10
第10話:1年目 Test Run 1。

 吸い込まれそうな真っ青な空が頭上に広がっている。
 周りを囲む山々も深い緑に包まれ、数え切れないセミの群が一斉に夏を歌っている。
 裾野に広がる大海原の水平線の向こうにはのんびりと大きな入道雲が横たわっている。
 「いやぁ、すっかり夏だなぁ、公人」
 アスファルトの照り返しがひどく暑い。
 クーラーの効いたクルマからではその熱気に多少嫌気がさすものの、好雄としては夏の暑さは嫌いではない。
 助手席から降りた好雄は今まで狭い中にいたうっぷんを晴らすかのように大きく伸びをした。
 そうしているうちにクルマのエンジンが止まり、運転席からは公人が降りてきた。
 「あっちーなー。なんか海でも行きたい気分だな」
 「あー、海いいねえ。水着のお姉ちゃん見てるだけでも暑さゆるせちゃうなぁ」
 「よく来たわね、高見君。待っていたわよ」
 2人の会話にいきなり横槍を入れてきた者がいた。紐緒だ。
 
 今日、公人と好雄は先週誘われたConquest Racingのマシンテストを見学しに、ここGrand Valley Eastコースに来ていた。
 ちょうど到着して駐車場で一息ついていたところを紐緒に見つかったと言うわけだ。 
 「あ、えーとConquest Racingの方ですか?」
 公人が尋ねると
 「そうよ。私は紐緒結奈。このチームでチーフメカニックをやっているわ。さ、こんなところで自己紹介なんて時間の無駄だから、私についてきなさい」
 言うが早いかさっと身を翻すとそのままピットの方に向かって歩き始めた。
 今の紐緒はなんとなく機嫌が悪い。公人が今日来ないことを期待し、考えていた公人を呼び出す「策」を使ってみたかったからだ。
 「あ、ちょっと待って」
 あわてて後を追う2人。
 「なんかちょっと怖い感じのひとだな」
 小声で好雄が公人に話しかける。
 「そこのおまけの人、聞こえてるわよ」
 公人が答えるより先に紐緒が好雄をにらみつけた。
 案外地獄耳である。

 「あ、ホントに来てくれたのね。うれしい。今日はゆっくりしていってね」
 ピットに着く早々、公人たちに虹野が駆け寄ってきてうれしそうにそう言った。
 ほとんど表情を押し隠したような紐緒と違って、本当にうれしそうな顔をしている。
 「あ、うん。どうもありがとう。で、早速だけどテストするマシンってどれ?」
 公人も早くクルマが見たくてうずうずしていた。
 挨拶もそこそこにあたりをキョロキョロし始めている。
 レースカーと聞くと黙っていられないようだ。
 「あ、そうね。じゃあ一緒に行きましょうか」
 そう言うと虹野はテストマシンのところまで案内を始めた。
 さすがに紐緒みたいにいきなり身を翻して先に行ってしまうと言うことはない。
 「今日はね、全部で3台テストするの。ホントは2台だけだったんだけど、昨日ようやく最後の1台が上がってきたから」
 歩きながらそう説明する。
 今日テストするのはFF車1台、FR車1台、4駆車1台だと虹野は説明した。
 FF車はクラブマンカップに、FR車と4駆車はGTカップ用に開発していたものだ。
 現在これ以外に2台が改造中で、今日は持ってきていないがもう一台GTワールドカップ用にセッティングを続けているマシンもある。
 もちろん1つのレース専用と言うわけでは無く、各種イベントレースにも出場させられるようにしてある。
 今日持ってきている3台のうち、4駆のクルマだけがなかなか出来上がらず、昨日の夜にようやく動く状態になったので、今日一緒にテストすることになったという話だった。
 3台のクルマはピット出口手前でエンジンをかけて待機していた。
 その音を聞くだけでも、エンジンや給排気系にかなりのチューニングが施されているのは間違いなかった。
 自分が乗るわけでもないのに、公人は子供のように胸をわくわくさせていた。

