「北へ。White Bio Hazard 」

第2話:再開 −2−

「お久しぶりです、智哉さん」  会議室の中では、笑顔のターニャと女性スタッフ一人が待っていた。  智哉は東京に戻る前にも何度かターニャには会っているので、実際それほどお久 しぶりと言うわけではない。 「ども、久しぶり。またお世話になることになったよ」 「はい。いっぱいお世話しちゃいますよ」  何やら妙な方向に日本語も堪能になってきていたターニャである。  そのターニャの目の前の会議机には、一応机がキズつかないように厚手の布が敷 かれた上に、夏に智哉が使っていた銃と、琴梨の使っていたのと同じデザートイーグ ルが置かれていた。  それ以外にも紙袋と小さなダンボールが床に置かれている。 「今回は、かなり本気で厳選しちゃいましたよ」  ターニャは両手を合わせて、ニパッと笑った。  智哉がターニャのそばへ行く間に、ターニャは紙袋から弾丸の入った小箱とマガジ ン、ホルスターなどを取り出した。  そのうちのいくつかは智哉も夏には使用していたものだが、見慣れないものも混 じっていた。 「智哉さんには、今回からこのデザートイーグルを使っていただきます」  そばに来た智哉に向かって、テーブルの上に置いていたデザートイーグルを差し出 した。  P226より一回り以上おおきな姿に、ちょっと気圧され気味になる。 「…、これ、夏に琴梨も使ってたよな?」 「はい。あ、同じデザートイーグルですが、琴梨さんの使っていたものとは別のもので すから」 「なんでそっちの、夏に使ってたP226じゃないんだ?」 「夏はまだこの子の弾の調達が充分でなかったので、9mmから選んでお渡しするし か無かったんです。相性で言えば、こちらの方がバッチリですね」  そう言って渡されたデザートイーグルは、P226に比べてずっと重く、大きかった。  札幌駅地下通路やスガイで琴梨はこの銃を撃っていたが、この重さでは、琴梨の 力では構えるだけでも体力を消耗しただろう。 「えーと、琴梨さんと同じデザートイーグルと言いましたが、厳密に言うと弾がちょっと 違うんです」  ターニャは箱から2種類の弾丸を取り出した。  弾の直径が違い、薬莢の大きさも少し違った。 「琴梨さんはこちらの44口径を使ってますが、智哉さんのは50口径です。また琴梨さ んの弾は、腕力と近距離で使うことも考慮に入れてパウダーを減らしていましたが、 こちらの50口径のパウダーはノーマルです。ただ…、私が智哉さんにちゃんと合わせ て仕上げても、重量と射撃時の強力なリコイルはどうしても残ります。だから、少し腕 力を鍛えていただけると嬉しいです」  ターニャが智哉に50口径の弾丸を手渡した。  夏に使っていたP226の9mm弾とは、比較にならない大きさだった。 「P226でも結構衝撃は強かったけど、それ以上なのか…」 「はい、パウダーを減らしても良いんですが、智哉さんならきっと大丈夫だと信じてま す。保証書も、ほら」  じゃーん、とターニャが言って見せたものは、夏にも貰った保証書だった。  それでも夏よりきれいな字で「保証書」と書かれている。  下に書いてある文章もちゃんと読めた。 「ありがたく貰っておくよ」  受け取ると、満面の笑みでターニャが微笑んだ。  智哉は直視できずに目をそらして、赤くなったほほを掻いていた。  智哉とターニャが話している間、夕子は会議室の隅で薫と話をしていた。 「民間人にあんな銃を使わせるんですか、STARSは」  ターニャと智哉を眺めていた夕子が、呆れたようにため息を漏らした。  壁に背をもたれ、腕を組んで横目で薫を見ている。  P226は、携行用として使っている銃と同じような形なので、見覚えはある。  実際に射撃訓練でも撃っている。  でもデザートイーグルは実物を見るのは初めてだった。  