「北へ。White Bio Hazard 」

第2話:再開 −1−

「送信、っと」  ノートパソコンのEnterキーを押して、智哉はメールを送信した。  12月。  智哉は北海道から戻り、すでにもとの生活を過ごしていた。  折れた腕も今ではギプスも外れ、リハビリでずいぶん筋力も戻っていた。  骨をつないでいた金具は、こちらに戻ってから近くの総合病院で外されていた。  東京に戻ってからは琴梨とはほとんど毎日、鮎からは週に2〜3度程度のメールが 送られてきては、お互いの近況やたわいない話を交換し合っていた。  お互い学生の身なので長距離電話はやめようと、札幌を離れる時に約束している ため、智哉と琴梨はほとんど電話での会話はしていない。それでも、二人には充分 だった。  入院中の薫の家庭教師のおかげで学校でも授業の遅れはほとんど無く、休んでる 期間についての処置は特に取られる事は無かった。  3日前に鮎から、今日は大雪が降った、とのメールが来ていた。  12月の北海道がどんなところか良くわかっていない智哉ではあるが、3日経った今 日、その返事を書いて送っていた。  琴梨からはここ2〜3日ほどメールが来ていない。  催促するのも躊躇われるので何度もメールを送ったりはしていないが、少し、心配 だった。  あと2日で冬休みに入ろうとしている、そんな普通の朝だった。 「トゥルルルル、トゥルルルル、」  これから学校へ行こうと身支度をしている最中に、1階の居間で電話が鳴ってい た。  電話は智哉の母親が取ったのだが、すぐに2階の自室にいる智哉が呼ばれた。 「智哉、電話。川原さんって言う子からだよ」  カバンとコートを手に持ってドタドタと階段を降り、受話器を取った。 「もしもし、智哉ですけど」 「あ、智哉? 私、鮎です…」  声に力が無かった。だが気にせずいつものように話しかけた。 「おお、久しぶり。どうしたこんな朝早くに」 「…、うん、その、……、別に用ってほどの用事は無いんだけど、…」  歯切れまで悪い。 「用が無いって、こんな朝にかけて来ておいて、用が無いわけないだろ」 「えっと、今日の新聞とかニュースとかまだ見てない?」 「見てないよ、今着替えて部屋から出てきたところだし」 「そんなゆっくりで遅刻しないの?」 「このまま電話が長引けば遅刻するな。で、そろそろ用件に入ってくれよ」 「ん、さっきも言ったけど、別に用ってほどのことじゃないんだ。まぁいいじゃない、琴 梨ばかりじゃなくてたまには私の声も聞きたいでしょ?」 「おまえなぁ…」 「あー、えっと、そう、ちょっと電話がしたかっただけなの! とにかくこっちは大丈夫 だから。それだけ伝えたかっただけ、じゃあね!」  ガチャっとそこで電話が切れた。 「…相変わらずと言うか、なんと言うか…」  頭に「?」マークを点灯させながら、受話器を置いた。  単なる近況なら、夕方でも夜でも、もっとゆっくりした時間にかけてきても良い筈だ。  それが朝に、しかも特に用も無いと言いつつ電話をかけてきているのだ。何かある のではないかと勘繰って当然だろう。 「智哉」  父親の声が智哉を呼んだ。  振りかえると、TVに丁度朝のニュースの映像が流れ、北海道への入出規制が実 施されている旨の内容が伝えられていた。 「…うそ、だろ…?」  思わず口に出た。  目標の出現数が増え、危険度が高まったため、国家レベルでの処置に移行してい た。  旅客の入出を規制する事で、目標の道外への流出を防ごうと言うわけだ。  道内に在住している人たちも混乱は大きかったが、物資の輸送に関しては当面規 制対象にはならず、生活レベルは維持出来るようだった。  ただ、仕事での入出も規制となったため、経済面で打撃をこうむっているとニュース は締めくくった。 「決めるのはお前だ」  リビングのソファに座ったまま父親が智哉に問い掛ける。  問われて、答えは一つだった。 「俺は、…行かなきゃ」  鮎の電話が気になった。でもメールの返信が来ない琴梨が最も気がかりだった。 「わかった」  父親がソファからたちあがり智哉の元に歩み寄ってくる。  手には小さな紙切れがあった。 