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第11話:1年目 サンデーカップ最終戦 1。


 サンデーカップ第2戦から約一月後。Grand Valley Eastでは最終戦である第3戦が行われようとしていた。
 今日のスケジュールでは午前中にイベントレース、午後からサンデーカップが行われる予定である。
 秋に入り始めているというのに朝から気温も高く、観客席ではかち割り氷や冷たい清涼飲料水が飛ぶように売られていた。
 「今日も暑いね、高見くん」
 虹野が観客席で隣に座る公人に話しかけた。
 ぱたぱたと入場の時にもらったうちわで暑そうに顔を扇いでいる。
 額や首筋に汗の玉が幾筋も流れていた。
 「ホント、こんな中じゃちょっとレースなんかしたくないよなー」
 かち割り氷を袋ごと頭に乗せてぼやくように答える公人。
 「情けないわね。この程度でへばっているようならもっとトレーニングのメニューを増やした方がいいかしら」
 と涼しい顔をしているのは紐緒だ。今日はサングラスをしているのでいつも以上にクールに見える。
 「暑いものは何やっても暑いの。紐緒さんはよく平気だな」
 じゃらりと頭に乗せた氷の袋を今度は首筋にあてる。さっき買った氷はもう半分以上水になっていた。
 「日頃の心構えが違うのよ」
 「心頭滅却すればなんとかってやつ?」
 「似たようなものね。私のはもう少し科学的考証に基づいたものだけど。さぁそろそろ決勝が始まるわよ。しっかり見ておきなさい」
 どんな科学的方法で涼しげにしているのか聞いてみたい公人だが、聞いたら聞いたで後悔しそうなのでそれ以上質問を続けることはしなかった。
 今日虹野、公人、紐緒の3人はイベントレースとサンデーカップを見に来ている。
 虹野と紐緒は一応GTリーグは全レース見に来ている。今日はサンデーカップの最終戦と言うことで公人も連れてこられたのだ。
 紐緒と虹野の所属するチームに公人が入って既に2ヶ月、チームにも慣れ、そろそろクラブマンカップにも本格的に参戦する予定であった。
 その意味ではこのサンデーカップ最終戦は公人も見ておきたいとは思っていた。
 「しかしまーなんで今日に限ってこんなに暑いかな。もう秋だってのに」
 「太平洋高気圧の影響ね。気象的にも理にかなっているわ」
 そう言って空を見上げる紐緒
 「高見くん、残暑がきびしいけどファイトで乗り切りましょ」
 ぱたぱたと公人を扇ぐ虹野。熱い風が送られてくるだけであまり涼しくはならないが、それでも風があればやはり心地よかった。
 
 決勝レーススタート15分前。グリッド上には続々と参加車両が集まり始め、オフィシャルの指示で整然と並んでいく。
 さすがに改造レベル無制限のレースという事もあって見た目にも改造が加えられているのがよくわかる。
 フロントウインドウ以外の窓全てをアクリルに換えていたり、助手席どころか内装まで無かったり、車体のカラーリングも様々だったりといよいよ本格的なレースの様相を呈している。
 レース自体の賞金は高くはないものの、格式が高いレースなので皆本気だ。
 グリッド上での作業は認められていないのでF1で見られるような工具を持ち込んでの調整などは出来ない。
 ドライバーやピットクルーなどがクルマの横で作戦を練る程度だ。
 そして16台全ての車両がグリッドに付いた。
 スタートまであと3分。車両が全てグリッド定位置に付いているのをオフィシャルが確認した後、全車のエンジンが停止した。
 クルマが並んでいるにもかかわらず静まり返ったサーキットはどこか不思議な違和感を作り出している。
 観客席の歓声もスタートを前にしばしの沈黙を守る。
 1分前。
 「エンジンスタート」のボードがゴールポストから掲げられるや否や一斉にエンジンがかけられ、ホームストレートに轟音が響きわたった。
 観客席からも堰を切ったように歓声があふれ出す。
 「1分前ね」
 誰に聞かれるでもなく紐緒が口を開いた。
 さすがの虹野もスタートには興味があるのか食い入るように見つめている。
 緊張感あふれる中シグナルが点灯を開始し、そしてグリーンのシグナルが点灯した途端、轟音の群は激しく前に進み始めた。
 路面に溜まっていたちりや埃が、16台のクルマが巻き起こす風によって霞のように舞い上がる。
 
