映画の中のえん罪事件  NO.12


第16回

 このところ、ちょっと軽めの映画が続きましたので、2003年の新春第1弾となる今回は、とてもシリアスな映画を取りあげてみたいと思います。もう既にご覧になった方も大勢いらっしゃるかとは思いますが、デンゼル・ワシントン主演のザ・ハリケーン(1999)という映画です。この映画は、実話をもとに作られた映画で、<えん罪事件>に真っ正面から取り組んだものとなっています。

 ここで、ご存じない方の為にひとこと言い添えておきますと、この<ハリケーン>という題名は、自然現象の<台風>それ自体とは全く関係なくて、実在の元ミドル級プロボクサー、ルービン・"ハリケーン"・カーターのミドルネームを指しています。現役当時、彼は数多くの試合で短時間内にノックアウト勝ちを収めたことから<ハリケーン>と呼ばれるようになったのだそうで、いわば彼のリングネームです。

※ 因(ちな)みに、彼の現役時代の対戦成績は、と言うと、1961年のデビュー戦では判定勝ちだったものの、その後立て続けに2回KO勝ちし、逮捕されるまでに対戦した40試合の内、KO勝ちがなんと19試合 ― その内、1ラウンド内でのKO勝ちが8試合 ― もあり、さらに判定勝ちが8試合という、非常にすばらしい戦績を残しています。

 最近、演技派の俳優として円熟味を増して来た主演のデンゼル・ワシントンは、この映画のために60ポンド (約27s) もの減量をして完璧なボクサー体型を作り上げるなど、この映画にかける強い意気込みの程を見せて、ゴールデン・グローブ賞の最優秀主演男優賞とベルリン国際映画祭の最優秀主演男優賞の両賞を受賞し、さらにアカデミー賞最優秀主演男優賞候補にもノミネートされています。

 この映画の後、2001年度のアカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得した『 トレーニング・デイ 』での悪徳刑事振りの本当に凄いこと ・・・ 。漲(みなぎ)るような迫力を感じます。

 監督は、カナダのオンタリオ州トロント出身で、『 シンシナティ・キッド 』『 夜の大捜査線 』『 華麗なる賭け 』等を監督したことでも知られるノーマン・ジェイソン監督。原作は、サム・チェイトンテリー・スウィントン共著の、どちらかと言うとドキュメンタリー・タッチのThe Hurricaneという小説で、ルービン・カーター自身もThe Sixteenth Round ( 第16ラウンド ) 』という自伝を書いています。

― それでは、いつものようにこの映画の位置づけなんぞを ・・・

 言うまでもなく、この後のストーリーを読んで頂ければ分かると思いますが、この映画は、かつて1960年代にアメリカで吹き荒れた<人種差別>の犠牲 ― 彼は黒人 ― となって「 3回の終身刑 」という何だかとんでもない判決を受けたハリケーンが、1人の黒人少年を含むカナダ人グループとの心の交流を通して、遂には<再審無罪>を勝ち取ってしまう、という感動的な物語なので、『 陰謀・被害者型 』で、尚かつ『 判決後 』という分類でどなたも異論はないかと思います。

 この映画は、とても複雑な背景を持っていながら、映画という枠の中にムリやり押し込んでしまった為に、ちょっと分かりずらい部分が多々あります。既にこの映画をご覧になった方でも、このコーナーを読んで頂ければ、あの時のモヤモヤがスッキリすること請け合いです ・・・?

 

☆ ☆ ☆ 前置きはこれ位にして、それでは映画の話に入りましょう!

 映画は冒頭、ウェルター級世界チャンピオンのエミール・グリフィスハリケーン( デンゼル・ワシントン )のボクシングの試合から始まります。時は、1963年12月20日。モノクロ画面。ハリケーンは、後にミドル級に転向しますが、この時はウェルター級でした。

 フードの付いたローブに身を包んで、眼光鋭く闘志を漲(みなぎ)らせているハリケーン。この時、挑戦者の彼は、21戦中18勝。 ・・・ ふたりは、リング中央で互いにグローブをタッチした後、それぞれのコーナーに戻って行きます。セコンドにローブを脱がせて貰うハリケーン。

 試合開始前のゴングの連打に被(かぶ)さるように、突如トイレットペーパーのクローズアップ画面と男のわめき声。「 俺と勝負しろ、ここだッ! 最初に入ってきた野郎をぶっ殺してやる ・・・ !」その男は、トイレットペーパーを千切ると、マウスピース代わりに口の中へ ・・・

 声の主は、ルービン・"ハリケーン"・カーターその人。1973年のトレントン州立刑務所内でのシーン。映画は、10年の時を経て2つのシーンをカット・バックさせて行きます。一方は、いわば彼が絶頂期にあった時で、現在の彼が置かれている状況とは余りにも違い過ぎます。

― その間に、いったい何があったのでしょうか ・・・ ?

 カ〜ン! 試合開始のゴング。両者リング中央に飛び出します。 ― そして、再び刑務所内のシーン。 ・・・ 彼の口から叫び出た、次の言葉がその真相を叙述に物語っています。「 終身刑3回分の服役だッ・・・ 、オレは、殺人なんかやってねえのに!」

 彼の叫び声につられて、刑務所内は騒然としています。慌(あわ)てふためいた看守たちが、スチールの階段を駆け上がり、4階にある彼の房に殺到して来ます。 独房内で叫びながら左右のパンチを繰り出すハリケーン。

― 画面は、再びボクシングの試合

 ハリケーンの強烈な左パンチがチャンピオンの顔面に炸裂(さくれつ)。そして、激しいラッシュ。ハリケーン優勢。クリンチの後、再びリング中央へ。チャンピオンも負けずに激しいパンチを繰り出しますが、それを巧みにかわすハリケーン。

 ハリケーンの強烈な左アッパーがチャンピオンのアゴを強襲。チャンピオンは、あえなくダウン! ・・・ しかし、カウント6で何とか立ち上がり、試合は再開。ハリケーンが最も得意とするのは、強烈な左フック。再びハリケーンの猛攻。

 チャンピオンをロープ際に追い詰め、ラッシュ!ラッシュ! チャンピオンのボディと顔面に、左右の強烈な連打の嵐が襲いかかります。そして、今度はハリケーンの強烈な右のアッパーが炸裂(さくれつ)。チャンピオン、ダウン。チャンピオン、ダウン ・・・ 。何とか立ち上ったものの、チャンピオンは足元がおぼつきません! 試合続行が不可能と見たレフェリーがストップをかけます。ついに試合終了! ― 第1ラウンド2分13秒でハリケーンのKO勝ち ・・・!

※ 余談ですが、現役時代には身長が173p、体重156ポンドと比較的小柄だったハリケーンは、接近戦を得意とするファイタータイプのボクサーだったようで、強烈な<左フック>を最大の武器としていました。

― そして、再び刑務所内のシーン

 独房内のハリケーンは、どうした訳かひどく興奮状態です ・・・! 新米の看守が意気込んで、彼の独房の扉を開けようとするのを押し止める、ベテラン副看守長のジミー・ウィリアムズ。「 殺されるぞ! ・・・ みんな下がれ、下がってろ!」

 流石(さすが)ハリケーンも、彼に対してだけは心を開いています。鉄格子越しに顔を寄せ、声のトーンを落として囁(ささや)ハリケーン。「 奴らは持ち物を調べて、俺の原稿を奪う腹だ!」 ・・・ 彼の興奮の原因も、実はここにありました。「 本の原稿を書く事で、俺は何とか正気を保っているんだぞ。・・・ 俺にとっては、本が釈放の唯一の希望なんだ 」

 彼がこの時書いていた原稿が、後にカナダ人グルーブとの運命的な出会いの切っ掛けとなる『 ザ・シックスティーンス・ラウンド ( 第16ラウンド ) 』という自伝。ボクシングの試合 (チャンピオン戦) は、通常第15ラウンド (当時) までしかありません。彼の言う<第16ラウンド>と言うのは、彼のえん罪を晴らす為の<裁判闘争>を意味しています。

「 それを俺から奪ったら、ぶっ殺してやる!」 ・・・ 何とか彼の興奮を宥(なだ)めようとするジミー。

 ハリケーンは、幾分興奮が収まると、ジミーにおもむろに尋ねます。「 あんたは、俺が殺人犯だと思うか?」「 わからないよ、俺には ・・・ 」と正直に答えるジミー。

― それは、一体どんな事件だったのでしょうか ・・・ ?

 1966年<布川事件>の前年 ― 6月17日未明、ハリケーンが住んでいたニュージャージー(NEW JERSEY)州のパターソン(Paterson)という街で、凶悪な殺人事件が発生。犯人2人がショットガンと拳銃を片手に『 ラファイエット・バー 』という名の酒場に車で乗り付けると、そこにいたバーテンを含む男女4人に向って突然発砲し、3人を殺害、1人に重症を負わせたというものです。犯人は、何も盗らずにそのまま車で逃走。この時、目撃者が数人いました。

※ 殺害の目的が何だったのかは、今もって不明です。なお、奇跡的に命を取りとめた被害者の話によると、2人組の犯人がバーに入って来るや『 強盗だ 』と言ったそうですが、バーテンが金を取りに行くと突然銃撃を始めたそうです。(『 ザ・ハリケーン 』楠木成文訳/角川文庫 )

※ 余談ですが、この<パターソン>という街は、「 (ニューヨークの) マンハッタンからわずか17マイルのところ 」にあり、「 パセイク(Passaic)郡の中心でニュージャージーで3番目に大きな街 」でした。「 1966年当時、この街は衰退していく産業都市といった様相で、人口13万8千人のうち、黒人が4万5千人、プエルトリコ人が1万人 」いました。その為、「 パターソンは組織犯罪の温床 」ともなっていたそうです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 警察は、非常線を張り、白い車で逃走した黒人2人組の犯人を追っていました。この時、たまたま現場付近を黒人青年( ジョン・アーティス )の運転する白い車で通りかかったハリケーンが、運悪くパトカーに停車を命じられました。

