思いついたこと
2005年9月
2005年10月・11月
2006年1月30日(月)
キンカンほかもろもろ

昨年から沢山実をつけていたキンカン(写真は昨年秋のもの)が色づいてきたので実をとった。
1,000個は楽に越える数がとれた。色づきの悪いところでも甘く、なかなかおいしいものである。孫達が大好きで「あと3個になってしまった」と電話があったので再度送ったら「168個あった」と電話。よほどうれしかったらしく「キンカン狩り」と「柿狩り」は横浜へ行こう、となっているらしい。
母が「昔からキンカンは風邪に良い。よく煎じて食べた(飲んだ)」と言っていたし、ビタミンCが豊富なのでこちらも食べたが、昨日から家内と共に全く同じ症状で風邪をひいてしまい、今日は一日寝たり起きたりしている。キンカンの効果はなかったのだろうか。

写真右は校友のイングリッド・フジ子・ヘミングさんである。校友ということを知らなかったが、学校の募金活動の一環として母校で演奏会を開催し、その収益を全てその募金に寄付するとの案内が送られてきてはじめて知った。入場券の申込書が送られてきたが、1人\10,000だそうだ。聴きたいが........。

私のホームページは昨年3月1日に開設した。娘婿が娘のために音楽教室のホームページを作ったという話があり、MIDIづくりを趣味にしていた私は、それを公開して皆さんに楽しんで頂ければと思い、始めてみた。JASRACから許諾を受けた時のうれしさは忘れられない。それから11ヶ月が経過してアクセス件数も年間10,000件を突破しそうで、うれしい。サイトによっては開設以来数十万、数百万、1日でも数百件のアクセスのあるサイトもあり、それに比べれば私のはマイナーであるが、最近、1日に149件アクセスがあり驚いたこともある。
私は「Synth 2」という音色が好きなため、聴かれる方によっては満足出来ない方もおられるかもしれないが、当面合唱曲のMIDIを中心に進めて生きたいと考えている。
これを読まれた皆様、どうぞよろしくお願い致します。

2006年1月25日(水)
雪のその後、アメリカの牛肉の話等

■雪のその後について
 実家の近所は除雪の時に各家庭から人が出て皆で除雪をして月曜日は車も問題なく通れるようになったが、別の区域では手を付けない家があったらしく写真のように残っている個所があった。
24日の夜その近くを通ったら大型の運送便が立ち往生し、ドライバーが一生懸命道路の氷を粉砕していた。どうやらスリップして動けなくなったらしい。早速影響が出た。
こういった人に迷惑をかけているのに無視している家庭もある。困ったものだ。

また、昨日坂道を下って歩いていたら屋根に雪を載せたまま走っていく乗用車が数台あった。何故落とさないのか。過去の経験によると、雪を載せたまま走ると停車した時にフロントガラスにすべり落ちてきて前が見えなくなることがあるし、後ろを走る車に雪を飛ばして迷惑をかけるのである。またこの時は軽い雪が自分の顔に飛んできて冷たい思いを何度かした。
珍しい雪がうれしいのか困ったものである。

■アメリカからの牛肉輸入が再開された途端に、背骨の含まれていることが発見され、再度輸入停止となった。これに対してアメリカの農務次官が「この牛肉を食べてもBSEにかかる確率は、買い物に行って交通事故に会う確率より低い」と発言した。とんでもない発言でびっくりした。BSEに感染や人命に関わる問題は1件たりともあってはならないのである。確率の問題ではないのである。
私は昔家電製品の業務についていた。「品質第一」が会社の基本方針であった。品質の悪いものは顧客に出せないとの強い意志は社員全員が持っていた。品質保証部の新製品に対する出荷の権限は絶対であった。何とか出荷させたいという立場とよく葛藤があった。でも品質保証部の考え方は正しい姿勢であったと思う。「大丈夫だろう」「いけるはず」の「だろう・はずだ」はその場しのぎには良いが、後で膨大な付けが回ってくる。M自動車のリコール問題はその典型である。
一方メディカル製品の生産にも従事したことがあるが、メディカル製品は特に点滴に使用する製品の場合、細菌が血液の中に入り込んでしまうため、プラスチック成形現場は当然空調設備は整えられ、しかも特殊フィルターを通した空気のみを通過させる仕組みになっていたし、外からの虫の侵入を防止するためにあらゆる対応がとられていた。
プラスチック成形現場や組み立て工程に入るにも人毛が全く外部に出ない作業衣に着替え、エアシャワー、消毒、作業衣の粘着ローラーがけ等、三重/四重の工程を経て入室する厳しさを遵守した。メディカルの分野では特に生体異物といわれる「血液、毛髪、爪、虫」等はあってはならないのである。だから食品を扱う人達の服装をテレビで見ると「まだまだ甘い」という感覚になってしまう。

