ここをクリックするとフロントページへもどります。

ここをクリックすると索引に戻ります

アミガサユリ   「白妙姫」を語る   ヤマブキ   セイロンベンケイ   菅生沼の歴史3
ヒトリシズカ   水海道小学校記念誌   ミズバショウ   ツキノワグマ   ノダフジ

マツバウンラン   コウイカ   水海道小学校記念誌余話   ハマナス  キングサリ


アミガサユリ


 今日は清明、今朝は霜柱も立ち大分冷え込んだ。昨夜は東京では桜の花の上に雪みぞれが舞ったという。
 清明は清浄明潔の略といわれ、「万物がみな清らかで、すがすがしい」の意である。サクラが満開になり、地震災害に見舞われた能登にもツバメがきたという。天気のほうは、冷たい北風がきたかと思うと、柔らかい南風が吹き、やや不安定で、これは、3-4日ごとに低気圧が通ることが多いからである。
 ところで、アミガサユリが咲いている。
 中国原産で、庭などに植えられる。ときに野生化するユリ科の多年草で、茎は高さ30-80cm程度になり、葉は2-3枚ずつ数段になってつき、線状被針形で長さ7-15cmになる。
 葉の先は長く尖り、上部の葉では巻きひげ状に巻く。4−5月茎頂に径4cm内外、鐘形の花を数個、下向きにつける。
 6枚の淡緑色の花被片には内面に紫色の網紋があるためアミガサユリの名がある。鱗茎は2枚の鱗片が相対して貝殻状で、薬用となる。別名バイモともいう。(4/5) 
 

「白妙姫」を語る

 地元の菅生沼に伝わる伝説「白妙姫」の伝説を語るという。
 ちょうど父君菅生越前守の居城、城山城祉の発掘がおこなわれ、なお、菅生越前守の戦死については(身を隠して生存したという説もあるが)、一応戦記の通り戦死したと地元では受け止めており、その地点は菅生沼に接した字中郷地内だといわれる。
 宝永2年〔1705〕菅生神社仏閣明細帳(坂東市神田山故海老原藤吉家所蔵)によれば寺坂墓地の項に  寺坂菅生越前守之墓
                並村中四拾余人の墓
 とある。同墓地は、現在「中郷観音堂付属墓地」と呼ばれ、無量寺の南東200mにある。同墓地中央奥に南面して、越前守の供養塔が苔むして建てられている。
 菅生越前守後胤説では、孫市家(菅生町原地区大滝家)と与惣左衛門家(菅生町原地区浜野家)がある。
 浜野家の先祖代々記には越前守の戒名と俗名、妻の戒名が記されているという。
 これだけの事実があって、岩井では市民の手で「白妙姫」の演劇が何度も上演されているのに、地元の市民は知らないということに寂しさを感じていた。

 ところでこの度、「ボランティア研修」の中で実演した郷土の伝説「おきゃら物語」のアンケートが常総ボランティア連絡協議会によって次のようにまとまった。
 ・地元に伝わるお話、すばらしかったです。これからも御活躍ください。
 ・悲しくもある水海道の民話、初めて知りました。もう一度、聞きたいです。
 ・おきゃらの民話はとてもよかった。(技術的に)
 ・上手な語りで吸い込まれていきました。こうした民話をずっと語り継いでいくことを願います。
 ・水海道で生まれながら、知らなかった民話を聞いて本当によかったです。
 ・川に静められた娘の話をはじめて知りました。大変勉強になりました。
 ・地域の民話を知ることができた。
 ・活動をいろんな所でして居て、感動を与えられてよいことです。
 ・今日のお話もとてもよかったです。
 ・語り師の活動が分かりました。
 ・地元に伝わるお話がすばらしかった。
 ・常総市ばかりでなく、近隣市も含めた活動は、ボランティア本来の考え方だと優しく思います。
 ・実際の活動を見られて良かった。
 ・すごくお話が上手でした。
 ・3/4行きます。
 ・入会したいと思う。
 ・お話大好き、いいね!
 ・昔、各村にはいろいろな伝説があったと思う。もっともっと、そのような話を多く取り入れ、語って欲しい。 
 ・知らなかったお話で、勉強になりました。
 ・実際の語りがあってよかった。
 
