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ミツマタ ユキヤナギ ツルニチニチソウ ミヤコワスレ 出雲大社大遷宮 フジ 足立美術館 ショカツサイについて
石見銀山 五百羅漢 モッコウバラ マメコブシガニ キングサリ 鳥取砂丘 ヒルザキツキミソウ お母さん窓あけて
水海道小学校保存資料 岩手・宮城内陸地震 ブルーベリー
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写真のようにミツマタが満開である。
ミツマタはジンチョウゲ科の落葉低木である。ジンチョウゲも今、花盛りである。
ミツマタは中国原産で古く日本に渡来、各地に植栽される。
枝は3本ずつに分かれ黄褐色である。ミツマタの名はこの枝の特徴にちなんでいる。
葉は薄く広披針形で裏面には白みがある。3-4月、葉の出る前に枝先の頭上花序に黄色花を下向きに開く。
がくは長さ8-15mm。筒形で先が4裂、花弁はない。観賞用に赤花もあって見事である。
樹皮の繊維は強く、和紙や紙幣の原料とする。
樹齢が長くなると弱ってくるので、古い幹から順に株元で剪定し、新しい幹に更新するとよい。(3/22)
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サクランボの花はさかりをすぎ、鮮やかな黄色のレンギョウの花や白蓮、シュモクレンも開花。ボケの花も咲き出した。
左の写真はご存知のユキヤナギの花である。右の写真は今を盛りと咲き誇るヤブツバキで、サクラの蕾もここ数日の暖かさに膨らみを増し、明日にも咲き出しそうである。
ユキヤナギはバラ科の落葉小低木で、柳のような細い風に揺れる枝に、雪のような白い花をぎっしりとつけることからこの名がある。
本州(関東以西)から九州、中国の山地に自生。たかさ1-2m。4−7月前年枝の葉腋に径約8mmの白色花を3−7花ずつつけ、枝のほとんど全体が花で埋まる。広く庭木として植栽され、切花にもされる。 日本のものは植栽されたものの野生化とも言われている。いずれにしても、春咲きの風情のある見事な花である。(3/27)
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サクラは満開、アミガサユリも咲き出した。今日は素晴らしい花見の陽気である。
ツルニチニチソウの花も写真のように春の日に見事に開いている。
まさに、百花繚乱の季節である。
今日は天気が良いので、菜園のカラシナを抜いて堆肥に積み、粒状苦土生石灰を撒き堆肥を入れて耕運機で畑を耕し、次期の野菜栽培の準備をした。
ツルニチニチソウはキュウチクトウ科ツルニチニチソウ属の耐寒性つる植物である。亜低木で別名をビンカ、ツルギキョウとも呼ばれる。
原産地は北アフリカからヨーロッパ北部で、自然開花期は4−7月。
丈夫で半日陰でも旺盛に育ち、地面を覆う。草丈は10-30cm。花が美しく、茎がたれさがるので、吊り鉢に植えると扱い安い。
花が日日草に似てつる植物なのでこの名がある。
斑入り葉の品種もあって面白い。(4/6)
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シャガ、ハナニラ、ツツジ、ドウダンツツジ、ハナモモ、シバザクラ、ヤマブキ、ライラック、アカバナトキワマンサク、ボタン、フジ、ヒマラヤユキノシタ、ムレスズメ、ショカツサイ、ミヤコワスレ、色とりどりの椿と百花繚乱の良い季節である。
写真はミヤコワスレである。長年あったものが、なぜか消滅してしまい。家内が友人の鈴木さんから株分けをしていただき、育てたものが今年はよく成長し花をつけている。
ミヤコワスレはアズマギクとも呼ばれ、キク科の多年草で、本州、四国、九州の山林内に自生するミヤマヨメナ(ノシュンギクとも)の園芸種で、江戸時代に作出されたと言われている。今ではピンクや白、紫色の濃い花など、園芸品種もいくつか作られている。
