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ハナスベリヒユ コッキネア ねぶた ホテイソウ 竿灯 百日紅
カイツブリ ホウセンカ 酷暑 山丹花 ハナゾノツクバネウツギ ツバメ
松江城 アオサギ ヒグラシ 八百杉 知夫赤壁 ニイニイゼミ
ウワミズザクラ 原爆ドーム ショウリョウバッタ うに 仕事の厳しさ
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スベリヒユは日当りのよい田畑、道端に生える1年草である。
全体に無毛で多肉質、茎は赤紫色で地を這う。
枝先の葉の中心に小さな径6−8mmの黄色の5花弁花をつける言わば雑草である。
茎を茹で、干して保存し、乾燥したものを茹で戻して食べる。
スベリヒユは「滑りひゆ」で、茹でると滑ることからの名前である。
この草の花を大きく、色も豊富に改良したものがハナスベリヒユである。
スベリヒユ科スベリヒユ(ポーチラカ)属で、属名のポーチラカで呼ばれることが多い花である。
スベリヒユとポーチラカは花が形成されるまでは区別しにくい。2種の区別は蕾の下の葉の形で容易に区別できる。
右の写真のように蕾の付け根の葉が先が丸くへら状なのはスベリヒユで、左写真のように先が尖ってきていればポーチラカである。
花の少ない傷みやすい真夏に貴重な花で、花期も長く霜の降りる晩秋までカラフルに咲き、八重咲きや複輪もある。
属名のPortulacaは、古代ラテン語「有する(port)と「乳(lac)」からなり、乳液を有する意味である。
我が家の夏の庭を毎年彩ってくれる丈夫な花である。(7/12)
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コッキネアはサルビアの1種で、写真は近年育種が進んでいるコッキネア種’コーラル ニンフ’である。
サルビアはシソ科の一属で、一般には薬用にするセージ、または観賞用に栽培される数種を言う。
もっとも普通に栽培されるサルビアはスプレンデンス(ひごろもそう)でブラジル原産である。この頃は矮性種もある。
スブレンデンス種、青や白の涼しげな花をつけるファリナセア種、夏に咲くグアラニチカ種、コッキネア種と種類は豊富である。
熱帯、亜熱帯中心に900種以上が分布しているという。
特に地中海沿岸やメキシコに多く、以前はサルビアといえば真っ赤なスプレンデンス種を指し、花は蕚と共に朱紅色をした花冠の先が唇形になった筒状で、その形が金魚に似ていることから、キンギョソウという呼び名で子どもの頃は呼んでいたことを思い出す。
サルビアはラテン語salveo(健康である、健在する)の意で、本属のある種のものに健康増進の薬効があることによる。
花言葉は「燃える思い、知恵、尊重」である。
日当りと風通しの良い戸外に置き、鉢土の表面が乾いたら水をたっぷりやり、花が咲き終わったら花穂を切り取るとわき芽が伸びて次々と咲き長く楽しめる花である。(7/13)
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関東も今日が梅雨明け、暑い本格的な夏がやってきた。
今日のテレビで弘前のねぶた人形の製作風景が報じられていた。
ねぶたの季節である。
右の写真は、根本岩男氏の撮影になる四半切の見事な写真である。作品一つにも細かな苦労と知恵が凝縮されているようだ。
「ねぶた」は青森、弘前など東北地方の七夕行事である。
弘前では「ねぶた」という。
青森では8月2−7日に行われ、竹、木、針金、紙などで作り綺麗に彩色した大きな人形(ねぶた)に灯をともして町中を練り歩く。
7日には船に乗せて海上運行が行われる。
ねぶたの語は、「佞武多」などと当て字される。
坂上田村麻呂の蝦夷(えぞ)征伐の故事によるともいうが、元来は襲い来る眠気を意味するという。
七日盆には水で心身の清浄をはかろうとする伝承が多いが、ねぶたも、収穫の秋を控え労働の妨げをなす睡魔を飾り物と一緒に水に流し去ろうとするものであったかと考えられている。
大型化したのは江戸時代の文化・文政期(1804−30)頃からといわれている。
いずれにしても、夏の観光行事の一つとなっている。(7/13)
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ホテイソウは先に「ざくろ」のページで紹介したホテイアオイであるので参照されたい。
