思いついたこと

2006年12月21日(木)
母の誕生日

 本日は母の満87歳の誕生日である。今年のはじめに二回ほど救急車の世話になったが、原因が血糖値の低下によるものと判明し、血糖値を下げる薬の量を半減したこともあってその後再発はなく、お陰さまで元気にしている。
母の誕生日に関する口癖は「私も暮れの押し迫った時期に生れたものだ」「子供の頃誕生日には母親がそれぞれ好きなものを作ってくれた。だから皆の誕生日はよく憶えている。」
10人兄弟姉妹の末っ子であった母は、皆他界して自分ひとりになってしまったが、誕生日には串団子を作ってもらったことや、クリスマスにそれぞれが名前を書いた靴下を置いておき、サンタクロースを楽しみにしたこと等、時々口にする。自分がそうだったので、我々にもクリスマスや誕生日にいろいろやってくれたのだろう。
今はサンタクロースはいない、ほしいものを買ってあげる、という家庭が多いようだが、ある程度までは子供に夢を持たせる育て方も必要ではないか、と思うことがある。
今朝実家へ行ってみたら、既に孫である私の娘一家からお祝いのメッセージのファックスが入っていた。
息子も電話してくることだろう。
今日は予定があるので2日前に誕生祝いの会食をした。母の好きな五目ちらし寿司とカニとイチゴで。ここまで来たのだから90歳、100歳を目指して元気でいてほしいと願う。

2006年12月19日(火)
私の宝物
いつの間にか時が経ち、前回から二ヶ月近く経過してしまった。愛読してくれている友人が「しばらく書いてないねえ」と言ってきたこともあり、本日久々に書いてみた。

 来年5月3日に東京文化会館小ホールで、モーツァルト曲の「レクイエム」と三木稔曲の「レクイエム」の演奏会がある。この演奏会は楽譜が改訂され従来第五楽章までだったものが第六楽章までに増えた初演になる。
二人の外人メンバーが練習に来なくなったから、と友人が私に参加を依頼してきた。
私自身幾つかの合唱団に参加しているため躊躇していたが、世界的に有名な三木レクイエムを三木先生の指揮で演奏するめったにない機会でもあり、演奏会までに7回ある特別練習だけの参加でよいから、というので思い切って参加することにした。
17日は二回目の練習参加であったが、この日は三木先生のご指導日であり、私は先生に挨拶し、楽譜にサインを頂いてしまった。これは私にとって重要な宝物の一つになることであろう。
三木先生はとても温厚なお人柄で、気に入ってしまった。ついでに自分のHPでレクイエムを公開していることを話したら、「いいですよ」と快諾してくださった。
三木レクイエムは最初とっつき難い感じがしたが、先生ご自身が「これは若い時に作ったので、どうしてもこれらの音が欲しかった。今だったらもっときれいな和音で作ったかもしれない」とのことであった。いずれにしても全体的なテーマは「お支度はどなたも喪服に花束」だそうである。混声合唱編に全曲掲載してあるので、興味のある方は是非聴いて頂きたい。
フレーム
2006年10月31日(火)
異国の丘復刻版と定期演奏会