日本情緒豊な名前がつけられているが、承久の乱に敗れた順徳院が佐渡で都を思い、「都忘れ」と名ずけて詠ったことによると名前の由来は言われている。
いつまで見ていても飽きない、趣のある花である。(4/17)
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島根県は出雲大社をしばらく振りで家内と訪ねる機会を得た。
神楽殿の注連縄の重量は4.5トンあると言われ、鎖で吊るされている。本殿の注連縄は1.5トンとか、共に巨大な注連縄で驚くばかりである。
写真の千木のある本殿の屋根は60年に一度といわれる平成の大遷宮でしばらく見られなくなるという。
出雲大社の祭神は大国主の命である。本殿は「国土奉還」を受けられた天照大神の命によって造営されたことによって始まる。平成12年には境内から巨木3本を束ねた柱が顕現し、古代の16丈(48メートル)の壮大な御神殿の様が明らかになった。現在の本殿は、延享元年(1744)に造営され、以来文化6年、昭和28年と3度の屋根替えと修理を経て今日に至っている。
しかしながら、昭和の遷宮より50有余年にわたる風雪は、国宝の本殿の屋根の桧皮を大いに傷め、多くの部分の痛みも見過ごすことができない状態となり大遷宮の実施となった。
この「平成の大遷宮」は平成20年より始まり、平成25年に予定しております本殿遷宮祭を経て、境内外摂末社や諸建宇の修理が整う、平成28年まで継続するという。
良い時期に参拝できた幸せに感謝している。(4/25)
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我が家のフジの花も満開である。母親が健在のころ、牛島のフジを見に行った帰りに、その接ぎ木を買い求めてきたものでもう何十年になるか忘れたが、毎年良く花をつけ楽しませてくれる。
この季節、鳥取から岡山への国道53号線をバスで走っていると、シャガやヤマブキの花が目立つ。岡山に近づくと、左側の若葉萌える雑木林にはヤマフジの紫の花があちこちに樹冠を覆っているのが目立っていた。きれいなものである。
ヤマザクラはまだ花が咲いている。
モミジ、フジの花、ハナミズキの花、道路沿いに植えられた花壇のチューリップなど色とりどりの花が眺められ菜の花の鮮やかな黄色が目立つ、行楽の良い季節である。
そうそう我が家では、ライラックも満開である。
関連 「諸葛菜」のページの「ノダフジ」を参照ください。 (4/26)
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足立美術館は島根県出身の実業家、足立全康氏の収集品寄贈により昭和45年開館した。
「庭園もまた一幅の絵画である」と言う足立氏の言葉に勝るものはありません。
名園と名画の絶妙なる調和。創設者の庭造りへの情熱を生き生きと伝える50、000坪の日本庭園。枯山水庭、白砂青松庭、苔庭、池庭・・・と、歩を進めるたびに眼前に広がる閑雅な風情は、館内の日本画と相まって訪れる方の心を静に癒す。館内には、横山大観をはじめ近代日本画壇の巨匠達の作品約1、300点を収蔵。常設展のほか、年に4回、展示替えを行い、特別展を行ない。特別展を開催。特にに約130点を数える横山大観のコレクションは有名で、常時20点前後を展示している。
明治30年作の「無我」は紙本で額装で展示してあった。茨城県人として県立近代美術館には条幅で展示してあるのを何度も見ている。なぜ二つあるのか疑問であった。帰りがけに、学芸員に聞いてみると即座に教えてくれた。「「無我」ですね、あの作品は3点あり、茨城、東京、そして此処足立にあります。」と丁寧にご教示いただき、今まで3点あるとは知らなかった。聞くは一時の恥、良い勉強になった。
世界が認めた庭園をしばし楽しみ、。 近代日本画巨匠の名画が奏でるゆるやかな時間に浸る。 (4/28)
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川崎様から「ショカツサイ」についてお問い合わせがありましたので少しく記してみます。
