「北へ。White Bio Hazard」

第1話:出会い −4−

「チチチチ……」  空がゆっくりと白み始めていた。さほど遠くないところから目覚めたばかりの鳥のさ えずりが聞こえる。  夏でも札幌の早朝は、硬質な冷気を伴った空気に支配されていた。  しかし空は雲一つ無い晴天である。太陽が昇ればじきに昨日のようなカラッとした 心地よい暑さに包まれることだろう。 「んー、やっぱりこっちのほうが落ち着くわね…」  ローカルテレビ局の駐車場で、陽子の横を一緒に歩いていた女性が、大きく伸びを した。  陽子に比べれば若く見えるものの、落ち着いた雰囲気は陽子にも負けていない。  ウェーブのかかった髪を少し鬱陶しそうにかきあげた。 「ご苦労だったわね、薫。今日は帰ってゆっくり休んでちょうだい」  クルマのカギを開けながら、陽子が云った。 「ええ、そうさせてもらいます。昨日からゴタゴタしてて、シャワーも浴びれてないです し」  微笑みながら陽子のクルマの後部座席のドアを開けてボストンバッグを放り込む と、助手席を開けて乗りこんだ。  この時間ではまだJRも地下鉄も市営バスも運行していない。始発が出るまで本部 の宿泊室で休んでいくと言った彼女を、ついでだからと陽子が送ることにしたのだ。 「智哉君は無事に家のほうに?」 「ええ、ちょっと色々遭った様だけど、無事に着いたわ」 「昨日羽田空港で会ったときは、何も知らずに居たみたいだった様子でしたけど…」 「あら、羽田で一緒だったの? そんな話、初耳よ?」 「私もまさかあんなところで会うとは思ってもいませんでした」 「そう…。ご両親、といっても私の兄夫婦なんだけどさ。兄にはきちんと話をしておい たんだけど、結局智哉くんには言えなかったみたい。まぁ解らないでもないけどね …」  少し言葉に自嘲しているような雰囲気が感じられる。  恐らく自分も琴梨を同じ目にあわせているからだろう。 「事が事ですからね、でも今は一人でも多く能力を持ったヒトが欲しい」  薫がシートベルトをバックルにカチンと挿しこんで、小さくため息をついた。  キュキュッと一瞬高い音が聞こえた後、ゴウンとエンジンがうなりを上げる。 「そうね、愛田さんの娘さん、めぐみちゃんも今日札幌に着くはずよ」  ゆっくりとクルマが駐車場の中を走り、出口へと向かう。 「私も一人、心当たりがあるんですが…明日にでもコンタクトを取ってみます」 「お願いするわ。でも無理強いはしないでね」 「判っています」  薫が視線を助手席の窓に向けた。静まり返った街並みが後ろに流れて行く。それ と対照的に街路樹の青さが目に付く。 「もう夏なんですよね…」 「早く、終わりにしたいわね」  陽子のつぶやきに、薫は無言で小さくうなずいた。 「では、どうもお邪魔しました」  琴梨の家の玄関からターニャが両手でバッグを持って、玄関の中にいる琴梨と智 哉に頭を下げた。 「じゃ、またねー」  ターニャの後ろの鮎が笑顔を浮かべながら胸の辺りで手を振っている。 「うん、またね」 「おう」  琴梨と智哉がそれに応えて手を振り返した。 「なんだかそーやってると、アレだねぇ」  鮎が何やらにやにやして言う。 「また何かヘンなこと考えてねーか?」 「いや別に〜」 「……別になにもなかったんだからな」  赤い顔で智哉が鮎の耳元でそう小声で言うと、 「せっかくお膳立てしてあげたのに」  彼女はケラケラと笑いながらターニャを置いて先に通りに出ていった。 「私もこれで」  もう一度ターニャは頭をさげると、鮎の後を追うように通りに出ていった。  二人の後ろ姿をしばらく琴梨たちは見送っていたが、角を曲がって見えなくなると、 ドアを閉めて家の中に入った。 「さて、私は洗い物しちゃうから、お兄ちゃんはリビングでゆっくりしてて」 「あぁ、うん」  スリッパにはきかえた琴梨がパタパタと台所に向かって歩き出した。  