23
第23話:GTカップ序章   -3-




 冷たい冬の冷気を切り裂くように、甲高いエグゾーストの音がサーキットに響いた。
 師走に入った12月。紐緒たちはトライアルマウンテンにいた。
 GT選手権に使用する機材が仕上がったため、その走行テストを行っているのである。
 公人がハンドルを握り今走らせているのはNSXである。ただし見た目こそNSXの形をしているが、基本レイアウト以外すでに別物である。フレームはアルミとスティールのパイプで頑強に形作られ、その上にFRPとカーボンファイバーを使用したボディがかぶせられている。
 窓ガラスもフロントガラスを除き、軽量化のため全てアクリルガラスが用いられている。
 基本的にベース車両から流用されているのは、ダッシュボード周りと室内バックミラーくらいなものだ。
 市販車とは全くと言って良いくらい異なった車両の使用も認められているのがGT選手権なのだが、GTでは通常のレース専用車両とは少し趣が異なり、クルマにはレギュレーションにより助手席(ナビシート)の設置が義務付けられている。
 そして、その助手席で、現在秋穂が半泣きの真っ最中であった。
 時速200キロを超えてコントロールラインを通過し、僅かな減速でマシンは1コーナを駆けぬけている。
 公人が多少手加減しているとは言え、秋穂にしてみれば正気の速度ではない。
「は、は、は、は、は、は」
 公人のヘルメットに装着された通信機のスピーカから、秋穂の声が聞こえる。
「どした? 笑ってるのか?」
 僅かなストレートを走る間に、公人が隣に座る秋穂に声を掛ける。
「わ、笑ってないです」
「だって、は、は、は、って」
「ほっといてくださ……、はうぅうう」
 強い横Gを伴いつつコーナを駆ける。公人には大したコトはないのだが、やはり秋穂には強烈らしい。
 秋穂を同乗させてすでに3周。調子は全く変わらない。コーナが迫るたびに「はわはわ」言い、コーナを通過するたびにうめき声をあげ、ストレートで半泣きになる。
「はぐぅううう」
「そんなうめくようなコーナじゃないだろ」
「…そう、でもないです……ぅぅぅうう」
 コーナに入るたび、ヘルメットも遠心力に振られて右へ左へと振りまわされる。
「…すみません。車酔いも、限界っぽいですぅ」
 ヘルメットのバイザーを開けて、青い顔を公人に向けた。
「紐緒さん、秋穂がそろそろギブアップみたいだ」
 ハンドルの無線スイッチを押して、紐緒にそう伝える。
『いいわ、ピットに入ってきて』
「だそうだ。速度落すから、もーちょっと頑張ってくれ」
 時速40キロ台まで速度を落とし、残り半周をゆっくりと周り始めた。
「…我慢、限界かも…」
 震える声でつぶやくと、まだ走行中にも関わらず秋穂はヘルメットを脱ぎ、開放されたかのようにぷはー、っと息を吐いた。
 五点式シートベルトのバックルを外しもう一度大きく深呼吸した後、
「と、停めて下さい」
 力なく言った。
 公人がクルマを停めると同時に、秋穂は口を押さえつつドアを開けて外にダッシュ。コース脇にしゃがみこむと、そこで限界が訪れた。
 少々の時間の後、
「はぁ、少しラクになりました」
 心配になってクルマから降りた公人に向かって、青い顔で微笑んだ。
「かなりヤバそうだな。無理そうなら、もうちょっと乗り心地のいいのに来てもらうけど」
 そう言いながら運転席側に設置してあった飲料水ボトルを、秋穂に手渡した。中には少し薄めのスポーツドリンクが入っている。
 運転中の水分補給のために設置してあるボトルだが、流石に3周程度では一口も飲んでいない。
 ちなみに飲む時は、ボトルからヘルメットを通して口元までまでチューブが延びているので、いちいちボトルを手に取ることは無い。
「今のでなんとかピットまでは、もちそうです」
 ボトルを受け取りキャップを開けて一口飲むと、そう言って再び乗りこみ、ベルトだけ締めた。
 公人はそれを信じつつ、慎重にピットまでクルマを走らせた。


 ピットに戻った途端、虹野が心配そうな顔で真っ先に出迎えた。