「陽子に電話してみなさい。なんとかしてくれるかも知れない」  小さな紙には電話番号が書かれていた。智哉がそれを受け取ると、またもと居たソ ファに戻って行った。  母親の姿は、居間にもキッチンにも無かった。 「智哉」  父親が背中を向けたまま声をかける。 「本当は行かせたくない。でも……今度は無事に帰って来い」 「……、うん」  頷いて、再び受話器を取った。  メモに書かれた番号に電話をすると、陽子では無かったが、聞き覚えのある声、里 中梢が受話器の向こうから話しかけてきた。  1時間ほど後、智哉の自宅に迎えがやってきた。  黒塗りの高級車に、いかつい身体付きの男が一人と、黒のスーツを着た女性が一 人だった。  旅支度もそこそこに、身支度を整えた智哉は、両親が見送る間もなく半ば連れ去ら れるかのようにクルマに乗せられ家を後にした。  もちろん扱われ方は丁寧なものであったが。  クルマの中では、女性から現在の札幌市内目標の状況についての説明があった。  智哉が考えていたよりもずっと深刻な状況だった。ほぼ毎日の調子で目標との交 戦があると言う。  それも最近では1体だけではなく、複数一緒に出る事もあるらしい。  鮎たちもそれに対応して、外出時はサポートスタッフたちと行動を共にすることが多 くなっていた。流石にもう一人では対応も難しくなっているのだ。  クルマは羽田へ向かっていた。 「あの、そう言えば聞いてませんが、どうやって北海道まで行くんです?」  女性に尋ねた。  今朝のニュースでは、北海道へ向かう便は全便欠航のはずだった。今更羽田に向 かう理由が無い。 「自衛隊機で千歳基地へ向かいます。民間に比べて乗り心地は少々悪いかも知れ ませんが…。現状では最も早く到着できると思います。百里まで来ていただこうと思 いましたが、羽田の方が時間短縮ができるので、こちらに用意しました。」  現在のSTARSは国から全権を委ねられ、道警と自衛隊の双方と連携した動きを 取っているためだ、と説明が付け加えられた。  空港に到着し、案内された先で見たものは、智哉の理解の範疇を超えたものだっ た。 「こんにちは。キミが北嶋智哉クンね? 私は桜町二等空尉です。キミを札幌まで宅 配する任務でこちらまでやってきました」  緑色のフライトスーツに身を包んだ女性、桜町夕子が、呆然と立ち尽くす智哉に気 が付いて駆け寄ってきて、敬礼しながら挨拶をした。 「あの…」  挨拶もそこそこに、智哉は目の前の疑問を口にする。 「俺……、ボク、まさかあれに乗っていくんですか?」  智哉の目の前、夕子の背後に駐機しているそれは、智哉も写真で見たことのある 飛行機−−−いや戦闘機と言う方が正しい−−−F-15の複座型だった。 「ええ。F-15って言って、今のところ自衛隊では一番速い航空機よ。とにかく早くって ことだから」  飛行機に詳しくない智哉でも、目の前の飛行機が旅客機でないコトくらいはハッキ リわかる。 「……」 「なにか不服そうねぇ。なに? このF-15よりF-2のほうが良かったって思ってるの?  判ってないわねぇ、このメカメカしいフォルム。洗練されきったメカっぽさがあなたに はわからないの?」  何か怒っている。 「あ、わかった。もしかしてF-4がいいって言うの? キミって結構ツウ好みねぇ。私も あのスタイルは結構好きよ。でもこっちの方が早いし機動性も上だからね。それに途 中で空中給油も必要だから、F-4じゃ残念ながらダメなのよ」  こんどはなんか嬉しそうだ。 「いやあの、飛行機ってよく判らないんですが、こう言うのってボクみたいなのが乗っ て大丈夫なものなんですか?」  F‐15を指差して、半ば呆然としながら言う。 「さあ。上が決めたことだから良いんじゃない? 現場は任務を完遂するのが仕事な の。で、キミ、身体は丈夫な方?」 「はぁ、まあ普通くらいだと思いますが」 「ふ〜ん、どれどれ」  夕子は何かを確かめるかのように、智哉の肩や腰、脚や腕を触っている。 「そこそこ良い身体つきしてるわね。卒業したら自衛隊に来ない? パイロットになっ たら扱いてあげたいわ」 「じ、自衛隊ですか…?」 