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第9話:1年目 サンデーカップ2 決勝4。


 「あなたには根性があるわ。私たちと一緒にGTワールドカップを目指しましょ」
 ショートカットで青い髪の女の子はいきなりそんな突拍子もないことを言ってのけた。
 GTワールドカップと言えばこのレースシリーズの最高峰。素人のエントリーなんて全く不可能な世界だ。
 世界中から最高のドライバーと最高のチームが集結して行われ、レース中継も衛星を通じて世界中に放送される。
 公人も目標とするレースではあるが、いきなり到達できるモノではない。
 第一、このレースに出場するために必要な「国際A級ライセンス」を取得するのでさえ半端でない難しさだ。
 いきなりそんなことを言われて唖然とする公人たちに、その子は今度は何を勘違いしたのか自己紹介を始めだした。
 「あ、わたし、Conquest Racingのチームマネージャーの虹野沙希って言います」
 「……はぁ」
 ようやく公人も口を開くことが出来たが、それ以上言葉が続かない。
 「チームと言ってもまだそんなに大きくないんだけど」
 てへへと照れたようにそう言って虹野は微笑んだ。
 「えと…」
 公人も口を開こうとするが
 「あ、ううん、別に返事は今でなくてもいいから。そうだ、来週Grand Valley Eastコースでマシンテストするの。良かったら見学だけでもいいから来てくれるとうれしいんだけど」
 「いやあの…」
 「都合が良かったら、でいいんだけどダメだったらまた別な日にもテストやってるから、その時でもいいわ」 
 「そうじゃなくて」
 「あーもうこんな時間!ごめんなさい。もっとゆっくりお話ししていたかったんだけど、もう行かないといけないの。それじゃあ来週のマシンテスト、考えておいてね」
 結局公人がなにも言い返せないままに虹野はあわただしくその場から去って行った。

 「…で、どうするんだ?公人」
 会話に参加しなかった好雄がめんどくさそうに公人に話しかける。
 「どう…ってなぁ。一方的に押し切られちまったし。古式さんのほうの誘いもあるしなぁ」
 「どっちにしろクルマあんな状態じゃな。プライベートで参加するのも無理じゃないのか」
 「まーなー。ところでお前、コン…なんとかっつーチーム知ってるか?」
 「ああ、詳しくは知らんが今年からクラブマンカップにエントリーしてるチームらしい。でもクルマが仕上がらなくて、まだ実際には参戦してないって聞いたな」
 「新しいとこなのか」
 「多分な。ところで、どうする?そろそろクラブマンカップの予選とか始まるけど。見ていくか?それとも帰るか?」
 「…・なんか疲れたから帰るか」
 「だな」
 そう言ってローダーに戻りエンジンをかける。
 「ところで、詩織ちゃんに何も言わないで帰ってもいいのか?」
 ふいに好雄が公人に向かってそう言うが、
 「ああ、今日はな。ちょっと顔合わせづらい」
 好雄とは顔を合わせずに助手席の窓から外を見ながら答える。
 予選が始まったのか、エキゾーストの音が甲高く響いている。
 「ふーん、ケンカでもしたか?」
 「そんなんじゃねーよ」
 「ま、いいや。それじゃ出すぞ」
 「ああ」

 さっき好雄に、詩織に何も言わなくていいのか、と問われて、事故の後の詩織を公人は思い出していた。
 まさか詩織がいきなり抱きついて来るとは夢にも思ってなかったので、あのときはかなり気が動転してしまって詩織が何を言っていたかほとんど覚えていないが、微かに肩が振るえていた気がする。
 美樹原の「ずっと心配してたんですよ。詩織ちゃん」という一言もやはり今更ながら気になっていた。
 ピットロードを一緒に歩いていたときも聞きたいことは色々あったが、結局聞けず終いだった。
 「好雄」
 「あん?」
 「やっぱタンマ。ちょっと行ってくる」
 そういうが早いか走り始めているクルマのドアを開けて飛び降り、そのまま事務所に向かって駆け出した。
 「はぁ、オレもつくづくいいヤツだね」
 出発するとは言いながらほとんどスピードを出さずに人の歩く程度のスピードでとろとろと走っていたのだ。
 伊達に何年も公人とツルんではいない。この程度のことは好雄にも十分予想出来ていた。

