「北へ。White Bio Hazard」

第1話:出会い −2−

 一体何が起きたんだ? 琴梨は何をやったんだ? どうして琴梨はあんなものを 持っているんだ?  智哉の頭の中は混乱を極めていた。  いくつも頭の中で疑問が発生するのだが、それが口から出てこない。  琴梨は前方に伸ばした両腕をゆっくりと下げ、暗い色の瞳で智哉を見つめた。 「お兄ちゃん、携帯電話かPHS、持ってるかな…」  消え入りそうな声。  智哉は頭の混乱が収まらないまま琴梨にPHSを差し出した。 「琴梨です。札幌駅の東豊線連絡通路で、目標をひとつ破壊しました。……はい、… はいわかりました」  短い通話がなされると、智哉にPHSを返した。 「ごめんねお兄ちゃん、驚かせちゃったでしょ」  智哉の顔を見ずに、琴梨がくすりと微笑んだ。  目尻に光る珠が浮かんでいる。  彼女は空いている手でそれをぬぐうと、彼女の手に握られているもの、デザートイー グルのセイフティをかけた。  カツンッと金属的な音が短く響く。  智哉はそれをぼんやりと眺めていた。  目の前の光景なのにどこかしら現実感が無く、なにかテレビ画面を通じて見ている ように感じられた。  琴梨の手に握られている、彼女の手と比べるとあまりに大きすぎる銃。  先ほどの青年はアゴから上を失った姿でその場に倒れていて、その周囲に赤い飛 沫を飛び散らせている。  血臭がプンと智哉の鼻腔を刺激した。  それで智哉も我に返った。  ちょうど琴梨が通路に落ちた薬莢を拾っている時だった。 「琴梨、俺は夢でも見てるのか? どうして琴梨がそんな銃を持って、ヒト殺ししてる んだ? なんで琴梨はそんなに落ちついてるんだ!?」  言葉が堰を切ったように一気に吐き出された。何を言っていいか判らない。ただ口 から吐き出されていく。  そして力を加減することも忘れて、両手で琴梨の肩をつかんだ。  琴梨は一瞬痛そうな表情をしたが、すぐに落ちついた瞳で智哉の瞳を見つめた。 「…ヒト、じゃないよ」  静かに言う彼女の言葉に、智哉の顔が疑問に変わる。 「アレ、ヒトじゃないんだよ、お兄ちゃん」  どう言うことだ? 智哉が赤い池の中に倒れているモノをもう一度見た。  ぴくりとも動かない。 「ヒト、じゃない……?」  こくり。琴梨が無言でうなづいた。 「ヒトだったかも知れない、ヒトじゃないモノ。私たちは「目標」とか「ゾンビ」って呼んで るの…」 「ゾンビ…」  何かの冗談ではないかと智哉は思った。もしくは札幌へ向かう飛行機の中でやっ ぱり未だ寝ているのではないかとも思った。  目の前で倒れているモノはゾンビ。そう言われて、「はいそうですか」と簡単に納得 など出来るわけがない。  ギリっと両手に力が入った。 「ん…」  琴梨が痛さに耐えかねて声を上げた。  その声を聞き、智哉は琴梨の肩をかなりの力でつかんでいる事に気が付いて、慌 てて手を離した。 「ご、ごめん」 「ううん、大丈夫」  わずかな時間、静寂が辺りを包んだ。 「ゾンビって言ったって、…見た目は普通の人と見分けがつかないぞ?」  幾分か冷静さを取り戻した智哉が落ち着いた口調で言った。 「わかるの。なんでだか知らないけど、近くにいると」  琴梨はそれだけを言うと、倒れているモノに向かってゆっくりと足を踏み出した。  両手には再び銃が構えられている。カチリとセイフティを再び解除した。 「琴梨?」 「大丈夫、動かないのを確認するだけだから」  慣れている動作だった。  銃口を”目標”に向けたまま一歩ずつ素早く近づいて行く。  智哉はその場から動かない。いや、動けない、と言う方が正しい。  血臭が強くなっている。嘔吐感がこみ上げたが、ゴクリと音をさせてそれを飲み込 んだ。  それと共にさっきから、なにか妙な違和感を感じていた。