「あっはは、冗談よ、冗談。まぁ本気で来る気があるなら大歓迎だけどね。今から乗 るの戦闘機だし、体力ないとちょっとキツイから聞いてみただけ。さて…、準備も整っ たみたいね。案内させるから、着替えてきてね」  夕子がそう言うと、別の女性自衛官がやってきて、智哉を建物の中へと案内した。  荷物は一緒に持っていけないのであとから別に届けると言われ、また戦闘機に乗 るための着替えと簡単な説明を受けて、15分ほどで先ほどの駐機場まで戻ってき た。  思ったより重装備で、重ね着してる上にハーネスのせいで歩き方もおかしなものに なっていた。  すでにF-15のコクピット前席には夕子が座っている。 「あ、来たわね。じゃあチャッチャと北海道までひとっ飛びしましょっか」  40分ほど後、智哉は航空自衛隊千歳基地に降り立った。  新千歳空港の旅客を扱う離発着がないのをいい事に、夕子は基地上空で高G旋 回をして速度を殺し、着陸していた。ギリギリまで高速で飛行を続けていたからだ。 むろん音速飛行は海上のみで、陸上低空ではギリギリ音速に達しない速度である。  おかげで智哉の足元はフラフラだ。 「おふ、気持ち悪い…」  周囲は雪が積もり、気温もチラチラと粉雪の舞う摂氏マイナス8度と言った寒冷の 地なのだが、今は乗り物酔いと戦うのが先決で寒いのは二の次らしい。 「喉とか痛くない?」  後ろから夕子が小走りで近づいてくる。 「酸素マスクからの空気って乾いてるから、乗る前にのど飴とかあげても良かったん だけど。のどに詰まらせちゃうと危ないからね。だから、はい、今あげる」  渡されたのは、奄美特産黒砂糖の入ったのど飴が3個。  しかも一粒が相当にデカイ。口に入れたらラクに30分はもちそうな大きさだ。のどに 詰まらせるとかそれ以前の問題である。  憔悴しきった眼で手のひらに載せられた飴を眺めていると、夕子が前に回って智哉 の顔を覗きこんだ。 「あらら、顔青いわねぇ。大丈夫?」  ぷるぷるぷる、と首を短く振った。 「この後ヘリで札幌市内まで送る予定なんだけど…、ちょっと休んだ方が良さそうね」  夕子はポリポリと頭を掻いて、小さく息を吐いた。 「……、ヘリって、あそこの黄色と白のヤツですか…?」  智哉の視線の先には、UH-60Jが駐機されている。 「ああいや、道警のヘリよ。あれでも良いと思うんだけど、STARSの方から迎えに来 るって言ってた。まだ来てないみたいだけど」 「操縦は桜町さんが?」 「ううん、私ヘリは操縦出来ないから。道警の方が操縦するんじゃないかな」  ホッとした智哉の顔を、夕子は見逃さなかった。 「なによー。これでも私、離着陸以外はかなり気を使って操縦してきたのよー?  元々旅客機みたいに乗り心地良く出来てるわけじゃないんだから文句言わないの。 ホラホラ、休憩室でコーヒーくらいご馳走してあげるから」  首根っこを掴まれて、ずるずると隊舎へと智哉は引きづられて行った。  少々乱暴だが、夕子としては案外智哉を根性があると気に入っている。  着陸時の高G旋回では6Gを超えるGをかけていたが、それでも智哉が音を上げな かったのに感心したらしい。  当の本人にしてみれば、音を上げる余裕すらなかったわけだが。  冷たい空気に触れていたおかげか、夕子と無駄話をして気がまぎれてきたのか、 いつのまにか智哉も乗り物酔いが、ずいぶんと良くなっているような気がしていた。  15分ほどして道警のヘリがやってきた。  流線型をしたスマートなボディに、空色の塗装がなされている。バタバタと言う音は あまりせず、キーンと甲高い音をさせて降りてきた。  この頃には智哉もそれなりに飛行機酔いから回復していたので、外で到着を待っ ていた。  ちなみに私服は全て預けてきてしまっているので、今はフライトスーツにブルゾンと 言った、自衛隊員と同じような姿になっている。右胸と両肩には、千歳に来るまでは 無かったパッチが貼りつけられていた。休憩中に夕子や他の隊員から貰ったもので ある。  自衛隊の中でも、智哉たちについて理解を示す人は多かった。  ローターが停止すると、中から薫が姿を表した。 