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第22話:GTカップ序章 第2戦  -2-



「えー、それでは、今日のデブリーフィングを始めます」
 ガレージ脇の事務所で、ホワイトボードにペンで大きく文字を書きながら、虹野がデブリーフィングを開始した。
 デブリーフィングとカッコよく言っているが、要は反省会である。
 もっぱらピット作業などで気がついたことや反省点などをお互いに言い合って、次回のレースではより効率よくしようという趣旨の会議だ。
 いつもはレースの次の日に行うことが多いのだが、今日は時間があるのでレース後に皆で集まって行うことになった。
 ちなみに反省会ではなく「デブリーフィング」と言うように提案したのは、他でもない紐緒である。
「じゃあみんな、まずは気がついたコトから順番に話してみてちょうだい」
 虹野がそう言うと、ぽつぽつと手が挙がり、順に今日問題に思ったことや、こうしたらいいのではないかという提案などが次々に出され、それを聞きながら虹野は要約をホワイトボードに書き込んでいる。
「あの、オレも1つあるんだけど…」
 公人が最後のほうでそっと手を挙げた。
「えーっと、もうないわね。それじゃ、ひとつずつ見て行きましょうか」
「いやあの、オレが…」
 公人の手がむなしく空を泳いでいる。
「…完全に無視されちゃってますね…高見さん…」
 紐緒の隣に座っている秋穂がその様子を見て、紐緒にそっと耳打ちした。
 紐尾はそれを聞いてもめんどくさそうに小さなため息をつくだけだった。
 他のスタッフも公人が虹野から無視されているのに気が付いてはいたが、虹野の雰囲気がいつもと違っているのでおいそれと言い出せないでいた。
 いつもとは違った緊迫感の中、デブリーフィングが進められていった。


 午後8時。きっかり2時間後にデブリーフィングが終わり、スタッフたちもぞろぞろと事務所から出てきて帰り支度を始める中、公人は虹野の姿を探していた。
 虹野の態度の急変。公人には痛いほど心当たりがあった。
 彼女が公人を探しにきて、階段で公人の姿を見つけたときから、虹野の態度はおかしくなっていた。
『…なにしてるの? …高見くん…』
 公人と古式が重なって倒れていた光景を見て呆然と虹野の口から出た言葉は、独り言のように小さかったが公人の耳にもはっきりと届くものだった。
 あわてて公人が弁明しようと起き上がろうとしたが、古式が体を公人に預けている形になっていたためすぐに起き上がることができず、
『あら〜高見のダンナ〜、まだ陽があるってのにやりますなぁ〜』
 と朝日奈に軽口を言う時間を与えてしまい、それを聞いた虹野が一瞬ではあるが声を荒げた。
『高見くん、なにやってるのよっ、みんな待ってるのよ、そんな…そんなこと今でなくてもできるでしょ!』
 一気にそう言うとプイッときびすを返して、呆気にとられた秋穂も置いたまま、パドックに向かって早足で歩き始めた。
『…見損ないました。高見さん』
 呆れ顔の秋穂にそう言われたところで、公人もようやく古式を支えながら身体を起こすことができた。。
 秋穂は虹野のように怒っていたわけではなかったので、なんとか古式と一緒に倒れていたのが事故だったということを説明することができた。
 しかし、虹野はそれから今に至るまで完全に公人を避けるようにしていたため、説明する機会さえなかった。
 なんとか虹野が帰る前に誤解を解いておきたい。公人はそう思って虹野の姿を探しつづけているのだが、事務所にもガレージにもその姿が見えない。
 駐車場にはクルマがあるのでまだ帰ってはいないはずだ。
 「虹野先輩を探してどうするつもりですか?」
 虹野を探してガレージの中をうろうろしていると不意に背後から秋穂の声がした。
「秋穂…か」
 そう言いながら振り向くと、憮然とした表情の秋穂がガレージ入り口に立っていた。
「決まってるだろ、アレは誤解なんだよ。だから虹野さんにもちゃんと説明しておかないと」
「解かないほうがいいんじゃないですかね。虹野先輩にとっては、そのほうがいいかも知れない…」
 秋穂のセリフは一瞬公人の思考を停止させた。
「誤解されたままでいい…、って言うのか?」
 公人には秋穂が何を考えているのかが即座には理解できなかった。
 同じチームの仲間なんだから、変な誤解などは無いほうがいい。公人はそう考えての行動なのだが、秋穂の口調はそれを否定している。
「高見さんは、……」
 次の言葉を言おうとして秋穂はグッと険しい顔を作って地面をにらんだ。
 言いたいが言い出せない。できれば言いたくない。そんな表情だった。
 公人も口を挟まずに秋穂の次の言葉をジッと待った。
「……高見さんは、…虹野先輩のこと、どう、思ってるんですか………?」
「え…?」
 秋穂の意外な質問に公人は面食らったように声を出した。
 しかし今の質問で、さっきからの秋穂の言動が公人の頭のなかでひとつの思考に結びついた。
「…そういうことか…」
 軽く頭を左右に振りながら小声でつぶやくと、秋穂に向き直って言った。
「オレは、虹野さんは大事なチームの仲間だと思ってる。でも、秋穂の考えているようなことは思ってないよ」
「…ずいぶんハッキリ言うんですね」
「いいかげんな答えでお茶を濁すわけには行かないだろ」
「一応いろいろ考えてくれてるんですね」
「なんだかエライ言われようだな。そりゃオレだってたまには真面目になったりもするさ」
 公人がそう言うと、険しかった秋穂の表情にわずかな笑みがこぼれた。
「虹野さんがオレのことどう思っているかはわからないけど、でも、大事な仲間だからな。誤解は解いておきたい」
「そうですね、私もホントはこのままでは良くないとは思います」
「ってことだから、虹野さんがどこに行ったか知らないか?」
「ん〜、私もデブリーフィングのあと虹野先輩見てないんですよ」
 腕組みする公人に倣ってか、秋穂も腕を組んで首をひねって考え始めた。
「ガレージにも事務所にもいないってことは、……あとはあそこかなぁ」
 秋穂が思い当たったようにつぶやき、公人のほうを向いた。
「? なんか知ってるのか?」
「私の記憶が確かなら……、案内しますから、ちょっとついて来てくれますか?」
 そう言うと秋穂はガレージの奥のほうに向かって歩き始めた。
 奥にあるドアを開け、荷物が積まれて狭くなった通路を通り抜け、公人も知らなかった階段を上がり、突き当たったドアを開けると事務所の屋上に出た。
 虹野はそこで壁に背をもたれるように座って夜空を眺めていた。