  以上のようなアンケートに応えるべく次の依頼のある地元の婦人部の会に「白妙姫」を一つ加えることにしたという。
 「読書百辺、意、自ずから通ず」と云われるが、語るには、最低でもニ百回は読まねばならないと言う。何事、自分の心いくまで行くには大変な努力が居るものである。目的のためにみんなと頑張ってください。
 ご苦労さま。
 関連 「馬」のページの「白い鯉」をごらんください。 (4/6)

 追伸 4/30に第1回を無事公演終了、伝説として通して聞くのは初めてという方が多く、涙が出そうだったと喜ん     でもらいたと云う。郷土の伝説のいくぶんでも理解につながれば嬉しい。
 

ヤマブキ

 ヤマブキが咲き出した。
 つややかな目にも鮮やかな黄色の花は「山吹色」といわれ、昔から大判小判を連想させ、その隠語としても使われてきた。
 ヤマブキはバラ科ヤマブキ属で、一属一種の植物である。
 高さ1-2mとなり、全体に緑色、無毛で、枝は横に張る。葉は卵形で長さ3-7cm。4−5月、短い枝に径3-5cmで黄色5弁の花を1個頂生する。多数のおしべとふつう5個の離生心皮があり、茶褐色に熟してアズキ大の分果となる。
 
 ここで、室町時代の武将・大田道灌の故事に、「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」がる。多くの人は山吹はこの話のために実がならないと思っている、確かに一重の山吹には実がなるが、八重咲きの山吹には実がならない、この歌は八重咲きの山吹を歌ったものである。
 なお、庭木として見られる葉が対生し、花弁が4枚のシロヤマブキは実もなり、別種である。(4/7)

セイロンベンケイ

 先に「あせび」のページで紹介したセイロンベンケイの花が温室の中でひっそりと咲いていた。
 なかなか花が咲かないと云われるが、結構咲くものである。
 セイロンベンケイは熱帯アフリカ原産といわれるベンケイソウ科カランコエ属の多肉植物である。
 シコロベンケイもコダカラベンケイともいわれるベンケイソウで、マダカスカル原産の同じ仲間であるが、花のつきはセイロンベンケイに比べてずっとつき易い種類である。
 シコロベンケイが葉縁の鋸歯のくぼみに不定芽を生じ、葉が動くと落花して発根するのに対して、セイロンベンケイは葉が植物体から離れると、葉縁の鈍鋸歯の間から不定芽を生じるなど、似通った特色をもっていて面白い植物である。ドライブインなどでお土産品として一枚の葉が「たくさん芽が出ます」などといって売っているのはこのセイロンベンケイの葉である。(4/9)