 スタート後すぐにタイトな複合コーナーへの飛び込みだが、ここはやはり皆警戒していたのかトラブル無く通過して行く。
 そこを過ぎるとメインスタンドからはコースが見えなくなるので、スタンド正面のオーロラビジョンに映されるものを見ることになる。
 「さすがサンデーカップと違ってうまいことけん制しながらコーナーに飛び込んで行くな」
 感心しながら公人が口を開いた。
 実際問題、サンデーカップなどの入門レースでは素人の参加が多いため、コーナーで無理に突っ込んだりいきなりラインを変えたりなどして接触やコースアウトなどのトラブルが起こることが多い。
 慣れていないからと言ってしまえばそれまでだが、未熟な腕で力みすぎるというのも危険である。
 限界ギリギリの走行が出来るのも慣熟した技量が伴っているからであり、それでも無茶をすればやはりクルマと運命を共にすることになる。
 「んーやっぱ上手いね。クルマがギリギリのところできちんと曲がってるよ」
 しきりと感心している公人。
 「そうなの? 私には普通に曲がっているようにしか見えないけど…」
 「先々月オレもここ走ってるからね。テストで」
 「あの中に高見くんが混ざったらどっちが速いかな?」
 「自慢するようだけど、でもオレの方が多分、速い」
 トップがコントロールラインを越えたところで紐緒の手元で「カチッ」と音がした。
 「…タイム的にはうちの方が速いかも知れないわね。少なくともトンネル入り口からコントロールラインまではうちのクルマの方が1秒以上速いわ」
 ストップウォッチでタイムを計測していたらしい。文字盤を眺めながら特に何の感情もなくそう言った。
 「でもこの暑さじゃね。タイヤもあっと言う間にヘタるし、コンスタントにタイム出すのは結構辛いと思うよ」
 自動車のタイヤは当然ながら主成分はゴムだ。故に路面温度の影響は無視できず、路面温度が高いとゴムが軟化しそれだけ削れやすくなり、しかもゴム自体の剛性も低下するので、グリップ力がどんどんと低下して行ってしまう。
 それに加えて高速で走行することによるタイヤ自身の発熱も加わりグリップの低下はさらに加速して行くため、路面温度が高い時のレースはタイヤにとってかなり辛いものなのだ。
 どんなに高出力のエンジンを積もうが車体のバランスが良かろうが、最終的にはタイヤと路面とのグリップが全てである。その能力が低下すると言うことは、車両自体の性能が低下して行くとも言えるかもしれない。
 その他にも気温が高いとエンジンの出力にも影響するなど、コンディション的にはあまり良いとは言えないのだ。
 「その辺のことは一応考えてはあるわ。でも、エンジンはともかくタイヤに負担をかけないドライブをするのも技量のうちよ」
 「まーね。で、いつから参戦するか決めた?」
 「それより、あなたのライセンス取得は済んだの? ライセンスがないと話にもならないわよ」
 「あ、高見くんのGT-A級ライセンスは昨日届いたよ。えーっと、今日持ってきてるけど」
 虹野は脇に置いてあるハンドポーチからライセンスの入った封筒を取り出して公人に渡した。
 チームの窓口は一応虹野になっているので、ライセンスも虹野の元に送られて来るように公人も手続きしている。
 費用の方もチームから出されていた。
 封筒からライセンス証を出して値踏みするように眺める公人。
 B級とA級の欄に「1」と記載されている。
 ライセンスは免許証程度の大きさの顔写真入りのカードと、A4用紙に印刷されたものの2枚構成になっている。
 通常手続きではカードがあれば特に不自由はないが、チームなどでライセンスを統括する場合のために1枚、A4サイズのものが添えられている。どちらも同じ効力を持つのでレース出場時にはどちらを提示しても構わない。
 「そう、じゃあ差し当たって途中からの参戦になるけど、再来週のクラブマンカップに出場してみようかしら」
 「再来週って2戦目じゃない? タイトルには絡んでこないけど」
 虹野が確かめるように紐緒にそう言うと
 「練習みたいなものよ。その次からフル参戦するわ。その後GTに上がるときのスケジュールはチーム内の会議で決めることにして、いいわね高見君、デビューである再来週のレースは絶対に圧勝しなさい」
 「前向きに善処します」
 ほとんど水になっている氷の袋を額に乗せて、そう言う公人だった。

