思いついたこと

2005年9月28日(水)
「モツレク」と「山に祈る」

まだ先の話になるが、来年5月14日(日)にすみだトリフォニーホールで行われる演奏会に参加することにして、8月から月2回、御茶ノ水へ練習に家内と通っている。この合唱団は一年づつ募集をして編成されるが、母体の合唱団がしっかりしていることもあって、殆ど毎年大半の同じメンバーが参加するらしい。250名位の合唱団になる。
我々は今年が初めてというわけである。演奏予定曲は「モツレク」と略しては失礼になるが、「モーツァルトのレクイエム」と「山に祈る」と聞いて参加することになった。
前者は昭和41年に一度と昨年その一部を一度、後者は昭和39年か40年に男声合唱で歌ったことがある。
前者は言うまでもない曲で、かなりファンが多いようである。後者は女声のナレーションが入るユニークな曲で、今回指揮者は「お客様にはハンカチかタオル、場合によってはバスタオルを持参するように伝えてほしい」と冗談を言う位、泣かされる曲といえる。
40年前には指揮者の友人でもあった女優(声優)の加藤道子さんにナレーションをやって頂いた。初めてプロのナレーションを間近で聞きながらジーンときてしまったことを記憶している。
写真左はモツレク、中は山に祈るの楽譜である。山に祈るの楽譜は混声用で今回30刷で発行されたばかりのものを使用する。

家内の練習用にMIDIで作り、アルトパートと全体をCDにして、パッチワークをやりながら聴いたり、楽譜を見ながら練習出来るようにした。
来年のためにがんばってくれることだろう。(写真右端)

2005年9月25日(日)
台風一過・彼岸花・さくら草

■台風17号が東海上に抜け、大した風雨でなく済んだ。夕方西の空は雲が薄く、太陽が顔を出しそうな状態であった。
明日は秋晴れ、気温は最低が20℃、最高が27℃くらいとのことで楽しみな一日になりそう。

■実家の庭に4本だけ彼岸花が咲いた。彼岸の頃になると必ず咲くのでこの名がついたそうである。一般的には嫌われている傾向にある花であるが、季節を感じさせる花でもある。

■前住地で友人から頂いたさくら草が咲いた後、沢山の新芽が出てきた。おびただしい数といっても過言ではない。家内は大変大事にしていて、来年はあちこちに植えたいと5つに分けて育てている。来春はきれいな花をあちこちで咲かせてくれることであろう。
今から楽しみである。

■父が持っている絵手紙のソフトを使ってみた。彼岸花の写真を手本にして描いてみたが、残念ながら書道の苦手な自分にはうまい字が書けない。有名な人が書く文字は子供っぽいと思われるものでも芸術的というかうまく書かれているのに、字の素養がないとこうも違うものか、と公開するのをやめた。考えてみると英文タイプライターに初めて触れたのが小学校5年生の時。それから50年、キーボードには何の抵抗もなく、ワープロが世の中に出始めた時からキーボードで文字を打っていたためか、書くとなると全くの苦手で特に縦書きはいつも家内から笑われる。どうしたら字がうまくなるのか。ペン習字でも毛筆の習字でもやらねばならないのか。
もう遅いだろうなあ。

2005年9月23日(金)
一年後

昨年8月20日で現役を引退したが、単身赴任先の桐生市で所属していた合唱団のコンサートが、9月25日に行われるため、アパートはそのまま借りて、時々桐生へ出かけた。
ある日エアコンを自宅へ持ち帰るため取り外してもらったが、その後また暑い日があると困ると思っていたところ、運良く涼しくなり、何とかアパートでもエアコンなしで期限まで過ごすことができた。
それから一年、丁度今頃と同じ涼しさであった。「暑さ寒さも彼岸まで」とはまさにうまい表現だと思う。そしてこの一年、横浜への転居という大きな変化があったが、好きな合唱とMIDIづくりを中心に好きなことをしながら、元気で過ごせているのは幸せなことかもしれない。

実家の入り口のブロック塀に毎日竹酢液を噴霧してみている。過日「効果がなさそうで残念」と書いたが、犬が敬遠しているのか、通過する犬が少ないのか、いないのか、この4日間小便の被害がない。
今日はそこへつながるブロック部分を水洗いした。35年程洗ったことがなかったので、結構きれいになった。

左の写真は特に意味がない。
右の写真の中央部は沈丁花である。実家で植えたものが枯れてしまったので、家内が実家から枝を切ってきて、挿しておいたら見事についてどんどん成長している。来年はどうなるか楽しみにしている。

