思いついたこと

2006年5月30日(火)
旅行?

姪の結婚式に出席するため、家内と両親の4人で名古屋へ行き、ホテルに2泊した。外資系のホテルはとても豪華で、しかも39階の部屋だったので名古屋市内がよく見え、室内も広く、歩行が楽でない父は、部屋が広いから歩くのが大変だといいながら、結構楽しんでいたようだ。
このホテルの従業員は結構多いようで、レストラン等どこへ行っても笑顔で気持ちよく迎えてくれた。教育も行き届いており、気分が良いホテルであった。結婚式は勿論このホテルで行われたが、5月最後の大安ということもあり一日で17組の結婚式(披露宴)があるとのこと。素晴らしい披露宴で皆大満足であった。

名古屋へ来たついでに車で数十分のところに入院しているいとこを見舞い、湯ノ山温泉へ向う。写真中央はその温泉のホテルでの夕食である。ここは温泉が良い。部屋から一番遠いところにある大浴場と露天風呂へ家内も私も都合3回づつ入った。父も歩くのが大変だったが、2回入った。以前ここを訪れた人が3回入ったら痛い膝が治ったということだったので、痛みを感じている右肘を湯の中でよくマッサージして効果をみることにした。今現在痛みが殆ど感じられなくなった。偶然なのか温泉効果かわからないが良い方向であるのは間違いない。
横浜への帰途、すぐ近くの御在所岳のロープウエー乗り場まで行き、御在所岳の頂上をそこから眺め、帰路についた。
横浜の自宅まで4時間の行程であった。両親は旅行ということをしない人間であるが、たまにこういった旅行気分も良いものである。

2006年5月24日(水)
駅のエレベータ

足の痛い人、不自由な人にとって駅の階段は辛いようだ。一般的に昇りのエスカレータが設置されているところは多いが、降りの方が足にきついことも多いようで、出来れば上下両方向のエスカレータがあるとベストである。しかし、スペースの関係もあって難しいのかもしれない。
そこで最近エレベータがどんどん設置されてきている。中も広く、車椅子を使用している人でもそのまま乗降出来るのでこれが一番良いのかもしれない。
駅に入る時、プラットホームで電車を待っている間等々、自然にエレベータに目がいく。すると、若い人がかなり利用するのである。リュックを担いでこれからハイキングに出かける60歳以上のおばさん達も利用する。
そもそも何故エレベータが設置されたのか。勿論利用制限はないと思うが、それにしても何故こうした人たちが簡単に利用するのだろうか。
人間の足の力は非常に重要である。今は問題ないかもしれないが、年を重ねるにつれてあちこちの影響で歩きにくくなることは出てくるし、若いうちに足を鍛えておくべきと思う。またこれからハイキングに行く人はその段階から歩くべきである。
なんて思いながら今日もエレベータを興味深く眺める。
私は駅ではエレベータを絶対使わない。階段を使おう。エスカレータを使っても歩くようにしよう。

フレーム
2006年5月21日(日)
同期会

私は昭和42年に社会人となり、工場へ配属となった。以来昨年4月まで38年間、その地で暮らしてきた。
ただ、その工場は閉鎖となり、今上の写真のように広大な駐車場付きのショッピングタウンとして生まれ変わっている。
本日その昭和42年に入社した同期の者が11名集まって同期会を開いた。
先ずは、自分達が仕事をしてきた工場跡地のショッピングタウンに集合し、そこの管理事務所にいる後輩の案内で変貌したところを見学した後、独身寮のあった位置に建てられた老人介護施設を外から眺め、よく業務や宴会で使った旅館で懇親会を開いた。
それぞれに現状の紹介をして昭和44年の旅行時の写真や工場全景の航空写真を見ながら、昔を思い出しつつ和気藹々と続いた。この仲間は現役を引退し、悠々自適の生活の者、経営者や顧問或いは自営で頑張っている者、と様々であったが、驚いたことにあれほど元気で活発だった仲間が3人、腰の具合が悪かったり、病気の関係から歩行に影響の出ている者がいた。
幸いこの世に別れを告げた者はおらず、結構なことであるが、これから年を重ねるに従って、いろいろなことが起きてくるであろう。少しでも自分の人生を楽しむために、健康でありたいと強く感じた。
次の幹事を決めて再会を楽しみに散会した。次はどこで行われるか。秋葉原かな?

