つである様であるが楽しかったようである。
 沢山のイルカと共に泳ぎ、どちらかと言えば、イルカに遊ばれている感じだったと笑っていた。
 多くの魚の泳ぐ姿を自然の中に見、イセエビをはじめ新鮮な漁獲したばかりの魚の料理、ご馳走を食べながらの自炊生活、大自然の中での研修は楽しく収穫の大きいものであったようである。

   (10/17)

 

 

マミズクラゲ

 クラゲは腔腸動物と有櫛動物のうち、浮遊生活に適するクラゲ型の動物の通称である。
 ハチクラゲ、ヒドロクラゲ、クシクラゲ類に分けられる。マミズクラゲなどの少数の例外を除き、普通は海生。体の大部分は無色透明の寒天質で椀を伏せたような形のものがおおい。下縁には触手が並ぶ主食は動物プランクトンである。
9月19日に稲敷市内の「セベパレステロスゴルフクラブ」の池に大量発生しているマミズクラゲを清掃作業に来たコース管理業者がきずき、坂東市の県立自然博物館の職員が調査して、マミズクラゲと判明した。と「朝日新聞」は報じている。

 淡水で生息するマミズクラゲは、どうして発生するかなどまだまだわかっていない。
 採取されたマミズクラゲは海のクラゲと同様、博物館の観察コーナーの水槽の中を触手を動かしながら水中をゆらゆら移動していた。
 マミズクラゲはハナガサクラゲ科に属し、傘の直径が1ー2cm。成体の寿命は1、2カ月と短いうえ、散発的に発生するために一般に見つけにくいとされる。渡り鳥や風などに運ばれると考えられ、「幻のクラゲ」と呼ばれることもあるという。
 温帯や亜熱帯地域に分布し、国内では夏から秋にかけて全国で確認されている。博物館によると、県内ではここ10年ほどで、貯水池や学校、ゴルフ場の池など5箇所で確認されているという。(10/18)

ハヤトウリ

 ハヤトウリ(隼人瓜)は、せんなり、ちゃよて、とも呼ばれウリ科のハヤトウリ科のウリで、条件が良ければ、一株で数百個も実がつく。
 熱帯アメリカ原産の多年草で、暖地では冬に地上部が枯れても翌春再び蔓が伸びてくる。果皮が写真のように緑色と白色の品種があり、漬物や酢の物にされる。
 白色系の果実は小さいが、味に癖がない。

 我が家では瓜がなくなったこの時期、貯蔵性のあるハヤトウリをよく食べる。
 二つに割り、皮を向き、適当の厚さに切って[泡ずけの素}で漬けると一夜漬けで美味しく食べられ瓜の歯ごたえが何とも言いない。
 この頃は、二つ割で、皮を向き、味噌漬けにしているが、二日目ぐらいから美味しく頂け何よりの好物である。調理の仕方で美味しく食べられるものであることを知らされける。(10/24)


水晶

 水海道小学校記念誌を出版した卒業生の名村栄治氏が写真のような水晶と論文「仙台領氣仙郡玉山金山探訪記」仙台郷土研究会員名村栄治 B416Pを送ってくれた。
 
 退職後のテーマとして始めた第2の故郷「中尊寺の研究」、そして、金色堂の金は何処から来たのかという素朴な疑問から始った産金遺跡の探訪、ここ3、4年、郷里に帰り中断したが、今年春先から再開、復帰第一作をまとめました。と手紙が添えられていた。同封の水晶は、今回のテーマである玉山金山を訪ねるうち、「ズリ」と言って、金鉱石採掘の過程で排出、廃棄された砕石の堆積層から一個一個見つけたものです。
 水晶は地下のマグマが噴出、ケイ素(石英)が冷却の過程で結晶化したものです。金の冷却、析出温度(摂氏200ないし300度)と石英の冷却、析出温度が近似しているため、金は石英脈に含まれます。
 その石英は6角形に結晶しやすく、まれにきれいな水晶となります。それで、金山には水晶が随伴することがあります。
 玉山金山はその典型で、時たま、昔、廃棄されたズリ層に混じっているのを探すことができます。このため、鉱物マニアの隠れたメッカで、山中にテントや車中泊で水晶を探す人をよく見かけます。
 水晶は1本1本別々に生成するため、この世に2つと同じものは存在しません。この点、人間の個性と似ていて面白いと思います。
 無色、透明、非常に硬く、古代人が護符のように珍重したのも納得できるのです。
 写真一番下の水晶は無色透明で、何の曇りも無く見事なものです。
 とても丁寧な解説がつけられており頭が下がる思いである。

 「氣仙風土草]中、注目すべき記述がある。「麓なる坪という里にて金を掘り出し、段々この山に掘り上がり云々」と言う一節がある。
 沢や川底の砂金(川金)採取から陸の土砂中の砂金(柴金)採取へ。そして、最終的に金鉱石(山金)採掘に辿り着く産金プロセスが、この短い文章に凝縮されている。