三国志を見ると、諸葛孔明は蕪を軍の駐屯地に種を蒔かせたとあると書いてありますが、その辺のことは私にはわかりません。川崎様は、その特徴からスズナ(蕪)のようであり、ムラサキハナナとは異なるとお考え、のようですが、これも残念ながら私にはわかりません。
ショカツサイの根は蕪や大根のように肥大はしませんね。
しかしながら、諸葛孔明が遠征の途中経路がわかるように、また食糧にと考えると丈夫で目につく2年草で、紫の花の咲くムラサキハナナを選んだのは、味を選ぶよりは実を選んだ名軍師、賢明であったのではないかと思います。
ハナダイコンは中国原産で、アブラナ科、花卉として導入され、日本各地で逸出・野生化している。2年生草本。道端や堤防などに人為的に播種されることも多く。全体に無毛茎は上部で分枝して高さ60cmほどになる。根性葉と茎の下部の葉は羽状に深裂するが、上部のものは長楕円形、縁に不揃いの鋸歯があり、基部は耳状になって茎を抱いて互生する。春に枝の頂部に、直径3cm程の紫色の4弁花を総状につける。果実は長さ10cmに達する長角果。江戸時代に導入されたが、第2次大戦前に中国から持ち込んで広めた人がいる。別名ショカツサイ、オオアラセイトウなど多様な名前で呼ばれている。
お役に立ちましたでしょうか。何か新しいことがわかりましたら教えてください。お願いします。
関連 「白梅」のページの「ショカツサイ」を参照下さい。
「希望のページ」の「諸葛菜」を参照ください。 (4/29)
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2007年7月世界遺産に登録された石見銀山遺跡を訪ねた。
島根県太田市大森町に位置し、世界遺産には[間歩(まぶ)」といわれる600以上の坑道(銀の採掘場)のほか、羅漢寺五百羅漢、石見銀山資料館、大森の町並み、鉱山を含む広い地域が登録されている。
写真は中世の鉱道龍源寺間歩全長600メートルのうちの156mが見学でき、一方通行で丘の反対側の昆布山谷に抜ける坑道である。
1526年(大永6年)に博多の豪商・神谷寿禎によって発見されて以来、約400年に渡って採掘されてきた日本有数の「銀」鉱山で、16世紀から17世紀には大量の銀が採掘され戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われており海外に数多く輸出され諸国を交易で結ぶ役割を果たしてきた。
17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約1/3をしめていたといわれ、日本銀はかなりの量を産出していたと伝えられている。このような繁栄は、開発から100年ほど続きましたが次第に銀の産出量が減少し、ついに閉山に、400年に渡る歴史的景観のほとんどが手付かずの状態で残る石見銀山では、現在、発掘調査など様々な調査が行われており、当時の大規模な鉱山町の全容が、次第に明らかになりつつあります。
また、石見銀山の注目すべき点は灰吹法(鉱石から銀を吹き分ける精錬技術、神谷寿禎が朝鮮半島から招いた慶寿により導入された)という原始的な精錬法で驚くほどの生産高をあげたことでもある。
4月27日の朝日新聞には「石見銀山 最大の坑道跡」として、大久保間歩の一般公開が始まったことが報じられている。江戸時代の手掘りの跡や、明治以降に使われたトロッコ用の朽ちた枕木、縦横無尽に延びるほかの間歩の入り口を見ることができるという。
登録の中には、温泉津(ゆのつ)温泉もその一つであり、銀の積み出しで栄えた港町で、町屋、廻船問屋などが、江戸時代さながらの状態で残っている。
近代以前の環境がそのまま残っている素晴らしい世界遺産である。
「石見銀山」と言う名は世界遺産的価値を知らない人でも、すぐに、「殺鼠剤」の「石見銀山」という毒薬を思い出す。これはヒ素が原料であるが、石見銀山ではヒ素は産出しない。日本一の石見銀山にあやかったネーミング商法だったようだ、余談。(5/2)