マグナム弾は渡米訓練時に撃ったこともあるが、その衝撃は銃口を大きなハン マーで殴られたような強烈なものである。   並の鍛え方では、リコイルショックに耐えられない。 「銃の選定は、あの女の子が決めているのよ。あの歳で優秀なガンスミスなの」  薫の口調は、さも当然とばかり落ちついている。  薫も夕子の隣で、壁に背をもたれていた。 「確かあの子たちには、外出時はスタッフが数名付くはずでしょう? もう武装させる 必要なんて無いのでは?」 「一人になることが無いわけじゃないから、武装はどうしても必要なの。それにスタッ フが付いていたとしても、彼女らは絶対に真っ先に撃つわ」  夕子の組んでいた腕に力が込められた。  表情は強張っている。 「…話には聞いて理解もしていたつもりだけど、実際目の前であんな強力な銃を受け 取ってるのを見ると、認識を改めなきゃって思いますね」  口調は穏やかだが、表情は口調ほど穏やかではない。  憤懣やるせないと言った感じだ。 「私も、去年の春には同じ気持ちでした」  夕子同様、腕組みしてターニャたちを眺めている薫の顔には、自嘲とも思える笑み が浮かんでいた。 「あの子たちが毎日、目標と戦って帰って来る。もしかしたら帰ってこない日がいつか 来るかもしれない。だからせめて、少しでも無事帰って来れる確率が上がるのなら、 どんな装備だって用意するわ」 「だったら、訓練とか少しはさせてあげても良いんじゃないですか? 火器だけに頼る 方法は間違ってます。我々自衛隊だってSTARSをサポートしてるんですから、射撃 や身の護り方の訓練は行えます」  夕子は一旦言葉を切って息を整え、すぐにまた続けた。 「あなたたちは、あの子たちを無駄に危険な目に会わせているだけです」  きっと薫を睨みつけた。 「自覚はしているわ」  無表情を装い、髪の毛をかき上げた。腕を組みなおし小さく息を吐いた。 「でも、今は他に方法が無い。充分な訓練を受けさせる時間も無い。しかもあの子た ちでないと目標は見つけられない。目標が発現する前に叩くのが、今のところ最も被 害抑制効果が高いの」 「だからって。これじゃまるで…」 「言いたい事は判るわ。けど、彼女らだってその辺はもう納得済みなのよ…」  あくまで口調が変わらない薫に、夕子の頭に上りかけた血も再び冷静さを取り戻し た。 「原因はわからないんですか?」 「まだ、正確なところは。でも、判りかけては来てます」 「…、どう言うことです?」  いぶかしげな表情で首を巡らせ薫を見た。 「推測の域を越えないので詳しくお話は出来ませんが、いくつかの矛盾点を繋げる と、一つの答えが得られるんです。今は平行してその検証も試みています」  とは言え、根本的な原因は未だはっきりとしていない。  夏より研究はずいぶん進んではいるのだが、核心に辿りつくためのピースがまだ 足りなかった。 「その辺の話は私にはよく判りませんが、もう一つ疑問があります」  促すように薫が首を傾げて夕子を見る。 「彼らの能力って、一体どうやって身に付いたものなんですか?」 「今のところ不明。血液や脳波、DNAまで調べても何の異常も特殊な物質も出てこな い。解剖する訳にも行かないし、お手上げ状態ってとこね」  両手のひらを上に向けて、苦笑いの表情を浮かべた。  夕子は納得の行かない顔でため息を吐き、思案に眉をしかめながら智哉とターニャ のやり取りを眺めていた。 「風が無いだけマシよね」  北区新琴似のあたりでクルマを降りた鮎が、白い息を吐きながら呟く。  STARSの戦闘服にボディアーマ、その上に防寒着を重ね着している。基本的に葉 野香と同じ格好だ。  支給されている手袋は、手のひらと指先に滑り止めのラバーが貼り付けられた、 まぁ無いよりはマシ程度のグローブだった。  鮎はその上から、100円ショップで買った毛糸の手袋の指先を切り取ったものを履 いている。  