このくらい厳しくやっているのが日本の企業であり、確率でうんぬんの国々の製品は品質も良いとは言えず、すぐ問題を発生させるのである。

■犬の小便被害対策で取り付けた監視カメラ(ダミー)は一度それらしいとも思われる痕跡があったものの、全く被害が無くなり、効果大というところである。

2006年1月23日(月)
雪と近所の連帯感

21日(土)に降った雪は15センチくらい積った。昨22日朝8時半頃から実家周辺の除雪を始めた。向いのYさんとやっていたら次々と近所の家庭から出て来て左の写真のように除雪が進み、1時間程できれいになった。
真ん中と右端は今朝の状況であるが、大半の道路はきれいになっているものの、別の道路の協力をしない家のところは真ん中の写真のように固く凍結したままになっている。
この辺は昔から連帯感があり皆が何でもすぐ協力したが、新しい人達の中には残念ながらという人も出て来ているようである。
自分一人では棺おけにも入れない。「人間は決して自分一人では生きていけないのだ」。

2006年1月21日(土)
雪の朝そして母

 昨日から天気予報で繰り返し「雪が降る」と言っていたが、なるほど予報通り朝真っ白になった。データに基づいて予報が出るので最近は正確になってきている。

この辺は坂道が多く、実際には雪が降ると困るのである(私は出勤する必要がないから無関係だが)。本日は土曜日だから助かった人も多いと思いながら、写真を撮る。
雪は一日中降り止まず、車の通った後もすぐ雪で覆われ15センチ位の積雪となった。今夜まで降り続くとのことなので実家周辺の雪かきもせず明日やることにした。

私は子供の頃から雪が大好きであった。八戸で勤務した時はうれしくて、4WDでスタッドレスタイヤを装着した車を用意した。雪道を運転した経験のない私は、山の方で雪が降ったと聞いて、早速八甲田までドライブして練習を開始した。

雪の多い地方の人達は心得ているから、先ず「急発進、急ブレーキは絶対しない」「平坦地でも車間距離をあけて走行し、絶対煽ることはしない」「坂道を上がるときは前の車がすべってきても良いように距離をあける」「坂道を下る時は自分がすべって前の車にぶつからないようやはり車間距離を確保する」等々、遵守していてよそ者の私にも問題なく走れた。八戸は雪よりも氷の世界で、凍結前は部下から散々「危ないですよ」とおどされた。
みちのく有料道路を走っていて突然木の雪が落ちてきて前が全く見えなくなり、慌てて停車したこともあった。

今、雪の多い地方は例年にない大雪に見舞われ苦労している。除雪は本当に大変で気の毒になってしまう。
15センチくらいの雪で何やかや言っていては申し訳ないくらいの気持ちである。

今朝実家へ行くと母が以前と同様服を着て食事の支度をして、父と食事をしていた。そして食事が終わると階下の布団に寝ることはなく、父と一緒に二階へ上がり、父のそばでソファーに腰掛けた。
結局今日は一回も階下の布団で寝ることはなく、ソファーで毛布にくるまって寝ていたそうだ。(寝ることには変わりは無いが)
これなら年末までと同じ状態でずいぶん回復したなと思う。このまま元気でいてくれると良いが、と思いながら夕食の後自宅へ戻った。