 岩手県はじめ東北地方で「金」-−と言えば、すぐさま中尊寺金色堂と結びつける思考回路が、固定観念のように出来てしまっている様である。金売り吉次伝説が東北各地に濃密に分布するのも、これと表裏一体の現象であろう。
 そこで、探訪開始早々、まず以って奥州藤原氏の時代、つまり、11世紀から12世紀末にかけての平安末期、どのような産金法が行われていたかが大きな関心事となった。
 先にも記した通り、大概の金山に柴金採取跡と坑道掘りによる山金採掘跡の2形態が見られる
 地中深く坑道を掘って山金を採掘、その山金から金を抽出するには金挽臼が必要である。従って、もし、奥州藤原氏の時代、坑道掘りによる山金採掘が行われたとすれば、平安時代の古い金挽臼が存在するはずである。そして、平泉に1つぐらい、当時の金挽臼が残ってよさそうなものである。
 しかし、平泉にそのようなものは存在しない。ということは、奥州藤原氏の時代、坑道掘りによる山金採掘は行われなかった、と考える以外ない。つまり、大概の金山に残る柴金採取跡と坑道掘りによる山金採取跡の2形態のうち、後者は近世以降のものである。これだけははっきり断言していいように思える。(筆者が、坑道掘りによる山金採掘が始る以前と以後とを、「古代・中世的砂金採取時代」「近世的山金採掘時代」として区別するのはそのためである)しかし、もう1つの形態、つまり、露天掘りやネコ流しによって柴金を採取した跡と見られる遺構については、時代の特定がしようがなく、何とも言えない。
 場合によったら奥州藤原氏の時代に遡るかも知れないし、そうでないかも知れない。このように、奥州藤原氏の時代、どこで砂金を採ったか、漠として分からないのである。
 いま、当時の産金地として特定できるのは高鞍庄、本吉庄、遊佐庄だけである。それも、2代基衡のころ、京の摂関家との間に荘園の貢納高をめぐって紛議が生じ、左大臣頼長の日記「台記]にたまたまこれら3庄の貢納品目が記録され、それでかろうじて産金地として推定し得るに過ぎない。

 しかし、平安末期、平泉に大量の砂金が集積されたのは紛れもない事実である。その平泉との地理的歴史的関係からして、現在の岩手県西、東磐井郡、氣仙郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡などでも川金や柴金採取が行われたはずである。
 平安中期、奥州藤原氏の先駆として衣川以北の奥6郡を支配した安部氏や清原氏にも相当量の砂金が集積された節がある。
 まして、陸奥・出羽両国を支配した奥州藤原氏の時代、北上山系、奥羽山系あちこちの沢や川沿いで、川金や柴金採取が行われたろうこと、想像に難くない。
 とすると、中尊寺金色堂の金はどこで取れたのか、、「奥州の大地]とするのが 最も真実に近いように思える。(論文抜粋)

 [日本鉱業史研究] No56 平成20年9月8日 日本鉱業史研究会〔九州大学総合研究博物館内〕
  論文  仙台領氣仙郡玉山金山探訪記     名村栄治       p23  より


 平泉の研究については見識の高い氏が、先に世界文化遺産推薦の立場を、[岩手日報]の中に、かって、奥州は世界有数の金産地だった。金色堂はその記念碑と言っても良い。その金色堂には13世紀末マルコポーロによって「黄金宮」としてヨーロッパに伝えられ、東方へ、東方へのロマンをかき立て、コロンブスの新大陸発見につながったというーーと記している。  金色堂が世界的遺産につながる金文化を追い求める名村氏の情熱がひしひしと感じられる。頑張ってください。   素晴らしい水晶ありがとうございました。(10/26)

関連 「なつつばき」のページ「日本の世界遺産」を参照下さい。

 

アマエビ

 アマエビはエビ類で体長10cmとろけるような甘味で大人気のえびである。
 一般にアマエビの名で親しまれているものは、ホッコクアカエビに代表されるタラバエビ科の仲間。富山湾以北の日本海沿岸から、北太平洋のアラスカやカナダ、ノルウェーまで北極海周辺の海に生息している。刺身、すし種で御馴染みだが、通年出回っている冷凍物の半分以上は輸入物。グリーンランド、ベーリング海から多数輸入されているという。甘エビは、最初オスとして成熟し、ふ化後4年目の春に性転換しメスになるという、珍しい生態を持っている。
 主産地は、北海道、新潟、富山である。
 
 トロリとした甘味は、グリシン、アラニン、セレンなどのアミノ酸類によるもの、またタウリンも多く含まれ、脳卒中、高血圧、心臓病などの成人病予防食として効果がある。
 刺身だけでなく、殻ごと調理する唐揚げや塩焼きが旨い。
 
 頭から尾まで真紅に透き通った、姿のよいものがよい、
 殻の色がみずみずしく鮮やかで、首の付け根にぐらつきのないものがよい。
 新鮮なものは、頭のミソや腹に蓄えた卵もおいしい。(11/3)