 「へえ、シビックTypeRとNSXとR33スカイラインGT-Rか…。どれもいいクルマだよな、って虹野さんFRのクルマってどれ?」
 停まっているクルマを見ながら公人が尋ねた。確かにこのクルマの中にはFR車はいない。
 「え? あのNSXとか言う平たいのがそうじゃないの?」
 不思議そうな顔でNSXを指さす虹野。きょとんとした顔で公人の顔を見返す。
 「紐緒さんは後ろのタイヤが回るって言ってたけど、それがFRって言うんじゃないの?」
 「いや、後輪が回るだけじゃなんとも…。多分エンジン位置動かしてなかったら後ろにエンジンあると思うんだけど」
 「え? それじゃトランクなくなっちゃうんじゃない?」
 素直に驚く虹野。
 「無くは無いんだけど」
 どう説明しようかと考えながら苦笑する公人。そうしているところへ
 「なにをさっきからごちゃごちゃ言っているの。気が散って仕事が出来ないわ」
 スカイラインの向こうから紐緒がいらついた様子で近づいていた。
 「ごめんなさい。ちょっとNSXのエンジンが後ろにあるって聞いて」
 おずおずと虹野がそう言うと
 「後ろよ。ちなみに言うとフロントにも駆動を与えてるわ。ふふ、ミドシップ4駆よ。面白そうだと思わない、高見君?」
 いきなり公人にも話が振られた。
 「え? あ、そうだね。面白そうだとは思うけど」
 それは邪道じゃないか、とつけ加えたかったがなんとなく言った後のことを想像すると言えなかった。
 「けど、何?」
 結構しつこい紐緒。語尾が気に入らなかったのか公人をにらんでいる。
 「あ、いや、何でもないです」
 「ちょっと反則的な事だけど、だからこそこのテストが意味のあることなのよ。まあいいわ。後でゆっくり乗って貰うから、感想はその時にでももう一度聞かせて貰うわ。ふふ、今日は歴史的な日になりそうね」
 そう言って肩で笑いながらピットの奥に消えていく紐緒だった。
 「乗って貰う?」
 ぼそりとさっき紐緒が言った言葉を繰り返す公人。
 今日は見学のつもりで来ていたので何の準備もしていない。
 無装備でレーシングカーに乗ることは非常に危険だし、他人のヘルメットはなんとなく気持ちが悪い。
 虹野に向き直って「どう言うこと?」と聞いても、虹野自身もそんなことは考えてもいなかったので返答のしようがない。
 「うーん、紐緒さんの考えたことだから…」
 と言うのが精いっぱいだった。
 ただ、こう言われて公人もなんとなくは理解出来たようだ。
 「どっちにしろ、オレ今日何の準備もしてきてないけど」
 「もちろんそれは判ってるんだけど。でももし乗れるようなら乗ってみない?わたしとしても、高見くんの意見はとっても参考になると思うの」
 そう言って目を輝かせる虹野。もともと彼女が公人をスカウトしたわけだし、やっぱり自分のチームのクルマに乗ってみて貰いたいというのも本音ではあるようだ。
 「まぁ乗れるようならね。でもオレが乗って壊しちゃうのも悪いからなるべく遠慮しておくよ」
 やんわりと断る公人だった。
 それを聞いて虹野も残念そうな表情を浮かべたが、無理強いするのも悪いと思ったのか、それ以上乗ることは勧めなかった。
 「じゃあそろそろ始まるから、コントロールタワーに登って一緒に見ましょ」