菅生沼の歴史3

 左の写真は県立自然博物館敷地内にに移設された反町閘門である。
 今回は自然博物館主席学芸員小幡和男氏の講演を中心に記してみる。
 この地域はおよそ13万年−12万年前は「古東京湾」といわれる浅い海だった。5万年前頃になると「氷河期に入り、古東京湾だった頃の海底が標高数十mの台地に変わり、1万年前頃になると気候が温暖になり海面が上昇し、約6千年前頃の縄文時代の海面は現在より2-3m上昇したことが分かっている。この海は「古鬼怒湾」と呼ばれ、縄文時代以降現在の海水面になる。
 日本に稲作が伝来したのは弥生時代ですが、菅生沼を含むこの地域には大きな沼(現在の菅生沼の北に飯沼、南に間沼(まぬま))が多く水田の面積はごくわずかなものであった。
 江戸時代中期幕府の享保の改革によって水田開発が盛んになると、この地域でも沼の水を流して沼を水田にしようという計画が決まり、1725年に飯沼新田開発がスタートした。
 これらの沼の水を利根川に流すことからはじめ飯沼川ができた。
 次に新田に水を入れるための水源として飯沼の西側に西仁連川、東側に東仁連川を作った。このように人工的に川を作り飯沼の水を利根川や鬼怒川に流すことによって、1727年には、沼だったところに1500haもの水田が出来上がり飯沼新田と呼ばれている。
 1783年浅間山の大噴火(天明の大噴火)により、利根川流域一帯に火山灰が厚く積もり川底が浅くなって、その結果1783年から50年間で24回もの洪水があったという記録が残されている。
 このような状況の中飯沼新田の復興に尽力した二人の幕府の代官岸本武大夫とその子武八がいる。
 その指導のもとで、飯沼川を掘り起こし、川幅を広げ川の水を利根川まで流れやすくする工事を行ったという。
 この工事の名残りが菅生沼の下流の「観音掘」だという。
 明治時代に入って飯沼川下流で再び洪水の影響が出始まり、洪水で水位が上昇すると下流の利根川の水位が高くなってしまうからだ。このため逆流防止のための1900年(明治33年)反町閘門が作られた。1956年菅生沼の南に「法師戸水門」が建設されるまでの56年間その役割を果たした。
 時代と共に川周辺の土砂が飯沼川に入り込み川が再び浅くなり上流からの洪水に見舞われるようになり、茨城県の事業で「飯沼川沿岸農業水利改良事業が1933年(昭和8年)から1945年(昭和20年)にかけて行われ飯沼川に幸田排水機場をつくり飯沼川・西仁連川の河川改修工事が行われた。
 幸田排水機場や西仁連川が完成していながらも飯沼地域は、度々洪水の被害に悩まされた。このため、鬼怒川につながっていた東仁連川を菅生沼に流れ込むように西に流れを変えると共に、反町閘門の下流部の法師戸に水門を建設した。
 1956年(昭和31年)に完成し、利根川の水が飯沼新田に上がってくるのをほぼ完全に止めることができた。
 水門上流部の菅生沼は、飯沼川・西仁連川・東仁連川・江川を吸水する遊水池となり、上流部の洪水でたまった水を受け止め、水門を通して利根川に流すこともできるようになった。
 法師戸水門ができて40年が経ち痛みも見られ、水門の高さが高かったことから思ったほど排水が良くなかったことから水門の改築工事が行われ、2003年(平成15年)に完成した。
 関連 「福寿草」のぺージ「菅生沼の歴史」「菅生沼の歴史2」を参照ください。  (4/12)
      

ヒトリシズカ

 ヒトリシズカが芽を出し柔らかな若葉の間にブラシのような白い花を覗かせている。庭先の庭木の下にはフタリシズカの芽もぞっくりと首を出している。春本番である。
 ヒトリシズカはセンリョウ科の多年草で北海道から九州の林床に自生する。
 ヒトリシズカ(一人静)山野草の名前にはその名前だけでひと目見たい、育てたい気持ちにさせてくれるものが沢山ある。ヒトリシズカもその一つで品位を感じさせる。
 春、白い花を穂状に咲かせるが、それが通常一本なのでこの和名がある。花序は長さ1-2cm。
 2本又はそれ以上つける花の小さな種類はフタリシズカといい、これは別種である。「二人静」の由来は静御前の舞にちなむ。葉は4枚で輪生させる。長さ4−9cm、幅2-7cmである。
 野趣豊な野草で心が和む。(4/14)

水海道小学校記念誌

 明治100年を記念して各小学校には記念誌ができているが、水海道小学校にはそれがなかったのが不思議である。
 この程、他所の学校とはまったく異なった形で、
B5版 上製 616頁(本文569頁) 写真 イラスト約650枚 
定価2,800円が 【「仰ぐみどりの」水海道小学校130年の軌跡 】として水海道小学校記念誌刊行会編が名村栄治氏によって発行された。
 卒業生はもとより、市民の皆様の心のふるさと貴重な資料となることであろう。
 次に記念誌の概要と作製に至る経緯の概要を記してみる。