2006年1月17日(火)
また救急車

今日は実家で会食の日。夕方家内と行って家内は夕飯の支度をしていた。途中で布団に寝ていた母に声をかけたら大丈夫であったが、その後父が二階から下りてきて話しかけたら、おかしかったらしく私が呼ばれた。母の返事がおかしい。ロレツが回らない。血圧も高くなっている。今回は入院を、と救急車を呼んで病院へ。あいにく病院は満室でベッドの空きがないので、もし入院することになった場合はほかの病院へ移動するということで、出発した。
診察を受けている頃母は通常に戻り、入院しないでまた家へ戻ることになった。
実は14日にも前回と同じような症状になり、20分くらいで通常に戻った。それ以来母は階下の寝室の布団から起きてこようとはしなくなった。4日、14日そして今日と今年になって3回目である。
自律神経が具合悪く、かといって薬剤もないらしい。次回同様になったら30分くらい様子を見ることを医者から勧められた。
老衰の域に入ってきているらしい。残念ではあるが。
今後は誰かがいるようにして母を一人寝かせておくことはしないことにした。


犬の対策は効果が出ているようで、今日までは被害がなかった。しかし午後、ちょびっと痕跡があった。少量だったのか慌てて途中で犬をひっぱったのかというところだろう。

2006年1月13日(金)
犬の小便被害対策

いよいよ対策を実行することにした。
結局ホームセンターで監視カメラを購入し、写真のように壁面に固定した。配線をして裏側に発信機を付けた。
30時間経過した時点では被害がない。
従来犬の嫌う木酢酸を噴霧していたが、結局犬が平気で塀に近寄って、小便してしまえば飼い主は平気なのである。
今度は人でも犬でも近づけばセンサーが働いて赤色LEDが点滅するため、飼い主に注意を促すことになったはずである。
しばらく様子を見る。
尚、監視カメラといってもダミーであり、単価\580である。発信機は電池ケースをテープで巻いてそれらしく見せているだけの話である。

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2006年1月11日(水)
腹が立つこと2つ

 上の画像は記事と関係がありません


■その1

 私が住んでいるのはアパートである。5棟の全室に1台づつ割り当てられた駐車スペースがあり、契約して毎月駐車料金を支払っている。
最近そのうちのある室のチャラチャラした若い女性が、共用の場に駐車を続けている。
先日「迷惑駐車。ここは10分以内の駐車のみ」と貼紙をされていたが、平然と駐車しているのである。
彼女の契約スペースには他の車(彼氏のかと思われる)が停めてあり、一向に改める気配がない。
社会のルールも守れない若い女性に本当に腹が立つ。何回も警告しないとだめなのだろうか。

■その2
 実家のブロック塀のしかも駐車スペースの入り口のところに平気で犬の小便をさせていく輩がいる。
その上部には「ここに犬の小便をさせないで下さい」と看板をつけてあるが、このところ毎日やられる。昨日は水で洗い流した数時間後にやられた。
ずーっと見張っているわけにもいかず、誰がそこへさせていくのか特定できない。
今、「監視カメラ作動中」と看板を直し、カメラを作り設置する予定である。勿論犬(心無い飼い主)のためにお金を使うつもりはないので手作りのダミーを使う予定である。
そして経緯を見るつもりである。

2006年1月5日(木)
救急車

昨日実家で昼食の準備中、テーブルに突っ伏していた母が崩れるようにして倒れ、意識がなくなった。血圧は最高が70と低い。「手を握って」と呼びかけると握りかえしてはいたが目はつぶったまま。
救急車を呼ぶことにした。救急車が到着した頃、母は目を開き「大丈夫だよ」。しかし救急隊員の「CTで頭を調べた方が良い」という勧めもあり市民病院へ搬送。
父が救急車に同乗し、私が車で救急車を追いかけたが、途中で「あなたは追いかけずに通常走行で走ってくれ」と注意されてしまった。
病院で2時間近く待ったが、CT検査、心臓検査、血液検査の結果脳梗塞や脳出血、心臓発作の心配はなく、血液検査は血糖値が高い以外、糖尿も問題ないとのことで一安心。
血糖値の高かったのはドラ焼きと干し柿を食べたためか?また倒れたのは最近「血圧が高め」と医師に処方された血圧を下げる薬を服用していたことによる「血圧の下がりすぎ」が原因らしい。

昨年1月母は同様になり、それが我々を横浜へ転居させる原因となったわけであるが、このときは日常的に薬を飲んでいる母が風邪をひき、市販の風邪薬を服用したことによるもので、改めて薬の多用は慎むべきと実感した。
薬を服用しなくても良い健康な体がベストである。