 レース中盤。
 全50周の周回のうちすでに24周が消化され、現時点でリタイアが3台出ている。
 順位もほとんどあまり変わらず、均衡状態が続いていた。
 「ちょっとトイレ行ってくる」
 と公人が席を離れたのもこの頃だ。
 トイレからの帰りに冷房の効いた売店で缶ジュースを買ってテーブル席で少し涼んでいると
 「あ、高見クン来てたんだ」
 と聞き覚えのある例のやかましい声、朝日奈が売店に入ってきた。
 今日は午後からサンデーカップがあるから、そろそろ朝日奈たちが来ていてもおかしくはない。
 テーブルを挟んで公人の向かいの椅子に腰掛け、聞いてもいないのに勝手に一人でどんどん話しかけてくる。要約するとやはり外は暑いから売店に涼みに来たという事のようだ。
 「古式さんは一緒でないの?」
 「後で来るわよ。なに? ゆかりに惚れちゃった?」
 にやにやと愉快そうな顔の朝日奈。
 「そんなんじゃないけどさ。なんかいつも一緒にいるみたいだから」
 慌てるでもなくそう言うと朝日奈も拍子抜けしたのか、にやにやと笑うのを止めて「あっそ」とつまらなそうにつぶやくだけだった。
 「ゆかりとはねー、どういうワケか昔から一緒にいるのよね。このチームをゆかりのお爺さんが作る前からよく一緒に遊びに行ったり買い物行ったりして」
 「ふーん、仲いいんだな」
 「まあね」
 「あら、こちらにいらしたのですか? どちらに行かれたのかと探してしまいました」
 急に売店入り口から古式の声がして、そして2人の前に現れた。
 「まぁ、高見さんもご一緒でしたか。どうも、お久しぶりでございます」
 「ゆかりぃ、売店にいるって言ったじゃない。どこまで捜しに行ってたのよ」
 「はぁ、売店がどこにあるのか、よくわかりませんでしたので、親切な方に近くまで案内されてようやく見つけることが出来ました」
 「え? だって古式さんここのサーキット初めてじゃないんでしょ?」
 以外そうな顔の公人。
 「いつもは売店の方には足を伸ばさないものですから」
 「そう言えばそうよね。じゃほら、ゆかりも一緒に涼んで行きましょ。準備するにもまだちょっと早いし」
 「はい」
 と、古式は朝日奈の隣に腰を下ろした。
 「あの、高見さんは今日は、走られないんですか? 出場者名簿には載っていませんでしたが…」
 不思議そうな面持ちで古式が公人に話しかける。
 「ゆかりぃ…」
 朝日奈が『それは聞くな』と古式に目配せするが、当の古式はなんのことだかよく判っていない。
 「2戦目でのダメージが酷くてね、直すにしてもかなり時間かかりそうだったから。この間のレースの後にオフィシャルに棄権するって伝えておいたんだ」
 公人も既に割り切っているので、別に朝日奈が気にするほど気にはしていない。
 「そうですか、残念ですねぇ。でも、レースではご一緒できませんでしたが、本日もお会いできましたので、わたくしとしては幸運でした」
 「あ、そうそう、思い出した。高見クン、考えておいてくれた? うちのチームに入るって話」
 「え、あ、えーと…」
 朝日奈と出会った時点で聞かれると思っていた公人だったが、やはり『別のチームに入りました』とはなかなか言いづらい。
 必死に頭の中でなんて言おうか考えている。
 「どしたの? 固まっちゃって」
 「う…ん、ごめん。実は…」
 意を決して素直に言ってしまおうと決めて口を開きかけたとき、
 「こんなところで何をやっているの? 高見君」
 と紐緒が売店入り口で公人に声をかけた。
 その後ろには虹野もついてきている。なかなか戻らないので心配になって捜しに来たらしい。
 紐緒は『放っておきなさい』と言って捜しに行くつもりなど無かったのだが、虹野が捜しに行くと言って聞かないので、仕方なく一緒に捜しに来たのだ。
 虹野の方は見つかってホッとした顔をしているが、紐緒のほうは朝日奈と古式の姿を見かけた途端、少し表情が険しくなった。
 「あなた達、チームゆかりの人達ね。うちのドライバーに何か用かしら?」
 感情を押し殺した声で朝日奈に向かって鋭い視線とともにそう言うと、3人の座るテーブルにゆっくりと近づいてきた。
 「…うちのドライバーって…どう言うこと? 高見クン」
 朝日奈もいぶかしげな表情で公人に視線を移した。
 「どうもこうもないわ。高見公人はConquest Racingの専属ドライバーよ」
 公人の代わりに紐緒が答える。
 「えーっ!? もう決まっちゃったの? チョーショックー!」
 と言ってる割には表情はそれほど残念そうではない。
 別に公人に対して特別な感情も何も持ち合わせていないし、今すぐドライバーが必要と言うわけでも無いので朝日奈的にはそれほどダメージは無いのだ。
 朝日奈としては公人は、ノセやすい知り合いといった程度だろう。
 「ごめん…。朝日奈さんと古式さんの誘い断って」
 「ううん、ま、仕方ないわよ。身体は一つっきゃないもんね」
 「はぁ、そうですか。高見さんの決めたことですからわたくしは何も申し上げませんが、わたくし達のところに来ていただけるものとばかり思っていたものですので、やはり少々残念です」
 そう言うと古式は膝に手をおいてうつむいてしまった。
 古式の心境をなんとなく察している朝日奈は何も言わない。
 「うん、オレもいろいろと考えた。古式さんとはライバル同士になっちゃったけど、でもその方がお互いに伸びると思うんだ。オレは前回、前々回のレースで古式さんと戦って楽しかった。だから一緒のチームで走るよりお互い競い合った方がいいって思った。それでこっちのチームに入ることにしたんだ」
 「…競い合う…んですか?」
 古式が顔を上げた。
 「古式さんはオレと走って楽しくなかった?」
 「いえ、そんなことはございませんでした。どちらも今までのレースの中で一番楽しかったです」
 そう言って一呼吸おいて、
 「わかりました。わたくしもその方がよろしいかと思います。それであの、そのかわりと言うわけではありませんが、一つだけお願いがあるのですけれども、よろしいでしょうか」
 ちょっとだけ顔を赤らめる古式。
 公人も何となく後ろめたさがあるのか、
 「そりゃ構わないけど」
 と特に考えるでもなくそう答えた。
 「ふぅ、高見君も人が良いというか…」
 「そうね。でもそれが高見くんの良いところだと思う」
 公人の返事を聞いて紐緒と虹野はテーブルについている3人には聞こえないようにそんな会話をしていた。