ヒラタケ

 写真は左側がシイタケ、右側がヒラタケでどちらもヒラタケ科の食用のキノコである。
 ヒラタケ(平茸)夏−秋、広葉樹の倒木などに群生する。かさは径5−15cmまたはそれ以上、多数重なって生じる。やや粘性があり灰色−ねずみ色で、時に褐色や青色をおびる。ひだは白色、柄に垂生する。柄はかさの中央からはずれたり側方についたりする。水平な所から発生するキノコは、かさが円形となり、いわゆるキノコ形になる。多くの市販の「○○シメジ」というのは、ビン栽培でキノコを上向きに発生させて、一見シメジ状につくったものである。胞子紋は白色である。
 シイタケ(椎茸)はよく知られているが、野生品は春と秋に広葉樹(特にブナ科)の枯木や切り株などに発生する。かさは径4−10cmまたはそれ以上、表面は茶褐色−黒褐色、同色の鱗片をつける、周辺部には白っぽい綿毛をつける。これはつぼみを覆っていた披膜の名残である。ひだ下面の被膜は柄の上部につば状に残るが消失しやすい。ひだはやや密、白色、柄に湾生する。柄の表面は上部は白色、下部は褐色でフェルト状、胞子紋は白色、多くの栽培品がある。

今夜は鍋物にでもして、じっくりご馳走になろうか。(11/15)
 

産金技術

 先に「玉山金山探訪記」名村栄治を紹介したが、今回は、氏による論文の中から「南部領金沢金山絵巻に見る近世の産金技術の一部を照会してみる。
 金鉱石が風化、母岩から飛び出た金粒が長い間に川底などに堆積した、いわゆる砂金は、一つは沢や川底に堆積した「川金」で。もう一つは、かって川底だったのが隆起して陸化した土中、もしくは、金鉱石が風化したその場所、またはその付近の土中に密度濃く含まれる砂金である。陸なため、大概は雑草あるいは雑木に覆われている。このため、小柴の根元にある砂金という意味で゜「柴金」と称した。
 川金、柴金などの砂金採取から山金採掘へ−。我が国では、その転換は戦国時代に起きた。名村氏は近世的金鉱採掘時代と呼称している。
 近世的金山の開発には次の二つの技術−というより作業工程の結合が必要である。。
 地中深く埋蔵された金鉱石を「採掘」する工程と、採掘した金鉱石から金を抽出する「精錬」の工程である。
 藍田筆絵巻によると、坑道入り口の光景から始る。 坑道入り口は、柱も張りも太い丸太を組んでいる。 上下ニ方向に分岐した坑道 。坑道を掘り進む鋪大工たち。 桶で水をくみ上げる水替人足たち。 落盤を防ぐため、木材で坑道を補強する留大工。 水抜き抗をを兼ねた下鋪で砂金を探す堀子たち。 下鋪坑口付近=水が流れ放題に流れ、水抜き抗を兼ねた下鋪の性格をよく示している。 本番お役所での金鉱石鑑定風景。 猫流し=金鉱石鑑定の際、水桶に落ちた砂金をここで回収しているのである。  「無用之人物不可入」の看板もいかめしい金場入り口。 金場の作業はまず、金鉱石を厳重に計量することから始った。 金鉱石を天日乾燥もしくは釜で焼いたあと、唐臼で突き砕く作業風景。 唐臼で粉砕した後一部は俵に詰めて保管、一部は次の金挽き臼の工程へ 。やり木を引いて、金挽き臼を回す女性たち。 金鉱石を粉成、木取板の鋸目に砂金を引っ掛けて採取した。 木取板の鋸目に留まった砂金を水に落とし、お椀で回収する様子がよく分かる。 台上で聡管職が目を光らす中、砂金を計量、 紙に包む作業が行われている。お台所で米や酒など支給の光景。 おんな、子供がむらがり、金山集落の生活が漂う 灰吹法によって砂金の純度を高める光景。 巻末に幕府役人などの指名が列挙され、この絵巻が献上用に作成されたものであることを示している。 以上絵巻の絵の解説であるが、いずれにしても、最後は砂金として金を採取している事は同じであり。
 最後に出てくる吹金は離れた一室で数人の男が囲炉裏を囲んでいる。二人が向き合って、鞴で炭の火力を強めている。傍らに、先ほどの砂金の包みが置いてある。そして「吹金」と称する塊が三宝に盛ってある。明らかに、灰吹法の場面である。
   
 灰吹法はもともと銀鉱石から銀を抽出、純度を高めるための技法である。銀鉱石と一緒に鉛、あるいは鉛鉱石を熱すると銀と鉛の合金が出来る。その銀鉛合金を動物の骨を焼いた灰の上に乗せて熱すると、鉛は早く酸化して灰の底に沈み、銀のみが灰の上に残る。こうして、銀を抽出するのである。
 金鉱石中の金は大概、銀や銅を含む。これを除去して金の純度を高めるため、やはり、鉛と一緒に熱すると、銀と鉛がとけて酸化、同じように灰に沈み、純度の高い金が得られる。これが、吹金―地金である。
 灰吹法は、我が国には16世紀前半、石見国大森銀山に導入され、またたく間に全国の金銀銅山に普及した。この灰吹法を知ったことが、坑道掘りによる採掘技術と金挽き臼を使っての粉成技術と共に、近世的金山の成立に欠かせない要因だったと名村氏は言う。
 藍田筆絵巻は、その灰吹き法によって金の純度を高める場面で終わっている。(11/19)