2006年1月3日(火)
日の出・日の入り

私はいつの日からか、日の出・日の入り時刻に興味を持つようになった。
朝早くから夜なるべく遅くまで太陽の出ている時期が一番好きで、その逆は好まない。
12月22日の冬至から毎日記録してみることにした。
2005年12月22日は日の出時刻⇒6:47、日の入り時刻⇒16:32であったが、明日1月4日は日の出時刻⇒6:51、日の入り時刻⇒16:41である。
つまり冬至を境に日の出時刻が早くなり、日の入り時刻が遅くなるわけではなく、日の出時刻はこの二週間で4分遅くなり、日の入り時刻は9分遅くなり、日照時間としては5分長くなっていることになる。今年になってから日の出時刻は変わらず、日の入り時刻が毎日1分づつ遅くなっている。やがてこれが2分づつ日照時間が長くなっていく。
どうでもよいことかもしれないが、ちょっと興味があったのでお知らせまで。

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2006年1月1日(日)
謹賀新年

あけましておめでとうございます。皆様それぞれに良い新年をお迎えのことと拝察、心よりお慶び申し上げます。
2005年3月1日に開設したこのサイトもお陰さまで昨年8030件のアクセスを頂きました。マイナーなサイトだけに大変うれしく、心から御礼申し上げます。
今年も沢山のMIDIを掲載して参りますので、ご支援のほどよろしくお願い致します。

私は大晦日に「NHK紅白歌合戦」を必ず観ること、元旦は実家で両親と一緒に迎えること、を継続しており、年末から正月を他で過ごすということは、私か両親が海外にいた時以外は全く経験がありません。
本日は弟一家と私の息子一家と計11名で元旦を祝いました。母の「肉団子」の味はここ数年姪が引き継いで毎年作ってくれておりましたが、姪が5月に岐阜へお嫁にいくことになり、本日が姪にとって最後の「肉団子」になりましたので、皆でおいしく頂きながら、姪のこれからを話題にしました。
家内が和風、義妹が洋風の料理を作り、テーブルに一杯の正月料理は大いに楽しめました。
夕方弟一家と息子一家は戻って行き、また静かになりました。外は曇天で恐らく5℃前後と寒い一日でしたが、家の中は暖かく楽しい一日でした。
尚、今朝はあいにくの曇り空で初日の出を見ることが出来なかったため、友人のO氏の写真を掲載させて頂きました。

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2005年12月28日(水)
生協の白石さん

ここに「生協の白石さん」という一冊の本がある。
東京農工大学生協工学部店に「ひとことカード」という、学生や教職員など「組合員」が、生協への要望を自由に書けるアンケート用紙があり、それに記入し、専用箱に投函すると生協の職員が一枚一枚確認して回答を手書きして、掲示板に張り出しているそうである。
白石さんが担当者になってから生協とは関係ない質問が沢山寄せられるようになったとか。それはどんな質問を投げかけても、白石さんが必ず粋な答をくれるからだそうだ。
この本はこれら「ひとことカード」を沢山集めて紹介している本で、ほのぼのとした気分になれて、心を感じることが出来る。また、クレームを担当している人達もこういった粋な回答が出来れば、怒りながらクレームを言って来た顧客に、最後は「仕方ないか」と思わせることが出来るのかなあ、と感じた。
一部抜粋して紹介する。

Q・・・ 単位売って
A・・・単位は決して金銭などで売買されるものではありません。当店がご要望にお応えし、単位の売買を開始してしまったら、先生方から烈火の如き非難を浴び、生協は大学を追われる事になってしまうでしょう。書きながら、何だか首の辺りがぞくぞくしてきました。6月になったとはいえ、納涼というには時期尚早な話です。

Q・・・エロ本置いて下さい
A・・・ご要望ありがとうございます。大学生協は学生さんや教職員の方をはじめとした組合員の勉学研究支援及び生活支援に取り組んでおりますが、煩悩の分野は支援できません。あしからずご了承下さい。

Q・・・愛は売っていないのですか?
A・・・どうやら、愛は非売品のようです。もし、どこかで販売していたとしたら、それは何かの罠かと思われます。くれぐれもご注意下さい。

