まとまりのない話


 1   中年なんとか
2010/01/13 
日記にも書いたがレスポールのエレキを手に入れた。いちおう毎日練習している。
毎日やっちゃいるが、絶望的に下手である。でも、いまさら嘆くことでもない。が、いちおう縦移動に横移動。適当に反復練習。でも指がついていかない。時々「悲しい酒」に「風雪流れ旅」とか、「ダイヤモンドヘッド」の最初のところとかが混じる。
そっか、最近は拓郎さんの歌を絶叫していないね。それが調子を悪くしている原因かなあ。最近は草刈も元気にやっていたし、酒も美味いし、絶好調だったのになあ。なんか、時代屋のおやじみたいの、やりたくなってきた。
映画で渡瀬恒彦がやったやつ。人生をすべて悟ったような顔をして古道具の中で座っているのって格好良い?
まあ、直ぐに飽きるだろうけどね。

 2   バイト
2006/08/03 
大学時代、週間アルバイトニュースという雑誌がありました。
それを金町の駅の中のキヨスク(そんなの常識〜)で買いました。
一球さんを読むために買っていた少年サンデーと一緒に買いました。
 
で、マクドナルドの店員なんかもありましたが
そういうのは出来そうもないので、
とりあえず出版社の流通倉庫に応募しました。
 
初めて電話したところは早稲田大学の正門近くの会社でした。
やっとこさ探して変なビルの二階にある事務所に入ったら断られました。
うちは早稲田の学生専門だよ…だって。
それならそうと、最初に言ってよ!という感じでした。
 
帰りに早稲田大学の正門前を通ったら、アスファルトの上に座って難しい政治系の議論をしている学生がいた。
おっかないので避けて通りました。
あいつ、政治家にでもなったのだろうか?
 
次に神田の本屋に行きました。
そしたら、ついさっき決まっちゃったからいらないといわれました。
学生街の喫茶店のガロの人みたいな長髪の人がいて
薄汚い事務所に本とかわけのわからない資料が山積みになっていました。
なんか怪しい雰囲気で、興味はあったデス。
 
その次に
大陸書房という
ムー大陸とかUFOの研究本を出版しているとっても怪しげな出版社に行きました。
とりあえず面接ということになり
趣味がアマチュア無線だといったら、
そこの部長もアマチュア無線好きで、
しかも、奥さんとかが茨城出身とかで、
即採用でした。
 
さらには
これおもしれーだろーとか行って
手動の計算機とかを見せてくれ
これでバイト代の計算やてんだぜ…ですって!
おもしろいおっちゃんでした。
 
そこにはパートのおばちゃんが2人と
早稲田2文(第二文学部)の学生が2人と
専修大の人と、
英語(フランス語?)の専門学校の人と、
なんだか良く判らない沖縄出身の自衛隊を辞めた通信制大学の人がいました。
 
当時の私の体重は56キロ(現在83キロ)で、
通勤途中の大手町の地下鉄内で貧血で倒れそうになりながら働きました。
それと3時のお茶の時間にコーラの大瓶の一気飲みをして倒れそうになりました。
若いです。
アホです。
パートの鈴木さんがすごく心配してくれました。
 
ちなみに
アルバイト仲間の夢は
部長にキャバレーに連れて行ってもらうことでした。
でも部長はけちなので
最後までキャバレーには連れて行ってもらえませんでした。
 
そこの会社には
ディズニーランドができる前の浦安に売れない本の倉庫があって、
時々本の整理に行きました。
同じ倉庫を利用しているどっかの出版社の在庫に
春歌(死語?)の本があって、こっそり持って帰ったりしました。
その近くの田んぼの脇の食堂で食う昼飯が好きでした。
そこにちょっと可愛い(純情田舎娘系の)女の子がいたからです。
いつもカツどんでした。
 