 

花園渓谷

 11月22日娘達油絵友人3人が北茨城市華川町花園の「花園渓谷」へ紅葉の写生に出かけた。
 秋になるとケヤキ、モミジが美しく色づき、渓谷の景色を鮮やかに一変させる。見所は七つ滝のあたり。高さ60mほどの落差で、一の滝から七の滝まで七段になって流れ落ちる姿は迫力がある。

 ちょうど紅葉もみごろで、じっくりと写生をして、
 モミジの渓谷をドライブして帰ってきたようである。
  天気にも恵まれよかったね。
 後は作品の完成を待ちます。(11/27)

 

 

 

ずいき

 ずいき(芋茎)はサトイモの葉柄のこと。白茎と赤茎とあるが、一般には茎の赤い品種を使って多肥、多潅水(たかんすい)によって葉柄を長く柔らかく作る。外皮をむき、ゆでて、あえ物、煮物、汁の実などにする。
 外皮をむいて写真のように天日干にした干し芋茎は芋がらともいい。水につけて戻し、湯で煮てから料理する。
 
 白茎はあくがつよいので食べないが、赤茎は生で調理するには皮をむかないでも大丈夫である。
 
 芋がらは皮を良く剥かないと乾燥がうまく行かないので、良く剥いて天日に干す必要がある。
 
  芋茎はおいしい食材である。
 

  サトイモは芋もおいしいが、芋茎もおいしいので毎年菜園の片隅に赤茎の唐芋を作付している。(11/30)

 

ホンモロコ

 モロコとは(諸々の子)の意この辺では雑魚(ざっこ)を言う。コイ科の魚で体の細長いこの魚にこの名のつくことが多い。単にモロコという和名のさかなはいない。
 
常総市周辺ではタモロコ(コイ科・地方名オボソ)モツゴ(コイ科・地方名クチボソ)タモロコもモツゴも鬼怒川や小貝川では岸辺に近い比較的流れのゆるやかなところに生息している。その外菅生沼などの池沼や小河川に普通に生息している。両者とも全長9cm内外の小さな魚ですが、特に冬のこの魚は佃煮ふうに煮付けて大変美味しく珍重されます。
 
 琵琶湖周辺ではホンモロコをいい。東京(特に釣り人の間)ではタモロコをいう。ホンモロコは全長9cm程度。琵琶湖、関東地方の川に移植され繁殖している。冬に極めて美味で、琵琶湖の名物。タモロコは全長7cm程度。静岡・新潟県以西の本州と、四国の一部、九州北部に分布。関東地方にも移植されて繁殖している。美味。

 調理法は、水を除いたホンモロコ1sに酒1合を注ぎ、落ち着いた所に、醤油1合を加えてこれを強火に掛け、煮立ったら、味醂コップ1/2、好みにより隠し味程度の砂糖を加え、弱火にして、1時間ほどコトコト煮ます。途中、箸は触れずに揺する程度に、。冷めてから食べた方が、煮こごりもできおいしい。丸ごと食べる魚は、生きている内に
 酒を含ませた方が 美味しくなる。
  写真は菅生町の知人が養殖販売をしているホンモロコです。(12/1)

沖縄合宿

 末の大学生の孫娘が2008マリン秋合宿で沖縄に11/26−30日の日程で出かけた。
 好天に恵まれとは行かなかったがそれでも、待望のダイビングはできたようである。
 さぞかし沖縄の海の中はきれいだったことでしょう。
 例によって家族にお土産を買ってきた。限られた小遣いでお土産の求め方が上手である。
 今回は沖縄名産の「うみぶどう」軽く水洗いし、水を切って、盛り付け、お好みのドレッシングで食べる海草であるが、プチプチの食感がすばらしい。宮古島はマグロ漁船の漁港があるが、マグロの郷土料理も美味しい。とかしき島産の「まぐろつくだ煮」も求めてある。また、瓶詰めの「豚肉油みそ」(沖縄県産豚肉使用)も土産の一つに含まれている。
遠い南の島の香り、風土を匂わせるお土産群、よくぞ少ない予算で上手く揃えたものである。年寄りにはその土地に伝わる食べ物が何よりである。
 孫の温かい心と共に、今は飛行機で2時間程度とは言え、遠い海の向こうの島の香りと郷土料理の味に家族皆で幸せを感じた一時である。ゆうちゃんありがとう。(12/2)

 

水海道小での実践から学んだこと

 (財)能力開発工学センターの機関紙「JADECニュースNO.762008/11/15に掲載された、
 活動報告 自分の頭で考える力の育成をめざして
  水海道小での実践から学んだこと
    