2005年9月19日(月)
敬老の日・高級車椅子 他
今日19日は敬老の日。昨日は娘一家がやってきた。娘にとっては私の両親が敬老に値するし、孫達にとっては我々夫婦がじいさんばあさんであり、私の両親は大じいさん大ばあさんになるから、敬老の日を前にやってきたのである。
小学校1年の孫は女の子で、前歯が大人の歯に変わったこともあって、小学生らしくなったし、幼稚園年中組の孫は男であるが、ほっそりして背丈も伸びている。8月の上旬に二人で5泊していったが、それから1ヶ月しか経過していないのに成長が感じられた。

今日午前11時から町内会館で敬老会があり、10月で89歳になる父は、横浜市から米寿のお祝いを受けたほか、敬老会(老人会)のための機関紙を毎月1回発行してきたが、先月それが100号になったので、町内会が本日表彰してくれて感謝状を頂いた(写真左)。今は編集委員会があり、記事も多く出るようになったが、開始した当時は記事を出してくれる人がおらず、自分でいろいろな名前を使って書いていた。100号記念で関係者以外に初めて氏名を明らかにした次第である。しかし紙面を作るのは今でも父の仕事で、毎日パソコンの前に座って紙面を作り、自分で撮影した写真を写真コーナーに入れて忙しくしている。

その父も大分前から歩くのが不自由になり、杖を使っても長い距離は歩くのが大変である。一番の原因は脊椎の一部で老化した骨が神経を圧迫していることで、それが両足の動きを悪くしている。大好きだったゴルフクラブを今はグランドゴルフクラブに代えて楽しんでいる。そのような父にとって必要不可欠なのが高級車椅子といえる自動車である。今はどこへ行くのも車である。歩行には不自由さがあっても車の運転は問題なく、時には三重県四日市市まで500キロの道のりを殆ど休憩せずに行く。
必要あれば私が運転するからといっても、自分で運転できる間は運転したいらしい。元気を維持するのにもそれがベストかもしれない、と運転については殆ど手助けせず、思う通りにしてもらっている。

昔両親が台湾に駐在していた時期があり、毎年夏休みは子供達を連れて両親に会いに行った。頭のてっぺんから照り続ける太陽は暑かったが、考えてみると今の日本と同じだったような気がする。台湾でいつも食べる果物は茘枝(レイシ=ライチ)である。街ではあちこちで赤い茘枝を売っており、新鮮なものを楽しんだ。最近はスーパーでも売っており、時々味わうが、今年は食べた後、何年ぶりかで種を3日程冷蔵庫に入れておいてからプランターに植えた。しばらくして芽が出て成長し、写真右のようになった。気温が20℃以下になると殆ど成長せず、大体いつも20℃以上にしておかねば更に大きくはならない。
今回はどこまで育てられるかやってみたいと思っている。
2005年9月17日(土)
川の流れのように

近くの神社で祭礼があり、「大祭奉納演芸」が行われた。時にはバンドを呼んで演奏するそうだが、今年は各町内会代表による演芸とのこと。
どういうわけか自分の区域の町内会長から出演を依頼された。固辞したが、予定の人は機会のあるたびに出てきたので今年は遠慮したい、とのことで結局引き受けざるを得なくなった。
最近「川の流れのように」「愛燦燦」の合唱版を好んでいたこともあり、「川の流れのように」をカラオケで歌うことにした。
時々自作のMIDIで練習していたが、カラオケが使えるとわかり、今週は\105/15分のカラオケ屋で2回程(計75分くらい)練習し本番に臨んだた。
何しろカラオケの経験はないわけではないが、現役時代にスナック等で歌ったことがある程度で、聴衆の前での経験は皆無である。にも関わらず母が息子のを聴いてみたいと言い出したということで両親が既に会場におり、家内、そして隣のご夫妻まで会場に来てしまった。

一般的に女性の歌った曲はキーが高いが、美空ひばりの歌はキーが高く、更に音域も広いため、キーを低くしないと私には歌えない。カラオケの練習では7段階(7半音)下げて、上下とも何とか大丈夫と確信したが、今日の本番は5段階しか下げられないマシンであったので、上が厳しくなることを我慢せざるを得ず、いかにして発声で高音を出すかということになる。とにかく最低まで下げてもらうことにしたが、やはり「ああ 川の」ときて次の「流れ」の「な」が腹筋を使って出したものの、若干苦しめになってしまった。
最後の「いつまでも 青いせせらぎを 聞きながら」を歌い終わってホッとした。
人前でカラオケを歌うのは最初で最後かもしれないが、一つの面白い経験であった。おみやげは神様に供えたタオルと箱に御朱印入り熨斗紙のついたメモ台であった。ありがたく使うことにしよう。

2005年9月16日(金)
犬の害(4)・・・・・・わかった!