 今日使用されるコースはGrand ValleyのEastコースという、フルコースを途中からショートカットさせたコースである。
 公人もクルマを事故らせて潰して無ければ1月後にはここでレースを行っていたはずのコースなので、コントロールタワーに登ってのコースの眺望には感慨深いものがあるようだ。
 「へぇ、結構アップダウンの大きなコースなんだ」
 「うん。ストレートも長いしヘアピンとかもあってテストするにはちょうどいいみたい」
 「なるほどね。あのバリアの向こうがフルコースになってるわけか。どうせだったらフルコースの方が良かったんじゃないの?」
 「それだとちょっと距離長すぎるの。何かあったらすぐにピットに戻れるくらいの距離がいいんだって」
 「なるほど。あ、始まったみたい」
 タワーに登ってややしてからテスト車がピットからゆっくり出ていった。
 最初はシビックだ。いきなり全開するわけでもなく何か確かめるような感じで走っている。テストだから当たり前と言えば当たり前だが。
 何周かそんな状態が続いたが、今度の周回は最終コーナーから全開で走り始め
た。
 公人も食い入るように見ている。虹野も見るには見ているがさっきからただの1台がグルグルまわっているだけなので、少し飽き気味のようだ。
 椅子に座ってポーっとしている。マネージャーという要職ではあるが、テスト中はほとんど仕事がない。
 おまけにさっきも披露したようにクルマに関する知識も乏しいので、ただ走っているクルマを見ていてもあまり関心が沸かないらしい。
 空調は効いているが360度ガラスばりのコントロールタワー最上部は、日差しが差し込んでいる部分は結構暑い。
 虹野は日の当たらないところを選んで座っているが、公人はクルマの動きに連れてあちこち動いているので額にも汗の玉が浮かんでいる。
 「あの、高見くん。麦茶飲まない?」
 そんな暑そうな公人を見て、つい虹野もいつもの世話癖がでたようだ。返事を聞く前に持ってきていたバックからステンレス製の銀色の水筒を出して、プラスチックのコップに麦茶をつぎ始めた。
 「え? あ、えーっと…」
 いきなりお茶に誘われてちょっと躊躇する公人。
 「ふふふ、そんな遠慮することないよ。はい」
 「あ、ありがとう」
 差し出された麦茶を受け取り、一口飲んだ。
 「ん、あれ?」
 「え? ど、どうかした? なにか変なものでも入ってたの?」
 「いや、なんか香料みたいな化粧品みたいな匂いが、ちょっと」
 「あれ? おかしいなぁ。煮出して作った麦茶だしそんなもの入ってるわけが…あ!」
 「そんな気にならないけどね。ってどうしたの?」
 「う、うん。そのコップさっきあたしが使ったヤツなの…。ごめんなさい、気持ち悪かったら換えるわ」
 すまなそうな顔をしながら上目使いで公人の方を見ている。
 それを聞いて逆に公人の方が動揺している。
 ちらりと虹野の顔を見ても、あまり化粧をしているという感じではないので、リップクリームかなにかの匂いだろう。
 「べ、別に気持ち悪くはないけど。でもこれって…」
 「え? なあに?」
 「いや何でもない。…おいしい麦茶だね」
 もう一口すすって公人が麦茶の感想を虹野に言った。実際普段飲んでるような麦茶より全然味があっておいしいのだ。
 「あ、本当? うれしいなぁ。それ今朝煮出しで作ったの。冷水より手間がかかるけど、その分味がいいの」
 うれしそうにそう言う虹野。喜怒哀楽の表情の豊かな子だな、と公人は思った。
 「ところで、さっきからうちのクルマ見てどう?」
 「うん…見る限りポテンシャルは相当高いみたいだね。でも運転してるのってホントにサーキット経験ある人なのかな。全然踏めて無い気がするんだけれど…」
 「ふうん、じゃああなたならもっと上手に走ることが出来るというのかしら? 高見君」
 いきなりエレベータのドアが開いたと思ったら紐緒が現れて、今までの会話を聞いていたような素振りで公人に向かって話しかけた。
 相変わらず神出鬼没な人だ。
 表情は変わらずポーカーフェースだが、口調的には怒ってはいないようである。
 むしろ、当然と言ったニュアンスがある。それもそのはずで今運転しているのは実はピットクルーだ。
 自動車免許は持っているがサーキットなどほとんど走ったことのない人間である。
 このチームがレースにエントリーできない理由はまさに「まともなドライバーがいない」という点に尽きていた。
 「いや、それは判らないけど」
 「いいわ、用意は出来ているから。10分後に2番のピットに来なさい。いいわね」
 言い終わると虹野の方に向き直り、
 「手伝って欲しいことがあるんだけれど、いいかしら」
 と虹野を連れて再びエレベータで下に降りていった。
 「用意できてるって言ったって…」
 途方に暮れる公人。