ホテイソウの花が咲き出した。
ホテイソウはホテイアオイ、スイギョク、ウォーターヒアシンスの別名がある。
ウォーターヒアシンスは英名であるが、花を見れば納得のいく名である。
ミズアオイ科ホテイアオイ属の多年生水生植物である。
アオイに似た円形の葉の長い葉柄の基部が膨らみ、その様子を七福神の布袋様の腹に見立ててこの名がある。
水中に藍色のひげ根を出し、夏に葉の間から花茎を伸ばして先端に薄青紫色の花を多数つける。
花は6枚の裂片に分かれ、その中の1枚は中央に黄色の斑紋がある。
朝開いて夕方に萎む1日花である。
水に浮く緑の葉の間から美しい薄青紫色の花を咲かせた姿は、涼しさを感じさせる。
面白いことに土中に根を張るとふくらみがなくなる。水に浮く必要がなくなるからであろうか。
明治中期に観賞用として日本に渡来し、1960年以降、異常繁殖によって水路の害草ともなっている。
一方、千葉県の手賀沼のように水質浄化に利用しているところもある帰化植物である。(7/14)
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先に「ねぶた」を紹介したが、今回は「竿灯」の写真を見ていただこう。
撮影は例によって根本氏で、4半切のカラー写真である。
ねぶたや竿灯の行事に合わせて撮影会に出かけていく、バカチョンカメラでの撮影とは違って、カメラ数台を始めとする撮影道具一式と装備は大変なものであるようだ。
竿灯は、秋田市その他で行われる七夕行事である。
秋田では8月5−7日に行う。
十数mの長い竹竿に9本の横木をつけて46または48個の高張提灯をつり、若者達が重さ60kgほどの竿灯を手のひらや肩、腰、額に載せて、各町、グループで競演し、市中を練り歩く行事である。
観光行事として年々盛大に行われているが、1890年ごろ竿灯と称する以前は「眠り流し」と呼ばれ、もとは「ねぶた」などと共に夏に体のけがれや睡魔を水に流し払って活力を取り戻そうという習俗から生まれたものといわれる。
現在は国指定重要無形民族文化財となっている。
それにしても見事な写真である。(7/15)
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夏の花、百日紅が咲き出した。今年は夏の到来が早い所為か開花が早い。
昨年は冷夏の為か開花は9月であった。
百日紅は中国原産のミソハギ科の落葉高木である。
夏の花木として庭園に植栽され、樹皮は薄くはがれ落ちて、跡に雲紋を作り、表面は平滑で猿も滑るということでサルスベリの別名がある。
サルスベリについての紹介は「この頃の話題」のページを参照されたい。
百日紅は花期が長く、100日にも及ぶことからの名前である。
中国でも百日紅といい、日本ではじめて百日紅の名前が出てくるのは貝原益軒の「花譜」(1694)であるという。
「百日紅、また、紫微花といふ、六月以後、八、九月まで花ひらく。紅艶にして愛すべし。其間百日ばかりあり。虫好んでくらふ。取去るべし。園史に曰く、小指にて其本をかけば則ち枝葉ともにうごく。故に俗に怕痒樹(はようじゅ)という。倭俗にも手を以って其もとをなで暖むれば、風なくしてうごくといふ」とある。
作家 水上勉は作品「五番町夕霧楼」で、「女主人公の薄幸な生涯を象徴させようとするには、百日紅がふさわしいと思ったのである。」といい、田坂具隆監督による映画のラストシーンには百日紅を撮っている。(7/16)
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カイツブリ、懐かしい名前である。
子どもの頃菅生沼で水浴びをし、カイツブリの水草で作った浮き巣を見つけたことなど当時の風景が目に浮かぶ。
写真は鈴木氏のビデオ友達、岩井の米島氏の撮影になるものである。
15日夕方、NHKの「みんなのビデオ」で放映された。
撮影場所は菅生沼ではなく埼玉県であるが、カイツブリの子育ての様子がよくわかる貴重な映像である。
カイツブリはカイツブリ科の鳥で、ニオ(鳰)、モグリとも呼ばれる。
子どもの頃、この辺ではモグッチョと呼んでいた。
翼長10cm、雌雄同色で夏羽の背面は黒褐色、成鳥では顔から首の側面が赤褐色で、目と嘴の基部が黄白色をしている。