2006年5月20日(土)
庭の花々

5月も半ばとなり、緑の成長が早くなってきた。梅は実をつけ、木々の花々もどんどん咲いてくる。実家の庭にオレンジ色のバラがある(写真左)。結構珍しく、母はこれを見るたび「変わった色だね」という。真ん中はシャクナゲ。右はつつじである。このつつじも花の色が変わっていて私は大好きである。
隣から朝顔の種を沢山貰ったので、今年は一箇所に集中して朝顔砦を作ってみようと考えている。
今朝ベランダにあった矢車草が二本、花から10センチくらいのところで折れていた。強風に煽られて折れてしまったらしい。残念。

フレーム
2006年5月16日(火)
感動のコンサート

 5月14日(日)にコンサートがあり、家内と共に出演した。昨年8月6日から毎月2回、土曜日の午後御茶ノ水(今年4月から大森)へ通い、練習を重ねてきた。
前日の13日にゲネプロがあり、初めて伴奏者、ソリストが揃い、本番と同じ内容で演奏練習をした。今までピアノ伴奏で練習してきたモツレク(モーツァルトのレクイエム)もエレクトーン2台とティンパニーでの伴奏となる。
最初のファゴットの「G」から始まり、半拍遅れてヴァイオリンとビオラが出る。これがまるでオーケストラのような見事な音で、合唱団に向けられたスピーカからのエレクトーンの伴奏を楽しみながら練習した。
これは良い演奏会になるなあ、というのが実感で、帰りは横浜駅で食事をして自宅へ戻った。聴きに来てくれる一部の友人にメールで立つ位置を連絡して早寝。
 翌14日はいよいよ本番。8:45に錦糸町のすみだトリフォニーホール集合とのことで、7:00前に自宅を出る。乗換えをあれこれ検討していたが、インターネットで調べたら今は成田空港行きの横須賀線に乗ればそのまま錦糸町に着くことがわかり、感心しながら会場へ向う。
既に20名位が楽屋口の開くのを待っていた。
控え室に入り、会場客席で待つことにした。ステージでは役員や手伝いを指示された人達が山台作りを開始。250名の合唱団で、全員台に上がるため、10段構成とすごい。1段の奥行きは1m位あって広い。オーケストラがないため余裕たっぷりの山台となり、出来上がった時点で全員が並び、練習開始。
今回も本番と同じ順番/内容である。12:45頃練習終了。13:20までに食事と更衣を終えて舞台横へ集合、とのことで急いで弁当を食べ、着替えて集合。
そして13:30演奏開始。最初は男声合唱の「自由の歌」。全員思い切り声を張り上げている感じ。次に女声合唱の「肩たたき」、混声で「星に願いを」を歌って第1ステージ終了。
津軽三味線を演奏している間に、上着を着用。第2ステージは「山に祈る」。谷川岳で遭難した上智大学生の遺品である手帳と母親の気持ちを組曲にした名作で、ジーンと感じながら無事終了。第3ステージはモツレク。
ソリストの見事な響きを堪能しつつ最後のAgnus Deiまで約50分位。木村先生が指揮台を降りて合唱団に向って、小さな輪から両手を上にかざしての大きな輪を作った。「良く出来た」のサイン。
アンコールに「Ave Verum Corpus」と「わかれのとき」を歌って終演。
終わったら足が棒のようになっていた。歩くことを励行してきたが、ほとんど足を動かさずに立っているのはまた別な筋肉が使われるようで、しかも短い休憩時間をはさんで2回公演と同じだったから余計かもしれない。