 ハリケーン達ふたりは、緊急手配を受けていた『 白い車の黒人ふたり 』という犯人像にピッタリでした。パトカーで連行され、そのままセント・ジョーンズ病院へ。その病院では、左眼を撃たれながらも奇跡的に命を取り留めた被害者の男性が、緊急手術を受けているところでした。何と驚いたことに、警察は緊急手術中のその被害者にふたりの<面通し>をしたのです。・・・ 弱々しく首を横に振る被害者。

 ハリケーンにとって更に不幸なことに、この事件を担当したのが、子供の頃から特別因縁の深い刑事、デラ・ペスカでした。<人種差別主義者>の彼は、黒人の非行少年だった彼を昔から目の敵(かたき)にしていました。

 ペスカ刑事の顔を目にしたハリケーンは、口汚く罵(ののし)ります。「 ウジ虫野郎! 俺をハメる気か!」「 目の敵(かたき)にしているな、デラ・ペスカ。俺を犯人にしようとしてもムダだぞ 」と、その顔を見ると虫唾(むしず)が走るとでも言いたげなハリケーン。「 刑務所送りにしてやるッ、この腐れチャンピオン!」とそれに負けずに言い返すデラ・ペスカ。

・・・ お互いに敵意剥(む)き出しの悪口雑言(あっこうぞうごん)の応酬。「 俺の息子をくわえ込め、この変態ホモ野郎。俺は無実だ!」とハリケーン。「 お前を有罪にしてやる!」とデラ・ペスカ。

― そして、再び刑務所内のシーン

 ボブディランの『 ハリケーン 』という曲が流れる中、カメラは刑務所内を俯瞰(ふかん)した後、独房内で真剣にタイプライターを打っているハリケーンにパンニングしていきます。

 〜 ♪ バーで銃声が鳴り響き、パティーが駆けつけた ・・・ ♪ 〜

 彼の自伝『 ザ・シックスティーンス・ラウンド (ナンバーワン挑戦者から囚人45472番へ)が遂に脱稿。1974年9月にヴァイキング・プレス社から出版され、書店の店頭に並びます。表表紙には、リング上で闘っているハリケーンの勇姿が、そして裏表紙には鉄格子の中のハリケーンの顔写真が装丁されています。

― 場面が変わり、場所はカナダのトロント

 1980年の晩夏、トロントにあるハーバー・フロントの巨大な倉庫で、市内の公立図書館が合同で放出品のバザーを行いました。トロント中の図書館が不要になった本を廉価で販売した為に、この催しは評判を呼び、会場には長蛇(ちょうだ)の列が出来ていました。

 後に、ハリケーンの再審裁判の中で重要な役割を果たすことになる、レズラ・マーティンカナダ人の一行もその日、古本を買うために並んでいました。そして、この時レズラ少年が偶然手にした本こそ、後に運命的な出会いをもたらすことになるハリケーンの書いた『 ザ・シックスティーンス・ラウンド 』でした。

 彼が生まれて初めて買った本の値段は、ハード・カバーなのにたったの25セント。「 もしかしたら、つまらない本かも?」 ・・・ 彼が興味を引かれた黒人ボクサーの物語は、337ページもありましたが、そんな心配をよそに、彼は次第にその本の虜(とりこ)になって行きます。

― ハリケーンの少年時代 ・・・

 ハリケーンは、1937年5月6日、ニュージャージー(NEW JERSEY)州のパターソン(Paterson)で生まれ、そこで少年時代を過ごしました。パターソンは、<貧困><暴力>の街でした。「 自分の身を守れない者は、死ぬしかない 」という土地柄。自然と暴力への対処の仕方は身に付いて行きます。ハリケーンも例外ではありませんでした。

 その日、11才のハリケーンは、友達とパセイク大滝(The Great Fall) で遊んでいました。すると、見知らぬ白人の中年男が近づいてきて、金時計を見せびらかして、子供たちを傍に呼びます。そして、ひとりの少年の身体に触(さわ)り始めました。

 友達の身を案じたハリケーンは、「 おじさん、触るのはよせよ!」と言いますが、止めようとしない男にビンを投げつけます。 ― 実際には、この当時吃音(きつおん)があったハリケーンは、友達から手を放せと言えなくて、代わりにビンを投げつけたのだそうですが ― そのビンは、男の頭に見事命中! 一目散に逃げる子供たち。

 ハリケーンも、その後を追って逃げようとしますが、頭から血を流しながら立ち上がったその男に捕まってしまいます。男は、ハリケーンを抱きかかえると崖際(がけぎわ)まで歩いて行き、そこから下に投げ落とそうとします。必死にもがき逃げようとするハリケーン。とは言っても所詮(しょせん)は11才の子供、大人の力にはとてもかないません。ハリケーンは、必死にポケットからナイフを出すと、夢中で男の胸に突き立てました。

※ ハリケーンの為に一言弁明しておくと、彼がナイフで刺した中年の白人は、少年愛性向のある変質者だったそうで、警察内部でもそれは周知の事実だったようです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 さらに、この大滝の高さは70フィート(約20メートル)もあるのだそうで、ここから落とされれば確実に死んでいたでしょう! その意味では、<正当防衛>だったとも言えます。なお、パターソンについては、TTSのホームページをご参照下さい。

 これが、その後に続くハリケーンの長い逮捕歴の中での最初の事件。「 そいつは、ナイフを持った危険な黒人だ、年なんかは関係ない!」と言って、この事件を担当したのがデラ・ペスカ刑事 (当時、巡査部長) でした。彼は、黒人を心の底から憎んでいました。

 裁判所も、彼に対してとても厳しい判決を言い渡しました。21才になるまでの10年間、州立ジェームズバーグ少年院に収監するというものでした。彼は、8年後にその少年院を脱走するのですが、 「 あの少年院は、思い出すだけでもゾッとする 」と本の中で当時を述懐しています。さらに彼は、そこで「 生き残るために人を傷つける術 」を学びました。

― そして画面は変わり、レズラ少年の回想シーン ・・・

 レズラ・マーティンが、ハリケーンの本に夢中になったのには訳があります。彼は、現在トロントでカナダ人のグループと一緒に暮らしていますが、生まれはニューヨークの ブルックリンで、そこには今も家族が住んでいます。

 ブルックリンは、瓦礫(がれき)の山の中にゴミが散乱しているような、ひどく荒廃した街でした。麻薬中毒者やアル中が徘徊し、<貧困><暴力>が蔓延(まんえん)する街。苦しみと悲しみが支配する街。犯罪が横行し、白昼でも危険な街。

 マーティン一家は、そんな街の高架鉄道そばのおんぼろアパートに住んでいました。両親と兄弟姉妹8人の10人家族。以前、兄の フルーも犯罪を犯して刑務所に入ったことがあります。 ・・・ 同じような環境で育った黒人の元プロボクサーで、今も刑務所の中から無実を叫んでいるハリケーン。 ・・・ 彼にとっては、とても人ごととは思えませんでした。

― レズラ少年と一緒に暮らすカナダ人グループとは ・・・ ?

 この映画の中に登場するのは、<サム>、<テリー> ― この2人が原作者 ― そして<リサ> ― 彼女は、後にハリケーンの後妻となります ― という名前の男2人、女1人のグループですが、実際にはこの他にマイケル、マーティ、ガス、キャシー、メアリの5人のメンバーがいました。恐らく登場人物を増やすと複雑になり過ぎるので、映画では3人だけにしたのでしょうが、その為にかえって、この映画を見た人にはとても奇異なグループに映ります。 ― 事実、私もこの3人は一体どういう関係なんだろうと、変な想像をしてしまいました。

※ 余談ですが、このグループのほとんどは、1960年代にトロント大学の学生だった仲間で、この世代特有の体制への不満を共有し、意気投合した者達がいつしか集まって共同生活を営むようになったのだそうで、 ビジネス・パートナーでもありました。実際、いくつかの事業を成功させていて、経済的には余裕があったようです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 また、レズラという少年は、背の低いずんぐりとした黒人少年で、ブルックリンでは十分な教育を受けさせて貰えなかった 為に満足に字も読めない上、自分が何という国に住んでいるのかさえ知りませんでしたが、とても聡明で頭の回転の速い子供でした。その証拠に、後にトロント大学とダルハウジー大学のロー・スクールを優秀な成績で卒業し、弁護士になっています。

1979年の夏、このカナダ人たちのグループが新しいベンチャー・ビジネス関連の調査の為にブルックリンにある <環境保護研究所>を訪れた時、たまたまその研究所で働いていたのがレズラ少年でした。なお、この映画には登場しませんが、この時彼と一緒に働いていたウィリアムというもう1人の黒人少年も、彼らは同じように手許に引き取って教育しています。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 このカナダ人たちは、大学に行きたいという強い希望を持っている、利発で好奇心旺盛な黒人少年を引き取ってカナダのトロントで教育を受けさせようと、ブルックリンのスラム街に住む彼の両親を説得しました。

― 画面は変わり、少年院収監後のハリケーンの人生 ・・・

 ハリケーンは、少年院に入所して8年後に<自由>を求めてそこを脱走します。 そして、すぐに陸軍に入り、空挺部隊員となりました。この時、軍のボクシングチームに入り、2年連続で陸軍のヨーロッパ・ライトウェルター級チャンピオンになっています。そして、2年の任期が終わり故郷のパターソンに戻った時に、そこの酒場で、後に最初の妻となるメイ・セルマという女性と出会います。

 素晴らしい女性と出会った喜びも束の間、執念深いデラ・ペスカ刑事に少年院脱走の件で逮捕され、今度は刑務所に収監されることになります。

※ 実際は、話が若干(じゃっかん)異なるようです。彼が少年院を脱走したのは、実は17才の時 (入所した6年後) で、陸軍に2年間在籍した後除隊して帰省。真夜中に警察がやって来て逮捕され、アナンデール感化院に再収監。出所後、自暴自棄に陥った彼は、女性のハンドバックをひったくった上に、ふたりの男に暴行を加えたことで3年〜7年の<不定期刑>を言い渡され、トレントン州立刑務所(Trenton State Prison)に収監されています。