「ありがとう、智哉くん」  智哉の姿をみとめると、開口一番そう言って視線を外して辛そうな表情を見せた。 「本当は、あなたは夏以降は来てもらうつもりは無かったの。危険な目にあわせて、 あなたのご両親にもずいぶん叱られたわ。でも、今はこんな事態になってしまって …」 「俺もこんなことになるとは思ってませんでしたが……、事情は理解してるつもりで す」 「…ありがとう。正直なところ、来てくれて本当に助かるわ。今の状況は---、もう判っ てるとは思うけど、深刻よ。街中はもう、目標の汚染が相当進んでる状態だわ……」  うつむく薫に対し、智哉は無意識に札幌方面に視線を向けた。  この距離では気配は全く感じない。だが、イヤな雰囲気はなんとなくではあるが、 肌に突き刺さるように感じていた。 「挨拶が遅れました。自分は桜町ニ尉です。北嶋さんを無事札幌まで送り届けるた めに、同行致します」  智哉と薫の会話が一段落したと判断して、夕子が敬礼しながら挨拶をした。  夕子の姿も、今は智哉とほぼ同じ格好である。  ただ頭には部隊名の入った帽子をかぶっていた。 「あなたが桜町さんね。STARSの椎名薫です。同行はありがたいのですが、帰りの 用意はしていないので…」 「それは心配いりません。戻る方法はいくらでもありますから」  ニコニコと笑って他の隊員に何事か告げると、ヘリのコパイ席にと乗り込んでしまっ た。  ちょっと戸惑い気味のパイロットに向かって笑顔で挨拶しながらヘッドセットを耳に かけ、シートベルトを締めているのが外から見える。 「準備はいいの?」  薫が智哉に尋ねた。 「あ、はい。荷物もなにも無いですし」 「そう、じゃ私たちも急ぎましょう」  二人がヘリに乗りこむと、再びエンジンが始動しロータが回転をはじめ、所定のヘリ パッドから札幌に向けて離陸した。  ヘリからの眺めは良く、前席に座っていた夕子があれこれと解説してくれた。しかし 薫は何か考え込んでいるように、終始無言だった。  その頃、大通り公園から程近い裏路地で、葉野香が目標との交戦を終えたところ だった。  他のスタッフも一緒なので苦戦とまでは行かなかったが、一般市民を巻き込みそう な状態だったため、避難させるのに少し手間取った。 「最近こいつらも、出る場所選ばなくなってきたな…」  マガジンを外し、チャンバから弾を抜きながら葉野香がつぶやく。  他のスタッフたちは、倒した目標の処理の連絡と、周囲の警戒にあたっていた。  倒した目標の数は3体。それ以外に今のところ周囲に目標の気配は無い。  ふう、と大きなため息をついた。  早朝から歩き詰めだった。目標の気配が無くなっただけ気分の悪さは収まっている が、この不快感を抱いたまま毎日戦うのは、気が重かった。  それに、だいぶ慣れてきたとは言え、以前と違い銃を剥き身で携行したまま歩き回 るのは、周囲の目もあり少し居心地も悪かった。  制服とボディアーマ、その上に防寒着を一緒に重ね着したときの着心地の悪さにも 未だに慣れない。 「そろそろ本部に戻る時間だけど」  葉野香が腕時計を見た。  午前10時半。ここから本部までは30分ほどかかる。この後は、鮎とバトンタッチす る形で6時間の休憩があった。その後夜の街を見まわるが、午後7時で打ち切られ る。深夜の警備は現段階ではまだ行っていなかった。  葉野香は本部の宿泊室に寝泊りしているが、週に一度から二度ほど店の様子を見 に帰っているようである。  店は随分前から閉まったままだった。兄とは、あの日スガイの事件以来会ってな かった。  会った、と言ってもほんの一瞬目を合わせただけで、すぐに店から出ていってしまっ た。  どこかにいるのだろうが、どこにいるのかすら判らない。  安否の心配はしていないが、何をしているのかだけが気がかりだった。 「そうですね。そろそろ戻りましょう」  隣にいた女性スタッフも腕時計を見ながら言い、今倒した目標は他のスタッフに任 せて、一足先に本部に戻る事になった。  公園横に停めてあるクルマに乗りこみ、本部に向かう。もちろん葉野香はまだ免許 の取れる年齢ではないので、運転は今の女性スタッフである。  