智哉はその途中のリビングに入り、ソファに座ってしばらくボーっとしていたが、テー ブルに置いてあるテレビのリモコンを手にとってテレビをつけた。  チャンネルを切り替えるとワイドショーや朝のバラエティ番組、連続ドラマなどがやっ ていたが、特に興味を引くようなものはやっていなかったので、テレビを切った。  リモコンを置く代わりに、今度は同じくテーブルにのっていた朝刊を手に取った。  ローカル紙だが北海道ではわりと大手である新聞だ。  テレビ欄を一通り眺めたあと、社会面をめくり4コママンガをチェックし、ザッと紙面 に目を通す。  交通事故、火事、水難事故、その他小さな事件。だが昨日智哉たちが遭った事柄 についてはどこにも載っていなかった。  昨日の夕刊かなと思い、台所まで行ってフンフンと鼻歌を歌っている琴梨に声をか けた。 「昨日の夕刊って無い?」 「わ、ビックリした」  危うく洗っている皿を取り落とすところだったが、間一髪のところで掴みなおすこと が出来たようだ。ふう、と小さく安堵の息を吐いた。 「えと、夕刊? まだリビングにあると思うけど、朝刊持ってきてるよ?」 「いや、昨日のアレ、載ってないかなって思って」 「あー、たぶん載ってないと思うよ。先月くらいから規制されちゃってるから」 「規制?」 「うん」  カチャカチャと4人分の食器を洗いながら、琴梨がさも当たり前のようにうなずく。  確かにあんなことを報道していればいずれパニックにでも成りかねないだろうが、そ れでも今年の春くらいまでは東京のほうでもワイドショーネタにはなっていた。 「アレが起きたばかりの頃はまだしも、最近はよく起こるから。パニックとかを避ける ために報道規制してるんだって」  そう言うこともあるかもしれない。智哉はそう納得すると再びリビングに行こうとした が、その背中に琴梨が声をかけた。  洗い物が一段落したのか、エプロンで手を拭いている。 「お兄ちゃん、今日は何か予定ある?」 「んにゃ、別に何も無いけど」 「じゃあさ、今日は私に付き合ってくれないかな」 「いいけど、どこ行くんだ?」 「うん、札幌駅前のデパートとか、ハンズとか。あと夕方頃に札幌駅にヒトを迎えに行 くんだけど…」 「いいよ、ヒマだし。迎えに行くって誰かまた来るのか?」 「うちに来るわけじゃないんだけど、私の従姉妹が札幌に来るの」 「そっか、オッケーわかった。じゃあ片付け終わったら行こう」 「うん、もう少ししたら終わるから、リビングで待っててね」  琴梨はそう言うとうれしそうに笑って、また台所で洗い物の続きを始めた。  今度は食器ではなくナベやフライパンと格闘している。  智哉はちょっとの間琴梨の後姿を見ていたが、琴梨の鼻歌が出始めた辺りでリビ ングに戻って、さっきまでと同じようにソファに座ってボーっとしながら、昨日からの出 来事をなんとなく思い出していた。  羽田で会った女性。千歳空港での琴梨との再開。札幌駅での出来事。STARSの こと。鮎やターニャと会ったこと。まだ札幌に着いてから24時間も経っていないのに ずいぶん色々あったな、と智哉は思う。  すでに北海道旅行はただの旅行では無くなってしまったのだが、どうやら琴梨や鮎 の話を聞いていると、最初からそう言うものだったらしい。 「STARS、か」  背もたれに身体を預けながらつぶやいた。  夕べ勢いで「協力する」などと言ってしまって、今更ながら少し軽率すぎたかと、昨 日の昼間の事件を思い返しながらため息をつく。  それとほぼ同時に、廊下から足音が聞こえた。  トタ、トタ、トタ、と一歩一歩リビングに近づいてくる。  足音はリビングの手前でしばらく立ち止まり、そしてリビングに入ってきた。 「お、おばさん?」  入ってきたのはフラフラとした足取りで、半分寝ているような顔をした陽子だった。  太ももくらいまである長めの白いTシャツを着ているが、どうもその下は下着一枚ら しい。  あたふたとする智哉に構わず、ボーっとした表情で智哉の隣のソファに腰を下ろ す。  