全国に分布し、北日本のものは冬に暖地に移動する。
池沼や流れの緩やかな川に生息している。
営巣はアシや水草などを利用して、水面に浮かせた巣を作る。
雛を背中に乗せて子育てをする特徴がビデオに良く映っている。
活発に潜水をして、指の両側のひれを使って巧みに泳ぎ、魚や水生昆虫を捕らえる。ここから別名は生まれていることがわかる。。
飛翔の際は長い助走から水面上を飛ぶ。
写真は浮き巣の上で2羽の雛を背中から降ろしたところで、なかなか見られない生態写真である。
カイツブリのほのぼのとした子育てを見ることができて嬉しかった。(7/17)
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ホウセンカをこの頃栽培した記憶はない。しかし何処からか、こぼれ種が入ったらしく苗がひとりでに育ち、鉢に取ってやったので今開花しはじまった。
ホウセンカはツリフネソウ科インパチェンス(ツリフネソウ)属の一年草である。
インバチェンスはアフリカホウセンカとも呼ばれ、毎年栽培してホウセンカの座を奪っていたのが実情である。
栽培してみれば、それなりの良さと、花の少ない子どもの頃の懐かしい花として蘇る。
原産地はインドおよび中国南部である。
ホウセンカは1596年にヨーロッパに入り、日本には元禄年間(1688−1704)に導入されている。
花のしぼり汁で爪を染めたことからツマクレナイ、ツマべニの別名もある。
熟した果実は触れると5片に裂開し、はじけて種が飛び散る、カタバミなどと同じ上手い種の飛散方法を持っている植物である。
草丈50−60cmの高性種と20−40cmの倭性種がある。
花形も、写真のような清楚な一重咲き、豪華な八重咲き、八重咲きの中でも花弁数の多い椿咲きなど多数あって花色も豊富である。
花言葉は種にちなんで「触らないで」と面白い。(7/18)
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今日は土用の丑の日、毎年、浜名湖産の本場のうなぎの長焼きをN氏が取り寄せて届けてくれる。
ところで昨日は千葉で40.2℃、東京で39.5℃と観測史上初の記録となった。
関東以西に太平洋高気圧が張り出し、其の縁を回って暖気流が日本海から山越えで関東に流れ込みフェーン現象によって酷暑となったという。昨夜は気温が下がらず30℃という熱帯夜となった。
早速うなぎの蒲焼を戴いてこの暑さを乗り切るとしよう。
ところで、なぜ土用の丑の日にうなぎを食べるのか、
「万葉集」に大伴家持の有名な和歌で、夏の土用の頃は、夏痩せに良いといううなぎを食べて健康を保持しようという内容のものがあるが、「土用の丑の日」と言う言葉はない。
この言葉が出来たのは江戸時代だという。
一つは平賀源内が知り合いのウナギ屋のために「本日土用の丑の日、鰻食うべし」と大きく書いてやったところ、はやらなかった店が大繁盛した。
そっくり同じような話は、大田蜀山人にもある。
いちばん確からしいのは、神田和泉橋通りのウナギ屋、春木屋善兵衛のところに、藤堂という殿様から「蒲焼」の大量注文があり、一日ではつくりきれないので、子の日、丑の日、虎の日の三日間かかって作ったという。
冷蔵庫などの保存設備のない時代ですから、その蒲焼は土がめに入れて密閉され、床下に貯えたという。
納品の日になって出してみたところ、子の日と虎の日につくった蒲焼は傷んでいて、丑の日につくった分だけが美味しく食べられたという。
この春木屋善兵衛のエピソードから、この日に食べるウナギは美味しく栄養があるといわれ、その後土用の丑の日はウナギを食べるのだ、という習慣が定着したといわれている。
今の科学では、ウナギにはビタミンA・Eや血液の循環をよくするEPEをはじめ、DHAなどの良質の蛋白質とカルシウムもたくさん含まれているという。
先人の知恵は素晴らしいものである。(7/21)
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山丹花が厳しい暑さの中で負けずに咲いている。
植物名の和名はかな書きが正式なので、サンタンカと普通書かれている。
先に鼓動のページで紹介しているので参照されたい。
サンタンカはアカネ科サンタンカ(イクソラ)属の常緑低木である。
中国南部からマレーシアに原産する高さ1メートルほどの熱帯性の常緑樹であるから言わば夏は彼らの天下なのである。