 「美樹原さん、詩織は?」
 事務所に着いて美樹原の姿を見かけた公人が息を切らしながらそう尋ねる。
 「あ、高見さん。どうしたんですか?」
 「いや、し、詩織は・・」
 結構な距離を全速力で走ってきたのでかなり息は苦しげだ。
 とりあえず息を整えようと大きく深呼吸する。
 「詩織ちゃんなら奥の休憩室で休んでますけど」
 「ど、どうもありがと」
 再び走り出そうとしたが、レースの疲労と今の今まで全力で走ってたので膝が笑って走れない。
 「あ、あれ?」
 そのまま力が抜けたように床にひざを着く。
 「高見さん大丈夫ですか!?」
 それを見た美樹原があわてて駆け寄った。他のスタッフも駆け寄ってきたが、美樹原が「私1人で大丈夫です」と言うのでまたもとの仕事に戻っていった。
 「大丈夫ですか?」
 「ちょっと疲れて足に力が入らなくなっただけだから。大丈夫だと思うけど」
 「じゃあの、肩につかまって下さい。とりあえず休憩室の方で休んだ方がいいです」
 「いやでも、美樹原さん…」
 美樹原の頼りないくらい細い肩を見て、躊躇したように公人が言うと
 「こう見えても私、結構力持ちなんですよ。高見さんくらいなら抱き抱えることもできますけど、そうします?」
 そう言ってにっこりと笑みを浮かべる美樹原。
 「え?…」
 彼女の細い腕と身体をまじまじと見るがとてもそんなパワフルには見えない。
 しかし、人は見かけに依らないモノだ。もし彼女の言うとおり美樹原が公人1人くらい楽々と持ち上げるとして、その姿を想像してみる。
 …・果てしなく格好悪い。
 「た、高見さん、なんですか?」
 腕や身体を見つめられているのに気がついた美樹原が、恥ずかしそうに身体をひねった。
 「じゃ、じゃあ肩、貸してもらえるかな」
 「はい」
 肩を貸して貰うのもあまりかっこいい絵ではないが、この際仕方がない。
 少なくとも抱き抱えられるよりははるかにマシだ。

 休憩室についた。
 中は広く、入り口あたりにジュースやカップ麺、ハンバーガーなどの自動販売機が設置してあり、広い窓の向こうにはサーキットが見える。
 掃除も行き届いているようでとても清潔感があり、配色も淡く落ちついた色合いで統一されている。
 ほとんど人がいなかったので詩織を見つけるのは容易だった。
 窓際の隅の丸い4人掛けのテーブルに突っ伏している。
 人が入って来た気配に気がついたのか、顔をずらしてちらりと公人たちの方を見た。
 「詩織・・」
 公人がつぶやいた。突っ伏していたのでおでこが赤いな、と言おうとしたがちょっとそんな雰囲気ではなかった。
 「どうしたの公人クン。メグも…。まさかまたどこか怪我でもしたの?!」
 美樹原に肩を貸して貰っている公人を見て飛び上がるように立ち上がる詩織だったが、
 「あ、高見さんここまで全力疾走してきたみたいで、それで・・」
 美樹原の言葉に多少落ちつきを取り戻したように再び座りなおした。
 「大丈夫だよ、少し休んだら回復するから」
 そう言いながら公人も詩織の隣に腰を下ろした。
 「……」
 詩織は無言で窓の外に見えるサーキットを見ていた。
 公人もなんとなく口を開けないでいた。
 その重苦しい雰囲気に美樹原もたまらなくなり、
 「あ、あの私ジュース買ってきます」
 と席を立って小走りで自動販売機に向かった。
 「詩織、今日は心配かけてごめんな」
 ぽつりと公人がつぶやくように言うと
 「ううん、私が1人で勝手に心配してるだけだもの。公人クンは悪くないわ」
 答えるが目は合わせない。
 そのやり取りを美樹原はドキドキしながら聞き耳を立てている。
 「そういえばさ、あのときなにか言おうとして止めたみたいだったけど、何言おうとしてたんだ?なんか妙に気になっちまってさ」
 極力明るく言おうとしたのだが、なんとなく白々しい感じになっている。
 「いいの、もう。言ってもしょうがないことだから、言わなかっただけ」
 「言いたくないなら言わなくてもいいけどさ。でも、幼なじみなのに水臭いな」
 公人がそう言った途端、詩織がキッと公人をにらんだ。
 詩織にとって言ってもしょうがない理由は幼なじみでしかないからだ。それを公人に言われてしまってつい頭に血が上ったようだ。
 「だから、だから言えないのよ!」
 公人は詩織の迫力に圧倒されて何も言えなかった。こんな感情的な詩織はここ何年も見ていない。
 もちろん美樹原は初めてだ。缶ジュースを3本抱えたまま戻るに戻れずにいる。
 それから詩織は一つ大きく深呼吸をして自分を落ちつかせ、そして静かに言った。
 「今の私が言ったって、公人クンは聞き入れてくれないから」
 「そんなことは…内容によるだろ・・」
 そして詩織は悲しそうに微笑んだ。
 「レースするのを止めて、って言っても?」
 「そ…」
 「答えられないのは判っているわ。公人クン優しいから私を傷つけないような言い回しを考えてるのも判ってる」
 自分の心の中まで見すかされて黙ってしまう公人。
 「でも私にはそんなこと言う資格ないもの。だから言わなかったの」
 「資格…?」
 「幼なじみって言うだけで、そんなこと言うわけにはいかないわ」
 「詩織は、どうしてオレにレースやめて欲しいんだ?」
 「うん、今日のあの事故見たらね。そう思っちゃったの」
 言われて公人はふと気がついたようにつぶやいた。
 「そう言えば今日、お祈りしてなかった…」
 「は?」
 いきなり何を言い出すのかと呆気にとられた顔をする詩織。
 「な、公人クンお祈りって…?」
 「ああ、レース前にはいつも必ずクルマに向かって、今日も無事に終えられますように、って拝んでるんだ。今日はちょっと忙しくてやってなかったんだよ。それで事故ったのかもなぁ」
 詩織は冗談かと思ったが、そう言う公人の顔は真剣そのものだった。
 「お祈りすると、事故起こさないの?」
 「うん」
 きっぱり言い切る公人。
 「あ、いや、ゲンかつぎだけど」
 そしてあわてて言い直す。
 そんないつも通りの公人の姿を見て、いままで暗かった詩織の表情もいつも通りに戻っていた。
 「詩織、オレやっぱりレースやめること出来ない。そのかわり約束する。必ず無事にレースを終えて帰ってくる。絶対に。だから詩織もそんなに心配するな」
 「公人クン…。じゃあもう一つ、約束して」
 「え?」
 なんとなくイヤな予感がして冷や汗を流す公人。
 「やるんだったら頂点を目指してちょうだい」
 「ちょ、頂点…?」
 「頂点というと、GTリーグのGTワールドカップですね」
 何となく雰囲気がなごんできたのを見計らって美樹原が席に戻り、そう説明した。
 2人の前に買ってきた缶ジュースを置きながら話を続ける。
 「高見さんくらいの力量でしたら割とすぐに上がれると思います。でも、早くて3年くらいでしょうか…。それにチームやクラブに属することが条件ですし」
 「公人クン、公人クンがそこまで行った時、私も本当に言いたかったことを言うわ」
 「か、かなりキビシイ約束だなぁ。オレも目指して無い訳じゃないけど…」
 そう言う公人の顔はかなりこわばっている。
 「うん、約束。指切りしましょ」
 気にせずに微笑んでそんなことを言う詩織。
 詩織は昔からときどき公人に無理難題を引っかけて来たが、さすがに今回のはかなり難しい。
 しかし公人もその無理難題を今までにほとんどこなしてきているのだから大したものである。
 まあ詩織も意地悪で言ってるわけでなく、いつも無茶をやる公人に対して抑える意味で無理なお願いをしているのだが。
 「んー、わかった。じゃ指切りだ」
 出来ない、という返事を期待していた詩織だったが、公人のその返事にもちょっと期待していた。
 「レースをやめて」と無責任に言い放った事について、後ろめたさのようなものを感じていたからだ。
 「ん?どうかしたか、詩織」
 一瞬思考モードに入って固まっていた詩織だったが、公人に呼ばれて我に帰るとそれをごまかすかのように公人の小指と自分の小指を絡めた。
 「う、ううん、なんでもない。じゃあ。ゆーびきーりげーんまーん…」

