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第12話:1年目 サンデーカップ最終戦 2。


 「どこ行ったんだろ、紐緒さん」
 午後のサンデーカップが終わり、表彰式が終わっても結局紐緒は公人達の元には戻ってこなかった。
 観客席で歓声を上げていた人達も既にまばらで、空も茜色に染まり始めている。
 サンデーカップは予想通りチームゆかりが他車全てを周回遅れにして圧勝し、カップの総合優勝を決めていた。
 時折エグゾーストの音が聞こえてくるが、静まり返ったサーキットコースは寂しげに見える。
 「いつもならすぐに戻って来るんだけど…」
 少し間を置き、小さく溜息をついて虹野が答える。
 昼間の暑さも収まり、今は夕暮れに近づいた風が暑さに火照った顔に心地いい。
 カナカナカナ…と遠くでヒグラシが鳴いている。
 「捜しに行くにしても、行き違いになるといやだしなぁ」
 「ごめんね、高見くんにも迷惑かけちゃって」
 「別に虹野さんが謝る事じゃないよ」
 「うん…。紐緒さんの分のお弁当、クーラーボックスに入れてあるけど、この暑さだったしもう悪くなってるかもしれないね」
 「もったいないなぁ。折角虹野さんが作ってきてくれたのに。それにしても、こんな美味しいお弁当なんて初めて食べたよ。ホントに料理上手なんだ」
 「あ、ありがとう、そう言ってくれるのが一番うれしい」
 端から見たらなんだかいい雰囲気になってる2人。
 会話もとぎれて、なんとなく落ちつかない。
 「な・お・と・ク〜ン!」
 そんな雰囲気を一撃でぶちこわす大声がいきなり2人の背後からかけられた。
 朝日奈だ。
 「そーんなところでいい雰囲気作ってぇ、ピットから丸見えだよー!」
 うれしそうに大声で続けて、ステップを踏むような足どりで近づいてくる。
 「アホな事ゆーなー」
 半マジな公人の顔だが頬は赤い。うつむいているが虹野も赤い顔をしていた。
 「あれ? 赤くなってんの?」
 あくまでからかい口調の朝日奈である。
 「日に焼けただけだい。んなことより、おめでとう、優勝」
 「ありがと。公人クンが棄権してくれたおかげね」
 「あーもー、はいはい、なんかおめでとうって言った自分がバカみたいだよ、ったく」
 「あ、怒っちゃった? 冗談よ冗談。ノリが悪いんだから。それよりあたしに言わないでゆかりに言ってあげてよ」
 「それはまーそうだけど、で、古式さんはまだピットにいるのか?」
 「へ? ゆかりだったら」
 「わたくしでしたら、先ほどからここにおりますけれど」
 朝日奈が公人達の背後を指さすと同時に古式の声が聞こえた。
 驚いて振り向く公人と虹野。
 「い、いつからそこに?」
 「はい、えーと、”アホなことゆ〜な〜”と、高見さんが大きな声で言った時にはもういました」
 古式はにこりと微笑んでそう説明した。
 何となく朝日奈のイタズラの匂いがしているような気がする公人だったが、じろりと朝日奈を見ても
 「え? どしたの?」
 と、別にとぼけた様子もない。
 改めて古式の方に向き直って、咳払いを一つついた。
 「ごほん。えーと、総合優勝、おめでとう」
 言われてちょっとの間きょとんとする古式だったが
 「あ、はい。わざわざありがとうございます。おかげさまで優勝することが出来ました」
 いつもよりうれしそうな笑顔でそう答えた。
 「今回で2度目ですけれども、高見さんに祝っていただけるなんて、前回の総合優勝の時よりもずっとうれしいです。」
 「はは、オーバーだな、古式さんは」
 公人は古式の社交辞令と受け取ったようだが、実際のところ本意がわかっているのは古式の他には朝日奈だけだ。
 朝日奈も古式から直接それと聞いたわけではないがいつも一緒にいるだけになんとなくわかったらしい。
 「それであの、あの件はいかが致しましょう」
 午前中に古式が公人の耳元で話したことだ。
 「ん…あれは、うん約束だしね…。今更反故にする気はないけど」
 言いながら公人の額から流れる汗は、暑さのせいだけではなさそうだ。
 「はい、それを聞いて安心致しました」
 公人とは裏腹にとてもうれしそうな顔で古式が頷いた。

 「それで、古式さんたちはいつからクラブマンカップに行くんだ?」
 「あ、ダメよ高見クン。それはひ・み・つ。一応高見クンのチームとも戦うことになるんだし」
 朝日奈が公人の問いに先制して答えるが
 「わたくしたちは次回のレースから途中参戦することになっています」
 ぽろりとしゃべってしまう古式だった。
 「ゆかり〜、それはチーム内の極秘事項なんだから他の人にしゃべっちゃダメって言われてるじゃないの」
 「あ、そうでした。でも、多分大丈夫だとおもいます」
 「まあな。オレ達も別にこのことチーム内で言う気はないよ。ね、虹野さん」
 いままでちょっと蚊帳の外だった虹野だったけど、いきなり話を振られてかなり慌てたらしい。
 「え? え、ええ、そうね。わたしたちも次回のクラブマンから途中参加するしね」
 虹野もポロッと口を滑らせた。
 「あ、で、でも今日決めたことだからまだちゃんとは決まってないんだけど」
 やはりまずいと思ったのか、そうつけ加えた。
 「どっちにしろ、割と早いうちに勝負になりそうね」
 朝日奈がイタズラっぽくウインクしながらそう言った。
 「だな。早ければ次回のクラブマンってところか」
 「はい、楽しみにしてますので」
 うれしそうに古式がそう言った後、朝日奈達2人は自分たちのチームの元に戻っていった。

