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第5話:1年目 サンデーカップ2 予選2。



 「あーよく寝たぁ」
 グーっと大きく伸びをしているのは早乙女好雄だ。
 サーキットに来てから今までずーっとピット奥のベンチで寝ていたらしい。
 顔にベンチの上に張ってあった板の木目模様がプリントされている。
 今の時間は午前7時20分。
 既にピットも参加車両でほとんど埋っていた。
 「さて、おーい公人、朝飯にしようぜ」
 いない。
 「あれ? どこ行ったんだ?」
 ピット前にはボンネット開けたままだがクルマもある。
 だがピット前に出て見ると、タイヤを転がしている公人の姿があった。
 「なにやってんだ? 公人」
 タイヤを転がすのはいいけれど、公人は隣のピットで一生懸命働いていた。
 好雄が声をかけたときはちょうどチームゆかりのレースカーのリアタイヤを交換しようかというところだった。
 「あ、好雄。起きたのか?」
 「起きたのか? じゃないだろ。隣のピットでなにやってるんだ?」
 「え? タイヤ交換だけど」
 そんなのは見れば判る。
 「そうじゃなくて、なんで自分のクルマでなくて他のチームで働いてるんだよ」
 「……」
 何か考えている。
 「なんでオレ、チームゆかりでピットクルーなんてしてるんだ?」
 「それはオレの台詞だ」
 「あ、高見クン。タイヤ交換終わった?」
 朝日奈が小走りでやってくる。
 「いやその前に、なんでオレここでタイヤ交換なんてやってるわけ?」
 「え? なんでって…そんな細かいこと気にしちゃ駄目よ。とりあえずタイヤ交換が済んだら考えましょ」
 いやそれは違うだろ、と心のなかで突っ込みをいれる好雄。
 言うだけ言って、さっさと朝日奈は自分の持ち場に戻って行った。言い返す暇もない。
 「えーと、なんかそういう訳でオレとりあえずタイヤ交換しておくから、お前タイヤのエアチェックしといてくれ」
 「どっちの?」
 「これ」
 差す指の向く方向はチームゆかりのレースカーだ。
 「なんでわざわざ隣のチームの…そう言えばここ、なんてチームって言った?」
 「ん? チームゆかり」
 十字レンチを回しながら公人が答える。さすがに手慣れた手つきでナットをはずして行く。
 「おい好雄、エアチェックは…」
 顔を上げるともう好雄の姿は無かった。
 公人の背後でピットクルーの女の子の迷惑そうな声が聞こえていた。

 --予選前練習走行--
 ドライバーズミーティングが終わり、予選前の練習走行が始まった。
 ピットの番号順にピットレーンに走行車両がずらりと並ぶ。
 コースの状態をみたり覚えたりするのが目的だから、当然先頭車両の前にペースカーがつく。
 公人は前から5番目だった。
 
 「ま、がんばって来いや」
 運転席にすわる公人に好雄が声をかける。
 「お前も、隣のチームの子にちょっかい出してさっき見たいな目に遭うんじゃないぞ」
 どうやらさっき、好雄になにかあったらしい。
 何があったかは定かではないが。
 「はっはっはー、あんなもんで懲りる好雄様じゃないぞ」
 ペースカーが動き出したのでそこで会話は終わりとなった。
 「じゃ、行ってくる」
 窓を閉めてスタート。
 最初の1周は全然スピードも出ずもどかしいくらいだったが、徐々に速度が上がって行く。それでも最終的にホームストレートで100km/h程度の速度で周回していた。
 結構コーナーで全開でも大丈夫そう、というのがピットに帰ってきて好雄に言った公人の感想である。

 8時半になり、いよいよ予選がスタートした。
 これもピット番号順に行われる。
 今回は予選グリッドについてからのスタートではなく、ピットから出て1周回り、その後ローリングスタート式に予選計測が行われる。
 コントロールラインを全速で駆け抜けるのだ。最終コーナーからの加速がカギとなる。
 「最終コーナーは1コーナー見たいに結構バンク急だからな。上まで登らない限り失速するこたぁないだろ」
 割と公人は楽観的に考えている。
 ただ、今回は速度重視のパワーサーキットなので公人のクルマではちょっと辛いかもしれない。

