あなたは 名探偵  ― 布川事件を推理しよう!


第3回 ・・・ <謎の殺害方法

 お陰さまで、このコーナーもなんとか第3回目を迎えることが出来ました。ご声援、ありがとうございます!

 さて、
「 私の疑問は、皆さんの疑問(?) ・・・ 」と、勝手に思い込んでいる私が選んだ次なるテーマは、玉村さんの<殺害方法>についてです。

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 それでは、まず<布川事件>の<検証調書(昭和42年8月30日)をご覧下さい!

 死体発見時の玉村さんの様子は、検証調書によれば次のように記載されています。

「 8畳間の東南隅で、押入のほぼ中央前方の巾広のV字形に落ち窪んだ畳の上に、被害者の玉村象天(たまむらしょうてん)が木綿の半袖シャツ、カーキー色ズボン、緑色地に濃い黄色の縞模様靴下をはいて、頭部を北東方に足を逆くの字形に曲げて西南方に向け、左側を下にして、体を東南方に横に向けて死亡していて、・・・ 右腰の上にチョコレート色地に黄色の格子模様敷布団の一端を折り曲げ、三角形の頂点が背部になるような形で無雑作に載せてあり、右肩の上には背部から白開襟シャツがかけてある。」

現場見取図

 左図は、検証調書添付の現場見取図です。

 少し見づらいですが、図面左上が玉村さんが殺害されていた8畳間。押入は、この図の中央右寄りに位置しています。

 玉村さんは、この図のほぼ中央に頭を押入の方に向けて身体の左側を下にして横向きに倒れていました。

 そして、その遺体を隠すようにチョコレート色地に黄色の格子模様の敷布団が被せてありました。

「 ・・・ 左肩および腰部は着衣が赤褐色に濡れていて、腐敗のため全身膨満し、皮膚は濃い青銅色を呈し、口には血痕で赤褐色に濡れている木綿パンツが半分位押込んであり、前頸部には白木綿パンツが巻いてあって、右側は耳の下に達していて、死因は窒息死と思料される。」

「 左右の足は逆くの字形に曲げていて、・・・。 足首には、・・・ 黒い斑点のついている白ワイシャツを1巻き巻いて、こま結びに結んであり、その下に長さ1.05mのタオルを2巻き巻いて、一重結びに結んである。」

― これらの文章を読んで、何んか不思議な気がしませんか ・・・? 

 つまり、<殺人>なのですから「 頸に白木綿パンツが巻き付けられていた 」というのは納得出来るんですが、「 足首に白ワイシャツを1巻き、その下にタオルを2巻き巻いてあった 」という点が、どうも私には腑(ふ)に落ちないのです。というのは、『 足首を縛る 』という行為は<身体拘束行為>であって、<殺害行為>である<絞殺>とは一線を画す全く別な行為だからです。

 実際のところ、殺人事件を扱った書物を何冊か読んでみましたが、被害者が手足を縛られていたというケースは本当に稀でした。とても全ての事件を調べ尽くすことはできませんでしたが、私が調べた143件中には、死体を処分するために縛ったものを除くとわずか2件しかありませんでした。その1つは、昭和28年3月に栃木県で起きた殺人事件で、この時は犯人が偽装工作のために殺害後両手足を縛ったものでした。そして、もう1つは比較的最近の事件なのでご記憶ある方も多いと思いますが、平成7年7月に八王子市のスーパーマーケットで起きた事件で、このケースでは殺害された3人の女性のうち2人(何れも女子高生)がお互いの両手首を粘着テープで縛られた上、口を塞がれていたというものでした。

― では、<布川事件>ではどうだったのでしょうか ・・・?