 言われた通り公人は10分後に2番のピットを訪れる。
 「時間通りね。じゃあこの箱の中味に着替えて来なさい。更衣室はこのピットのすぐ奥にあるわ」
 そう言われて紐緒からおおきな段ボールの箱を渡された。ずしりと重い。
 「この箱って」
 「ヘルメットとスーツ、グローブ、シューズ、フェイスマスク、アンダーシャツなんかが入ってるわ。サイズは調べさせて貰ったからちょうどいいはずよ。一応全部新品だから神経質になることはないわ」
 「いや、あのオレ」
 「大丈夫よ。この程度でこのチームに入れというほどしみったれでは無いわ。折角来てくれたんだし、まぁご褒美みたいなものよ。さ、時間がもったいないわ。早く着替えてきなさい」
 断る理由もないので更衣室でレーシングスーツに着替える。
 紐緒の言うとおり確かにサイズは丁度いい。着心地も悪くない。どうやら本当にどこからかサイズを調べてきてわざわざ作ってくれたらしい。
 どこから調べてくるんだかと思う公人だったが、どうも紐緒だったら不可能なんか無いのではないかとそんな気がしているようだ。
 スーツの他にはシューズを履くだけにして、グローブとヘルメットはそのまま手に持って更衣室を出た。フェイスマスクは暑いのでつけないことにしている。
 出たところでいきなり好雄と鉢合わせした。
 なんとなく疲れたような表情を浮かべている好雄。
 そういえばテストが始まる前から姿が見えなかったが、そのことについて尋ねてみても、
 「いや、紐緒さんが…」
 と表情を暗く沈めながらもそれ以上は決して話そうとしなかった。好雄に何があったかは定かではない。