  ◎記念誌概要(目次より)

 ・懐かしの学舎1−木造校舎最晩年の雄姿(写真カラーを含め16頁
 ・水海道小学校の成立
 ・水海道小学校の変遷
  ・横町台時代
  ・栄町時代(戦前編)
  ・栄町時代(戦後編)
  ・大師山時代
  ・特別寄稿・水海道小学校について(抄)
・水海道小学校百三十年の軌跡(208頁に渡る年表)
・思い出の中の水海道小学校(イラストカラー8頁
・回想の水海道小学校
 ・明治・大正・昭和の教育
 ・三階塔とのつきあい
 ・[スカンポの咲く頃」金の鈴合唱団の思い出
 ・回想の水海道小学校
 ・疎開十年、ふるさとはありがたきかな
 ・ふるさとの原風景
 ・カタカナからひらがなへ−戦後教育改革の出発点
 ・海小が熱く燃えた時代ープログラム学習モデル校として
 ・矢口教育学と水海道における共同研究の回想
 ・希望に輝いていた頃
 ・いつまでも友達
・・・
 歴史の部屋に整理された膨大な資料をもとに、新聞記者時代の足で稼ぐ習慣で町中の資料を掘り起こし、整理し、資料を元に忠実にまとめている。回想にしても古い時代の故人の回想まで゜も収集し一方ならぬ努力の跡が窺える。
 計画以来2年余、−寺小屋から金管バンドまで水海道小学校130年の沿革を中心にふるさと水海道の歴史を綴る、類を見ない三階の塔に劣らぬ素晴らしい記念誌である。

 ◎作製に至る経緯の概要

 この本の発行者 名村栄治氏は水海道小学校昭和31年度卒業生であり、日本ペンクラブ会員・元読売新聞の記者である。
 仕事で各地を転々としたが、母校の洋風校舎ほど立派な校舎は見たことがない、人生の節目に、自分の原点である郷里水海道小学校について何か書きたいと思った。学校には記念誌のようなものはないという。それならば作れば良いと思い、学年同窓会はじめ各方面に呼びかけたという、しかし、他郷暮らしが長く、地元に馴染みの薄い私の提案が唐突に過ぎたのか、返事もなく、「怪文書まがいに流布され、初期段階のつまづきとなった。
 本校の「歴史の部屋」には膨大な教育資料がある。これがあれば一人でもやれると思った。
 市内にアパートを探し岩手県から単身アパートに移り住んだ。
 計画初期段階でのつまづきを踏まえ、次の二つの原則を立てた。
 第一に特定の政治的勢力はもちろん、既存のいかなる団体、サークルにも依存しない。第二に、偏してはならず、まして、金銭で汚すようなことは絶対にあってはならない。と考えた。これは、長年新聞社に身をおいた者としてささやかな自負であり、美意識である。かくして、自分の生き様の問題として記念誌作りに取り組んだという。
 同志にはすぐにめぐり会えた。写真家の伊沢氏、アニメ美術監督の龍池氏である。両氏とも、あの洋風校舎が壊されると聞いて、一大事とばかり、写真を撮った人たちである。あの洋風校舎に純真無垢としか言いようのない思い入れがある。この3人が、終始、本記念誌作りの核となったという。
 印刷についても地元の書き手が地元の印刷会社で出版してこそ、その土地の文化は向上する、最終的に新々堂が引き受けてくれ、結果としてよかったと思っている。新々堂は明治初年の創業で、明文堂と共に本校の教科書つくりから始った由緒の印刷会社である。
難産だった。とにかく難産だった。平成18年春完成の予定がお盆前に延び、お盆前が彼岸まで、彼岸までが年内に、そして結局は平成19年春となった。本記念誌は胎内に予定の倍近くいたことになると名村氏は述懐している。
 一大事業、思い成し遂げてまもなく岩手の家族のもとに引き上げるという、記者魂というか執念というか感銘を頂いた。本当にご苦労様でした。