 この刑務所は、19世紀前半に建てられたもので「 気持が悪くなるぐらい汚くて臭い牢獄 」で、中に入った途端、もの凄い臭いに襲われたそうです。それがどんな臭いかと言うと、「 強烈な臭いの見えない壁。空気は、日にちのたった糞尿とカビの生えた人体のむっとする臭いに汚染されている。古くなって臭うキャヴィアの缶詰のように、長いあいだ置き忘れられて何もせずにいる人間たちの、鼻を突く不潔な臭いが、それに加わる 」と、彼は表現しています。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 ここで、彼は人生に目覚めます。プロボクサーを目差して体を武器に変えようと決心し、房の中でも鍛錬に励みます。狭い独房の中でのシャドウ・ボクシング。刑務所内のジムでの激しいトレーニング。そして、毎朝午前4時に起きての4千回の腕立て伏せを日課としました。また、ボクシングだけではなく勉学にも励み、いろいろな本も読みました。

 1961年9月21日、4年の刑期を終えトレントン州立刑務所(Trenton State Prison)を出所した時には鋼(はがね)のような体になっていました。この時、ハリケーン24才。刑務所の厳重な扉の外に出た時、彼は 「 すべての聖なるものにかけて、2度と(ここには)戻って来ない 」と心に固く誓いました。これまでに、彼は人生のほぼ半分を監禁されて過ごしたことになります。

 出所後の彼は、まるで戦闘マシンのようにリングの上で闘いました。「 頭を剃ってフーマンチューひげを生やし、ワルの目つきをした、獰猛 (どうもう)なエネルギーの塊(かたまり)となった 」ハリケーンは、当時、無敗の米国ミドル級チャンピオンのクーパーをあたかもハリケーンのごとく一方的な猛攻の末、第1ラウンドでリングに沈めています。この時から、彼は<ハリケーン>と呼ばれるようになりました。

 彼は、プロボクサーとして成功を収めるとともに、この頃メイ・セルマと結婚し、一児(女の子)をもうけています。いわば彼の絶頂期。そんな彼の成功を面白く思っていない人間もいました。そのひとりが、デラ・ペスカ刑事。「 あの野郎、世界チャンピオンになった気でいやがる。何が最優秀選手だ!薄汚い犯罪者だぞ!」

― ここで画面がモノクロに変わり、当時の世相を映し出します

 時代は、1960年代の初め、<公民権運動>が華やかなりし頃。「 アメリカの黒人に公民権が許されておらず、それに抗議する行進やデモやボイコットが、銃を携帯した保安官や放水や警察犬に阻止される時代 」でした。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 街頭で警官が男の頭にライフルを突き付け、デモ隊に平然と暴行を加えていた時代。デモに参加した普通の人たちが制圧と称した警官の暴力の犠牲となり、傷つき或いは命を失い、そして警察に連行されて行った時代。当局が、暴動を煽 (あお)るような言動に常に目を光らせていた時代。それが1960年代でした。

 そんな暴動の様子を映した映像を酒場のテレビで見ながら、ハリケーンが冗談と断りながら迂闊(うかつ)にも新聞記者のいる前で語った一言が、後に波紋を呼びます。 「 あれは、起きて当然の黒人暴動だ。隣人を守ろうとすると警官どもが襲ってきやがる。 ・・・ (オレも、デモ隊を)助けに行くべきなのかも ・・・ 。オレにだって、黒人嫌いの警官を6人ぐらい撃ち殺せるからな!」オフレコだった筈の彼の言葉が翌日の新聞に掲載されるや、ハリケーン一家は、それに反感を抱いた人たちの嫌がらせを受けます。

※ 当時、ハリケーンは「 白人と黒人というふたつの階級がありながら、民主的だとされているアメリカの偽善と不正について、公然と発言 」していたし、「 1963年にワシントンで行われた史上最大の公民権デモ、<貧者の行進>にも参加 」していました。

『 サタデー・イブニング・ポスト 』紙に掲載された先の冗談も彼の印象をかなり悪くして、この頃から「 ニュージャージー州警察とFBI 」は、彼の日常生活にも干渉するようになり、どこへ行くにも尾行が付きました。さらに、「 次々と軽微な容疑をでっちあげ 」られて、何度も警察に連行されたそうです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 1964年12月14日にフィラデルフィアで行われた、世界ミドル級タイトルマッチでは、誰が見てもハリケーンが優勢だったにも拘わらず、チャンピオンのジョーイ・ジオデロが不可解な判定勝ち収めています。この時場内は、ブーイングの嵐で騒然となりました。こんな所にも、当時の世相が反映しているのでしょう! おそらく、<黒人暴動>が勢い付くのを怖れた当局が、公正であるべきボクシングの<判定>に圧力を掛けたのではないでしょうか ・・・?

― さて画面は、再び事件のあった夜!

 1966年6月17日午前2時頃、ハリケーンは、次に南アメリカで行われるロッキー・リヴェロとの試合の手配の為に、当時パターソンで人気があった『 ナイト・スポット 』というカクテル・ラウンジにいました。その晩は木曜日のレディーズ・ナイトだったということもあって、店は深夜というのに客でごった返していて、ひどく騒がしかったようです。

 午前2時半頃、ハリケーンが帰り支度を始めると、以前から彼のファンだったジョン・アーティスという黒人青年が彼のそばに寄ってきて話しかけます。ハリケーンに車で送ってやろうと言われると、とても感激して有頂天になります。お前が運転しろと車のキーを渡すハリケーン。この時の車は、1966年型の白のダッヂ・ポラーラ。

 帰宅途中、警官に停車を命じられたふたりは、2台のパトカーに挟まれるようにして、犯行現場となった『 ラファイエット・バー 』に連れて行かれます。そこでは、目撃者の白人2人アルフレッド・ベロウアーサー・ブラッドリーが事情聴取を受けていました。刑事が、その目撃者2人にハリケーンたちが犯人だったかどうかを確認しますが、この時はふたりとも否定。

※ 余談ですが、実はこの2人には犯罪の前歴がありました。そして、何とこの夜ベローブラッドリーは、事件現場近くで不法侵入を働いていました。ベローによれば、彼がタバコを買いに事件現場のバーに近づいた時に、中で銃声がした。すると、武器を持った2人組の男がそのバーから出て来て白い車に乗って走り去って行った、ということになっています。

 そして、ここでまた理解し難い事に、ベローはその車を遣(や)り過ごした後、事件のあったバーに入り、殺害された者や瀕死の重傷者がいたにも拘(かか)わらず、開いたままになっていたレジスターから現金を盗んで、仲間のブラッドリーと分け合っています。

 デラ・ペスカ刑事は、そんなふたりの<弱み>を巧みに利用します。「 お前らは、マズい立場だぞ! 近所で起きた窃盗の容疑で仮釈放違反だ!」と、まず脅(おど)しをかけておいてから、急に話題を変えます。

「 私個人の見た限りでは、盗みの確たる証拠はない。分かるだろ!・・・ 私の関心事は殺人事件の方だ! お前らに協力して欲しい 」デラ・ペスカ刑事は、一方で窃盗事件をチラつかせながら、ふたりに取引を持ちかけます。「 確信を持って認めて欲しい、あの晩目撃した男が、ルービン・カーターだったと ・・・ 」 そこで、ふたりは刑事の意図を明確に察します。

 ベローは、次のように証言を変えます。「 (あの晩)タバコを買いに外に出たんだ。すると、銃声がして2人の黒人が外へ出て来た。その内の1人がルービン・カーターだった、ボクサーの ・・・ 」 ハリケーンは、このように<証人>をデッチ上げられて起訴されます。

※ 実際には、ふたりは事件当夜17時間もかけて取り調べられた後、釈放されます。ハリケーンが連行されて取り調べを受けたことが報道されると、検察当局は「 29才のボクサーが容疑者ではない 」との発表すらしています。ハリケーンは、それで全てが終わったと思いましたが、その年の10月14日になってから、アルフレッド・ベローが殺人現場でハリケーンアーティスを目撃したとの上申書をパセイク郡検察官に提出。これを受けて、ふたりは<殺人事件>の容疑者として逮捕され、正式に起訴されました。

 なお後日、ベローブラッドリーのふたりは、『 ニューヨーク・タイムズ 』紙の記者に、この時パターソン警察が謝礼金と減刑酌量を条件に偽証を強要したことを明かした上、先の証言を撤回しています。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― ハリケーンの長い裁判闘争の幕開け!

 1967年5月27日、一審判決。パセイク郡裁判所の裁判長は、サムエル・ラーナー判事。ふたりは、全員が白人で構成された<陪審>の評決で有罪となり、<3回の終身刑>が言い渡されます。死亡した被害者1人につき1回の<終身刑>ということなのでしょう! ― 現在では、人種的・思想的な偏(かたよ)りがないように陪審員を選んでいるそうですが、当時はそのような配慮は全くなかったようです。むしろ、検察側の思惑に沿った選任がなされたような節すらあります。

 思ってもみない陪審員長の評決発表に騒然となる傍聴席。泣き叫ぶ妻のメイ。落胆に顔を歪ませるアーティス。そして、理不尽な評決をした陪審員に怒りの目を向けた後、悲嘆に暮れる妻の姿を<無念>の表情で見つめるハリケーン。カメラは、それぞれの表情を順に追って行きます。

 アーティスの肩に腕をまわし、遣(や)り場のない怒りを抑えつつ、裁判長の無情な<判決>にじっと聞き入るハリケーン。この時、彼の耳には、<第16ラウンド>開始のゴングが聞こえていたのでしょうか ・・・ ?