29日(日)に茨城県の日立市へ行った。地元の合唱団の定期演奏会があり、招待状を頂いたことやその他いろいろ関連があったからである。ここは私が育ったところで、生れてしばらくしてから移り住み、小学校5年生の4月まで過ごしたところで、私にとっては育ち故郷である。
かつて私が住んでいた家はもう取り壊されていて存在しないが、周辺や市内の地図はかなり記憶に残っており、幼稚園も小高い上に存在した。勿論建物も経営者も変わり、小高い丘のあちこちは家だらけで様相が大幅に変わってはいるが。
横浜から湾岸線、首都高を経て常磐道に入り、ガラガラだったこともあり、2時間で到着した。開場時刻まで時間があったので、市内の公園の一角に数年前オープンした「吉田正音楽記念館」に立ち寄り、見学した。吉田先生は数多くの作品を作曲され、多くの歌手を世に出したことで知られる。また吉田先生がデビューしたのは「異国の丘」の作曲者であることが判明したからである。戦後いろいろなところからこの曲が流れたが、誰が作曲したものか不明であった。そして復員してきた先生が名乗り出て、メモ等から「間違いなし」ということになった。
記念館は小規模ながら先生の実績を表し、また作曲も出来るコーナーもあり興味深かったが、一番興味をもったのは、上の写真の楽譜である。先生を世に送り出した「異国の丘」であるが、作者不明、佐伯孝夫補作、清水保雄編曲で昭和23年12月に発行された(吉田先生の復員前)。それの復刻版の楽譜である。当時のままの装丁で立派に甦っていた。
価格は\350でこの記念館のみで販売するために権利者の許可を得て特別に復刻したものである。

演奏会は大きく3ステージ。コンクールでいつも金賞か銀賞を獲得している合唱団だけに、若い人ばかりのうらやましくなるくらい良い正確な声が出ていて素晴らしい演奏であった。

2006年10月25日(水)
「もってのほか」・和菓子の芸術

皆さんは「もってのほか」と聞いて、どのように考えるだろうか。何かまずいことを言った場合に、相手から言われる言葉でもあるが、今日は食べ物の話であり、ここでいう「もってのほか」は食用菊のことを言う。
赤紫色の花びらはシャキシャキとした歯ごたえとほのかな甘みが特徴で、おひたしや天ぷらなどに調理される。
 では何故このように変わった名前になったのだろうか。「皇室の紋章を食べるなんて」「思いのほかおいしい」等の諸説に由来するらしい。山形県は、食用菊の生産量が2004年で1260トンと全国1位だったそうだ。

次に某有名菓子のしおりにあった話。
和菓子は「五感の総合芸術」といわれる。
 視覚−美しい情景を思い起こさせる姿。
 聴覚−趣深い優雅な菓銘の響き。
 嗅覚−和菓子に包みこまれたほのかな香り。
 味覚−口に含めば広がるまろやかな美味しさ。
 触覚−楊枝で切る時の感触、舌ざわり。
五つの繊細な感覚が重なり合って、小さな和菓子に大きな広がりが生れる。

2006年10月20日(金)
親父の免許

これを書かねばと思いながら、日程がどんどん進み、一ヶ月近く経過してしまった。
今月は親父の誕生月で、間もなく90歳になる。頚椎部分で神経が圧迫されていることから歩くのに杖が必要になって久しいが、車の運転が出来るので高級車椅子を日常使いこなしている。最近は遠方であれば私が運転していくが、そうでなければ自分でどこへでも出かけていく。
今年は自動車運転免許証の書き換えがあり、指定の自動車学校で「高齢者講習」を受け、問題なくOKとなったが、眼鏡を換えた方が良いかと某デパートの眼鏡売り場へ行ったら、「視力は0.6で、免許証は0.2以上だから大丈夫だ」と言われたとのこと。確か「0.7以上のはずだが」と思いながら、そのままになっていた。
ある日、眼科へ行った時に目薬をさしてもらったら、「何か良く見えるようになった気がした」親父は、そのまま警察署へ行って更新の申請をした。視力検査も問題なくパスした。かくしてこれから3年間継続して運転できるようになり、ホッとしたらしい。
我々夫婦がすぐ近くにいるから、いつでもどこでも連れていけるが、やはり自分で運転していけるのは格別なものがありそうで、「運転はだめ」となったら、気力も衰えるかもしれないと思う。
先日ある人が「皆、すぐ老化、老化と言うが、そんなに急いで廊下へ出る必要はない。もっと部屋の中でやりたいことをどんどんやって、それから廊下へ出れば良いのだ」と言って、皆を笑わせた。自分から「老化」、「年だ」と思わない・言わない方が良いと思う。前にも書いたが、人間は生涯現役なのである。