そのままソファに身を預けると、 「くー」  と寝息が聞こえ始めた。 「あ、お母さん、またそんな格好でそんなところで寝て!」  トタトタ言う足音が聞こえたのか、琴梨がエプロンで手を拭きながらリビングにやっ てきて、陽子の前で腰に手を当てて少し大きめの声で言った。 「ぁ? 琴梨ぃ? おはよぅ…」  一瞬だけ目が開いて琴梨の顔を見たが、また静かな寝息を立て始める。 「おはようじゃないでしょ。お兄ちゃんビックリしてるじゃない」 「お兄ちゃん、おはよぅ…」  陽子が手を力無くひらひらとさせた。だが目は閉じたままである。 「寝るならちゃんと部屋で寝なさい」 「あと5分…」 「ほら、部屋行くよ」 「はぃ…」  琴梨にそう言われた陽子は、またフラフラと立ち上がり、やはりふらふらとした足取 りでリビングから出て行った。  その後ろを困った顔の琴梨がついて行く。  ドアが開き、そして閉まる音が聞こえた。  ペタペタと一人分の足音がリビングに聞こえてくる。 「ゴメンね、お兄ちゃん。ビックリしたでしょ?」  心持ち疲れたような表情の琴梨がリビングに入ってきた。 「いや…、おばさんって、朝弱いのか?」 「そんなことも無いんだけど、夜勤明けとか、徹夜とかすると寝ぼけちゃうみたいなん だよね…」 「なんか、意外なもの見たな…」  ちょっと顔を引きつらせて、智哉がつぶやいた。  午前11時過ぎ。  智哉と琴梨は地下鉄に揺られながら札幌駅に向かっていた。  車内には二人を除いて客がおらず、札幌市営地下鉄独特の走行音が車内に響い ていた。 「で、なに買いに行くんだ?」 「うん、紅茶とハーブティが切れてきたから買っておこうかと思って」 「へぇ…」 「いいハーブティの店があるの」  ニコリと琴梨が笑った。  それに対して、智哉はアゴに手を当てて何かを考えていた。 「前々から思ってたんだが、ハーブティって、要するに乾燥させたハーブを混ぜて煎 れたお茶だろ? お茶ッ葉でなくても『お茶』なのか?」  智哉が首をひねる。 「うーん、よく判らないけど、乾燥した葉っぱを煎じたものが、お茶、なんじゃないか な? ヨモギ茶とかもあるし」 「ペットボトルのお茶だと、玄米とかしいたけとかみかんの皮とかよくわからん木の皮 なんかも入ってるぜ?」 「…うーーーーーん」 「タンポポはコーヒーだよな」 「んーーー、炒るから、じゃないかな…」 「ほうじ茶は?」 「……そゆこと言うお兄ちゃん、嫌い」  プイッと琴梨がほほを膨らませてそっぽを向いた。 「いやその、怒った?」 「怒った」  琴梨が智哉と微妙な間を開けて座りなおす。 「そう言うつもりで聞いたわけじゃないんだけども…」 「……」 「あのー、琴梨さん?」 「…ダージリンティ」 「うん?」 「アッサムのダージリンティで、許してあげる」 「判った。じゃあ買い物が終わったら行こう」 「ホント? やったぁ」  まぁお茶くらいで済めば安いもんだと智哉は思うのだが、買い物の終わった二時間 後、智哉はとんでもない事実に直面するのだった。 「……」 「やっぱり、いい香り」  メニューを見て固まっている智哉とは対照的に、琴梨はティカップから立ち上る香り に目を細めていた。  紅茶専門店「アッサム」。店内は落ち着いた雰囲気の作りで、柔らかい白熱灯と静 かな音楽が店内を包み込んでいる。  洒落た喫茶店といった感じなのだが、メニューは紅茶がほとんどで、それ以外に自 家製のケーキが数種載っているのみである。 「紅茶、だよな?」  智哉の目の前にも琴梨と同じモノが置かれ、淡い湯気をくゆらせている。 「うん、一度飲んで見たかったんだ。ここの最高級ダージリンティ」  琴梨はそう言って一口飲んで、恍惚とした表情を浮かべた。 「…なんか、すごい世界を垣間見た気がする…」  ようやくメニューを置いて、目の前のカップをゆっくりと持ち上げた。 「あ、大丈夫だよお兄ちゃん。私自分の分は払うから。