※ 実際ハリケーンは、起訴はされたものの<有罪>になるとは夢にも思ってもいなかったようです。と言うのも、事件の夜に、ハリケーンアーティスは、嘘発見器にかけられてパスしていたし、奇跡的に一命をとりとめた被害者もふたりを犯人ではないと言っていたからで、さらに、他の目撃証言が示す犯人の特徴とも、ふたりは全く一致していませんでした。ハリケーン等は、直ちにニュージャージー州の裁判所に上訴請求しますが、却下。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 再び、刑務所に収監されるハリケーン

 ハリケーンは、後にトレントン州立刑務所(Trenton State Prison)に移送されることになりますが、この時はローウェイ州立刑務所(Rahway State Prison)に収監されました。その時に彼は、身につけている物を袋の中に入れて、<囚人服>に着替えるようにと刑務所長に命じられますが、これを拒否します。

 彼は、毅然として宣言します。「 所長、あんたには俺を監禁する権力があるが、俺は無実なんだ、犯罪なんか犯していない! 犯罪は、俺に対して犯されたんだ! だから、犯罪者の服なんか絶対に着ないぞ!」そして、さらにこんな事も ・・・ 「 命令されれば所内のどこへでも行くが、俺を小突いたりした奴は許さねぇからなッ!」

 ハリケーンの前代未聞とも言える<闘争宣言>に対して、所長は何とか威信を取り戻そうとしますが、再度ハリケーンの拒否に遭(あ)います。

 結局ハリケーンは、ペナルティとして90日間の<懲罰房入り>を言い渡されます。スーツに白いネクタイのまま<懲罰房>に入れられるハリケーン。彼は、薄暗い独房の中で激しい<闘志>をかき立てることで何とか正気を保っていましたが、さすがの彼もこのペナルティはちょっと応(こた)えたようで、何度か<幻覚>を見ます。闘志むき出しの<強い自分>とくじけそうになる<弱い自分>との葛藤(かっとう)。しかし、<懲罰房>の中に居ても、やっぱり彼は<ファイター>でした。

※ おそらく、このシーンは監督によって創作されたもので、彼が後に刑務所側の強制する衣服、食事、労働等の一切を拒否したという<行為>を象徴するものとして挿入されたのでしょう!

 苦闘の90日間が過ぎ<懲罰房>を出されたハリケーンは、無精ヒゲを生やし、垢にまみれてワイシャツも真っ黒になっていましたが、それでも<囚人服>を着ることは断固として拒否し、再びネクタイを締めようとします。「 俺をまた懲罰房に戻せ!」と副看守長のジミーに言うハリケーン。彼の<第16ラウンド>の長い闘いは、まだ始まったばかり。きっと、ここで負ける訳には行かないのでしょう!

 彼のそんな果敢な<ファイター>ぶりに畏敬(いけい)の念を抱いたジミーは、彼の身を案じます。「 それじゃ、死んでしまう!」と困惑気味のジミー。「 ここでも同じさ!」・・・ ハリケーンにとって<囚人服>を着ることは、きっと<死>を意味するのでしょう!

「 診療所のパジャマなら着るかい? 囚人服と同様に、支給品だが・・・ 」 何とか妥協点を見出そうとするジミー。「 ストライプは? 囚人番号は? 色は?」・・・ ハリケーンは、この辺で妥協して良いものかと色々と質問します。そして、彼を囚人としてではなく、ひとりの人間として扱おうとするジミーの態度に、それまでの頑(かたく)なな態度を改めます。

 思わず「 ありがとう、カーターさん!」と言うジミーに、「 どういたしまして、ウィリアムズさん!」と応えるハリケーン。<受刑者><看守>の関係とはとても思えないような、ふたりの信頼関係が、この時築かれました。

― 刑務所内で繰り広げられる闘いの日々

 ハリケーンは、刑務所に収監されていた期間、全く<囚人服>を着なかったのと同様に、刑務所側の支給する食事一切(いっさい)を拒否し、自分の独房内で支援者から差し入れられた缶詰のスープや野菜などを<電熱器>で温めて食べています。権力によって<身体>は拘束されていても、<精神>までは拘束されたくないとの思いからで、本当に彼らしい闘い振りです。

 <精神の自由>を保つには、「 刑務所が俺から奪った物を欲しがらないこと 」さらに「 監禁されることが刑罰であるなら、その刑罰を逆手に取って、逆に房から出ないことだ 」と言って、刑務所内での労働と食事を拒否します。そして、<再審請求>に向けての彼の本格的な闘争が始まります。彼は又、そうして勝ち取った自由な時間を勉強に当て、事件を逮捕から判決に至るまで詳細に分析しました。それが、後に『 ザ・シックスティーンス・ラウンド 』となって結実します。

※ 日本人の私達から見ればとても信じられない話ですが、ニュージャージー州の刑務所では、月に25ポンドまでの食料の差し入れを認めています。それでハリケーンは、何と実際に友人からの差し入れだけで自分の食事を済ましていました。彼は、刑務所内でのマスコミのインタビューに答えて、「 刑務所の日常生活に妥協することは、すなわち、『 おれの有罪を認め、おれの自由を剥奪(はくだつ)して幽閉する権利が州にあることを認めること 』になる 」と語っています。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 社会的な運動として盛り上がるハリケーンの裁判闘争!

 ハリケーンは、刑務所内から電話で彼の弁護士のマイロン・ベルドックに訴えます。「 あの裁判には、憲法違反と人種的偏見があったのさ。・・・ 7年も経ったんだ、早く出してくれ! 再審請求をするんだ! 」そして映画は、再びモノクロ画面に変わり、ハリケーンの釈放を求めるデモ行進の様子を映し出します。

 1974年の9月に出版された彼の『 ザ・シックスティーンス・ラウンド 』『 ニューヨーク・タイムズ 』紙の1面に掲載されたベローブラッドリーの告白記事とが契機となって、彼の解放に向けての社会的な機運が全米各地に盛り上がります。それを受けて、彼の弁護団は直ちに<第一次再審請求>を申し立てました。

※ 再審請求の審理を担当したのは、一審でも裁判長を務めたサムエル・ラーナー判事。彼は、ベローとブラッドリーの<証言撤回>は全く信用できないとして請求を棄却。この時、当局に対する一般大衆の怒りは最高潮に達したようです。

 ボブ・ディランが、作詞家のジャック・レビィと組んで『 ハリケーン 』という曲を作ったのもこの頃(1975年7月)で、1975年秋から1976年にかけて、さかんにラジオ等で放送されました。また、マディソン・スクエア・ガーデンやヒューストン・アストロドームでも彼の支援コンサートが開かれ、ロバータ・フラックスティービー・ワンダーなど多数のアーティストが出演しました。さらに、エレン・バーンスティンモハメッド・アリなど各界の多くの有名人が彼を支援し、集会やデモ行進に参加しました。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 そこで彼の弁護団は、今度はそのラーナー判事の決定を不服として、ニュージャージー州最高裁判所に上訴。

 1976年3月17日、ニュージャージー州最高裁は、検察側が被告に有利な重要証拠を故意に隠ぺいしたとして、全員一致で<再審請求>を認める決定をします。この時ハリケーンとアーティスは、一旦保釈されますが、その喜びも束の間、同年12月22日の再審裁判で再び<有罪判決>を受けて、刑務所に再収監されます。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 場面は変わり、ハリケーンと妻の面会シーン

 妻のメイは、分厚い防弾ガラス越しに通話器を使ってハリケーンに話しかけます。「 支持者は、またデモをするそうよ!モハメド・アリボブ・ディランとか、みんなよ!」 意図してか、メイの話は明るい話題。ハリケーンも初めは彼女の話に調子を合わせていますが、一瞬表情を曇らせると、意を決したように声のトーンを落として、おもむろに切り出します。

「 裁判で2度負けて、再審の請求は却下された。みんなには悪いが、もうお終いだよ。希望なんかない! 俺はこの刑務所で死ぬんだ!」「 ・・・ 俺と離婚してくれ。いいな、もうここへは来るな!」 この頃、ハリケーンは絶望の淵にいて、悲観した彼は、妻に離婚を言い渡します。何とか思いとどまらせようとするメイ。

 しかし、彼の決意は変わりません。「 俺は、君のお荷物にはなりたくないんだ!」「 俺にとっても君が重荷なんだ! 一方的に面会を禁止されたりすると、つらくて仕方ない!」・・・ それが彼の本心でした。苦渋に満ちた決断。「 俺は死人なんだ! 俺の記憶なんか葬り去ってくれ!」・・・ 思わず口をついて出た、自らの未練を断ち切るような冷たい言葉。彼も、涙がこみ上げてきます。そして、メイに投げキッスをすると一方的に席を立ちます。 ― なお、この時ふたりの間には、子供が2人いました。

 妻と別れた後、ハリケーンは独房の中で失意の日々を送ります。一時、マスコミで何度も取りあげられ、全米各地に広がった<釈放運動>も、再審で再び<有罪判決>が出た後は下火となり、いつしか忘れ去られていました。この頃の彼は、意識的に社会との接触も断ち、できるだけ裁判のことは考えないようにしていたようです。

 彼は、自伝の中でこう書いています。「 監房の中でも、心の中でも俺は生きていない。精神と魂の中だけで生きているんだ。救いを求め希望は膨らんだが幻に終わった、枯れ草がチリとなって消えるように。今は何も期待せず、何も求めてはいない 」 期待すれば期待するほど、求めれば求めるほど、それが実現しなかった時の絶望感が大きいから ・・・?