琴梨が後ろを振り向く前 から、今でも。  智哉はそれを見知らぬ街に来ているからだと思いこんでいたが、違和感は消えるこ とはなく、少しづつ増大しているようだった。  それでも、それは今見ている光景のせいだと信じていた。  ”目標”から5mほどの距離で琴梨が立ち止まった。  銃を構えたままジッとそのモノを凝視する。  数秒の間の後、琴梨の肩から緊張が去ったように力が抜けた。  構えを解き、銃を降ろす。  ふう、と智哉にまで聞こえるような大きな安堵のため息が琴梨の口から漏れた。  倒れているモノに背を向け、智哉のもとに戻ろうとした時だった。  不快感、違和感、嫌悪感、それらが入り混じったような不快な感覚が智哉の頭の 中に一気に沸き起こった。 「琴梨!」  智哉が叫ぶのと同時だった。  琴梨の背後の血溜まりで倒れていたモノがいきなり立ちあがって琴梨に襲いか かっていた。  僅か5mの距離である。琴梨が振り返った時にはすでに大きく右腕を振り上げてい た。  琴梨は突然のことに身体が動かない。銃を構える余裕も逃げる時間も無かった。  その右腕が振り下ろされようとした時、琴梨に向かって駆け出しかけた智哉の背後 のかなり遠くから、3発の銃声が響いた。  銃声の間隔は0.5秒程だろうか。  琴梨に向かって振り下ろされたはずの右腕はヒジから先が失われ、ぼろぼろのG パンの左膝から下が床に落ち、”目標”自体も後方に向かって倒れ始めていた。  一瞬よりも僅かに長い時間。琴梨が銃を構えて引き金を引くには充分な時間だっ た。  後ろに倒れかけた”目標”は背中から赤い飛沫を飛び散らせ、自らの作った血溜ま りの中に再び倒れることになった。 「ダメじゃない、今のは完全に琴梨の油断よ!」  智哉の背後から少女の声がした。  振り返ると50mくらい先から、大型のライフルを携えたショートカットの女の子が小 走りでこちらに向かってくる。  女の子、とわかったのは声を聞いたからで、パッと見は細めの男の子に見えなくも 無い。  頭にこそ濃紺のベレー帽など被っているが、それ以外は黒のTシャツにジーンズの ショートパンツにハイカットの白いスニーカーという服装だ。  年齢は琴梨と同じか、そうでなくても1つ上下するくらいだろう。  智哉の脇を通り過ぎる時、ちょっとだけ智哉に一瞥をくれたので一瞬目が合った が、歩を緩めただけで、そのまま琴梨のそばまで歩いて行った。 「近づいても動かなかったから…」  琴梨が幾分バツが悪そうな顔で言うものの、あまり緊張感が感じられない。 「動かなくてもちゃんと手順は守らなきゃ。今は私が間に合ったからいいけど、そうで なかったら病院に担ぎ込まれてるわよ」 「うん、気をつける。ありがとう」  琴梨の言葉に少女はニッと笑った。 「ところで琴梨ぃ」 「ん?」 「あのヒト誰? もしかして彼氏?」  琴梨と少女が同時に智哉を見た。 「従兄の北嶋智哉さんだよ、私今日迎えに行くって言ってたじゃない」 「えー、あのヒトが?」  いかにも驚きましたという顔で少女が智哉の顔を見たので、智哉もつい声を上げて しまった。 「なんかご期待に添えなかったようで、すまんね」  ふてくされたように腕を組んだ。しかし実はわざとである。 「あ、いや、ごめんなさい。そう意味じゃないの」  慌てたように少女が弁解した。  とととっと智哉のそばに駆け寄る。 「私、川原鮎って言います。その、東京の方から来るって言うから、もう少し線の細い ヒトなのかなーって思ってたから…。ぶっちゃけジャニーズ系みたいな…」  悪びれた風でもなく、てへへと舌を出した。 「お兄ちゃん、鮎も悪気があって言ったわけじゃないんだし、許してあげて」  同じように駆け寄っていた琴梨も心配そうな顔で助け舟を出す。 「お・に・い・ちゃ・ん?」  しかし鮎には助け舟より、琴梨が智哉を「お兄ちゃん」と呼んだことのほうが一大事 だった。  