近くからみたみなとみらい方面
(写真と本文は関係ありません)

■竹酢液を散布したにもかかわらず、夕方また犬にやられたのを発見した。
散歩がてら手紙を出しに行き、実家近くに来た時、向こうから若い女性が犬を散歩させながら歩いてきた。私が歩いていたためか、彼女は犬を抱き上げて通り過ぎた。
よく見るとその犬に散歩ひもはつながっていなかった。犬の思う通り歩かせていたのである。だから私の方に寄らないよう抱き上げたらしい。そこまでは良かった。しかし、その後実家の入り口のブロック塀にされているのを見つけた。
「そうか。つながれないで散歩している犬が飼い主より先に歩いて小便をしていることがあるんだ」。ひもなり鎖をつないで散歩させている人は、注意書きのところへ犬が小便している間待っている、ということは少なく、こうして犬の自由にさせている場合にやられることがあるらしい、と気がついた。

同時に竹酢液では効果がなく、やはり木酢酸でないとだめらしい、ということも合わせて判明した。残念!!

2005年9月16日(金)
犬の害(3)・合唱団

■またまた犬の害の話から・・・・ (写真左)
 一昨日の夜、塀際にあった糞とペットボトルがなくなっていた。飼い主が始末したのか、ペットボトルを置いた方が諦めて片付けたのかは残念ながら確認できていない。
ところが実家の入り口のところは昨日朝、またやられた。しかも、しかも注意書きの真下に堂々と.....。本当にそこへ平気で小便をさせた飼い主の良心を疑ってしまった。そこで友人から勧められた木酢酸を購入した(実際に購入したのは竹酢液=\498/1.8リットル であったが)。ブロック塀を水洗いした後、これをスプレーした。
今朝はまだ被害が出ていないので、しばらく様子を見ることにする。

■きんかん
 実家の庭にきんかんの木があり、毎年実をつける。母が好きで確か私が小学生の時に夜店で買ったものだと記憶している。
まだ緑色であるがやがて橙色に変わり庭に彩を添えてくれるであろう。

■合唱団の仲間達
 昨日は練習日であった。先週咳き込むので欠席した家内が現れたことから、女性の仲間達が「ああ来てくれてよかった。」「先週休んだから辞めてしまったのかと思った」などと声をかけてくれたらしい。
年齢的には家内より年上の女性が多く、年の離れたお姉様、場合によっては失礼ながら母親と同年代の女性もいる。従って家内はかなり若く感じられているらしい。
平均年齢も確実に高いといえる合唱団であるが、いざ練習が始まると、このような方達がものすごいのである。声は良く出ているし、音程もしっかりしてソプラノの高音もきれいに出るのである。決して年齢を感じさせない。
男性陣も負けていない。昨日は1時間の男性(男声)だけのヴォイストレーニングがあったが、終わりの頃には素晴らしい声に変わり、通常練習の最初に女性陣に聴かせたら拍手が起きた。めったに拍手してもらえない男性陣であったのに....。

2005年9月14日(水)
犬の害その後 他
昨日犬の糞害について触れたが、その糞はまだそのままで、糞が大分干からびてきている。飼い主が知ってか知らないでか。残念である。

動物病院を経営する友人から(実際には奥様から)メールを頂いた。動物も診察前や後で、緊張することがあり、病院といえども被害を被ることも多いそうで、されては困るところに木酢酸をスプレーすると良いと教えてくれた。実家には「犬・猫まわれ右」というスプレー剤を園芸コーナーで買って使ってみたことがある。数日は効果があるが、一週間に3回くらいは処理しないと元の木阿弥になってしまう。よその犬のためにお金を使ってももったいない、と1缶でやめたが、木酢酸で早速再挑戦してみるつもりである。


実家の庭にほおずきが3個実をつけた。撮影後実をとってほおづきの好きな母にプレゼントした。「昔はよく揉んで柔らかくして中身を出して音を出してあそんだもんだ」と懐かしがってくれた。(写真 左)

実家に3種類のあじさいがあるが、前住地の自宅にあったあじさいも色がきれいだったので、5センチくらい枝をとってきて植えておいたところ、芽が出てうまく成長をはじめた。来年は咲かせたいものだ。(写真 中)

豆の缶詰を弟がくれた。蓋をあけ、水をやり陽にあてると芽を出し、まめつぶが出来て、そこに文字が書いてあるという。半信半疑でやってみたら「happy」と描いた豆が出来た。その後成長させたら豆は枯れたが芽(つる)がどんどん伸びたので庭に植え替えた。芽はどんどん伸びてあちこちに絡みつきながら花を咲かせ、その後豆が出来た。今度はさやのあるもので現在長さ15センチくらいあり、気持ちが悪いくらいである。もうしばらくこのままにしておいてみようと思う。(写真 右)
2005年9月13日(火)
犬の害