毎日がすごく楽しかったです。
 
あのバイト、なんで半年で辞めちゃったんだろう。
 
馬鹿な俺…
 

 3   東京物理学校
2006/08/03 
またまた思い出です。
 
私が通ったのは夏目漱石の小説にも出てくる飯田橋の学校です。
その学校の伝統ある夜学部に私は進学しました。
 
夜学にした理由は学費が安かったのと、比較的試験が易しかったからです。補欠だけど合格通知をくれました。私は成績がよくなかったのです。本当は神田の電機大の電子工学科に行きたかったのです。でも、受験日に道に迷うというおおぼけをかましてしまったので受験できなかったのです。
 
何とか入学させてもらったので、晴れの入学式はフーテンの寅さんみたいな変な柄のブレザーを着て行きました。
それは、お袋様が東京のガッコさ行くんだからと言って近所の「プラザ」という店で買ってくれたものです。当時のおふくろ様(41歳)のセンスは、決して悪くはなかったのです。
でも、残念ながら私と薄暗い理科大のキャンパスには似合わなかったのです。
これが早稲田大学なら似合ったかも?と思います。
なぜかというと、早稲田大学の門の前でそういうブレザーを着ている学生を見たからです。
 
高校時代は黒の学ランと、家ではジーパンしか着たことが無かったのでファッション感覚など無いに等しかったのです。でも、後になってジーパンで良かったんだと気づきました。
なので、それからは、当時は吾妻ひでお氏の漫画の「5人と一匹」に出てくる「先輩」にあこがれていたので、すぐにベルボトムのジーパンに高校時代の黒い学生用コートで煙草をくわえながら夜学に通うようになりました。
 
それで、ベルボトムのジーパンというだけで笑っちゃいますが、さらに、太宰治とか坂口安吾とかの文庫本をバックに入れていました。
でも、タバコは「セブンスター」なのでいまいちだったのです。
渋めの人は「チェリー」か「ハイライト」でした。
でも、私には合わなかったのです。アルバイトに来ていた仲間(専修大)が「若葉」を吸っていて渋いと思いました。
若葉かよ!やられたな…と思いました。バットを吸っているやつもいたが、そいつは変人でした。フランス語の専門学校に言っているやつはハイライト派でした。そいつは横顔が沢田研二に似ていて、妙にハイライトをくわえた姿が格好良かったです。
なお、ピー缶を持っている奴もいて、そいつがジョンレノンに似ていて格好良かったのですが自分には両切りが上手くすえないのであきらめました。
 
当時チルチルミチルとかいう100円ライターが出始めのころでした。
でも、私は妙にマッチにこだわっていて、いつも5円のマッチを2つ買ってポケットに入れていました。
なお、当時の100円ライターはまだ品質が安定していなくて、学食のところで100円ライターをカチカチやっていたやつがいきなりボーと出た炎で前髪を焼いていたのを思い出します。
 
バイトを終えてから学校に行きました。神楽坂のパチンコ屋(花屋)の脇の細い路地を通って学校に行くと、まず学食に行きました。
私の夕食は150円の味噌汁つきカレーライスかコロッケラーメンが定番でした。
定食は300円なので贅沢だったのです。
飯を食って、煙草をすいながら学食のテレビで「太陽にほえろ」の再放送を見てから講義に出ました。
 
素粒子論が専門の宮崎先生の力学の講義は教科書として山内恭彦先生の「一般力学」を指定されました。その本は名著といわれますが、難しくてサッパリ判りませんでした。
試験には「回転する座標系がどーのこーの」という問題が出ました。何とか「良」をもらったが、たいていのやつは単位を落としたので、がんばったほうなのでしょう。
 
小平先生の物理数学はまったく判りませんでした。あの境界問題って何だったのだろう?いまだに何を勉強したのか判らないです。
 
高橋先生の量子力学も判りませんでしたが、答案用紙に俳句を書いて提出したら「良」をくれました。もっとも、演習の時間に誰も出来ない積分方程式の問題を解いたという実績があったわけですが…深夜に必死で解いた甲斐があるというものです。
 