その代わり履いているブーツは温かく、ポケットにはSTARS刻印の入った白金カイ ロがしのばせてあった。最初は面倒だと思っていたものの、使い捨てカイロよりずっと 暖かいので今では重宝していた。  頭にはニットの帽子をかぶっている。  同じクルマからさらに2名のスタッフが降り、別のクルマからも2名が降りて、総勢5 名となった。  格好は鮎とほとんど同じだが、携帯している銃がサプレサー付きのMP5で統一さ れている。  鮎は夏と同じG3‐SG1を肩から下げ、腰には予備のためのP230を装備していた。  SG1には必要に応じてスコープを取りつけているのだが、遠距離狙撃をほとんどし なくなったので、最近はスコープもバイポットすらも付けていなかった。 「鮎ちゃん、どっちの方角?」  4名のスタッフ中、2名が女性だ。  男性スタッフの場合は鮎の事は「川原くん」と呼んでいる。  4人ともまだ20代半ばだが、男性のうちの一人は、ヒゲのせいでちょっと老けて見 えた。 「えっと、ちょっと待って。んーと、こっち」  目を閉じて気配のする方角を探り、指先をその方角へと向けた。  気配はクルマで走行中に感じたもので、そこから程近い空き地へとクルマを停めた のだった。  ちなみにクルマは、走破性などを考慮してRV車が使用されている。ほとんど無改 造の外観だが、左右の前ドアに小さく「STARS」と書かれていた。  鮎たちは、個人差はあるのだが、大体半径200m〜500mほどの範囲内に目標が いるときに気配を正確に感じ取る事が出来る。  クルマで広範囲を走行し、気配を感じたらクルマを停め、徒歩での探索に切りかえ るのだ。  もちろん範囲外でも気配を感じられるのだが、なんとなくわかるようなレベルでいま いち正確さに欠けるようである。  なんとなくわかるレベルでは葉野香が一番敏感で、半径10キロでも気配を感じ取 れた。  おかげでかなり遠い地点から徒歩での探索を行ってしまう事も多く、逆に目標が複 数いると、お互いに感覚が干渉してしまって余計にわからなくなることも少なくない。  鮎はそれほど敏感ではないが、今の探索方法ではかえって都合が良かった。 「距離はまだ大丈夫だな?」 「うん、結構近い、と思う」  遠巻きに眺めている人たちの不安な視線が、突き刺さるように感じられた。  冬になる前までは、普通の生活をしながら銃を人目に触れさせないように持ち歩い ていた。  でも今は、ギターケースに入れるようなことはもう無い。  鮎は、気合を入れるように自分の両ほほを一回、両手をグーにして「ぽすっ」と叩く と、気配へ向けて足を踏み出した。  冬晴れの空だが、時折粉雪が舞い降りてくる。  遠くの雪雲からはるばる流されて来るらしい。  道は、融雪口があちこちに整備されているため、除雪して出来た道の脇に雪山は 少なく見通しは悪くない。  気配を追ってずいずいと歩くにつれ、いつものように気分がどんどんと悪化してき た。  目標が近い。街中とは言え500mなんてあっという間の距離である。  鮎が無意識に肩に掛けたライフルを降ろしチャンバに弾丸を装填すると、他の隊員 たちも身構え始めた。  氷点下の気温にも関わらず額から冷や汗が流れ、背中が汗ばんだ。心臓がバクバ クと音を立てるように高なり、軽い嘔吐感に眉をしかめた。  角を曲がり、吸い寄せられるように見つめた視線の先に、人が立っていた。  距離は電信柱の間ほど。この気温に信じられないほどの薄着で、ただ立ち尽くして いる。  スタッフたちが鮎に確認するより早く、鮎は銃を構えて躊躇無く発砲した。  弾丸は正確に頭部に食い込み、目標が崩れ落ちる前にさらに心臓めがけて弾丸を 撃ちこんだ。  鮎の発砲の直後、鮎のそばに2名が残り、後の2名が目標へと向かった。  スタッフが目標に銃口を向けて、確認をしている。  目標は最初の発砲で発現し、次の心臓への射撃で停止していた。