「 明日もなく、自由もなく、正義もない。最後には、この刑務所も消え、ルービンも消え、カーターも ・・・、残るのはハリケーンの名だけ。その後には、永遠の空白だけが ・・・ 」この辺は、完全に<禅>の世界。ハリケーンは、宗教関係の書籍も数多く読んでいたらしいので、一種の<悟り>を開いたのでしょう! ― 但し、彼の自伝は1974年に出版されているので、この言葉は、再審で<有罪判決>が出る以前のものです。

 

 ☆ ☆ ☆ 闘いの炎は、遠くカナダに飛び火して ☆ ☆ ☆

― さて、場面は1980年9月のトロント

 レズラ少年がカナダ人の仲間にハリケーンの自伝を読んで聞かせています。この時、レズラハリケーンに手紙を書くことを思い立ちます。彼の書く初めての手紙。うまく書けずに何度も書き直します。リサは、真剣に手紙と格闘しているそんなレズラの姿を見て、ハリケーンが返信用の切手が買えるようにとアメリカの10ドル紙幣を渡します。 ― なお、実際に手紙に同封したのは、為替(かわせ) だったそうです。

※ レズラ少年の最初の手紙が完成したのは、1980年9月20日。この手紙の中で彼は、ハリケーンの本を読んでとても感銘を受けたこと、あなたの境遇を知って悲しく思っていること、そして自分の生い立ちや現在のカナダでの生活にも触れています。また、実際にはこの時、カナダ人グループの手紙も同封されていたそうです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 待ちに待ったハリケーンからの返事は、その年の10月半ばに届きました。レズラはその手紙をとても待ち焦がれていたので、その時の喜びようと言ったら、大変なものでした。その手紙には、お金を同封してくれたことに対するお礼と共に次のような文面が書かれていました。「 私を心配し、励まそうとする心の温かさが、手紙の文面からとても強く伝わってきました。まるで私の思いを聞き、しっかりとその思いを共有しているかのようです 」

 この時からアメリカとカナダの国境を越えた、心温まる<文通>が始まります。そして、それぞれの手紙のやり取りが何度か続いた後、記念すべき<最初の面会>の時を迎えます。

 それは、その年(1980年)のクリスマス休暇でレズラがブルックリンに帰省した12月最後の日曜日のこと。レズラは、冷たい雨降る中をひとりでニューヨークのペン・ステーションからトレントン(Trenton)行きの電車に乗ります。そして、探し当てたトレントン州立刑務所は、冷たい雨降る中、住宅街の真ん中に暗く佇 (たたず)んでいました。その石造の建物は、長い年月にわたり<受刑者>の苦悩を吸い取ってきたかのように、不気味な姿で横たわっています。高くそびえる監視塔、敷地を取り囲む高い石塀。そして、入口の大きな鉄扉の前には、同じように面会を待つ人の列。レズラは、一瞬足が竦(すく)んでしまいました。

※ 余談ですが、トレントン(Trenton)は、ニュージャージー州の州都で、ニューヨークの南西約60マイル、フィラデルフィアの北東約35マイルの所に位置し、19世紀後半から陶磁器の製造が盛んな所としても有名です。アムトラック鉄道のメトロライナー(特急)でニューヨークから約1時間かかるそうです。

 中に入ると、重い鉄扉が大きな音を立てて閉まります。右手の甲に目に見えないインク ― 紫外線を当てると見える ― のスタンプを押されるレズラ。何もかもが初めてのことで、とてもビクビクしています。面会が許可された受刑者の名前が読み上げられると、さらに大きな鉄扉の向こうへと誘導されます。この時、ハリケーンも別室で面会前の儀式 ― 全裸になっての身体検査 ― を行っていました。

※ 日本ではとても考えられないことですが、このトレントン州立刑務所では、「 実際に服役者と接触できる90分間の『 接触面会 』と、分厚い防弾ガラスで隔てられ、通話器を使って話をする『 窓口面会 』」という2つの制度があって、「 接触面会は週末のみにかぎられ、午前8時から午後2時までの2時間ごとと厳しく時間制限された上、1度に面会できるのは4人までと人数も制限されていた 」のだそうです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 この日、レズラハリケーンがしたのが、この内の<接触面会>の方でした。ちなみに、妻との面会シーンは、<窓口面会>でした。受刑者がこの<接触面会>をする場合には、屈辱的な<全裸><身体検査>を受ける必要がありました。ハリケーンが、これまで1度も<接触面会>をしたことがなかったのは、この<身体検査>があったからだそうで、それだけにレズラとの面会は、彼にとって特別なものだったのでしょう!

※ 余談ですが、刑務所側にとっては、受刑者が刑務所から<持ち出す物>より、刑務所内に<持ち込む物>の方が問題となる筈で、その意味ではこの<身体検査>は、<面会後>に行う方が理にかなっています。原作でも、やはり <面会後>に行われています。

 面会室では、久しぶりの家族との面会を喜ぶ受刑者が、子供を抱き上げたり、妻にキスをしたりしています。そして、それぞれ面会室に据え付けられたテーブルを占領して、家族や親しい者との<団らん>のひと時を過ごします。そんな中で、部屋の隅のテーブルにひとり静かに座っているハリケーン。

 レズラは、そんな彼の姿を見つけると、怖ず怖ずと近づいて行き話しかけます。「 カーターさん? 貴方が、ルービン・ハリケーン・カーターさんですか? もっと大きな人かと・・・ 」「 君よりは大きいさ! だけど、身長のことは秘密だぞ!」

 ふたりの会話は、こんなふうに打ち解けた雰囲気で始まりました。この時ハリケーンは、レズラが一緒に暮らしているカナダ人のことやブルックリンの家族のことをとても聞きたがります。それと言うのも、ハリケーンは子供の時から<白人>に迫害されて来たので、<白人>に対して根強い不信感を抱いていました。それだけに、<黒人>の子供をブルックリンの地獄のようなスラム街から救い出して、手許で教育を受けさせている白人グループが奇異なものに写ったのでしょう!

 そして、現在の自分の心境を次のように語ります。「 書くことは魔法みたいだ。そう思わないか? ・・・ 本を書き始めて、俺は書くことが持つ力に気付いた。書くことは、拳なんかよりずっと強い武器だ!・・・ 書くたびに、俺は刑務所の壁を越えて、ニュージャージー州の先まで見渡せたんだ!」

 そして、レズラに彼らしいアドバイスをします。「 自分にとって真実だと思える知識を探せ!」 この言葉は、彼が長い年月を刑務所の中で過ごした経験から体得したものなのでしょうか ・・・ ? それとも彼がその時読んでいた『 知識の目覚め 』という本の受け売りだったのでしょうか ・・・ ?

 レズラの最初の面会は、あっと言う間に終わりの時を迎えます。最後に、ポラロイドカメラでの記念写真! カメラマンは、受刑者のひとりが担当。その受刑者は、ふたりを親子だと勘違いしましたが、ハリケーンはそれを正さずに、レズラの肩に手をまわして写真に収まります。

 この面会は、ふたりの結びつきを更に堅いものにしました。後に届いたハリケーンの手紙には、次のように書かれていました。「 人は誰でも、一緒にいる相手を愛しているが、その優しさの輝きを、私は再び奇跡的に見たよ。君が来た時、その輝きで私の薄暗い世界にも光が、突然に、何の前触れもなく光が差し込み、すべてを明るく照らしたんだ!」 彼の面会が、よほど嬉しかったのでしょう! ハリケーンにとって、レズラは輝ける<希望の星>そのものでした。

 2度目の面会は、サムとテリーとリサのカナダ人3人も一緒でした。それは、翌年(1981年)の2月末のこと。レズラは、既に勝手が分かっているので、今回は彼らの案内役。4人は彼の<再審>の事をしつこく聞こうとしますが、ハリケーンはあまり話したがりません。彼は、今までに何度も期待を裏切られて来たので、臆病になっていました。「 なるようにしか、ならないさ! 私は、今は耐えることに集中してるんだ・・・ 」

 この頃レズラカナダ人たちは、何とかハリケーンを現在の境遇から救い出してやりたいと真剣に考えていました。しかし、彼の返答はとてもそっけないものでした。「 求めたりすることを自分に禁じてるんだ、完全にな。外の物を求めなければ、心は自由だ!」「 俺の無実は、明白だ! それなのに16年間も服役させられている。無実を叫んでも、空しいだけだ!」 この時、完全に<虚無感>に支配されてしまっていたハリケーンは、彼らの熱い思いを真剣に受け止めようとはしません。

 彼らは、何とか自分たちの気持をハリケーンに伝えようとするのですが、ハリケーンは、彼らの同情心を逆に疎(うと)ましいものと感じて拒絶します。「 経験していない君らには分からない。・・・ 監禁がどんなことか知っているのか?」 思いがけず、声を荒げてしまうハリケーン。この時の面会は、気まずいものとなってしまいました。

 この日彼らは、思いも掛けない<差し入れ>をしてくれました。彼らが帰ったその夜、ハリケーンの独房に届けられたプレゼントは、フードの付いた焦げ茶色のベルベットの<ローブ>。それは、弱気になっていたハリケーンに、昔の猛烈な<ファイター魂>を思い起こさせるものでした。

 まだ、<第16ラウンド>終了のゴングは鳴っていません!「 もう潮時だ!」と言って、再び<ファイター>としてリングに上がることを決意するハリケーン。

 ハリケーンは、そのローブを手に取って、身に着けます。この時、彼の耳には昔の懐かしい<場内アナウンス>の声が聞こえてきます。 狭い独房の中で、激しく左右のパンチを繰り出すハリケーン。

― 激しく燃え上がる炎 ・・・ 、そして再び失意の日々へ

 この日を境に、ハリケーンカナダ人たちとの<文通>が頻繁になり、またハリケーンからコレクトコールでの<電話>もかかって来るようになります。そして、彼の独房もカナダ人たちからの数々のプレゼントや写真で一杯になり、見違えるように華やいだものとなっていました。

 それに伴って、ハリケーンの固く閉ざされていた心も徐々に変化して行きます。

 そんなある日、彼らのもとにハリケーンからの電話が掛かって来ます。「 裁判所から再審請求を却下する通知が来た 」との悲しい知らせでした。ハリケーンは、要件だけを話すと直ぐに電話を切ってしまいます。それだけショックが大きかったのでしょう!

 ハリケーンは、また自分の殻の中に閉じこもって、一切から自分を遠ざける<禅僧>のような生活に戻ります。<希望>を持ちかけていた時だっただけに、その<挫折感>も非常に大きいものでした。

 そして、ハリケーンからの絶縁状。「 これは、今までで一番悲しい手紙だ。君たちの力添えや親切には、とても感謝している。だけど、私は囚人!・・・ 私の仕事は、耐えられる限り服役を続けること。ここでは、鉄のような者以外、生きては行けない。これが最後の手紙だ。もう手紙や面会は、ご容赦願いたい。君たちの優しさで気力を失ってしまうから 」 余りにも悲痛な文面に言葉もないカナダ人たち。

※ 1982年8月17日、ニュージャージー州最高裁判所は、4対3の裁決で第2次再審請求を却下。

― そして、新たなる展開へ!