Q・・・車欲しいです。売って下さい。
A・・・ご要望ありがとうございます。自動車の売買について、生協は取り扱いしておりません。ご参考までに、当店にて「クルマ選びの決定版 最新マイカー選び」という本を販売しておりますので、ご検討の一助となれば幸いです。

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2005年12月25日(日)
クリスマス会と籤運

■23日に市内のホテルで合唱団のクリスマス会があった。6月に加わった私は初参加である。受付でパート毎に色の異なる写真のようなカードを引くと中にテーブル名が記載されている。テーブル名は「ド、レ、・・・・シ」まで7つ。
私は「シ」であった。どうも各テーブルに全パートの人が数人づつ配置できるように考えられていた。席に着くとテーブル上の高さ20cmくらいの円錐形のツリーが置いてあり、そこの穴にこのカードのモール部分を差し込むとクリスマスツリーになる仕掛け。なかなか工夫されていた。
私の隣には普段顔を見ているだけで話す機会のないソプラノとアルトの美女が二人も左右に座ってくれて、両手に花のルンルン気分でオープニングを待つ。
開会の辞の後は、何と「クリスマスだから讃美歌を歌う」とのことで4曲続けて歌い、その後で乾杯となった。
いよいよ歓談と会食。家内が友人から「30分位の間に食べてしまわないと後は食べられないから」と聞いていたので、中華バイキングを少しづつ品種を多くして楽しむ。
そして男声合唱。男性陣がステージに上がり3曲熱唱。次に女声合唱が1曲。続いて少人数のアンサンブルをやっているグループが登場・・・・・・、と次から次へと合唱が続く。当初予定されていたテーブル毎のアンサンブルは時間がなく、実施できないくらい沢山の歌があった。
何故「30分位で食べないと・・・・」ということだったのか、わかった。合唱団の人はとにかく真面目なのである。人が演奏している時は、食べたり飲んだり、また食べ物を取りにいったりせず、きちんと聴くのである。通常の宴会だとカラオケをやっていても聴いている人はおらず、食べたり飲んだり話をしたり、が多いが、ここは違うのである。
だから最初の歓談の時に食べておかないと目立ってしまうし、演奏している人達に失礼にあたるからということであった。
あっという間に2時間半が過ぎ、最後に「きよしこの夜」を歌ってお開き。その後はそれぞれに好みの場所へ散っていった。
とても楽しい半日であった。

■近くのホームセンターは平日でも賑わっているが、その中に電器店がテナントで入っている。年末商戦の一環で、「行くだけプレゼント」「行くだけくじ引き」「\100以上買えばくじびき」と粗品の他に2種類のくじ引きが出来る。
3日前に行った時、粗品をもらい、くじを引いて4等があたった。今日は、粗品の他買い物したことによるくじ引きで4等、「行くだけくじ引き」で2等が当たった。普段めったにないことが立て続けに起こった。不思議である。今宝くじを買えば1億円当たるかも、と思いながら帰宅したのである。

2005年12月21日(水)
洗剤、合唱その他

■洗剤の件
 今年もあとわずかとなり、実家の両親が大掃除は出来ない状態であるため、今日からあちこち清掃することにした。
先ず2階の廊下のワックス。床用液体ワックス15mL(キャップ半分位)を500ccの水に溶かし、塗布用具の取っ手部分がポリ容器になっているので、そこへ入れ、先端のスポンジ部分で万遍なく塗布した。
木目に沿って丁寧に。そのまま30分程度放置しておけば出来上がり。
ツヤが出て、かつすべらず安心出来る。昔母が半練状のワックスを塗布し、ナイロンストッキングで磨いたが、よくすべり危険であった。今は塗布しやすいし安全であることがわかった。

次に台所のガスレンジと換気扇まわり。
換気扇は古いし、数十年使っているため汚れの落ちない部分もあったが、ある程度きれいになったことで我慢。
ガスレンジはどうしても五徳(なべややかんが乗っかる鉄製のもの)に汚れがこびりついている。
「換気扇・レンジ用」という液体洗剤を塗布して5分程度放置した後、金属たわし(旋盤のカスを丸めたようなもの)でこすってみた。
結構汚れがとれて地の塗装が見えてきたので完全にはもっと時間が必要だが、そうもいかないので満足出来るレベルで終了。