 先刻秋穂が外に出て行った時に、公人が無線で知らせていたためだ。
「大丈夫? 秋穂ちゃん」
 外から助手席のドアを開ける。
「大丈夫です」
 全然大丈夫そうに見えない秋穂がシートで溶けていた。
 秋穂に構わず虹野はシートベルトのバックルを外し、もう一人やってきた女性スタッフと一緒に問答無用で秋穂を担いでいってしまった。
「大丈夫かねぇ」
 ヘルメットを脱いだ公人が、秋穂たちの姿を眺めながらつぶやいた。
「車酔いで死ぬ事は無いわよ」
 入れ替わるように紐緒が近づいてくる。
「秋穂を助手席に乗せたのは紐緒さんだぞ」
 助手席に秋穂を乗せるよう指示したのは紐緒だった。
 GT選手権を戦うために、レーシングスピードの体験は良い経験になると判断してのことだ。
 だが、結果は、すでに記述した通りである。
「それより、ちょっと問題が起きたのよ」
 公人のやんわりとした抗議も無視し、書類を眺めながら持っているペンでコリコリと額を掻いた。落ちつかなげな仕草は、紐緒にしては珍しい行為だ。
「問題?」
「他のチームとも、コースのバッティングしてるわ」
「貸切じゃないってコトか。珍しいな」
「ええ。しかもよりにもよって、あのチームなのよ」
「あの、って…もしかして、チームゆかり?」
 紐緒の目線が公人の後ろに動き、肯定を意味するようにため息を吐いた。
「お久しぶりでございます。高見さん」
 公人の背後から、いきなり聞き覚えのある声が聞こえた。
「え?」
「どうもご無沙汰しておりました。古式です」
 公人が振り向くと、レーシングスーツ姿の古式が深々と頭を下げていた。
「え、あ、久しぶり…」
 公人はそう言うのがやっとだった。
 古式はそんな公人を見て、ニコニコと微笑んでいる。
 変わらぬ笑顔だった。左右の三つ編みお下げが、以前より少し伸びている。でも、それ以外はなにも変わっていない。
「どうか、なされましたか?」
 古式が、つい、っと顔を近づけた。ビックリするような至近距離で古式が公人の顔を覗きこんでいる。
「あ、いや、なんでもない」
 公人は一歩後ずさって照れ隠しに目線をピット入り口のほうへ向けた。公人たちより六つ向こうのピットから、ステッカーもなにも貼られていない真っ白なクルマが姿を表した。
 車種はどうやらR34のスカイラインGTRのようであるが、恐らくNSX同様のチューニングが施されていると思って間違い無い。
 古式も公人の目線に気がつき、その先を同じように眺める。
「私たちも、今日は走行テストなんです」
「古式さん、身体の具合とか大丈夫なのか?」
「ええ。おかげさまで」
「古式さん、と言ったわね。私はこのチームの総責任者の紐緒と言うわ。急で悪いけど、貴方のチームの責任者に会わせて頂けないかしら」
 二人の会話に紐緒が割りこんできた。
「はぁ、お爺様でしょうか。よろしいですよ」
 古式が紐緒を先導してピットに向かう。
「私が戻るまで待機。みんなにもそう伝えてちょうだい」
 振り返りざまに公人に言い残し、古式と一緒に紐緒は歩いて行った。
 入れ替わるように虹野がピット奥から現れる。
「紐緒さんは?」
「古式さんとこのチームに挨拶行ったみたい」
 古式と言う言葉に一瞬虹野の表情が変わったが、それに気がつく公人ではない。
「で、帰って来るまで待機だって」
「そっか。じゃ、みんなでお茶タイムだね」
 あは、っと笑いながらピットに戻っていく。
 公人もその後について行くと、パドックに設置された休憩所で秋穂が横になっているのが見えた。
 白いパラソルで陽射しを遮られたデッキチェアの上で、額にタオルと冷却パックを載せている。
 冬ではあるが風が無いので、日向はポカポカと暖かく過ごしやすい。
 二人は秋穂を起こさないよう、彼女から離れた席に腰を下ろした。
「秋穂の様子はどう?」
「うん。少し良くなったみたいだけど、まだ起きて歩くのはちょっと辛いみたい」
「手加減はしたつもりなんだけど」
「仕方ないよ。秋穂ちゃん、今日はちょっと調子悪いみたいだし」
「秋穂でも調子悪い時があるんだ」
「それはそうだよ、女の子なんだもの」
