今日は私の誕生日です。1943年(昭和18年)の今日、私は茨城県水戸市で生まれました。母が病院へ行ったら満員で(当時は産めよ増やせよの時代でした)入院できず、仕方なく自宅へ戻って、産婆さんを呼んで生まれたのです。しかし産婆さんは「足が先に出てきた。お医者さんを呼んで来てくれ」とのこと。父が医者を呼びに行っている間に生まれたそうです。でも産声をあげることなく黙ったまま。産婆さんがあちこちをとんとんとたたいたらようやく産声をあげたとの話です。
母は今でも「こんな暑い時によく産んだもんだ。あの時は病院が満員で・・・・」とよく言います。
今朝自分で誕生日を再認識し、「65歳になったんだ」と思ったのですが、実は「65歳になってしまった」というのが実感です。この春合唱団のレクリエーションで大船フラワーパークへ行ったのですが、65歳なら入場無料だったのが、私は料金を支払わねばならなかったのを思い出して、「65歳以上入場無料」と検索してみたところ、あるわあるわ結構あちこちで入場無料になるのです。しかしよく見ると「敬老の日は」と注釈付きもあって、「敬老」と言われる立場になってしまったのか、と何か寂しい気持ちになりました。
人間生きている限り、必ず通過するポイントであるわけですが、先輩には申し訳ないけれど何かわびしい気持ちですね。
7月に高校の同期会を開催した時、「65歳として今一番頑張っていることを話し合おう」としたわけですが、私に言わせれば「65歳はまだそれほど老け込んでいる年齢ではない」ということです。これから65歳定年制は拡大していくと思うし、活躍する65歳はかなり多いと思います。
ただ、健康でなければ意味がないし、つまらないので、まず健康維持に十分な注意が必要ですね。
今両親が元気でいてくれるので、好きなことに取り組み、夢中になっています。これが私にとって一番ありがたいことで、元気な両親に感謝の一言しかありません。
毎朝歩いて300歩のところの実家へ両親の様子を見に行くのですが、今朝は病院へ行く日なのにそれらしい雰囲気がなく、聞いてみたらうっかり忘れていたとのこと。
通常なら91歳になる父が車を運転して88歳の母と病院へ行くのですが、この時間だと一番近い駐車場は満車で、少し離れた駐車場しか使えない可能性があり、歩行に少し不自由な父にはきついだろうと思い、私が運転して玄関前でおろすことにしました。
実際には駐車場はいつもと違って空いていたのですが、結局最後まで付き添い、薬局で薬ももらって帰宅しました。家を出てから帰宅まで2時間余りかかりましたが、誕生日だから感謝の意味も込めて良い事にしましょう。
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