琴梨と智哉を交互に見返している。 「ち、小さいころからそう呼んでたから…」  琴梨が少し赤い顔でうつむきながら言った。  だが鮎は疑惑のまなざしで琴梨を見つめ続ける。 「ほ、ホントだよ」  鮎の顔がずいっと琴梨の顔に近づいた。 「あ、鮎…ちゃん?」  鮎が先ほどと同じようにニッと笑った。 「ま、琴梨がそう言うならホントなんでしょ」 「だからホントだって言ってるのに〜」  あははっと二人で笑いあった。 「えーと、もう済んだ?」  一人でふてくされたフリをするのに飽きた智哉が二人に声をかけた。 「あ、北嶋さん」 「智哉、でいいよ。堅苦しいのキライだし」 「じゃあ私も、鮎、でいいよ」  そう言って右手を差し出した。  智哉は一瞬躊躇したが、それでも同じように右手を差し出して、鮎の手を握った。  手の感触は柔らかく華奢だった。 「よろしく、智哉」 「よろしく、鮎」  両者ともさわやかな笑顔だ。 「なんだかそうやってると、二人とも友情を確かめ合ってるみたいだね」  そんな二人の光景を琴梨がうれしそうに見つめていた。 「えー、そうかなぁ」  鮎が口元に笑みを浮かべたまま抗議の声を上げる。ただ目は笑っていない。 「いや、実はオレも一瞬そんな気になった」  遠慮気味に智哉が笑うと、鮎は今度は智哉に矛先を移した。 「智哉まで言う? そんなに私、男の子見たいかなぁ」  そう言ってちょっと自分の服を気にしている鮎が、智哉の視線に気が付いた。 「あ〜、そー言うことぉ〜」  智哉の視線の行き先を見て、鮎の目が座る。 「や、そうじゃなくて、その…」  慌てて弁明しようとする智哉だが、すでにそれは遅すぎた。  鮎の右手が固く握られている。 「どーせ、胸がボーイッシュだって言いたいんでしょ! 胸無くて悪かったわね!!」 「待て、どうせ殴られるなら、もう一言言わせてくれ」 「なによ!」 「ブラジャー、必要無いだろ」 「ばぁああかああーーーー!!」  うなる鮎の右拳が智哉の左ほほを打ち抜いた。 「ま、ちょっと足りないけど、これで許してあげる」  声も無くその場にうずくまる智哉に、琴梨が苦笑しながら駆け寄った。  その後、警察や白衣を来た連中が大勢現れ、琴梨たちはその場を離れることに なった。  いいのかなぁ、と智哉が後ろを気にしながらも琴梨たちに連れられて連絡通路出口 に向かっている最中に、智哉の頭に疑問が沸いた。 「ところで、琴梨と鮎ってどんな知り合いなワケ?」 「え? 琴梨? もともとは同級生だったんだけど、私も同じだからって、協力することになったんだよ」 「同じ? なにが?」 「あれ? 智哉も同じだから来たんでないの?」 「なにが?」  智哉と鮎が同時に琴梨に振り返った。 「琴梨、まだ言ってないの?」 「同じってどう言うことだ?」 「あ、あのちょっと、同時に言われても…」 「だから、智哉にまだきちんと説明してないの?」  鮎が智哉を抑えて、琴梨に一歩あゆみ寄る。  腰に手を当てた反動で、肩に下げられた黒いソフトタイプのギターケースが揺れ た。  いつもであれば中にはフォークギターが入っているのだが、今は先ほど使っていた ライフルが収められている。  彼女の使うライフルはH&K(ヘッケラー&コッホ)のG3SG1。7.62mm弾を使用す るセミオート/フルオートでの射撃が可能な、見た目にも無骨な大型のライフルであ る。  5.56mm弾を使うM-16などのアサルトライフルより破壊力が大きいが、反面大型で あるために取り回しには若干難がある。  鮎はフルオートで使うことはほとんどなく、セミオートでの精密射撃を得意としてい た。  いつもであればスコープを装着しているのだが、今日は急だったために外したまま になっている。また滅多に使わない上に、重たくなるのを嫌ってバイポッドの類は外 してあった。  