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石見銀山遺跡にユニークな雰囲気を作る石窟五百羅漢は、1741年−1743年に月海浄印というお方が発願され。昔銀山で働いてなくなった人々の霊や我々の祖先の霊を供養するためにと、地元の人々、大森代官所の役人、当時の代官、八大将軍徳川吉宗の次男田安中納言宗武卿の援助で田安家奥御殿の女中など多くの人々の寄進により明和3年(1766)3月、25年もかけて完成した。
また、これに併せて五百羅漢を護るために無量寿院羅漢寺を建立し、ご本尊阿弥陀(無量寿)如来、不動明王、愛染明王、過去、現在、未来の三世の悪因を断除される降三世明王(秘仏)文化財、国家平安と衆生擁護を司る大元帥明王(秘仏)文化財を安置している。
羅漢像は現在の温泉津町福光の石工坪内平七、その子及び一門の人々が約20年の歳月をかけて彫像したもので、それぞれ背面又は裏面に寄進された人の名と年月日が刻まれている。様々な表情と姿勢をされていますが、当時の人々はここにお参りすれば亡くなった父や母、わが子の面影に会えるといって善男善女が近隣近在から集まったと言われている。
なお五百羅漢とは、
お釈迦様に従っていた五百人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望等は全て超越しているが仏、菩薩の境地にはまだ到達せず、我々人間と仏との間の存在である。 (5/3 )
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連休後半の天気は良い予定であったが、どうもぱっとしないようである。
お蔭様で、我が家の菜園はナス、キウリ、トマト、ピーマン、シシトウ、アマナガトウガラシ、ゴウヤ、シロウリなどの苗を植え終わった。
ライラック、フジの花も終わりに近づき、ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の花が樹冠を真白に覆って見事に咲き出し、モッコウバラは写真のように今が満開である。
モッコウバラはトゲのないバラとして知られている。中国原産のバラ科のつる性落葉低木で、庭木として垣根などに這わせる。枝にとげがなく、羽状複葉で小葉は3又は5枚。5月頃枝先に散房状に白又は淡黄色の八重咲きの花をつける。白色花には芳香がある。結実はせず、3月に挿し木で増やすことができる。
江戸時代から親しまれてきているが、香りのある白花は花つきが少なく、黄花には香りがないが大輪と花つきのよさでこちらのほうが人気がある。(5/5)
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子どもの日の5日、天候は曇りがちであったが、娘夫婦と末の大学生の娘、孫にとっては初めての潮干狩りに、これまた初めての男孫を連れて千葉県は久津間海岸に出かけた。
連休最中、しかも子どもの日とあって大変なにぎ合いであった様である。
好奇心の強い2歳の男の子にとって、初めての海、潮干狩りは大変な喜び、写真のような状態であったと言う。
貝を採り、カニやヤドカリをつかまえ、砂と海水の中で十分に遊んできたようである。
写真はマメコブシガニで甲長1.8cmほどのカニで、例の孫が捕まえて持ち帰り飼っているものである。
いずれにしても、彼にとっては、大変な収穫と体験の「子どもの日」であったようである。よかったね。
お蔭様で今朝は、新鮮なアサリの味噌汁を頂くことができて何よりである。(5/6)
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5月と言うのに昨日今日は3月下旬の陽気で肌寒い。高い山では雪がちらついている。台風2号も日本の南海上に近づいている。
キングサリやアカバナウツギの花が盛りである。
キングサリはマメ科ラブルナム属の落葉花木で、写真はキングサリ’ボッシー’である。別名ゴールデンチェーン、ゴールデンレインとも呼ばれる。鮮やかな金の鎖が降り注ぐように吊り下がりアーチ仕立てにすれば花のトンネルとなる。