もうピクリとも動 かない。  鮎はそれを知ってか銃口を下げ、セイフティをかけた。  ほう、と半ば放心するように息を吐く。 「ご苦労様。具合は、大丈夫?」  傍らにいたスタッフが声をかけてくる。目標を探知したときの気分を知っているの だ。 「あ、うん。もう大丈夫」  とは言うものの、先ほどクルマの中で食べていたお昼が、胸元まで込み上げてき ていたのは事実ではある。  もう一度大きく深呼吸して、気分を落ち着かせた。  男性スタッフが無線で本部に連絡を入れ、先ほどのクルマも迎えにやってきた。  この後回収班に目標を渡して、次の探索に移る予定である。 「はいはい、寒いから鮎ちゃんはクルマの中ね」  鮎の傍らにいたスタッフが、ぽんぽんと背中をつつきながら鮎をクルマへと押し込め てしまった。  他のスタッフたちは、目標に他の人が近づかないよう周囲を見張っていた。  30分ほどして回収班が到着し、警戒任務も解除になった。  白い防護服を着た人たちが、手際よく目標を袋に詰めて移送車へと乗せている。  鮎と行動を共にしていたスタッフたちもクルマに戻り、再度本部に連絡を入れ、パト ロールを再開した。  新琴似から西区方面に向い、下手稲通りを手稲方面に向かった。 「こっちのほうって、まだあんまり目標現れてないよね」  鉄工団地を過ぎたあたりから先の市内では、春からでもまだ2体の出現に留まって いた。 「そうね。夏前には小樽でも一件発生してたけど、確かそれっきりだわ」  後部座席隣に座る女性スタッフが、思い出しながら言う。 「夏からだと中央区から豊平区と白石区辺りに多いな。新琴似での目標はまだ一件 目ってところだ」  助手席の男性スタッフも話に加わった。 「でも特に傾向性ってのもないのよねぇ。あれば楽だったんだけど」 「仕方ないよ。私らのレーダーで我慢してちょーだいね」 「はいはい、見つけるのは任せるから、せめて目標を止めるのは私たちに任せて よ?」 「あー、うん、できるだけ善処します」  照れたように、鮎は笑った。  パトロールが終了し、本部に戻った鮎は、まっすぐターニャの工房へ向かった。  銃を預けるためだ。  単独で外出する事が無い今は、ターニャに銃の管理を任せている。  銃というのは案外デリケートなもので、使ったらマメにメンテナンスをしないと途端に 命中精度が落ちたり給弾不良を起こしやすくなったりするのだ。  特に鮎のような、精密射撃用の銃ではそれが顕著だ。 「ターニャー、入るよ〜」  声をかけてドアを開けると、智哉と葉野香がターニャと一緒にお茶を飲んでいた。  智哉に武装関連を渡し、薫からの一通りの話が終わったあと、ヒマならお茶でも、 と智哉を誘って工房まで戻ったところで、ターニャを待っていた葉野香に出会いその ままお茶へとなだれ込んだのだ。  葉野香は5時からまた2時間ほどのパトロールがあったので、弾の補充を頼みに来 ていたのだが、ターニャにうまく捕まってしまったらしい。  智哉とも案外話が会うので、3人でそれなりにワイワイとしていた。 「ありゃ、なんか珍しい取り合わせだね」  工房の一角に設けられた応接テーブルに座る3人を見て、鮎が意外そうな顔をし た。 「鮎さん。パトロールご苦労様です」  ターニャが立ち上がりながら、にこりと笑って挨拶する。 「今日は1体だけだったから、ちょっと楽だったかな。それで、銃預けに来たんだけ ど、いいかな」  そう言って銃とマガジンを差し出した。銃からはマガジンと弾丸は抜かれている。 「はい、お預かりします」  鮎から銃を受け取ると、すぐに作業台の上でロックを外して銃身を引き抜き、光に 向けて中を覗きこんだ。 「明日のご予定は?」 「明日は午後からのはずだよ。あ、そうだ。智哉はもうシフトに加わったの?」  ターニャの肩越しに智哉を呼ぶ。 「んーと、まだその辺は詳しく聞いてない。明日の朝に話すとか言ってた」 「そっか。