統計力学は皆目判りませんでした。量子統計というのを講義されたような気がしますが、なんというか、世の中にはまったく理解できないことがあるとはじめて知りました。
 
それと、もうお亡くなりになったがショパン研究家の野村先生の音楽の授業はレコード鑑賞なので教室の後ろにもぐりこんで聞いていました。あれでショパンが好きになったのかな?そこは200人は入る階段教室で、理科大のマス教育のシンボル的な教室でした。
 
なお、機会があれば昼間部に編入しようと思っていましたが夜間のまま卒業してしまいました。昼間部に行くと卒研は東大とか早稲田とか慶応とかに行ったらしいです。今となっては夢の中の夢です。
 
うす汚い実験室が懐かしいです。
 

 4   怖い夢
2006/07/29 
これも小学校のころの夢です。
私は夢の中で夜中に目が覚めてトイレに行きました。
トイレといっても昭和30年代の田舎ですから汲み取り式のやつです。
それに農家ですから真っ暗です。
家には電気は来ていましたが
トイレにまで灯りがついていないんです。
それで真っ暗な廊下をおっかなびっくり行くわけです。
 
すると、廊下の向こうが妙に明るいんです。
何だろう?と思ってよく見るとそれは人の顔なんです。
しかも能面みたいに無表情なのに笑っているんです。
しかもぼうっと明るいんです。
服装は詰襟の学生服のようなものを着ていました。
色は紫だったような気がします。
 
そいつは私に気づかない様子であたりを見回していました。
私は気づかれたら大変だ!と思いました。
逃げようとしましたが何故か足が動きません。
ふと気づくと、そいつが廊下の角からこっちを見ているんです。
 
私、すごくおっかなくって、大声を上げました。
うわーっ!という感じです。
そこで目が覚めました。
 
隣には弟とばあちゃんが静かに寝ていました。
私はトイレを我慢しながら再び眠ってしまいました。
月明かりが射し込む静かな夜のことだったと思います。
 

 5   空を飛ぶ夢
2006/07/29 
小学校のころの夢です。
飛んでいる場所は中学校(既に廃校)の脇にある田んぼなんです。
どうしてそこなのか?は分かりません。
 
飛び方は座布団に座って飛びます。
普通の座布団だったような気がします。
飛ぶ高さはせいぜい10メートルくらいだと思います。
屋根の上から見下ろす感じの高さでした。
最初のうちは上手に飛べないんですが、すぐに上手に飛べるようになりました。
上下左右に自由自在です。
ツバメになった気分ですごく気持ちよかったです。
 
そこで
夢の中の私は誰かにその気持ちを教えようとしたのに誰もいません。
どこかで幼馴染のノコちゃんの声がしましたが見つかりません。
 
中学校の校庭では運動会をやっていて
イチオ君が短距離の選手になっていて
紅白の鉢巻きをして出場するための準備をしてもらっていました。
なんか、白い運動着と紅白の鉢巻きがすごく格好良かったです。
その脇に、グランドに穴を掘って“むしろ”で囲っただけの仮説トイレがありました。
中学生のお兄さんたちが作ったのだそうです。
 
グランドの反対側では弟(小さいころの自分?)の手を引いたお婆ちゃんが
風船屋さんの前で水素ガスを入れた風船が50円では高いと言っています。
 
夢の中の私はもう飛んでいません。
 
校舎のある高台の桜の木の陰から、当時はまだ中学生の若いヒデコ叔母さんがこっちを見ています。
話をしようと坂を上ったら叔母さんはどこかに行ってしまいました。
 
暗くなってきたので私は走って家に帰りました。
 
このときにはお婆ちゃんはいなくなっていました。
 
家に帰ると、手ぬぐいをかぶってモンペ姿の母親が「よがったな」といって迎えてくれました。
私は何がよがったのか?が分かりませんでしたが、安心しました。
下よござでみんなでご飯を食べました。
父ちゃんが近所の人の物まねをして皆を楽しませていました。
 
 


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