シンクの上の部分で水が垂れて白い島模様になっているところが気になっていて、今までいろいろトライしてみたが、過日の重曹でもだめ。
今年の初め頃、弟が食器棚の取っ手の部分を磨いたら驚くほどきれいになったのを思い出し、その洗剤を使ってみることにした。
「スーパークリーナー万能Jr(ジュニア)くん」という直径85mm、厚さ25mm程の平たい容器に入った半練状の洗剤(ホームセンターで場合によっては何故か塗料売場にあったりする)でやってみることにした。
完璧とはいえないが、今までにない落ち方できれいになった。
洗剤も掃除する場所によって使い分けるのがベストのようだ。

■昼食
 冷や飯が残っていたので「おじや」を作ることにした。水3合、しょうゆ0.5合、酒大匙3杯、砂糖大匙3杯、だしで煮立ててご飯や葱、油揚げ等にかきたまごを入れ、ついでに餅も入れた。
この味が結構いけるのである。両親も「おいしい」と喜んでくれた。

■合唱
 友人であるK氏が埼玉で5つの男声合唱団を集めて「YARO会」というプロジェクトを結成し、11日にその演奏会が開催された。私は残念ながら聴きにいけなかったが、フジテレビの朝8時からの「特ダネ」という番組で紹介されるという連絡を頂いた。
昨日という話だったが、例の偽装設計に関する強制捜査とぶつかりそのニュースに占有され昨日は放映されなかった。恐らく今日ではないか、と所用のためその時間テレビを観ておれなかったので録画しておいたところ、9:25頃から放映されていた。
大阪の「10,000人の第九」、「丸の内のOL達の第九」(大晦日にコンサートらしい)に続いて、YARO会が取り上げられた。中心は5団体のうちの1つに所属する63歳の男性が半年前から合唱団に入り、初めてステージに立つまでの練習風景、本番、そして本番後のロビーでの合唱を紹介し、緊張の続いていた彼の「本日一番の笑顔」が紹介されていた。
このYARO会は作曲家の多田武彦氏も興味を持って支援しており、今年の合同演奏は「月光とピエロ」であったが、素晴らしい演奏だったようだ。CDを注文してあるので楽しみである。
最近は合唱を楽しむ若い人も増え、あちこちで合唱の魅力が取り上げられてきている。合唱は聴くのも良いが、やはりメンバーの一人として歌うのが一番良いように思う。
これを読んでくださったあなたも合唱をやりませんか?
老化防止にもなりますよ。私の仲間は84歳の女性、80歳の男性が最年長ですが、皆よく歩くし、きれいな良い大きな声で歌っています。

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2005年12月20日(火)
クリスマスハーモニー

18日の日曜日、横浜みなとみらいのクイーンズスクェアの1階で「クイーンズ・クリスマスハーモニー2005」が開催され、前半3団体、後半3団体の合唱団が25分づつ演奏した。
ステージは空間の多い、いわゆる東京駅の駅コンと同じで、ステージ前に椅子席も用意され、それ以外は後部に立ったり、上階から見下ろしたり通りすがりの方々に楽しんで頂くものであった。
私は初参加であったが、所属する合唱団は毎年選ばれて演奏している。6団体のトリで讃美歌やクリスマスソング、宗教曲等合計8曲を演奏した。
歌っていてあまり他のパートの音がよく聴こえない感じであったが、何故かパワー十分の歌声で歌うことが出来、満足した。
最後は聴いて頂いた皆さんと共に「きよしこの夜」を歌ってお開きとなった。
当日は日曜日の午後ということ、クイーンズ・スクェアのクリスマスイベント、イルミネーション、各お店のクリスマスセールも重なってものすごい人出であり、到着してから集合時間の間に簡単な食事をと思っていたが、どこも満員で外へ出てようやくコーヒーの飲める場所が見つかり、そこで時間を潰した。
周囲の道路も渋滞・渋滞であった。
終わった後は近くの居酒屋で有志による打ち上げ。22時過ぎまで楽しんで帰途についたが、駅までの道のりは寒波による冷たい風が吹き、寒く冷たいこと。八戸時代を思い出してしまった。