ま、今朝の今だもんね。じゃ、着替えたら琴梨のとこ連れてってあげるか ら、もうちょっと待ってて」  上着を脱いで、ボディーアーマを外した。  軽くなった肩をグルグルと回して、ふう、と安堵するように息を吐いた。 「…ここで着替えるんじゃないよな?」  智哉の問いに、鮎はにへら、と笑った。 「着替えてもいいけど、琴梨に言う」 「すいません、勘弁して下さい」  鮎は勝ち誇ったような笑いを上げながら、出口へ向かった。 「20分くらいで戻るから、ちゃんと待ってなさいよ」  じゃ、っと手を振りながら鮎が出て行く。 「お前、春野に頭が上がらないのか?」  先ほどの鮎とのやり取りを見ていた葉野香が、智哉に突っ込んだ。 「う……。いや、そんな事は無い、けど、琴梨って怒るともの凄く怖いっていうか、そ の…」 「はいはい、判った判った。で、春野のところに案内がどうのって言ってたけど、なん なんだ?」 「ああ、お見舞いだよ」 「春野はまだ寝こんでるのか…」  葉野香が背もたれに身を預けながら、呟いた。  後一時間ほどで葉野香も再度パトロールに出かける予定になっている。  琴梨が抜けた穴は、ちょっと大きかった。 「そうだ。弾の補充に来たんだった」  思い出したように起きあがって、ターニャに向き直る。 「はい、準備は出来ていますよ」  弾を装填したマガジンが4本、葉野香の目の前のテーブルに置かれた。 「いつも悪いな」 「いやだよ、おまえさん。それは言いっこなしだよ」  おほほと口元に手をやり、反対側の手はパタパタと顔の前で上下に振られている。 やってるターニャはノリノリでニコニコ顔だ。  時々ターニャは変な日本文化の理解をしている事を披露してしまうのだが、どうや ら日中ヒマな時にTVで見ている時代劇の影響も大きいらしい。 「……、間違っちゃないけど、正直どうかと思う…」  葉野香はそのセリフをグッと飲みこんで、あいまいな笑顔で答えるのが精一杯だっ た。  宿泊フロアの女性専用エリア。  エリア入り口にはおおきな文字で 「男性立ち入り禁止」  と書かれた立て看板が置いてあった。 「…。なぁ、ホントに問題無いのか?」  看板の前で、智哉は躊躇していた。  智哉の横には私服に着替えた鮎がいる。 「ん? 大丈夫だよ」  鮎はポケットをゴソゴソと探ると、プラスチックのIDカードを取り出した。  大きさは名刺大で、ちょっと厚みがある。 「はい、これ」 「なんだこれ?」  カードには「北嶋智哉」と名前が書かれ、顔写真もプリントされている。 「IDカード。さっき薫さんから預かってきたの。これが無いと本部の中でもセキュリティ で身動きできないから。ホルダーとかは部屋に着替えと一緒に用意してあるって」 「へぇ。でもこれとこの先入るのと、どう関係があるんだ?」 「ちょっとこの線越えてみて」  鮎が指差した先には、床のカーペットの色が20cmほどの幅で帯状に変わってい た。エリアを隔てる線だ。  壁にも同じような色で線が引かれている。 「えーと、こうか?」  一歩またいだ。 「ほら、大丈夫でしょ?」 「なにがだ?」 「IDカードはなんか中にチップとか入ってて、エリアとか部屋とかのセキュリティも兼 ねてるの。だからIDカード持ってここ越えて、警報鳴ってないから立ち入りはOKって こと」 「……よく判らんが、わかった」 「それと、智哉の寝泊りする部屋もこのエリアだから」 「は?」 「薫さんが、部屋足りないから、って言ってた」 「女性専用エリアだろ?」 「そうだよ。でも部屋は個室だし、特に他の女性スタッフからも反対が無かったらしい し、別にいいんじゃない?」  いいわけあるか、と智哉の顔には書いてあった。 「薫さんが決めたのか? ちょっと抗議してくる」 「あー、無駄無駄。薫さんに言っても『決まった事だから』で終わり。ま、諦めなさいっ て」  顔の前でパタパタと手を振る。 