色鮮やかな黄金の花房を多数吊り下げる様が華やかで、黄色いフジは珍しいなどと、とてもよく目立つ樹木である。
交雑種であるボッシーは、特に花穂が長く、人気が高い品種である。(5/11)
関連 「ベルフラワー」のページ「キングサリ」を参照ください。
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4月24日鳥取県は鳥取砂丘を訪れた。
鳥取は鳥を捕らえる鳥取部(とっとりべ)と呼ばれる民が住んでいたことに由来すると言う。日本海に面して東西に広がった、四季折々の自然を楽しめる県である。
黄金色に輝く砂丘を訪ねた。
鳥取砂丘はやや赤みを帯びた白砂が東西16キロ、南北2キロの広大な面積を覆っている。
砂の粒子が細かいため、日本海から吹く風で砂丘の表面は風紋と言われる文様ができる。斜面にはスダレ状の砂廉ができ、早朝が最も美しい。深さ30メートルにも達するすり鉢状のくぼみの底からは清水がわき、砂漠のオアシスさながらである。
観光のためにラクダが2頭飼育されており、観光客のカメラのバックとして有料で活躍していた。
防砂林の松林の内側にはラッキョウ畑が広がり、鳥取名物砂丘のラッキョウが栽培されている。
砂地のラッキョウは玉が締まってコリコリしておいしいとよろこばれる。
土産物店には塩漬け、甘酢漬け、たまり漬け、黒酢漬けなどいろいろなラッキョウの漬物が試食でき、何種類か土産に求めて帰途につく。(5/15)
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ヒルザキツキミソウが写真のように咲き出した。
ヒルザキツキミソウはアカバナ科の多年草で、モモイロツキミソウとも呼ばれる。
北アメリカ原産で世界の温帯域で花卉として栽培されている多年生草本。
全体に白色の短毛を密生し、横に走る根茎から多数の茎を出して群生する。
茎はよく分岐して高さ60cm程になる。葉は細いひ針形から線形で、波状の鋸歯を持ち、短い柄があって互生する。夏から秋にかけて、淡桃色から白色、直径5cmほどの4弁花を茎の上部にやや総状につける。花は夜に開花するが、、日中もしぼまない。
同じアカバナ科のユウゲショウも小型ながらピンクの花を見せている。こちらは熱帯アメリカ原産でヨーロッパやアジアで鑑賞用に栽培され、しばしば逸出、野生化している多年生草本である。
沖縄から持ち込んだ、アカバナ科の黄色の花のコマツヨイグサも我が家敷の中から外に出ることも絶えることもなく今咲いている。こちらは北アメリカ原産でアフリカやアジアに広く帰化している越年生草本である。
同じ仲間の、ごく小さい種類で、「洋種山草」として盆栽愛好家から珍重されるヒナマツヨイグサも花を咲かせている。こちらは北アメリカ原産の2年生または多年生草本で、花は昼間に開き、花弁の頂部はわずかに凹む。1949年に群馬県で見いだされた。
これからは、マツヨイグサの花の季節でしばらく楽しめる。(5/19)
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「お母さん窓あけて」 ーいのち輝くときー は、篠山孝子著 93頁 銀の鈴社 発行 定価1000円+税 2008年5月10日初版発行の本である。
過日、水海道市立五箇小学校長であった篠山氏から著書が贈られて来た。早速懐かしい思いで読ませていただいた。
表紙には、長い教職経験の中で到達した篠山先生の哲学。 −自然の大切、尊さをを知ることによって、人は純粋さや神聖さを知るー
自らの幼児体験を基点に、よりよき社会をと祈りを込めて心の筆で書いた一冊である。という、宇都宮大学名誉教授 斎藤健次郎先生の推薦の言葉がある。
今春は五箇小学校時代片腕として活躍してくれた同僚が15年間管理職を大過なく終わることができ、他の二人の同僚も登用され、他にも教頭として頑張っている当時の同僚の姿にわが子の事のように喜び。