この株を手に入れたのは、つくばの大きなグリーンセンターが閉鎖される時に小鉢で購入したものであるが、冬は温室管理をしているので、大株に育ち毎年花を見せてくれる。
話は変わるが、グリーンセンターならず、パソコンシヨップ、電気店、飲食店、スーパー、雑貨店などなど大型、小店舗を問わず閉店、倒産したところの多い長い経済不況であった。
回復の兆しは見えてきたといわれているが、まだまだ不透明な部分は多い。
そろそろこの辺でサンタンカの花のような明るい経済社会になってもらいたいものである。(7/23)
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横文字が苦手な年齢にはこの名前がわかりやすい。
漢字で書けば花園衝羽根空木である
図鑑などの和名にはこの名前が使われているが、園芸造園関係ではアベリアで通っている。
名前をちぢめてハナツクバネウツギ、ハナウツギと呼ばれることもある。
スイカズラ科ツクバネウツギ(アベリア)属の常緑低木である。
公園や道路・庭園の植え込みなどに使われ、大気汚染や排気ガスなどにも強く、高速道路などにも使われている。
花期が長く、初夏から晩秋まで咲き続ける。今も写真のように見事に咲いている。
花と、花が散った後に残るがくが衝羽根(つくばね)即ち正月に羽子板で突く羽根に似ていることによる名前で、ウツギは樹姿がユキノシタ科のウツギを思わせることによる。
アベリア属の植物は東アジアからインド、メキシコなどに20種ほど分布している。
ハナゾノツクバネウツギは落葉性で白花をつける中国原産のシナツクバネウツギと、常緑性で白色または淡い紅色の花をつけるシロバナツウカコウとを交配してつくり出された園芸品種である。
日本には大正年間に渡来し、現在では何処でも見られるが、やや温暖地向きのようである。
かすかに芳香があり、剪定にも強く、病虫害もほとんどない、樹勢の強い花つきの良い樹木である。(7/24)
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午前6時半小谷沼事務所の玄関先にツバメの雛が落ちていた。
捕まえようとすると少しは飛ぶことが出来る。
猫等に見つかったらひとたまりもない。やんちゃ坊主が巣離れに挑戦したのであろうか。
近くに巣がないかと見回すと、玄関の内側の壁に巣があり、2羽の雛が首を出していた。
おせっかいとは感じながら近くにあったデッキブラシに乗せて巣に返してやり、ことなきをえた。
人と車の間をすり抜けるように飛ぶツバメは、ツバメ科の夏鳥である。
九州の種子島より北の地域に飛来する。家の軒下や、玄関、店先のライトの上など人のいる近くに営巣する。
雨水を避け、人のいるところには外敵の襲来が少ないことを学んでいるようである。
巣は泥と枯れ草で作り、毎年その巣を利用して雛を育てている。
頭から尾まで、艶のある黒色、額と喉は赤っぽい褐色で、胸から腹は白い。
尾は先が細く長く、俗に言う燕尾型をしている。
飛び方は軽快で、巣の材料を集める時以外は地上に降りることは少ない。
鳴き声はビチュビチュピリリと複雑な鳴き声をするが、時にチュピッとも鳴く。
地面をかすめるように飛んで昆虫を取る益鳥である。(7/26)
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島根県の松江城を訪れた。
全国に現存する12天守の一つで、山陰では唯一の天守閣である。
天守閣の大きさ(平面規模)では2番目、高さ(30m)では3番目、古さでは6番目である。
慶長6年(1611)出雲の領主・堀尾茂助吉晴が5年の歳月をかけて完成した。
城主は堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫に当たる松平出羽守直政が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間出雲18万6千石を領した。
明治8年、城内の建物は全部取り壊されたが、天守閣だけは有志の奔走によって保存され、昭和25−30年の解体修理を経て現在に至っている。
天守閣は、望楼様式を加えた複合天守閣で、外観5階、内部は6階である。
