[資料4] 最 高 裁 決 定

最高裁 昭和49年 (あ) 第1067号      

     昭和53年 7月 3日  最高裁第2小法廷    

※ 媒体の性質上、縦書きの文章を横書きに改め、漢数字を算用数字に直しましたが、内容はほぼ原文通りです。


   主     文

本件各上告を棄却する。

被告人両名に対し、当審における未決勾留日数中各900日を、各本刑に算入する。

   理     由

 被告人桜井昌司の上告趣意について

 所論のうち、憲法38条違反をいう点は、記録によれば、被告人の自白が捜査官の不当な偽計と誘導により得られた任意性のない内容虚偽のものと疑わせるものは見出しがたいとした原判決の判断は正当であり、さらに、捜査官が強制等により被告人に対し自白を余儀なくさせたとする証跡も記録上発見することができず、また、所論自白の信用性、真実性に疑いを容れる余地はないものであり、原判決は自白を唯一つの証拠として被告人を有罪としたものでもないことは原判決の掲げる証拠と判示説明に徴し明らかであるから、所論は前提を欠き、判例違反をいう点は、所論引用の判例は本件とは事案を異にして適切でなく、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由にあたらない。

 被告人杉山卓男の上告趣意について

 所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由にあたらない。なお、記録によれば、被告人の自白調書の任意性、信用性に疑いを抱かせるものは発見できないとした原判決の判断は相当である。

 被告人桜井昌司の弁護人石井錦樹の上告趣意について

 所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由にあたらない。なお、記録に徴しても、被告人の自白は任意性のない不自然な供述を内容とするものということはできない。

 被告人両名の弁護人柴田五郎ほか5名の上告趣意について

 所論のうち、憲法31条、33条、34条違反をいう点は、記録によれば、被告人両名の自白は違法に別件逮捕勾留中及び別件起訴勾留中に収集されたものでないことが明らかであるから、所論はその前提を欠き、憲法38条1項、2項、3項をいう点は、記録によっても、所論自白が捜査機関の強制、強要、誘導等により得られたものであるとの証跡を発見できず、また、原判決は所論自白を唯一の証拠として被告人の有罪認定をしたものでないことが、原判文上及び記録上明らかであるから、所論はその前提を欠き、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも上告適法の理由にあたらない。

 なお、所論にかんがみ、職権により記録を精査すると、本件強盗殺人の事実は被告人両名の犯行であることが関係証拠により十分に証明されているとした原判決の認定判断は正当なものとして是認でき、また、被告人両名の有罪認定に供された被告人の自白の収集過程にも違法のかどはないとした原判断も正当なものとして首肯することができる。その理由は、以下に述べるとおりである。

 まず、その理由の核心をなす事項についてみると、

(1)被告人両名は、本件犯行がおこなわれたと原判決が認定している昭和42年8月28日午後9時ごろに接着した時間帯に、犯行場所である茨城県北相馬郡利根町大字布川2536番地所在被害者玉村象天方に接着した場所である被害者方前路上、同町所在の利根川にかかる栄橋に昇る石段並びに被害者方に至る経路である成田線布佐駅、常磐線我孫子駅にそれぞれ現在していた姿を後記の6人の者に目撃されているところ、これらの者の証言するところは、被告人両名の犯行自体を目撃したものではないけれども、いずれも信用することのできる内容をもつものであり、自白を離れて本件有罪事実認定の情況証拠となしうるものであり、同時に、被告人両名の捜査段階の自白の真実性を担保するに足りる補強証拠としての意義をもつものであること

(2)被告人両名の主張するアリバイを立証する裏付け証拠は存しないのみならず、(1)に掲げた6人の証言によって、被告人両名のアリバイは成立しないものであること

(3)被告人両名の自白は、任意になされたものであり、かつ真実性があり、それらが相互に自白を補強するに足りるものであること

を挙げることができる。

 以上の諸点に関し原判決が説示するところを、所論の指摘する点を配慮しつつ逐一吟味してみると、その推論の過程は採証法則に背馳しない合理的なものであって首肯しうるものであるということができる。その主要な事項についての当裁判所の判断は、次のとおりである。

 T 秦鑑定と犯行時刻

 所論は、要するに、(1) 原判決は、医師秦資宣作成の鑑定書に依拠し本件犯行時刻は昭和42年8月28日午後9時ごろと認定しているが、右鑑定書中の死後経過時間についての判定は信頼性が低いものであるのに、解剖を実施した同月30日午後5時1分を基準として死後45時間内外とする判断を十分な吟味を尽くさないまま証拠に供しているところ、 (2) 被害者の死体現象からして右の時を基準として観察すると、法医学上その死後経過時間は36時間を超えないものであるから、犯行は当日の深夜おこなわれたものというべきであり、 (3) 犯行時刻に関する原判決の認定は誤りであり、ひいて、原判決のアリバイ否定論に決定的な影響及ぼすことになる、というのである。

 よって検討するのに、本件記録中、被害者の死後経過時間を判別する客観的資料は、秦鑑定のみであるが、右鑑定は、被害者の直腸温度が鑑定時27度であったこと、死体が腐敗膨大して巨人様観を呈していること、死後硬直が中等度に存しその緩解は容易であったこと、角膜は中等度に溷濁し右眼の瞳孔透見が至難であることなどを根拠として、死後経過時間を算出している。

原判決は、右鑑定に依拠し、犯行時刻は8月28日午後9時ごろであって、犯行が夜中におこなわれたことを裏付ける具体的資料はない、と説示しているが、右鑑定は法医学上、経験則実験則ににてらして是認しうるものであり、これを不合理なものとする資料は記録上存しない

 ところで、記録によれば、被害者は、生存が確認されている最後の時である同日午後7時すぎごろから、死体となって最初に発見された同月30日午前7時5分ごろまでの間に、他殺により死亡したものであることは動かし難い事実である。そして後述するように、被告人両名の措信するに足りる自白によると、同人らの犯行は同日午後9時ころおこなわれたことが窺知されるところであり、さらに、右時刻ころ被害者方前を通過した後記渡辺昭一は、「被害者方から鶏をしめ殺すような声を聞いた」というのであり、被害者方斜め向いの住人藤後昭子は、「ユニバシアード大会のおこなわれた日(本件当日)の夜9時ころ玉村方でガラスのような金属性のものの割れる音を聞いた。影が動いた。」というのであって、これら関係者の供述を合わせてみると、秦鑑定の結論は右犯行時刻にほぼ符合するといえる。以上、原判決が秦鑑定を採用し他の証拠と総合判断をしたうえ、本件犯行時刻を認定したことは是認しうるところであり、所論は採用し難い