…ホントはお兄ちゃんと一緒 に飲みたかっただけだから…ごめんなさい」 「いや、オレがおごるって言ったんだし、琴梨は気にしなくていいよ」  カップに口をつけ、一口飲んだ。  紅茶の香りが鼻を抜ける。心地のよい香りだった。 「よくは判らないけど、なんか、いいなこれ」 「でしょ」  琴梨がうれしそうに大きく頷いた。  30分ほどして二人は店を出た。  智哉の手には先ほど買ったハーブティの包みが抱えられている。  琴梨はちらりと腕時計で時間を確認すると 「まだもう少し時間あるみたい」  と智哉に向かって言った。 「どれくらい?」 「1時間ちょっと」 「札幌駅で待ち合わせてるんだよな?」 「うん」 「じゃあさ、道庁とか時計台とか見てる時間、あるかな? 折角だからちょっと観光し たい」 「大丈夫だと思うけど、どっちから見たいの?」 「どっちでもいい」 「じゃあここからなら道庁のほうが近いから、そっちから行こう」  そう言って歩いて行く琴梨の後ろを、智哉は周囲をキョロキョロするようについて 行った。  10分ほど歩いて道庁にたどり着いた。  大きな鉄製の柵のような門が左右に大きく開かれ、その正面に絵葉書などで見覚 えのある、旧道庁庁舎、通称赤レンガが建っている。  その正面、門と庁舎の間には大きな花壇があり、その前で数人の観光客と思しき 人達が写真を撮っていた。  門を入って左右を見ると、木々に囲まれた池があり、その中をカモたちがゆったりと 泳ぎまわっている。  時折観光客の投げ入れるパンを見つけては、慌てて数匹がよってきては餌の取り 合いをしていた。  池の周囲では涼むヒト、風景画を描くヒト、カモに餌をやるヒトたちが見える。  昔道庁の池には、甲長50cmはあろうかというカメが棲んでいたと言う話だが、今は どうなっているのかは知らない。  古い建物だけに、それなりのいわくもあるのだが、割愛する。  正面から道庁の写真を撮ったヒトは、くれぐれも写っている窓を一つ一つチェックし ないのがシアワセかもしれない…。 「絵葉書で見たのとおんなじだな…」 「それはそうだよ。この辺から写真撮るんだもん」 「でも池があるとは思わなかったな」 「カモさんとかコイさんとかいるんだよ」 「へぇ…」 「ほら、行って見よう」  琴梨が智哉の手を引くようにして池のほうまで歩く。  その足音を聞きつけて餌をくれると思ったのか、数匹のカモが琴梨たちの足元に ゆっくりと寄ってきた。  それを見てさらに遠くのカモも寄ってくる。  見る間に10匹近いカモが目の前をうろうろと泳ぎ回ることになってしまった。  こちらを見ていないようで実は見ている目が怖い。 「ゴメンね、なにも持ってないんだ」  琴梨が済まなそうに片手を振ると、それを察したのか一匹二匹と二人の前から離 れていった。  最後まで粘っていた一匹が目の前から遠ざかると、さっきから智哉の手を掴んだま まだったのに気がついた琴梨が、 「あ…」  と小さく声を上げて手を離した。 「じゃ、次、時計台行こうか」  琴梨が智哉に振り返りながら言った。心持ちほほを赤らめていたが、智哉はそこま では気がつかなかったようだ。  再び門を抜け、やはり10分ほど歩いて時計台に着いた。  道路を挟んで向こう側にある時計台は、ビルに囲まれて頼りなげに建っているよう にも見える。 「こっちは、絵葉書とはちょっと違うよな…」 「ビルに囲まれちゃってるからね」 「なんか不思議な感じだよな。近代的な街なのに、そこにこんなレトロな建物があっ てあんまり不自然感じないんだから」 「前は移転とか色々話あったんだけど。でも私も時計台はここに会ったほうが似合っ てると思う」  灰色のビルの中、赤と白のコントラストがどこか不思議な世界を作り出していた。 「鐘、鳴るかな」  時計台の長針があと3分ほどで真上を指すところだった。  智哉がぽつりと言った言葉に琴梨がちらりと彼の横顔を見上げた。 「鳴るまで待ってようぜ」  その視線に気がついた智哉が、琴梨の顔を見ながら言った。 