終わってから打ち上げに参加。木村先生やソリスト、伴奏者の話を聞いて、皆と懇談し、最後に皆で輪になって同様を6曲ほど歌い、「遥かな友に」でお開き。大変疲れたが、感動し楽しい一日であった。
来年は7月7日に同じ場所で「水のいのち」とハイドンの「ハーモニー・ミサ」を演奏する。その練習は7月8日から始まる。
もしご覧の方で参加を希望される方はご一報頂きたい。一緒にやりましょう。
上の写真は聴きに来てくださった友人が二階席から携帯で撮影された写真。頂いたので拝借して掲載した。合唱団の上部の光っているのは常設のパイプオルガン。

2006年5月13日(土)
エレクトーンの魅力

明日合唱のコンサート本番がある。今日ゲネプロといって本番と同じ内容でソリストや伴奏も参加して練習が行われた。モーツァルトのレクイエムを2台のエレクトーンとティンパニーで伴奏する。
通常オーケストラの伴奏がベストであるが、経費がかかるためこの合唱団は毎年2台のエレクトーンを使う。
私は初めてエレクトーンの伴奏で歌うことをを経験したが、オーケストラ風にアレンジしてあるためオーケストラと遜色なく感じて感動した。
通常、曲を演奏するエレクトーンはどこでも聴けるが、伴奏としてのエレクトーンは本当に素晴らしい。その魅力を十分感じた一日であった。
明日の本番が楽しみである。

2006年5月10日(水)
結婚記念日

今日5月10日は私達の○回目の結婚記念日である。単身赴任が合計7年あり、一緒に記念日を迎えることが出来ない時期もあったが、現役を引退した今、二人揃って元気で迎えることが出来た。
当時会社では結婚式を挙げると絵葉書にお礼を書いて職場に出すことが慣習のようになっていた。
新婚旅行から戻ったら職場には私の出した絵葉書が貼られており、恥ずかしかったし、皆から「新しい朝を迎えた」とはどういうことだ、などと冷やかされてしまった。
当時21歳だった家内は初々しく、若々しく、ぴちぴちして可愛かったが、年を重ね、年相応の状態になっていて当時が懐かしく感じる。
幸い二人の子供にも恵まれ、それぞれが結婚して独立し孫も出来、一般的なスタイルになっている我々は、ここまで順調にきて元気であることは感謝以外の何物でもないと思う。
これから孫が結婚し、ひ孫が出来るまで何とかこのまま元気に過ごしたいものだ、とつくづく感じるこの頃である。

2006年5月4日(木)
歩いてみて

このところ珍しく「歩く」ことが続いている。今日も夕方40分くらいであるが、一回りしてきた。写真は実家から見上げるマンションである。
かつては研究所があったが、今はこのような建物になっている。ここへ行くにはすぐ近くに100段の階段があるが、一度バス通りに出て大回りし、この建物の向こう側に出て建物に沿って歩き、別の階段を下り、一度下へ出て、緩やかな道を歩き、最後はまた階段を上がって歩くのである。
最後の階段は角度にすると45度以上になる感じで、一挙に4階か5階の高さまで登っていくイメージであるが、ここを登りきった時、後ろに見えるみなとみらい地区の景色がまた良いのである。
歩きながらどんどん増えている新しい家をチラチラと眺めるが、時には道路から玄関まで数十段の階段になっている家があり、考えてしまうことがある。家を建てる年齢は比較的若い時が多いと思う。その時は恐らく苦にならないだろうが、年齢を重ねて、しかも歩くのが辛くなった時、どうするのだろうと他人事ながら考えてしまう。人間いつまでも若くはない。常に年をとった時のことも考えるべきと思いながら歩いている。

2006年5月3日(水)
第54回ザよこはまパレード(国際仮装行列)

