思いついたこと

2006年8月24日(木)
何故結婚指輪は薬指にはめるか

今日は話題があったのでもう一つ。
運転免許の講習の時に、講師が気分転換にと余談を言った。
標題のことがテーマである。
先ず、拝むように両手を合わせる。次に中指を先端部を突き合わせながら内側に曲げて第二関節までの外側をくっつける。その状態で左右の親指を外側へ動かしてみる。と、親指同士は離れる→親離れ。人差し指もやってみると離れる。小指もやってみると離れる→子(小)離れ。最後に薬指を動かすが、くっついたまま離れず動かない→よってここに指輪をはめる、というのが話であった。本当かどうかわからないが、なるほど!と思わせる話であったので紹介しておく。

2006年8月24日(木)
運転免許試験場

運転免許を書き換える時期が来て、本日神奈川県運転免許試験場へ行った。ここで交付を受けるのは初めてであったが、とにかく感心した。
更新の場合は2階へ行き、@窓口で免許証を提出してそのコピーが入った申請書類を受け取り、指定された2箇所に記載してから証紙売り場へ行って証紙を購入し、申請用紙に貼り付ける。次に
A窓口へ行って、申請書に確認印等を押印してもらった後、B窓口へ行って目の検査を受ける。そしてC窓口へ行き、申請書を確認し講習会場の案内書類を受け取った後、Dで写真撮影し、講習テキストを受領し、指定された会場へ進む。
@から始まって大勢の行列を作っているが、とてもスムーズに進み、待ち時間がかなり短い。本当に流れ作業的に自分がベルトコンベアに乗って移動している感じであった。
ここは来場者も多いから必然的にこのようなシステムが構築されたものと思う。@から講習会場まで約20分足らずで完了してしまった。
そして講習。私はスピード違反をしているので「違反講習」で費用は\3,800、講習時間は2時間。この講習会も人が早くそろったので(99人)、7分早く始まった。最初は「ママ、帰ってこない」という突然に母親を交通事故で失った小学生の女の子の作文をもとにして作られたドラマ。残された中学生と幼稚園の男の子と小学生の女の子と父親が苦労し、幼稚園児は最後祖母に預けられてしまうという話で、被害者の立場からのドラマであった。その後自己診断で簡単なテスト様式で自分が運転に適正なのか、注意を要するのか、その運転のタイプを診断する時間があり、最後は講習。講師は大変うまく飽きさせない名講習であった。講習会終了後階下へ行き、名前を呼ばれて免許証の交付を受けたのである。それにしても各窓口(場所)の担当者は毎日毎日一人ひとりに同じことを言わねばならず、大変な仕事だと感じたし、見事なまでのベルトコンベア式業務の流れに感心してしまった。8:30に受付が開始され、外へ出たのは11:08であった。
<参考資料>
・神奈川県の人口 8,830,470人(全国第二位)
・免許保有者 5,303,825人 →1.7人に1人が保有。
・登録台数 4,711,326台 →1.9人に1人が保有
・新規免許取得者 乗用車は毎日400人が来て320人が取得する→免許取得者はどんどん増加している

2006年8月23日(水)
最近の若者

8月18日にスーパーIへ行って、2Lのボトルに入ったお茶を1ケース(6本)取り寄せるよう依頼した。最近はアイスコーヒーを完全にやめてお茶に切り替えたことと、通常その店では販売されていないので、今後置いてくれるかもしれないという期待を込めたのである。私の頭では19日か20日には納入されると予測された。そのお茶の販売会社は土日でも物流が動いているからである。
しかし21日になっても連絡がないので店に出向いて確認した。「メーカーの方がお盆休みで連絡がつかなかったが、今日は連絡が取れるので23日には入ると思う。」とのこと。
ここで店員はでまかせの言い訳をして、自分が発注を忘れたのを隠したと推定している。そのメーカーはお盆休みがないを私は知っていたからである。
しかしそのまま連絡を依頼して戻った。
今日は23日(水)であるが、昼になっても連絡がない。私はメーカーへ確認してみた。「スーパーIがこういうことを言っているが、そうなんだろうか」。
メーカーはそのスーパーへの納品状況を確認してくれた他、そこ以外の店でその商品を売っている店を紹介してくれた。
メーカーの情報から昨22日(火)に既に納品されていることがわかった。
そこでスーパーへ行ったところ、やはり昨日のものが私の依頼分であり、すぐ品物を持ってきた。
「あんたはこの前お盆休みで・・・と言ったが、あの会社はお盆休みがないよ」→「会社でなく営業担当者とやりとりしていたものだから・・・」の返事。
「これは昨日入っていたのではないのか。何故連絡をよこさない」→「そうですね・・・・」

最近このような自分の担当業務を大事にしない、どうしたら売れるようになるか考えない、顧客に対する接し方を知らない、という若者が多い。これは社員教育のまずさも意味する。
私が受注した担当なら、
@受注内容は手帳でなく、受注伝票に記載し、社内ルールに従って伝票処理する。
A商品が納入されたら、すぐ顧客に連絡をし、必要なら自分で届ける。
B顧客から注文があったものは、売れるかもしれないので数ケース仕入れて並べてみて販売状況を把握する
C言い訳の前に謝罪する
等々を実行していたことだろう。