 それから1年後、カナダから1通の封筒が届きます。レズラからでした。レズラが恋人と撮った<スナップ写真>と高校の<卒業証書>。そして、簡単な添え書き。ハリケーンは目頭が熱くなります。

 その夜、ハリケーンから「 もう耐えられない 」という内容の短い電話。それまで必死に堪(こら)えていたものが、懐かしいレズラの手紙で堰(せき)を切ったように噴(ふ)き出してしまったのでしょう! 電話に出たリサも思わず涙ぐみます。

 それから何日か経った夜、ロ−ウェイ州立刑務所にいるハリケーンは、ある番号に電話するようにとのメッセージを受け取ります。テリーからでした。そして「 外を見てくれ!」という意味の分からぬ話。何のことか分からないまま、金網の張られた窓越しに外を見るハリケーン!「 建物の明かりだ!点滅しているのがあるだろ 」・・・ よく見ると、向いのビルの一室の照明が点滅しています。そして、みんながベランダから手を振っているのが見えます。 ・・・ 感動の瞬間!

 ハリケーンのことを心配したレズラたちが、その刑務所の近くに引っ越して来たのでした。「 この町にみんなで移ってきたんだ!・・・君を釈放させるために 」信じられない思いで見つめるハリケーン。「 私たちがあなたの手足になるわ! 釈放させるまでここにいる 」嬉しいやら、呆れるやらで言葉に詰まるハリケーン。そして「 私たちの家に連れて帰るわ!」 リサのそんな優しい言葉に、思わず目頭を熱くするハリケーン。

※ 水を差すようで申し訳ありませんが、非常に感動的なこのシーンも実は創作で、現実には1983年の秋にハリケーンの支援活動に本腰を入れる為、カナダ人たちは2つのグループに別れることにしたのだそうです。その内の1グループはトロントに残って別働隊の支援に当たり、もう1つのグループがトレントン近郊に居を構えることなりました。彼らが借りたアパートは、トレントン州立刑務所から車で20分位かかる所にあったので、当然ながらこの刑務所の窓からは全然見えません。

 なお、翌年(1984年)6月29日に、ハリケーンがこれまで収監されていたトレントン州立刑務所からローウェイ州立刑務所に移転します。こちらの方がニューヨークに近いので弁護士と接触し易く、また電話の使用制限が少ない上に面会時間も長かったので作戦会議を開くのに便利だった為で、この時に、彼らが新しく借りたアパートのバルコニーからは、この刑務所の円屋根が見えたそうです。映画のシーンもローウェイ州立刑務所の建物のようです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 新たな調査活動の開始!

 レズラたちは、翌日から早速行動を開始します。まず、ハリケーンのふたりの弁護士を訪ねます。彼らは最初、このカナダからの来訪者を今までの多くのボランティアと同じように考えて、<再審裁判>の大変さを説きます。しかし、彼らの決意の固さを知ると、喜んで彼らの協力を受け入れます。

 ハリケーンとの面会は、作戦会議の場となりました。まず、事件当夜の状況から再検討することにします。

※ 事件発生は、記録上では午前2時45分とされていました。ハリケーンが、『 ナイト・スポット 』を出たのが午前2時半。その時、女性客を迎えに来たタクシーがありましたが、彼が帰る前に走り去っていました。黒人の男が2人、『 ラファイエット・バー 』に現れて突然発砲。生き残った被害者のマーリンズは、いきなり撃ち始めたと証言しています。最初にオリバー、次にナイアクス、そして犯人の顔を見たマーリンズ、最後にタニスが撃たれました。

 この時目撃者のベローは、近くで盗みの見張り役をしていて事件を偶然に目撃。他にそのバーの2階からパティー・バレンタインが走り去る犯人の車を目撃しています。向かいの建物に住んでいたエイブリ・コッカシャムも目撃していたが、後に行方不明となったため彼の証言は証拠として不採用になっていた。

 犯人が逃走した後、ベローはそのバーに入り、レジを開けて現金を盗みました。それを、2階から降りて来たパティに目撃されています。そして犯行の動機は、<人種差別>への恨みで、白人専用バーに頭のイカれたカーターがやって来て報復したという筋書になっていました。

 レズラを除く3人は、刑務所の近くに借りた部屋で<証拠書類>の検討をします。

※ 1966年の証拠11F ( 証言の筆記録 ) によると、最初パティ・バレンタインは、「 カーターの乗っていた車が、逃走車と尾灯が似ている 」と証言していたが、1976年の証拠89Cでは、「 カーターの車と逃走車は同一だ 」となっていた。彼女が、10年後の再審では証言内容を変えたことに、彼らは疑問を持ちました。そして、彼女の書いた逃走車の<尾灯>の絵が残っていて、「 逃走車の尾灯は、左右に長く蝶の羽の形をしていた 」と記載されていた。

(1) 早速、ハリケーンの車の<尾灯>を調べるために中古車センターや廃車場をまわります。彼が事件当夜に乗っていた車は1966年型のダッジ・ポラーラで、<尾灯>の形はやはり『 蝶の羽 』のような形をしています。ところが、<尾灯>を点けた時、赤く光るのは両端だけでした。全部光るのはダッジ・モナコという車であり、形は似ているが全く別の車であることが判明!

 ハリケーンも、独房の中で夜遅くまで書類を読み返しています。すると突然、<所長>から呼び出され警告を受けます。それは、近く命にもかかわるような厄介ごとが起きるかもしれないから、気を付けるようにとの脅しともとれる警告でした。

(2) リサたちは、当時行方不明になっていたコッカシャムの家を探し当てます。

 彼は不在でしたが、彼の妻が当時のことを話してくれました。驚いたことにコッカシャム夫妻も黒人で、『 ラファイエット・バー 』の近所には、大勢の黒人が住んでいて、そのバーの常連客でもあったことが判明! ― これで、人種差別に対する報復だとする<動機>が成立しなくなりました。

(3) そして、もうひとつ重大な証言を得られます。彼女の夫は、犯人の顔をはっきり見ていて、犯人はカーターじゃないと警察に繰り返し話した上、供述書に署名してデラ・ペスカ刑事に渡していたことが判明! しかし、残念な事に彼女の夫は、裁判の直前に亡くなっています。 ― 警察側に不利な証人を抹殺 ・・・ ?

 ある日、再調査のため外出した3人は、街角でデラ・ペスカに呼び止められて脅されます。

 リサが1人でハリケーンに面会した日、再審の時に検察当局が雇った探偵でドミニク・バービリエという名前の男に会うよう指示されます。彼は、どういう訳か調査の途中で辞職。その時、彼は現場写真や証拠は当局に返却したが、この時の<調査メモ>は未提出でした。以前、ハリケーンの弁護士が接触した時には、雇ってた連中を怖れて一言も話してくれませんでした。

(4) しかし、彼も既に亡くなっていました。ガレージに案内されたレズラたちは、彼の遺品の中からその時の<調査記録>を捜し出します。彼は、調査記録を日記に書いていました。そして、そこにはとても重大な事実が記載されていました。事件の通報を受け、警察につないだのがジーン・ウォールという電話交換手で、時刻は<午前2時28分>と記載されていました。 ― ハリケーンの無実を立証する決定的な証拠です!

 ハリケーンアーティスは、その時刻にはまだ『 ナイト・スポット 』にいました。だとすれば、ハリケーンたちが<犯人>だということは絶対にあり得ません。そして、もうひとつ重大な事が書かれていました。なんと電話交換手への通報時刻が、<午前2時28分>から<午前2時45分>に書き変えられていたのです。 ― 明らかに、何者かによって証拠が捏造(ねつぞう)されています!

 彼女の証言が得られれば、<再審無罪>は確実です! しかし、リササムが彼女を訪ねると、冷たくあしらわれてしまいます。全くとりつく島もないありません。逃げるように家の中に入ってしまうウォール。恐らく、彼女も何者かに脅迫されているのでしょう!

 彼らは、次に電話会社の<顧客接続記録簿>の写しを手に入れます。やはり<時間>を改ざんした形跡がありました。その<記録簿>には、<午前2時45分>と記載されていますが、ウォールの筆跡とは明らかに異なるし、本来なら彼女がサインすべき筈なのに、どういう訳か彼女の上司のサインがありました。ハリケーンには、その筆跡に見覚えがありました。何とそれは、デラ・ペスカ刑事のものだったのです! ― これについては専門家の<筆跡鑑定>を受け、全く同一人の筆跡であるとの<鑑定書>を取得しています。

― レズラたちに襲いかかる命の危険!

 その夜、作戦会議を終えて帰る途中、突然乗っていた車の<左前輪>が外れてしまいます。車はコントロールを失い、反対車線に飛び出して側壁に激しく衝突しますが、運良く対向車が直前で停車したので、大した怪我もなく済みました。胸を撫(な)で下ろす4人。 ― 所長の警告が現実のものとなりました。恐らく、彼らが事件の核心に近づき過ぎた為に、何者かが工作したのでしょう!

― 弁護団との作戦会議!

 弁護士たちは、当然ながら法律に定める手順で、まず<新証拠><一審>の時の郡裁判所判事に提出し、それが駄目な場合に<上訴裁判所>に提出するという手順を踏むことを主張しますが、ハリケーンは強固に反対します。「 ダメだ!ダメだ!ダメだ! 考えが甘いぞ! よく聞け、奴らは必ず妨害する。連中は、あの事件で出世したんだぞ! 検事たちも判事たちも、俺を利用して今の地位を築いたんだ。敵だらけの所で何をしても負けるに決まっている! 直接、連邦裁判所に行くんだ!」 興奮で、次第に激してくるハリケーン。

※ 実際に、パセイク郡検察官ヴィンセント・ハルは、ハリケーンの第1回目の裁判から間もなく、パセイク郡の<上級裁判所判事>に昇進し、1967年の一審判事だったサミュエル・ラーナーも、州の<上級上訴裁判所判事>に任命されています。また検察官のバレル・アイヴス・ハンフリーズも、1976年の<再審>での有罪判決後間もなく、隣のハドソン郡の<上級裁判所判事>に就任。

 さらに、この映画の中で<悪徳刑事>振りを遺憾(いかん)なく発揮しているデラ・ペスカのモデルともなったヴィンセント・デシモーネは、前述の<再審>で判決が下される数日前に、先のハンフリーズ検察官によって何とパセイク郡の<警察長官>に正式に任命されているそうです。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 弁護士たちの主張にも理由がありました。州の裁判所も知らない<新証拠>を連邦裁判所に提出した場合には、却下された上に、それが法廷で2度と証拠採用されなくなる危険性がありました。それでも納得しないハリケーン!