教師の力量形成について― とその時のDVDをご送付頂きましたので、その内容を下記に紹介してみます。

 この夏、矢口新研究の一環として、昭和20年代後半―40年代にかけて、「学習者一人ひとりを育てる学習」に取り組んだ水海道小学校(*)の元教師、倉持正氏、飯村一男氏、大久保団治氏、飯沼敦氏に上記のテーマでインタビューしました。特に印象深かった内容を、ダイジェストしてご報告します。                      矢口新の教育実践研究班&矢口教育学研究会
 
 教師にとって一番大事なこと
 「学習者一人ひとりをそれぞれそだてること。そのための、学習者一人ひとりの実態を読み取る力、引き出す力が重要。学習者に質問することが大事」(飯村氏)「研究心」(大久保氏)
 目標は全員達成できる「できる、できないというのは、学習時間が短いか長いかの違いに過ぎない。レディネスをそろえれば、時間もあまり差は出てこない。プログラム学習の実践で、子どものレディネス調査を行い、不足している子には補修して学習を実施、それを確かめることができた。」(飯沼氏)
 実際に、その調査のデータも見せていただき、迫力ある科学的・実証的研究には、調査斑一同感嘆。
 できると分かる 「ことばで知っているということと、実際にできるということとは違う。言葉で分かっても(言葉で言えても)できない。できると本当にわかる。」(各氏)「できるようにする工夫、手助けするのが教師で、そのためにはどう学習させたら良いか。学習者の立場に立って、自分ならどう考えるか、と考えて組み立てる。」(飯村氏)
 教材ではなく学習材 学習者の立場から学習を考える姿勢は徹底している。「教えるのではなく、学習者自身が学ぶのである。その意味では、教師が言葉で教えるために都合のよい「教材」ではなく、学習者自身が使って、わかっていくための「学習材」でなければならない。」(倉持氏)いまだに「教材」と言う言葉で考えられているというのは、情けない」と言う苦言も飛び出した。
 教師が育つ環境―研究する雰囲気 「水海道小学校には研究する雰囲気がみなぎっていた。学校が一つの目標を持って、まとまりがあるということが大事だと思う。」(大久保氏)「戦後まもなくからカリキュラム研究をしてこられた先輩から、いろいろ学んだ。相談し話し合う仲間がいた。」学習をどう組み立てるか、日々仲間と話し合い研究したという。「酒を飲んでいても、気がつくとその話になっていた。」(各氏)「矢口先生からは、結果を教えられたということはなかった。考える背景を示してくれた。あとは、国研の研究員の方々とディスカッションした。」(大久保氏)
 子どもたち一人ひとりを育てる学習、という目標を持って「教師が熱く燃えていた」と倉持氏は言う。教師達を創造的にさせ、子供たちをいきいきと活動させた水海道小学校(ニュース71号)水海道小学校という学校のあり方」参照)。学ぶべきものが、そこには山積している。それを掘り起こし、今に活かさねばならないと強く思ったのである。

 *茨城県常総市(当時水海道市)立水海道小学校
 戦後20年以上にわたり、生活からの学習カリキュラム開発とその実践活動で、全国の教育実践活動に影響を与えた。教師たちの研究実践の指導をしたのは、能力開発工学センター創立者の矢口新(当時国立教育研究所内容室長)。

 いろいろお世話いただいた矢口みどり様に感謝申し上げます。(12/7)
  

デコポン

 デコポンはシラヌイ(不知火)、キヨポン、ヒメポン、などとも呼ばれミカン科ミカン属の柑橘類である。
 1972年に長崎県で清見(きよみ)タンゴールと中野3号ポンカンを交配して育成された柑橘類である。
 品種名は「不知火(しらぬい)」。「デコポン」は登録商標で、不知火のうち一定の基準をクリアしたものだけが、その名を使用することができる。全国統一糖酸品質基準を持つ日本で唯一の果物である。全国の生産量の半分近くを熊本県産が占め九州各地が特に多い。
 
果皮が一見厚いがむきやすく、じょうのう膜も袋のまま食べられ種子もほとんどない。加えて、糖度が高く食味にも優れることから、市場や消費者の支持を得、価格が低迷していた甘夏、ハッサク等に代わる有望な中晩生柑橘として、平成以降急速に栽培面積が増加した。
 品種名の「不知火」は、最初に産地として穂木が持ち込まれ栽培された不知火町に由来する。熊本県では、不知火の中で糖度13度以上のものを選択して、「デコポン」の名称で商品化された。
 上品な甘さ、ジューシーで豊な風味。ほとんど種もなく袋ごとそのまま食べられる。(両親の長所を全て受け継いでいる)健康サポート果実。
 ビタミンC・ミネラル・食物繊維たっぷりで肌イキイキ。発ガン抑制、カゼ・動脈硬化予防にも効果的といわれる果実である。
 
果頂部が盛り上がるのが特徴で、デコポンの名称もここからつけられたが、なかにはほとんど盛り上がらない果実もある。(12/12)
 