 更衣室から戻るとピット前に3台のテストマシンが並んでいた。
 「着心地はどう?」
 紐緒にそう聞かれて
 「悪くないです」
 と答える公人。
 それでも紐緒は満足したのか表情を少し緩めてテスト車の方に振り返った。
 「さて、シビックから先に乗って貰うけどいいわね。一応テストだと言うことを忘れないで。走行は最初の一周は流して、それ以降は好きに走って構わないわ。他に何か聞きたいことある?」
 「えーと、操作系の変更は?」
 「全車セミオートマチックのシーケンシャルシフトになっているわ。それ以外は変更無しよ。他はいいわね。じゃあよろしくお願いね」
 言い終えると紐緒はそのままピット奥の測定機器が並んだブースへと入って行った。
 そして入れ替わるようにピットクルーの女の子が
 「じゃあの、準備出来ましたから。どうぞ」
 と声をかけて来たのでヘルメットをかぶってクルマに乗り込んだ。
 「あの、セミオートマチックのクルマに乗られたことは…?」
 さっきの女の子がそう言ってきたので、ふるふるとクビを横に振って乗ったことはないと返事をする。
 「じゃあ簡単に説明します。発進の時だけはクラッチを踏んで1速にいれて、半クラッチを使いながら発進して下さい。変速はこのジョイスティックを手前に引けばシフトアップ、向こうに押せばシフトダウンです。2速以降のシフトチェンジではクラッチを踏む必要はありません。踏んでも影響はありませんがシフトチェンジが遅くなります。あと1速の先にニュートラルがありますので注意して下さい。現在のシフトはメータパネルのインジケーターに表示されます」
 そう説明されて公人はこくこくとうなずく。
 しゃべれない訳ではないが、しゃべったところでヘルメット越しでは相手にも聞き取りにくいのでしゃべらないだけである。
 「じゃあがんばって下さいね。私たちの力作ですから、きっと高見さんにも満足できる出来だと思いますよ」
 公人もそれに応えるように右手の親指を立てて発進した。
 が、その直後にカクンとエンスト。さっきの女の子はまだ横にいる。公人は照れ笑いしながら、スターターを押してエンジンをかけた。
 「あ、言い忘れていました。下の回転数だとスカスカですから」
 ちょっと意地悪そうな笑顔で言う女の子。
 2度目の発進はなんとかうまくクルマを前に進めることができ、そのままゆっくりとピットロードを出ていった。
 「虹野先輩と2人っきりでいた罰にしちゃ、ちょっと甘かったかな」
 公人が見えなくなったところで女の子はそうつぶやいた。
 「あ、みのりちゃん。高見くんもう行っちゃったの?」
 虹野がその女の子「秋穂みのり」に声をかけた。虹野自身はようやく紐緒に頼まれた仕事を終えてやってきたところだ。
 公人に一声かけたかったようだが、入れ違いだとわかり少しがっかりしたような面もちになった。
 「虹野先輩。さっきタワーに登ってて変なこととかされませんでした?」
 「え、ええ。別に何も。みのりちゃん知ってるの? 高見くん」
 「いえ知りません。なんかそんな気がしたから」
 そう言って虹野のようにてへへと笑うみのりだった。
 ピット奥の計測ブースでは紐緒が愉快そうな表情でいくつもあるモニタを交互に見ていた。
 時折「ふふ」と言う笑いすら聞こえる。かなり機嫌がいいらしい。
 公人がピットから出て3周が経過しそろそろ本気で走らせている頃だ。
 コース上を走るクルマからのデータが刻々と記録されている。
 「紐緒さん、高見くんの調子どう?」
 手持ちぶさたな虹野が様子を聞きに来た。
 「いいわね、彼。うちのスタッフが走らせるより全然速いし、しかも正確だわ。データも想像以上のものが帰ってきてるわよ。とても初めてのクルマに乗ってるとは思えないわ」
 紐緒が他人をここまで誉めているのを聞くのは虹野も初めてだった。
 「そうなの?」
 「私も彼がここまでやれるとは思っていなかったわ。こうなったらなんとしても欲しいわね。どうもチームゆかりも彼を狙っているようだけど」
 「でもスカウトはしたけど、来るか来ないかは高見くんの判断よ。無理強できないよ」
 紐緒が怪しい笑みを浮かべているのに気づいた虹野は、紐緒を抑えるべくそう言った。
 「そうね…拉致監禁して洗脳するって方法も無い訳じゃないけれど…」
 「そ、それはやっちゃいけないんじゃないかな。人として」

 20周ほどして公人の運転するシビックがピットに戻ってきた。
 虹野が駆け寄り、紐緒もゆっくりと公人に向かった。
 「高見くんすごいよ。初めてのクルマなのにあんなに走らせられるなんて」
 やや興奮気味の面持ちの虹野だったが、ヘルメットを脱いだ公人は特にどうという事もないと言う顔だ。
 「そうかな。壊しちゃ悪いからあんまり攻めたりしなかったんだけど。テストだって言うしグリップ走行に撤したから」
 「え? 流し気味で走ってたの?」
 「いや、流してたわけでもないけど。ただマシンポテンシャルがすごく高かったし、8割くらいで走れたんじゃないかな」
 「そう、ここまで走れるのなら次は多少の無茶は目をつぶるわ。一息ついたら次はGT-Rに乗って貰うわね」
 「うん、それはいいんだけど、あのシビックちょっと気になるところがあるんだけど」
 「あらそう? じゃあ一休みがてら聞かせて貰うことにするわ」