 最初のクルマがピットロードから抜けて加速していく。
 5番目の公人の位置からもそれを眺めることが出来た。
 暑いので開けた窓から加速して行くエキゾーストが聞こえる。
 トントンとハンドルの上を指で叩く公人。どうやら手持ちぶさたなときのクセのようだ。
 「うふふ、またハンドルの上叩いてるのね。やっぱり緊張するのかしら?」
 「し、詩織?」
 窓の向こうに詩織の顔があった。
 「今日も手伝いなのか? 一昨日家の前で逢ったときそんなこと一言も言ってなかっただろー」
 「えへへ、秘密にしておきたかったの。この間来たとき結構面白かったから。それでメグにお願いして今日もね。それに…」
 ピットロードの壁一つ向こうのホームストレートをさっき出て行ったクルマが高いエグゾーストを響かせながら駆け抜けて行く。
 その音とヘルメットをかぶっているせいで、詩織の最後の言葉が聞こえなかった。
 「え? なんだって?」
 「ううん、なんでもない。それじゃあんまり無理しないでね」
 そう言うと詩織は小走りで事務所の方に向かっていった。
 「いやまぁ、レースってのは少なからず無理するもんなんだけどな」
 コックピットで一人事のようにつぶやいた。

 公人の前に古式がコースインして行った。
 最終コーナー入り口までは全開禁止なので、古式もゆっくり目にスタートしている。
 2分ほどして、最終コーナーから轟音と共に帰ってきた。
 4、5速とコントロールラインまでに入れ終えて公人のいる壁の向こうをものすごい勢いで駆け抜ける。
 ピットレーン出口から見えたチームゆかりのクルマは、コース脇に溜まったホコリを巻上げてあっという間に点になる。
 改めてこの時どんな顔して古式が走っているのかが気になる公人だったが、その前に古式はクルマを運転すること自体が想像力の範疇を超えてしまうようなポケッとした子なので、ましてサーキットを走ってる時の顔など想像できるものではない。
 朝日奈にもさっきちらりと聞いては見たが、
 「普段の運転では普通よ、普通。なんかハニワみたいな顔してる事もあるけどね」
 普段がハニワだったらキレたときは大魔人にでもなるとでもいうのか。
 ますます謎は深まるばかりだった。
 
 古式の予選セッションが終わり、いよいよ公人がコースイン。
 3、4速あたりでゆっくり目に走る。
 各ポストでは黄旗が掲げられていた。一応最終コーナー入り口まで全開禁止で速度制限も設けてあるからで、その意味で注意を促すために黄旗を掲げている。速すぎるクルマは即座に黄旗が振られ、ペナルティをもらう。
 厳しめのルールだが、安全のためにはやりすぎと言うことはない。
 トンネルを抜け、最終コーナーに手前の緩い右コーナ途中にあるポストで緑旗が振られた。
 予選計測に向け加速全開許可の合図である。
 ギアを1つ落とし、アクセルを目一杯踏む。
 レブカウンタの針がみるみるレッドゾーンに吸い込まれ、リミッターが効く寸前で4速に上げる。
 最終コーナー手前で一瞬ブレーキを踏んだあとハンドルを一気に左へ切り、弱アンダー気味にコーナーに入った。
 アクセルを微妙にコントロールさせながらコーナリングする。
 緩めすぎるとリアの荷重が抜けてスピンするし、踏みすぎればどアンダーが出て速度が落ちる。
 直線が見えてくるまでグッと我慢しなければならない。
 
 コーナーの出口が見えて来たところでハンドルを戻しながらアクセルを踏み込み始める。
 アンダーが出てアウト側に寄って行くが、もうバンクもほとんど無いので気にせず速度を上げる。
 コーナーが直線になる頃にはもう4速でもレッドゾーンに入ろうとしていた。
 公人もいままでこんなコースは走ったことがない。
 コントロールラインはまだずっと先で、1コーナーはさらに遥か向こうである。
 リミッターに当たりそうになったので、5速に入れる。
 なおもぐんぐん加速する。
 「こりゃ、思ったよりクルマにキツイサーキットだな」
 200km/hを超えて進む速度計の針にちょっとびくつきながらも、路面の凹凸を拾って安定しないハンドルを再び握りなおした。