「 怖れるな、人間性に期待するんだ!・・・ 判事は、却下する前に新証拠を検討するんだろ! 検討すれば、直ぐ真実だと分かる! 真実だと分かれば、私を見捨てはしない!」

 弁護士は、ハリケーンの無謀とも言える<賭け>を思いとどまらせようと必死です。「 もしも、新証拠が却下されたらどうする? 貴重な証拠がパアになるんだぞ! 法廷で2度と証拠採用されなくなる! 抹消扱いだ ・・・ ! 新証拠は、釈放のカギなんだ! あと数年間、慎重に・・・ 」

「 ダメだ、もう待てない、マイロン!」 彼の弁護士との間で、言葉の激しい<やり取り>が続きます。ハリケーンは、これが最後のチャンスだと思っているので、絶対に後へは引きません。州の裁判所には、今までに何度も<煮え湯>を飲まされて来たのでしょう!

 それまで、2人の<やり取り>を隣でジッと聞いていたレオン弁護士が、最後の決断を下します。「 彼が言ったとおり、今動こう! 州ではなく、連邦裁判所へ ・・・ 」 それにも異を唱えるマイロンに、ハリケーンはこう訴えます。

「 私は、もう50才だぞ! 今までに、30年も監禁されたんだ! 大勢の命も危険にさらして来た! 釈放か、あるいは ・・・。俺を早く出せ!」 ハリケーン<魂>からの叫びに、ふたりの弁護士はもう何の言葉もありません。

― 遂に迎えた運命の日!

 1985年11月8日、<連邦地方裁判所>での判決の日。裁判長は、H・リー・サロキン判事。独房を出て裁判所に向かうハリケーンに、静かな声援を送る受刑者仲間たち。ハリケーンは、この日に全てを賭けていました。最終ラウンドに決着をつける日!

 マイロン弁護士が、まず弁論の口火を切ります。「 裁判長、私たち弁護人は、これまで19年間被告を弁護してきました。ルービン・カーターは、憲法で保障された公正な真実の究明を受けていません。・・・ 19年間も真実が隠されてきました。それは被告の目からだけでなく、正義の目からもです。」

 検察側はこの申立に対し異議を唱え、あくまでも<原則論>を主張して、裁判長にこの<再審請求書>を廃棄するよう求めますが、サロキン判事は、マイロンに注意を喚起したものの弁論の続行を認めます。

「 1976年に当局の調査員バービエリは、真相に気付き辞職しました。本件が、偽証に基づいていると知ったのです。偽証は、不当裁判を意味し、警察と検察当局の不正は明かです。」 後ろの傍聴席を振り返ったハリケーンデラ・ペスカの目が合った瞬間、ふたりの間に火花が散ります。・・・「 今、この不当なる偽証の壁が崩され、真相が証されますが、どうか十分なご検討をお願い致します。」

 裁判長は、弁護側の熱意に理解を示しつつも、検察側の主張の正当性を認め、弁護側に2つの選択肢の内、いずれか1つを選択することを迫ります。「 1つは、州の裁判所に差し戻して再度この証拠を提出すること。あるいは、このまま再審の審理を推し進めて、今回の<新証拠>を永遠に失うか!」 傍聴席がざわめきます。不安な面持ちのレズラたち。

 マイロンは、被告席のハリケーンと協議します。危険を承知でここまで来た以上、ハリケーンに迷いは全くありません。「 これが最後の闘いだ! 続けよう!」 ハリケーンの決意の固さを再度確認すると、マイロンが意を決して裁判長に審理の続行を求めます。

 裁判長は、再度被告側の意思を確認すると、いかにも驚いたといった表情で、弁論の続行を認めます。裁判長が審理の続行を拒否するものと高を括(くく)っていた検察側は、ここで慌(あわ)てふためきます。弁論を促す裁判長の言葉に、思わず笑みがこぼれるマイロン。

 その後は、レオンが弁論を引き継ぎます。「 この事件は、最初から偏見に満ちていました。証拠もなく、目撃者もなく、偽証ばかりです。そして、社会的な黒人差別の風潮! それを警察と検察当局があおったのです。そして、彼らは真相を知りつつもそれをねじ曲げて、無実の人間を刑務所へ送ったのです。」

 検察側の弁論は、明確な論拠を示すこともなく、ただ単にハリケーンは今でも社会への脅威であり、服役を繰り返してきた犯罪者だと主張するに止まります。もっとも、当局によってデッチ上げられた事件である以上、納得できるような証拠など初めから有る筈もないのですが・・・。

 最後に、ハリケーンは裁判長に発言の機会を求め、とても感動的なスピーチをします。彼は、まず静かに語りかけるように話し出します。「 私はかつて、プロのボクサーでした。私の仕事は、憎しみを燃やし、テクニックを身につけて相手を殴り倒すことで、これまでに何人も倒しました・・・ 」 ここで、裁判長は思わず身を乗り出し、彼の話に真剣に耳を傾けます。

 「 でも、この私は人殺しじゃない。・・・ これまで20年間も刑務所に入れられ、社会の敵とされて来ました。人間として扱われず、まるで物のように1日に15回数えられました。」 傍聴席のレズラたちは、固唾(かたず)を飲んで見守っています。不安げに目を閉じるリサ。

 ハリケーンは、さらに続けます。「 私は、正義を信じてはいますが、私に対して正義はなされていません!」 腕を組んで真剣な眼差しの裁判長。「 だから、新たな証拠を十分検討して頂きたい。真実や自らの良心に背いてはなりません。法を無視せず、法が仕えるべき崇高なる正義を大切にしてほしい! 正義、それが私の望みです。正義 ・・・!」

 法廷内は、静まりかえっています。堪(こら)えきれず、目に涙を浮かべるリサ。・・・ 裁判長は、重苦しく木槌をたたき休廷を宣言します。

※ この裁判の担当がサロキン判事に決まった時、ハリケーンたちは彼がこれまでに下した過去の<判決>を調べました。それで分かったことは、彼がこれまでに<人道的>とも言える数多くの判決を下していたことでした。彼は、正にハリケーンが求めていた<裁判官>でした。サロキン判事が温かい心の持ち主で、正義を愛する理性的な<判事>だったことは、ハリケーンにとって非常に幸運でした。 ( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 心は、すでに塀の外へ!

 裁判長が、別室で<新証拠>を詳細に検討している間、裁判所内の留置場でレズラと2人だけの、静かな語らいのひと時を過ごすハリケーン。おそらく、この時のハリケーンは、全力を出し切ってハードな試合を終えた後に自分のコーナーに戻り、審判長の<最終判定>を待っているような心境だったに相違有りません!

 鉄格子越しに、自販機のコーヒーをハリケーンに手渡すレズラ。彼が、今日この日を迎えることが出来たのも、レズラとの運命的な出会いがあったればこそ!「 色々と経験したな!」と、レズラに労(ねぎら)いの言葉をかけるハリケーン。「 ダメだったら僕が脱獄させる!」 ・・・ 思い詰めたように真剣な眼差しのレズラ。

 レズラが生まれて初めて買った本が、ハリケーン『 ザ・シックスティーンス・ラウンド 』でした。「 あれを偶然だと思うか?」「 ・・・ いいや!」「 私も同感だ!」 そこに、何かしら運命的なものを感じるふたり。

「 レズラは、聖書で"ラザロ"のことだ。『 死から甦った者 』だ。そしてルービンというは、創世記29章32節にその名前が出てくる。『 見よ、息子を 』の意味だ。2つをくっつけると『 死から甦った息子を見よ!』になる。・・・ これは、決して偶然じゃないぞ!」

 ハリケーンは、これが<神の導き>だったとでも言いたいのでしょうか ・・・?「 憎しみで投獄されて、愛が私を塀の外へ・・・ 」 <鉄格子>は、このふたりの間にはもう存在しません。「 愛でもダメなら、僕が脱獄させる!」 涙ながらに言い張るレズラに、さすがのハリケーンも吹き出してしまいます。この時既に、ハリケーンの心は<自由>になっていました。

― 最終ラウンドの判定は ・・・?

 サロキン判事が裁判長席に戻り、再び開廷を宣言。この日ハリケーンを裁判所まで護送して来たジミーも、判決を聞こうと傍聴席に姿を見せます。おもむろに眼鏡を取り出してかけ、ネクタイを直す裁判長。法定内の全ての視線が、裁判長の一挙手一投足に注がれています。緊張の一瞬! カメラは、不安を隠しきれない様子の検事席、固唾を飲んで見守るレズラたち、そして厳しい表情のデラ・ペスカを順に映し出します。

 裁判長が、静かながらも良く通る声で<判決文>を読み上げます。「 本法廷は、慎重なる判断をその旨とする。被告は、この法廷に証拠書類を提出し、人種差別と偽証および証拠の隠滅を強く避難した。だが一方で、被告は異なる2組の陪審員団に2度裁かれ ・・・ 」 論旨の意外な展開に、不安が胸をよぎるハリケーン!

「 2度とも有罪の評決を受け・・・ 」 裁判長の指摘に、我が意を得たりと強く頷くデラ・ペスカ!「 州最高裁もそれを支持した。」 不安が的中しそうで心配な様子のリサ!「 この調子だと彼は負けるわ!」お互いに顔を見合わせるリサレズラ

「 ・・・ だが、詳細なる証拠を見ると結論はおのずと明らかだ。被告への有罪判決は、人種差別を利用して下されたもので、社会の良識に反する。更に、証拠隠滅もなされていて公正とは言い難い。人種差別に基づくこのような判決を有効とすることは、これすなわち、合衆国憲法に抵触することである。」 カメラは、次第にハリケーンに寄って行きます。

「 被告は、この憎むべき不当裁判で裁かれて有罪にされたのだ。よって、当法廷はルービン・カーターを釈放とする。この釈放命令は、即日発効するものとする。」 その瞬間、思わず目を閉じるハリケーン!

