あなたは 名探偵  ― 布川事件を推理しよう!


第2回 ・・・ <謎の便所窓

 前回は、被害者玉村象天さんのズボンのポケットに入っていた『 明治ゆであずきの缶詰 』を手掛かりに、その日の玉村さんの行動を推理してみましたが、今回は、捜査官もおそらくは首を捻った(?)だろうと思われる<便所の窓>について推理してみたいと思います。

 まず、<布川事件>検証調書(昭和42年8月30日)をご覧下さい! 次のように記載されている筈です。

「 雨樋のある南端から北方へ3.3mの位置の、地上から1.67mの高さのところに、・・・ 巾81cm、高さ36cmの窓があって、その中は便所で、窓には長さ43cm、巾3cmの木の桟が、下方は2本上方は1本の釘で打ちつけてあるが、向って右側の桟2本は抜き取ってあって、窓のガラス戸は向って左側へ開けてある。」

外側から見た便所

便所の窓

「 便所の窓下の雑草の中に、窓の桟(さん)と思料される、長さ40cm位の板2枚が、・・・ 東方を頂点にしてV字形に遺留してあって、先方は18cm 開いていて、V字形の頂点から便所の土台迄の距離は99cmで、東方へ出ばった庇(ひさし)の土台迄の距離は1.05mである。

 また、犯人の<侵入口・逃走口>について記載した部分には、次のように書かれています。

「 現場である玉村象天方居宅の南側にある勝手場の出入口と、東側にある便所の窓以外のところは、何れも鍵が締めてあり、勝手場の出入口の戸は鍵が締めてなかったが、西側の県道から見通せるところにあり、便所の窓は、5本の桟のうち2本がはずれていて、ガラス戸は南側へ開けてあったが、窓は地上から1.67mの高さのところにあって、台を使用した形跡も窓枠を擦った形跡も認められないので、侵入口としては不自然で、何れが侵入口で何れが逃走口か判然とはしない。」

 この<便所の窓>の問題については、2審判決で弁護側の「 犯行後、逃走を急ぐ犯人は出にくい便所の窓から出る筈はなく、また便所の窓から出ることが犯行のいんぺいにならず、窓は高さ1.6ないし1.7メートルあり、窓下は暗く、古材等で入るには足場があるが、飛降りるには足場が悪く、不可能に近いし、桟の下端の釘が折れているのは、犯人が外からはずした証拠である 」という主張に対して、<東京高裁>は次のように判じています。

「 犯人の出入口と見られるのは便所の窓と勝手口であるが、いずれが入口でいずれが出口であるかは必ずしも明らかでない(尤(もっと)も、便所の窓枠に擦った跡のないこと、屋内に土足の跡の発見された形跡のないこと等からすれば、勝手口が入口で便所は出口であった可能性の方が強いといえよう)

窓の桟は、上方1本、下方2本の釘で打付けてあるから、外から引張っても、内側から押しても、上が先に外れるのは当然であり、上が外れれば桟は下へ曲げられるのも当然であって、下の釘が折れているからといって、・・・ 外から引張って桟を外したものと決めてしまうことはできない。

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 以上のように2審判決は、不思議な論理で「 勝手口が入口で便所は出口であった可能性の方が強い 」と結論づけていますが、では実際に「 便所が出口だった 」と仮定して話を進めていきましょう。

― それでは、犯人は何のために<便所の窓>から逃走しようとしたのでしょうか・・・?

 考えられる事は、検証調書にも記載されているように 「(勝手場の出入口は)西側の県道から見通せるところ 」にあったため、誰かに目撃されるおそれがあったということでしょう。玉村方の周囲の状況はどうだったかと言うと、西側は県道に接していて遮蔽物(しゃへいぶつ)がありません。北側は農道ですが、高さ1.9mの板塀で遮(さえぎ)られています。そして、東側は水田(稲は既に刈り取られていた)ですが、間に高さ1.3mの有刺鉄線が張られています。また、南側は材料置場をへだてて隣家に接しています。

玉村宅全景

南側玄関付近

 西側の県道を避けるとしたら、最も考えられる逃走経路は、北側の農道か、東側の水田ということになります。まず北側ですが、検証調書では「(板塀の)木戸の外側も内側も雑草が密生していて、木戸を開閉している形跡はない。板塀際の農道には巾1mくらいにわたって、30cm乃至(ないし)80cm位の高さに伸びた雑草が密生していて、蔓草は板塀の上まで伸びていた。」となっていて、ここから脱出した形跡はないようです。