からくり人形に吹き込む命

 陽だまりの廊下では椿の侘助が白い花を7輪遠慮がちに開き、蕾も数個白い花びらを覗かせている。
 
 左の写真は朝日新聞12月18日の「街がたり・人がたり 常総市」である。
 「大塚戸の綱火」は県の無形民俗文化財に指定されている。「からくり人形に吹き込む命」として大塚戸芸能保存会の活動が報道されたのである。以下に記事を掲載してみる。
 

「真っ暗な夜空に仕掛花火が舞い上がり、竜や鯉のからくり人形が空を踊ると、大勢の観衆からどよめきがあがった。常総市大塚戸の一言主神社境内で毎年9月13日に行われる、県の無形民俗文化財「大塚戸の綱火」だ。
 江戸時代から続く伝統芸能を支えているのは、地元でつくる「大塚戸芸能保存会」だ。やぐらから10メートルほどの綱を十数本はりめぐらし、やぐらの上で10人ほどでからくり人形をリズミカルに操る。かっては技が外に漏れるの恐れ、「次男坊には教えるな」とも言われた。
 綱を引く中で一番の若手は中村真也さん(38)。神社の境内は幼いころの遊び場だった。祭りの日には、父親が演じるからくりを見て育った。「いつかからくりをやろうと思っていた」。保存会の人からの誘いに迷いはなかった。10年前に仲間3人とでこの伝統芸能に挑戦した。「休みがつぶれる」「時間がない」と相次ぎ辞めるなか、若手で1人残った。会員は二十数人で、からくりを演じるのにやっとの数だ。中村さんのすぐ上でも10歳も離れている。。「綱を引っ張り合ったり緩めたりと、みんなでピッタリと息を合わせるのが難しいんですよ」。世代を超えた男達の技が、からくりの人形に命を吹き込む。今年の出し物は「鯉の滝登り」などだった。伝わる演目は47種ある。マスターした演目はまた7、8ほどという。゜今からどんどん教えっから」。若い後継者に対する周囲の期待は大きい。
 保存会に入ってちょっと変わった。祭りが近づくと、勤務先のOA機器メーカーの同僚等が声を掛けてくれる。「準備、進んでいますか」。期待してくれるのがわかりうれしい。地域を見つめる目線も変わった。「それまで近所なんか気にもならなかった。でも、今は違う。意識するようになった」。ここで暮らし、地域とつながり、支える覚悟を持てるようになったという。
 祭りが終わると、もう来年の出し物に思いをめぐらす。保存会では、地元の子どもたちに綱火の練習を見てもらおうとも考えている。
 伝統芸能に重くのしかかる高齢化と後継者不足。それを振り払うため、なんとか地域で支えようと努める。」(12/18)

 関連 「ながつき」のページの「からくり綱火」「大塚戸の花火祭」を参照下さい。
     「百日紅」のページの「一言主例祭を参照下さい。

新年に思う

 2009年の新年明けましておめでとうございます。
 昨年はアメリカに端を発した金融危機から、全世界に及ぶ経済不況に巻き込まれ、自動車産業、電子産業、あらゆる企業が大変厳しい要求を強いられる年となりました。日常生活にも日に日に不況の波は伝わってきます。
 今年は牛年、12支では牛は、子、牛で2番目です。しかし、神様が12支の順番を決める時は真面目な牛は一番先に並んでいたのだそうです。さて決めるその瞬間、牛の背中に乗っていた鼠は牛の前に飛び降りてしまったので鼠が一番、牛が2番になってしまったという話です。
 又、昨年は食の安全でいろいろと問題が発生しましたが、何の悪さもしない牛が、産地偽装で評判を悪くし、中国では牛乳にメラミンが混入され何の罪もない多くの幼児が被害を受け、又、各国の食生活に不安や被害をもたらしました。
 胃袋を4つも持ち反芻して栄養を充分に消化する動物、人間の為には有用な動物も、それを取り巻く環境によって悪用されてしまいます。こんな世の中は一日も早くなくしたいものです。
 先の見えにくい牛年ですが、例え、牛歩でも良いから明るい経済に向かう平和な一年であることを年頭にあたり祈ります。    (元旦)

 

版画賀状

 私のコンピュータの前の壁には岡沢氏義一氏の版画の大きな賀状が表装し額装して毎年飾ってある。
 昨年は岡沢氏のご尊父様の喪中のため賀状はなかったが、
 今年は右のような立派な郷土の風景を伝える版画を賀状として送って頂いた。縦70cm、横50cmもある。早速装丁、額装して所定の場所に掲げて鑑賞している。
 
 今ではあまり見られなくなった古木、天空に向かって大きく突っ立っている。その後ろに町家、が並ぶ、今ではあまり見られない黒い変圧器や蛍光灯の街路灯をつけた街角の電柱が見え、人通りのない露地に犬が一頭歩いている。なんとも鄙びた昼下がりの町の風景で郷愁を覚える。
 自然が残っている姿に温かみを感じ感銘した。
 
 落款は例によって極楽蜻蛉である。 
     ありがとうございました。   (1/5)

 

 

 