窓の外を流れる景色は、一面の雪景色だった。人通りも少なく、おかげで積もった 雪が汚れていない。ロードヒーティングされた部分だけが、黒くアスファルトを露出し ていた。  走り出した車内もじきに暖房が効き始め、かじかんだ指先がほんのりと感覚を取り 戻していく。  暖かくなるにつれ、気分も緩み始めた。ほっと安堵の息をつく。 「先ほど連絡がありましたけど、北嶋智哉さんがこちらに向かってるようです」 「へ?」  予期せぬセリフに妙な声を上げてしまった葉野香だが、すぐに気を取りなおして 「北嶋って、夏にスガイで腕折ったあいつ?」 「ええ。なんでも今朝連絡があったらしくて、今は千歳まで来ているそうですよ」  葉野香は智哉の見舞いには、スガイの日と他にもう二回ほどしか行っていない。  馴れ合う気は無い、と言ったものの別に鮎や琴梨たちと会うのを避けていたわけで もなく、それなりにお互いのことを良く話す程度の仲にはなっていた。  ただ智哉の場合、入院先にはいつも琴梨がいるし、格別に会う必然も無かったた め、結局鮎に連れられる形で二度ほど見舞いに行ったぐらいだった。  退院して帰京するまでは、何度か本部で顔は会わせている。それでも、挨拶くらい しか言葉を交わしてないので、智哉については「骨を折ったあいつ」程度の認識しか ないのだ。  赤信号になり交差点前で停止した。  青信号側からの通行は、大通り中心部にしてはずいぶん少ない。 「来てるって言ったって、いま飛行機って客乗せて飛べないんじゃないか?」 「自衛隊の協力で来れたようです。千歳からは道警のヘリでこちらへ向かう予定で す」 「なんとも大げさだな」 「そんな事無いですよ。葉野香さんたちは特別なんですから」 「ただ目標が判るだけだよ。それ以外は、ただの高校生だ…」  ふ、と窓にむかってため息をついた。その高校も冬休みに入る一週間前から行って いない。 「お昼は、どうしますか?」  いきなり話が飛んだ。  この女性スタッフ、甲野麻衣は葉野香とよく一緒に行動するせいか、彼女とは仲が 良く何かにつけ世話を焼いてくれている。  言葉使いが葉野香に対しても丁寧なのは、単なる口癖だと本人は言う。  ちなみにSTARSに配属される前は、道警の交通課に勤務していた。 「え? あー、考えてなかったな。本部の食堂もそろそろ飽きてきた気味だし…」 「面白い店教えてもらったんですけど、行きませんか?」 「……美味しい、じゃなくて、面白い、なのか?」 「美味しいかも知れませんよ?」 「麻衣さんが行きたいんだろ? いいよ、付き合うよ」  葉野香が肩をすくめて、しょうがないなぁ、とでも言いたげな表情で微笑んだ。  彼女と居る時は、鮎たちといるより気持ちが安らいだ。  別に葉野香に接する時の態度も他のヒトと変わらないのだが、不思議と波長が合 うのである。 「あ、よかった。ちょっと一人で入るには、気後れしてたんですよね」  青信号になり、笑顔でクルマを走らせ始める。 「……、ホントに怪しい関係の店じゃないんだよな?」  葉野香の顔に警戒信号が灯り始めた。 「…面白い店、とは言いましたけど、怪しくないとは言ってません。でも葉野香さんは なんでも疑いすぎですよ」  彼女が、ちらりと助手席に視線を送り、ニッと笑う。 「本部の食堂の日替わりランチでいい」 「ダーメです。行きます」  嬉しそうな麻衣とは対照的に、助手席の葉野香は諦めたような顔だったが、それ はそれで満更でもない様子だった。 「よ」 「……、なんでここにあんたがいるの?」  STARS本部に付いてすぐ、智哉は休憩室で休んでいる鮎とめぐみにバッタリ出くわ した。  この後の手配をするのに、ちょっと待ってて欲しいと薫に言われて、休憩室まで やってきたのだ。  鮎の隣に座っているめぐみは、ホットココアのカップを両手で握りながら、お化けで も見るような顔で固まっている。  冬になって、STARSの本部が竣工し本格運用されるようになった。  司令所などのSTARSの本営自体は夏同様地下にあるのだが、司令部と"目標"管 理以外の部署はほとんどが地上階に移設された。  