五箇小学校長を退職後7年、下妻公民館分館長の要職を務め、その後、父母、夫の介護生活に明け暮れていましたが、今回、やっと介護から開放され自分の幼いころから現在までの人生体験談を取り入れ、現代社会に欠落している心の問題をまとめてみましたという丁寧な手紙も添えられていました。
夫婦共稼ぎの年寄りのいない核家庭、余裕なく生きる現代社会の中で「子育てとは」親が忘れていないか、気づいてていないか、問題は大きい。
著者の母親である刀鍛冶職人の子の幼児時代からのしつけ、教職につく動機となった幼稚園時代、教員時代、管理職時代、子育て時代、公民館分館長時代、介護生活時代と豊富な人生体験を通した
1.親子のふれあい
2.祖母とのふれあい
3.友人とのふれあい
4.先生とのふれあい
5.自然とのふれあい
6.芸術とのふれあい
以上6項目に分けて記されている篠山先生特有の子育での方法で最も大切な子育ての方法の基本論を述べている。一読を是非お勧めしたい一冊である。(5/25)
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昨年、卒業生名村栄治氏によってなった、「水海道小学校130年の軌跡」によって火の手が上がった水海道小学校の歴史の中で、戦後の貴重な記録は収録されていない。記録の行くヘが不明であったのである。
「記念誌」発刊を機に、矢口教育研究会が発足し、当会を中心に、当時の教員有志、当時の児童有志がボランティアで参加して、教育委員会・学校の許可のもと大半の資料を探し出した。
膨大な資料である。
水海道小学校の歴史的資料記録は、戦後−昭和40年年ごろに限っても1万ページ以上ある。歴史的資料の調査と保存に向けての活動では、まず、資料の保存(データ化)が第一の仕事で、資料の傷みが激しく、デジタルカメラによる撮影保存を始めた。大変な仕事である。
「歴史の部屋の資料リスト」もデータ化作業を実施。できれば、小学校のホームページで公開できればと言う構想を持っている。
現在の資料撮影は、「水海道小学校保存資料リスト」を(活動内容・時期による仮分類)を次のように行い。
1.地域の課題を解決するための学習を工夫した時期(1948-55頃)
2.具体的な教材、現実的な学習を工夫した時期(1955-60頃)
3.一人ひとりをそだてる学習を工夫した時期(1960- )
4.児童の作品
5.アルバム
6.外部機関等の重要資料
7.PTA活動資料資料
8.未確認資料
で行っている。したがって完了時期はまだ未定である。
普通の曜日に実施しているので、作業を見ながら廊下を通る子ども達は「なにやっているの」と興味深げに覗ききこみ、学校の歴史に関心がある様でほほいましく感じられる。
電子資料として一般に公開できる日はいつになるか知れないが、前向きに頑張ってみよう。(6/3)
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14日午前8時43分、宮城県栗原市を震源とする最大深度6強の地震が起き各地で土砂崩れなどを引き起こし、死者、行方不明を含む大きな被害が広がった。
震源のすぐ隣の一関に住む知人の安否が気になり電話を入れてみた。
元気な声が電話の向こうから聞こえて、まず安心。お見舞い申し上げると「ガラスが割れた程度で被害はなかった、驚きました。お見舞いありがとうございます程度の会話でその場の電話は切った。
一両日して丁重な体験を記した礼状が届いた。
「(一関では2クラス低い5強)の激しい地震に見舞われ、家内とちょうど朝ごはんを済ませたばかり。反射的に表に飛び出したためどのくらいの揺れか、感じる暇もありませんでしたが、今振り返り、たぶん、立ってられない状態だったと思います。
揺れが収まって家の中に戻ると、私の部屋の書棚の本は大半が飛び出し、床に散乱、物入れの扉は半開きに開け、その間から、中に積んであったガラクタが山になって崩れかかっておりました。また、茶の間では、茶箪笥のコップがいくつか落ちて、砕けておりました。
不思議なことに、2階の小部屋の仏壇の線香立てが、すぐ前の供え物用のテーブルの上に倒れもせず、従って、灰もこぼれず、元の姿勢のまま落ちてました。おそらく、ジャンプしたものと思われます。それが却って、2階での揺れの厳しさを物語るかのようです。