 U 情況証拠の証拠価値

 所論は、要するに、原判決は、渡辺昭一、青山敏恵、伊藤廸稔、角田七郎、高橋敏雄、海老原昇平の各証言にもとづき、これらを被告人両名が犯行日時に接着した日時に犯行場所からさほど隔っていない場所にあらわれていたことを示す情況証拠として有罪の認定に供しているが、渡辺証言はその内容からして全く信用できないものであり、その余の各証言は本件の日とは別異の日の出来事を述べるものであるから、これに依拠した原判決は事実誤認の誤りを犯している、と非難するのである。

 しかし、原判決が、右各証言の内容を仔細に吟味し、これらはいずれも本件発生当日の8月28日夜の出来事に関するものを供述したものであり、その証言内容はいずれも措信するに足るものである、とした原判断は首肯することができ、これを不合理なものとすべき資料は記録上見出し難い。すなわち、

(1) 伊藤廸稔、角田七郎、青山敏恵の各証言

 右3名は、8月28日布佐駅で下車したあと帰宅する途次、午後7時20分ごろ被害者方に程近い布川所在栄橋たもとの石段を昇るときに被告人両名を目撃した、というのであるが、その目撃状況にについての証言内容の要旨は、

(イ) 青山は、「石段を昇る途中、階段を降りてきた二人の男と触れたようで馬鹿野郎といった人がいたが、暗かったけれどもそれは被告人桜井に間違いなかった。」というのであり、

(ロ) 伊藤は、「同日午後6時47分我孫子駅発成田行列車に乗った際、杉山が来たのを覚えているが、成田線布佐駅で降りて角田とともに栄橋の石段を昇っていたとき、うしろから登ってきた男がいて、角田が『あれ、力あるな』というと、男は振り向いて『何』といった。当時青山という女が一緒であったし杉山もうしろにいた。振り向いた男の顔を前から知っていたが、一週間位後に杉山からそのときの男は桜井であるということを聞いた。」というのであり、

(ハ) 角田は、「伊藤とともに布佐駅で列車から降りて歩いていたが、途中、青山も杉山も一緒であった。栄橋の石段を昇りきったところで、男が下から駈けてきたので『脚力あるな』と言うと男は振り向いて『何だ』といった。青山に聞くと、桜井賢司の弟だといわれた。」というのである。

 そして、以上3名は、右のような体験をしたのは常磐線の事故の日の翌日である8月28日のことである、と日時を特定するのである。すなわち、本件の前日の27日19時14分に常磐線我孫子・柏駅間で貨物列車の脱線事故が発生し、そのため、翌28日午後零時少し過ぎたころに復旧開通するまでの間同線の電車が不通であったことは、関係証拠により動かすことのできない事実であるが、右の3名は、叙上の体験事実が右事故の翌日のことである、という結びつきによりその日時を記憶している、というのである。

3名のうち、青山は利根町布川に居住し、他の2名は同町加納新田町等にそれぞれ居住していて、いずれも東京都内に勤め先を有し、日頃栄橋を渡って布佐駅から国鉄成田線、常磐線を利用して通勤していた者であるところ、本件発生当日は、脱線事故の翌日であるため、混雑した成田線や車等を利用するなどして別の通勤方法をとり出勤した後、勤めを終えて、開通した常磐線の電車に乗り、次いで我孫子駅午後6時47分発の成田行に乗車し、同日午後7時5分ころ布佐駅で下車し、帰宅する途中であったのである。

このような経過で、右の3名は、自らの通勤に大きな影響を与えた特異な事故を機縁にして強い印象をもって記憶した事実を述べるものであって、時日の特定に関する右各証言の信用性をたやすく否定しさることはできないものであり、これを肯定した原判示は相当である。

 この点に関し、所論は、一審における伊藤証言中「右の体験をした日が脱線事故の翌日であったかどうか分からない。」「9月1日である。」旨の部分があり、一審における角田証言中「今は日時が経過したので忘れたこともあり、右の事実が脱線事故の次の日であったかどうか分らない」旨の部分があることを論拠として、原判決の犯罪事実の特定を攻撃する。

しかし、伊藤は、「自分の検察官調書は内容は間違いないとして署名したものである。」旨、角田は、「前の検察官の調べのときに事故の次の日出来事であるといったのであれば、目撃した日はその日であると思う。」旨それぞれ証言するのである。そして伊藤の検察官調書によると、「事故の翌日出勤に手間がかかって遅刻した日の勤め帰りに栄橋のところの出来事を見た。」旨、角田の検察官調書によると、「事故の日の翌日の勤め帰りに桜井と栄橋石段で会った。」旨の記載があり、また、青山は、原審において重ねて証人として尋問を受けた際にも、「一審で証言した既述の如き内容について、間違ったことをいったと思うことはない。」ときっぱり証言するところである。

したがって、伊藤、角田の一審における証言に若干の乱れがあるとしても、両人の捜査時より原審を通じての大筋において一貫した供述及び青山の一貫した供述を措信し、右の事実に関する目撃日時を特定した原判決の判断は肯認することができる。

 また、所論は、右の伊藤、角田の両名に対し、検察官は、被告人両名の自白にもとづいて右の出会いの日時を8月28日のこととして誘導し押しつけ、記憶のあいまいなままに供述調書を録取した、というのであるが、記録に徴し所論に沿う誘導等の事実を疑うに足る証跡はない。

 さらに、所論は、被告人杉山の9月1日の別の恐喝事件との関連から、伊藤、角田の証言する体験はそれと同じ日の出来事として割り出せる、として原判決の認定を不当であるというのであるが、所論恐喝事件が9月1日の出来事であることは明らかであるけれども、その日が右両名の体験事実のあった日と同一の日であることについては、被告人両名の供述があるのみであり、所論の掲げる木村重雄証言等をもってその確かな裏付けとはなし難く、他に原判決の両名の認定を不当とする事情は記録上存しない。