 「さて、オレ達も帰りたいところだけれど」
 「紐緒さん、置いて帰るわけにもいかないし…」
 既に夕日も沈みかけ、スタンドには2人を除いて観客もいなくなっていた。
 ヒグラシの声もいまはコオロギやスズムシの声になり、夕暮れの寂しさがあたりを覆ってる。
 「なんか冷えてきたね」
 虹野が少し寒そうに両腕をさすっている。
 「そうだな、スタンド裏の売店のところに行かないか? 少なくともここよりは風には当たらないし」
 午前中に朝日奈達と出会った売店のことだ。割と見通しもいいので紐緒がスタンドに戻ってきてもすぐにわかる。
 公人が虹野の脇に置いてあったクーラーボックスを持って立ち上がった。 
 「うん」
 虹野も続いて立ち上がり、2人はそのまま売店へと向かった。
 「それにしても、こんな時間までどこほっつき歩いてるんだか、紐緒さんは」
 「いつもならすぐに帰って来るんだけれど、ひょっとしたらもうここにいないのかも」
 「オレ達に一言もなしで?」
 「うーん、紐緒さんってああいう人だから…」
 虹野にそういわれて無言で納得するしかない公人だった。

 売店は24時間営業というわけではないので既に営業を終了してカウンターなどはシャッターが閉められていた。
 電気も消されてはいたものの、入り口の扉は常時開放されているし、ジュースやカップ麺、スナックなどの自動販売機が放つ明かりで真っ暗というわけではない。
 椅子もテーブルにあげられていたが、2人は入り口に近い席の椅子を降ろしてそこに座った。
 座ると同時に虹野の持っているハンドポーチから
 「ポロロ・ポロロ・ポロロ…」
 と携帯電話の発信音が鳴り響いた。
 「あれ、電話…」
 慌てて携帯電話を取り出す。
 「もしもし虹野ですけど、…あ、紐緒さん? いまどこにいるの?」
 電話の相手は紐緒のようだ。
 「…もっと早く連絡してくれよ…」
 紐緒だと判ってぼそりと独り言を言う公人。
 「え、こっちの事情もあって電話できなかった? 高見くんにそう言えばいいのね?」
 相変わらずの地獄耳ぶりを発揮しながら虹野と紐緒の通話が終わった。
 「紐緒さんでしょ? なんだって?」
 「あ、うん。やっぱりここにはいないんだって。それで私たち2人だけで先に帰っててもいいって」
 「はぁ、じゃ帰ろうか」
 「うん…、ごめんね。ホントに。紐緒さんの気まぐれに付き合わせちゃって」
 すまなそうに言ってうつむきながら立ち上がる虹野。
 「だからぁ、虹野さんが謝ることじゃないってば。何でもかんでも自分の責任にするのはよくないよ。大体悪いのは身勝手な紐緒さんなんだから」
 言っているほど紐緒に対して腹は立てていない公人だが、それでも今日はつい一言言ってしまう。
 紐緒のメカニックとしての超一流の腕前は公人も認めている。ある意味尊敬さえしている。
 しかし性格や人となりはちょっと別だ。自己中心的で身勝手な性格には公人もついていけないところがある。
 だが行動が全て理にかなっている上に、口論してもまず勝てない。この一月で腹を立てても無駄だと言うことがわかっているので、今日のことに関しても別段怒っているわけではない。
 「さて、じゃ帰ろ、虹野さん。帰りはオレが運転するよ」
 「やさしいんだね、高見くんって」
 すまなそうな、少しうれしそうな、そんな顔で虹野は顔を上げた。
 「な、なに言ってるんだよ。そんな…」
 そんな顔で言われると照れるじゃないか、そう言おうとしたが、何となく虹野の顔を正面から見ることが出来なかったので言葉を途中で濁して顔を横に向けた。その顔はしっかり照れた顔をしていた。
 「じゃあ、お願いしようかな、帰りの運転」
 ちゃらりと音をさせてポーチからクルマのキーを取り出し、公人に手渡した。
 キーにはクレーンゲームで取ったようなドナルドダックのキーホルダーがついていて、普段公人が乗っているクルマのキーより全然可愛らしい。
 ちなみに公人の普段乗っているクルマのキーホルダーは、使い古したエンジンプラグだったり頭の潰れかけたボルトやナットに穴をあけたものだったりと、なかなか硬派な感じだが色気はぜんぜんない。
 