 その後GT-R、NSXを試運転して公人が戻ってきたときにはすでに陽も傾き始めていた。
 「大したものね。うちのテストドライバーも顔負けだわ」
 誉めてるようなあきれてるような口調で紐緒が公人のドライビングをそう評した。
 「GT-RとかNSXって初めて乗ったけど、結構乗りやすかったからそれでじゃないかな」
 そう言う公人だが、別に謙遜して言っているわけではない。
 少なくとも公人にとっては試運転させて貰ったクルマは乗りにくいモノではなかった。
 「自分で自分を過小評価しすぎね。もっと自惚れてもいいほどだわ。自覚しなさい」
 そんな紐緒と公人の会話をちょっと離れたところで秋穂が虹野と共に聞いていた。
 「ねえねえ虹野先輩、紐緒さんが他人のことあんなに誉めるのって私初めて聞きました」
 小声で虹野にポソポソと話している。
 「そうね、紐緒さんすっかり高見くんのこと気に入ったみたい」
 「虹野先輩はチームマネージャーとして、どう思いますか?」
 「わたしも高見くんが入ってくれた方がうれしいな」
 「そう…ですか」
 「なあに? みのりちゃんはイヤなの?」
 「そうじゃないですけど」
 ぷいと横を向いた。
 いろいろと理由はあるが、虹野が高見を気に入っている事が特に気に入らない秋穂だった。

 「高見君、あなたチームゆかりからもスカウトされているわね?」
 ピット奥の紐緒の計測ブースに2人で来たときに、急に紐緒が話題を変えた。
 「え? あ、うん。でもどうして知ってるんだ?」
 「悪いことは言わないわ。本気でGTワールドカップのタイトルを取りたかったらうちに来るべきね。あなたのドライビングセンスと私たちの技術力があれば、夢ではなく現実のモノとなるはずよ。考えるまでもないと思うけど」
 「GTワールドカップか…」
 言わずと知れた、GTリーグ最高峰のレースシリーズである。
 公人もGTリーグに参加するにあたっていつかはと目指していたシリーズだ。
 しかし入門のサンデーカップ2戦目で見事に自爆。
 ちょっとイヤなことまで思い出してブルーが入る公人。
 「あなたは古式ゆかりと一緒に仲良く走りたいの? それともライバルとして戦いたいの?」
 答えない公人に向かって苛立った紐緒が言葉を続けた。
 サンデーカップの1戦目、2戦目と公人は古式とバトルを展開している。公人自身も好敵手と認めた相手だ。
 女性ながら卓越したドライビングセンスは公人をしても目を見張るモノがある。
 「古式さんの巧さはオレもよくわかってる。一緒に仲良く走るより競い合った方がいいって事も」
 眉を少し寄せ、自分でも気づかないうちに公人の表情は硬いものになっていた。
 「我々はあなたを必要としているし、あなたの技量に見合ったマシンを提供できる技術がある。あとはあなたが頷きさえすれば最強のチームが完成するわ」
 そう言う紐緒には言い知れぬ迫力があった。それは自らの自身に裏付けられたものなのかも知れない。
 「…」
 「煮えきらない男ね。何をそんなに怖がっているの? 最高のお膳立てをして貰っておいてレースで無様な結果を残すのがそんなに怖いと言うのかしら?」
 「違うよ、今日乗ったクルマだったらGTカップでさえ勝つ自身はあるさ。怖いんじゃない」
 「だったら、最高の栄冠を手に入れたいのなら考えるまでもないわね。私のチームに来なさい」
 「…紐緒さん、怖い人だな、あんたは」
 ふ、と表情を崩す公人。紐緒に論破されたと自ら認めた。
 「私はこの世界に魂を売ったの。だからなんとしても最高の栄誉を勝ち取りたい。その為だったら悪魔にでもなるわ。あなたはそんな私が選んだ唯一のドライバーなのよ。さあ、なにを迷うことがあるの。迷っていても前には進まないわ」
 そう言って紐緒は公人に向けて右手を差し伸ばした。
 「ああ…そこまで言われたら引き下がれないよな。わかった世話になるよ。そのかわり絶対にGTワールドカップに行く。そのつもりでいてくれ」
 公人も右手を伸ばし、紐緒の伸ばされた手と握手する。
 「もちろんよ。つもりじゃなくて私たちが手を組めば、それは絶対になるわ」
 静かに紐緒は微笑む。
 クールなんだか熱い人なんだか、紐緒の性格がまだ今一つつかめない公人だったが、くさい台詞を臆面もなく言いのけられるとはたいしたものだと、握手しながらもそう考えていた。
 
つづく。
なんか中途半端だけど。



続きを読む>>

小説の小部屋に戻る
全然おもろないのでトップに行く