 今日5月3日は恒例の「ザよこはまパレード」の日である。10:45〜キッズパレード、11;15〜スーパーパレードとのことで、私は最初から最後まで全部立ちっ放しで見物した。
昨年は出発地の山下公園の氷川丸付近から少し離れた所で見たが、人が多すぎること、マーチングバンドが演奏せず通過することが比較的多かったため、今年は場所を変え、みなとみらい線の元町・中華街駅でなく、日本大通駅で下車し、シルクセンター付近で見ることにした。実はシルクセンターに昔シルクホテルがあり、我々はここで結婚式と披露宴を行った場所でもあるから、というのもそこを選んだ理由の一つである。
 今年はキッズが14団体、スーパーが46団体出場し、沿道はものすごい人で溢れていた。身長が163センチしかない私はせめてあと10センチ高ければと思ったが、並木の植えてある箇所が一段高くなっており、うまい具合にそこに立つことが出来たのでよく見えた。左の写真は実力のある神奈川県警音楽隊、真ん中は神奈川県知事、商工会議所会頭、横浜市長が乗ったフロート、右はデパートのフローとである。大学の後輩のマーチングバンドも堂々の参加であった。
スタートしてから2時間半超ですべてが目の前を通っていった。最終の横浜市消防局音楽隊を追うように、赤レンガ倉庫へ向った。しかし、別のところへ移動する人、帰宅の電車の駅に向う人、赤レンガ倉庫へ行く人で通りはごった返し、なかなか思うように歩けない。やっとたどり着いたら、14:00からの赤レンガ倉庫前のイベント広場でスーパーエキジビションがあるため、これまたものすごい人が待っている。背伸びをしてもよく見えないし、手を伸ばして上から写真を数枚撮って海側へ移動し、これからの準備に余念のない団体を眺めたあと、帰路に着いた。
このところ体調を整えるために毎日1時間くらい坂道のぼりも含めて歩くようにし、毎日30g以上の納豆を食べ、血圧と体重を測定し記録することにした。ずっと立ち通しだったり、結構歩いた効果なのか帰宅したら体重が1キロあまり減少していた。パレード効果かもしれない。
来年もまたパレードを見に行こうと思う。それまではこれらと腕立て伏せ、腹筋のトレーニングを続けてみよう。

2006年5月1日(月)
アサリのその後

4月28日に潮干狩りに行ってとってきたアサリは十分堪能した。
29日の夕方残っていたものをすべて剥き身にした。
貝の表面をよく洗い、大きな鍋に水を入れ、貝を全部入れてからガスを点火して貝が開くのを待つ。
十分貝が開いたところで煮汁はそのままにし、スプーンで身を取り出すという作業をする。大きなものはやりやすいが、シジミみたいな小さなものは結構面倒である。
そして30日はアサリご飯にすることにして一部を冷蔵庫に入れ、その他は隣人に教えてもらった方法で保存することにした。
ある程度の量に分け、冷凍食品保存用ポリ袋に入れ、冷凍するのである。煮汁はペットボトルに入れ(8分目程度まで)、冷凍する。こうしておくと極端な話、正月まで保存できるとのことである。

昨年は貝ごと冷凍してみた。後で味噌汁にした時、10%位死んでいた。
今回、アサリは常に海水に浸した状態で家へ持ち帰り、涼しいところに海水に入れて放置し、翌日海水を交換したが、そのためかまず潮干狩り当日の夜の段階で砂は皆無という位吐き出していたし、剥き身にするときも大変元気であった。水に塩を入れて作る塩水より、海水の方が砂をよく吐くし、もちも良いようである。従って次回は少なくても翌朝貝ごと冷凍すればかなり良い状態で保存できるだろう、とトライしてみることにした。
生協は冷凍でシジミやアサリを販売しているので、冷凍装置の差はあるかもしれないが、おかしなことではないはずだからだ。