「いや、だってエリア分けてるんだからさ、色々問題あるだろ、普通」 「なんか問題起こす気なの?」 「いや、…そんな予定は無いけど…」 「じゃあ問題なしね。ほらほら、さっさとしないと、夕ご飯食べる時間無くなるわよ」  鮎に背中を押されるように、足取り重く智哉は琴梨の部屋へと向かった。  薫の『部屋が足りない』はある意味方便である。琴梨たちのような長期宿泊者は居 ないため、空き部屋数には充分なゆとりはあった。  琴梨たちは宿泊エリアの中で、ある一角に部屋が固められていた。琴梨の右隣が 鮎、向いに葉野香とめぐみの部屋がある。  これは彼女らをセキュリティの高いエリアで保護すると同時に、監視する意味もあっ た。自由に外に出られないようにしているのだ。  もちろん危険回避のためでもあるが、薫の思惑は別のところにもあるようだった。  智哉は、琴梨の部屋の左隣に部屋が用意されていた。 「はい、ここが琴梨の部屋。あんたの部屋はそっちの隣ね。私はこっち」  鮎が指差しながらそう説明する。  部屋のドアは簡素な作りだが、鍵穴などは無い。ドアにはナンバープレートの他 に、名前入りの小さなプレートも貼ってあった。  ドアノブの横にプラスチックの弁当容器を平たくしたようなものが貼りついている。  中央に「ID‐CARD」と書かれ、カードの図柄が描いてあった。  鮎が琴梨の部屋をノックし、 「琴梨、私だけど、入るよ」  と声をかけると、中から 「あ、ちょっと待って、今開けるから〜」  琴梨の返事が返ってきた。どうやらだいぶ調子がよくなってきているようだが、コン コンと咳も混じっていた。 「琴梨、調子はどう?」  ドアから姿を見せた琴梨に鮎が声をかける。 「うん、熱は下がったんだけど、まだちょっと咳が止まらないの」  言ってるそばから、コンコンと咳をした。 「布団入って休んでろ、琴梨」 「え?」  鮎の背後にいた智哉に気が付くと、琴梨は慌てたようにあたふたとし始めた。 「え? え? お兄ちゃん? え? あ、やだ、私パジャマのまま……、あああ、髪も ボサボサぁ、あう、どうしよう〜〜」  半ばパニくってるようだ。 「ちょっと落ちつきなさい琴梨。はい、まずはまっすぐ布団に入る」  鮎がベッドを指差すと、琴梨はコクンと頷いて、小走りでベッドに戻って布団をか ぶった。 「よろしい。ちょっと順番逆になっちゃったけど、琴梨の特効薬を連れてきたわよ」  智哉の袖を引いて、鮎が部屋に入った。  部屋奥に備えているベッドの布団の奥から、琴梨が真ん丸い目をして二人が近づ いて来るのを、じっと眺めていた。 「ネコかあんたわ」  苦笑しながら鮎がベッド脇の椅子に座った。  智哉は立ったままだ。 「えと、どうしてお兄ちゃんが来てるの?」  布団から顔半分出した。枕元に置いてある小さなお盆には、薬と水のペットボトル が置かれている。 「冬休みだからな。また手伝いにきたんだよ」 「でも、そんなの何にも聞いてないよ」 「ビックリさせてやろうと思ってたから、言わなかったんだ」 「う〜、ビックリはしたけど、教えて欲しかったよ〜」 「教えたらビックリさせられないだろ」 「でもでも、教えてくれてたら、ちゃんと向えに行ったり服着替えたりできたのに」 「俺は、パジャマ姿で無防備この上ない琴梨を見れたから、充分」 「やーもー、お兄ちゃんのバカー」  バフッとまた頭から布団をかぶってしまった。  そんな二人を、ドン引きで眺めている者がいた。  鮎だ。  さっきまでベッド脇の椅子に座っていたのに、今は3歩離れたところで口から砂を吐 きそうな様子である。 「いやぁ、まさかここまでバカっプリーズだとは思わなかった…」 「……いや、俺もこんなだとは自分で自覚してなかった…」  ギギギと軋みをあげて鮎の方に振り向く。今更ながらあまりのことに顔が赤くなっ たり青くなったりだ。 「あああ、あの、その、違うの、いつもはこんなことしてないんだよ。