 また東側の水田は、この時既に稲が刈り取られていて脱出路としては最適ですが、前回でも述べましたように、この日は時々小雨がパラつくといった愚図ついた天気でした。その為、水田は当然湿っていたと思われ、もし有刺鉄線の間を潜り抜けて水田に出たとしたら足跡が残っている筈です。しかし検証調書には「 出入りした形跡は認められない 」と記載されています。

 かと言って、南側の材料置場を通って隣家に抜けたとも考えられません。― そんなことをしたら不審に思われて、余計発見される可能性が多くなります。そうなると残るは、やはり西側の県道しかないということになってしまいます。しかし、それでは何の為に大変な思いまでして<便所の窓>から出たのか全く説明がつきません。

 以上のことから、逃走口<便所の窓>と考えるのは、明らかに不自然だと思われます。

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― それでは、視点を変えて<窓の桟>に注目してみましょう!

 この<窓の桟>は、検証調書にも記載されているように「 下方は2本、上方は1本の釘で打ちつけて 」あり、上の写真でも分かるように釘が錆び付いています。当然、便所の内部からちょっと押した位ではビクともしないでしょうから、この桟を外そうと思ったら、かなり強い力で ― 例えば、相撲の<突っ張り>のように掌で ― 叩く必要があります。

 もしそのようにして<窓の桟>を外したとしたら、その<板片>は勢い余って ― 場合によっては、かなり遠くに ― 弾き飛ばされてしまうでしょうし、少なくとも<2本の桟>の落下地点にはバラツキが出る筈です。

― では、実際はどうなっていたでしょうか? 

 先にも記載しましたように、検証調書には「 便所の窓下の雑草の中に、窓の桟と思料される、長さ40cm位の板2枚が、・・・ 東方を頂点にしてV字形に遺留してあって、先方は18cm 開いていて、V字形の頂点から便所の土台迄の距離は99cmで、東方へ出ばった庇(ひさし)の土台迄の距離は1.05mである。」と書かれています。

 つまり<2本の桟>は、便所の土台から99cmV字形の頂点が東方だということは、便所が東向なのでV字形になった2枚の板の開いた先端から便所の土台までの距離は約50cm ― の窓下の草の上に重なって落ちていたわけで、そこは丁度外側から<窓の桟>を引っ張る場合に立つべき場所の近辺です。それに<窓の桟>を外部から引っ張るのは、体重を後ろに掛けて強く引けばいいので内部から押すよりは楽ですし、外した後も<板片>は手の中に残っています。

 現場の状況から見れば、― 窓から入ったかどうかは別として ―「 犯人は外部から<2本の桟>を外して足下に落とした 」と考えた方がより自然だと言えます。

※ 余談ですが、ここでもう一度<便所窓>の写真をご覧下さい。ちょっと新たな発見をしてしまいました。私は、検証調書に記載されている「 東方に出ばった庇の土台 」というのが、当初何を意味しているのか全く理解できませんでしたが、「 便所の土台 」とは区別しているところをみると、その便所の北側に張り出している<物置の土台>のことを言っているように思われます。

 もしそうだとすると、<真犯人><左利き>だった可能性があります。というのは、便所の北側の<物置>の板壁と<桟>が外された<便所窓>とは、ほぼ密着しているので、<便所窓>に正対した位置に立った<右利き>の人が「 便所の土台から99p、東方へ出ばった庇の土台から1.05m 」の位置に2本の<桟>を落とすには体を左に捻(ひね)る必要があり、ちょっと無理があります。逆に、これは<左利き>の人ならば、全く無理なく自然に落とせる位置なのです・・・。

 勿論、<桟>を下に落とす時に<右手>から<左手>に持ち替えたということも考えられなくはないのですが、しかしそれは可能性としては限りなくゼロに近いと思われます。では、ここでちょっと<右利き>の人がこの2本の<桟>を外す時の状況を考えてみましょう!

 その場合に、この<桟>を外すには、前述のようにかなり力を入れる必要があるので、その人の<左手>は恐らく便所の窓枠を押さえることになる筈です。すると、その人はまず<左手>を窓枠から外した後、<右手>から<桟>を持ち替えて、下に捨てるという動作をすることになります。これでは、<ダブルアクション>どころか<トリプルアクション>になってしまいます。そんな面倒なことをするより、<右手>で外した<桟>をそのまま足元に落とした方がずっと簡単だとは思いませんか・・・?

― さて、余談はこれぐらいにして本題にもどりましょう!

 警察の考えた<布川事件のシナリオ>では、「 桜井さんと杉山さんが、玉村さん宅の勝手口から屋内にあがり込み借金を申し入れたが拒絶されたので、これに憤慨して玉村さんを殺害した 」としたが為に、<便所の窓><侵入口>としたのでは辻褄が合わないので<逃走口>としたと考えられます。しかし、それでも西側の県道以外には逃走したような形跡がない為に、苦肉の策として桜井さん「 偽装工作だった 」と自白させたのでしょう・・・!