「……そう言うものなのか?」
「そう言うものなの」
 照れた風な公人の顔に、虹野がおかしそうに笑っていた。


 その紐緒は、15分ほど後に帰ってきた。


 紐緒が戻って10分後に走行テストが再開された。
 公人の乗るNSXの助手席には、何故か古式が座っている。
 これは、古式が
「高見さんの隣に一度乗ってみたいですねぇ」
 と、ひとり言のように何気なしに言ったところ、それが聞こえた紐緒に
「良いわよ」
 とあっさり了承されてしまったためである。
 紐緒にしても何某かの考えがあってのことだろうが、紐緒に、古式さんをナビに乗せなさい、と言われた公人は、おおいに困惑したようだ。
 ピットを出た1周目は、加速ポイントまではゆっくり目で走るのが公人の常である。エンジンは物足りなさそうな音で回っているが、かと言っていきなり鞭を入れると途端に不貞腐れてしまうので、なかなか扱いは難しい。
「木漏れ日が心地よいですねぇ。私、このコースを走るのは久しぶりです」
 起伏のあるバックストレートを走っている時に、古式が言った。
 ここのバックストレートは2つの大きな起伏を持ちつつ緩やかに下っている。
 頭上には真冬でも木の枝が張り出し、やわらかな木漏れ日がコースをまだら模様に照らしていた。
 のんびり走る分には気持ちの良い光景であるが、全開走行では200キロを上回る速度になるため、見惚れている暇など無い。
 先程秋穂を乗せた時は、時速230キロまで出していた。本気の全開なら270キロは間違い無く出る。
 しかし今は時速80キロ程度でゆっくりと流していた。
 古式がのんびり満喫する余裕くらいはあるようだ。
「そろそろ、加速ポイントに入るから。気をつけて」
 Rの大きなヘアピンを通過している時に公人が注意を促した。
 後3つコーナを過ぎたら加速ポイントである。
 水温や油温など各部に異常が無ければ、そこから走行テストに入る事になっている。
「わかりました。遠慮なさらなくても結構ですから」
 バイザー越しにも判るような笑顔で言った。
『高見君、こちらでの確認では全て正常よ。問題無ければお願いね』
「了解、じゃ古式さんも行くよ」
「はい」
 コーナに入り、ブレーキングしながら2速に入れた。
 シフトはフライバイワイヤでコンピュータ制御されているため、手もとのシフトスイッチを操作するだけで、シフト操作と同時に適正なエンジン回転数まで合わせてくれる。
 コンピュータ制御は賛否あるが、運転だけに集中できるので公人に否やは無い。
 リアグリップの限界を探りつつコーナを通過し、クリップについたところでアクセルを踏みこんだ。
 トラクションコントロールが作動していることを示すインジケータが点滅し、それでも若干のスキル音を立ててクルマを強烈な力で前に押し出し始めた。
 回転計があっという間にレッドゾーンに飛びこみ、3速にシフトアップする。
 4速、5速とシフトアップを繰り返し、ホームストレートにつながるシケインのために僅かに減速するが、コントロールラインを通過する頃には時速200キロに達していた。
 1コーナはアクセルワークのみでクリアする。
 連続する2コーナは全開で通過し、3コーナでは僅かな減速のみである。
 コーナを通過するたびに数Gに達する横Gが掛かるが、古式は周囲を見渡す余裕も見せている。
 両手は太ももの上に重ねて乗せられたままだ。正面と助手席窓側を見ているので公人から表情は伺えないが、苦しそうにしている様子は無い。
 トンネル前でブレーキによる減速とシフトダウン、リアをやや滑らせつつ出口に向かう。
 滑らせる、とは言えドリフトアングルまで行く事は無い。ドリフトとグリップの間にある領域でコントロールしているだけである。
 トンネルの先は岩に囲まれたセクションだが、公人は危なげなくクリアしていく。
「高見さん」
 古式が高見のほうを向いた。
「手加減は無用ですよ」
 透明なバイザー越しに見えた古式の表情は、やわらかな微笑だった。
「手加減してるつもりは無いけど」