 「それでは高見さん、ちょっとお耳を…」
 古式は高見の返事を聞いてうれしそうに微笑むと、テーブルの上に身を乗り出した。
 「え? ゆかりぃ、他人には聞かれたくないことなの?」
 朝日奈が問いただすと
 「はぁ、少々」
 と古式にしては珍しくはっきりしない答えが返ってきた。頬はそれほど赤くはないが、耳は真っ赤に染まっている。
 公人も続いてテーブルに身を乗り出して耳を古式に向けた。
 「………」
 公人の耳元でポソポソと話す古式だが小声なので他のみんなには内容は聞こえない。
 だが古式の口が公人の耳元から離れたとき、公人の表情がかなり驚いているようだったので少なくとも簡単なお願いではなさそうだ。
 「いかがでしょうか」
 公人の答えを待つ古式の表情はいつも通りの柔らかな笑顔である。
 「う…ん…、それは構わないけど…」
 対して公人は額に冷や汗まで浮かべている。
 「では、よろしくお願いいたします」
 ぺこりと古式が頭を下げた。
 「えーっと、じゃそろそろあたしたちレースの準備があるからもう行くね」
 古式と公人の話が終わるや朝日奈がそう言って立ち上がり、そして古式を連れてさっさと売店から出ていってしまった。
 時間的にはそろそろ午前中のレースも残り数周といったところだろうか。確かにそろそろ準備に入らないと間に合わない。
 とは言え、実際には朝日奈はそれを口実に売店から早く出たいだけというのが本心だった。
 正確には、半分は紐緒から離れたいという事。朝日奈にとって紐緒はちょっと苦手な人物らしい。
 残りの半分は古式から公人に何を言ったのかを聞き出したかったのだが、
 「ゆかりぃ、高見クンに何言ったの?」
 「ひみつです」
 と古式にあっさりと拒否されてしまい、この事については結局聞けず終いだったようだ。