腕の程は、先ほどの射撃の通りである。  ちなみに琴梨の使うハンドガン「デザートイーグル」は50口径の専用マグナム弾を 使用するオートマチック銃で、その破壊力はすさまじく「ハンドキャノン」とも称される シロモノだ。  鮎が言うには「一撃必殺の最初の武器」だそうな。  普段は持ち歩かないが、携帯する時は小さ目のリュックなどにホルスターごと入れ ている。  その琴梨は今、肩にかけていたリュックを両手で前に持ってうつむいていた。 「話そうと思ったんだけど、なかなか言い出せなくて」  ポツリとつぶやくように言う。 「言い難いなら私から説明しようか?」 「ん、いや、やっぱり私がきちんと説明するよ」  はふっと小さなため息をつく。 「とりあえず、家に行きましょ。私も落ち着いて話したいから。ゴメンお兄ちゃん、もう 少し待ってね」  智哉は無言でうなずいた。意識していたワケではなかったのだが、表情が厳しいも のに変わっていた。  琴梨がちょっとだけすまなそうな顔で智哉から目線を逸らした。  琴梨の家で3人は、じゅうたん敷きのリビングのテーブルを囲んで、琴梨の煎れた ロイヤルアイスミルクティを飲みながら、しばらく無言だった。  琴梨と鮎が向かい合って座り、智哉がその間に座っている。  扇風機の風が琴梨の前髪を揺らした。  半分ほどになった智哉のグラスの氷がカランと音を立てた。  鮎は飲み終えて空になった自分のグラスに、ボトルから2杯目のミルクティをそそい だ。 「琴梨、黙ってたってしょうがないよ」  グラスに口をつけながら、鮎が琴梨を促す。 「うーん、でもいざ説明しようとすると、どこから話せばいいやら…」  グラスの氷をカラカラと回しながら、琴梨がちらりと智哉の顔を見た。 「どこからでもいいけど、出来ればわかりやすく」 「うん、ちょっと長くなるけど…」  こくりと琴梨がうなずいて、長い説明が始まった。  事は1年ほど前の事件に端を発していた。  全国紙の隅にも小さく載った事件。  「食人鬼事件」とワイドショーでも扱われたことがある、札幌市内で発生した暴行事 件であった。  ごく普通の高校生がいきなり学校内でクラスメイトを襲い始めたという事件だった。  ただそれだけであれば単なる暴力事件で処理されるのだが、市内3箇所で同時に 発生し、しかも被害に遭った生徒は、身体のあちこちを噛み千切られていた。  それだけでなく、暴行を犯しているモノは身体に変化が現れていた。意味不明な言 葉をつぶやき、常人では考えられない力を振るい、皮膚が赤黒くただれ、さながらゾ ンビのような姿へと徐々に変貌を遂げて行ったのだ。  取り囲んだ機動部隊がやむなく発砲しても倒れず、全身を蜂の巣にされ、身体中を 吹き飛ばされてもまだ動こうとしていた。  結局、琴梨がやったように、頭部の破壊で動きを止めたのだが、最終的には30人 を超える負傷者を出していた。被害者は重傷者はいたが、死者が出なかったのだけ が不幸中の幸いと言えた。  その後も単発ながら同様の事件の発生が続いた。  事態を重く見た警察は特別捜査班を設置したが、原因が特定できずまったく事件を 追うことが出来ない。  そこで、事件解明と被害拡大の防止を目的として、官民を含めた新しい組織が設 立された。 「それがS.T.A.R.Sって言う、私たちが所属するとこなの」 「Sapporoなんとかかんとかうんたらかんたらってのの略なんだけど、詳しくは忘れ ちゃった」  琴梨の言葉に鮎が補足にならないような補足をした。 「大体判ったような、よく判らないような。でもなんで琴梨や鮎がそんなとこで危険な マネしなくちゃならないんだ?」 「私たちはね、”目標”が判るの。理由はまだ調査中らしいんだけど」  鮎がボリボリと氷をかじりながら琴梨に先んじて言った。 