壁の大部分は、黒く塗った雨覆板(下見板張り)でおおわれ、実戦本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な手法が見られた。
松江に住んだ小泉八雲は学生と天守閣に登り落日に照らされた宍道湖や、湖面に浮かぶ嫁が島の優美さを賞でた。
「封建時代の兜のように、屋根の両端からその彎曲した体を空にピンとはねた、ニ匹の巨大な青銅の魚(鯱)が棟飾りをしているし、(中略)傾斜した瓦屋根が判じ絵のように見え、それらがむやみやたらに突き出しているので、この建造物は大きな怪物を集めて造った、まさに建築術の妙をきわめた−大怪物だ。」著書 知られざる日本の面影 より
西洋人の目から見た城はそうかもしれない。
それにしても暑い一日であった。(7/27)
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松江城の天守閣6階から北側の森を見ると異様な光景が見える。
真っ白になった木の上で羽ばたいている大きな鳥がいる。
城内の昼なお暗い大木の木々の間を歩いても気づかなかったが、アオサギのコロニーとなっていて、木の枝や葉が鳥の糞で真っ白になっているのである。
管理人に聞いてみると、城の周りには堀があり、その小魚を啄ばみ、彼らの餌にはこと欠かないという。
まことに食住と安全の整った環境である。
木々の枝先には沢山の巣が見られる。
アオサギはサギ科の留鳥で日本のサギ科の中で最も大型で、黒い冠羽をかぜになびかせて水際にただずみ、何時までも動かない灰色のサギである。
とまっているときは全体に灰色に見え、写真のように目立たないが、飛ぶと背と雨覆の灰色と風切の黒の対象が目立つ。
北海道から四国で繁殖し、高い木のある林などにコロニーを作る。
声はゴアーッと鳴くが、飛翔中は高い声でキャッとも鳴く。
珍しい光景を眼下に見ることが出来た。(7/27)
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ニイニイゼミ、アブラゼミのセミ嵐が始まった。
こちらは島根県松江城の裏手の森、もうヒグラシが鳴いていた。
ヒグラシはセミ科の昆虫である。鳴き声から「カナカナ」とも呼ぶ。
北海道から八重山に分布し、平地ー山地の湿った林に住む。
体長は雄が32−40mm雌が23−28mm。
6−9月に出現し、幼虫で越冬する。
茨城では子どもの頃から夏休みの終わる頃に鳴くセミと考えられていたが、
アブラゼミなどよりずっと早く発生し、真夏にはほとんど姿を消してしまう。
雲が出て急に暗くなったりすると、昼間でも鳴くことがある。
普通は決まって日の出のころと日暮前にカナカナと澄んだ声で哀れなひびきで鳴き、夏休みも先がなくなったことに気づき慌てたものである。
6−9月に出現するが、俳句では秋の季語とされているためか、遅く発生するセミと思っていたが、それは間違いのようである。
蜩の最後の声の遠ざかる 稲畑汀子 (7/28)」
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昨日は、島根県隠岐郡西郷町を訪れた。島根半島から60km離れた隠岐の島である。
フェリー「おき」で約2時間半船旅をしなければならない。
ここには玉若酢命神社と駅鈴と八百杉がある。
隠岐の総社として建設された古社で、本殿は独特の隠岐造りである。
境内には樹齢2000年といわれる国指定天然記念物の巨木「八百杉(やおすぎ)」があり、宝物殿には駅鈴・唐櫃と隠岐国倉印の三宝物が展示されている。
隠岐島後民話に「総社の八百杉」があるので次に紹介しておく。
「昔々、若狭の国(福井県)から八百比丘尼(やおびくに)は、この社にお参りし、記念に杉を植えました。八百年後に再び訪れることを約束したので、八百杉とよばれるようになったと伝えています。
この杉に耳を当てて心を潜めると、寝ている間に閉じ込められた大蛇のいびきが聞こえると言われます。」とある。
静かに巨大な幹に耳を押し当ててみたが、杉の梢を渡る風の音か車の走る音なのかざわっとした音の感じだけで大蛇のいびきは聞こえなかった。
とは言っても、「大蛇のいびき」がどういうものかは知らない。
それにしても、見事な巨木で国、県、町の補助も受けて衰え行く巨木の樹勢回復を図っているという。(7/28)
