「エリア8.8」


「で、その羽根はなんだ?」 「…はね?」  俺の目の前にいる女の子は、不思議そうに首を傾げた。  両手で盗品のたいやきの袋を抱え、よくわからない、と言った顔で俺を見て いる。 「はねって、なに?」 「背中についてるだろ」 「背中?」  首を傾げたまま、女の子は背中を見ようと後ろを振り返る。  が、当然後ろを振り返ると、背中の羽根は前に来る。  さらに羽根を追いかけようと、女の子はその場でくるくると回転し始めた。 「…うぐぅ、…見えない」  涙目で俺に訴えかける。  やっぱりこいつは、ヘンなヤツだ。  名雪といい、こいつと言い、俺の周りはヘンなやつが多すぎる。 「…首だけ動かして、背中を見てみろ」  俺の言う通り首だけ回して背中を見る。 「あ、羽根だよ」  言われなくてもわかってる。 「で、なんなんだ? それは」  背中の羽根を指でつまんでみる。  ジュラルミンのような冷たくて硬い金属の感触。  どうやら背中のリュックに付いているらしい。 「羽根だよ」  女の子はにこりと笑い 「前進翼だよ」  と言葉を続けた。 「…ヘンな言葉知ってるんだな」 「高速時の高機動に威力発揮するんだよ。街中でたいやき屋さんから逃げるの に便利なんだよ」  俺はよくわからない、と言った顔で彼女を見た。いやマジで。  って言うか、確信犯かこいつ。 「…なんか飛べるみたいな言い方だな」 「見たいじゃなくて、飛べるよ」 「はい?」 「亜音速までだけど」  なぜだかめまいがしてきた。  話を整理しよう。  つまりなんだ、この女の子は背中の羽根で空を飛ぶ、というのか?  って言うか、からかわれてるのか? 俺。 「お前、からかってるだろ」 「うぐぅ、からかってなんかいないよ…」 「だいたい、エンジンも無しに飛べるわけ無いだろ」 「エンジン? あるよ。ほら」  そう言って彼女はダッフルコートの後ろのすそを持ち上げた。  俺は腰をかがめて中を覗いてみた。  …なにか金属のノズルのようなものが見える…。  妙にすそが広がっていると思ったら、こんなものが入ってるとは…。 「ね?」  ね? じゃないと思う。  コートの中を下から覗かれてちょっと恥ずかしかったのか、女の子は少し赤 い顔をしていた。  良く考えたらとても恥ずかしい行為だが、その中に見えるのは鈍く輝くジェ ットエンジンである。 「アフターバーナー付きターボファンエンジンで、最大推力は250Kgもあるんだ よ」  知るかそんなもん。  めまいが頭痛に変わった。  俺はどうしてここにいるんだろう。  えーと、名雪の買い物に付き合って、この女に突き飛ばされて… 「どうしたの?」  肩をぽんぽんと叩かれて、俺は現実に戻った。  俺の目の前には、背中に羽を生やした女の子が、なにかうれしそうな表情で 俺の顔を覗きこんでいた。 「ボクはあゆだよ。月宮あゆ」  唐突に彼女が自己紹介を始めた。 「俺は相沢祐一だ」  朦朧とした意識の中で答える。 「祐一くんですかぁ。いいお名前ですねぇ」  両手を合わせてうれしそうに微笑む女の子。  違うだろ、それ。  なにかが、何かが激しく間違っているような気もしないでもないが、今の俺 にはどうでもいいことだった。 「じゃあ、これでさよならだね」  グワンンン…。  なにかが動き出す音が聞こえた。  聞きたくなかった。  だけど、口が勝手に言葉をつむぎ出して 「何の音だ?」 「JFSだよ」  聞かないほうが良かった。  ちなみにJFSとはジェット・フューエル・スタータ。  エンジンをかけるための小さなエンジンだ。なんで知ってるんだろう、俺。  ギュイイーーン。  別な音が響く。  エンジンが始動を始めたらしい。  キーーーン。  そして音は甲高い音に変わって 「スロットルアイドル」  目の前の現実から逃げたくて 「エンジンチェック。70、80、90」  赤く染まる街に吹く風が生暖かくて 「また会えるといいね」 「いやだ」 「うぐぅ…、いじわるだよ…」 「いや、冗談だ」 「うぐぅ」 「気をつけて帰れよ」 「うん、ばいばーい」  周囲に轟音をとどろかして彼女が離陸して行く。 「アフターバーナー」  夕焼けの空に青白い炎をたなびかせて、俺の上空で大きく旋回して、そして 夕日の向こうに消えていった。  ちょっとだけ、うらやましかった。 「うそつき…」  商店街の入り口ですねていた名雪に、待っていなかった理由を話すと、案の 定うそつき呼ばわりされた。 「前進翼はX-29AとS-37ベルクトだけなんだよ」  変なのは俺のほうなのかもしれない。



 ……かなり強引でした。

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