「連中がいるとね、なんかこうザワザワするって言うか、イヤな気分になるって言う か。結局警察とかだと連中がゾンビ化してなにか起こさないと対処できないんだけ ど、私たちだと何か起きる前に対処できるってワケ」 「でもそのなんだ、ゾンビ化する前って、普通の人間と変わりないんだろ?」 「見た目はね。でも言ってしまえば脱皮前のカニみたいなものだよ。ヒト襲わないだ け」  言い終わって、グラスの中の最後の氷を口に放り込んだ。 「あ、鮎、氷いる? まだ冷蔵庫にミルクティ冷えてるけど」 「いや、もういいよ。お腹タプタプになっちゃう」  さっきから一人でミルクティを飲みつづけることすでに4杯。1リットル入りのボトルは すでに空になっていた。 「お兄ちゃんは?」 「えーっと、もらおうかな」 「じゃあこれ、ちょっと台所に下げてくるね。乾いちゃうと汚れ落ちにくくなっちゃうか ら」  そう言ってテーブルのボトルを持って琴梨は台所に消えた。  智哉と鮎は二人とも無言でそれを見送っていたが、琴梨が見えなくなると、鮎が智 哉に向かって身を乗り出した。 「ねぇ智哉、琴梨ってどう思う?」  いつもの6割減の声。その口元は笑っているが、なんだか目が笑っていない。 「どうって?」 「にっぶいなぁ、あんたわ。私ね、一ヶ月も前から琴梨から智哉の事聞いてるんだ よ? しかもほぼ毎日。あれは絶対あんたに惚れてるね」 「一ヶ月前って…、オレ一ヶ月前なんて札幌に来る予定なんて全然なかったぜ? な んでそんな前から…」 「そんなことはどうでもいいの。私が興味あるのは、琴梨と智哉がどうなっていくか、 ダケ」 「そんなの鮎の勝手な思い込みだろ? そりゃオレの事も昔のように慕ってくれてる みたいだけど。あくまで従兄妹同士ってだけだろ」 「いやいや、判りませんよーダンナ。琴梨の性格は智哉より私の方がずーーっと良く 知ってるわけだし」  鮎がにゅふふ〜んと鼻で笑って、腕を胸の前で組みながら背後にあるソファに寄り 掛かった。 「どう? 私から見ても結構琴梨っていいセン行ってると思うけどなぁ」 「まぁ、否定はしないな」  顔が火照るのを感じ、グラスに残っている氷を2ついっぺんに口に含んだ。 「お、なんだか顔が赤いですぜ? ミャクありってカンジですか?」  鮎が再び智哉に向かって身を乗り出した。 「だーかーらー、それとこれとは別だろうが」  その直後、 「おまたせ〜。ついでだから洗ってきちゃった」  琴梨がパタパタとスリッパの音をさせて台所から戻ってきた。  手には2本目のミルクティのボトルを持っている。冷蔵庫から出したばかりなのか、 表面がうっすらと曇っている。 「あれ? どうしたのお兄ちゃん、顔が赤いよ?」  座布団を整えて座ろうとした琴梨が智哉の顔が赤いのに気がつき、彼の目の前ま で顔を近づけた。 「や、や、や、な、な、なんでもない、いやー札幌も暑いねぇー」  慌てたように座布団ごと後ろに下がって、あははと乾いた笑いで誤魔化した。  直前まであんな話をしていて、意識するなと言う方が無理だろう。 「扇風機、そっち向けるね」  琴梨が扇風機の首を動かすと、智哉の髪がサーっと揺れた。  火照った頭を冷やすのにはちょうどいい。すーっと気分が落ち着いていくようだっ た。 「えっと、どこまで話したっけ」  琴梨があらためて席について、ミルクティを自分のグラスと智哉のグラスに満たし た。  鮎にも注ごうとしたが、鮎がお腹をさすって顔の前でイヤイヤと手を振るので、ボト ルの口を閉めてテーブルに置いた。 「そうそう、STARSがどうとかってとこまで」  智哉がテーブルに両肘を載せて言った。 「あ、そうだった。それで、STARSが設立されたわけなんだけど」 「そう、そこに琴梨たちがいる理由を聞いたら、その”目標”とか言うのを判別する能力 があるって事、だったよな」 「琴梨たち、だけじゃないよ。