青菜漬

 山形の[青菜漬」をお土産に頂いた。
 山形は冬は雪の多い土地である。青物が不足するので青菜の漬物があるのかと考えながら食事の膳で頂いた。野沢菜まがいのものかと思って頂いたが、大きな、間違い、味といい、歯応えといいまったく違い、美味しい、改めて袋の説明を読み直す。
 ゜あおなづけ」ではない。「青菜漬」と書いてあっても「せいさいつけ」と仮名が振ってある。恥ずかしいことである。山形特産で名物の漬物、秋冬限定の絶品「青菜漬け(せいさいつけ)だったのである。

 山形の漬物は「西の京都・東の山形といわれるほどおいしいという。
 青菜は高菜の一種なのだが正式名称「山形青菜」(やまがたせいさい)で、「野沢菜」とは種類が違う。東北地方では唯一の高菜。生長が早く、大型で、葉は緑濃く、幅広く、肉厚でバリバリしている。そのため漬け込んでもしんなりとならず歯応えがあり、辛味があって、独特の風味を楽しめる。
 青菜漬は、古くから冬の保存食として作られ、それぞれの家庭に秘伝の味が受け継がれてきた。
 雪深い山形地方は、漬物の宝庫。中でも青菜漬は、冬場の保存食。山形の暮らしの中から生まれた素朴な郷土の漬物だ。
 ちょっぴり辛く、鮮やかな緑とシャキッとした歯ざわりは、まさに”山形の味”だ。春先になると長期間漬け込まれ色が「べっ甲色」になり辛味も抜け、古漬けとしてもおいしいという。
 
 山形と言ったら、青菜漬/青菜漬の無い山形は考えられないという。(1/12)

 

味噌漬

 味噌漬は日本人なら誰しも好む漬物であろう。戦前の農家では何処でも味噌は自家製で、その中に味噌漬を漬けていたものである。味噌部屋の中に、真っ黒になった古い何年味噌があることがその家の自慢でもあった。
 味噌漬は我が家でも好物である。特に、素材にこだわり、手間を惜しまず丹念に作り上げた伝統の味。上州(群馬・前橋)の銘品明治以来百十余年にわたって漬物専門の店を営んでいると言う「たむらやのみそ漬」は好きである。
 
 たむらやの漬物つくりは、畑から始まるという。
 いたるところで「○○さんちの漬物」が楽しめる時代があったのかも知れませんが、食の画一化、量産化によって家庭の味は次第に失われつつあります。その中で、たむらやの漬物は紛れもなく「たむらやの漬物」であり続けるという。たむらやの漬物は多くの主張をしないという。けれどもたしかな個性がある。漬物は言わば脇役ですが、たむらやの漬物は「名脇役」です。それは、原料の野菜は勿論、漬け込むための「みそ」にも徹底したこだわり、より良い味と香りを引き出すために、調整・発酵・熟成などに独自の工夫を重ねているからだという。
 「漬け込みは、やさいを収穫してすぐの「塩漬け」から始る。たとえば胡瓜の場合、収穫期の間毎日採られた胡瓜が、その日のうちに集荷場所に運ばれ、その場で計量されて塩漬けにされる。胡瓜の収穫は最もよいものが採れる期間だけに限られ、その期間を過ぎたものはたむらやでは使いません。大根や茄子、小姜の場合も同様だという。
 塩漬けされた野菜は、すぐ「味噌漬」するのではなく、そのまま一年以上じっくりと寝かせる。塩漬けに十分な時間をかける事はまろやかで味わいの深い漬物をつくるために欠かせない条件なのです。その後の漬け込みは、それぞれの素材の旨味や食感をそこなわないよう、こまやかに調節する。たむらやの漬物はすべてが特別仕立て」だ。
 たむらやは、手間を惜しまず丹念に漬物を作ります。急がず、焦らず、大量生産に走るのでもなく、心ある漬物つくりの伝統にのっとり、頑固とも言える製法にこだわり続けます。様々な素材の漬物一つ一つに、たむらや流の味と香りが通いますと言っている。
 何時も美味しくいただいています。ありがとう。(1/15)
 

奈良漬

 漬物をいくつか紹介してきたので、ここで茨城県の漬物を紹介してみる。
 茨城・取手名産 新六の奈良漬である。
 今より百三十余年前の明治元年、先々代田中新六が造った奈良漬が、近隣の評判を呼び大いに親しまれる。やがて、その噂は関東一円にまで及び、ついには笠間行幸の明治天皇、水戸行幸の昭和天皇よりお買い上げの光栄にまで浴した。さらに常磐線開通と同時に取手名産として鉄道立売りに指定され全国に名声を博す。
 大利根の流れが育む関東平野、そこにとれる新鮮な瓜、なす、きゅうり、しょうがなどを厳選し、酒粕やミリン粕のほかは、合成添加物など一切加えず、今も木の樽に漬け、土蔵の中に自然にねかせて造る。パリッとした歯ごたえ、ほどよい甘さと香り、つやのあるうまさは、季節を問わず、食膳に欠かせない味として喜ばれている奈良漬である。
 