 公人はハーフミラーのバイザーを装着しているため、表情は伺えない。
「では、無意識ですね。私の事は忘れてください。今は運転だけに集中です」
「それは、ちょっと難しいかな」
 直線のトンネルに入り、4速から5速に入れる。
 木漏れ日がものすごい勢いで迫ってくる。まるでストロボライトを浴びているような感覚だ。
 6速に入れ最終的な速度は時速272キロ。そこで急減速しRの大きなヘアピンに突入する。
 真っ赤に焼けたブレーキが冷やされ、元のメタリックな黒色に戻る頃にコーナをクリアした。
「6速目のギア比が少し高めですね」
「テストだから、暫定のギア比なんだ」
 レースマシーンのギアボックスのギア比は、走るコースにより各段最適なギア比に変えるのが通常である。
 コーナが多く最高速より立ちあがりを重視する場合は、より加速を得やすいギア比を。逆に高速を必要とする場合は、多少加速性能を犠牲にしても、より高速を得られるようなセッティングにする。
 今のNSXは出来あがったばかりであり、タイムを競うわけでもないため中間的なセッティングを施されていた。
 僅かなストレートを走り、フルブレーキング。シフトを落しパーシャルアクセルでコーナを通過し、そのままアクセルを踏みこんでいく。
 ボディが軋みを上げ、エンジンが轟音で唸るような高負荷下に置かれて各部に異常は無い。
「いけそうだな」
『そうね。とりあえず15周ほどお願いね』
「…うぃっす」
 ホームストレートを先程同様、全開で駆け抜けた。


 30分ほど後に公人と古式はピットに戻ってきた。
「疲れた」
 公人が運転席から出てヘルメットを脱いだ。
「明日からランニングの量を倍にしようかしら」
 肩にかかった髪を掻き揚げるようにしながら、紐緒がピットから歩いてくる。
「堪能致しました」
 古式も公人にならってヘルメットを脱いだ。
 おでこに前髪が少し、汗で張りついていたようだが、その汗自体、あまりかいていない。
 公人も同様である。髪型がおかしくなっている以外は、息も切らせていなかった。
「さっき向こうのチームと話し合ったんだけど、テストは同時に行うわ」
「危なくないか?」
「ええ、だからお互いのチームで無線で連絡を取り合えるようにしたわ。まぁ、要するに事故の無いよう協力し合いましょうってところね」
 この手の妥協事や利益にならない事が嫌いな紐緒にしては、珍しい事である。
 互いに協力して危険の無いような配慮をするのは、公人たちドライバーにとって見れば歓迎することなのだが、紐緒の口からそれが出ると、公人でも勘繰りたくなるのは自然な行為だろう。
「…なに企んでるんだ?」
「別に…、と言いたいけれど。まぁ楽しみは後のほうが良いでしょう?」
 ふふ、っと笑って、10分後に次のテストを行うから一休みしているように、と言い残し再びピット奥の専用ブースに潜り込んでしまった。
「古式さんどうする?」
「私は、私のほうのテストがそろそろですので」
 ペコリと頭を下げ、ピットに戻って行った。
 公人もパドックの休憩所へ足を向ける。
 そこではまだ、秋穂がぐったりとのびていた。
 寝てはいないようで、公人が近づくとちらりと視線を向けた。
「大丈夫か?」
 脇の椅子に座って声をかける。
「おかげさまで」
 公人に向いた視線を空に戻す。真っ青に晴れ渡った冬空である。寒々しいがどこか凛とした雰囲気を感じる。
「別に無理して乗る事もなかっただろ」
 そう言う公人に、秋穂は反論しようとなにか言いかけてやめた。
 別な話題を口にする。
「テストのほうは良いんですか?」
 背もたれから身体を起こし、組み立て式のテーブルの上に置いてある魔法瓶から、お茶を紙コップに注いだ。
 暖かそうな湯気が注ぎ口から立ち昇っていく。
 秋穂は今注いだコップを公人に渡し、もう1つのコップに自分の分を注いだ。
「10分休憩中。次からは一人だから、それなりに集中出来るな」
「……次って、また誰か助手席に乗ってたんですか?」
「チームゆかりの古式さんが乗ってた」
「どうしてですか?」
「知らん。紐緒さんの命令」