智哉もおんなじだよ」  鮎が智哉の顔をまっすぐに見て言った。 「おんなじって、オレも同じそんな能力があるってことか?」  鮎と琴梨が同時にうなずく。  智哉が鼻で笑った。  そんな能力など聞いたことが無い。そもそも智哉は超能力やその類をあまり信じて いない。  他のヒトがどんな能力を持っても否定はしないが、自分にその手のへんな「力」が あるというのには否定的だった。 「さっき、お兄ちゃん連絡通路の中で私に向かって叫んだよね」  琴梨が正面から智哉を見据えている。  いつもの目つきではない。真剣そのものだ。 「あ、ああ、でもアレは…」 「その時、どんな感じだったの?」 「え、と、良く覚えてないけど、妙な違和感というか、気持ち悪さというか、そんな感 じ、だったかな」 「それって、いつぐらいから?」 「っと、…琴梨が最初に後ろ振り向くちょっと前から、…その時は気のせいかとも思っ たけど」 「私に向かって叫んだと言うことは、その感じを受ける方向もわかってた、違う?」 「……違…わない」  まさか自分がそんな変な能力を持っているなどとは、智哉はまだ信じられないでい た。  偶然だ。そう言いたかったが、偶然で無いことは判っている。あの男が鮎に撃た れ、琴梨に撃たれて動かなくなった時、妙な感覚がウソのように消えたからだ。  頭が重い。気分も重かった。  琴梨の次の言葉は判っている。「それが能力だよ、私たちと同じ」。  でも判らない。なぜ自分や琴梨たちにそんな力が備わっているのか。  いきなり身についたものとも思えない。かと言って何かされたような記憶も無い。生 まれつき持っていたとしても、そもそもそんなのを身につけている理由が無い。 「理由は解明されてないわ。ただそう言う現象が一部のヒトに見られるって事実だ け」  リビング入り口から声が聞こえた。 「お母さん」  琴梨が立ち上がった。 「今日は会議で遅くなるって言ってたのに」  陽子が微笑みながらゆっくりとリビングに入ってきた。  琴梨と同じ髪の色。後ろ手にまとめた髪を左肩から前に垂らしている。背は琴梨よ り頭半分ほど高い。  見た目も若く、とても高校生の娘がいるようには見えない。  来る時に智哉が持ってきた写真のまま変わらなく見えた。 「その会議の主役がまだ帰ってこないのよ。今日の午前中の飛行機で千葉の研究 機関から帰って来るはずだったんだけど。だから帰ってきたら連絡もらうことにして、 私も帰ってきちゃった。智哉くんの顔見たかったし」  歩きながらそう言うと、智哉にいきなり抱きついた。 「キャー久しぶり〜。あんなちっちゃくて可愛かった智哉くんが、こーんなに男らしく なっちゃってー」  智哉の頭を胸に抱いて、グリグリと頭を撫でている。  突然の出来事に固まってしまっている智哉。 「ちょっとお母さん、お兄ちゃん固まっちゃってるじゃない」 「お兄ちゃん? あんた、まだ智哉くんをそう呼んでるのかい?」 「だ、だって、ずっとそう呼んでたんだもん。いきなり智哉さんなんて言いにくくて。お 兄ちゃんもそれでいいって言ってくれたし」  赤い顔で琴梨が反論した。 「ふーん、琴梨は智哉くんがお兄ちゃんでいいんだ」 「え?」 「ちょ、ちょっと叔母さん、もうそのへんで、カンベンして下さい」  智哉がバタバタと騒いでいる。  親戚とは言え、こういうことには免疫が無いらしい。 「ああ、ゴメンゴメン」  パッと手を離すと、智哉がゴロンと床に転がった。頭をぶつけなかったのは運が良 かっただけだろう。 「あんなんだけど、いつでも嫁にあげるからね」  陽子が琴梨を指差しながら、智哉に耳打ちした。琴梨に聞こえるように言ったのは ワザとだ。 「お、お母さん!」  真っ赤になって起こる琴梨を見て、陽子はおかしそうに大笑いしていた。 続く