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隠岐郡知夫村、知夫里島の西海岸に約1kmにわたって高さ50−200mに及ぶ断崖で、赤、黄、茶色などの鮮やかな崖の色が強烈な赤壁を見学した。
名勝天然記念物として昭和10年12月24日国指定を受けている。
切り立った赤い岩肌から地元では「あかかべ」又は、「あかだき」と呼ぶが、国の名勝に指定したときに中国の「赤壁の戦」にちなみ「せきへき」と名付けられた。
最も高いところで200mあり、岩の大部分はアルカリ玄武岩からなるが、赤い岩脈は粗面安山岩質玄武岩に由来する凝灰岩に含まれる多量の鉄分の酸化による。黄色の岩肌は鉄分の分解の結果、鉄みょうばんを生じたものである。
「竜宮乙女の赤帯」とも呼ばれている赤い岩脈を垂直に断ち切る白っぽい岩は「龍のぼり」と呼ばれる粗面岩である。乙女の帯にしては随分荒々しいが、沖から見れば納得できるという。
美しい日本海に囲まれた国、隠岐の島。豊かな自然、都の香りが漂う歴史、あたたかな人の心に触れ、満ち足りた気分で島を後にする。(7/29)
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声はすれども姿は見えず、木にとまっていると、優れた隠蔽色で見つけにくいセミである。
台風10号の所為で、にわか雨と日照の繰り返しで蒸し暑い日である。
ニイニイゼミをはじめアブラゼミが多く発生しているようで賑やかである。
写真のニイニイゼミは野菜畑に行った家内の服について家の中まで入ってきたセミである。
ニイニイゼミは半翅目セミ科の昆虫で、体長20−26mm.、暗黄緑色に黒班がある。
日本全土に普通で、朝鮮、中国ーマレー、ボルネオに広く分布している。
成虫はハルゼミに続いて出てくるセミで、6月下旬から9月頃まで見られる。
サクラやヒマラヤスギが大好きで、チィーと連続的になく。
幼虫の抜け殻は、他のセミと違って泥のついた抜け殻で面白い。(7/30)
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バ゜ラ科サクラ属の落葉高木である。
先に「旅立ち」のページで花の時期を紹介しているので参照されたい。
今、ウワミズザクラの実が見事に色づいて目を引く。
新潟ではウワミズザクラをアンニンゴと呼び、この花の蕾や若い実を食べる習慣がある。
アンニンゴは杏仁子と書き、杏仁(アンニン)とはアンズの種子からつくる生薬のことで、香りが似ていることからアンニンゴと呼ばれるという。
新潟県や長野県のみやげ物店の店先ではこの塩漬けが売られている。
実は長さ7mmぐらいの楕円形で、黄赤色から黒紫色に熟す。実は甘い。
この木の古名は波波迦(ハハカ)で、「古事記」の「天の岩戸」のくだりに「天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦を取りて、占合ひまかなはしめて」とあり、この波波迦はウワミズザクラであるという(白井光太郎「樹木和名考」)。
古代、シカの肩甲骨の裏に溝を彫り、この波波迦の木の皮で焼き、溝の周辺に生じる割れ目を見て吉凶を占ったものという。
こうして彫った溝を占溝もしくは裏溝と称したものが転じてウワミズになり、燃料とする木をウワミズザクラと呼ぶようになったと推定されている。
いずれにしても、雑木林の中で黄赤色に実が色づいた様は素晴らしいものである。(7/31)
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59年目の8月6日がやってくる。
爆心地の被爆直後の町の惨状と産業奨励館(右写真)は現在左写真のように景観は変わりながらも平和と原爆廃絶を願って原爆ドームは保存されている。
現在の写真は根本岩男氏の撮影である。
広島県産業奨励館についての解説碑文も、時間の関係でゆっくり読めないことが多いが、そこはデジカメの世の中、パチリと映して後でもゆっくりと読むことが出来る。碑文も頂いたので記してみる。
「広島県産業奨励館(原爆ドーム) この建物は、チエコスロバキアの建築家ヤン・レツル氏の設計監督により、1915年(大正4年4月)に完工し、特徴ある緑色のドームであり市民に親しまれた。
原爆は、この建物の南東150メートル上空(高さ約150メートル)で爆発して、建物は大破全焼し、館内にいた約30人は死亡した。
1967年(昭和42年)原爆の修禍を伝えると共に、世界平和へのシンボルとして永久保存工事が施工された。」
