ここをクリックするとフロントページへもどります。

ここをクリックすると索引に戻ります

ハス   アサガオ   千枚田   上時国家   禄剛崎灯台   相倉合掌造   秋明菊   金目鯛   花散里   門松造り
アンテナ交換


ハス

 坂東市の寺院の池に咲き出したハスの花の写真を例によって、根本岩男氏が2枚ほど届けてくれた。
 ハスの花の開花は朝早くから準備をしてまっていないと上手い撮影はできないようである。
 カメラ、アングル、構図、露出 、レンズの選択、シャツターを切るまでには大変な活動がある様である。
 頂いた写真はA3ノビの大判で見事なものであるが、この写真を印刷するためにこの頃プリンターを新調したとのこと、インクも8色とのことで、色調も確かに自然で素晴らしい見事なできばえである。
 勿論、発表前の未発表の作品で、ただ、唯、心から感謝申し上げます。

 申し遅れましたが、今年の一言主神社の祭礼に奉納された、『葛城流」大塚戸芸能保存会糸からくり部の「安珍・清姫」の一連のからくり花火の貴重なA4版の写真も頂いた。
 誠に有難うございました。(9/29)


アサガオ

 家内が[この春から誘われて近くの公民館で卓球を始めた。
 適当な運動をすると体調は良いようである。
 話は変わるが、一緒にクラブで活動している昔の教え子から、アサガオの苗をもらってきた。「チョウセンアサガオ}とか言っていた。しばらくして氏はクラブに見えなくなった。肝臓ガンで入院手術をしたとのことで皆でお見舞いをして全快を祈っていたがまもなく退院してきてほっとした。
 我が家のアサガオは鉢植えで行灯作りとし,大きく成長したが8月―9月になっても花が咲かない。
 西洋アサガオのヘブリーブルーかと思っていたが、この頃写真のようなきれいな花を毎日いくつかつけてくれるようになった。結構見事な花である。贈り主が早く全快して叉ラケットを振れる日を花を眺めながら祈っている毎日です。

 ところで、この頃耳にした話では、このアサガオは種ができず、宿根草で冬は根株を毛布等で覆って越冬させるのだと言う事である。
 話を聞いて咲き終わった花の元を見ると確かに実らしきものはついていない、ほんとうの様である。いままでぜんぜん知らなかったことである。
 近所の同じアサガオも毎年沢山花がさいていながら種ができれば大変な量であろうが、一向にその辺に生えている気配がないことを考えればそうだったのかとうなづける節もある。なっとく!!。
 これから霜が降りるまで楽しめそうである。(9/30)

追記 先にサガオを記しましたが、アサガオはヒルガオ科アサガオ属の植物である。ここで取り上げたアサガオは、ヒルガオ科ヒルガオのヘブンリーブルーではないかと思われます。
 アサガオは花が咲いているのが朝のうちだけであるが、ヒルガオは1日、日中も咲いているのでこの名がある。そう言えばこの朝顔は1日中花が咲いていて観賞価値がある。
 ヒルガオは1年草・2年草、匍匐性または巻き蔓性のつる植物、及び2・3の常緑低木と高木の約500種が世界中の温暖な地域に生息する。葉は互生し、単葉で全縁または歯状縁、切れ込みがあるか細裂する。花はロート形または管状で単生、腋生または頂生で集散花序、総状花序、または円錐花序となる。1年草は日向で、風除けのある場所で育てる。宿根草や低木の種は、気温が7℃以下になる場所では、最低7℃あるいは最低13℃の温室で育てる。種子は採取すると強い毒がある。 この種のヒルガオは通常アサガオと呼んでいます。

(10/3)

千枚田

 白米千枚田(しろよねせんまいだ)を9月26日見学する機会を得た。
 石川県輪島市白米町の棚田である。
 数が多いので千枚田と呼ばれるが、狭い田からの転という説もある。もっともちいさい田の面積は、0.2u程度。
 国道249号と日本海との僅かな崖地に作られている。土地自体は肥えており肥料は通常より少なくてすみ反当りの収穫量は2.6石程度。1638年頃に作られた谷山用水が利用されている。2001年名称に指定。かつては、田のしたの土地で製塩が行われていたが海岸の侵食で塩田が水没し、現在は行われていない。
 現在は田の所有者を中心に組織された白米千枚田愛耕会による耕作・保存活動が行われている。
 田植え・稲刈り時には広くボランテアを募って作業を行っている。また、日本海に向かってなだれ落ちるような美しい景観は、能登の観光スポットともなっている。
収穫前の素晴らしい景観であった。(10/1)

 