「うん」  再び視線を時計の針に戻した智哉に気が付かれないように、琴梨が半歩、智哉の そばに寄った。  長針が真上を指したとき、乾いた大きな鐘の音が、周囲の街中に響き、溶けていっ た。  時計台の鐘が最後の音を響かせて、その残響が雑踏にかき消された後、二人は そのまま札幌駅へと向かった。 「今は高架になっちゃってるけど、昔はちゃんと地面にホームがあったんだよ」  連絡通路を歩きながら琴梨がそんなことを言った。  札幌駅が高架になったのは、10年以上前の話である。高架になる前は駅舎もよく 言えば趣があるたたずまいだったのだが、近年では駅舎は駅ビルになり、さらに近 代化が進んでいる。  自動券売機で入場券を買い、改札を入った。 「何番ホーム?」  琴梨と一緒に電光掲示板を見上げながら智哉が言う。 「んーと、特急スーパーホワイトアローだから……6番かな」  琴梨はそう言うと、智哉の袖を引くようにして6番ホームに上がるエスカレータに向 かった。  ちょっと長いエスカレータを昇ると、札幌駅のホームが目の前に現れた。  札幌駅は1番から10番までのホーム全てが、一部を除き、一枚屋根で覆われて いる。  極端に言えばホームから線路から丸ごと一つの建物に入っているような造りになっ ている。  おかげで真冬の吹雪の中でも、札幌駅のホームは雪が積もることがあまり無い。 ただし寒気は吹きぬけてしまうのだが。  排気穴のように屋根の一部が開いているのは、北海道ではまだ気動車が第一線 で活躍しているためである。  琴梨たちの目指した6番ホームには、まだ特急は入線していなかった。 「まだ来てないね」  琴梨がホームを見渡しながら言う。 「そのうち来るだろ」  智哉はそう言うと近くのベンチに腰掛けた。琴梨もそれに習って智哉のとなりに腰 掛ける。  二つ向こうのホームに停まっていた特急型気動車が、ガラガラとエンジンを唸らせ て動き出した。  智哉の見なれている電車と違い、かなり大げさな発車風景に見える。  しばしの間の無言。  智哉はボーっと出入りする列車を眺め、琴梨は肩にかかった髪の毛を指でいじりな がら、線路を挟んだ向こう側のホームを行き交うヒトたちを眺めていた。 「で、どう言うヒトなんだ?」  ふいに智哉が琴梨に向かって口を開いた。 「へ? え? なにが?」  突然だったので慌てる琴梨。 「いや、これから来る琴梨の従姉妹って、どんなヒトかって」 「あ、めぐみちゃんって言うんだけど、お母さんのお姉さん、えーと愛田さんの娘で、 今中学3年生」 「ふうん…、って、それって俺の従妹でもあるんじゃないのか?」 「あ、そう言えばそうだね」  琴梨の母親は智哉の父親の妹で、めぐみの母親もやはり智哉の父親の妹でもあ る。めぐみの母親家族とは、智哉が生まれてからの親戚付き合いは無い。  愛田と結婚する事になって兄妹間で色々とあったらしいが、智哉には話されていな かった。 「そんな親戚いたなんて、初耳だぞ。まったく親父は…」  なにか思案しているような表情で智哉が琴梨から視線を外す。 「その子、やっぱり同じ、なのか?」 「うん…、そう言ってた」 「そっか…」  再び二人は無言になる。  間もなく6番ホームに特急電車が入線してきて智哉たちの目の前で静かに停止し た。旭川、札幌、室蘭を繋ぐ特急電車として活躍している、781系特急型交流電車で ある。  プシュッと圧縮空気の音がなってゴロゴロとドアが開き、大きな荷物を持った人た ちが降りてくる。  智哉たちのいるベンチよりも1両後ろの車両から、その体つきとは不釣合いなほど 大きな荷物を引きずっている女の子が、最後にホームに降りてきた  キョロキョロと辺りを見まわすように首を回すと、おかっぱのようなショートカットの髪 の毛がそれに少し遅れてふわりと動く。  智哉と琴梨が気づく前に、その子が琴梨の姿に気が付いて、彼らのほうに一歩足 を踏み出した。  