 ところで、記録によると、青山は被告人桜井とは小、中学校の同級生であり、伊藤は被告人杉山とは中学校の同級生で知り合っていたもの、角田は、被告人杉山とは同じ中学校で学年こそ違うけれども知りあいであったものであり、被告人桜井とも顔見知りであったものであるところ、本件当時とほぼ同じ条件下でおこなわれた原審検証の結果によると、栄橋石段では自分のよく知った者であれば、身体の格好、身長等からもその者が識別できないことはない状態であったことが窺われるのであり、右3名による被告人両名について同一性の識別に過誤があったとすることはできない。

もっとも、被告人桜井が石段のところで発した文句の相手となった男、その男の進行方向、同被告人の発言内容、その契機となる事情について3名の証言内容には部分的に一致しないところがある。しかし、右の3名はいずれも本件とは利害関係をもたない地域住民であり、たまたま、右の出来事の現場を歩いていたため、至近距離からこれを目撃したものであり、右の程度の部分的くい違いは、かえって自己の体験を卒直に供述していることが窺知できるのであって、相互にその供述内容を比照してみても、遭遇した事実の核心についての認識には共通のものがあるのであり、とくに、青山の体験と伊藤、角田のそれとは日を異にした別異の機会の経験を述べるものと推断するのは相当でなく、この点に関する原判示に証拠評価の誤りがある、ということはできない。

(2) 高橋敏雄、海老原昇平の各証言

 高橋証人は、「列車事故の翌日、北千住の勤め先からの帰途、我孫子駅に来て、午後6時47分発の成田行列車に乗り込んだが、乗る前に成田線ホームで被告人杉山、同桜井の両名を見かけた。二人に『今晩は』と声をかけると、桜井は何もいわなかったが、杉山が『おお』といった」「この日が8月28日であることは常磐線事故の翌日であるということで記憶している。同月31日のことではない。」旨供述している。その日時の記憶の正確性について特に疑いをさしはさむべきものはないとの原判示につき、これを否定すべき資料はなく、原判断は首肯しうる。

 次に、海老原証人は、国鉄職員で布佐駅改札口勤務中「8月28日午後7時5分着の列車が出たあと、駅の外のベンチに腰をかけていた杉山を見た。見間違いはない。杉山を見た日は常磐線事故の翌日で休みの前日であった。」というのである。同証人の出務表によると、8月28日は公休日である同月29日の前日であることが明らかであり、同人は事故の発生及びそれによる列車運行の乱れという職務上の関心事との関連で被告人杉山を見たこととその日時を記憶し具体的に証言するのであって、所論が同証人が被告人杉山を見たのは同月25日であるとして掲げる証言と対比検討しても、右海老原証言を措信するに足るとした原判断は正当である。

(3) 渡辺昭一証言

 同証人は、被害者方近くに住み、クリーニング業を営む者であるが、「8月28日午後7時30分ごろ商品を届けに出かけ、被害者方前を通行する際、同所に被告人桜井、杉山の両名が現在したのを目撃し、そのあと午後9時少し前ころ商用等を終えて帰宅する途中、被害者方から100米以上離れた同町同字地内の紀州屋酒店付近に至った際、被害者方前に二人の男が立っているのを目撃した。」旨供述している。

この証言は、犯行それ自体にかかる目撃ではないけれども、原判決認定の犯行時刻・場所に密着した時刻・場所における挙動不審の者を目撃したものであるだけに、もしその信用性が肯認されるとすると、被告人両名の「同日午後7時20分すぎころ、二人で桜井と顔見知りである被害者方に翌日の競輪資金を借りに行った、一旦断られて立ち去ったのち、同日午後9時ころ再度被害者方を訪れ本件に及んだ。」趣旨の自白とぴったり符合し、右自白を補強する有力な証拠となりうるものである。

原審もこの点に思いを致し、同証言の正確性、信用性を慎重に検討したあとが窺知されるのであり、往路に被告人両名を見たとする同証人の認識まで疑うとする主張を排斥し、帰路に関する同証人の供述部分の全面的採用はしばらく措き、同証人が往路に被害者方前で見かけた二人の者が被告人両名であるとの供述は十分信用できるとした原判決の認定は、合理的なものとして是認しうる。

 そこで、渡辺証人の重要性にかんがみ、さらに掘り下げてこれを吟味する。

(イ) 一審における渡辺証言の大要は、「桜井は同人が中学生であったころから知っている。杉山は昭和42年4月ごろから知っているが、8月28日の夜五十嵐方へ品物を届けたあと、午後7時30分ごろ布佐へ配達にいくため、被害者方前をヤマハ50CCのバイクに乗ってライトをつけ時速30キロメートル位で道の中央と左側の中間付近を走って通ったそのとき、桜井と杉山の二人を見かけた2メートルの距離に接近したとき桜井が振り向いて単車のライトを見たので、私は桜井の顔を見たのであるが、もう一人は杉山で道路の方を向いていたのでわかった。近くで見て二人の顔ははっきりわかった。間違いないと思う。布佐の成山方と近くの坂巻方に品物を届けたあと、坂巻方で『俺は用心棒』というテレビ番組を見た。行きと同じ道を通って帰った。被害者方まで100米以上の距離はある紀州屋酒店の前まで来たとき、現場に二人の男がいるのを見た一人は背の高い人で他の一人は背の低い人であったが、被害者方の反対側にある木村方のブロック塀から背の高さを判断した。誰であるかはわからなかった。被害者方前の道路の反対側にいた背の低い一人が道路を横断した。不吉な予感がしたので車を止め、5、6分煙草を吸って被害者方近くまで来てそこを通過する寸前、家の中から鶏をしめ殺すような声を聞いた。店へ帰った時刻は9時少し前であった。」というのである。そして渡辺の検察官調書にも、骨子は右と同趣旨の供述が録取されている。

(ロ) 渡辺は原審において2度にわたって証言しており、その内容は、大筋において一審証言、検察官調書の内容と変わりはないが、その供述中若干の乱れがあり、とくに帰路の紀州屋酒店前付近から見かけた人影が何人なりや等に関する証言部分は、原判示のように明確を欠くものが存することは否めない。しかし、原判決は、右の部分があるからといって直ちに、同証人の、往路に被告人両名を見かけた旨の終始一貫した供述部分の信用性まで否定しさるわけにはいかない、と判示している。