 ドアを開けた音に気がついたのか、虹野はゆっくりとした動作で秋穂たちのほうに顔を動かした。
「あ、みのりちゃん……と…高見、くん」
 疲れた表情で公人たちを見ている。
 いつも元気が有り余っている姿しか見ていない公人には少し意外な表情だった。
「ごめんね、みのりちゃん。わざわざ探しに来てくれたんだ。心配かけちゃった?」
「いえ、それより高見さんが話があるって…」
 秋穂がそう言うとちょっと虹野の表情が暗くなり、そして二人から視線をそらすと、小さく口を開いた。
「高見くん、今日はごめんなさい。つい声を荒げちゃって」
「あ、いやオレも悪いんだよ。ちゃんと説明しなかったから」
 公人はポリポリと鼻の頭を掻きながら空を見上げた。
 冷たい空気の中で星が瞬いているのが見える。
「言い訳みたいに聞こえるけどさ、アレ、ほんとに事故だったんだよ。古式さん脚怪我してて、転びそうになったところを助けようとして、オレも一緒に転んじゃって」
「うん、多分そうじゃないかと思ってた。でもなんかあの時頭の中がカーっとなって。本当にごめんなさい」
「いや虹野さんは悪くないって。誤解を招くようなコトしたオレが悪いんだから」
「ううん、感情的になった私が悪いの」
「いやオレが」
「私が…」
「あのー、キリが無いんでそろそろ帰りませんか? とりあえず、お互いにわだかまりは無くなったんですよね?」
 秋穂の言葉に二人は我に帰ったのか、一瞬の間秋穂のほうを同時に見つめたあと、公人は気まずそうに鼻の頭を掻き、虹野は赤い顔でうつむいてしまった。
「そ、そうだな、もうこんな時間だしな」
「あ、わたしはもう少しだけ頭冷やしていくから」
「じゃあオレ、先に帰るけど…」
「うん、今日はご苦労様。また水曜日からトレーニング開始だから、それまでゆっくり身体休めていてね」
 にこりと虹野が笑うと、公人も微笑んで
「風、冷たいから、あんまり長居しないようにな」
 と言って、屋上を後にした。


 公人が去ったあと、秋穂も虹野に倣って隣に腰を下ろした。
 そのまましばらくの間、二人とも口を開かなかったが、先に虹野が沈黙を破った。
「勝手だよね、わたしって」
 ちらりと秋穂が虹野の横顔を見た。虹野は夜空を見上げながらそのまま言葉を続ける。
「なんかさ、高見くんが古式さんと一緒にいるの見たら、なんだかムッとなっち
ゃって。それでつい高見くんにあたっちゃって。どういうつもりだったんだろう、私」
「別に、そういうものじゃないですか?」
「え…?」
「虹野先輩、高見さんのこと、好き、なんでしょう?」
「へ? あ、あ、あの、ななな、なに言って…」
 あたあたと慌てる虹野を横目に、秋穂は小さくため息をついて短く言った。
「見ていれば判ります」
「あ…、……でももしかしたら、そうなのかも知れない…」
 抱えたひざの間に赤い顔をうずめて、虹野が小声でつぶやいた。
「虹野先輩、本当に高見さんのことが好きなら、わたし応援しますから。…その、ちょっとアレだけど…」
「お、応援って、みのりちゃん?」
「だからその、二人が、ら、ら、ラブラブな関係になるように…」
 言ってて恥ずかしくなったのか、秋穂もほほが上気したように赤くなっていた。
「ラブラブ??? え? あの、みのりちゃん、ちょっと飛躍し過ぎだよ。第一高見くんにだって好きな人とか、彼女…とかいるかも知れないじゃない」
「いーやわたしは決めました。虹野先輩の恋を成就させます。好きな人がいようが彼女がいようが、絶対に虹野先輩に振り向かせてみせますっ」
 何か使命感に燃えた瞳で虹野に向き直った。
 こうなった秋穂はもう止められない。
「ちょ、ちょっとみのりちゃん?」
「そうと決まれば膳は急げ、さぁ早速帰って作戦を練りましょう」
「いやあの、そんな急がなくても、って、みのりちゃーん」
 虹野の静止も聞かずに秋穂は建物の中に入っていった。
「どうしよう…」
 呆然とした表情で虹野は秋穂の背中を見送るだけだった。



今回短め。
いつまで続くのか…。

 




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