しかし、何も無い地面に躓いて、顔面から地面にスライディングをかます。 「い……いたぁい…」  その声に智哉が先に気がついた。  声のしたほうを見ると、顔面から地面に倒れている女の子が見える。 「おーい、大丈夫か?」  言いながら立ち上がると、琴梨も智哉の目線の先にいる人物に気が付いた。 「あ、めぐみちゃん…」  慌てたように琴梨が立ち上がって、智哉の脇をすり抜けるように女の子の元に駆け 寄った。  智哉がめぐみの元にたどり着く頃には、女の子は琴梨に支えられるようにして、顔 面を押さえつつその場に座りこんでいた。  鼻の頭とおでこが少し擦りむけたように赤い。とっさに腕でかばったのか、ヒジから 手首にかけた辺りも少し赤くなっていた。 「大丈夫?」  琴梨が心配そうに話しかける。 「あっははー…、大丈夫…」  涙目で言うその姿は、あまり大丈夫そうじゃない。  鼻を押さえて少しふらふらしながら、琴梨の肩を借りながらゆっくりと立ちあがった。  背の高さが智哉の胸くらいまでしかない、小柄な子だった。 「器用だな。何も無いのに転ぶなんて」  別にからかったわけでもなく、智哉の素直な感想だ。 「うるさいわねー、好きで転んだんじゃないもん! …って、あなたダレ?」  語気を荒くして智哉を睨み付けたかと思ったら、直後に顔に「?」マークをいっぱい つけた表情に変わった。  智哉の鼻先に指を突き出して琴梨のほうを見る。 「あ、えーと、私の従兄の智哉さん」 「いとこ?」 「北嶋智哉だ」  鼻先に指を付きつけられたままなので、智哉もあまり気分が良くない。つい、ブスッ とした言い方になってしまっていた。 「なんか、愛想悪い」 「悪くない」 「まぁまぁ、二人とも従兄妹同士なんだから仲良くしようよ」  琴梨が苦笑しながら二人をなだめにかかる。  だが、その言葉に智哉とめぐみが同時に琴梨に向き直った。 「初対面だけどな」 「わたし、知らないよ、このヒト」 「このヒトじゃない、北嶋智哉だ」 「どっちでもいいじゃないそんなの」 「いいわけないだろ。それじゃオレもお前を『ちんちくりん』呼ばわりするぞ」 「ちっこくないもん、まだまだこれから成長するんだもん! 琴梨ちゃん、なんなのよこ のヒト」 「いや、だから、後で詳しく説明するから、とりあえず家行こうよ…」 「だーから、ちゃんとオレは名乗ってるじゃねーか。名字でも名前でもどっちでもいい から、このヒト呼ばわりするな」 「お兄ちゃんも大人気無いよ、年上なんだから…」 「お兄ちゃん? 琴梨ちゃんって一人っ子じゃ…」 「あ、いや、その、あの……」  またもつい口を滑らせた琴梨のおかげで二人の口ゲンカは収まったわけだが、昨 日から通算4度目の「智哉をお兄ちゃんと呼ぶ経緯について」を説明することになっ てしまった。  さすがに4度目なのでそれほど照れた様子も無かったが、やっぱりほほが少し赤く 染まっていた。 「…やっぱり、お兄ちゃんて呼ぶの止そうかな…」  説明し終わって、がっくりと琴梨が肩を落す。 「なんかあと2、3回説明しなきゃ行けない気もするし…」 「琴梨がそう言うならオレはどっちでもいいけど」 「智哉と琴梨ちゃんってそう言う関係だったの?」 「ぐあっ、呼び捨てかい」 「名前で呼べば呼んだで文句言うし。なによ、お兄ちゃんって呼んで欲しいの?」 「欲しくないね」 「じゃあ文句言わないでよ」 「せめて『さん』付けとか、あるだろ」 「従兄妹じゃない。固いコト言わないの」 「がぁー、ああ言えばこう言う」 「あーもー、判ったわよ。じゃあ智ちゃん。決定! その代わりわたしも『めぐたん』っ て呼んで言いから」  それはそれでイヤだと思う智哉だが、これ以上言っても埒があかないと判断したの か、そのまま黙ってしまった。 「あれ、以外と好評?」 「妥協だよ」  はぁ、と智哉は大きく息を吐いた。 「えと、もういいかな、二人とも」  琴梨が二人から一歩離れたところから、微妙な笑顔を向けていた。 続く