 関連 このページの「水海道小学校記念誌余話」を参照ください。 (4/16)

ミズバショウ

 ミズバショウと言えば、尾瀬湿原など、本州、北海道の山地の湿原に生えるサトイモ科の多年草である。
 山地での開花は5-6月で、まだ花は見られないが、ここ常総市菅生町の菅生沼の辺では写真のように開花している。
 写真は4月15日撮影のものである。
 自生のものではないが、田圃の脇の湧き水のある用水路に植栽したもので、生育条件があったようで50株以上に繁殖し一つの群落を作っている。
 ミズバショウは根茎は太く、葉の展開に先立っか同じ頃に開花。仏炎包は楕円形白色で、長さ4−7cmの肉穂花序を抱く。花は両性。花被片は船形で4枚、おしべ4本めしべ1本。花が終わると花序は長く伸び、葉も長楕円形に大きく生長する。
 この時期この辺で観察できるのは珍しく人気がある。

関連 「あせび」のページ「ミズバショウ」を参照ください。(4/21) 

 

ツキノワグマ

 猟友会のK氏が子犬ほどのツキノワグマの子を連れてきた。
 離すと氏の後を追って歩いている。
 子供達にも抱かれ、子猫や子犬と同じに、腹を出して遊んでいる様はまったく同じで可愛いものである。
 親は猟友会員によって射止められた。その下に2匹の子がいたという、拳ほどのまだ肌の赤い子であったが、二人で分けて持ち帰り育てて三ヶ月になるという。今ではK氏を親と思ってか後を追い、ミルクも2本づつ1日に4回飲むという。
 この大きさになると爪も、牙も鋭い、可愛いけれど今後の身の振りを考えなければならないときに来ているようである。
 ツキノワグマはヒマラヤグマ、クロクマとも呼ばれ、食肉目クマ科の哺乳類で、体長1.2-1.9m、尾8cmほどで、体は黒色、普通、前胸に三日月状の白斑を持つ。東アジアに分布し、日本の亜種ニホンツキノワグマは本州、四国、九州に産する。
 山地の落葉広葉樹林に好んで住み、おもに夜出歩き、草、果実、カニ、アリ、などを食べる。晩秋から大木の樹洞などで冬眠、そこで普通2子を生む。肉は食用。毛皮は敷物にされ、胆嚢は熊の胆と称し健胃剤として珍重されている。(4/25)

ノダフジ

 今日は快晴、若葉の薫るよい陽気となった。
 ハナミズキの花が咲き、昨年の日照不足の所為か花着きは少ないがツツジの色とりどりの鮮やかな花も今が盛りである。ライラック、ヤマブキ、モッコウバラ、オオデマリ、クレマチス、ラナンキュラス、ナルコユリの花も見える。
 写真のようにノダフジの花も満開である。
 フジはマメ科のつる性落葉樹で、日本産のフジ属にはフジ(ノダフジ)とヤマフジの2種があり、一般には両種をフジと呼んでいる。
 ノダフジは本州から九州の低山地や平地に生え、茎は長く伸びて他物に絡む。葉は奇数羽状複葉で、小葉は5-9対、卵形で薄く、両面に毛がある。4−5月下垂する長い総状花序を出し、多数の蝶形花を開く。花は径1-2cm藤色、紫色又は淡紅色。豆果は大型で平たく、10月に熟す。
 埼玉県春日部市牛島のものは特別天然記念物に指定されている。我が家のフジはその木の接ぎ穂である。
 ヤマフジは近畿から九州の山野に生える。茎は巻き方が逆で、小葉は4−6対、やや厚く、裏面には毛が多い。花序はやや短く、紫色の蝶形花はおおきい。(4/27)