道警や自衛隊などの一部もSTARS本部の中に収まっている。  鮎たちは最上階に位置する14階の休憩室で休んでいるところだった。 「今北海道には道外からは入れないはずよ?」 「普通じゃない手段で来たからな」  そう言いながら着ている服を見せた。 「…自衛隊?」 「超音速で連れてこられた…」  がっくりと智哉が肩を落とす。  僅か40分ほどの飛行時間だったが、思い出すだけでゲンナリしてくるのだ。 「だからって、来る必要なんて…」 「お前な、朝っぱらからあんな電話しておいて、なんでもなにもないだろう。それより 朝電話されて、昼過ぎにはもう札幌にいる俺の身にもなれ」 「あ〜、あははは。まぁ、うん、来てくれて助かった。正直今は結構キツイのよ」  鮎が説明しようとしたら、 「あ、いたいた。北嶋くーん」  唐突に声をかけて来たのは夕子である。  薫と一緒に付いていったは良いが、途中で智哉と一緒に休憩室で待ってて欲しい と言われて、戻ってきたのだ。 「いやー、広いところねーここは。ちょっと迷っちゃったから、その辺に居るヒトに聞き ながらようやく着いたよ」  あっはっは、と相変わらず明るい。 「…あの、どなたですか?」  鮎が目の前で笑っている女性に尋ねた。  服装から自衛隊関係と判断は出来るが、鮎たちとは初対面である。 「このヒトは、桜町夕子さん。…俺を超音速で運んできたヒト」 「初めまして、よろしく。桜町ニ等空尉です」  智哉にやったように、ウインクしながら敬礼した。 「あ、どうもはじめまして。STARSの川原鮎です。えと、こっちの子は愛田めぐみ」 「愛田めぐみです」  ぺこり、と頭を下げた。 「超音速で連れてきたって、お姉さん、パイロットなんですか?」 「そよ、F-15って戦闘機のね」 「うわー、すごいなぁ」  感心しているのはめぐみである。身体に少々のコンプレックスを抱く彼女は、かっこ いい女性には憧れがあるのだ。 「なんもなんも、キミたちのほうがすごいじゃないの。あれでしょ、例のヤツラがわかる 能力ってやつ」  一瞬だが鮎の表情が強張ったが、すぐにいつもの顔に戻った。  夕子の言い方に悪意が全く感じられなかったためだ。強張ったのは反射的なもの だ。 「聞いていいかな?」  夕子がテーブルに身を乗り出してきた。 「えっと、なんでしょう」  勢いに鮎の方が身体を引く始末だ。 「その、ヤツラの気配感じる時って、どんな感じなの?」  夕子の目は真剣だった。  興味本位だけとは思えず、鮎も何故かいやな気がしなかった。 「あー、まぁ簡単に言えば、気分が悪くなる感じ、かな。そばまで寄ると、胸が悪くな るって言うか」 「……、そう、なんだ」  乗り出した身をゆっくりと椅子に戻しながら、夕子はしばし憮然とした表情になって いた。  心なしか少し顔色も悪い。 「あの、どうかしましたか?」 「え? あ、ううん、なんでもない。ごめんね、ヘンな事聞いちゃって」  思案顔の夕子に鮎もそれ以上聞けなかった。 「ところでさ、琴梨とか左京さんとかは、居ないのか?」  智哉が周囲を見まわしても姿は見えない。  休憩室には他には、管制室や他の部署のスタッフが全部で10名ほど、数人づつ固 まってお茶をしていた。  休憩室はSTARS本部内に数ヶ所あるが、基本的に飲み物や軽食の類は無料で ある。自動販売機なども、IDカードをかざせば無料で利用する事が出来る。  その中でも、今智哉たちがいる休憩室はちょっと特別で、それほど凝ってはいない ものの洒落た喫茶店のようなたたずまいで、専門のスタッフが数名常勤している。  セルフサービスだが、コーヒーは豆からちゃんと淹れているし、紅茶やその他のドリ ンク類もそれなりに手が込んでいた。  軽食はさすがに一部出来合いのものがあったりするものの、それでも手作りのもの も少なくない。  ただ流石に24時間居るわけではないので、夜遅い時間に勤務している人たちは、 カップベンダーの自販機か給湯室などで自分でコーヒーを淹れているようである。  ちなみに休憩室は禁煙で、喫煙室はほんの何箇所かあるのみだ。 「葉野香さんは今パトロール中。琴梨は、風邪こじらせて寝てるわ」  それを聞いて智哉は椅子から腰を浮かせた。 