 駐車場に2人が着いた頃にはすでに太陽も完全に沈み、西の空に僅かに紅みが残っていたものの頭の上の空にはすでに星が瞬いている。
 「すっかり暗くなっちゃったね」
 虹野が空を見上げて、なんだかうれしそうな口調で言った。
 「だいぶ陽も短くなったな」
 公人もクルマのドアロックを解除しながら同じように空を見上げる。
 虹野の愛車は今年買ったばかりのマツダのデミオだ。小さくて小回りが利いて荷物がたくさん乗って便利だからという理由で選んだと言うことだ。
 何となく虹野らしい選び方だなと公人は思う。
 「オートマチックであんまり面白くないかもしれないけれど…」
 と虹野は言うが
 「公道だからそれで十分。運転しやすいのが一番だよ」
 これは公人の持論だ。
 普段の公人の運転はずいぶんと大人しいものである。レースで見られるような運転は公道では当然ながらほとんどしたことがない。
 一度好雄がそのことで公人に聞いたことがあったが、
 「他のドライバーが何考えてるかわからないし、周囲の予想もしにくいので怖い」
 というのが大きな理由のようだ。
 運転席に乗り込んだ公人はキーをひねってエンジンをかけた。
 静かな駐車場に2基のP&W100-IHI-100ターボファンエンジンの轟音が響きわたる。
 間違い。1500ccのエンジン音が軽く響いている。
 デミオの車内は僅かに香水の香りがする他は、後部座席に大きめのクッションが2つあるだけで、あまり飾り気はない。
 車内にあまりちゃらちゃらした小物を置くのが好きではないと虹野は言う。
 トランクにクーラーボックスを積み、虹野も助手席に座ってシートベルトを締めたところで静かに駐車場をあとにした。

 「ねえ、いよいよ来月からクラブマンカップに参戦だけど、楽しみだよね」
 サーキットを発ってしばらくして、虹野がそんなことを言った。
 チーム設立から初めてレースにエントリーするので、やや興奮した面持ちだ。
 「うん、マシンの仕上がりも順調だし、来週の最終テストが終わったら再来週はもうクラブマンカップだもんな」
 公人はクラブマンカップのレースは以前に一度見たきりだが、やはり自分もあの中に混じって走れるのだと思うと緊張しつつも楽しみで仕方がない。
 「エントリーは第2戦からだから、コースはCLUBMAN STAGE R5ね。市街地仕様のコースで結構難しいみたい」
 「モナコみたいなもんかな。コースの脇は全部壁か…」
 「来週の最終テストで使うサーキットはTRIAL MOUNTAINだから、あんまり練習にならないかもしれないけど。あ、でも3戦目はそのコースだし、R5だったら他のレースのビデオとかコースマップとか色々持ってるし、他にも欲しい資料やデータがあれば遠慮無く言ってね。用意するから。」
 相変わらず公人に対しても甲斐甲斐しく気を使う虹野だ。
 クルマやレースのこともだいぶ勉強しているようだが、それでもチームの中では一番レースに疎い。
 その負い目もあるのかチーム内でも気がついた範囲の雑用なんかはほとんど虹野がこなしていて、他人に対しても時には自分自身を差し置いてまで気を配っていたりしている。
 虹野は「頑張っている人を見ると、その人を応援したくて自然と私も頑張れちゃうんだ」と言っているが、それでもときどき公人の目にはかなり無理をしているように見える事もある。
 「あんまり無理しないでよ、虹野さん。そうやって気ばっかり使ってると疲れちゃうよ」
 ハンドルの上を人差し指でトントンと叩きながら信号が青になるのを待っている。
 「え? 無理なんかしてないよ。うん、大丈夫。でもありがとう、心配してくれて」
 「そう、だったらいいんだけど。ときどきすごく無理してるように見えるから」
 信号が青になり、クルマを発進させた。
 「…わたし、無理してるように見えるかな?」
 伸びをするように両手を前に出しながら、つぶやくように虹野が言った。
 「オレの目で見てだけど、たまにね」
 「そっかぁ、無理してるように見える、か…」
 虹野がぽつりとそう言った後、しばらく車内で会話がとぎれた。
 公人は別に気にするでもなく運転の方に集中している。
 虹野も静かに助手席の窓から流れる夜景をボーっと眺めていた。
 「あ、そうだ。ねぇ高見くん、今日うちで晩ご飯食べていかない?」
 いきなり虹野が気がついたように公人に向かって言った。
 「え? それはうれしいけど…迷惑じゃない?」
 いきなりの虹野の誘いにちょっとビックリする公人。彼女は両親と同居しているので、いきなり行っては迷惑がかかりはしないかと気を使ってそう言った。
 「大丈夫だよ、うちのお母さんも一度会ってみたいって言ってたし。高見くんこそそんな気を使うことないよ。」
 えへへ、と笑う虹野。
 一本取られた気がした公人も何となくつられて苦笑した。
 「…そっか。じゃ遠慮なくお呼ばれされようかな」
 「うん」
 うれしそうに虹野は微笑んでうなずいた。

続く。
相変わらず引きは中途半端。


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