マツバウンラン

 GWもお天気に恵まれ行楽日和で何よりであった。
 夏日となった昨日は、家内と二人でナス苗に続くキウリ、トマト、トウガラシ、オクラ、ウリなどの野菜の苗を植栽した。今日は雨天、連休最後の日であるが、私たちにとっては恵みの雨である、といっても、今日の天気を読んでの暑い中での昨日の農作業で、今日はゆっくりと骨休めである。
 小雨に濡れている若葉が一段ときれいである。
 雨に濡れて色とりどりの花が咲いている。
 アカバナウツギ、アカバナサンザシ、ナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)、オオデマリ、コデマリ、セイヨウシャクナゲ、ツツジ、フタリシズカ、ワスレナグサ、サルビア、ナガミノヒナゲシ、ユウゲショウ、ヒルザキツキミソウ、ハマナス、ニワゼキショウなど多彩である。
 そんな中に帰化植物のマツバウンラン(写真)の花が見える。
 マツバウンランはゴマノハグサ科の北アメリカ原産でアジアや南アメリカの湿地に帰化している越年生草本である。茎は細く、基部で分岐して高さ50cm程になり、基部から走出枝を伸ばして分株を作る。葉は線形で、初めはロゼット状に重なるが、後には互生する。春から初夏にかけて、直径1cmほどの紫色の仮面状花を穂状につける。1941年に京都市伏見区の向島で初めて採集された。
 現在では北関東、北陸地方以西に普通に見られるようになった。道端や芝生に群生して鑑賞花卉の趣もあるが、ゴルフ場などに発生して問題になることがある。(5/6)

コウイカ

海釣りに趣味を持つ本家の主人が、コウイカを沢山釣って来た。奥さんが漁獲を分けて持ってきてくれた。いつものことであるがありがたいことである。
 話の中で、何処で釣ってきたのという話に、年中行っているからわからないという返事に大笑い。刺身で食べると美味しいと教えて頂いた。
 早速さばいて刺身にして家族皆で美味しく頂いた。新鮮であるだけに美味しさは一入であった。
 コウイカはモンゴウイカ、もとはカミナリイカの市場名。軟体動物コウイカ科。体長25cm、背面に眼状紋が多数あるので紋甲イカの名がある。
本州から九州に分布し、南日本に多い。生食のほか、するめなどにする。
 なお、近年市場でモンゴウイカといわれるものは、主としてアフリカ西岸で漁獲されるヨーロッパコウイカやアデン湾のトラフコウイカであることが多いという。(5/15)

水海道小学校記念誌余話

 水海道小学校記念誌が刊行されてから約1ヶ月が過ぎ、水海道小学校の歴史を世に伝える書ができたことを心より嬉しく思うという言葉。

 栄町時代(戦後)の指導者、矢口新氏設立の能力開発工学センターの機関紙(JADECIニュース71号)に取り上げられている。
 教師を育てる、学校を育てる
   ー教育再生を考えるための視点ー の中で、
 1.「水海道小学校」という学校のありかた
  ●「希望に輝いていたころ」
  ●自分に自信を持っている子どもたち
  ●子どもの知恵と行動力を発揮させる場としての学校
 が記されている。
 水海道小学校の教育を作り上げるための先生方の奮闘の記録を、そして、菊池さんの「希望に輝いていたころ」の一文を、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思い、子ども達が自分で自信を持って活動していた当時の水海道小学校の教育のあり方は、これは、混迷する現代の教育に一つの方向性を示すものではないかと感じたから取り上げたのです。菊池さんの一文は、実際にその教育を体験した人の言葉ですから、強いメッセージ性があります。と編集者は述べている。