とある。
1953年広島県から広島市へ譲与され、さらに、1966年に広島市議会は永久保存を決議し、被爆地広島と世界平和の象徴となっている。
1995年6月国史跡に指定、1996年世界文化遺産に登録。
酷暑の夏。テニアン島から発進し、広島にエノラ・ゲイ号から原子爆弾を投下した本人も原爆投下が戦争を終わらせたという信念をまげずに今年亡くなった。戦争の愚かさと平和の尊さをしみじみと考える。(8/1)
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今朝、ショウリョウバッタがバケツの水の中に入って泳いでいた。
アブラゼミも飛べなくなって庭に落ちていた。空中防除のヘリが今朝は飛んでいたので、薬によるものかもしれない。
ショウリョウバッタはバッタ科の昆虫である。
オンブバッタはまだ小さいが、シソの葉をはじめ、プランターの草花の葉を食べている。
ショウリョウバッタは、メスが日本でいちばん大きなバッタである。
体長雄は40−50cm、雌は75−80cmで、共に飛ぶが、雄はキチキチと音をたててよく飛ぶのでキチキチバッタの別名もある。
又、後足を持つと、まるで織物をするように体を動かすので、ハタオリバッタの異名ももっている。
体色は緑色ないし茶色で、日本全土、朝鮮、中国、台湾に分布している。
成虫は夏ー秋に出現するが暖地では年中見られる。
今も昔もごく普通種で、バッタの生息環境が変化しトノサマバッタは見られなくなっているがショウリョウバッタの数は安定しているようである。
スリムで尖った体つきは、イネ科の雑草を食べるので、イネ科草原に適した体形である。(8/2)
殻付きのうにが手に入った。ムラサキウニである。
うには棘皮動物ウニ綱の一群の総称である。
多くは丸くて、体表は刺で覆われ、下面中央に口が、背面中央に肛門がある。
体を囲む殻には5本ずつの歩帯と間歩帯が交互に並び、歩帯の骨盤には小孔列があって管足が出、骨盤上の乳頭突起はとげに続く。
口には白色石灰質のアリストテレスの提灯という5個の歯からなる口器があり、腸は湾曲して肛門につながる。
雌雄異体で、卵巣、精巣は雲丹として食用とされる。
すし種として人気のウニは、独特の甘味と、とろけるような食感が魅力、古くは日本では佐渡、欧州ではポンペイの遺跡から殻が発掘されているので、古くから食用にされていたことが分かる。
ウニの仲間は日本近海に140種ほどいるが、主に食べられるのはバフンウニ(赤ウニ)とムラサキウニ(白ウニ)である。
ウニ独特のなめらかな食感は脂質によるもので、タンパク質にはグルタミンなどの旨味成分が含まれる。
豊富なビタミンAは肌に良い。他にビタミンE、カリウムなどが多く含まれた海産動物で、ウニ類は海草の褐藻類や石灰藻類を食べ、味の良さは昆布を食べて育つからという。(8/3)
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仕事の帰り、桃をつくば市のカスミストアで買ってきたという。
桃は傷みやすい果物である。うちに帰って保護ネットから出してみると、写真のように裏側に痛みが入っていたという。
今はなくなった地元のコープ店では「そうでしたか・・・」程度の対応で終わってしまったという。
一応ほかに傷んでいるものがあるといけないと思ってお店に商品を確認してくれるよう電話をしたという。
すると店員が上司と変わって、「大変申し訳ありません、代金をお返しいたしますからお電話とお所を教えてください」という、近くでなく遠いので結構ですというと、それでもお詫びながらすぐに出かけるという、1時間ほどで着くと思えますのでよろしくということで電話は切れた。
本当に1時間後につくばから上司と思われる店員が、代金と電話代を加算した現金とお詫びの品を持って謝罪にきた。
娘が出かけていたので、娘に代わって私が応対したが、大変恐縮した。
たかが桃1個のために車で1時間もかけて大の男が謝罪に来てくれたのである。
このようなお店の対応が品物を良くし、お客の信頼につながるのだと、:経営の厳しさ、仕事の厳しさをつくづく考えさせられた夕方であった。
心から感謝致します。ありがとう。(8/4)
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