しかし、その直下の階下では、外に飛び出すことができたわけで、階下にいて震度5強程度では、逃げる間もないほどの揺れでないことは確かです(2階の場合、逃げずにいたほうがいい、とよく言われます。第一、足がすくんで逃げられないはずです。逆に、逃げられるくらいなら、さほどの揺れではないのだと思います。)
幸い、壁とか風呂場のタイルに損傷はありませんでした。築後20数年経って、何度となく地震を経験するうち、家全体にガタが来て、自然と地震に強い柔構造になっているのかも知れません。
教訓が一つ。私は今からちょうど30年前の昭和53年6月の宮城沖地震を経験しており、棚から物が落ちるほどの地震は、今回が2度目です。以来、水やビスケット、ラジオ、懐中電灯などを入れた非常袋を用意、車や物置に分散して置いてます(実際、電池など買えなくなる)。3年前、郷里に1時帰省の折、留守中、万一に備え、危なそうなタンスや茶箪笥を金具などで補強しました(金具などはホームセンターで売っており、素人でも簡単に取り付け可能)。
今回、これが大変やくだちました(例えば、台所の茶箪笥で、幾重にも重ねた茶碗や皿に全然異常なかった)。震度7とか8とかではどうか分かりませんが、震度5か6程度の地震では、ちょっとした備えにより、被害が最小限に食い止められることが、今回よく分かりました。
そなえあれば憂えなし、というのは、やはり、本当だと思います。
今回、外に飛び出したとき、唯一、家の中に残した薬のことが気がかりでした。何か持病で通院中の人は、非常時、薬なしでは困ってしまいます。水や非常食に加え、薬も分散して置いた方がいいかも知れません。
・・・
私たちの社会全体、地震への対策は、30年前とは比較にならないほど進んだと思います。
それでも今回、特に山間部で、痛ましい犠牲者が出ました。中には、山の温泉や渓流釣りに出かけ、土砂崩れにあった人もおります。その人たちも、出先で、まさか地震に遭うとは夢にも思っていなかったはずです。
また、揺れと同時に外に飛び出したはいいが、トラックにはねられ、なくなった方もおられます。
最後はやはり、人智を超えた「運」なのだと思います。
余震が本震を上回るはずがないと知りつつ、夢中でいる本震のときより、余震の方が、徐々に不安がこみ上げ、不気味です。地震当日、また、 翌日、郷里始め遠方の方々から、お見舞いの電話を頂戴しました。
病気になって始めて健康のありがたさが分かるのと同様、災害に遭って始めて、日頃の平穏のありがたさ−−と同時に、何より、人々の温情のありがたさを、改めて知った次第です。」
不安な日々の毎日の中で、感謝の気持ちをこめて、貴重な体験を一人でも多くの人に参考にしていただければと、詳しく綴って送って頂きましたので、ここに掲載し、皆様と共に御礼と、改めてお見舞い申し上げます。(6/19)
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家内の友人、坂巻さんから今年もブルーベリーを沢山頂いた。
ブルーベリーは北米原産のコケモモ属ノ低木約20種の総称で、特に果樹として栽培する数種と、その果実を言う。一般に白粉をおび、熟すると紺色から黒色になる小果を房状につける。酸味が強く、生食のほか、ジャム・ジュースなど゜にする。
青紫色の色素アントシアニジンが目に良いと、人気が高まった果実で、果樹として栽培するのはハイブッシュブルーベリーとラビットブルーベリー、およびその交雑種。ハイブッシュ系は冷涼地、ラビットアイ系は温暖地に向く。果実は一般に白粉を帯びる。
我が家のブルーベリーは末の孫娘(今年国立大進学)が小学校卒業の際の記念樹であるが、鉢植えで、毎年実はなるが、多くの収穫は期待できない現状である。
たとえ、少しでも収穫できることは思い出と共に嬉しいことである。(6/21)
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