2006年8月20日(日)
町内の夏祭り

今年4月から町内会の役員の一人となったが、19日と20日は恒例の夏祭り。
二週間前から準備してきたが、いよいよ当日となった。前日の19日はコンサート出演のため参加できなかったが、20日は朝から会場へ。10時に子供みこし、大人みこし、子供たちが引っ張る山車について町内を巡回。この辺は坂道が多く、結構大変であるが、二箇所に設けられた休憩所を楽しみに、子供たちもよく頑張った。
夕方からは売店がオープンし、おでん、焼きそば、焼き鳥、イカ焼き、たこ焼きといった食べ物やビール、ラムネ、カキ氷といった飲料、おもちゃ等のコーナーに人々が並ぶ。
焼き鳥は早い段階で完売となり、最後には焼きそば数食と飲料以外完売となった。
やぐらでは盆踊りが始まり、子供たちも大人を真似ながら参加して大いに楽しんだ模様。最後は恒例の抽選。全家庭に1枚づつ抽選が配布されており、18:30までに抽選箱へ入れてもらった。美女2人による抽選が始まる。1等はこしひかり10キロ、2等はこしひかり5キロ、3等は洗剤箱、4等は油2本と家庭的なものである。全家庭の1割が当る計算であっても、なかなか自分には当らず、等外として参加賞の台所洗剤2本をもらって終了。
運の良い人は昨年に続いて今年も2等という人もあった。
祭が終わって、借用した駐車場を元に戻すため、役員全員でテントはずし、片付け、清掃を行い、ひとまずメインイベントが終了した。翌日から来週にかけて残ったものの片づけがある。
次の大きなイベントは年末の餅つき大会である。

2006年8月19日(土)
ホーム・コンサート

所属する合唱団は来年6月17日に定期演奏会を開催するが、今年は団主催の大きな演奏会がないことと、日頃合唱活動に協力してくれている家族・友人に聴いてもらうため、ホーム・コンサートを開催した。
定員300名という小さなホールであったが、音響効果が良く、PP(ピアニッシモ)で歌っても後部座席に声が届く会場であった。
前半は混声による愛唱歌、男性陣による男声、女性陣による女声合唱と3つのステージでおなじみの曲を披露した。後半は世界の歌と日本の歌に分けた本来の団の姿での合唱であった。
17日のゲネプロでは手伝いに来てくれた友好合唱団のメンバーが不安がる曲が何曲かあったようだが、本番には見事にリカバリーして、辛口で知られるOBにもお褒めの言葉を頂いたし、手伝いの方々もゲネプロの時とは全然違って、素晴らしかったと言って頂き、歌った方も満足出来た演奏であった。
アンコールの代わりに、会場の皆さんと3曲歌ったが、指揮者がこうしたことが得意であるため、会場に来ている団員の家族で希望する人にはステージに上がってもらい、一緒に歌う試みをした。通常では「お父さんやお母さんと一緒に歌いたい人」となるが、団員の構成上、「おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に歌いたい人」と呼びかけ、数人の子供さんがステージへ。恐らく良い思いでになったことであろう。
コンサートの性格上、打ち上げは行わず、家族と過ごしてもらうことにした。私は手伝いに来てくれた友好合唱団の方々と居酒屋へ。初めて会話する方々であったが、プロの有名な男声クアルテットの人達と交流している方、この日ビデオ撮影を担当して頂いて、その団のホームページを担当している方等と親しく話をすることが出来、非常に有益な懇親会となった。
お世話になった方々に心から御礼申し上げたい。

2006年8月7日(月)
夏祭りと誕生日と

昨6日は朝から暑い日であった。昭和20年のこの日も同じような暑い日だったそうだが、広島に原子爆弾が投下され、沢山の尊い命が奪われてしまった。
私が二歳になる前日の出来事である。被爆された方々はそれぞれの思いでこの日を迎えられたことであろう。この時期テレビや映画で戦争を扱ったものが多く放映されるが、戦争だけはするべきでないといつも思う。一瞬にして人の幸せを奪い、これからの楽しみをなくしてしまう。もう二度と戦争をしてもらいたくない。

その暑い中、町内の8月19,20日に行われる夏祭りの準備作業があった。町内会の役員が集まり、9時からおよそ3時間。私は盆踊りのやぐら組み立てを担当した。
左の写真は昨年のものであるが、このやぐらは太い木の柱に鉄骨の補強部があり、なかなか重いものである。安全管理の面からボルトとナットを確実にきちんと締め、2時間半程度で組みあがりOKになった。来週は写真のような飾り付けを含めて祭りに一歩近づく状況になるだろう。
この町内会の祭は周囲の町内の中でも評判がよく、地域の人達の参加率がかなり高い。大いに期待できる。

そして今日8月7日は私の誕生日である。その日産気づいた母は病院へ行ったが、満員で入院出来ず結局自宅で産婆さんの手でお産することになった。しかし、産婆さんが「足が先に出てきた。医者を呼んでくれ」と父に頼み、父がようやく医者を連れてきた時には生れていたそうだ。しかし、逆子の上に泣き出さず、産婆さんは両足首をもって逆さにしてからだのあちこちをたたいて、ようやく産声をあげたとか。直近のことは忘れることの多い母も、こうした昔のことは忘れることがなく、時々繰り返し話をしている。
朝一番に孫から「おめでとう」の電話があり、良い気分の一日になりそうである。