思いついたこと

2008年10月12日(日)
地域防災訓練

今日周辺地区合同で地域防災訓練が行われました。
小学校に集まったのは各町内からおおよそ300名程。消火器訓練、煙体験等のあと「トリアージ訓練」という被災者の救護訓練です。患者が選ばれ、その人たちが医師団・看護士団と共に演技をしました。
私はその中の一人で、「台所で柱に鼻をぶつけて出血している患者」の役を担当しました。
一番目の人は階段下に倒れていて意識がなかった人で担架で運ばれ、赤ランクで、治療を受ける立場。私は二番目で「台所で鼻をぶつけて出血している役」でしたので、一人で歩いて救護所へ行き、状態を話しして聞かれた名前を言い、緑ランクで看護士の手当てを受けたわけです。
三番目は鎖骨骨折で黄色ランク、四番目は意識もなく、反応もなく、呼吸も浅く、脈拍も非常に弱く、黒マーク。即ちまだ命があってもほとんど望みがなく見捨てられる立場でした。
その次にいっせいに救護所へ行って順番に判断をもらうことも行いました。
実際大きな災害が発生した場合、こういう状況は想定できるわけで、今回の事例の中で黒ランクと判断され、見捨てられることになる人でも、実際に身内がいたら「黒ランク」に不満を持ち、救護所内で「早く何とかしろ」と大騒ぎになることでしょう。
この辺が訓練と実際とで大きな相違があると医師団の話がありました。住民の協力が必要ということです。
最後に食料供給訓練と言うことで参加賞代わりのパンと缶ジュースならぬ「缶入り横浜の水」をもらって解散しました。

2008年10月12日(日)
定期演奏会終わる

昨11日(土)に男声合唱団の定期演奏会が無事終わりました。昼前まで雨模様の天気だったこともあって心配したオーバーフローもなく、空席に案内する会場係を担当した私は特に動く必要はありませんでした。

9時集合のため、私は6時半に家を出て8時50分頃会場へ到着し、9時に中へ入り山台づくりを手伝いました。大勢でやったこともあって15分くらいで完了。
その後ピアノの調律の間、別室で発声練習。そして10時からリハーサルの開始。
今回ピアノ伴奏の曲が少ないため、ピアニスト二人の担当するステージからリハーサルを開始しました。
愛唱歌集の第三ステージとアンコールを優先し、問題なく終了。その後第一ステージのロシア民謡、第二ステージの敬礼段と進みましたが、敬礼段はパフォーマンスを披露することになり、団内指揮者がその筋の関係者であることもあって、山伏姿で儀式を行った後演奏に入るようになっていました。
またステージ両側にはかがり火の装置。当然ステージで火を燃やすことは出来ないため、下から送風してライトで照明する装置を作ったので、本当に火が燃えているような見事な小道具になっていました。
最後はメインステージの第四ステージの「秋の瞳」の練習。
どうにかうまくいって、記念写真撮影、昼食と過ぎ、いよいよ開場時刻になりました。
最初に述べたように大勢のお客様が来てくださり、ホッとしたのも束の間、ステージ横へ移動していよいよ本番です。
「いざ起て戦人よ」でオープニング。続いてロシア民謡。ヴォイストレーナーと指揮者がそれぞれソロをして団内指揮者が指揮。
私はヴォルガの舟歌のみ楽譜を見ました。
第二ステージは「敬礼段」。順調に進んで休憩。
その後衣装を黒上下・黒蝶タイ姿から制服に着替えて第三ステージへ。
愛唱曲集だけに気分もよく歌いきり、第四ステージで「秋の瞳」。残念ながら作曲を委嘱した松下耕先生はどうしてもアメリカ行きのスケジュールを変更することが出来ず、来て頂けなかったが、満足する演奏は出来たと思います。
そして最後は「アンコールもちゃんと用意してあります」という指揮者の笑いを誘う話で3曲演奏。終わってすぐロビーでストーム。
後片付けをして美酒の待つ打ち上げ会場へ。
指揮者からの感想等を交えて楽しい二時間を過ごしました。
今回はステージ構成として「起承転結」があって、愛唱曲でホッとした後、肝心の委嘱作品が演奏出来て、聴く人達に感動を与えることが出来たと自負しています。
それにしても長い一日でした。

尚、八木重吉詩・松下耕作曲の「秋の瞳」は11日に初演を終えたわけで、やがて楽譜が出版される見込みのようです。