 昭和42年12月に作成された茨城県警の嘱託医・秦医師による鑑定書には、次のように記載されています。

「 左右下肢は左大腿前面に於て青銅色をまじえたる暗赤色、右大腿上部内面暗赤色、脛骨前面淡青銅色を呈する他一般に蒼白色を呈し、左右下肢足関節直上部に於て左右下肢を緊縛せる布様物を認む。同緊縛はタオル状の物にて二重に緊縛し、外踝部前面上部にて1回の結節をなし、更に同緊縛上部を白色布様物(白色ワイシャツ)にて前記緊縛を補強状に一重に緊縛し、前記緊縛結節と略々同一ヶ所に於て2回の結節をなす。その緊縛の度合は強度にして両下肢の屈伸のみにて緊縛を排除することは至難なり。」

 ご覧の通り、この文章には両足首を縛ったのが<殺害前>なのか、<殺害後>なのかという点について明確な記述はありませんが、文脈から察するに<殺害前>に縛られたもののようです。<布川事件>には、他に千葉大名誉教授の木村康氏による意見書がありますが、鑑定事項に無かった為か、やはりこの点には触れてはいません。

 もし、<殺害前>に縛られたものだとすると、それには何らかの意味があった筈です。先に記載した八王子の事件では、その状況からみて、犯人はそのスーパーの女性従業員を刃物で脅して金庫を開けさせようとして、その間逃げ出さないように2人の女子高生の手首を粘着テープで縛ったものと思われます。結果的には、酷(むご)いことに3人とも口封じの為に拳銃で殺害されてしまいましたが ・・・。

― それでは、以上の点を踏まえて布川事件の<殺害方法を考えてみたいと思います。

 まず、捜査当局が玉村さんの<殺害方法>をどう捉えていたかについては、起訴状の記載を見れば分かります。それには、次のように記載されています。

「 ・・・ 共謀のうえ同日午後9時頃同家八畳間において、同人を仰向けに押し倒し馬乗りになって押えつけ、タオルおよびワイシャツで両足を緊縛(きんばく)し、口に布を押し込んで閉塞し、頚部(けいぶ)に布を巻き両手で扼(やく)し、よってその場において同人を気管閉鎖による窒息死にいたらしめてこれを殺害 ・・・ 」

 <一審判決が認定した事実もほぼ同様で、次のように記載されています。

「 ・・・同日午後9時ごろ、同人方八畳間において、両名が同人を仰向けに押し倒し、被告人杉山がその上に馬乗りになり、被告人桜井が同所にあったタオルおよびワイシャツで同人の両足を緊縛(きんばく)し、被告人両名が同人の口の中に同所にあった布を押し込み、被告人桜井が同人の頚部(けいぶ)に同所にあった布を巻きつけてその上から両手で喉を強く押して扼(やく)し、よって、即時同所において同人を気管閉鎖による窒息死に至らしめてこれを殺害し、・・・ 」

 これらの文章から分かるように、両足首を縛ったのはやはり<殺害前>だと考えていたようです。

― しかし、何んだか<殺害手順>が変だと思いませんか ・・・?

 なんで一気に殺害しないで、両足を縛る必要があったのでしょうか? 玉村さんの上に馬乗りになった杉山さんが、そのまま絞殺(こうさつ)、ないし扼殺(やくさつ)すればそれで事は足りる筈です。大体において、当然玉村さんは必死になって暴れている筈で、その暴れている人の両足を縛るのはかなりの困難を伴います。増してや、ロープじゃなくて<タオル><ワイシャツ>ですからネ ・・・!

 それに、これは ― 桜井さんと杉山さんが犯人じゃないので ― 当然と言えば当然なのですが、<起訴状>ないし<一審判決>の文章からは具体的な<殺害方法>が生々しい現実感を伴ってこちらに伝わって来ません。つまり、まず「 両足を緊縛 」して、次に「口に布を押し込み」そして最後に「 頸部に布を巻き付けて 」から、「 手で扼(やく)して 」殺害したことになっていますが、それぞれの行為がまるでバラバラで、一連の<殺害行為>にはなっていないのです。 ― これは、ただ単に現場の状況に合わせて供述書が作られた為なのでしょう!

 くどいようですが、結局最後は「 手で扼して 」殺害したのですから、何んのために「 両足を緊縛 」「 口に布を押し込み 」そして「 頸部に布を巻き付け 」たのでしょうか・・・?

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 ※ 勿論、この事件が<強盗殺人事件>だったということを忘れたわけではありません!