 これに対して所論は、原判決の右判断を論難し、同証人の帰路の際の証言は虚偽のものであって、このことは往路に関する証言部分を含め同証人の証言全体を信用できないものとし、さらに、往路に関する証言部分自体をみてもこれまた信を措けるものではない、というのである。

 しかし、原審検証の結果によると、紀州屋酒店付近から見た場合、木村方ブロック塀、同所に佇立する者、その他の男女の区別、身長の高低等については明確には判断し難いとされているものの、バイクの前照灯を照射して眺めると、被害者方前に人が佇立していることは認めうるし、また、人が道路の左側から右側に横断することも認めうるというのであり、当時渡辺のバイクに前照灯がとりつけられ点灯されていたことは同証人の供述により明らかであるから、同人が被害者方前に二人の男を目撃したとしても、必ずしもこれを不当視しえないのであって、これらのことを考えると、同証人の帰路に関する証言部分を一がいに架空の供述と断定するのは相当ではないのであるが、これを要するに、原判示のように、同証人の帰路に関する証言部分の全面的採用を見合わせるとしても、これをもって終始一貫供述する往路に関する証言部分の信憑性までも喪失せしめるものではない、とした原判示は十分首肯しうる。

 また、同証人が、往路に見かけた被害者方前にいた二人の男は被告人両名であったと特定し認識することのできた縁由に関する原審における証言部分には変遷のみられるところであるが、これを仔細に検討すると、同証人が見かけた二人の者の同一性の識別、氏名についての記憶を喚起する過程について証言する内容に不自然な点があるとはいえない

 さらに、

(@) 記録によると、同証人が証言するような事実を体験した日が8月28日であることについては、同人が坂巻方で見たというテレビ番組により、また、同証人方に存するお得意先の入金帳に記載してある同日の配達先と供述内容が一致することにより補強されており、同証人が同人の供述する時間帯は配達をおこない坂巻方でテレビ番組を見て帰ることがあることは坂巻カツ子の供述によっても裏付けられていること、

(A) 原審における渡辺証言のうち若干のあいまいや変転する部分があることについては、同人に対する尋問が本件発生後4年半ないし5年を経過した日になされたものであって、時の経過とともに証人の記憶が薄れたためであり、このことは、「今は忘れました。」との趣旨の応答部分が証言中一再ならず現れていることなど供述の全過程により窺知うること、

(B) また、往路に関する証言部分を含めて同証人が現認し記憶していない事実を作為的にゆがめて供述していることを推知せしめるような特徴的な供述状況も窺われないこと、

(C) もともと、同証人は事件につき直接利害関係をもたない立場であり、証人に立つことを躊躇していたのであるが、証人として一旦出廷するや、一、二審を通じて都合3度にわたる、言葉を換え角度を異にしての尋問に対しても、往路における目撃状況を供述して本件当夜見た二人の男には見覚えがあり、それは桜井と杉山であったとする部分は遂に崩れないで終始したこと、

(D) また、同証人自身鶏をしめ殺すような声を聞いてノイローゼ気味となったと自らいう点も、同証言の信用性を肯認するのに妨げとなる程のものではないと原審が判断したことが原判文上窺い知れるが、これは同証人の証言内容自体を吟味した結果、首肯しうるものであること、以上の諸事情にかんがみ、渡辺証言の信憑性を全面的に否定しないで往路における目撃状況についての証言部分を措信した原判決の判断は、これを支持することができる。

 V アリバイ成立の有無

 所論は、要するに、被告人両名は、本件当夜の犯行時刻ころには犯行現場である被害者方から遠く離れた東京都内に所在していて明白なアリバイがある、とし、所論に沿う被告人両名のアリバイ供述を信用しないでこれをしりぞけた原判断は誤りである、とするものである。所論アリバイ主張の骨子は、次のようなものである。

(1) 被告人桜井の供述

 同被告人の供述の概要は、「本件の前日の8月27日は布川の友人渡辺和夫の家に泊った。28日の朝布佐駅に来たところ、列車事故があったというので、成田廻りの京成電鉄で上野へ行き、そのあと国電の松戸駅行に乗ったが、途中で常磐線が開通したので我孫子駅に行った。そこで若泉開に会い同人より身分証明書を借り、布佐駅で下車して、自転車を入質して金員を借りた。栄橋たもとに行き知人の車に乗せてもらい、午後4時5分の上りで取手駅に着き取手競輪場に行ったところ、同所で木村香樹に出会い借りていた500円を返した。レースは事故の影響で遅れて終わったが、取手駅から午後5時40分発の上野行に乗った。我孫子駅で右木村と別れて東京へ行き、日暮里で山手線に乗り換え、高田馬場で降り、駅前の酒場養老の滝へ一人で行き、酒を飲んだ。午後8時ころ同店を出て高田馬場駅で30分程過ごし、西武新宿線の電車に乗り東京都中野区野方所在の光明荘アパートに住む兄桜井賢司の部屋に9時ころ着いた。9時半ころだったと思うが、兄の勤めるバージュンへ行った。バーのママなどがいて、酒を飲んでから10時ごろ店を出てアパートに帰ったところ、杉山が来ていた。隣のアパートに盗みに入り、缶詰を盗んだのち、杉山とともに兄の部屋で眠ったのは12時すぎごろだと思う。」というのである。

(2) 被告人杉山の供述

 同被告人の供述の概要は、「8月27日夜は前述の桜井賢司の部屋に河原崎敏とともに寝た。翌28日は、朝から賢司が河原崎に入墨をしてやっているのを午後3時ころまで見ていた。自分は午後5時ころ近くの銭湯へ行ったあと、午後6時ころまでパチンコ屋で遊び、一旦帰って洗濯をしたあと、西武新宿線新井薬師の薬師東映で『クレージーの黄金作戦』と北島三郎出演のやくざもの1本のほかもう1本を見た。青春をつっぱしれとかいうラグビーものだったと思う。途中午後8時か8時半ごろタバコを買いに館外へ出たが、雨が降っていた。映画か終って賢司の部屋に10時半か11時ごろ帰ったが、そのころ昌司が酔って帰ってきた。そのあと昌司が隣りの関口アパートの女性の部屋に窓づたいに入り缶詰を盗んだりしてきたが、その晩は賢司の部屋で昌司と二人で寝た。」というのである。