帰宅しても部屋が冷え込んでおり、寒い一日であった。

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2005年12月6日(火)
ベーキングソーダ

今年の春、弟が新しい洗剤を紹介してくれた。米国駐在時には結構使っていたが、それが日本でも発売されていた、とのことであった。これがなかなか良く、台所を中心にきれいにすることが出来た。この洗剤は粉末で、化学用語では「炭酸水素ナトリウム」といい、一般的には「重曹」、「ふくらし粉」と言われ、パン作りに使われるものであった。最近友人が写真の本を紹介してくれた。タイトルの通り、弟の紹介した洗剤と同じものであった。
ホームセンターやスーパーで「重曹」を探してみた。食品用としては\158/150gであるが、洗剤として売られているものは\198/500gがおおよその相場であり、包装形態も使いやすく、きれいになって、いろいろな名前を付けて販売されていることを知った。
肝心な効力であるが、湿ったスポンジに少量の重曹をつけて台所のシンクや水道管等を磨いてみたら、ピカピカになった。最近の洗剤はいろいろな化学薬品が含まれているが、これは重曹だけであるから害はないし安全でもある。今年の年末はこれを使ってあちこち磨いてみることにしている。水に溶かしてスプレー容器に入れて使う方法もある。また強固な汚れは酢を混ぜると良いとのことであるが、これはまだ実施していない。

2005年12月5日(月)
冬の到来・友人達

■冬の到来
このところ寒波の影響もあり気温が低い。自宅は構造上しっかりしているためか、朝起きてエアコンのスイッチを入れた時の表示温度が今朝一番低かったが、それでも13℃であった。外は恐らく5℃かそれ以下と推定されるので、有り難味を感じる。
秋田の友人のライブ映像を見ると、このところ真っ白な世界。北海道の友人からはもう数回除雪をした、この前は6時前から2時間かけて作業したとの話も届いた。
いよいよ本格的な冬の到来である。雪の多いところに住んでいる方には申し訳ないが、私は雪が大好きで、雪の降るのが楽しみなのである。
この私が八戸で勤務した時は、秋に新車を購入した際初めてスタッドレスタイヤもつけてもらい、八甲田に雪が積った話を聞いて、早速雪道の走行練習に行き、道路の状況とブレーキのかけかたの関係を理解するようにしたことがある。
部下から@急ブレーキ・急アクセルをかけない A坂道を登るときは前の車がすべってきても良いように間隔をあけて走る B坂道を降りる時はスピードを落としエンジンブレーキをかけながら静かに下りる C雪道に轍(わだち)がある場合はそこを走り、轍から外れないこと
等々教えられ、試してみた。積雪道路とシャーベット状、凍結路ではそれぞれブレーキのかけかた、走行の仕方を変えないといけないことを体得し、事故のない2年間を過ごすことが出来た。
そして経験豊富な地元の人達は他の車に対しても親切で、特に私のような他県ナンバーの車については例えゆっくり坂を下りていてもうしろから煽ることもせず、鷹揚に構えてくれていたのは有難かった。

■友人T
大変残念なことに現役時代の仲間がしかも同じ年齢の友人が病のため亡くなった。1年半前には大変元気で、ある総会に出た時には同じ部屋で泊まり、昔話をして、翌朝は会社へ行かねばならない、と早く戻っていったのだが、それからしばらくして手術が出来ない場所に癌が見つかり、放射線治療をしていた。遂に帰らぬ人となってしまった。
日曜日の告別式。良い人柄の彼は数百人の大勢のOBや現役の仲間に見送られ旅立っていった。合掌!

■友人U
友人の告別式に参列するため遅れないように2時間半前に家を出たら、日曜日のためか高速道路も混雑がなく、1時間15分で着いてしまったので、急遽家を建て替えた友人宅へ連絡してみた。突然に、しかも風邪気味であったにもかかわらず友人は快く訪問を歓迎してくれた。
広大な土地に建てられた新居は、木を多く内装に取り入れた素晴らしい家で、当然バリアフリー、広いリビングルームとダイニングルームは仕切りがないため尚更広く感じる。庭を見ると隣接してゴルフ場になっているため、松林が広がって実に雄大な景色となり、横浜ではまず見られない風景であった。
うらやましい限りである。