 奈良漬の由来は、瓜類を主とした野菜を酒粕につけた漬物で、奈良地方で発達したのでこの名がある。シロウリ、キュウリ、ナス、ダイコンなどを塩で2ヶ月ほど下漬けし、同量程度の酒粕に数ヶ月漬ける。風味を高めるため、途中砂糖、味醂を加えた新しい粕につけ換えをすると香味に優れると一般的には言われる。美味しい漬物の一つである。(1/18)

 

とちおとめ

 イチゴの美味しい季節である.。
 イチゴの種類は何時も同じではない。
 イチゴといえば長い間「東の女峰、西のとよのか」が主力品種でしたが、
 静岡の「章姫」、福岡の「さちのか」など新品種が多く作られるようになってきました。「とちおとめ」はその名が示すように栃木を中心栽培されています。
 
 女峰は昭和57年頃から栽培が始り人気品種となりましたが、誕生から12年ほどで消費者の好みも変わって、大きくて甘いものを好むようになってきました.。
 
 女峰より粒が大きめで、酸味が少なく甘味のあり、果皮は光沢のある鮮やかな紅。
 甘味が強く、ジューシーで日もちするなどの理由から、最近人気が上昇中である.。

 おいしい「とちおとめ」ゆっくりご馳走になります。(1/25)

帆立貝

 ホタテガイはイタヤガイ科の二枚貝、殻長20cmで、幅4.5cm右殻はふくらみが強く、黄白色、左殻は紫褐色で小鱗状彫刻がある。世界中で人気のある旨味の塊のような貝である。
 ホタテガイは、寒い海に棲む二枚貝。貝が開くと、帆を立てた舟の姿に似ていることから名づけられたと言われている。移動する時は貝殻の耳上部にある穴から海水を噴出し、1−2mもジャンプすることができる。貝柱が一つしかないことが特徴で、この貝柱は、昔から高級食材として用いられてきた。また、貝殻の形が扇に似ていることから海扇(ウミオオギ)と呼ぶ地方もある。
 能登半島以北、銚子以北ーオーツク海、朝鮮半島、沿海州の水深5−30mくらいの砂礫底にすむ。陸奥湾などが産地として知られ。近年、天然ものは減少し,北海道や青森県で養殖されたものが市場に出回っている。

高タンパクで低カロリー、コレステロールを減らしたり血圧を下げる働きがあるタウリン、疲労回復や不眠解消に効果があるビタミンB1を多く含んでいる。肝機能を促進させる、動脈硬化などの血管系疾患の予防などの効能がある.。ビタミンB2は細胞の再生を助け、口内炎や目の充血、疲れに伴う頭痛や肩こりにも効果がある。

 殻つきのものを選ぶ時は、ぴったりと口を閉じているものや、口が開いていても触るとすぐに閉じるもの、嫌な匂いのしないものを選ぶ。
 ヒモがシッカリ殻についているもの。鮮度落ちすると貝柱がゆるんでヒモがダレてくる。(1/27)

 

ストレリチア

 季節は大寒、一年中で一番寒さの厳しい時である。そんな中、蝋梅が咲き、紅梅も咲き出した。
 家内は1週間前から微熱と咳きが出て、近くの医院で診察を受けインフルエンザA型と診断され、それなりの治療を受けてきた。予防接種受けていたので軽いとのことであったが、なかなか微熱が下がらない咳きや痰が出るので、肺炎を心配、レントゲンを撮って貰うと、白い陰があるということで、医師会病院でCTスキャンを撮って来るよう手配をしてくれ、その結果、翌日9時30分ベットを空けておくので入院と決定し、紹介状をもらった。
 翌日、入院準備をととのえて9時半、医師会病院に行くと担当医からインフルエンザの場合は他の人への感染が心配なので、もう感染の心配はないと思いますがこの程度では入院させられないような話もされており不安な時間を過ごしながら検査・検査の2時間近くを過ごし、隔離状態で、個室入院が漸く決定し、これで助かるかと、ホットした状態である。当人は勿論、家族も、インフルエンザに罹り_高齢者で、肺炎を起すと命にかかわる危険が高いことを知っているだけに、掛り付けの主持医が色々と骨折ってくれているにも関わらず心配でならなかった。
 家族や病人との感情とは裏腹に、病院は真剣に取り組んでくれていて,事なきを得た。
 看護助手の用意してくれた個室に向かう車椅子に黙って座り込む家内の姿に極限の疲れと安堵の気持ちが見られた.一瞬である。

 インフルエンザにかかると入院を拒否されることもあるのかと、その意味はよく分かりながらも、身近な医療問題として不安に駆られたことも事実である。
 
ホットした気持ちで我が家の温室に入ると、ストレリチアの花が咲いていた.。ストレリチアはバショウ科ゴクラクチョウカ属の半耐寒性多年草で゜別名ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)とも呼ばれる.
 南アフリカ原産で、エキゾチックな苞と花の形、色合いから、熱帯植物の代表とも言える種類.である。
 名前の由来は、英国のジョージ3世に嫁いだシャロット妃が生まれた北ドイツの貴族メクレンバーグ・ストレリッツの家名にちなんでいる。(1/29)

 

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