 テレビドラマの<強盗事件>のシーンでは、ふつう被害者の手足を縛っておいて「 おいッ、金を出せ!」ってやるんですよネ ・・・? 言ってみれば、典型的な<強盗の手口> ・・・。

 ただ、<強盗事件>を大きく2つに分類すると、@ 最初から<強盗目的>で犯行におよぶ場合と、A 殺害後に金品を奪うような場合 ― いわゆる<事後強盗>とになるかと思います。

 <布川事件>に話を戻しましょう! 起訴状にはこう書いてあります。

「 ・・・同人に対し借金を申し入れたところ同人から全く相手にされず、これを拒否されたためこれに憤慨し口論となり、その様子を右勝手口の外から目撃した被告人杉山においても右玉村の態度に憤慨して屋内にあがり込み、右玉村に対し借金の申し入れに応ずるよう申し向けたが、却って帰れと拒絶されて益々憤慨し、ここにおいて被告人両名は金欲しさの余り、この際むしろ同人を殺害してでも現金を強取しようと決意し・・・ 」となっています。

 この文章から読みとれることは、桜井さんと杉山さんは最初から<強盗目的>で玉村さんを訪ねた訳ではなく、玉村さんの態度に憤慨して<強盗>に早変わりしたということです。前回、一度拒絶されて<栄橋の付近>に引き返して相談した時に、<強盗の相談>までした訳ではなく、この時になって「 あ・うん 」の呼吸で<強盗の意思>がまとまったとでも言うのでしょうか ・・・? ― とても不自然な気がします!

 この場合は、むしろ「 玉村さんの態度に逆上して殺害してしまった 」とした方が筋が通るとは思いませんか ・・・?

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― ところで、玉村さんの死因は何だったのでしょうか・・・?

 先の秦鑑定書によると、死因は「 本屍口腔内に圧迫挿入されたる処の異物(布様物)により惹起された気管閉鎖による窒息死 」となっています。

 また、平成13年8月6日に作成された千葉大名誉教授の木村康氏による<意見書(新)では、死因は「 布片を頸部に一巻き纏絡(てんらく)して絞頸(こうけい)したことによる窒息死であり、「 口腔内に布片をきつく挿入した 」のは最後の「 とどめ 」で、「 扼頸(やくけい)の所見はない 」としています。

 このように専門家による<鑑定意見>は分かれていますが、少なくとも「手で扼(やく)して」殺害したのではないようです。

 なお、ご存じない方のために<絞頸(こうけい)<扼頸(やくけい)の違いについて簡単にご説明しておきます。

 一言で言えば、(ひも)などで首を絞めるのが<絞頸>で、手又は指で首を絞めるのが<扼頸>ということになります。一見似ていますが、<扼頸>の場合は、首にある甲状軟骨や舌骨に骨折が見られるのがその特徴で、<絞頸>の場合には、どんなに強く首を絞めてもこれらの骨折は起きません。逆に<絞頸>の場合は、首に<索溝(さくこう)ないし<索条痕(さくじょうこん)と言われているものが残っていることが多く、これらがない場合でも、瞼(まぶた)の裏に<溢血点(いっけつてん)が出ているというのがその特徴です。( なお、溢血点とは小さな点状の出血をいいます。)

― 因みに、この点について秦鑑定書には次のように記載されています。

「 前頸部に於て頭部より約5.0cm の処に横に走る表皮剥脱創を存す。・・・ 同創より約3.0cm 左側頸部に略々平行に走る前頸部より頂部に向う処の3本の表皮剥脱創を存し ・・・ 」

「 右側に於て瞳孔の透見は至難なるも右眼球角膜に出血を認め、右眼瞼(上下共)並びに眼球結膜全体に出血斑を認む。左眼球眼瞼結膜に於て充血並びに溢血点(いっけつてん)を認めず。」

 以上のように、左右の眼球・眼瞼には相違があるものの、前頸部に1本、そしてその左側には3本の明らかに<索条痕(さくじょうこん)と思われるものが存在しています。しかし、甲状軟骨や舌骨の骨折という所見はみられません。

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 ☆ このコーナーでは、これまでに第1回事件当日の玉村さんの行動を推理し、そして第2回では犯人の侵入口を推理して来ました。そこで今回は、その後の事件の経過を推理(?)してみましょう ・・・!