お兄ちゃんが来 て、ビックリして、でもその、あの…」  琴梨は琴梨でしどろもどろだ。鮎がいることはわかっていたのだが、まさか人前で もここまでベタベタになってる自分に驚いている。 「ま、久しぶりなんだから、琴梨は智哉に思いっきり甘えなさい。わたしは部屋戻って るから」  手を挙げながらドアへと向かう。 「あ、鮎」  琴梨が布団から置きあがった。 「その、ありがとう…」  琴梨が気付かれぬようちらりと智哉を見ながら鮎に言うと、鮎はニッと笑って小さく 手を振って出て行った。 「桜町さん、千歳基地から連絡が入ってます」  管制室で薫から色々と説明を受けていた最中、オペレータから呼びとめられた。  通常回線ではなく、自衛隊や警察を結ぶ特別回線からだったからだ。 「え? 私? そろそろ帰って来いってことかな」 「そちらの受話器からどうぞ」  指示された受話器を取ると、千歳基地の航空司令部からだった。  急に姿勢を正して、はい、はい、と電話の受け答えをする中、 「ええ!? ……い、いえ、その件は了解しました」  ちょっと動揺しているようだった。  その後も何度か受話器を持ったまま頷いて、受話器を降ろした。 「桜町さん、丁度FAXも届いてるけど…」  管制室に設置していたFAXからも、千歳基地からの連絡文書が届いていた。  夕子が電話中に薫がオペレータから受け取り、書いてある内容を読んで夕子の背 中に同情するような視線を向けていた。 「あー〜、どうせ今の電話の内容を文書化して、正式っぽく通達してるだけでしょう?  たぶん明日にでも正式書類一式が来るわよ」 「FAXだったから内容を確認させてもらったけど、正式辞令なの?」  こくり と、うなだれていた夕子が頷いた。 「え、えーと、歓迎するわ、桜町さん。それで、今日のところはどうするつもり?」 「……今日から泊めさせてもらっていいですか?」 「それは構わないわよ。IDはすぐ作らせるから、ちょっと待ってて」  パイロットである夕子がSTARSで勤務することは本来ありえないことなのだが、基 地からの通達では、本日付でSTARSへの出向を命ぜられていた。  必要な時には基地から戦闘機を飛ばすのも許可されていたが、目標相手に必要に なるとはあまり思えない。  それでも、頻度は減るとは言え、技量維持向上のため週に数回は飛行訓練が行 われるので、完全にSTARSに常駐するわけではない。 「服とか下着とかどうしようかな、もう」  夕子の呟きに、後ろから近づいてきたスタッフの女の子が答えた。 「あの、当面必要なものはこちらで用意できますが…、下着とかブランドもの着用さ れてます?」 「んあ? あー、そんなもの無い無い。普通にジャスコとかで特価売りしてるのばっか りよ」  管制室の数ヶ所で、落胆のため息が聞こえた。 「つーか、戦闘機飛ばすのに、ブランド下着付けてどうするよ」  このセリフはため息への返答である。 「コットン系でサイズがあれば、なんでもいいわよ」 「そうですか。じゃあ準備しますから、後でご連絡しますね」  名前を告げ、ペコリと頭を下げると、奥の扉の向こうへと消えていった。 「至れりつくせりなのね、話に聞いたとおり」  ID発行手続きから戻った薫に、そう呟いた。IDカードはサーバへのデータ入力が済 み次第有効となる。 「能力者には手厚いサポートが付くのよ」 「能力者? 誰が?」 「あなたが」 「聞いてないわよ」 「今言ったもの」 「能力者って、あの目標を見つける能力のこと?」 「そうよ?」 「聞いてないわよ」 「今言ったもの」  呆然として呆ける夕子だが、それも一瞬で、すぐに気を取りなおして薫に向き直っ た。 「まぁ、それはそれとして」  管制室奥の自動ドアが開いた。 「F-15の機銃、使ってもいい?」 「却下です」  ターニャがにこやかな顔で、立っていた。 つづく。 中途半端?