上時国家

 上時国家(かみときくにけ)は奥能登の国指定重要文化財(建物)・名勝(庭園)を訪れれた。
 最大級の木造民家、平家第一の実力者(平 時忠 たいらときただ)の子孫
 上時国家の由緒
 今から800年の昔、平清盛の義弟平大納言時忠は、平関白ともいわれ、平家一族の実質上の頭領であった。
 源平の合戦で平家が滅亡した際、時忠は神器の帰座の功により特別の計らいで能登に配流となり、配所で没した。
 その子時国は、近隣の村々300石を統治し、館を構え、江戸時代には天領の大庄屋を務め、苗字帯刀を許された。
 この頃第21代当主は、現代に残るこの豪壮巨大な屋敷を築き、第25代当主が現在もこの屋敷と伝統を守っている。

 屋敷の概要と見所
 建物 およそ180年前に建造され、完成までに18年を要した。建坪189坪、入母屋茅葺きの大屋根は、高さ18m。玄関は唐破風総欅造り、大納言の間は書院造り。文化財指定に際し「近世木造民家の一つの到達点を示す」と評価され、巨大さとともに手の込んだつくりが特徴。
 庭園 鎌倉時代の様式とされ、平庭には心字池を配し、また高庭は自然の地形を巧みに利用した、独特の作風。
 調度類 武具、火消装束、道中用具、千石船用品、化粧道具、遊び道具、儀式用品、他。
絵図面、籠、炉と自在鉤、神仏混交神棚、他。

 誠に見事な民家で驚きの他はない。(10/2)

 

禄剛崎灯台

奥能登、能登の最北端の地の灯台を訪れた。右側は段々畑、左側は墓地の多い右カーブのきつい坂道を何とか休みながら灯台のある平らな草原まで上り詰めた。
 そこは津波襲来時の緊急避難所になっていた。
 禄剛崎灯台である。

 「この灯台は明治16年(1883年)日本へ技術指導に来ていたイギリス人の設計により建設されたものです。当時は灯油で発光していましたが、昭和15年に電化され、その光は海上34kmまで達します。古来この地は日本海を航海する人にとって重要な目印で、江戸時代にはこの間近にある山伏山の山腹に9尺四方の行燈を設け、毎夜灯火して夜間航海の目印としてきました。
 また天保7年(1836年) には海上警備のため現在の灯台付近に砲台が築かれていました。
 なおこの灯台は昭和38年まで灯台守が常駐していましたが、現在は、無人灯台になっています。」
 誠に見事な白亜の灯台で、山を上り詰めた甲斐があった。(10/3)

相倉合掌造

 9月26日{世界遺産・白川郷・五箇山の合掌造り集落」を訪れた。
 1995年12月、ユネスコの世界遺産一覧表に文化遺産として登録され、
 「富山県南砺市相倉には20棟の合掌造りが現存するが、約100年ー200年のものがが多く、古いものは400年前に建造されたといわれています。屋根の勾配は急で60度、断面は正三角形に近く、つまり、雪が滑り落ちやすい形なのです。この大きな屋根を支えるのは、根元の曲がったチョンナと呼ばれる太い梁。斜面に生育した自然に曲がったナラを用いています。また、合掌の組み立てには釘は一切打たず、縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使っています。屋根の吹き替えは15年―20年ごとに、今は森林組合が中心になって行われています。
 深雪という厳しい自然に対応する強固な造り、更に生活の場と生業の場を一つにした合理的な建築です。人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りといえます。」

 と説明されていますが、昭和45年12月4日に国指定史跡にも指定されていて、現在30有戸が一段丘に集落を形成し、今も20有戸の合掌造り建造物が残り、貴重な庶民生活の状態を今に遺していることに五箇山の史跡としての価値をひしひしと感じながら合掌造りを後にした。(10/4)

 

秋明菊

 一昨やは中秋の名月秋雨前線の影響で雲間に満月を見る程度であったが,秋明菊、フジバカマ、ホトトギスが満開である。
 もう自然はツワブキの蕾も大きくなり黄色の花びらを覗かせ初冬の兆しを見せている。

 シュウメイギクはキンポウゲ科イチリンソウ属の耐寒性多年草である。別名をキフネギクとも呼ぶ。
 原産地は日本、中国,ヒマラヤ地方、マレー半島,台湾である。自然花期は9−11月。鉢植え,庭植え,切花として用途がある。
 茎の頂部に一輪咲かせる様子が清楚で,古くから茶花や庭植えで親しまれる。京都の貴船付近に良く見られるため貴船菊とも言うが,キクではなくアネモネの仲間である。
 日当りに植え、水切れに注意し、夏は半日陰の涼しい場所に移し、蒸れさせないようにする。

 秋に咲き、輝くような花弁を持った菊に似た花ということで{秋明菊」の名がある。素晴らしい名前をもっている菊である。(10/5)

 