 ずずっ、と茶をすする。
「それで、どうでした?」
「どうって、流石に秋穂みたいにキャーキャーは言ってなかったぞ」
「わ、私だってキャーキャーなんて言ってません!」
「いや、秋穂はまだマシなほうだと思うぞ。普通は声も出ないらしいからな」
「ホントなら紐緒さんが乗るべきだと思いませんか?」
「それは……、オレ的にちょっとイヤかな……」
 ふーん、と秋穂が答えた。
「私は構わないわよ」
 公人の背後に紐緒がいた。
 いつものように腕を組んで立っている。
「……乗りたいの?」
 公人が確認するように言う。
「むしろ乗って確認したい、ってところかしら」
「あの、紐緒さん、無理はしないほうが……」
 秋穂がとどめるも
「心配はいらないわ。自分の整備したクルマだもの」
 ふふふ、と笑いを浮かべながら、トランスポーターの中に消えていった。
「……ヘンな事言うから」
「まさか本当に乗ろうとするなんて思わなかったんですもん」
 紐緒が入って言ったトランスポーターを眺めながら、二人一緒にため息をついた。


「遠慮は要らないわ。いつものように走りなさい」
 助手席で腕組していた紐緒が、公人に言った。
 紐緒を乗せて最初の周回。加速ポイントの直前である。
「本当に良いんだな?」
 公人が念を押すように言っても、
「問題無いわ」
 相変わらず余裕の表情で腕組したままである。
 流石に足元は狭いので脚を組むことは出来ないが、もう少し広かったら脚を組みかねない。
「わかった。館林さん、各部計器類異常無し。テストに入るよ」
 通信スイッチを押して、紐緒の代わりに計測器ブースに入っている館林にテスト開始を告げた。
『了解です。良い数値期待してます』
 館林は、虹野と同じ時期にチームに入ったメンバーの一人である。
 紐緒によってスカウトされ、チームに入った。
 普段はコントロールタワーやトランスポータなどで情報収集や解析を行っているため、ピットあたりに出てくる事はほとんど無い。
 また、レースには滅多に同行して来ないため、公人ですら会ったのはつい最近、と言った塩梅である。
 紐緒が目をつけたのは、紐緒に匹敵するほどの情報処理能力を買われたためだ。
 チームのガレージでも、事務所の一室に設けられた電算室に紐緒と入り浸っている事が多い。
 公人の操るNSXが加速ポイントに到達した。
 ブレーキングしながらシフトを2速に落し、パーシャルアクセルでコーナを通過する。
 出口が見えてきたところでアクセルを踏みこんだ。
 エンジンが唸りを上げ回転が鋭く立ちあがっていく。
 数瞬で回転計の針はレッドゾーンに飛びこみ、即座にシフトを3速に上げ、僅かの間の後4速へと上げた。
 速度を上げるに連れ、なんでも無いような段差ですらもハンドリングに対しナーバスになっていく。
 5速に上げ、ホームストレート前の左右連続するシケインを抜け、1コーナに向かって全開で走行する。
 走り方は、さっき古式を乗せたときと変わらない。
 秋穂を乗せたときのような、手加減は無かった。
「気分悪くなったら言ってくれよ」
 隣に座る紐緒に声をかけた。
「問題無いわ」
 短く答えた後、再び押し黙る。
 ピット出口を通過した時、白いGTRが見えた。
 古式のチームももう間もなくテストを開始するはずである。
 まだ運転席に古式は乗っていなかったが、エンジンには暖気のために火が入れられている。
 1コーナを抜け、2コーナを全開でクリアし、トンネルにつながる左のコーナ前で僅かにブレーキングし、シフトダウン。横Gでボディが軋む音を立てた。
 今まで微動だにしなかった紐緒のヘルメットが、大きく揺らいだのはその時だった。
 横Gに抗うことなく、コーナ外側、つまり運転席にいる公人の側に、倒れた。
 さらに路面の振動に会わせて上下に揺れ、トンネル直前のブレーキングで前にがっくりと傾いた。
 ただ、組んだ両腕は、今も固く組まれたままである。
「…紐緒さん?」
「……」
 返事は返ってこなかった。





続きを読む>>

小説の小部屋に戻る
全然おもろないのでトップに行く