 その日、時間は不明( 玉村さんがパチンコ店に閉店までいたとしたら、午後10時半頃でしょうか?)ですが、玉村さんが帰宅した時には、既に犯人はスペアキーを使って勝手口から侵入していました。その勝手口の前に自転車を止めて、慌てて<8畳間>に踏み込んだ玉村さんが見たものは、かねてから顔見知りの ・・ が金品を物色しているところでした。

荒らされたロッカー

荒らされた机

 ここで玉村さんは、当然犯人に激しく詰問したか、あるいは口汚く罵(ののし)ったのかもしれません。もしくは、カッとなった玉村さんが犯人に殴りかかったとも考えられます。犯人は、予想外の展開に一瞬ひるんだものの直ぐに立ち直り、当然その攻撃に対して猛烈に反撃したのでしょう ・・・! しかし、玉村さんも62才とは云え日頃から力仕事(大工)をしていましたから、当然それなりに膂力(りりょく)があった筈で、そう簡単には負けなかったでしょうネ ・・・!

 このようにして<激しい乱闘>になったことは、容易に想像がつきます。この点について、先の検証調書には次のように記載されています。

「 (4畳間の)西側の2枚の畳の上には、8畳間と仕切りのクモリガラス8枚の入った腰板付のガラス戸2枚が上框(うえがまち)を南側に、下框(したがまち)を北方に向けて上框の方を開いて倒れていて、東側へ倒れたガラス戸の下に扇風機1台が、上部を南側に羽を上方に向けて倒れていて、扇風機の接触している部分のガラス1枚と上方のガラス2枚は割れて、畳やベニヤ板の上に破片が散乱していた。」

「 ・・・8畳間の衣類等の散乱の状況および4畳間へ倒れたガラス戸の状況等から、被害者玉村象天は相当抵抗したものと思料される。」

4畳間ガラス戸

 手前が<4畳間>で、奥の部屋が<8畳間>です。左の写真でも分かるように、ガラス戸2枚が横倒しになっています。

 そして、扇風機が1枚のガラス戸の下敷になっていて、その接触部分のガラス1枚と上方のガラス2枚が割れていました。

 もう1枚のガラス戸は、横に立てかけたようになっています。

― 但し、この現場の散乱状態について、一審判決では次のように認定しています。

「 ・・・ 被告人桜井昌司が捜査段階で最終的に説明するところは、まず相被告人杉山が外側(東寄)のガラス戸の下を蹴ったら大きな音がしたので、ガラスが割れたように思った、自分は内側(西寄)のガラス戸を外したが、その時(八畳間の)被害者にかけた布団が邪魔になった、自分は外したガラス戸を(八畳間の)隣の室の柱かどこかに横にして立掛けたが、急いでいたので、何かにぶっつけたかどうか記憶ない、その時には杉山は外側のガラス戸を未だ外ずしてなく、自分が便所へ入ってから、ガラス戸のあたりで大きな音がした ・・・。」

「 ・・・ 被告人らの意図は単にガラス戸を外して、他の者の犯行のように見せかけようとしたものであって、ガラス戸のガラスを割ることまで予め意識していたとは認められず、・・・ 故意にかような騒音を立てたものではない。また、かような方法が犯行を晦ますのにどの程度有効かは別問題として、被告人らが急いでいたにせよ、さような考を持ったこと自体は異とするに足らず ・・・。」

 要するに、現場の状況は桜井さんと杉山さんが<偽装工作>したものだということですが、この点については布川事件の弁護団は、岐阜工業高専の新井教授と東京理科大工学部の直井教授等に依頼して<ガラス戸実験>を行っており、それらによればガラス戸の破損は<偽装工作>によるのではなく、むしろ<格闘行為>によって生じたと考えた方が合理的だとの結論に達しています。( なお、この実験の模様はビデオに撮影してあります。)

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― では、その後の事件の展開を考えてみましょう ・・・。