一昨日近くの家の入り口近くの塀のところに犬の糞が放置されていた。最近糞は見かけることが少なかったので、「どこの犬か」と思っていたが、昨日になってもそのままだった。そして糞の近くに「飼い主は始末してください」と貼紙をした、水の入った大きなペットボトルが置いてあった。
今日になっても飼い主が無視しているのか通らないのか分らないがそのまま放置されている。
真ん中の写真はやはり近所の電柱である。大半の犬が小便をしていくようで、色が変わって汚らしい。コンクリート製とはいえ、このために電柱の傷みは早いと聞く。
右端は実家の入り口の塀に取り付けてある注意書きである。「ここへ犬に小便をさせないで下さい」。数週間被害はなかったが、最近一週間に1、2回無視され被害にあっている。
愛犬家は多く、散歩も必要なのは承知しているが、他人に迷惑をかけることは考えないのだろうか。玄関先に大小便の被害をこうむる側のことも考えてほしいし、ただ犬を可愛がるだけでなく、正しい飼い方をしてほしい。

2005年9月10日(土)
床屋

(この絵は本文と関係ありません)
会社時代の先輩が描かれた水彩画です。

今朝家内が「明日はお父さん達老人会の誕生会があるから、お母さん(私の)の髪を染めてあげようかな」と言い出した。
85歳になる母は白髪であるが、今まで染めてきているので時々染める必要がある。
いつものように髪を洗い、白髪染めで染め、ついでに髪も少しカットする。毎回同じような話を聞かされるが、家内はいやな顔一つせず、「あらそう」と話相手になりながら見事な手さばきで処理していく。
実家から300M足らずのところへ転居してから続いている家内の仕事の一つである。
終わると材料代込みで小遣いがもらえる。「美容室へ行けばもっと高いのだから」との母の言葉に最初は遠慮していた家内も割り切って、小遣いをもらうことにした。

家内は昔から髪をいじるのが好きだったようで、転居してからは私の頭もやってくれることになった。その代わり、私も家内に1回\1,000支払う制度である。茨城で長い間世話になった床屋へ行くわけにも行かず、駅前に「平日60歳以上\1,500」という店があり、いつも高齢者の多い床屋があったが、一度行った後、家内が道具を集めてこうなってしまった。
そのついでに父も家内にやってもらうことになったので家内は三人の固定客を有することになった。息子や娘は家内にまかせることは出来ないだろうから、これ以上客が増える見込みはないのが気の毒ではあるが.....。

2005年9月8日(木)
今日一日

(この写真と本文は関係ありません)
会社時代の友人が撮影した写真です。

昨日付けのWeb日記を見た方から「心にしみた」とメールを頂いた。歌うことを趣味にしている人が喉頭癌とはつらいことであったが、癌が消えて合唱に復帰できたことは本当にうれしいことだ。

今日は合唱団の練習日。いつもの準備体操の後、「秋の夜半」を歌詞ではなくア、ウ、マ等で頭声で歌う練習をする。そして「おお雲雀」「流浪の民」と続いて休憩。これらはかなり古い曲で、メンバーの中には中学生や高校生のときに歌ったという人も多い。歌詞が昔の言葉で書かれているので、「うたう」という部分は「うとう」と歌わねばならない。
そしてドヴォルザークのニ長調ミサ曲。「Credo」の練習開始で、まず階名で譜読みをしながら音合わせをする。この合唱団はパート練習をしないので、あくまで家勉強が重要である。
先週の女性(女声)だけのヴォイストレーニングの効果が十分出ていた。

練習後駅から坂道を上がり、汗だくになってすぐシャワーを浴び、22時からの「宮廷女官チャングム」を観る。

2005年9月7日(水)
15%の奇跡
(この写真と本文は関係ありません)
会社時代の友人が撮影した写真です

合唱団の仲間が喉頭癌にかかってしまった。昨晩その彼からメールが届いた。

彼は病名の通告と共に、治療のために手術か放射線か二者択一を迫られた。前者は入院2週間で済むが再発は無い。しかし声帯を失くす。後者は抗がん剤投与も含めるが治癒率70%とのこと。
彼は70%に賭けた。1ヶ月通院した後入院した。1日に2度の放射線照射と抗がん剤の投与の予定が、彼の体調が抗がん剤投与に耐えられないことが判明し、放射線のみの治療に決定した。しかし、治癒の可能性は50%に低下してしまった。1ヶ月経過し、退院時に医師が告げた。「まだ癌は残っている。1ヵ月後に来てほしい。消える可能性は15%」と。救いようのない数字に打ちのめされ、暗くて長い1ヶ月が過ぎて診断に行った。医師は何度も喉を見て首をかしげる。「やっぱりだめか」と目をきつくつむった。
彼の耳に医師の声。「癌は消えています」。夢を見ているようだ。覚めないように彼は目をつむったままにしておいた。

以上は彼が伝えてきた喜びのメッセージの概要である。そして10月から合唱団に復帰するとのこと。
おめでとう。心の底からお祝いを述べた。合唱団の仲間もあたたかく迎え、全快と復帰を祝福してくれるであろう。