金目鯛

 ヤブツバキが真っ赤に咲き出し、日当りの廊下の侘助が真白な花を控えめに開き、黄色のおしべを冬の日に鮮やかに覗かせている。 
 松の手入れも終わり、柿の木の枝も切り詰め、月桂樹の徒長枝も整え、広葉杉の徒長枝を切りそろえ、最後゜に大王松の枝を整えて、今年の庭木の手入れの完了とした。
 梯子を使っての10mの高所での仕事は危険を伴い大変であるが、若い人は危険な仕事はしないから、毎年、私がやる他はない。切り落とした枝などの後始末も家内と2人で結構始末をしている。老体ではあるが健康であることのありがたさを痛感している。
 話は変わるが,表題の{金目鯛」は3番目の孫娘が、先日沼津にマリン合宿に出かけダイビングをしてきたようで、帰りに例によってお土産に{金目鯛の開き}の干物を買ってきてくれた。何時も私たちを忘れない感心な子である。有難う。
 キンメダイは海水魚で体長40−50cm、大きな金色の目が特徴の深海魚である。
 金色の目と鮮紅色の体が特徴で、生きている時は淡い色をしている。目が金色なのは、ほとんど差し込まない太陽のわずかな光を捉えるために網膜が特殊な構造になっているから。タイの仲間ではないが、その美しさから祝い魚になることもある。茨城県以南の太平洋側から、大西洋、地中海、メキシコ湾に分布、成魚は大きいもので50cmほどの体長で、寿命は十四年程度と、長寿の魚だ。市場には通年入荷するが、最盛期は2−4月2月は脂がのり最も美味しくなる。
 (12/1)

花散里

 花散里はカエデ科カエデ属の学名(エーサーヴェルゲルアナム ハナチルサト)で、
 葉色が美しく七変化して行く、日本で作られた不思議なカエデである。
 写真は現在の紅葉であり、この木の特徴は、春の芽出しから夏にかけて、葉色にピンク―白ー明るい萌黄色と美しく移り変わり、七変化の名があることで知られる。秋には真紅の紅葉も見られ、四季を通じて色彩の変化が楽しめる。
 
 茨城県の川原田氏が作出した品種である。
 
 トウカエデの一品種であり、管理は容易、 やや強めの選定が適している。(12/4)

 

 

門松造り

 青少年育成県民会議、菅生支部の皆さんで正月の親子門松造りを21日、菅生公民館で実施した。毎年、正月を前に、親子で地元の古老を講師に迎え盛大に実施している行事の一つである。
 親も子どもも一生懸命で写真のような門松を見事に作り上げ歓声を上げていた。
 
 門松は言うまでもなく、正月に門口に立てる松で。門木(かどぎ)お松様とも。本来は年神を迎えるための依代(よりしろ)で、ナラ、ツバキ、トチノキ、スギ、竹、ホオノキ、ミズキ等も用いられる。十二月13日に山から採ってくるのを松迎えという。期間は7日や小正月までとされ、小正月にこれを焼く風も広く行われている。
 この行事を左義長(さぎちょう)とか、どんど、どんど焼き、さんくろうなどとも呼んでいる。
 この頃では、適当の松も近くの山林になくなり、門松を飾る家も数少なくなってきているのが実情である。(12/22)

 

 

アンテナ交換

 テレビも来年7月24日までにアナログ放送がなくなり、地上デジタルが中心となる。
 我が家のTVアンテナは写真右側のようにUHFとVHFを重ねて取り付け混合していた。
 10数年を経ているので感度が低下し、天候による障害も出るようになっていたので近じか取り替えようかと思っていた。
 其のやさき若い者がエディオンで無料で見てくれるというので見てもらうことにしたと話していた。
 指定の日にエディオンの店員が来訪アンテナを確認、関係のない分配器の所在まで尋ねてきたので、まったく関係のないことを伝える。問題はアンテナそのものの交換であることも伝えておいた。
  その後若いものの無知に付け込んでどう説明したかわからないが、既設のアンテナを撤去、左のようなアンテナを新設、既設のブースターも撤去、新しいUHFのブースターに交換、何でそんな必要があったのだろうかまったく疑問以外の何者でもない。今までの物でよかったはずである
 工事代金はアンテナ取り付け22、050円、ブースター取り付け21、000円、ユニット交換4,200円、計47、250円を支払ったようである。
 良心的な商売のように装って、実際はこんなものなのか、近くの電気量販店もエデオン(イシマル)だけになってこの始末、ヤマダ電機、KS電気が開店して御互いに先の長い信頼のあるお店を展開して頂きたい。
 いずれにしても、私が骨を折らずにすんだ事は良かったと思うのが一番なのか、有難う。(12/24)

 追記 その後、部品の定価を調査してみた。メーカーは違うがみな同じようなものである。
 UHFブースター屋外用7,980円、UHFアンテナ20素子2,839円でまったく問題にならない安い価格である。
 その上、アンテナやブースターの説明書は一切置いていっていない上に、ブースターのアースも取っていない。
 これは技術者の問題ではなく会社の方針であろうが、そんな会社に引っかかるお客が馬鹿かも知れない。
 しかし、お客も早く目を覚まし、実態を知って、こんな詐欺まがいの行為をする会社は一刻も早く淘汰することが大切であろう。(12/25)

ここをクリックするとフロントページにもどります