(3) そこで、被告人桜井のアリバイの成否について検討する。

 所論は、同被告人の所論に沿うアリバイ供述は、客観的事実に符合し信用するに足るものとし、これを支えるものとして若泉開、木村香樹らの証言を掲げる。

 しかしながら、若泉は、「列車事故の翌日我孫子駅ホームで午前11時すぎごろ被告人桜井に会い、身分証明書を貸し、布佐駅まで同人と一緒に行ったが、同所で同人と別れた。その時は午前中であった。」旨証言し、右の木村は、「列車事故のあった日に取手競輪場で同被告人と会ったがレースが遅れて終わった。昌司と一緒に我孫子駅まで電車に乗ったことはあるが、それがいつのことかわからない。我孫子で別れたのがいつのことかもわからない。」旨証言するのである。右の両証言をもってしても、同被告人の28日の行動に関する同人自身の供述に信憑性を認めるのに役立つものとはなし難く、また、右両証言の存在が同被告人が同日午後6時47分我孫子駅発の列車に乗るため同駅ホームにそのころ登場したと原判決が認定するのに支障を来たすものということもできない。

一方、同被告人を取調べた後記早瀬四郎ら捜査官は、「同被告人は取調中、28日の夜の自己の行動については、江東の方の銀行の掃除に行ったあと親方の家に泊った、布川の友人の渡辺和夫方に泊った。千葉に住む自分の姉良子の家に泊った。犯行後兄賢司の家に泊った。犯行後柏の旅館に泊った等と供述を転々と変えていたものであり、また、同被告人がアリバイについての記憶を回復しないうちに、これを混乱させ誤って同被告人にうその事実を想起させアリバイについての虚偽の供述をさせたような事実もなかった。」旨供述するうえ、既にUにおいて説示したとおり、同被告人のアリバイ主張と相容れないことの明らかな同被告人の行動に関する証言が数多く存し、これによって同被告人のアリバイ主張は否定されるものであるから、そのアリバイは成立しないとした原判断は、経験則に合致するものとして首肯することができる。

(4) 次に、被告人杉山のアリバイの成否について考察する。

 所論は、同被告人のアリバイ主張は客観的事実に符合し信用できるものである、とし、桜井賢司、河原崎敏の各証言がこれを裏付ける、というのである。

 ところで、河原崎は、「賢司のアパートに杉山と2晩泊ったことがあり、賢司に8月27日、28日の2日がかりで入墨をしてもらった。2日目の午後4時ころ出来上がった入墨が終わるまで賢司と杉山とがアパートにいた。入墨をしたのは土曜と日曜とであり、土曜に休暇をとった。」旨供述するのである。そして桜井賢司は、「8月27日と28日河原崎に入墨をしてやった。入墨は午後3時までかかり、あとで杉山と河原崎と3人で風呂へ行った。28日の晩10時すぎにバージュンに弟の昌司が来て、話をしたが、同人は先に帰った。29日の午前1時ごろ自分がアパートに戻ると、杉山と昌司が寝ていた。右の日が8月28日であるということは考え抜いた結果と店の帳簿を調べた結果わかった。」旨供述するのである。

そして、桜井賢司の検察官調書には、12時の閉店近いころの午後11時半ころ昌司が店に一人で来た旨の供述記載がある。この点につき原判決は、河原崎証言中の、入墨をした日、それが終った時間の供述を含め、同人の証言は全般的にあいまいなところがあるとし、また、桜井賢司の証言も、被告人杉山の、昌司は同夜11時前に光明荘アパートに来た旨のアリバイ供述ともくい違い、さらに、昌司が当夜バージュンに来た時間について、賢司の証言と検察官調書の記載内容とは少しくい違うことなどを理由として、同人の述べるところもまた被告人杉山の本件犯行を否定しさるだけの効果をもちえないとするのであるが、これをしりぞけるべき確たる資料を欠く本件においては、右説示は首肯しうるところであり、また、前掲の6人の証言と対比しても合理的な認定として肯認しうるものである。

 ひっきょう、被告人両名のアリバイは成立しないとした原判断は相当である。

 W 自白の任意性

(1)(イ) 被告人桜井の自白

 所論は、被告人桜井の自白は、捜査官の強制、強要、誘導、偽計、長時間にわたる連日の取調により得られたもので、任意性を欠き証拠能力を有しない、というのである。任意性を争う所論の要旨は、「取調官早瀬の、不当不法な取調をしていない旨の証言は矛盾に満ちた虚偽のものである。同人は同被告人を逮捕した翌日の同年10月11日から執拗にアリバイ糾明をして追求し、8月28日の晩は、兄賢司方か他のいずれかに泊ったと思うとの同被告人の弁解に対し、兄は泊っていないといっている、と虚言を用い、あるいはアリバイの裏付捜査をおこなっていないのにかかわらず、これをおこなったように装って弁解を否定し、犯行の日に被害者方前で同被告人を見た者がいるとしてアリバイをくずして自白を要求した。

また、母親がやったことは仕方がないから素直に話をしなさいといっているぞ、と虚言を弄して自白のきっかけを作り、嘘発見器にかけたあと、ポリグラフの検査の結果貴公の供述はすべて嘘と出た、もう駄目だから本当のことを話せ、などといって自白を要求した。さらに、アリバイに関し記憶を回復していない同被告人の記憶を混乱させてアリバイ主張をくずした。そして一旦した自白から否認に転ずると、拘置所から代用監獄に戻され、長時間連日の如く取調べられて再び自白させられた。」というのである。

  (ロ) 被告人杉山の自白

 所論の要旨は、「捜査官は同被告人に対し、桜井はお前とやったといっている。いつまでも否認して謝まらなければ、死刑になるぞといわれたので自白した。同被告人を取調べた捜査官久保木輝雄らの、不当な取調をしたことを否定する証言は嘘を述べたものであり、とくに本件について取調べたのは10月17日からであるという点は嘘である。また、犯行を認めた上申書もひな型を示されて書いたものであり、犯行状況等についても誘導等により自白させられたものである。

久保木らは真実を話すのが一番であるとさとして同被告人から自白を得たというが、アリバイを主張して否認している者に対し、そのような趣旨のことをいうのは自白の強要にほかならない。そして否認すると、拘置所から代用監獄に戻され、長時間連続して夜遅くまで取調べられたため屈服して自白を余儀なくされた。吉田検事も自白を強要した。」というのである。