― 遂に<正義>は実現された!

 傍聴席は、突然大きな歓声に包まれます。ハリケーンの肩を叩き、祝福するマイロン。しばらく、ジッと喜びを噛みしめている様子のハリケーン!傍聴席で抱き合って喜ぶレズラたち。騒然としている法廷で、裁判長の話を聞いている者など誰もいません。ひとり蚊帳の外に置かれた様子のサロキン判事は、静かに閉廷を宣言します。

 レズラに激しく肩を叩かれて、次第に喜びの実感が湧いて来るハリケーン!「 自由の身だよ!信じられる?」 後ろから抱きついて来たレズラの首に手をまわして、強く引き寄せるハリケーン!「 やったな、おめでとう!」 サムも彼に抱きついて来ます。両手で顔を覆い泣き出すリサ!

 肩を叩かれて慰められるデラ・ペスカは、無念で仕方ないといった様子。それまでハリケーンたちの喜ぶ様をジッと見守っていたジミーは、笑顔のまま1人静かに引き上げます。法廷内に湧き上がった拍手と歓声は、何時までも鳴りやみません。これまで共に闘って来た仲間たちがハリケーンのそばに集まって来て、何度も抱き合います。

 ハリケーンが釈放になったというニュースがローウェイ州立刑務所内の受刑者に伝えられると、ここでも大きな拍手と歓声に包まれます。そして、沢山のトイレットペパーや紙くずが刑務所内を飛び交い、ハリケーンを祝福する喜びであふれます。

※ 余談ですが、この映画の中で最大の盛り上がりを見せるこの感動的なシーンも、実際にはちょっと異なっています。この日の前日にハリケーンは、既にローウェイ州立刑務所内でこの朗報を聞いています。

 実際の経過を簡単に言いますと、1985年2月13日に彼の弁護団が合衆国連邦地方裁判所に請願を提出、同年7月26日に口頭弁論が開かれ、同年11月7日にサロキン判事の判事室で2人の弁護士に<裁定>が申し渡されました。そして、この<勝訴>の知らせは、裁判所の廊下に待機していたテリーから電話でハリケーンにもたらされました。これまで彼を支援して来た多くの人たちも、それぞれの場所でこの朗報を聞き、電話の前で涙を流したそうです。

 そして、実際に彼の保釈が認められたのは翌8日のこと。映画のシーンは、この日に弁護団がサロキン判事に対して行った<保釈申立>に対して、検察側が異議を申立て、それに対する<判決>が言い渡された時のものでした。検察側の異議を却下し、人身保護令状に基づきハリケーン<即時釈放>を命じる判決が言い渡されると、法定内には映画のシーンと同じように万雷の拍手と喝采が湧き上がったそうです。

※ なお、事件の夜、偶然ハリケーンと一緒にいた為に<有罪判決>を受けたジョン・アーティスは、トレントン州立刑務所から80マイル離れた、鉄格子も壁もない<受刑者農場>に15年間収監された後、これより早く1981年12月22日に仮釈放になっています。1975年に彼らの<釈放運動>が最高潮に達していた頃、彼は刑事に「 事件が起きた時にハリケーンと一緒に『 ラファイエット・バー 』にいて、ハリケーンがやったと認めれば釈放してやる 」と取引を持ちかけられましたが、全く応じなかったそうです。その意味では、彼も真の<ファイター>でした。( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

― 第16ラウンド、勝利は彼の手に・・・

 釈放されて自由の身となったハリケーンが、裁判所の建物から出て来ると多くの報道陣に囲まれます。その時彼は、神の声にも似た<雷鳴>を聞いたような気がして、ふと空を見上げます。<ハリケーン>を思わせるような分厚い雲に覆われた冬空に、一条の光が差しています。長い年月独房の中に閉じ込められていた彼が、このように空を見上げたのは、いったい何時のことだったのでしょうか ・・・?

「 これからもずっとハリケーンのままですか?」 記者の発した質問に、かれは微笑んで答えます。「 俺は、いつでもハリケーンだ!・・・ ハリケーンは美しいから 」一体どういう意味なのでしょうか ・・・? 最初の<ハリケーン>は、言うまでもなく<ファイター>としてのハリケーンのことですが、後のそれは、いま見上げた空のことを意味しているのでしょうか ・・・?

 再びモノクロ画面。リング上のハリケーンの両手が高々と掲げられ、勝利が宣せられます。場内は、割れんばかりの歓声に包まれ、彼の顔に大きな微笑みが ・・・ 。

※ なお、この裁判が完全に終結するには、あと2年余の歳月を要しました。

1985年12月19日 ― 合衆国連邦上訴裁判所の第3区連邦控訴裁判所において、検察側はカーターは危険人物であり、係争中は収監すべきだと主張。

1986年1月17日 ― 合衆国連邦上訴裁判所は、州の主張を却下し、カーターは自由の身となる。

1987年8月21日 ― 合衆国連邦上訴裁判所は、サロキン判事の<有罪判決破棄>の決定を支持。

1988年1月11日 ― 合衆国連邦最高裁判所も、州の上訴を却下、先の<サロキン判決>を支持。

1988年2月19日 ― パセイク郡検察局は、第三審を求めない旨を発表し、1966年の起訴を取下げる。

1988年2月26日 ― パセイク郡判事が正式に起訴を却下。遂に22年間続いた<裁判闘争>に終止符が打たれる。

※ ハリケーンは、この年の2月29日にニューヨークのホテルでとても感動的なスピーチをしていますので、ちょっと長いですがその一部をご紹介します。

 「 ・・・ いまわたしたちはその戦いに勝ったばかりです。第16ラウンドがついに終わったのです!・・・ ニュージャージー州は、起訴内容および正式起訴の却下に納得したようです。・・・ しかしご報告できてうれしいことに、彼らはそのときも死刑判決を引き出せませんでした。そのかわり、彼らは生き地獄にわたしを落としました。・・・ 刑務所は、人間にとって大事なものをすべて台無しにします。家族をばらばらにし ― わたしの家族もばらばらにされました! 人の尊厳や誇りをここで言うこともできないほどさまざまな方法でうち砕き、それがわたしにはほんとうにつらかった。しかもわたしは自分が無実であることを知っていたのです!」

「 ・・・ あるとき、わたしはチャンピオンを争うプロボクサーでした。つぎの瞬間、そしてそれからの20年間、わたしは3人の殺人犯としてののしられ続けました。それからつぎにはあやまって投獄された無実の男になったのです。さて、こうした事実をわけがわかるように説明できるものなら、やってみてください。とてもわたしにはできません。あまりにめちゃくちゃすぎて!」

「『 ルービン、怒っていないの?』 その質問に答えて、わたしはこういうでしょう。結局何もかもすんだことだと。29歳から50歳までの、わたしの人生のもっとも生産的な時期が奪われたという事実、自分の子供たちの成長を見守ることを許されなかったという事実からすれば、わたしには怒る権利があると思いませんか? 実際のところ、怒るのはとてもたやすいことです。」

「 ・・・ わたしが人生で学んだことが何もほかにないとしても、怒りはそれを抱いた人を疲れさせるだけだということは学んできました。だからわたしにとって、怒りに人生を任せたり汚染させたりするのは、わたしを投獄して22年以上もの歳月を奪った連中に、さらにわたしの人生を蹂躙(じゅうりん)させるにひとしいのです。いまわたしが怒りに身を任せたら、彼らの犯罪に加担することになるのです。わたしがそれに屈すると思う人がいたら、まだ未熟で、経験不足だと言わざるをえません。」( 前掲『 ザ・ハリケーン 』)

 最後のシーンで、本物のルービン・ハリケーン・カーター<チャンピオンベルト>を両手で高々と掲げて、満面に笑みを浮かべている様子が映し出されます。1993年12月に世界ボクシング評議会(WBC)は、<えん罪>の為にボクシング界を追われたハリケーンに対して、世界ミドル級チャンピオンの<ベルト>を授与し、終身名誉チャンピオンに認定。この栄誉が現役を退いた者に贈られたのは、彼が初めてでした。

 

☆ ☆ ☆ それぞれが真の<ファイター>として ・・・!

 この映画を見て、私が強く感じた事は「 正義の実現無くして、真の<法の執行>たり得ない!」と言うことです。それは、単に<権力>の恣意的な濫用(らんよう)に過ぎないからです。そして、このような行為を監視する立場の<裁判官>が、それに与(くみ)した時、この世は無法地帯と変わります。それが不幸にも現実となってしまったのが、このハリケーンアーティスのケースだったと言えるでしょう!

 <えん罪事件>は、ひとたびそれが発生するとその被害者に多大の犠牲を強いることになります。ハリケーンは、人生の1番大事な時期を獄中で過ごすことになった上、刑務所内の病院で受けた<網膜剥離手術>の術後処置が悪かった為に右眼を失明してしまいました。また、アーチィスも刑務所内で不治の<循環器系障害>を患い、手足の指の何本かを失ってしまったそうです。

 ふたりは、文字通り満身創痍(まんしんそうい)となりながらも巨大な<権力機構>に敢然と立ち向かい、最後には勝利を手にしました。しかし、彼らの場合は全く希有なケースだったと言えるでしょう! 大多数の人は、<えん罪>の汚名を着せられたまま、無念の涙を飲んでいます。

 この世には、<布川事件>をはじめ数多くの<えん罪事件>が現実に存在します。そしてその多くは、ごくごく一般の人がある日突然に巻き込まれてしまったものなのです。このように危険に満ちた時代だからこそ、私たち1人1人がハリケーンのように勇敢な<ファイター>であることを求められているのです!

( 2003. 1  T.Mutou )

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