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― では、犯人は実際に<便所の窓>から侵入したのでしょうか・・・? 

 残念ながら、全く確証がありません。痕跡を残さず侵入することが可能だったかどうかは、<真犯人>に聞いてみるしかありませんが、もし仮に本当に2人組による犯行だとして、ひとりがもうひとりを肩車して足先からアクロバット的に侵入したとしたら、あるいは可能だったかも・・・?

 前回では、<自転車>の置かれていた場所と<サンダル>の脱ぎ方から、玉村さんが帰宅した時に既に犯人は玉村さん宅に侵入していたものと想定しました。その場合には、現場の状況から2つの侵入方法しか考えられません。1つは、実際に<便所の窓>から侵入した場合、もう1つは、それは諦めて<勝手口>から侵入 ― もしかして、玉村さんは鍵をかけ忘れていた? ― した場合です。

 当時の利根町は、住民のほとんどが顔見知りと言っても言い過ぎではない程の典型的な田舎町で、犯罪発生件数も驚くほど少なく、その為に住民の防犯意識も希薄でした。― それ故、布川事件の発生は住民にとって非常に大きな衝撃でしたが・・・

 私事で恐縮ですが、その当時我が家では長時間家を留守にする時でも全部の戸には鍵を掛けずに、どこか1ヶ所ぐらい開けてありました。それは、我が家は比較的人通りの多い県道に面しているので、誰もそんな家に空き巣に入らないだろうという ― 今考えると恐ろしい位 ― 安易な気持ちだったように思います。

 ですから、玉村さんが普段から<勝手口>の戸に鍵を掛けていなかった可能性も充分に考えられます。そして、<真犯人>は以前からそれを知っていた・・・? もし、そうなら<便所の窓の桟>が外されていたのは、顔見知りの犯行であるのを隠すための<偽装工作>・・・?

 実はもう1つ、「 物陰に隠れて玉村さんの帰宅するのを待っていた 」ということも考えられなくはないのですが、しかしそれでは<自転車><サンダル>が置かれていた状態の説明がつきません。

― さあ、貴方ならどんな推理をされますか・・・?

 ※ 貴方の名推理をお聞かせ下さい。 →   ポスト

( 2001. 8  T.Mutou )

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追記・・・ 以下は、1年余を経過した後に書き加えたものです。

 私は、この第2回の推理の最後の部分で、真犯人が<勝手口>から侵入したように仄(ほの)めかしながらも、<勝手口>のガラス戸の錠(じょう)がどうなっていたのかと言う点については、明快な推理を避けたままにして、私としてもずっと後味の悪い思いをしていました。このシリーズも最終回(第6回)を迎えた現在、この問題にも決着をつけたいと思います。

 では、まず<検証調書>をご覧下さい。<玄関><勝手口>の錠(じょう)については次のように記載されている筈です。

「 ・・・県道寄りに巾1.73mの玄関があって、巾88.5cm 高さ1.76mのカスリガラスの入った格子戸2枚が閉めてあって、戸は開かない。左へ閉めた外側の戸の右側框(かまち)には、敷居から69cmの高さのところにシリンダー付外締錠がつけてある。」

「 ・・・銀モールガラス4枚の入った腰板付ガラス戸2枚を閉めた巾1.72mの出入口があって、左側へ閉めた外側ガラス戸の右框(かまち)には、敷居から86cmの高さの位置にスプリング付外締錠がつけてあるが、(かぎ)は閉めてなく、左側へ閉めたガラス戸は、・・・2.8cm程隙間ができていた。」

 私の記憶によれば、事件当時の木造家屋のガラス戸に付けられていた錠(じょう)は、通常建物の内側から締めるタイプの捻締錠というもので、長さが5pくらいの真鍮(しんちゅう)製の丸棒の片側がつまみ易いように平たくなっていて、もう一方にはネジ山が切ってあり、そのネジの部分を重ね合わせたガラス戸の框(かまち)の鍵穴に通して締めるものだったと思います。

 言うまでもなく、明らかに玉村さんは錠(じょう)を付け替えています。押入の床下に隠し木箱を作っていたこととも考え合わせると、玉村さんの用心深い性格が窺(うかが)い知れます。独り暮らしの老人だという事を意識していたのでしょう。あるいは、手許に多額の現金を置いていた所為(せい)かもしれません。

 そのように用心深い玉村さん<鍵>を掛けないで外出することなど到底考えられません。玉村さんが事件当夜外出した時には当然<鍵>を掛けて出たと考えるべきです。問題は、その<鍵>の所在です。

 私は、玉村さんがその<鍵>を持ち歩いていなかったか、もしくは、<マスターキー>は持ち歩いていたが<スペアキー>を敷地内の何処(どこ)かに隠していたのではないかと考えています。日中は、大工仕事等をしているので<鍵>をポケットなんかに入れておくと無くしてしまう怖れがあります。それで玉村さんは、万一の事を考えて、その<鍵>を敷地内の何処(どこ)かに隠していたのではないでしょうか ・・・ ?