(2)(イ) そこで、被告人桜井の取調状況について記録によって検討すると、

(@) 同被告人の取調にあたった警察官早瀬、深沢武、富田直七らは、証人として尋問を受け、同被告人に対する所論の強制、誘導や誤導、偽計、長時間にわたる取調をおこなったことを否定する旨の証言をしており、その証言内容に事実を歪曲して作為的に供述したとすべき徴候を見出すことはできないこと、

(A) 同被告人が昭和42年10月10日に窃盗の容疑で逮捕され、8月28日を含むその前後ころの同被告人の行動について取調を受けているうち、10月15日から本件についての取調を受けるや、強盗殺人の犯行自体について厳しい追及を受けた段階でなく、深夜に及ぶ長時間にわたる取調を受けた事跡等もないのに、いちはやく同日本件犯行を自白するに至ったものであること、

(B) 同被告人は本件強盗殺人の事実に対する勾留質問の際にも裁判官に対し捜査官に対するのと同様自白していること、

(C) 同被告人の自白を録取した1時間30分を超える録音テープが存在するが、その内容は、自ら体験しない事実ならばとうてい引続いて整然と供述しえないことを具体的に首尾一貫して供述したものであることなど、

自白の任意性を肯認すべき事情の存することを合わせ考えると、被告人桜井の自白には任意性を欠くとの所論を採用しなかった原判決は正当として是認できる。

  (ロ) 次に、被告人杉山の取調状況について記録によって検討すると、

(@) 同被告人の取調にあたった警察官である右久保木、森井喜六、大木伝らは証人として尋問を受けると、同被告人に対し所論の強制、誘導、偽計等による取調をおこなったことを全く否定するところであり、その証言内容は後記の事由を合わせてみても合理的であって、原判示と同様信用性の高いものとすることができること、

(A) とくに、久保木の証言によれば、捜査官は、同被告人を本件強盗殺人の事実の発生した8月28日の翌29日に惹起された暴力行為等処罰に関する法律違反の事件で10月16日に逮捕し、代用監獄である水海道警察署に留置したうえ、同日は逮捕した事実について取調をなし、翌17日にその犯行日である8月29日に接近した前後の日の行動を尋ねたところ、程なく自発的に本件強盗殺人の事実について自白をはじめた、というのであり、他の前掲取調官の証言もこれに符合していること、そして同被告人の取調を担当した吉田検事も、誘導等による取調をしたことを否定し、同被告人は取調の初日に自白した、というのである。ことと次第によっては極刑も予想される重罪事犯について取調開始後きわめて早い時期に自白したことは、その自白が任意になされたことを推認させる有力な事情であること

(B) 同被告人も自白を録音テープに録取されているが、約2時間にわたるその内容は、体験した者でなければ供述しえないことをよどみなく具体的に前後矛盾せず供述していることが窺知されること、したがって、「誘導されているうちにすっかり覚えた、わからないところはこう答えろ指図された。」とする同被告人のいうところを採らなかった原判断は相当であるということができる。

 以上、被告人両名の自白の任意性に疑いのないことを肯認することができるのであり、これと同旨の原判断はこれを支持することができる。

 D 自白の信用性、真実性

 所論は、要するに、被告人両名の捜査段階の自白は、客観的事実に反する供述を内容とし、かつ、同一被告人間、被告人相互の間で矛盾くい違いがあり、変転極まりないものであるから、このような信用性のない虚偽の自白を措信して罪証に供した原判決は誤りである、というのである。

 よって記録により検討すると、本件は孤独な一人住まいの老人に対する犯罪であり犯行現場を目撃した者がいないこと等のため、被告人と犯人との結びつきに関し物証等の動かし難い客観的証拠を発見し難いから、自白の信用性、真実性を肯認するにあたっては慎重な判断を要する。原審はこの点に思いを致し、所論につき慎重に検討した跡が窺い知れるところ、被告人両名の自白が信用性、真実性を有するとした原判決の判断は、首肯しうるところであり、以下、所論の指摘するところと対比検討しながらその理由を列挙すると、

(1)犯行現場の状況、犯行態様、殺害状況、殺害後の犯跡隠蔽の状況に関する被告人両名の自白内容は、検証調書、実況見分調書、鑑定書によって認められる現場の客観的状況、死体の状況に一致しており、それらの間に矛盾がない。

右の書く証拠によると、被害者の口の中に木綿パンツが押し込まれ、前頚部に白木綿パンツが巻いてあり、両足首がワイシャツ、タオルで結んである状態である。これは被害者が抵抗し声を挙げ、足を動かしたためこれを制圧すべくとられた犯行態様と推認される。

そしてこの事実からみると、右犯行は、一人のみでは同時になしえぬものであるから、少くとも二人組の兇行と考えられるのであるが、被告人両名は、本件犯罪の重要部分である殺害行為につき、二人で共同して行為を分担し、その行為に出たこと、被告人杉山が被害者の口の中にパンツ様のものを押し込み、被告人桜井がワイシャツ、タオルで被害者の足を緊縛し頚部にパンツを巻いて首を押さえたことを自白している。したがって、この部分に関する自白は、右の客観的証拠と一致する。

(2)現場採取指紋対照依頼書及び回答書によると、犯行現場である被害者方屋内、とくに侵入口と思われる勝手口ガラス戸、金品を物色したと思われる机の引き出し、ロッカーの扉、犯跡隠蔽のため取りはずしたと思われる2枚のガラス戸、逃走口と思われる便所の窓のさん等から、被告人両名の指紋は一個たりとも検出されていない

ロッカーの扉の合わせ部分に被害者の指紋が存したところからみて、犯行後犯人らが付着した指紋を消去したふしはみられず、また、被告人両名の自白によると、本件犯行は両名再度被害者方に金借に赴き同人より拒絶されたため殺害に及んだ偶発的なものというのであり、また、被告人両名が予め指紋が付着しないように準備した旨の被告人両名の供述も存しない

原判決は、現場において採取された指紋合計43点のうち、指紋が何人のものか確定された9点を除いては、すべて対照不可能なもののみであり、被告人両名以外に本件犯行の犯人がいるのではないかと疑わせるものはなく、また、指紋により犯人を特定することができないからといって、そのことだけで直ちに被告人両名の犯行を否定し本件強盗殺人の認定を不能とするわけにはいかない、としているが、この点に関する原判断は首肯するに足りる。