 玉村さんと犯人は、激しく揉み合って8畳間4畳間との境の<ガラス戸>に激突します。この時<ガラス戸>2枚がレールから外れて4畳間の方に倒れ、ガラスが3枚割れました。しかし、現場に血痕が残っていなかったことから、ふたりは<ガラス戸>と一緒に倒れて怪我をするようなことはなかったのでしょう。

 その後、ふたりは揉み合ったまま8畳間中央の方に戻り、そしてもつれ合って押入の前に激しく倒れ込みます。この時は、恐らく玉村さんが下になっていたのでしょうネ ・・・? あるいは、犯人が咄嗟(とっさ)玉村さんを柔道の技で投げ飛ばしたとも考えられます。

 何れにしても、その為に玉村さんは後頭部を畳に激しく打ち付けて<脳しんとう>を起こしたか、犯人の肘で胸を強打されて<気絶>したのではないでしょうか ・・・? 秦鑑定書には、「 右前胸部に於て圧迫創と思考される皮下出血部を存し、その範囲は径約9.0cm を算す。」と明瞭に記載されています。

 また、検証調書には、「 ・・・ 死体のあった位置の床は落ちて、畳は巾広のV字形に落ち窪んでいて、・・・。(その)落ち窪んだ畳を取り除くと、・・・ 床板は ・・・7枚が、ほぼ中央から不正形に割れて、(その下の)根太掛は ・・・ 4つに折れ(ていた) 」と記載されていることから、その激突の激しさが如何(いか)に凄(すさ)まじかったかが窺(うかが)われます。

 私が想像するに、この後犯人は、V字形に落ち窪んだ畳の狭間で失神状態の玉村さん両足(そして恐らくは両手も)縛り、口にパンツを押し込んだのではないでしょうか ・・・?

 ここで、玉村さんの死体が縛られていたのは<両足>だけで、<両手>まで縛られていなかったじゃないかと思われた方もいらっしゃるかと思いますが、ご存じの通り<両手>を縛るのは、かなり技術の要る難しい作業なのです。それも<ロープ>じゃなくて白木綿パンツでは ・・・。

 そうです、私はに巻かれていた<白木綿パンツ><両手>を縛っていたのではないかと考えています。しかし縛り方が悪かったので、恐らく気絶状態から醒めた玉村さんが動いた時に解(ほど)けてしまったのではないでしょうか ・・・?

 秦鑑定書に記載されていたこの部分、つまり「 右上肢手背腕関節部に於て皮下出血部を存し、その範囲は径約3.0cm を算する。」というのが、その縛られていた跡ではないかと思います。

― では、なぜ犯人はその場ですぐに玉村さんを殺害せずに縛り上げたのでしょうか ・・・?

 これは全くの私の想像で、なんの<根拠>もないことを先にお断りしておきます。私がこの数ヶ月(?)ずっと考えて来て達した結論は、犯人はこの時点ではまだ<目的のもの> ― つまりお金(?) ― を発見していなかった(?)からなのではないか、ということです。 ― それ以外の理由は、とても考えられません。

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― ところで余談ですが、私がここまで犯人を<単独犯>のように書いてきたことにお気付きになられたでしょうか?

 ・・・ そうなのです。今では確信に近いものがあります。何故なら、このような現場の状況が<偽装工作>によって作られたものでないとしたら、恐らくここまで部屋がメチャクチャに破壊されなかったと思われるからです。つまり<複数犯>の場合なら、ひとりが玉村さん<羽交い締め>にしている間に、もうひとりが易々と玉村さんの抵抗を奪うことが出来た筈です。現場がこのように散乱した状態になったのは、玉村さんと犯人との力の差が余りなかったからなのではないでしょうか?

― では、話を戻してその後のストーリーを追ってみましょう!