「風邪って、…酷いのか?」 「私たちもあまり近寄るなって言われてるんだけど。熱は下がってきてるって。薫さん はインフルエンザだって言ってた。だーいじょうぶ、そんな心配するほど酷くは無いか ら」 「そっか…」  安心したように再び椅子に座る。 「メールの返事が来ないから、ちょっと心配してたんだ」 「あ、そうそう、陽子おばさんが今こっちに詰めちゃってるから、琴梨も本部の宿泊室 で寝てるけど、女性専用のフロアだから今は勝手にお見舞いは行けないわよ」 「え、ダメなのか?」 「ダメ。原則男子禁制。セキュリティもかかってるし叩き出されるのがオチね」 「む…。とは言え琴梨の事だから、俺が来てるとなると無理してでも起きて来そうだし な…」 「ねぇ、その琴梨って子は、誰なの?」  夕子が話しに加わってきた。 「あ、この智哉の彼女」 「ちょあ、なにを勝手な…」 「へぇ、遠距離ってやつね」 「いやいや、ついちょっと前まで智哉もこっちに居たから、もうベッタベタで見てられな かったわよ」 「や、ちょ、鮎、あんまりヘンな事言うな」 「ところ構わずいちゃついてたじゃん」 「ところは、…構ったつもりだぞ」  言いつつも智哉の顔はちょっと赤い。 「まったくこのバカップルは。まぁいいわ、パトロールから戻ったら連れてってあげるか ら、大人しくしてなさいよ」 「…バ、バカップルは余計だ」  反論のつもりだろうが、全然反論にもなっていなかった。  ほどなくして薫が再び姿を表した。  会議室の方に準備をしたとの事なので、智哉と夕子が薫に連れられて行った。  休憩室には鮎とめぐみが残った。 「まぁ、戦力が増えるのはありがたいけどね…」  鮎がテーブルに頬杖をついて、智哉たちが行った先を見つめた。 「智ちゃんがこんなに早く来るのは、予想外だったね」 「まさか自衛隊が連れて来るとは思わなかったわ」  言いながら壁に掛けてある時計を見た。そろそろパトロールに出かける時間であ る。  葉野香が目標と交戦したのは、直接連絡を受けたので知っていた。  スガイの時のような戦闘はあれ以来無かったが、今は一日に2、3体の目標が出現 するようになっていた。  サポートスタッフが常時付いてくれているので危険は減ってはいる。しかしその分 ひとりになれるプライベートな外出時間がほとんど無くなってしまっているのは、少し ばかり辛かった。  琴梨同様、今は鮎もめぐみも葉野香も、本部の宿泊エリアで寝泊りする毎日だ。  本部にもコンビニ程度の店舗もあるし、行く気になれば、パトロール中でも買い物を する事は許可されているのだが、制服を着ている上に武装までしているのでは、とて も気軽に買い物なんて出来なかった。 「さて、私もそろそろ見まわりの仕度してきますか」 「あれ、お昼食べて行かないの?」 「今日のお昼はクルマの中。たぶん食堂の日替わり定食詰めたヤツだわ…」 「あらら、かわいそう」 「食堂のお弁当も美味しいんだけど、どうしても冷めちゃうし、そろそろメニューも一回 りしちゃってるのよね」  それじゃ、と鮎はめぐみに手を振り、席を立って管制室のほうへと消えていった。  めぐみもどうしようかなと席を立ったところで、通路から声をかけられた。 「めぐみちゃーん、お昼まだなら、一緒に食べにいきましょ〜」  梢と管制ルームにいるスタッフたちだった。  STARSで一番年下のめぐみは、管制室などの女性スタッフたちに割とちやほやさ れているのだ。 「あ、ごめんなさい、琴梨ちゃんの様子見て来たいの」  両手を会わせて顔の前でごめんなさいをするめぐみ。 「あらら、振られちゃった。じゃ、今度は目一杯おごられちゃってね」  梢が笑いながら手を振って、皆と一緒にその場を後にした。  姿が見えなくなるのを見送って、めぐみが小声で呟いた。 「……ごちそうしてくれるのは嬉しいんだけど、人数分みんなでデザートよこすんだも ん…」  ちょっと贅沢な悩みだった。  だが成長とは無関係の体重は確実に増えている。深刻な悩みでもあった。 「琴梨ちゃん、熱下がったかな…」  めぐみは小走りで宿泊室のある階まで走っていった。 つづく