 さらに、犯行現場である屋内及び被告人桜井が飛び下りたという便所の窓下から足跡痕が発見されたとする資料のない点も、被告人両名の犯行でないということの証左とできないこと、指紋の場合と同様である。すなわち、被告人両名の自白によると両名とも履物を脱いで屋内に上ったというのであり、また、検証調書によると、右便所の窓下には雑草が生えており、付近の土が乾燥していたことを窺知しうるのである。したがって、被害者方屋内及び右窓下に足跡痕を発見できないことは、必ずしも不自然ではない。

(3)所論は、逃走口について、被告人桜井は、当初勝手口であると供述しておりながら、のちになって便所の窓であると自白を変更するに至っているが、同被告人が真犯人ならばこのことが当初の自白に現れてこないはずはなく、また時間を費やして便所の窓から脱出することは偽装工作としては不合理である、というのである。

犯人が犯行態様の細部についてまでいちいち正確に記憶していないということもあり、また、故意に虚偽の供述を交えることもありうるところであり、その自白の一部に移り変わりがあったとしても、必ずしもそれが不自然であるとはいえず、むしろ、被疑者が自白すると供述調書は被疑者が自白するとおりに録取されているため、結果として、その移り変わりの跡が見られることは必ずしも自白調書の信用性に影響を及ぼすものではないから、本件において逃走口に関して自白の右推移の跡がみられることは異とするに足りない。

また、小貫俊明の証言によると、同人は「8月28日の午後7時と8時の間に、自転車に乗って被害者方前を通過した際、二人の男を見た。」というのであり、とくに被告人杉山は、「被害者方前に被告人桜井とともにいるところを小貫が通過していった。」と自白しているのであるから、同人に見られたのと別異の者で被害者と面識のない者が便所の窓から侵入したように偽装しようと考えつくのがむしろ自然であるともいいうるのである。

また、便所の窓から逃走することが本件では偽装工作として有効性をもたないものであることは所論指摘のとおりであるが、兇行直後の興奮、狼狽の心理状態のもとで被告人両名が右のとおり考えついたとしても、あながち不自然であるとはいえない。以上、被告人両名の自白の信用性、真実性は肯認しうるところであり、右自白に事理に反する点があるとの所論は失当である。

(4)所論は、被害者方八畳間と四畳間の仕切りガラス戸2枚がはずれて四畳間側に倒れているが、被告人両名の自白によれば、これは偽装工作であるとされているところ、ガラス戸をはずすときの状況についての自白内容と検証調書の記載内容とは一致せず、このことは右自白が客観的事実とくい違う証左であり、また、一刻を争う逃走に際して時間を空費し、音を発してガラス戸をとりはずすことは偽装工作としては不合理である、というのである。

 検証調書、捜査報告書によると、ガラス戸2枚の倒れている状況、割れたガラスの散乱している状況は原判示のとおりであるが、この点について被告人両名の供述するところは当初一致せず、かつ変転していたのであるが、結局は両名ともほぼ合致する内容の供述をするに至ったものであるところ、これによれば、ガラス戸をはずすことによって被告人ら以外の者の犯行と見せかけようとした、というのである。

しかしながら、ガラス戸をはずす状況についての供述内容が、ガラス戸の倒れている状況、ガラス戸が割れておちている状況、及び位置関係などの客観的に符合することは、原判示のとおりである。また、右偽装工作が有効性のないことは所論指摘のとおりであるが、それは逃走工作について前述したところと同様、兇行時の心理状態としては必ずしも不自然であるとはいえない。してみると、この点に関する被告人両名の自白の信用性を肯定した原判示はそうとうである。

(5)所論は、被告人桜井は、金品物色の順序について、机、上のロッカー、下のロッカーの順序で物色し、最後に下のロッカーの扉を閉めたと自白しているが、検証調書によると、下のロッカーに封筒が1枚よりかかって立っている状況がみられるから、これは同被告人の右の自白と矛盾している、というのである。しかし、開いたままの上のロッカーの状況、その内容物からして下のロッカーを閉める際に上のロッカーから封筒がこぼれ落ちて立ったということも推認しうる余地もあるので、論旨指摘の一事をもって同被告人の右の点に関する自白が客観的事実に反する虚偽のものであるということはできない。

(6)所論は、捜査官において確定しえない事実である奪取金額、分配金額、分配場所、金員を捜し出した場所、財布を奪ったことの有無等について被告人両名の自白は著しく変転するが、これは自白が真実でないことの証跡である、というのである。

しかし、被害者が一人住いの老人である本件においては、死人に口なく、所論指摘の諸事実について確定することが困難であったのであるが、原判決は、右事実につき被告人両名の供述に推移があるとしても、これを通観すると、被告人桜井がロッカーから現約7000円をとり、被告人杉山が押入れの中から約10万円をとりそのうちから約4万円を被告人桜井に渡したことはほぼ動かし難いところであって、その旨の供述は現金強取の事実を認定するための自白として十分信用できる、というのである。

 ところで、右の供述の変遷が何に由来するかは慎重に検討することを要する。一般に、捜査官が被害金額を確認しえない案件においては、迎合供述あるいはでまかせ供述をすることがある場合、故意に金額等についての供述を変転させ、後に至って犯行を否認する足がかりにするという場合等、色々の態様を考えうる。

本件では、被告人桜井は、「奪取金額等について供述するところに、くい違いを残しておけば、裁判で争うと通用すると考えたからである。」とか、「6万円盗んだと金額を多く述べて嘘をいったのは、自分だけ奪った金額が少ないと信用されないと思ったからである。」などと供述するのであるが、これによれば、被告人桜井の供述の変転は、右の一般例の故意による供述の変転の場合にあたると推認しうる。また、金額についての供述の変遷といっても、帰するところ10万7000円の範囲内の僅かな金額のことにすぎないのであるから、ひっきょう被告人両名の右部分に関する供述が両被告人を真犯人でないとする証左となしえない。

 以上のほか所論指摘の部分について原判決は逐一説明しているが、その推断に誤りがあるとすべき点は見出し難い。それゆえ、被告人両名の捜査段階における自白は、信用できる真実の供述を内容とすることを根拠として相互に補強し合うに足るものである、ということができる。