 玉村さんを縛り上げた犯人は、再び<目的のもの>を探し始めます。しかし、なかなか見つかりません。・・・ どの位時間が経過したのでしょうか? その内、気絶状態だった玉村さんも覚醒します。そして、自分が縛られていることに気付き、慌ててふり解(ほど)こうと藻掻(もが)きます。

 <両手>白木綿パンツは直ぐに解(ほど)けましたが、<両足>ワイシャツタオルで2重にきつく縛られていたので解(ほど)けません。それで、上体を起こして口に詰め込まれていたパンツを取り出そうとした時に、犯人に気付かれてしまいます。犯人は、片手で玉村さんの額を畳に強く押し付け、もう一方の手で再度玉村さんの口にパンツを猛烈にねじ込みます。

 秦鑑定書に記載されていた「 顔面部に於て頭部より左右頬部にかけ・・・弓状を形成せる圧迫創と思考される創傷 」というのは、その時犯人が玉村さんの頭を畳に押し付けた手によって出来た傷跡なのではないでしょうか ・・・?

 玉村さんは、苦しさの余り身を捩(よじ)って必死に抗(あらが)ったものの、犯人の魔手から逃れられずに気管閉鎖によって窒息状態になります。そして犯人は、その時もう既にぐったりとして横向きになっていた玉村さんの頸<白木綿パンツ>を巻き付けてトドメに<絞殺>・・・。

 私は、恐らくこれが事件の真相に近いのではないかと考えています。ズブの素人の私が、専門家の意見に口を差し挟むようで誠に心苦しいのですが、<最後のトドメ><絞頸>だったと考えた方がより筋が通るような気がします。

 前述の木村意見書(新)「 口部周辺や口腔粘膜に粘膜剥離や粘膜下出血がない 」との指摘がありますが、その<異物である布片>が既に口の中に押し込まれていたものだったとしたら、それも首肯し得るのではないでしょうか ・・・?

 一般的に言って、「 殺害を目的として被害者の口に布片を押し込む 」ということは、ちょっと考えられません。殺害方法には、刺殺、銃殺、撲殺、絞殺、扼殺、毒殺等々といろいろありますが、少なくとも私が調べた143件の殺人事件にはそのような殺害方法は1つもありませんでした。通常は、被拘束者に大声を出させないようにする<猿ぐつわ>と考えるのが妥当な線だと思われます。

 これが、私がない頭を絞って考えた<玉村さん殺害>ストーリーなのですが、いかがでしょうか? 自分では、そんなに的はずれな推測ではないと思うのですが・・・。

 犯人が玉村さん<殺害>してまで手に入れたかったもの ― お金(?) ― は、恐らく「 (8畳間の)押入の南西隅の床下 」に取りつけられていた<長方形の木箱>の中にあったのでしょう。犯人がそれを発見したのが、<殺害前>だったのか、それとも<殺害後>だったのかは不明ですが、いずれにしても警察の<現場検証>の時にはその箱は空でした。

床下の箱

 左の写真は、玉村さんが倒れていた押入前の巾広のV字形に落ち窪んでしまった部分です。

 この写真では、とその上に敷いてあったウスベリを取除いてあります。

 ちょっと分かりづらいのですが、押入の床下に<長方形の木箱>の一部が見えています。

― ここまで考えて来て、まだひとつ納得のいかないことがあります。

 それは、玉村さん<大工道具>は居宅の廊下に置いてありました。つまり、<殺害する道具>には事欠かなかった筈なのに、何故それを使わなかったのか ・・・?

 なお、この点については次のような指摘もあります。

 経験豊富な元刑事の話として、「 おれが扱ったコロシも、絞殺が多かった。・・・ いちばん多いのは着物や寝巻、パジャマのヒモ、ズボンのベルトなどだろう。日本人の暮しに身近な道具なんだよ。そういえば、ヒモを用いた殺人には "顔見知り" "血縁者" "夫婦" が犯人というのが多い。」「 ・・・ それで思い出したが、『 死体に毛布や布団をかけてある殺人事件 』も殺人者はたいてい身内か顔見知りだそうだ。」( 岩川隆著『殺人全書』光文社・知恵の森文庫 )

 もしかして、<真犯人>玉村さんのかなり身近にいた人物だったという可能性も ・・・?

― さあ、貴方ならどんな推理をされますか ・・・?

 ※ 貴方の名推理をお聞かせ下さい。 →   ポスト

( 2001. 12  T.Mutou )

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