― では、その<鍵>の隠し場所は、何処だったのでしょうか ・・・ ?

 余談ですが、今日たまたま偶然にある光景を目撃してしまいました。たぶん20代の若者だと思いますが、玄関横の<郵便受け>からアパートの<鍵>をおもむろに取り出して、ドアの鍵を開けていました。未だにあんな所に隠している人がいるんだなと、感動するやら、驚くやら ・・・ 。<鍵>の隠し場所としては、かなり古典的で、且つ余りにもありふれた場所なので、非常に危険ですらあります。

 勿論、玉村さん宅には<郵便受け>が有りませんでしたので、そこではありません。雨の掛かる場所だと<鍵>が錆(さ)びてしまい、遂には使い物にならなくなってしまうので、条件としては、少なくとも雨の掛からない場所である必要があります。可能性が1番高いのは、別棟の<流し場>か、居宅東側の<物置>あたりでしょうか ・・・ ?

 そして<真犯人>は、以前からそれを知っていたか、乃至(ないし)は、偶然見つけたのでしょう・・・

― その<鍵>は、いったい何処へ行ってしまったのでしょうか ・・・ ?

 再び<検証調書>をご覧下さい。次のような記載があります。

「 ・・・ 向って右側は白壁で、壁際 ・・・ のロッカーの上に ・・・ (もうひとつ別の)ロッカーが重ねて置いてあり、(上の)ロッカーの ・・・ 扉は右側に開いていて、外側の ・・・ 鍵穴に、汚れた白色ゴムテープに通したが差し込んであり、(その)ゴムテープには他の鍵9個が通してある。」

 これは8畳間にあった<ロッカー>についての記載部分です。この<1+9個の鍵>の中に<玄関><勝手口><鍵>があったのでしょうか ・・・ ? われらが捜査官殿は、その点にはまるで関心がなかったとみえて、<検証調書>には何も記載されていません。では、玉村さん<勝手口><鍵>を所持していたのでしょうか ・・・ ?

 再度<検証調書>をご覧下さい!

「 ・・・左右の足は逆くの字形に曲げていて、ズボンの右脇ポケットに、・・・明治ゆであづき罐詰1個とその下側に折畳んだ手拭1本が入れてあって、右後のポケットに四つ折に折った100円紙幣1枚が入れてあり、さらに左脇のポケットに折畳んだ白ハンカチ1枚が入っていた。」

 この記載からして、玉村さん<鍵>を持っていなかったようです。もし、玉村さん<勝手口><鍵>を自分で開けたのなら、ポケットの中にそれが入っていても良さそうなものです。

 仮に、上記のロッカーの鍵穴に差し込んであったものが、玉村さんの持ち歩いていた<鍵束>で、その中に<玄関><勝手口><鍵>が入っていたとしても、<スペアキー>は別な場所に保管しておくのが常識です。玉村さんの場合は、一人暮らしなので、他人に預けるか、家の中以外の別の場所に保管しておく必要があります。そうでないと<スペアキー>の用を為(な)しません。

※ なお、桜井さんは、取手警察署での取調べの時にこの<鍵束>を見せられていて、その鍵の1つに<玄関>と書かれた名札が付けられていたそうです。( 昭和49年『 上告趣意書 』参照 ) もしそうならば、この<鍵束>は玉村さんが常時携帯していたものだった可能性があります。

 また、8畳間の机の引出の中には、別に<ロッカー><金庫><鍵>が各1個入っていました。それに押入の前にも<ロッカー><鍵>が1個落ちていましたが、<玄関><勝手口><鍵>については<検証調書>の何処にも記載がありません。

― これをどう理解すれば良いのでしょうか ・・・ ?

 答えは、明白です! <勝手口><鍵>は、敷地内の別の場所に隠されていて、それを以前から秘(ひそ)かに知っていたか、犯行時に偶然見つけた<犯人>が、使用後にポケットに入れたまま持って行ったに相違ありません。そう仮定すれば、パズルのピースは上手い具合にピタッと収(おさ)まるとは思いませんか ・・・ ?

( 2002. 10  T.Mutou )

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