 Y 別件逮捕勾留、別件起訴勾留中の取調

(1)所論は、被告人桜井はズボン、ベルト各1本の窃盗の嫌疑により、同杉山は暴力行為等処罰に関する法律違反の嫌疑により、それぞれ軽微な別件で逮捕勾留されたのち、その拘禁中に本件強盗殺人の事実について取調を受けて自白し、本件により逮捕勾留されたものであるが、右の別件逮捕勾留は本件の取調にもっぱら利用する目的でなされた違法のものである、というのであり、また被告人両名の身柄を一旦それぞれ拘置所へ移監しながら、被告人両名が否認をはじめたため再自白を獲得すべく代用監獄へ逆送移監して、自白をさせたのも違法である、というのである。

 よって、記録を検討すると、原判決が被告人両名につき違法な別件逮捕勾留がおこなわれたものと認めることはできない、とした点は是認できる。すなわち、

 (1) 記録によると、被告人桜井は昭和42年10月10日所論窃盗の嫌疑で通常逮捕され、同月12日に勾留状を執行され、代用監獄たる取手警察署に身柄を拘禁されて引き続き同年8月28日前後の行動について取調を受けているうち、同年10月15日本件強盗殺人の事実を自白するに至ったものである。右窃盗の事実については後に至って控訴の提起はなされなかったものの、右事実の犯罪の嫌疑と逮捕勾留の必要性は消滅せず依然として存続していたものである。

そのうえ、同ひこくにんには、当時、のちに起訴され有罪となった10件にも及ぶ窃盗の余罪が存し、これら余罪の取調を並行しておこない適正な処分を完うするためにも身柄拘束の理由と必要があったものである。右事実はいずれも軽微な事件といえないのみならず、本件強盗殺人の事実を取調べる意図のもとに名を窃盗事件に借りて同事件により逮捕勾留し、本件強盗殺人の事実の取調にこれを専ら利用する態度にでて取調その他の捜査活動をおこなったものと認めることはできないこと、原判決の指摘するとおりである。

したがってまた、同被告人の自白が違法な逮捕勾留のもとで収集された違法なものであるということはできない。ちなみに、10月23日本件強盗殺人の逮捕状により逮捕されるまでに本件についての供述が録取されたのは同月15日付、同月18日付の供述調書のみであることなどを理由に原判決は同被告人の自白が違法でないとしているが、右判示は相当として肯認しうる。

 (2) 記録によると、被告人杉山は同年10月16日暴力行為等処罰に関する法律違反の事実により逮捕され、翌17日に勾留され、代用監獄たる水海道警察署に身柄を拘束され取調を受けているうち、いちはやく当日本件犯行を自白していることが明らかである。

したがって、些細な事件を取り上げ逮捕状をえて本件強盗殺人の事実を取調べたものではなく、右暴力事犯はその後起訴されなかったものの、当時軽微な事件とはいえない8件にも及ぶ恐喝、傷害、暴行等の余罪とともに身柄拘束のまま、捜査に日時を要する状況にあったものであり、とるに足りない別件逮捕状に名を借りて逮捕がおこなわれたものでないことは、原判示のとおりであり、右判断は十分に首肯しうる。

ちなみに、10月15日にはすでに被告人桜井は同杉山と共犯で本件強盗殺人の事実を犯したと自白していて、その証拠資料が存しているから、その容疑で被告人杉山につき逮捕状の発布を受け、同人の身柄を拘束することも可能な段階に立ち至っていたのであるから、所論指摘の逮捕勾留が、本件の自白を得るため本件の逮捕勾留をせん脱する意図でなされた違法な逮捕勾留であるということはできないとした原判示は首肯しうる。

 なお、被告人桜井については同年11月8日、同杉山については同月6日、それぞれ代用監獄から土浦拘置所に移監され、勾留中のところ、同年12月1日再びそれぞれ代用監獄に移監されたことが記録上明らかであるが、本件強盗殺人の事実の捜査終了前の段階において、このように、被告人両名につき拘置所から代用監獄たる警察署へ身柄を移監したこと自体をとらえて違法ということはできない

(2)所論は、捜査官は、被告人桜井については窃盗の、被告人杉山については暴行、傷害、恐喝等の各事実による起訴後の勾留を利用し本件を取調べたもので違法である、というのである。

 記録によれば、被告人桜井は同年11月13日に窃盗9件の事実により求令状起訴され、被告人杉山は同日暴行、傷害、恐喝等計5件の事実により求令状起訴され、いずれも右各事実により勾留状が発布され引き続き拘禁されていたところ、本件強盗殺人の事実で同年12月28日に控訴提起がなされるまでの間に、まだ起訴されていない同事実につき、「被告人桜井については8通、同杉山については9通、それぞれ自白調書が捜査官により録取されていることが明らかであるが、起訴後の勾留中であっても起訴されていない余罪につき任意に取調をなすことは違法であるとはいえないところであり、右の間に得られた右自白調書を罪証に供することは許されるものとしなければならない。
 

 以上検討してきたとおり、本件については、自白を離れて被告人両名が犯人であることを推認することのできる証拠が存し、かつ、真実性の高い詳細な内容をもつ被告人両名の自白があるのであるが、他面、被害者が孤独な一人住いの老人であり、夜間同人居宅で短時間におこなわれた犯罪である関係上、被告人両名と犯行とを結びつける物的証拠を発見し難く、そのため、各証拠の証拠価値及び自白の任意性、信用性について綿密な吟味を必要とする。

当裁判所は、この点に留意して、原判決の認定判断に、所論指摘の疑点が存在するかどうかを吟味するため、あらゆる角度から慎重に全証拠を検討した。その結果、任意になされた被告人両名の自白は、信用でき真実の供述を内容とするものであり、相互に補強し合うものである、と断定した。

のみならず、数々の証拠は、右自白を補強するに足るものであり、かつ、自白を離れて本件犯罪事実を立証しうる情況証拠となるものであるとの結論に到達し、他面、被告人両名が真犯人であることにつき所論のいう合理的な疑いをさしはさむ事実及び証拠を発見することができなかった。それゆえ、被告人両名を本件強盗殺人の犯人とした原判決は正当であり、これを是認することができる。

 よって、刑訴法414条、386条1項3号、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

  昭和53年 7月 3日

  最高裁判所第二小法廷         

     裁判長裁判官  大  塚   喜 一 郎

        裁判官  吉   田     豊

        裁判官  本   林     譲

        裁判官  栗  本   一  未

 

next back


Home Profile Problem History Action News