 コントロールラインを通過したときの速度は時速210kmだった。
 1コーナー手前で軽くアクセルを緩め、グリップを確かめるようにコーナーに入る。
 バンクには登らずにインベタで1コーナークリア。出口でアウトに寄る。ほとんどアクセルべた踏みだったのでそれほど失速もしていない。
 2コーナー手前でフルブレーキ。4速ハーフアクセルで少しオーバースピード気味だったが、それでもラインをほとんど乱すことなくクリア。
 3コーナーまでの繋ぎの直線で再び5速に入れ、3コーナー前でフルブレーキ。
 4→3と落とし、リアを滑らせ気味にクリア。
 4コーナーもそのままのギアでインベタで入り、出口でアウト側にはらむ。
 そのままのラインでトンネルに入り、トンネル内から続く緩いミニカーブはそのままシフトアップしながらインベタで抜けると、最終コーナーが見えてきた。
 この最終コーナーも1コーナー同様かなり急斜面のバンクを備えていて、パワーのあるクルマであればバンクを有効に使ってクリアするのも可能だが、今公人の乗っているクルマではそこまでのパワーはない。失速するのがオチである。
 最終コーナーに入る直前で一瞬フルブレーキをかける。減速しながら1つシフトダウン。
 速度が速度なのでタイヤがロックしかけるがその前にリリースし、一気にハンドルを左に切ってコーナーに入る。
 アウト側のタイヤが耐えきれず鳴き始める。
 それでもアクセルは緩めない。下手に足を離すとエンジンブレーキによりフロントに荷重が集中し、リアのグリップがすっぽ抜けてスピンしてしまうからだ。
 低速度域のスピンだったらカウンタを当てる余裕も充分あるけど、200km/h近い速度だとあっと言う間に吹っ飛ぶこと確実である。
 ゲームでは無事カウンタを当てられても、実車ではGやその他の衝撃が一気に襲ってくるので簡単にはいかない。
 そうでなくてもこの速度でのコーナリングはドライバーに相当のGの負担がかかるのだ。
 操る公人も歯をくいしばってGに耐えている。
 コーナー出口が見えたところでじわじわと加速を始めた。
 アンダーを出るに任せてそのままアウトに寄り、ハンドルがほぼ真っ直ぐになったところで一気に加速する。
 レブカウンタの針がレッドゾーンに飛び込んだところで5速にシフトアップ。
 1周目の周回のとき同様速度計の針が200km/hを超える。
 遥か遠くに見えたゴールポストがあっという間に近づき、そのままコントロールラインを越えた。
 ゴールポスト上ではまだチェッカーフラグが振られている。予選周回終了の合図だ。
 それに応じて各コーナーポストでも黄旗が振られている。

 「すげー緊張したぁ」
 安堵のため息をはきながら運転席内の公人肩から力が抜けた。
 アクセルからも足を離して自然に減速するに任せている。
 さっきまで200km/h前後の速度域にいたので今の速度が妙に遅く感じる。
 それでもまだ100km/h以上は出ているのだが。
 トロトロとぐるり一周走り、ピットレーンに入る。
 入ったところで次のクルマがコースに入って行った。

 自分のピット前でクルマを停め、シートベルトをはずし外に出た。
 好雄はと見るとピット奥のベンチで横になって寝ていた。
 寝ていたほうがおとなしいので、放っておくことにする公人。
 ヘルメットを脱いで、ふうと一息つくと隣のピットから古式が近づいてきた。
 「いかがでしたか、高見さん。調子のほどは」
 既に予選を終えているのでレーシングスーツの上半身部分だけ脱いで腕の部分を腰に巻きつけている。
 上はTシャツ1枚という姿だ。
 Tシャツにも「チームゆかり」の文字が入っていて結構凝っている。
 「いやぁこんなハイスピードコースなんて走るの初めてだから、結構怖かった、かな」
 「そうですねぇ、わたくしも少々怖かったです」
 そう言っている古式さんの顔はちっとも怖そうではない。
 「ここを20周もするのか…かなりしんどいレースになりそうだな」
 コースを見ながら公人がつぶやくと、
 「大丈夫ですよ。わたくしも一緒に走るのですから」
 確かにしんどいのは公人だけではない。
 前回のレースでも判ったように、古式のクルマも同じような性能だから条件は似たようなものだ。
 「あ、忘れるところでした。わたくし、高見さんをお誘いに来たのでした」
 「え?」
 古式の誘いは、これからお茶とケーキで一服するので一緒にどうか、というものだった。
 断る理由もないので快く公人は誘いを受けた。
 
 


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