 記念誌発行人の名村栄治氏は、本記念誌編集の主眼は、私達卒業生共通の誇りである木造洋風校舎を、永く記憶に留めることにあります。しかし、編集方針として、単なる回想文集にしたくはありませんでした。水海道小学校は明治初年、全国に二万四千二百二十五校創設された小学校の一つに過ぎませんが、水海道地方の歴史に重要な意味を有するのみならず、外観、内容共に全国に誇り得る小学校だと思います。
 その小学校の記念誌です。どこで、どのような識者の目に止るかかりません。そこで、体裁、内容共に専門家の批判に耐えうるものをと、少々、構えた所がありましたとも述懐している。

 今回の件で、矢口先生のご家族とメールの交換ができました。その中で当時の先生のご様子をお聞きすることができ、大変嬉しく思いました。
 「父は、水海道小学校のことを話すとき、いつもとても楽しそうでした。子どもたちをいきいきと活動させたいと考えていた父です。どのようにしたら良いか考え、それを実践できる場が水海道小学校でした。
 心の通じる先生方とともに仕事ができ、「海小が燃えた時代」は、父も熱く燃えていたのです。」と語っています。
 今、又、矢口教育学研究会が発足する基盤が整ったようです。

 常総市の「朗読クラブあすなろ」の講師を務めてくれている亀山歩氏は、茨城県図書館朗読講師「歩座」主催者でもある。氏の大伯父は海小の元校長亀山亀之助氏で、記念誌の「回想の水海道小学校」明治・大正・昭和の教育の中で、沼尻茂氏の、3人の校長に仕えて・・・その印象を語るを読んで懐かしんでおられ、巻末に記されている亀山校長の息子さんである石岡で印刷業を営む亀山和夫氏についても、しばらく会ってないがと懐かしがられておられた。一冊の本が、いろんな所で古を掘り起こし、また新しい出会いを作っていることに思いが至る。
 
 関連 このページの「水海道小学校記念誌」を参照ください。 (5/17)
 

ハマナス

 赤や白のカルミア、ニオイシュロラン、キングサリ、ハナミズキ、バ゜ラ、カラタネオガタマ、トキワネム、フタリシズカ、ニワゼキショウ、チャイブ、ガザニア、ムラサキツユクサ、リクニス(センノウ)の花が咲いている。
 我が家のハマナスも今年は花つきが良く見事に咲いている。
 朝日新聞によると、 初夏の風心地よく、ハマナスの季節が到来

 ハマナスの自生南限地とされる鹿嶋市角折れの大野潮騒ははまなす公園で、ハマナスの花が咲き始め、これからが見ごろで20日には同公園ではまなす祭りが開かれるという。同公園によると、園内のハマナスは約3000本。よく手入れされており、紅紫色の花のほか、白い花も咲いている。
 はまなす祭りは今年で17回目。午前10時から、歌謡ショーやのど自慢大会のほか、メロン販売や抽選会などがあるという。(5/19)

 関連 「つつじ」のページの「ハマナス」をご覧下さい。

 

キングサリ

 鮮やかな金の鎖が降り注ぐように吊り下がり、色鮮やかな黄色の花房を多数吊り下げるさまが華やかで、とてもよく目立つ樹木である。
 キングサリはマメ科ラブルナム属の落葉樹である。
 長く垂れる花房の姿から、ゴールデンチェーンやゴールデンレインとも呼ばれる。交雑種であるボッシーは、特に花房が長く、人気が高い。
 シンボルツリーやポイントツリーのほか、若い幹や枝を誘引してアーチ仕立てにすると、花のトンネルが楽しめる。
 朝日新聞によると、水戸市小吹町の市植物公園でキングサリが花の見ごろを迎えているという。
 同園は昨年3月、開園20周年を記念して「水戸大使の会」から約50本の寄贈を受けた。約10年後にはアーチ状のトンネルから降り注いで咲くように育てているという。
 若木は根張りが弱いので、支柱を立てて養生すると良い。テッポウムシに注意が必要。 写真は我が家のキングサリ。(5/23)

 関連 「ベルフラワー」のぺージの「キングサリ」を参照ください。

 

ここをクリックするとフロントページにもどります