 「さて、高見君、私達もそろそろ戻るわよ」
 朝日奈達が出て行ったあとに紐緒もそう言って売店出口に向かって歩き始めた。
 「あ、うん」
 慌てて公人も立ち上がり紐緒の後を追う。虹野も同じように紐緒の後に続いた。
 「ねえ、高見くん。今更とは思うけど、ホントにうちのチームに来たこと後悔してない?」
 観客席までの道すがら、虹野がそんなことを公人に尋ねてきた。
 さっきまでの古式と公人の会話を聞いていてちょっと不安に思ったらしい。
 だが当の公人は特に気にしている風でもなく、
 「ん? 別に後悔なんてしてないよ」
 と虹野の心配をよそに呑気なものである。
 「逆にこのチームに拾って貰ってホント感謝してるくらいだよ」
 「感謝なんてそんな…あたし達の方こそ高見くんに来て貰って良かったと思ってるのに」
 「そうね、高見君が来てからチームの志気も上がってきているし、少なくとも失敗ではなかったわね」
 素直に公人を評価する虹野に対して紐緒のそれは少々ひねくれてはいるが、彼女も虹野と全く同意見だ。
 ただ性格上素直に言えないだけである。
 公人もこの一月で紐緒の大体の性格が判ってきていたので、別に腹も立たない。
 「紐緒さん、あんなこと言ってるけど、いつも高見くんのこと誉めてるのよ。『いい拾いものした』って」
 小声で公人にそう言う虹野。一応公人のことを気遣って言ったのだが、
 「…虹野さん、それあんまり誉め言葉になってない…」
 と、やはり小声で公人に突っ込まれて、焦りながらもてへへと笑ってごまかす虹野だった。

 観客席に戻ると、既にレースも残り5周を残すところとなっていた。
 先頭集団は相変わらず激しいデットヒートを繰り返し、めまぐるしく順位を入れ替えている。
 先頭集団を形作っているクルマは全部で4台。いずれもこのレースでは常に上位に位置しているものばかりだ。
 しかしこの展開を見た紐緒はつまらなそうに溜息をついた。
 「やっぱりいつも通りの展開ね。別にこの4台が取り立てて速いと言うわけではないんだけれど」
 誰に言うでもなくつぶやく。
 「そうなんだ。他のクルマは何やってるわけ?」
 それを聞いた公人が紐緒に問うと、
 「もっと遅いだけよ」
 めんどくさそうにそう答える紐緒だった。
 紐緒は遅いと言うが、少なくともサンデーカップと比べれば全然速いし、トップ争いも白熱したバトルが展開される。
 このレースを見に来る観客の多さからも、紐緒が言うほどつまらないレースではない。
 「わたし達も来月からこんな観客の中で走るのよね。なんか武者震いしちゃうな」
 つまらないと言う紐緒に対して虹野は幾分か緊張の面持ちである。
 「緊張する必要はないわ。うちのチームがクラブマンカップ程度のレースで負けるわけがないのだから」
 紐緒はかなり強気だ。
 「でも、もしもってこともあるし…」
 「私だって無責任に負けるわけがないなんて言っているわけじゃないのよ。マシンの完成度、スタッフの実力、ドライバーの技量、その他の全てから判断しているわ。ただ…」
 珍しく紐緒が話の最後を濁して考え込んだ。
 「ただ…なに?」
 公人が言うと
 「チームゆかりがどの程度のクルマを持ち込んでくるのかが見当もつかないのよ。半年ほど前からサンデーカップに出場して、いきなり上位に入ってきているところを見ると、かなりの技術力はあると思うのだけど…」
 自分の考えをまとめているのか、確かめるようにそう答えた。
 しかし、直後にクビを2、3度振り、おかしそうに口元をゆがめて
 「ふぅ、…私らしくないわね。戦う前から弱気な発言をするなんて。こんなことじゃ頂点なんてたどり着けないわね。まだまだ未熟だわ」
 あざけるように独り言をつぶやくと、虹野と公人をおいて出口の方に向かって足早に行ってしまった。
 「…紐緒さん帰っちゃったのかな」
 「それはないと思うけど。クルマのキーも私が持ってるし」
 「じゃぁ何しに行ったんだろ」
 「さぁ、でもいつものことだからすぐに戻ってくるわよ」
 「…そう」
 ”いつものこと”と言う虹野の言葉に一抹の不安を感じずにいられなかった公人であった。

 つづく。


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