 「さて、それじゃ好雄を待たせてるから。行くわ」
 その後ちょっと3人でしゃべった後、公人がそう言って席から立ち上がった。
 「うん、気をつけてね」
 「高見さん、お疲れさまでした」
 公人は2人の言葉に軽く手を挙げて答えて、そのまま小走りに休憩室を出ていった。
 公人の足音が聴こえなくなった頃に美樹原が溜息混じりに口を開いた。
 「いいなぁ、詩織ちゃん。高見さんみたいな彼氏がいて」
 飲みかけたジュースを危うく吹き出しそうになる詩織。
 「え?え?ち、違うわよ、公人クンはそんなんじゃなくて、幼なじみで・・」
 いきなりそんなことを言われてあわてる詩織。
 「え?そうなの?さっきの話聞いてたら、そうかと思っちゃって」
 意外そうな顔で美樹原が言った。
 「そ、それは私も、その…」
 「高見さんって誰にでも優しいから、そんなだと取られちゃうよ。ちゃんと捕まえておかないと」
 「メグ…?」
 「さ、私たちもそろそろ仕事に戻らないと。このあとのクラブマンカップの仕事もがんばりましょ」
 「う、うん」

 「高見公人をうまく誘えたのかしら?」
 先ほど事故直後の公人に声をかけた女性が虹野に話しかけた。
 「うーん、とりあえず興味はもってくれたみたいだったけど。一応来週のテストには誘ってみたよ」
 ちょっと自信なさげに答える虹野だが、彼女の考えでは来るか来ないかは五分五分といった具合らしい。
 「そう、でも心配はいらないわ。念には念を入れて策は考えてあるから」
 ふふふと不敵な笑みを浮かべて笑う。
 「あ、あの、紐緒さん、その笑い方、怖い…」
 そう言って微妙な距離をとってしまう虹野だった。

つづく。…やっとここまでか…。長い…。


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